「そう言えばコウタ。明日は確かホワイトデーだったよね?お返しってもう考えた?」
朝一番のミッションから帰投中の現在は特にやる事も無く、ただヘリが到着するのを待っていた際に何気にエイジから言われていた。極東支部のバレンタインは旧時代の情報を元にカノンが復活させた事が一番の要因だが、そのお返しとなるホワイトデーに関しては、特別何も言わなかったのか、今のコウタにはどこか空虚な言葉の様に思えていた。
「お返しって言われても、俺は誰からも貰って無いぞ」
先月のバレンタインデーではコウタは本命とも取れる様なチョコを受け取る事は無く、その結果として義理ではあるがヒバリとカノンから受け取っていただけだった。厳密に言えば濃厚なチョコレートソースをかけたザッハトルテもカウントすべきだが、あれはどう考えてもアリサではなく、目の前に居るエイジが作った物であるのはコウタも分かっていた。
推測とは言え、恐らくは事実であるこの事を口に出せばアリサから何をされるか分からない以上、カウントする必要は無いと考えていた。
「でも、ヒバリちゃんとカノンさんは?」
「そうだった。でもホワイトデーって言われても何を返すのが一番なんだろう?ヒバリちゃんならタツミさんと被る訳にも行かないだろうし。って言うか、タツミさんは知ってるのかな?」
コウタが言うのは当然だった。目の前に居るエイジとアリサが恋人同士なのは既にアナグラでは周知の事実だが、タツミとヒバリに関しては意外と話題には上りにくい。
アプローチしていた頃は頻繁にその光景を見る機会が多かったが、今ではそんな雰囲気は微塵も感じる事は無かった。
何故なのかはともかく、こんな分かりやすいイベントをタツミが見逃す事は無く、その結果としてタツミの動向を確認してから考える事にしていた。
「タツミさん。ヒバリちゃんへのお返しって何か決めてるんですか?」
「お返し?って何の?」
コウタの言ってる事が理解出来ないのか、それともタツミの脳内には存在しないボキャブラリーなのか、今一つ理解していないようだった。
「タツミさん。バレンタインデーのお返しの事なんですけど?」
「ああ、それね。もう選んであるからバッチリだ。コウタは何でそんな事を聞いてくるんだ?まさか、俺のヒバリちゃんを狙ってるのか?」
単純にお返しについて聞いたはずが、何故か話の方向がおかしい。これ以上は泥沼にはまる訳にも行かず、まずは状況をしっかりと伝える必要があった。
「実は、エイジからお返しをした方が良いって言われたんですけど、タツミさんと被る訳にも行かないんで、確認しようかと思ったんですけど」
「なるほど。で、コウタは何を返すつもりなんだ?」
「それが分からないんでタツミさんに確認しようかと」
コウタの中ではお返しと言う考えが思い浮かばなかったのか、どうすれば良いのかを確認する為に聞いている事だけはタツミにも理解できた。しかし、自分が用意したものを態々コウタに言う訳にもいかなかった。
情報が漏洩するとは思わなないが、自分が選んだ物を最初にコウタに伝える義理は無い。だからと言って適当な事を言う訳にもいかず、その結果に対して頭を抱えていた。
「だったらエイジに聞いたらどうだ?あいつならアリサへのお返しは何か考えてるだろうから、似たような物で良いんじゃないのか?」
物の見事に話はここで振りだしに戻る事となった。
「エイジ、お前のお返しって……何してるの?」
宛てもなく彷徨うと、ラウンジからはやたらと甘い匂いが漏れてきている。この時間は食事の準備をするにはまだ早い為に、施設を使う人間は限られてくる。匂いと時期を考えれば、誰がそこに居るかは確かめる必要は無かった。
そこに居るのが当然だとコウタが扉を開ければ予想通り、そこにはエイジが何かをひたすら捏ねていた。
「コウタか。見ての通りだけど、今は生地を捏ねてるんだけど?」
「食事の仕込みなのか?」
コウタが疑問に思うのは無理も無かった。生地と言われて思い浮かぶものは限られてくる。食事の仕込みにしては甘い匂いはどことなく場違いにも思える。だからこそ、何かのヒントになればと確認する事にしていた。
「違うよ。これはパイ生地だよ。今は発酵した物を改めて捏ねてるんだ。作り置きが利くから今の内に在庫を作ろうかと思ってね」
「ほんとお前はマメだな。何か出来たら俺にもくれよ」
「まぁ、構わないけど。でも、少しは自分で作ったら?多少は作れるならお返しの一つも良いんじゃない?」
エイジの影響を受ける事で、コウタも簡単な物なら作れる様になっていた。以前に家に帰って作った際には信じられないと、随分と家族から驚かれた記憶があった事が思い出される。
特に妹のノゾミに関しては目を輝かせる様にコウタを尊敬の目で見ていた事は記憶に新しい。エイジが居るなら、ここで簡単な物を教えて貰うのも悪くは無いと考えていた。
「なぁ、俺にも作れる簡単な物って無いか?」
「…だったら、良い物があるよ。ただ少しだけ手間がかかると言うか、面倒と言うか…」
「面倒って何が?」
エイジの顔を見れば妙案があるが、実際には面倒が故に作らない物がある様だった。しかし、お返しを作ると決めた以上、撤退の二文字はありえない。と言うよりも既に時間が無い事もあり今はそれに縋る以外に手立ては何も無かった。
「なぁ、これいつまでこうしてれば良いんだ?」
「かき混ぜた感触が固くなれば良いよ」
「これ本当に固くなるのか?」
「なるよ。でも、もう少し気合入れてやらないと固まらないかもね」
コウタはひたすら白い液体が混ざったボウルをかき回していた。時折やたらと甘い匂いがする物を入れていたが、それが何を意味するのかは分からない。かき回す度に甘い匂いが広がって行た。
どれほどかき回していたのだろうか、ボウルの中身は何処となく固形状になりつつある。横で見ていたエイジは一旦自分の動きを止めて、コウタに次の指示を出した。
「あとはこれに入れて冷やせば大丈夫だよ。固まれば完成だね。個数はとりあえず2個なんだよね?」
「それで大丈夫。いや、自分の分も入れたら3個だな。何だか任務よりも疲れたよ。いつもこんな物作ってると思うと大変だな」
普段から何気に頼んではいるものの、実際につくるなれば労力はかなりものになる。幾らゴッドイーターと言えど、疲れる事に関しては全て等しかった。
「これは普段は作らないよ。だから面倒だって言ったろ?」
「知ってて作らせたのかよ。だったら事前に一言位言えよ」
「いつも出る物をだしたら新鮮味が無いだろ?たまには苦労するのも悪くないよ。後の管理はこっちでするから、コウタは気にしなくてもいいよ」
半ば騙された様にも思えたが、実の所今回の出来上がりが少しだけ楽しみに思えていた。最初は何を作っていたのかすら見当もつかなかったが、時間が経つにつれ内容が判明しだす。
後は明日、確認をして完成する。ここで漸く一息つく事が出来た。
「ヒバリちゃん。これバレンタインのお返しなんだけど。良かったら食べて。でも時間を開けるなら冷やしておいた方が良いよ」
「私にですか?態々ありがとうございます。でも、これは一体?」
ヒバリの手元にはささやかと言える様な物ではあったが、何かカップに入った白い物体だった。食べ物に違いないのは分かるが、これが一体何かはまだ分からない。確認の為にとりあえず開けてみる事にした。
「コウタさん。これってアイスクリームですか?」
「そう。昨日エイジに聞いて作ったんだ。でも、あんなに大変だとは思わなかった」
舞台裏を明かさなければ、恐らくはコウタの株が少しは上がったのかもしれない。しかし、そんな事は何も考えず単純な感想を言われれば、ヒバリとしても苦笑を隠せなかった。
確かに見た目はあれだが、監修が付いているのであれば味は保証されている。バレンタインで渡したまでは良かったが、まさかお返しが来ると思わなかったヒバリは純粋に喜んでいた。
「そう言えばエイジさんからも貰いました。普段から色々と頂いているので、何だか申し訳ないんですけど」
ヒバリの一言で、エイジも何かを作っていた記憶はあったが、それが何なのかは記憶に残っていない。やたらと甘い匂いがした記憶しか無いコウタはそれ以上の事は実際に確かめるしか無かった。
「そう言えば、エイジからは何を貰ったの?」
「エイジさんからはエクレアですね。何だか食べるのももったいない様な気もしますけど」
「…あいつは何考えてんだ?」
少し見せて貰ったエクレアは店売りとしても十分に通用する様なデコレーションが成されていた。既に周りを見れば他の女性陣も似たようなものを持っている。
コウタが苦戦している間に何を何個作ってたのかは分からないが、手際だけは良かった事が思い出されると同時に、自分もドサクサ紛れに頂こうとラウンジへと向かっていた。
「これは一体?」
アリサが疑問に思うのは無理も無かった。目の前には女性陣が持っている様なエクレアだけではなく、色合いも鮮やかなカクテルジュースと一緒に四角い物体がいくつも置かれている。見た目は柔らかく、恐らくはフォークで刺せば弾力があるのは想像できるが、これが一体何なのかまでは理解出来なかった。
「食べれば分かるよ」
確認の為にエイジに聞きはしたが、食べれば分かるからの一点張りでどうやら教えてくれそうにない。エイジが作る以上、変な物では無い事は理解出来る。これ以上見た所で何かが変わる訳では無く、思い切って口にする事にした。
「じゃあ、いただきます」
フォークで刺した物体は、予想通り弾力がありながらも簡単に刺さった。味は分からないが、見た目がカラフルである以上は変な物では無い。これがエイジでは無い誰かが作った物であれば警戒の一つもするが、当人が作る以上、疑う余地は何処にも無かった。
迷う事無くアリサは口の中に入れると、ふわっと溶けた食感と同時に果物の爽やかな風味が広がってくる。
今までに一度も食べた事がない食感にアリサは驚きを隠さなかった。
「エイジ、これは一体?」
「これはギモーヴだよ。マシュマロみたいな物だね。作り方は割と簡単なんだ」
エイジの言う様にマシュマロと言われれば確かにそうだが、味わいと食感はアリサの知っている物とは違っていた。柔らかな触感と共に口の中で溶ける感覚は今までに食べた事は無いとまで思えていた。そんな味にアリサの顔は自然と綻んでいた。
アリサは気が付かなかったが、その様子を見ていた他の女性陣は何処となく羨望の眼差しで見ている。
「あれ?アリサ、それは何?」
美味しく頂くその背後から、何か良い物を見つけたかの様にやってきたのはリッカだった。既にエクレアは手にしていたのか、小さな皿に置かれている。そう言えば今日はホワイトデーなんだと思い出し、休憩がてらラウンジへと足を運んでいた。
「これギモーヴって言うんです。中々美味しいですよ」
「へ~いいな~。ねぇ、私の分は無いの?」
「これはそんなに数が作れなかったんだよ。試作で味が安定しなかったからね。それなりで良ければ、ここにあるけど?」
今回珍しく上手く出来なかった事にアリサもリッカも驚きを隠さなかった。いつもであればソツなく作るはずが、今回は珍しく安定していない。試作も恐らくは相当数を作ってた事だけが想像出来ていた。
「アリサには完成品で、私には試作なんだ。やっぱり愛の差ってやつ?」
試作と言っても不味い物では無い以上悪くは無いが、単純に差が付くのは面白く無い。ここは一つからかいがあっても良いだろうと判断し、何気に茶化そうとエイジへと言葉を向ける。
「それは当然だよ。皆と一緒には出来ないからね」
あまりにストレートな返事にアリサが顔を赤らめ、気恥ずかしながらも少しづつ食べている。リッカもまさかこんな所で惚気られるとは思っても居なかったのか、少し気まずさはあったものの、折角だからと試作を食べていた。
事前に試作と言われなければこれが完成品でも問題ないレベル。これがダメならアリサが食べている物はどれほどのレベルなんだろうか?いつもなら一口欲しいと強請る事も出来るが、流石にこれは無理だと判断しリッカは目の前の物を食べる事にした。
「これって、試作なんだよね?もう無いの?」
「試作はまだあるよ。色々な味で試してるから、全部が同じ味ではないけどね」
爽やかな味わいの中にも溶ける口どけは、アリサだけではなくリッカも虜にする内容だった。気が付けば試作は予想通り相当数だったのか、結果的にはすべてがラウンジに出され、あっと言う間に売切れる勢いで終了した。
ラウンジには甘い匂いが充満するのと同じ位に笑顔が広がっている。
ささやかなお返しでは無く、大それた結果にはなった物の、これが新たな市販品となるには然程時間がかからなかった。