その光景はまるで今までの苦労が冗談の様に思える悪夢にも思えた。
「え……」
アズマリアが唖然とした顔をして言葉が出なかった。
「アイオーン……?」
クロノも目の前で長年の宿敵が一瞬で倒されたという事実を受け入れ切れない様子だった。
「こ、殺したの!?」
一方ロゼットにはビルスが何をしたのか、よりアイオーンの生死の方が重要だった。
この男には弟を連れ去られている、ここで手がかりを失う訳にはいかなかった。
「ただの脳震盪だよ」
ぶっきらぼうな声でビルスが言った。
「脳震盪?」
聞きなれない言葉に眉を寄せるロゼットにウイスが補足した。
「ただの気絶ですよ」
「そう……」ホツ
(あのアイオーンが気絶、させられた……?)
クロノはウイスの言葉に愕然とする。
アイオーンは腐っても罪人の首領、クロノの兄だ。
その実力についても誰よりも分かっているつもりだった。
そんな彼がわけもわからないままに自分たちの目の前で一瞬で敗北した。
公爵クラスの悪魔なら予測できる結果だが、ビルスの場合は予測すらできないままに勝負を着けてみせた。
(これが神の力なのか……?)
「おい……見たか?」
上空で事の経緯を見守っていた三人の悪魔の一人、ジェナイが呆然とした表情で言った。
「ええ。信じられない……」
恐らく女性型の悪魔と思われるもう一人の悪魔、リゼールもジェナイと同様に信じられないという顔をしていた。
「破壊の神……か」
残る一人の一番屈強そうな悪魔であるヴィドも表情にこそ動揺の色は見せてなかったが、声にまでは気を利かせる余裕はなかったようで、その声は他の二人と同じ感情が聞いて取れた。
彼らは皆アイオーンの仲間であり、彼を支える有力なメンバーだったが、今はその全員が目の前で起こった事態が驚愕し、戸惑いの色を隠せずにいた。
「君達もあいつの仲間なのかな?」
「「「!!」」」
不意に掛けられた声に三人の悪魔はビクリとして振り返る。
するとそこには先程アイオーンを一瞬で敗北させた張本人が目の前にいた。
「なっ……!」
「いつのまに……!」
「……」
「反応から察するにその様だね。さっき倒した奴の態度から察するに君たちは悪い悪魔……なんか変な言葉だな。まぁ悪魔なんだから悪いのは当然だよな……」
破壊神は動揺する三人の前で突然考え事をしだした。
その様子はまるで彼らの事を障害として認識しておらず、どうでもいいと言った様子だった。
「なめやがって......!」
仲間の中で一番短気なジェナイが憤慨する。
アイオーンをどうやって敗かしたのかは解らないが、この隙だらけの状態なら……と、思った矢先だった。
「やめろ」
と声がした。
「へぇ、もう目が覚めたか。意外に体力はあるみたいだな」
三人が目を向けると意識を取り戻したアイオーンが地上から彼らを制していた。
クロノ達も三人の存在に気付き、臨戦態勢を取っている。
「アイオーン、けどよ!」
「ジェナイ、俺はやめろと言った。やめなければお前は消されていたぞ」
「なん……」
すかさず反論しようとしたジェナイだったが、アイオーンがその前にきつく彼を睨みつけ何とか黙らせた。
「……チッ」
「皆降りて来い。話がある」
「なんですって……」
「冗談だろ、流石に……」
「俄かには信じられん。だが……」
「そうだ。この方は本物だ。そして、俺達の望みは今目の前にある」
「おい。勝手に話を進めるんじゃないよ。君たちみたいな失礼な奴らの願いなんて僕は聞いてあげるつもりはないぞ?」
「神よ……先程の彼らの非礼は心からお詫び申し上げる。だからどうか、我らにも慈悲を賜りたい。お願い申し上げる……」
そう言うとアイオーンはビルスの前で深く頭を垂れた。
「「「……」」」
クロノ達の三人はそんなアイオーンの態度を呆然と見ていた。
(あんな腰の低いアイオーンを見たのは初めてだな)
(う……ちょっといい男と思っただなんて絶対に間違いよ)
(アイオーン……さん)
「……ふーん、でもなぁ」
ビルスはまだ機嫌が直っていないようで、そっぽを向いてアイオーンの突然の願いに渋い顔をしていた。
だが、そんな時に。
「ビルス様。私からもお願いします。彼らを許してあげてください」
「あ、アズマリア?」
仇敵を突然擁護しだしたアズマリアにロゼットが動揺した声をあげた。
「ごめんなさいロゼットさん。でも、もう争う必要がないのなら禍根はここで絶つべきです」
「アズマリア……」
「っ、そうだけ……ど」
クロノとロゼットは互いの思いこそ同じではなかったが、自分の提案に対するアズマリアの思いは理解できるようで、その表情は拒否するようなものではなくなっていた。
「ふむ……じゃ、こうしよう。そこの一番目つきが悪そうな君」
「あ?」
いきなり勘に障る言い方をされてジェナイは不快な表情を隠そうともせずに喧嘩腰な返事をした。
「「「ジェナイ!!」」」
「な、なんだよお前たちまで!?」
ジェナイはまさか仲間であるはずの三人に同時に叱られるとは露程も思っておらず、流石に委縮して黙り込んだ。
「良い仲間を持ったな。そう、君が僕に謝れば許してあげよう」
「くっ……」
意固地なジェナイは屈辱に震えながらも選択肢がない事は理解していた。
これは仕方のない事だ、そう無理やり自分を納得させて頭を下げようとした時だった。
「あ、あれは!?」
アズマリが驚きに満ちた声を上げた。
全員がアズマリアが指さした方向を見ると……。
空に武装した無数の天使がいた。
空を埋め尽くしているその数は、数千、数万はくだらないようだ。
その光景はまるで聖書に記されたハルマゲドンの様だった。
「あれは……」
クロノは愕然とした表情で空にいる無数の天使を見ながら言った。
「神隊ですよ」
不意に背後から声がした。
皆が声をした方を振り向くと、そこにマグダラ修道会のレミントン牧師がいた。
「レミントン牧師!」
「やあ、ロゼット。そして皆さん」
レミントンは何時もと変わらぬ穏やかな口調で挨拶をしたものの、その顔は明らかに蔭がかかっており浮かない表情をしていた。
「お前……天使だな」
アイオーンが即座に彼の正体に気付き敵意を露わにする。
「えっ?」
ロゼットとアズマリアは突然の事実に驚きの表情で彼を見るが、それに対してレミントンは意外にもすまなそうな顔をするだけで、こう返してきた。
「その通りです。ロゼット・アズマリア、それにクロノ、すみませんね。私はずっと正体を隠していました」
レミントンはあっさりと事実を認めてロゼット達に謝罪をした。
「そんな……牧師が天使だったなんて……」
衝撃の事実にロゼットは驚きで言葉が出ない様子だった。
「なんとなく不思議な方だとは思っていましたが……」
アズマリアも同じく驚いていたが、彼女はロゼットとは違って以前から思うところがあったらしく、彼女ほどショックは受けていないようだった。
「それで、なんのつもりだ? お前もあの群れの中に入るつもりなのか?」
未だに敵意を消さないアイオーンは上空の天使の群体を指すと、まるで惜別の宣言の様な口調でそう聞いてきた。
アイオーンの仲間も皆、彼と同じく敵意を表わし臨戦態勢をとっていた。
「そんなつもりはありませんよ。私は様子を見に来ただけです」
「様子?」
クロノもレミントンに対する不信感を持ったのだろう、用心するような表情で訊いた。
「悪魔の気配がするので来てみれば、なにやら予想外の方もいるではありませんか。言い訳にしかなりませんが、つい気になって観察をしていました」
「それで、君は僕に何かようかな?」
今までずっと興味なさそうに黙っていたビルスが、レミントンが自分に興味を示していた事を感じ取って自分から彼に話し掛けてきた。
「ビルス様、お初にお目にかかります。神の使い、一応天使のユアン・レミントンと申します」
レミントンは礼儀正しく丁寧にお辞儀をしてビルスに自己紹介と挨拶をした。
「ほう。どうやら僕らからの自己紹介は必要なさそうだ」
「ええ。どうぞお気遣いなく。ですが……」
レミントンは一度そこで言葉を切ると姿を現した時と同じように蔭の掛かった顔をして、空にいる天使の群れを見ながらこう言った。
「できれば、こうなる前にお互い自己紹介をしたかったですね……」
「レミントン牧師あれは何なんです?」
「あれは、神隊。直接地上に手を出せない神が自らの代わりに懲罰を行う為に作った天使の軍隊です」
その言葉にビルスとウイスを除く全員が息をのむ表情をした。
「非常に残念です。神はビルス様を激しく敵視しているようです。そして今、神罰を下す判決をされた……」
口調こそ穏やかなものの、彼の目は絶望に染まっていた。
その目は最早、時ここに至りて死を待つのみ、と明らかに語っていた。
それに対してビルスは特に気にする様子も見せず、こんな事を聞いてきた。
「ふーん、そうなんだ。で、君は天使なんだろ? 君もあそこに加わるのかな?」
その言葉にロゼット達は息を呑み、悪魔たちは再び敵意を表した。
それ対してレミントンは苦笑交じりにかぶりを振りながらこう答えた。
「先程も申しましたが、そのつもりはありません。貴方達の話を聞いて事実を知り、私は廃教を決めました。もう神には着いていけません」
レミントンはそう言うと悲痛な思いで上空の天使を眺めながら更にこう付け加えた。
「最期はせめて、皆さんと一緒に抵抗を貫いてみせようと思います」
その言葉はこの世の終わり、自分たちの敗北を意味していた。
当然その言葉を受け入れられない面々は口々に抵抗の言葉を露にした。
「そんな、そんなのってない!!」
ロゼットは激高した。
「ここまでなのか……?」
クロノは最期になるかもしれないと悟りつつも、それを理由にロゼットの生命を使うことを躊躇っていた。
「ふざけるな! 黙ってやられると思うなよ!」
ジェナイもロゼットと同じく激高し、その身体に力を込める。
「そうね。やるだけやらせてもらうわ」
「ふん……」
リゼールとヴィドも同感といった様子で戦闘態勢へと移行する。
そんな声が上がる中、アズマリアとアイオーンという今までなら全く相容れない組み合わせの二人だけが揺るぎのない信頼を込めてビルスを見つめていた。
「ビルス様……」
「神よ……」
ビルスはそんな二人の期待に応えるようにレミントンの言葉にこう返してきた。
「まるで僕達の敗北が決まったような言い方じゃないか。あの天使たちはそんなに強いのかな?」
「ビルス様……貴方は破壊神の名に相応しく、圧倒的なお力をお持ちなのでしょう。ですがそれはあくまで悪魔に対してです。あの天使たちは、その一体一体が悪魔の公爵クラスを遥かに凌ぐ力を持っているのです。神隊の名は伊達ではないんですよ……」
「へぇ……」
ビルスはそんなレミントンの言葉にも気後れする風もなく、興味なさげに空を眺めるだけだった。
「ビルス様……?」
その反応が予想外だったのかレミントンが伺いを立てるように声を掛ける。
「ま、どれだけ強いか判らないけど、あれくらいなら僕にとっては天使の羽根みたいなもんだ」
「は、羽根……?」
ビルスはあの神隊の天使を天使ではなく羽根と呼んだ。
その形容にレミントンの理解は一瞬追いつかなかった。
「ここの神は生意気だね。化身でもなんでも姿を取り繕って謝りにでもくれば少しは考えてやったかもしれないけど……もうやめだ」
「先ずは、風で羽根を吹き飛ばすか。ウイス、一応障壁を張っといてくれ」
「畏まりました」
ウイスの杖がアズマリアが見た時と同じように輝き、彼を中心に淡い青色をしたオーラがドーム状となって広がってその場に居る全員を包み込んだ。
「どうぞ、ビルス様」
ウイスは準備完了の合図をビルスに送った。
「ん」
ビルスはそれを確認すると、少し目を瞑って暫くして軽く目を見開いた。
その瞬間――
ズッ……ォォオオオオオオ……ドオオオオオオオオン
ビルスを中心に突風の様な見えない衝撃波が一瞬の爆音と共に広がり、空にいた天使たちを襲った。
そして……その衝撃を受けた天使たちは自分たちに何が起こったのか理解する間もなく、一瞬で全て塵となって消えた。
「やっぱり威圧で十分だったか」
ビルスは期待外れと言わんばかりに直ぐに興味を無くした顔に戻って欠伸をした。
あまりもの展開に理解が追いつかなかったロゼットと悪魔達の一同は呆然としていた。
だが、それでもある一つの事柄についてだけはその場にいた全員が共通の見解で一致していた。
この人物は本当に破壊神だと。
無双.....ではなく、完勝でしたね。
でも、一体一体相手するわけにもいかないし、建物を破壊するにしてもちょっと......と思ったので。