神を喰らいし者と影   作:無為の極

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第103話 遠征

 喧騒が漂うアナグラのロビーに一人機嫌良く歩く銀髪の少女。何時もの様な厳しい表情はそこにはなく、まるでこれから起こる事を楽しみにしている様にも見えていた。以前からその姿を知っている人間は理由は察しているが、何も知らない新人からすれば理由が見当たらないと言った表情がそこにあった。

 

 

「アリサさん、今日は随分とご機嫌ですね」

 

「実は昨晩連絡があって、早ければ今晩か遅くても明日の早朝には帰ってくるらしいんです」

 

 この一言でアリサがなぜ機嫌が良いのかヒバリには直ぐに理解出来た。端末で確認すれば、極東に向かって一機の着陸予定のヘリの情報が入っている。その情報が全てを物語っていた。

 

 

「だから、明日は珍しく休暇の申請を出してたんですね。もう、そんなになるんですね。時間が経つのは早いです」

 

「でも、前みたいな事にならないかと思うと少し心配なんです」

 

 アリサにとって、ヘリでの帰還は半年ほど前に起きた事件の事が未だに心配の種として残っていた。帰還途中のアラガミとの遭遇から、記憶喪失にアナグラの襲撃事件。

 事件と言うには余りにも濃すぎる程の内容が未だに思い出されていた。

 

 

「それは……まぁ心配ですけど、毎回それは無いですよ。事実、最近は飛行型のアラガミの発見報告は有りませんし、今も近隣での反応はありませんから」

 

「それは分かってるんですが……やっぱり顔を見ないと安心出来ないのかもしれません」

 

 時間にもゆとりがあるからなのか、忙しいと思われる業務はお互いに何も無く、2人の空間に入り込む様な人間は誰も居なかった。確かにあの時はアナグラ中が大混乱となり、その後の対応については、ヒバリも良く知っているが故に心配し過ぎではとの言葉を発する事が出来なかった。

 

 

「あれ、2人で何してるの?」

 

「実は、早ければ今晩か遅くても明日の早朝には帰還予定らしいって話をしてたんです」

 

「そうなんだ。そうか、もうそんなになるんだね。だったら暫くはここの食事は充実しそうだね」

 

「リッカさん。エイジはシェフじゃありませんから」

 

「何?かまってもらえなくなるとか思ってるの?」

 

「そんなんじゃありませんから!」

 

 リッカが加わった事で、カウンターは姦しい空気が流れだす。何気に放ったリッカの一言でその場に居た古参の人間はそんなになるのかと思いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士、今回は何の用件でしょうか?」

 

「毎回すまないね。今回君に来てもらったのは、少し出張してほしい事が出来たんで、その確認の為に呼んだんだよ」

 

「出張ですか?」

 

 支部長になっても呼び方が博士のままなのは、榊本人がそんな事に無頓着なのか、それとも諦めているのか分からないが、ガーランドの後任として支部長職についてからも変化は無かった。

 

 本来であれば規律に従い呼称の変更は当然の事だった。しかし、ここ極東では階級に意味を見出す者は殆どおらず、その結果として先輩が変わらない以上、新人達も博士の呼称をそのまま利用していた。

 

 

「実は、例の事件以降何かとここを不安視する考えが大きくなってきたのか、些細な事も含めて何かと横やりが入りやすくなってきてね。今の所目立った事は何も起きていないんけど、今後の本部への牽制を兼ねて、ここの最高戦力を一旦外部へと派兵する事で様子を見たいんだよ。

 もちろん、この件に関しては命令ではなく、希望的な意見として今の所聞いて欲しいんだけどね」

 

 いつもの砕けた話ではなく、今回の呼ばれた内容は色んな意味で重い話となっていた。前回の事件とは間違いなくガーランドの起こしたクーデター事件の事を指している。

 事の顛末に関しては概要だけは無明から聞かされていたが、詳細については何も聞かされておらず、今回の榊の話によって内容を確認する形となっていた。

 

 

「極東最高戦力と言いましたが、僕自身はそんな事は考えた事も無いんですが?」

 

「君は一度も考えた事が無いかもしれないが、他の支部からすればそうは思わないんだよ。現に君のスコアは極東だけではなく、全支部の中でも群を抜いている。それと、広報でも散々君の姿は知られている関係上、誤魔化しは出来ないんだ」

 

「そうですか。話の趣旨は理解しましたが、今の話だと僕だけですよね?」

 

「今回の件に関してはそうなるね。ただ、君の神機の特性を考えれば長期間は無理だろうから、その辺りは調整出来るよ」

 

 エイジの使用している神機は他の者とは違い、ある意味特殊とも取れる内容の為か、整備一つするにも色々と細かい制約が付いていた。慣れ親しんだ極東の技術班でもメンテンスには通常の倍以上の時間がかかるのと同時に、内容に関してはある意味秘匿事項の塊の様な物でもあった。

 その結果、整備に関しても特定の人物以外は敬遠したくなる代物だった。

 当初はお願いのはずが、気が付けば前提が既に違っていた。話の途中で気が付いてはいたが、内容を確認しない事には反論も要望も出す事が出来ず、エイジとしてもまずは全容の確認が先決となっていた。

 

 

「仮に行くとしても、神機のメンテナンスはどうするんですか?」

 

「それに関しては最低限の事は他の人間でも触れる様にすると聞いているよ」

 

「であれば、問題ないんですが…」

 

 エイジが言葉を濁すのには理由があった。一つは赴任先の問題、もう一つはアリサの事だった。

 

 

「何か懸念事項があるようだが、ひょっとしてアリサ君の事かい?何だったら伝えておくけど?」

 

「…まぁ、それもなんですが。いえ、それよりも派兵先で何をすれば良いんでしょうか?」

 

 まさか榊に言われるとは想像してなかったのか、不意に出た言葉を翻すかの様に、敢えて派兵先での任務内容を確認する。エイジとアリサの関係はここアナグラに居る人間であれば誰もが知っている。改めて榊が口に出した事は問題では無かった。

 

 

「派兵先は欧州全土と言っても、有力な支部を回る事になるだろうね。ここから先の事は無明君に聞くと良いだろう」

 

「分かりました。一度兄様に確認します。それと、今回の件ですが、僕の口から言うのでアリサに伝えるのは待ってもらえますか?」

 

「君がそう言うならそうしよう。それから後ほど正式に辞令として発表するから」

 

 突如として聞かされている内容に理解は示すが、だからと言って冷静に判断できる程大人では無い。だからこそ榊の内容を確認すべく、一旦屋敷へと足を運ぶ事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄様、今日榊博士から話があったんですが」

 

「欧州派兵の件か。お前には負担をかける様ですまないが、大丈夫なのか?」

 

 屋敷で詳細を確認すべく、今回の内容についての確認をしようと部屋に入った矢先だった。内容に関しては既に概要は榊から聞かされていたが、詳細については何も知らない。だからこそ開口一番の言葉は大よそ予想がついていた。

 

 

「僕は問題有りませんが、どうしてまたこんな時期なんですか?」

 

「前回の事件の事は覚えていると思うが、今回の話はそれが発端となっている。お前も知っての通りだが、本部は実際には魑魅魍魎の塊みたいな部分が多分にあり、その中でも急進派と主流派で派閥が出来上がっている。

 本部の派閥争いに関しては、ここは関係無いんだが、事件が既に立て続けに起きている事から一部の主流派から、極東支部に対して懸念すべき動きがあると難癖をつけられている。

 こちらとしては無意味な嫌疑ではあるが、火の粉は払わない事には大火事になり兼ねない。今回はそんな対外的な内容を踏まえているので、あちらもある程度譲歩する形でお前に白羽の矢がたったんだ」

 

 恐らく話だけ聞けば実にくだらない派閥争いの為に巻き込まれた事だけは理解出来た。しかし、今回の事件だけならば問題無いが、その前にもあったアーク計画は本部の上層部を巻き込んだケースであったのと同時に、今回も結果的には一部の人間のクーデターとも言える内容で事件が収束している以上、完全に否定する事は難しかった。

 これが他の支部であれば対岸の火事で済まされるが、両方が極東発であれば、このままの状態を維持しようとする主流派からすれば、極東支部は目障りに見える事は間違いなかった。

 

 実際に、今回の件にしても無明の辣腕で強引に沈静化できたからまだしも、最悪は全権限を本部が掌握する可能性も予見されていた。だからこそ、ある意味苦渋の決断とも取れる結果がエイジの肩にのしかかってきていた。

 

 

「対外的には以前にもあった技術交流の名目だが、実際には誰を差し出すかで極東支部を値踏みしていると考えた方が正解だろう。本来であれば誰でも良いのだが、スコアのトップが派兵されれば、頭の固い連中は黙るしかないからな。仮にそれ以上の要求が来たとしても、それ以上飲む必要は無い」

 

「期間としてはどの程度の予定なんでしょうか?」

 

「今回は半年を予定している。がしかし、極東も人的余裕は無い以上、早めの帰還命令が出る可能性もある」

 

 半年の期間を長いと思うか、短いと思うかはそれぞれの立場で見解は異なっていた。事実、話を聞いたエイジは長いと感じている。アリサの事は勿論だが、極東は世界の中でも有数の激戦区となっていると同時に、新種のアラガミも他に比べれば出現の確立は異常な程に高い。

 屋敷の事は無明が居る以上問題ないが、万が一ハンニバルの様なアラガミが出た場合の対処を考えると悩みは尽きなかった。今でも接触禁忌種の討伐に関してはほぼ第1部隊だけで回している事もあり、猶更その考えに拍車がかかっていた。

 

 しかし、目下の悩みはアナグラではなくアリサへの連絡だろう事は容易に理解出来る。榊からも言われた様に、アナグラ内でもアリサとの仲を隠すつもりは無いので、関係性は今更だったが、やはり半年の期間は長い事に変わりなかった。

 途中で一時帰還が出来るなら問題無い可能性はあるが、今回の内容を勘案すれば一時帰還は認められない公算が高い。

 だからこそどう伝えれば良いのか、言葉を捜す事に気を取られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ、今日ってどんな予定が入ってる?」

 

「今日ですか?今の所は大きな予定は無いですよ。緊急ミッションがあれば即出動ですが。どうかしたんですか?」

 

「ちょっと話たい事があるんだけど……」

 

 何時もの様な会話ではあるものの、何となくエイジの表情は曇りがちとなっている。普段の彼を知っているアリサからすれば随分と珍しい光景だとは分かっているが、その理由までは分からない。

 今の時間であれば、今後の予定は大よそながら判断出来る為に、業務終了後に確認する以外に方法は無かった。

 

 

「あの、話ってなんですか?」

 

「…実は、欧州派兵の話が僕に来てるんだよ」

 

「えっ?なんでエイジなんですか?」

 

 唐突に告げられたのはエイジの欧州派兵の話だった。アリサが驚くのは無理もない。ただでさえ激戦区でもある極東からトップの人間を派兵させるのは事実上の戦力を削ぐ行為にしかならない。

 確かにここ最近の殉職率は大幅に減少しているので、対外的に見れば大きな差は無いと思われるのは無理も無かった。本来であれば無明から聞かされた本部の思惑を話しても問題無いのだが、フェンリルからすれば一神機使いの事情などを一々考慮する必要は無いとも取れる。

 当事者からすればたまった物では無いが、いくら極東の最高戦力と言われようとも所詮は一兵士であればそこに選択の余地は最初から無かった。

 

 

「詳細はともかく、僕も聞いたのは昨日なんだ。で、詳しい事を兄様に確認したんだけど、簡単に言えばここでの事件が本部からすれば看過できないと言う名目らしいね」

 

「そんな……そんな馬鹿げた話…前回の事件は本部の勝手な暴走なのに…」

 

 ガーランドが起こした事件のあらましは、当事者でもあった第1部隊のメンバーに知らされていた事もあり、アリサの言葉は事実でもある。だからこそ極東支部には言いがかりとも取れる話を無理やりこじつける事で、対外的に何らかの責任を取らせようと考えたのではとの思惑が透けて見えていた。

 

 

「誰かが行く事に変わりないんだ。ただ、それが僕だって話なんだ」

 

「ある意味エイジは被害者みたな物じゃないですか。なのにどうして…」

 

「今生の別れって訳じゃないから、そこまで大げさな事にはならないはずだよ」

 

「…期間はいつまで何ですか?」

 

「長くて半年だって」

 

 アリサの目には涙が浮かび始めている。半年と言う期間は人によっては長いとも短いとも取れる期間。ここに来て漸く新体制になって落ち着き始めた所での異動であれば、心中穏やかになる事は出来ない。

 しかしながら、既に決定とも言える辞令を覆す事は出来ない事も理解出来る以上、今のアリサには何か出来る手立ては無かった。

 

 

「いつからですか?」

 

「正式に辞令が出てないから分からないけど、そんなに時間はかからないはずだけどね。一度榊博士に確認してみるよ」

 

 現状ではアリサに説明できる事はこれ以上は何も無い。だからこそ確認する事で今後の状況を判断すべきだとこれ以上の話を続ける事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士!エイジの欧州派兵の件ですが、日程等はどうなるんですか!」

 

「あ、アリサ君。まずは少し落ち着こうじゃないか」

 

 翌日の朝一番、支部長室にアリサの声が響く。昨日のアリサへの説明が完了した時点で榊には連絡した事もあり、アリサの態度がどうなるのかだけは予想できたのか、既に支部長室には榊だけではなく、ツバキと無明も居た。

 今回の内容に関してはアリサだけではなく、ここにいる全員が納得した訳では無い。しかし、恋人から唐突に話を聞かされ欧州へと出向くのであれば、今の様な状況になるのは容易に想像が出来ていた。だからこそ、榊としてもその対策とばかりに2人を招聘していた。

 

 

「昨日エイジから聞きましたけど、何でエイジなんですか!本部の横暴じゃないですか!」

 

「アリサ、少し落ち着け。完全な異動ではないんだ。一時的に派兵する事で、本部への義理を果たすだけにしか過ぎないんだ。それ位の事は理解できるだろう」

 

「それは聞きましたけど……」

 

「お前の言いたい事は分かるが、それとこれを一緒にする訳には行かない以上、今出来る最善策として、こちらも苦渋の決断をしたんだ。我々も最高戦力を放出したいなどと今でも考えてはいない」

 

 ツバキから言われる事で、言い過ぎた様な気持ちは確かにあったが、確認すべき事は確認しないと、今後の影響にも関わってくる。火の粉を払う為とは言え、ツバキ達も納得した訳では無い事を理解させない事には、ここから先の議論は出来ない事だけは理解していた。だからこそ、この場でハッキリとアリサに言う以外の選択肢が無かった。

 

 何時もならばこのままエイジに丸投げしてなし崩し的になあなあで済ますが、今回の件に関してはエイジが対象となるだけにそんな手段を使う事は出来ない。だからこそ、この場にエイジを呼ぶ事はしなかった。

 

 

「でも……」

 

「アリサ。エイジを慕う気持ちが本物だとは俺も分かっている。事実、屋敷の人間もアリサの事は認めているんだ。期間は最大で半年ではあるが、辺ぴな場所ではない。

 今の所予定に上がっているのは本部、イタリア、ドイツ、フランスの支部を予定している。こちらとしても最大戦力を一時的とは言え放出するリスクを孕む以上、先方にも妥協させてあるんだ。連絡も取れるだろうから、それで納得してくれ」

 

 無明にまで言われると、流石にアリサも旗色は悪くなる。事実、アリサも屋敷にはかなりの頻度で出入りしているので、屋敷の人間もエイジとの事に関しては何も言わない。個人的な話とは言え、エイジの身内とも取れる人間からの言葉はある意味絶大とも取れていた。

 

 

「デートだって碌にしてませんし、最近は細かい任務が続いているので楽しい事もこれからだって思ったのに、こんなんじゃ…」

 

「アリサ」

 

「何でしょうか?」

 

「それはエイジに言うべき事であって、ここで言う事では無い。しかし、ここ数日は落ち着いているとは言え、まともな休みが無かったのも事実だ。妥協案ではないが、出発の日程が確認された後であれば2人を休みにする。それで良いな」

 

「……了解しました」

 

 ツバキの提案に拒否する考えは最初から無かった。そもそも、何を言った所で既に決定している事実を覆す事は不可能でもあり、それならば確認すべき事を優先させる事で納得する以外に何も無かった。

 

 だからこそ、何かを納得したのか満面の笑みでアリサが支部長室を出る頃には榊もツバキも朝にも関わらず、一日の仕事が終わったかの様に疲れ切った表情を浮かべていた。

 

 

 


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