「……月の生活はどうだった?」
「貴方がいなかったから静かだったわ」
俺とお嬢は互いに月を見ながら言葉を交わす。おそらく月(むこう)はこうしている間にも大騒ぎだろう。ざまあみろ。
「貴方が恨んでた上司は牢獄の中よ」
「そりゃあ、良かった。あの時殺さなかった甲斐があったもんだ」
「あの娘の他にも後二人教え子がいたのよ」
「お嬢が教師か…。センスと頭が心配だな」
「二人とも優秀だったわ」
「……それは完全に手遅れとか言う訳無いですからその弓を構えないで下さい」
俺は此方に向かって矢を番えるお嬢に土下座する。相変わらず酷いお方だ。全部本当のことだろうに…。
「なあ、お嬢は何であの薬を輝夜嬢に飲ませたんだ?」
これは疑問に思ってた。それだけじゃない、お嬢が月の民から輝夜嬢を庇っていたこともだ。お嬢にとって彼女にはそれ程の価値があったのか?利用価値なのか友情なのか…。
「私は、あの娘の願いを叶えてあげたかったのよ。何時も不変の日常を只退屈に過ごしていたあの子が心の底から望んだことだもの」
「お嬢は母親か何かか?」
「保護者ではあるわね。……貴方の事だからそれで私が怪我をしたらどうするんだ、とでも言うんでしょうね」
「そりゃ勿論。最優先はお嬢の安否だからね。尤も、今はそれも怪しくなって来てるけど」
肩を竦めながら応えた俺にお嬢が恐ろしい程の笑顔を向けて来る。
「どういう意味かしら?浮気?」
「いや、単に譲れない物が出来ただけだよ。友人だったり、怨敵だったり…。どちらかしか救えないって言われたら、多分俺はどっちも助けようとすると思う」
「―――そう。昔とは変わったのね。寂しい様な嬉しい様な……。昔は、何となくそれが当たり前だと思ってたものね」
「まあね、昔はお嬢を護るっていう事だけ考えてたから」
「そっちじゃないわよ」
「………あれ?」
その言葉に俺は首を傾げる。お嬢が一体何を言っているのか良く分らない。他に何かあったか?
「これなら、勝った時は今迄にない位清々しいでしょうね」
「え、何に勝つの?てか何の勝負?」
頼むから俺に分かるよう説明してくれ。せめて地球圏の言語で頼む。
「貴方にそう思わせたのがどんな人か会うのが楽しみだわ」
「いや、止めときなよ。(戦ったら)負けるよ?」
「大丈夫よ。(恋愛なら)勝つもの」
いや、てゐならともかく鬼神やら魔界神、神なんかの化け物共に勝つって…。お嬢どんだけ強いんだよ。いや、強いけどさ…。俺護る必要性なくね?てか俺が前座的な役割になっちゃうよね。ボスは俺よりも強いぞ、みたいな。
「いや、まあそこまで言うなら良いけどさ…。怪我はしないようにね?不老不死でも痛みは感じるんだから」
「はあ、貴方は本当に馬鹿ね。そっちじゃないって言ってるでしょう」
「えー……」
心配したら逆に残念な奴を見る目で溜息を吐かれたんだけど。これは酷い、てゐや諏訪子なら頭突きでもかましたのにお嬢が相手じゃ何も出来ない。
俺は項垂れながらお嬢に声を掛ける。
「そろそろ寝たら?明日は少し忙しいし、輝夜嬢も早く眠りな」
俺は背後で話を聞いていた輝夜嬢にもそう言うと立ち上がる。外では用心も必要だ。二人を見張りに立たせる訳にはいかないし俺がやるしかないだろう。幸い俺は睡眠も四日、五日に一度するだけでも身体は持つ。
二人が眠る気配を感じながら俺は左目の眼帯を外す。
「場所がないとはいえ、こんな所に創るんじゃなかった」
俺はがらんどうの左目の中から巻物を取り出す。いやあ、子供が見たらきっとトラウマものだろうな。俺でもこんな奴を見たら悪夢に魘(うな)される自信がある。
「……さて、あそこへの地図はこれだったかな?」
俺は取りだした巻物の中身を確認しながら一人見張りを続けた。
◆
「本当に此処に行けば問題ないのね?」
「ああ、そこに妖怪兎の少女がいるから。それに俺の名前出せば何とかなると思うよ」
俺はてゐ達がいる竹林の大まかな場所を書いた地図をお嬢に渡す。本当なら地底にでも匿ってやれれば良いのだがあそこの奴等は血の気が多い奴ばかりだ。そんな所に人間である二人を匿うのは危険すぎる。
「疲れたわー。永琳~」
岩の上に座りながらだらだらとしている輝夜嬢に苦笑しながらお嬢は俺へと向き直る。
「ありがとう。けど、必ず戻って来なさい?貴方には色々と尋も――――聞きたいことがあるから」
「なあ、お嬢。今何て言おうとした?凄い物騒な言葉が飛び出て来た気がするんだが」
「気のせいよ。分かったわね?くれぐれも逃げようなんて思わないことよ?」
「はいはい。結構時間掛かるけど、用事が全部片付いたらそっち向かうって」
俺の言葉にお嬢は僅かに疑いの目を向けたが溜息を吐きながら一応は信じてくれる。仕事を増やしてくれたのは輝夜嬢なんだがな。
「え~り~ん!」
「今行くわよ」
輝夜嬢からの呼び掛けにお嬢は近付いて行く。
「全は何処に行くの?」
「誰かさんが蒔いた厄介事の種の始末を付けに行くんだよ」
輝夜嬢の言葉にそう答えた俺から視線を逸らす輝夜嬢。口煩く言っても聞く気はないだろう。というか口煩く言っていると自分が年寄りだと実感してしまうから嫌だ。まだまだ若いと少しは思っていたいのだ。
「それじゃあ」
「またね全。次会った時は度の話を聞かせなさいよ!」
「はいはい。じゃあな二人とも。気を付けろよ?」
「気を付けてねー」
俺達はそう言葉を交わし別れる。俺が向かう先は浅間の小娘の所だ。何でもあそこの山に帝の使者が蓬莱の薬を捨てに行くらしい。出発したのが五日前なので割と急がなくてはいけないのだ。
その他にも大妖怪の話も幾つか聞いた。
一つ目はまあ予想通り鬼神の話だ。鬼神というより鬼の噂と言うのが正しいのかもしれないが。鬼の四天王が云々と言う物だ。何でも鬼の中でも群を抜いて強いらしい。
二つ目は意外にも幽香の嬢ちゃん…幽香嬢の噂だ。今も花畑に住んでいるらしい。花達はきっと喜んでいるだろうから文句は無い。しかしもう大妖怪の一員とは…。才能があっただけに恐ろしいことになっていそうだ。
三つ目は天狗。これもまた鬼に続き強大な妖怪だ。一体一体は鬼に劣るが情報や全体の連携では妖怪一だ。妖怪が徒党を組むことはあるが種族全体という巨大な組織を統制というのは聞いたことがない。ある意味鬼より厄介なものだ。
四つ目、これが最も重要だ。この大地を北上し、海を渡った先にある凍てついた広大な大地。その山にある巨大な湖に妖怪が住んでいるらしい。名は誰も知らず。大沼の主と呼ばれているらしい。大きさは人間なんぞより遥かに大きいらしい。
恐らくこいつは俺達と同じく太古から生きて来た妖怪だろう。そんな環境で雪女でもないのに、ましてや湖に強大な力を持った妖怪が突然現れること等有り得ない、と思いたい。
「まあ、今は蓬莱の薬が最優先だが…」
俺は浅間の山の途中へと転移すると既に京を発っただろう岩笠と言う男達の姿を探した。
◆
「…………」
探すのに思った以上の時間が掛かり既に月が上り始めていた。
岩笠達一向は山頂にいた。だが、何より衝撃的だったのはそこに見たことのある顔がいることだ。
「妹紅の嬢ちゃん?」
「…ですね」
そこには岩笠達と一緒にいる妹紅の嬢ちゃんの姿があった。
何故彼女が此処にいるのか分からない。御供がいない所やあの服装から見て一人でこの山を登って来たのだろう。
「随分無茶なことを」
「あの人、人間ですよね?」
「人間だぞ?」
空からその様子を眺めながら尋ねて来る緋桜の頭を撫で、俺はそう答える。理由は分からないが相当強い意志を持っているのだろう。でなければ一人此処に来るなどしないだろう。
「………しかし、あの小娘は居留守でも使うつもりか?」
不老不死の薬が自分の山で焼かれるってのに。前のあいつならいい加減姿を現した筈だ。
「それとも、もう現れたのか?」
それならば岩笠達の表情が暗い理由も分かる。きっと此処で焼くなと言われたのだろう。
これならばもう少し道中で寄り道でもすれば良かったと思いながら俺は空中に大きめの結界を張り寝転がる。
「もう少し様子を見るか」
あの小娘が妙なことをしないかが不安で仕方ない。
『緋桜・鳥嘴刃』
俺は念の為一寸を鶴嘴の姿に変えておく。何故鶴嘴にしたかは脳天から一気に振り下ろせるのに楽だからだ。
尤も、俺に攻撃しない限りは特に何もしないが…。
◆
「……やりやがった」
俺は眼下に広がる光景を眺める。
始まりは突然だった。浅間の小娘は現れると同時に妹紅の嬢ちゃんと岩笠を除く全員を焼き払ったのだ。
広がる血の海の中、浅間は眠っていた岩笠と妹紅の嬢ちゃんを起こしていた。
何を話しているのかは分からない。耳は常人より少し良い程度の為そこまで遠くの会話は聞き取れない。
何を話したのか。二人は沈痛な面持ちで浅間に頭を下げて山を下って行く。それを横目に二人がいなくなると俺は浅間の傍へ下りていった。
「よう、小娘。随分なことするじゃねえか」
「……下賤な人間。人の身でありながら魔へと堕ちた者が何用で此処に参った」
「テメェみたいな奴に化け物なんて言われたかねえよ。俺は此処にちょいと用があっただけだ」
「……・…」
浅間は俺を睨み付けるが、やがてその場を退く。
「用が済み次第早急にこの山を下りてもらいましょう」
「言われなくても、テメェみたいな化け物と一緒にはいたくねえんでな」
「……」
「……」
互いに無言で睨み合う。だが全は他にもやることがあるのだと視線を外すと火口付近の鉱石を鶴嘴に変化させた緋桜で採掘していく。
「何でも手を付けて行くべきか」
俺は仙術を使用し、採掘した鉱石を次々に創った空間の中に入れて行く。ある程度の鉱石を取り終えた俺は浅間に何かされては堪らないと礼も言わずにすぐさま転移した。
普通であれば無礼なものだが、浅間からすれば礼を言う暇があるのなら早く去れというものだ。彼らは馬が合わないだ。
「……何処にいるのかねえ」
頂から離れた俺は山道を上空から眺め岩笠と妹紅の嬢ちゃんを捜す。二人が頂を離れそう時は立っていない。人間の脚ならばこの辺りにいる筈なのだ。
やがて二人の姿を見つけた俺は暫くその様子を観察していた。すると妹紅の嬢ちゃんは何を思ったのか、突然岩笠の背を押し谷底へと落としたのだ。
その光景に目を丸くしていたが俺は妹紅の嬢ちゃんの奇行に更に驚愕した。妹紅の嬢ちゃんは蓬莱の薬が入った壺の蓋を退かすと中身に入っていた物を舐めたのだ。
「………」
蓬莱の薬を服用した妹紅の嬢ちゃんは喉を押さえて苦しみ出し、やがてそのまま気絶した。黒かった髪は副作用からか白くなっている。お嬢達の姿が変わっていないことからこの副作用は地上の民だけなのだろう。
俺は気絶している妹紅の嬢ちゃんの傍に降り立つと眠っているその姿を見る。今なら殺す事は簡単だ。蓬莱の薬を服用されても殺す方法を俺は持っている。だが…、
「道を教えてもらった恩があるんだよねえ」
眠っている妹紅のお嬢ちゃんの頬を引っ張りながら俺は呟く。
「……もう京には戻れないだろうねぇ」
俺は荷物が入った袋の中から食料などを取り出していく。
「服は……女物なんてないし、そこは着物で我慢してもらうしかないな」
暫くは屋敷通りの習慣で生活してしまうだろうから食事も少し多めに置いて行こう。
俺がおにぎりや干し肉等を取り出していると妹紅の嬢ちゃんが小さく口を開いた。
「―――――――父様」
「………ああ、そういやあ」
俺は妹紅の嬢ちゃんの父親がどうなったのかを思い出すと涙を流す妹紅の嬢ちゃんの頭を撫でる。暫くは辛い生活が続くだろう。
俺が引き取れば話は早いがそれは却下だ。彼女はもう普通の人間ではないし、他人から今の自分はどう扱われるのかということを脳裏に刻みこめた方が良い。その中でこれからの生き方を自分で決めなくては。最初に救いの手を差し出せば人は直ぐそれに依存する。それでは駄目なのだ。
「まあ、死ぬことは無いからな…」
それがこの子にとって幸福なのかどうかは分からないが…。
「じゃあな、次会えたらどんなのになってるか楽しみにしてるよ」
俺は妹紅の嬢ちゃんの頭から手を話すとその場から去って行く。まあ、気になると言えば…
「何で人間から妖力を感じるのかねえ…」
最初に出会った時はそんなもん感じなかったのだが。俺は緋桜の頭を撫でながらゆっくりと山を下って行った。
さて、これからは飯抜きの生活が続きそうだ。