東方渡来人   作:ひまめ二号機

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三十六歩目 濃霧を抜けて

 霧に包まれた森の中を進む二つの影があった。森を包み込む霧は濃く、三歩先を見通す事さえ出来ない。しかし、そんな濃霧の中を二つの影は一度も止まることなく進んで行く。

「緋桜、道はこのままで合ってるのか?」

「うん、間違いない」

 男の言葉に、緋桜と呼ばれた少女が頷く。少女の指先からは、良く見れば細長い糸が伸び二人の先へと向かっていた。

 男――渡良瀬全は時折周囲を見回しながら緋桜の後に続く。

 ふと、緋桜の伸ばしていた糸が大きく揺れた。

 しかし、二人は足を止めずに進んで行く。糸が揺れたのは何も今だけではなかった。無論のこと、揺れただけで何も無かった、などと言う事がある筈も無かった。そなことから二人にはもう予想が付いていたのだ、何が来るか。

「う…グゥ…ルゥ…」

 現れたのは二足歩行をする狼。狼男と呼ばれる妖怪である。体長はおよそ二メートルと言った所だろうか。全身が茶色のごわごわとした毛に包まれ、指から伸びる鋭利な爪は普通の人間の命を奪う程度のことなど容易に出来るだろう。

「またお前か」

 全は呆れた様に言って、肩を竦める。先程から、狼男ばかりが糸に引っ掛かるのだ。最初はまだしも、目新しさが無くなってしまった今では飽きの方が強い。

「緋桜、やれ」

 緋桜が指を動かすと、地面や木々を這っていた糸が狼男の身体に絡みつく。まともな思考力も残っていないのか、狼男はただもがくばかりだ。

「話すだけ不毛だろう。殺せ」

 次の瞬間、狼男はただの肉塊に変わった。

 肉塊となった狼男に目もくれず、全は歩みを進める。しかし、それは二、三歩進んだ所で足を止めた。

 音が聞こえた。草木を掻き分ける大きな音が、次いで緋桜の糸が次々に揺れる。

「…全」

「ああ」

 緋桜の言葉に、全は面倒臭そうに頭を掻く。

「団体様のご到着だ」

 濃霧の中から現れる幾つもの影。それは皆、人間の姿に酷似していた。背から生える羽を除けば。

 影達の唇の隙間から僅かに覗く牙、そして背から生える蝙蝠の様な羽。この二つがあるだけで、全にはそれが何者であるか容易に想像できた。

「吸血鬼……噂は聞いていたが本物を見るのは初めてだ」

 此処に来るまでに寄って来た村々で、十分噂は聞いていた。

 曰く、彼らは血をの好むと。曰く、彼らはその身を無数の蝙蝠に変えると。曰く、彼らは全てに置いて他を圧倒すると。曰く、彼らは夜の王であるのだと。

「俺達に何か用か」

 周囲にいる吸血鬼達に問う。笑みを絶やさず、不遜な態度で。

「この森から出て行け」

 問に対する答えは明確な拒絶であった。目の前にいる吸血鬼が口を開く。

「此処から先は貴様が足を踏み入れて良い様な地ではない」

 二人を見下す幾つもの視線。

「断る」

 此方もまた、明確な拒絶で応じた。

 お前達等知らないとばかりに、足を踏み出そうとする全。しかし、踏み出そうとした足元に、目の前にいる吸血鬼が光線を放つ。

「次はない。去れ」

「断る」

 吸血鬼達の言葉をまたも拒絶する。不快気に顔を歪ませた吸血鬼達は、その牙を剥く。互いの意思は平行線だろう。こんなことに時間を掛ける気も、互いにない。

 襲い掛かって来た吸血鬼達に、全はただ笑みを浮かべ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

「あ~、取れねえ」

 森を抜けた先にある小川で、全は面倒臭いと呟いていた。

 先程まで周囲を覆っていた濃霧は森を抜けると共に晴れ、二人は小川で、こびり付いた返り血を洗い流していた。買ったばかりのブーツとコートは返り血で黒ずんでしまっていた。幸いなのは、それが全だけである事だろう。見た所、緋桜の服には汚れは見当たらない。

「仕方ねえか…」

 また作って貰おう。そう考え、全はブーツの返り血を拭うのを止める。

「あいつらにも困ったもんだ」

 全が思い出すのは先程の吸血鬼達。

「暴れすぎると八雲に場所が割れるから嫌だっていうのに…」

「…何時かは割れると思うけど」

「もしかしたら割れないだろ」

「直ぐ前の村にまで手が伸びてたのに…?」

 緋桜の視線から全は目を逸らす。そして溜息。

「だからこうして、態々普段は通らない様な危険な道を通ってんだろ」

 全はブーツを履き直し、前方に目を向ける。

 そこには大きな古城が聳え立っていた。古城の周囲には沼が広がり、その陰鬱さに拍車をかけている。

「吸血鬼ねェ」

 先程襲ってきた吸血鬼を思い出す。異常な再生能力に怪力、そしてその他の様々な能力。

「欲張り過ぎじゃあ、ありませんかね」

 しかし、彼らはだからこそ弱かった。圧倒的力を持つゆえに、その力の使い方を知らない。ただ相手を力で捻じ伏せることしかできない。強者を知らない弊害か、彼らは持つ物が多過ぎる。

「行くぞ緋桜。あいつらの王様の顔を是非とも拝見したい」

 周囲を糸で探る緋桜を促し、二人は古城へと進んで行く。

 

 天に輝く満月は、まるで血を零したように紅かった。

 


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