梅雨入りした近日では稀にみる快晴の空の下、俺は海辺に来ていた。いや、正確には追い詰められていた。
「……先日はどうも、これ程美しいのなら直接お会いすれば良かったと後悔しています」
木製のイスを二脚とテーブルを用意し、俺は対面にいる存在に座るよう促す。
「お世辞が上手なのね」
そう言って座るのはこの国ではありえない金髪の美女。彼女の何処を見ようとも、美しいという言葉が最初に出るだろう。しかし、その顔に浮かぶ胡散臭い笑みが、彼女の評価を下げ、俺の警戒度を上げる。
以前見た奇妙な中華服―――恐らくは中華服ではないのだろうが―――ではなく紫のドレスに身を包み、椅子に腰かける美女。八雲紫は、その口を開く。
「先日の非礼、どうかお許しください。貴方の力を、どうしてもこの目で確認したかったの」
「貴女にそのような表情をされてしまえば、許さぬ男などいはしないでしょう」
顔も残らず吹き飛んでくれれば良かったけどね!
そんな本音は出さずに、俺は笑顔を浮かべる。
しかし、海辺に来たのは少し失敗だったかもしれない。義手が熱を持ってしまって熱いのだ。おまけに今日はあまり風が吹かない。おまけだと、俺はパラソルも取り出し影をつくる。
八雲はありがとう、と言って笑う。
貴女の仕草にいちいち隣の緋桜が警戒してしまっているんですが。わざとやるのは止めてもらいたい。
そんな俺の考えは知らないと、八雲は話しを切りだす。
「貴女の前にこうして姿を現したのは、少し話しがあっての事です」
「ふむ、話し…ですか?」
緊張している緋桜を落ち着かせながら、俺は首を傾げる。
「率直に申し上げます。私の計画に貴方の力をお借りしたいのです」
「計画、ですか…。生憎と、私は誰かに手を貸すことはほとんどありません。
貴女にも分かるでしょう?誰彼構わず手を貸せば、私は多くの者からの恨みを買うかもしれない」
「ええ、ですがこの計画は、全ての妖怪達の為でもあるのです」
全ての妖怪の為
その言葉に、俺の好奇心が掻き立てられる。俺は椅子に深く腰を掛け直し、目で八雲に催促する。
「貴方の様に長い年月経て来た方なら分かると思います。いずれ人間達は今よりも強大な力を持つでしょう。そしてその力の前に大多数の妖怪は駆逐され、強大な力を持つ妖怪達も人間の恐怖が得られず消えていく」
八雲の言葉は確かに正しい。月人達には『八意永琳』という天才がいたから短期間であれだけの発展を成し遂げた。だが、天才がいなくとも文化は発展をし続け、やがては昔の月人の科学力に追い付くだろう。それがどれ程先のことであるかは分からないが。
「……確かに、貴女の考えは正しい。長い年月の果てに、妖怪はそのような末路を辿る。それは絶対だ」
「それでは―――」
「しかし、それでも私は貴女の計画に力は貸せません」
期待を込めた彼女の言葉を、俺は一刀両断する。
八雲はその眼に困惑を宿しながら口を開く。
「…理由をお聞きしても?」
「ええ、まず一つ。もし妖怪達がそのような末路を辿って行くのなら、それも運命。私はそれを見届けるだけです。
二つ、貴女の計画に一体どれ程の妖怪が賛同してくれているのでしょう?
私の推測ですが、賛同者は殆どいないのでは?私達の様に長い年月を生きる妖怪は殆どいないし、貴女ほど頭の回る者も少ない。殆どの妖怪はその時になって気付くはずです。貴女の言葉に耳を傾ければよかったと。
賛同者がいない状態で計画を進めては、いずれ反対派とぶつかるでしょう。分の悪い戦いはしたくはありません。
三つ―――」
俺は椅子から立ち上がり緋桜を抱き上げる。
「私は縛られるのがあまり好きじゃないんだよっ!」
俺はテーブルを蹴り、八雲へとぶつける。
俺達がその場から飛び退くと同時に、紫色の妖力弾がテーブルを破壊して砂浜の砂を巻き上げた。
「緋桜!気を付けろよ」
「うん」
襲い掛かる妖力弾を弾き、反撃する。
「なるべく平和的に済ましたかったのよ?」
聞える背後からの言葉。振り向こうとする俺の視界に移ったのは、以前見た無数の眼が覗く穴と、そこから放たれる光弾だった。
「っぶね。助かった」
俺は目の前で両腕を壁に変化させ光弾を防ぐ緋桜に礼を言う。しかし、八雲の攻撃を防ぎ続けるのは難しいだろう。悔しいが八雲の実力は本物だ。このまま戦っても勝てるかは分からないだろう。
「やるぞ」
緋桜を抱き上げその場から転移すると、俺達は海へと落ちて行く。全方位に現れた『穴』からの光弾を躱す。しかし、そこで異変が起きた。
「――――っ…」
「?緋桜?おい、緋桜!」
突然気を失った緋桜に気を取られた俺は、目の前から迫って来た光弾を躱せず直撃する。衝撃が襲うと同時に、急激な眠気が俺を襲う。
「―――っ」
「少し眠って頂戴。大丈夫、起きた時には全部終わってるから」
眠気に襲われる中、八雲の声が耳に入る。
「……ふざけ、るな」
誰がお前の様な小娘に屈するか。こんな眠気程度で―――
「俺を捉えられると思うなよ」
俺は渡り妖怪。何ものにも捉えられない。
「お前程度の力で獲れるほど安い存在じゃねえんだよ」
『狭間渡り』
俺は八雲の視界から消える。
奴はきっと転移でもしたと思っているのだろう。だが、違う。俺は奴の目の前にる。
『狭間渡り』は相手の五感の外側を渡る。視界に映らず、聴覚で捕らえられず、触覚で追う事は出来ない。
俺がする事は実に単純明快。八雲の周囲に霊力弾を配置する。
「三」
浜辺に隠しておいた小舟を出現させる。その音に八雲は小船へ視線を向ける。
「二」
小舟の上に転移し、緋桜を寝かせる。俺の手から離れると同時に、緋桜の姿が八雲に視える。
「一」
霊力弾が八雲の逃げ場を塞ぐ。
「零」
小舟に近付こうとした瞬間、八雲の腕に当たった霊力弾が弾ける。それと同時に、周囲に配置した霊力弾が一斉にその姿を現す。
突然のことに動揺した八雲。しかし、その動揺は直ぐに消え、あの『穴』を出現させる。
「無駄だ」
『穴』が開くと同時に、まるで卵から孵化したかのように、配置していた霊力弾の四分の一が溢れだす。『穴』の中に霊力弾を渡らせてしまえば、逃げる事等出来はしない。
溢れだした霊力弾が八雲を襲い、それに続く様に周囲の霊力弾が八雲へ飛来して行った。
「そんじゃあ、さようなら」
俺は小船を海上へ転移させ、出発させる。
この時、緋桜の様子が心配だったあまり、俺は八雲の姿を確認することを失念していた。この時に八雲の姿を確認していれば、きっと避けられたのであろう。しかし、俺は八雲という女を甘く見ていた。故に楽観視していた。
これが原因で、この後の俺の生活が滅茶苦茶になるとも知らずに。
誰もいなくなった砂浜に、無数の眼が覗く穴――スキマという名らしい―――が開く。そして現れたのは、髪はボサボサになり、服は破け、焦げ跡まで出来、先程までの美貌が完全に消えてしまった八雲紫であった。
彼女は、唇を強く噛む。その表情は不快感に歪み、瞳には強い負の感情が浮かんでいた。
「…許さない」
彼女自身、侮っていなかったと言えば嘘だ。心の何処かには多少の慢心があった。しかし、それでも自分ならば渡り妖怪を捕まえられると思っていた。
しかし、結果は惨敗。この有様である。その上、止めを刺さずに逃げて行く。元々高い彼女のプライドに、それは大きな傷として残った。
「絶対に追い詰めて、絶望させて、私を生かした事を後悔させてあげる」
あまりの怒りに、手に持っていた扇子の形が歪む。
「逃がさないわよ。渡良瀬全」
未来永劫切れる事のない糸は、怒りからの始まりであった。