「アリサ、気をつけてね」
「大丈夫です。候補地を見つけたらすぐに戻りますから。…エイジこそ無茶しないで下さいね」
「こっちはリンドウさんとツバキ教官もいるから大丈夫だよ。それに、今回は短期だから直ぐに帰ってこれるから」
候補地の選定計画がいよいよスタートし、出発の日となっていた。既にヘリは発進の準備と共に物資や荷物を運んでいる。残す時間はあと僅かだった。
「お前ら。いつまでくっついてるんだ。そろそろ行くぞ」
「ソーマも少しは空気を読んでくださいよ。そんなんじゃシオちゃんに飽きられますよ」
「シオは関係ないだろうが」
何時もと変わらない様子にエイジとコウタは見送ることしか出来ず、また、そのエイジもこの数時間後には旅立つ予定となっている。一人残されるコウタはセンチメンタルな気持ちになりたい所だが、生憎と新人の2人は犬猿の仲なのか、事あるごとに衝突を繰り返す。今後の事を考えれば気が重くなりそうだが、今だけは少し現実逃避したい気持ちがあった。
「何だか慌ただしい出発だったな」
「でも、今後の事を考えれば、これは正しい選択だよ。事実、人口の流入に加えて元々澄んでる人たちも増加傾向にあれば、どこかで対策を立てる必要があるからね。屋敷に関しては相変わらずだけど、あそこは研究施設も兼ねてるから簡単に増やせないし、何かと困る事も多いとなれば、一刻も早い行動が必要だよ。
それに、外部居住区の生活水準はここ数年で跳ね上がったのは、コウタが一番知ってるだろ?」
エイジが指摘するまでもなく、コウタは外部居住区に実家がある為に、アナグラ以上に状況は実感していた。以前であれば簡単に手に入らない様な物資が露店や店頭に当たり前の様に並ばれ、人々で賑わっている。恐らくは旧時代の水準近くまで戻っているのではないのだろうかとも考えていた。
一度上がった生活水準は簡単に下げる事が難しいのは、ある意味人間の性質が影響するのかもしれない。
だからこそ、何か起きてからでは遅すぎるとの判断によって、今回の計画が実行される事となっていた。
「そりゃ…分かるけどさ、今回の内容はあまりにも規模が大きすぎるから、果たして上手く出来るのかが心配なんだよ。俺だって、今回の育成についても不安はあるからさ」
「せっかく今回から少尉になったんだよね?尉官は現場責任者だから、それはある意味当然の責務だよ。誰だって最初から上手くは出来ないものだよ」
今回の計画に関しては、恐らく実情を知らない人間から聞けば荒唐無稽とも取れる内容なのかもしれない。今では当たり前となった生活拠点の為に作る施設がどんな影響を及ぼすのかは誰にも創造が出来ない。しかしながら、今の極東支部はその計画を実行できるだけの要素とも言える、資金力や戦闘能力、それと立案から実行までできる頭脳が揃っている。
だからこそ、この状況を千載一遇のチャンスと榊は捉えていたのかもしれなかった。
「エイジが言うならそうかもな…何だかそんな気になって来たよ。ってそろそろ出発だろ?お前こそ気をつけろよ」
「前回の様な単独じゃないから大丈夫だよ。何かあれば連絡するから」
騒がしくも賑やかな日常が一旦ここで途切れ、各自が新しく更新された任務へと励む事となった。
「まさか、こんな事になるとはな。ここから戻るにしてもアナグラまではかなり距離もあるだろうから、どこかで一度連絡を取る必要があるな」
「ソーマ、通信機はダメです。これじゃ連絡は取れないですね」
出発してから約1時間程経過した頃、突如として飛行型のアラガミの襲撃を受けていた。本来であれば最新であったはずの対アラガミ装甲は何の効果も発揮する事無くアラガミの攻撃を受け、そのまま撃墜されていた。当初は反撃を試みたものの、アラガミの移動速度が思いの外早く、ヘリが回避の為に旋回した所を狙われていた。
鍛えられたゴッドイーターだからこそ助かったのだが、生憎と操縦士は命を落とす結果となっていた。
「このままここに居ても埒が明かない以上、どこかへ移動する必要があるな」
「それしかありませんね。どこへ行った物かと…どうしたんですか?」
会話を突然打ち切ったかと思った途端、ソーマは持前の聴力で何かが聞こえたのか、何も見えない方向へと視線が固定されている。アリサもソーマの視線に倣って見てみるも、そこには何も見えなかった。
「アラガミの音と銃声だ。何かを襲っているのかもしれん。アリサ、急ぐぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいソーマ」
何かを察知したのか、迷う事無く目的の場所へと一気に走り出す。目的地は分からなくても進む先からは徐々に小さいながらに何かの音が聞こえ始める。ソーマ達の視界に飛び込んで来たのは複数のオウガテイルに襲われている1台の貨物自動車だった。
「あ、あの大丈夫ですか?」
「…ありがとうございます。助けていただきすみませんでしたね」
今の実力からすれば、オウガテイルは物の数には入らない。まるで何ごとも無かったかの様に討伐し、コアを抜き取った頃、ドライバーと思われる女性が下りてきていた。
年齢は恐らく二十台半ばとも取れるその女性の乗っていた車には、何故かフェンリルのマークが上から潰されたのか、目立たない様に消されていた。
「いえ、これもゴッドイーターとしての責務ですから」
「…責務ねぇ。助けて頂いた事は感謝しますが、そのゴッドイーター様がなんでこんな何も無い様な所を歩いているんです?」
「実は…」
「まさかとは思うんですが、迷子にでもなったんですか?天下のゴッドイーター様ともあろうお方が。いやいや、それは無いですよね?」
分かりやすい程の敵意と同時に、嫌味とも取れる言動は今までゴッドイーターになってから聞く事が無かった。侮蔑ともとれる言葉が2人に浴びせられる。助けてもらって辛辣な言葉を投げかける事は珍しかったのか、アリサは驚きを隠さず、ソーマは無表情のままだった。
このまま放置して別れても問題はなかったが、今のアリサとソーマには通信手段が無いだけでなく、現在地の詳細を確認する術が無い。恐らく目の前に止まっているその車に通信手段の機材が積まれている可能性が高く、一旦は自分の感情を心の奥底にしまいこみ、改めてアリサは話をする事にした。
「極東支部所属のアリサ・イリーニチナ・アミエーラです。先ほど正体不明のアラガミから攻撃を受け、現在は通信する事が困難な為、貴女が持っている通信機をお借りしたいと思います。失礼ですが貴女のお名前は?」
「ああ、自己紹介がまだでしたね。私は高峰サツキ。フリーのジャーナリストをしています。で、お宅は?」
「ソーマ・シックザールだ」
「ちょっと、ソーマ。せめてもう少しまともな自己紹介位できないんですか!」
今は以前に比べれば丸くなったとは言え、初対面での挨拶には適さない様な言い方は流石に威圧感があった。アリサは慌てて諌めるも、サツキはまるで知っていたかの様な顔でそれ以上の事は何も言わなかった。
「ああ、貴方方は以前広報誌で見かけた顔ですね。こちらも大よそは知っていますから、構いませんよ。通信機でしたら確かに機材は積んでますので、先ほどの事もありますし、貴方方とは違って、私は寛大ですから、少し位はお貸ししますよ。
それと、取引と言う程ではありませんが、ここから少し先に私の目的地がありますので、そこまでの護衛をしてもらえませんかね?」
一言話す度にどこか棘がある言い方に、流石のアリサも我慢の限界を迎えようとしていた。しかし、この状況で下手に刺激する事でアナグラへの通信手段と移動手段を失う訳にも行かず、今は耐える事で最低限の事だけをする様に心掛けていた。
道なき道をどれほど走ったのだろうか?舗装されていない道路の走行に車内にも振動が拡がってくる。そろそろ着く頃なのだろうかと思った矢先に今までに無い程の衝撃が車内を襲ったかと思うと、後ろでくぐもった声が聞こえていた。
「ソーマ。大丈夫ですか?」
「……問題無い」
声だけ聴けば言葉の通りだが、その姿を見れば頭に機材が直撃したのか頭を押さえたままうずくまっている姿が見える。何時もとは違う様子にアリサもほんの少しだけ笑みが零れていた。
「随分と仲が良さそうですね?ひょっとして恋人同士なんですか?」
バックミラーごしに見たソーマとアリサのやり取りから、サツキが何気に放ったその言葉はある意味衝撃とも取れる様な内容。流石にアリサとしてもその言葉を軽く流す事は出来なかった。
「何馬鹿な事言ってるんですか!ソーマはただの同僚で、私にはちゃんと恋人がいますから。少なくともソーマよりも10倍いや、100倍マシです」
何かの修羅が降臨したのか、それとも何かのスイッチが入ったのか、今までとは違うあまりの変貌に、今まで散々毒を吐く様な言葉を投げかけていたサツキでさえも言葉を失っていた。どうやらこれ以上この話をするのは禁句なのかもしれない。
これ以上の事は何も言わない方が身の為だと判断したのか、それ以上の事は何も話さずサツキは運転に集中する事にしていた。
「サツキさん。この車は一体どこへ向かってるんですか?」
先ほどの緊迫した空気が漂う車内の空気を壊したのは原因を作ったはずのアリサだった。このまま黙って乗っていても良かったが、これ以上の沈黙に耐えきれなかったのか、それとも単なる興味本位なのかは分からなかった。
本来であればサツキも答える義理は無いが、今まさに向かっている場所でもあるので隠す必要は無いとばかりに、概要のみを伝える事にした。
「この先に居住区があるんで、そこに向かってますよ。さしずめミニエイジスと言った所ですかね」
「そうなんですか……こんな所にもあるんですね」
本来であれば、極東支部以外に人が住める様な場所は無いと考えている事が殆どの為に驚きを隠す事は無い。もちろん、サツキも今までに説明は数回した事があったが、実際には驚愕の表情と、否定の言葉しか出てこない記憶しかなかった。
しかし、今の反応はまるでそれが当たり前かの様な反応にも思える。決してそれが驚きを隠す為の演技でも無ければ、虚勢でも無い。
まるで当たり前の事を言っているから頷いた。そんな風にも見えていた。
「意外ですね。普通は驚く人が殆どですが。…まさかとは思うんですが、貴方方はこの先にあるその存在を知っているんですか?」
突如としてブレーキを踏み、急停止したかと思うとサツキの顔には警戒心が浮かんでいた。これから向かう先はフェンリルであっても知らないと思われる場所。仮に知っているのであれば危険分子を自ら招く事になり兼ねない。態々トラブルの種を運ぶつもりはどこにも無い。
そんな警戒心むき出しの表情と共にサツキはアリサの様子を窺っていた。
「この先に何があるのかは我々は知りません。でも、その先にある物が何なのかはミニエイジスの単語で想像はつきますし、似たような様な物を我々は偶々知ってただけです。何を想像したかは知りませんが、そこまで警戒する必要がありませんので」
それがあるのは当然だとも取れるアリサの発言。似たような物の単語に引っかかる物はあったが、今のアリサの表情に敵意は感じられない。仮にこれが完璧なポーカーフェイスだとしても、今のサツキにはそれを見破る術は無かった。
これ以上何の確証も無く、ここに留まった所で時間の無駄でしかない。一旦は現地まで運んで、それ以上の事は任せた方が無難だと考え、改めて車を走らせていた。
「そう言うのであれば、とりあえずは信用する事にしましょう。そろそろ赤乱雲が出そうです。急ぐ事にしましょう」
サツキが目で示すように、空には赤黒い雲が少しづつ見え始めている。まるでこれから血の雨でも降るのかと思うほどに赤く染まった雲は、ただ不気味な存在だった。
「あれが赤乱雲ですか。初めてみました」
「ひょっとして何も知らないんですか?」
何も知らないくせに他人事の様に何を言いだすのか。そんな気持ちがサツキの心の中を支配する。ゴッドイーターはあくまでもフェンリルの保護下における人類の守護者であって、決して人類そのものの守護者では無い。
以前に勤務していた場所での結論がサツキをフリーのジャーナリストへと転身させるキッカケとなっていた。だからこそ、まるで何も知らない様な雰囲気のアリサに苛立ち始めていた。
「赤乱雲そのものは初めて見ただけだ。ただ、その影響で何が起こるのか、それが何なのか位は知っている」
「へ~。あなたは知ってたんですか?」
「これ以上の事は部外秘に抵触する以上、俺の口からは何も答える事は出来ない。だが、これだけはハッキリ言わせてもらうが、ジャーナリストだけが全ての事実を知っているなんて驕りは捨てておけ。闇をのぞき込む者は、逆にその闇から覗きこまれている。元々何をしていたかは知らないが、大怪我をする前に知った様な口は開くな」
取り付く島もない様な言い方にまたもやアリサの表情がドンドン悪くなり始める。先ほどの二の舞は御免こうむりたいとばかりにサツキはその話題から離れ、漸く目的地が見え始めてきた事を伝えていた。
「ご忠告は有りがたく頂戴しますが、私が案内出来るのはここまでなので。入口で手続きをする間に約束通り、通信機は使用して頂いて結構ですから」
ソーマに言われた事が気に障ったのか、それ以上サツキは何も言う事は無かった。当初の約束通りに護衛は果たした以上、約束は守る。今は最低限出来る範囲での事をすべく、アナグラへの通信回線を開いていた。