「あ~…あの上司死なねえかなあ」
男は一人牢屋の中でぼやいていた。
「おいおい、上司に聞こえたら即処刑だぞ?」
その言葉に看守は苦笑しながら告げる。だが男はまるで気にしない様にぼやいていた。
「良いんだよ、おっさん。此処に入れられちまったからもう上司じゃねえし…。大体お偉いさん方は俺を処刑する勇気なんざないだろうよ」
男は元は軍に所属していた。腕が立ち類稀なる素質を持っていたが、無能な上司の玉砕覚悟の指示に従わず国家反逆罪として牢獄に入れらたのだ。
「しかし、おっさんも良く付き合ってくれるな?俺が入れられてからずっとじゃねえか?」
男の疑問に看守は溜息を吐く。
「本当になぁ、俺は才能がねえから一生此処だよ。娘も随分大きくなってな?誕生日プレゼントも―――――」
途中から娘の話をし始めた男の言葉を右から左へ聞き流しながら男は頭上から差し込む日の光を見る。
「なあ、おっさん」
その言葉に看守は漸く娘の話を止め男の方へ顔を向ける。
「ん?どうした」
「また何処かで戦闘が起きたのか?」
その言葉に看守が真剣な表情をする。
「それは言えんな。と、言ってもお前のことだ。能力で知ったんだろう?」
その言葉に男は肩を竦める。
「さあ、どうだと思う?もしかしたら勘かも知れねえぞ?」
不敵に笑う男に看守は心底呆れる。
「本当、もう少し真面目に働いてくれていたらと俺は思うぞ。―――――今から三時間程前だ。妖怪(・・)がまた攻めて来た」
その言葉に男は納得したように頷く。
「成程ねェ…。しかし見上げた根性だ。あれだけ蹂躙されてまだ戦意があるとは、家の上司(ばか)と交換した方がいいんじゃねえの?」
「そしたら俺達が食われるぞ?」
その言葉に男は違いないと答え朗らかに笑う。
「呑気で良いなお前は……」
「ならおっさんもこっちに来いよ。やることなんざ殆ど無いぜ?」
その言葉に看守は断る、と即答する。
「――――っと、これは…!」
看守は前方から見えた人影に驚嘆し、すぐさま敬礼する。その行動に男は頭でも狂ったのかと首を傾げる。
「こんな所まで一体どのような御用で?――――――…奴を、ですか?いえ、分かりました」
男のいる場所からでは相手の声は聞えないが看守の言葉使いから上司か、とうんざりした様子を見せる。
「すみません」
ふと、直ぐ近くから聞えた少女の声に男は顔を上げた。
「……あ?」
男の目の前、鉄格子を挟んだ向こう側には、随分個性的な衣装の少女がいた。服の形にそこまでの異常性は感じない。多少の疑問は持つがナース服と捉えられるだろう。ただデザインに問題があった。
赤と青の二色にクッキリと分断された一目見たら暫くは忘れないであろう服装、そしてそれを着ているのはまだ幼くはあるが顔立ちの整った銀髪の美少女。その組み合わせによって見れば絶対に忘れないだろう物となっていた。
「……おっさん、俺そう言う趣味ねえんだけど。おっさんの趣味を俺に押し付けるのは止めてくれないか?」
「俺だってそんな趣味はねえよ!!―――――ごほん、此方の方は八意永琳(やごころえいりん)様。確かにお前より幼いが、今やこの国にとって欠かす事の出来ない重要なお方だ」
「こんにちは、渡良瀬(わたらせ) 全(うつ)少佐」
その言葉に男、全は溜息を吐く。
「あ~、少佐なんてのは付けなくて良い。俺は牢獄に入れられちまった犯罪者だ」
「貴方はまだ…いえ、正確には今から再び少佐となります」
その言葉に全は何を言っているんだと怪訝そうな表情をする。
「貴方には只今を持って軍に戻って来てもらいます」
「―――――――は?」
その言葉に全は間の抜けた表情をしていた。
◆
「……ありがとな」
牢から出された全は手枷を外されながら傍にいる永琳に礼を述べた。その言葉に永琳が口を開こうとした瞬間、彼は問い尋ねた。
「だが、どうにも解せねえ。お嬢さんが俺を助けた理由は何だ?哀れだからとか、何となくってのはお嬢さんみたいなタイプには有り得ねえ」
全の瞳に映る彼女は自己の利益を優先する人種に見えていた。肉親や友人ならばともかく、こう言った人種は、自分と全く関係ない他者と利益を天秤に乗せたらほぼ間違いなく利益を取るであろう。
その言葉に永琳は思案しやがて口を開いた。
「そうですね、単刀直入に言わせてもらえば貴方の協力が必要なのです」
その言葉に全は腑に落ちない表情をする。自分が協力できることなど精々が力仕事や血に濡れる様なことだけだ。また、何処かの実験施設で力を振るえとでも言うのかもしれない。
「…何のだ?」
その言葉に永琳はにこりと笑う。
「サンプルです」
その言葉に全はまた力仕事かと頷こうとし―――
「貴方の細胞が欲しいのです」
固まった。
「………え?」
「ですから、貴方の細胞が欲しいのです」
再度言われたその言葉に全は眉間の皺を揉む。
どうしたものだろうか、もしかしたら自分の耳はおかしいのだろうか、と全は看守に顔を向けるが看守は現実を受け入れろとでも言うかのように首を横に振る。
「ちなみに……何で俺の細胞なんぞサンプルに?ていうか何の?」
「それは此処を出てから話しましょう」
永琳の言葉に全は危険な気配を感じつつ用意されていた軍服に袖を通していく。
「おっさんともお別れかぁ……」
「良かったな少佐。やっぱ囚人服なんぞよりそっちの方が似合っているぞ?」
「嬉しくない褒め言葉をありがとうよ」
看守の言葉にそう答えると全はブーツの紐を締める。
久しぶりに纏ったからだろうか、軍服の着心地がどうにも気になってしまう。
「はあ……また上司(ばか)の顔を拝みに行くのか」
「ああ、その必要はありません」
つい先程までは部屋の外に待機していた筈の永琳が背後現れそう答える。
「復帰したんだろ?というか着替え中だったらどうすんだ」
「大丈夫です。そろそろ終わると予想していたので。復帰の方は厳密に言えば少し違うのです」
「どう違うんだよ」
「貴方には特別任務として、細胞の研究をしている間は私の護衛として出てもらいます」
思わず護衛が必要なのか、と言いそうになるがこの少女が国の重鎮であったことを思い出し口を塞ぐ。
「大変だな、お偉いさんは……」
「ええ、大変なんですよ」
皮肉のつもりで言った言葉にそのまま返され全は頭を軽く掻く。
「では、準備が出来たのでしたら着いて来て下さい」
「…ああ、じゃあなおっさん」
「あばよ、またこっちに戻って来んなよ」
互いにそんなことを言い合い、永琳に促されるまま全は看守室から外へと出て行った。
◆
現在、二人は如何にも高級だとアピールしている車に乗っていた。
「……お嬢さん」
「何でしょう?あと、出来ればお嬢さんというのは…」
「じゃあ嬢ちゃんで。それで嬢ちゃんの家ってのは親もそれなりの地位なのか…?」
全の言葉に永琳はしばし考え込む。
「どうでしょう。少なくとも末端ではありませんね。それなりに上の地位ではあると思います」
「ふーん」
その言葉に無感動に答えながら全は過ぎ去ってゆく街並みを眺める。
「随分変わったなあ…」
そう呟く全の横で永琳は数枚の書類の様な物を取り出す。
「情報に不備がないか一応確認したいのですが…」
「ああ、それ俺の個人情報か」
「ええ、では最初に――――――」
「あ、ちょいと待ってくれ、俺自分の生年月日とか歳なんざ覚えてねえから」
「…分かりました。では血液型―――は後では調べれば良いとして」
「名前は渡良瀬全。最年少にして少佐にまで上り詰めたものの現場での上官の指揮に反抗。国家反逆罪として幽閉される」
「ああ、そうだな」
「以後二百年近く貴方は牢獄の中で幽閉されたままであった。家族は」
「いないな」
「ええ。それで私が調べたい事は貴方の身体についてです」
その言葉に全は再び怪訝そうな表情をする。
「俺の身体に何か異常でも?」
「ええ、この国は此処数十年で外からの穢れの遮断、及び国内の穢れの除去を行ってきました。しかし、穢れは完全には防げず、やはり多少の老いは出てしまう」
穢れ、それは人間にとって毒であり、それが原因で人間に寿命というものがあったらしい。それを除去するということは、老いを無くすという事。だが―――――
「しかし、貴方はどれ程の月日を重ねようとも穢れに一切影響されてこなかった。これは異常というほかないでしょう」
「……」
どうやって調べたのか。
全は忌々し気に舌打ちをしそうになるがそれを抑え永琳を見る。
「両親ともに人間であることは確認されています。妖怪であれば穢れを発している筈…。貴方の能力が関係しているのですか?」
「さて、どうだろうな」
「答える気はない、と。『渡る程度の能力』…書類には空間移動と書かれていますが?」
「ああ、そうだな。嘘じゃないさ」
「ただし、真実ではない」
「そうだな」
永琳の言葉に全は即答する。話したくない素振りを見せていながら、突然自分の能力がそれだけで無いことを認めた全に永琳は困惑していた。
「そうだな……まあ、簡単なことだ。要は人間だから駄目なんだろう?」
「ですが、貴方の身体は確かに――――」
「影響されない存在(・・)になればいい。俺は普通の人間とは違う、穢れに影響されない人種になったんだよ」
「そんなこと――――」
「俺自身がその証明だろ?科学やら理論だけじゃ世の中は計れても世界は計れないぜ?」
悔しそうに顔を歪める永琳を見て勝ち誇った表情を浮かべる大人気無い男の姿がそこにはあった。
◆
「いい加減、不貞腐れるのは止めたらどうだ?」
未だ悔しそうな永琳を見て全は苦笑する。まだまだ精神面では子供なのだろう。それを感じ全は安堵の息を吐く。
「…子供だと思って呆れましたね?」
その表情を見て永琳は更に機嫌を悪くする。
「誤解だ、誤解。別にんなことで呆れやしねえよ」
そう言いながら永琳の頬を引っ張る。恐らくまだ子供扱いされていると思っているのだろう(実際子供だと思ってはいるが)。
「そんなことより家に着いたが?」
全の言葉に永琳はほんの少し足取りを軽くする。やはり自分の家だからなのだろうか。どれほどの人物であろうと安らげる場所と言うのは必要だ。
「そういえば給金は出るのか?というか出せ」
「凄い尊大な態度ですね」
「死活問題だからな」
それは態度とは関係ないのでは…?そう思いつつも永琳は気にすることを止める。あまり無駄なことに時間はかけたくない。
「―――――嬢ちゃん」
「何ですか――――」
次は何だと呆れたように顔を向ける。だがそこにある全の真剣な表情に永琳は緊張する。もしかしたら何か異常を感じたのかもしれない。そう考え口を開こうとした瞬間―――
「腹が減った」
時が止まった。
そして彼の言葉に同意するように鳴る腹の音。
今迄にない程の真剣な表情から出た言葉に永琳から全に対する敬意が完全に消えた瞬間であった。