ワルプルギスの夜が残した爪あとは凄まじく、先程までの街並みは全て破壊され尽くしていた。
瓦礫だけが街を覆い尽くし、破裂した水道管からは水が吹き出していて、まさしくこの世の地獄と呼ぶにふさわしい光景だった。
その中をジェフリーは一歩一歩歩を進める。
瓦礫だらけで歩きにくい中、ジェフリーは見つけた。
それはヘドロの塊のような存在、未だに気味悪くグネグネと動く様を見て、知らない人間から見れば新たなバイオ生物か何かと勘違いしてしまうが、ジェフリーはその正体を知っていた。
「やっと見つけたぞ。ワルプルギスの夜のコア」
複数の魔法少女の魂が一つになった存在でも、魔女になっている以上コアは存在する。
ジェフリーの仮説は見事に当たり、彼はゆっくりとコアの元へと近づいて前に立つと、コアに対して右腕を突き出す。
赤いオーラが発せられ、右腕の中に複数の魔法少女の魂の塊であるワルプルギスの夜のコアが流れこもうとしていたが、途中でか細い腕によって制される。
「何をやろうとしているんですか⁉」
体当たりに近い状態でジェフリーの右腕に絡みつき、さやかは体ごと吹っ飛ばしてジェフリーの生贄行為を制する。
地面に突っ伏す形となったジェフリーは体に絡みついて離れようとしないさやかを振り払うと、再びワルプルギスの夜のコアに向かうが、さやかは胴に絡みついてジェフリーの動きを止める。
「放せ」
「いやよ! 絶対放さない! ワルプルギスの夜なんて生贄にしたら、間違いなくジェフリーさん。ゴッドドラゴンになっちゃうでしょう⁉」
魔法使いの魔物化のプロセスについては話してもらった。
その最後が絶望しかないのをさやかは知っているし、ジェフリーが魔物化すればワルプルギスの夜など比じゃない魔物が生まれる可能性だってある。
彼を守るため、皆を守るため、さやかは必死になってジェフリーの体に絡みついていたが、ジェフリーは面倒くさそうにさやかを引きはがすと、彼女を自分の前面に立たせて話を進める。
「ついさっき分かったことなんだがな。記憶の中で潜入捜査のためにアヴァロンの対抗組織であるサンクチュアリに潜入捜査したって話はしたな?」
ジェフリーの質問に対して、さやかは黙って首を縦に振る。
そこで出会った二代目ゴルロイスことエレインとも有効な関係を築き、ジェフリーはそこでも多くの金色の精神を持つ魔法使いと出会ったことは聞かされていた。
ここで話はサンクチュアリの魔法使いが何故、魔物化しないのかと言う話になる。
殺生は必要最小限にと教えられているサンクチュアリでも、生贄行為に及ばなければいけない場合だってある。
それでもサンクチュアリの魔法使いが魔物化しないのには、先達たちが考えに考え抜いた新たな刻印儀式の方法だった。
「それって右腕刻印のことですか? あれは魔物を生贄にした際に現れたり、一定以上の魔力が高まって現れる物なんじゃ……」
さやかの疑問に対して、ジェフリーは小さく首を振って否定する。
そして記憶の中の一人の魔法使いの話を始める。
「アヴァロンに所属していたころだ。俺達の間で伝説と語られる魔法使いが居た」
その名は『ガラハッド』。一切の救済行為を行わず、出会う魔物すべてを生贄にし続けたことから、その体は魔法使いと言うよりは魔物に近く、魔物に最も近い魔法使いとしてアヴァロンの中でも恐れられている存在だった。
ジェフリーは彼が何故そんな凶行に走っているのか理由を知っているため、彼の説得のため、彼の仕事に同行することを願い、しばらくの間二人はパートナーとして共に戦った。
「何でその人は自分が魔物になろうとしているのに、生贄行為を止めようとしないんですか⁉」
悲痛な叫びを上げるさやかを宥めながら、ジェフリーは話の続きを語り出す。
かつてガラハッドには最愛の恋人が居た。シャルロットと言う名だった。彼女はある禁忌の薬に手を出してしまい、そこから魔物となってしまった。
「俺達はそれを『ソーマ』と呼んでいる。強烈な快楽と引き換えに理性を蝕み、そして理性を失った人間は魔物と化す」
「危険ドラッグも真っ青ですね……」
さやかは話がそれてしまったことを謝り、ジェフリーの話の続きを聞こうとする。
最愛の人だからこそ、自分の手で眠りにつかせたいと思うガラハッド。
だがシャルロットが今どんな姿をしているか分からない。だから彼は選んだ出会う魔物全てを生贄にすることを。
「ちょっと待って下さいよ!」
ここでさやかは声を荒げてジェフリーを睨む。
ガラハッドが本来行うべき行為がないことが納得出来なかったからだ。
「何で救済をしようとしないんですか⁉ その方が楽だし確実じゃないですか⁉」
ジェフリーはさやかを宥めつつ、その件に関して続きを話す。
ジェフリー自身も救済の提案はしたのだが、ガラハッドはそれを一蹴した。
なぜならガラハッドはかつてシャルロットを救済して人間の体に戻した。
だが堕落したシャルロットの心までは救済出来ず、彼女は再びソーマに手を出してしまい魔物となって姿を消していた。
変貌した彼女を目撃した者によると、一度目の魔物の姿よりも醜悪な姿になっていたと言う。
「そんな……」
一度魔女になったさやかに取って、それがどれだけ辛いことかはよく分かる。
こうなるとソーマに手を出すシャルロットに怒りの矛先は向けられそうになるが、彼女はあえてそれを口にしなかった。ジェフリーの話の続きを待つことを選んだ。
「なぜ俺がガラハッドの仕事に同行したかと言うとだな。そいつの願いは永遠に叶うことはない。無駄に魔物を生み出して仕事が増えるのはゴメンだからな」
「どう言う事なんですか?」
「シャルロットは既に死んでいるんだ。数か月前たまたま仕留めて生贄にした魔物が彼女なんだよ」
ガラハッドに贖罪の機会を与えられることはなかった。
だがそれは魔物を殺すことを生業としている魔法使いに取っては仕方ないこと。
ジェフリーはただ自分の仕事を行っただけだと、さやかは無理矢理納得させようとするが、話にはまだ続きがあると思って全てを聞かなければ納得出来ないと思い続きを聞こうとする。
「ガラハッドの贖罪はシャルロットを殺すことじゃないんだ。アイツはただ死に場所を求めていただけだ」
「何でそんな!」
「ソーマを服用していたのは元々ガラハッドだったんだよ。アイツは憧れていたシャルロットにも同じ物を常用させて、薬なしじゃ生きられない体に調教させた。そうすることで自分の元からも離れなくさせるようにな」
「何だと……」
その場にジェフリーでもさやかでもない少女の声が響く。
声の方向を二人が見ると、怒りで体をワナワナと震わせている杏子とそんな彼女を必死になって宥めるマミが居た。
だがそんなマミの宥める声も今の杏子には届かず、肩に手を乗せて自分を宥めようとするマミの手を振り払うと、杏子は二人の前へと立つ。
「どこまで話を聞いていた?」
だがジェフリーは興奮しきった彼女に対しても冷静その物であり、聞いていないのであれば最初から話すことを伝えた。
ジェフリーに促され杏子は話を最初から聞くことを選んだが、それでも彼女の怒りは治まらなかった。
「許せねぇよ! それで反省したつもりだって言うのか⁉ もし本当に反省しているって言うなら一人でも多くの魔物を救済するのが本来選ぶべき選択肢だろうがよ!」
「確かにそうだろうな。だがそれで罪の意識が消えるほど人は強くない。ガラハッドが選んだ道は苦しむことだけだ。そうすることで罪の意識を和らげようとしているんだろうな」
罪の意識と言われ、杏子の中で冷静さが取り戻され、何も言い返せなくなってしまう。
杏子自身も食べている間だけが家族を殺した罪の意識から逃れられる時期があった。
その為に犯罪行為に走ったこともあるので、ガラハッドに対しても強く言う事が出来ずに杏子は萎縮してしまう。
辛すぎる贖罪の道を選んだ魔法使いの話に気が重くなるのを一行は感じていたが、ここでさやかは本来の目的を思い出すとジェフリーに詰め寄る。
「話が飛躍しすぎですよ! 初めは何でサンクチュアリの魔法使いは魔物化しないかって話でしょうが!」
「そんな話してたのかお前ら⁉」
話の内容がずれ過ぎていることに杏子は突っ込みを入れる。
一方のジェフリーも話の内容を思い出すと、思わず苦笑いを浮かべて誤魔化そうとしていたが、さやかと杏子は彼を睨んでそれを許そうとしなかった。
「そう睨むなよ。この事は俺もさっき知ったことなんだからよ」
「御託はいい! やろうとしていることは大体分かってんだよ!」
察しの良い杏子は目の前にあるワルプルギスの夜のコアを指さして叫ぶ。
ジェフリーは本当の意味でワルプルギスの夜との戦いに決着をつけるため、あれを生贄にしようとしている。
だがそんな事をすれば彼が魔物になるのは目に見えている。
納得出来る理由を教えてもらうまで、それをさやかも杏子も許すつもりはなく、後ろで厳しい表情を浮かべているマミも同じ心だという事は分かった。
「そんな事例があってな。アヴァロンとサンクチュアリは初めて共同での作業を行った。魔法使いを守るため、魔物化から遠ざけ、なおかつ強力な力を与えてくれる方法をな。それが『心臓刻印』だ」
右腕の刻印の話ならジェフリーから聞かされているが、心臓刻印と言う聞きなれない単語を聞くと、その場に居た三人は困惑の表情を浮かべ、ジェフリーは説明に入る。
限界にまで体に魔力を溜めこみ、これ以上魔力を受け付けなくなった体を持つ魔法使いは魔法使いとしても非常に優秀。
故にただ魔物となって殺すにはあまりに惜しいという事で、アヴァロンの最高指導者13代目ペンドラゴンと、二代目ゴルロイスことエレインはこの時ばかりは利害の一致で協力し、互いの知恵を出し合った結果、体に限界にまで魔力を溜めこんだエリートだけが使える刻印が生まれた。
それが心臓刻印。これまで溜めこんだ魂を全てあるべき所へと帰す代わりに、自身の心臓に魔法を何倍にも強力にさせる最強の刻印を付着させると言う物。
「だから俺は一気に満タンになったところで心臓刻印を発動させて、体の中にある全ての魂を帰るべきところへと送る」
「でも……危険すぎるよ」
理屈は理解できたが、ぶっつけ本番の危険すぎる行為にさやかは苦言を呈する。
だがジェフリーに止まるつもりはなかった。
「出来る出来ないじゃない。やるかやらないかだけだ」
「だったら!」
決意の固いジェフリーに対して止めるのは無駄だと判断したさやかは大声で叫ぶと、ジェフリーの隣に立って彼女もまたワルプルギスの夜のコアに向けて右手をかざす。
「私も一緒にやります! 一人より二人の方が成功する可能性だって高いです!」
「ダメだ! お前はまだ経験が足りなすぎ……」
「その言葉は通用しませんよ!」
止めようとするジェフリーを大声で制するさやか。
叫び声に飲まれてしまい、言葉が止まったジェフリーを見るとさやかは立て続けに話し出す。
「ジェフリーさんだってこれをやるのは初めてじゃないですか! それなのに私に偉そうに説教して止める権利なんてありませんよ! ジェフリーさん言いましたよね⁉ 誰かに頼ることは恥ずかしいことじゃないって!」
さやかのもっともな言い分に何も言い返すことが出来ず、黙りこくっていると杏子とマミもさやかに続く。
「さやかの言う通りだ! 一人で何が出来るって話だよ。やるんなら僅かでも万全の体制を取って望まないと、最善の結果なんて残せないだろ」
「心臓刻印に関してはあなたと美樹さんに任せるしかありません。でも任せる以上、こっちも納得の出来る状態じゃないと、その賭けに乗る気にはなりませんよ」
二人に促されて、ジェフリーは少し考える素振りを見せると、改めてワルプルギスの夜のコアを見つめる。
あのコアだって救ってもらいたいと言う気持ちはあるだろう。皆に言われるまで自分はもしかしてあれをただ異物として排除するだけだったのかもしれないと。
だが今は違う。誰よりも優しい魔法使いはワルプルギスの夜さえ救いたいと願っている。
そして二人の少女の期待を自分は背負っている。ならやることは一つしかないとジェフリーは判断する。
「二人でやるぞ。さやか」
「その結末見届けさせてもらうわ」
ジェフリーが決意を固めたところで、再びその場に居ない声が響く。
一同が振り返った先に居たのは、ほむらとまどかだった。
二人とも自分を置いて、最後の締めくくりを行おうとしているジェフリーに対して怒っているらしく、不機嫌そうな顔でジェフリーを見つめていた。
中々言葉が出ないで、ムスッとしているほむらに変わってまどかが口を開く。
「ジェフリーさんが家族との対話を優先してくれたのは嬉しいって思うよ。でもこんな大事なことに私たちを呼ばなかったのは、やっぱり怒っているよ」
「その事に関しては後でたっぷりと説教するわ。締めくくりを行えるのは魔法使いだけなんでしょう。本当の意味でのハッピーエンドを私たちに見せてちょうだい」
二人の少女の後押しを受けると、ジェフリーとさやかは前へと進み、ワルプルギスの夜のコアに手を伸ばす。
本当の意味で悲劇の物語に幕を下ろすため。
***
ジェフリーとさやかは並んで、ワルプルギスの夜のコアの前に立つ。
意を決したようにさやかが頷くのを見て、さやかは魔法少女に変身して右手を突き出す。
「何度も言ったが、限界を感じた瞬間、全ての魂を右腕に集め握り拳を作る。そして最後に魂が全て右手に集まったのを見計らって、右の拳を思い切り開くんだ。そうすれば魂は本来あるべきところへと帰り、心臓には刻印が刻まれる」
ジェフリーでも理屈だけで実際の経験は一度もない代償変換の儀式、ましてやさやかは生贄行為を一度も行ったことがない。
緊張感から喉が乾き、冷や汗が垂れるさやか。
体の震えはドンドン大きな物に変わっていくが、それを止めようとさやかは必死に震える右腕を空いている左手で殴り飛ばす。
「何なのよ! 甘えたことばっか言ってんじゃないわよ! この中で代償変換の儀式を行えるのは私と彼だけなのよ! 止まりなさいよ!」
何度も何度も拳で右腕を殴るさやか。
だがその拳は四つの手によって止められた。
さやかが見ると、そこにはマミ、杏子、ほむら、まどかの四人が居た。
「大丈夫よ。私が知る限り誰よりも優しい魔法少女の美樹さんになら必ず出来るわ。自分を信じて」
「さやかの強さを一番身近で見てきたのはこのアタシだ。辛いことがあったら、上条と志筑を殴った時の最高に格好いいお前を思い出せ。出来る範囲で構わらないからよ」
「さやか。あなたはもう私が幾度と見捨ててきた、数多の時間軸の愚かな美樹さやかとは別人よ。あなたの友達として見せてちょうだい。あなたが最高に輝いてる瞬間の癒しの魔法少女の姿を」
「私も皆と同じ心だよ。大丈夫今のさやかちゃんなら、人魚の魔女になんて絶対ならないよ! さやかちゃんの格好いいところ、また新しく私に見せてよ!」
四人のエールを受けると、自然とこれまでに感じていた恐怖は消えてなくなった。
新たなさやかの中で芽生えた感情は喜び。
自分はこんなにも大切な友達が四人も居るかと思うと、これまで感じていた再び魔女になるのではないかと言う不安は消えてなくなった。
そして改めて右手をかざすと、ジェフリーに向かって軽く微笑みかけながら話しかける。
「あのジェフリーさん。私、足を引っ張っちゃうかもしれませんけど精一杯やりますから。もしヘマしちゃったらフォローお願いしますね。もうしないように私も頑張りますから」
年相応の少女の笑みを浮かべるさやかに対して、ジェフリーは小さく頷く。
そしてジェフリーに教えられたように、さやかは肉を食らうかのイメージを頭の中で作りあげると、右腕に力を込める。
体に魂を宿す生贄行為は初体験のさやか。だが別人の魂がさやかの中に流れ込んだ瞬間、さやかは目を白黒と反転させて、苦しみに悶える。
――何これ⁉ まるで体全体にヘドロを流し込まれているような……
体の部位と言う部位に泥が流れ込んでくるような感覚がさやかを襲う。
体温が以上に急上昇し、体の部位と言う部位が異常を示すかのように高温を発するのを感じる。
今すぐにでも胃の中の物を全て戻してしまいたい衝動に駆られるさやかだが、それを制したのは隣に居る魔法使いの存在。
ジェフリーはさやかの何倍ものスピードで体の中に魂を吸収していき、その額には脂汗が流れ、右腕も小刻みに震えていた。
――ジェフリーさんだって辛いんだ!
その想いだけがさやかを突き動かし、体の中に魂を流し込む。
するとここでさやかに変化が現れる。
体の皮膚の色が真っ青に染まり出し、顔の左半身が変化していく。
「あれは……」
その姿を見て、杏子は思わず目を逸らしてしまう。
さやかが変化しようとしているのは、杏子が最も見たくない存在の魔女、人魚の魔女『Oktavia Von Seckendorff』の姿その物だった。
辛そうな顔を浮かべて地を見る杏子の顔を無理矢理さやかの方に向けたのはマミ。
彼女は厳しい表情で杏子を睨みながら語り出す。
「泣くのは止めなさい! 美樹さんはまだ諦めてないわよ!」
「キョーコ、ダイジョウブ、アタシ、マダヤレル……」
人と魔の間をさまよっているのか、さやかの声には禍々しい物を感じたが、残っている右半身の人間の部分の目は真剣その物だった。
その眼差しはかつてのさやかには無かった物。
ここで目を逸らしては彼女の覚悟を無下に扱う物だと判断し、杏子は涙を拭うとまっすぐ前を向いてさやかに向かってエールを送る。
「悪かったさやか。アタシももう逃げない! だからお前も精一杯最後まで戦ってくれ!」
杏子のエールを受けて魂を右腕に吸収し続けるが、限界をさやかは感じた。
それはかつて感じた魔女へと変貌する感覚。
意地を張っても仕方ない、ここで魂を吸収し続けたところで、ジェフリーの足を引っ張るだけだと判断したさやかは、翳していた右手を強く閉じて最後に思い切り開くと、天に手のひらを突きつける。
「もう苦しまなくていい! もう悲しまなくていいんだよ! ゆっくり休んで!」
その声は魔と人の間を行き来している存在ではなく、間違いなく人間美樹さやかの物だった。
一同がさやかの姿を見ると、彼女は元の愛くるしい少女の姿になっていて、掲げられた右手からは打ち上げ花火のように魂が放出されていくのも見届けた。
魂たちは透明に近い球体に変わっていて、さやかの右腕から解放されると、それらはまっすぐに天へと昇って行った。
「あれが本来あるべき魂の形なのね……」
マミは涙ながらに魔法少女たちが使命から解放されることの喜びを分かち合おうとしていた。
魂たちが何を語りかけているかは分からない。だがその場に居た全員が直感的に感じ、同じ言葉が頭の中で復唱される。
――ありがとう
尻もちをついてさやかは呆けていたが、四人に体を起こされると自分の体に起こった変化に気づく。
「何これ?」
胸のほぼ中心部、心臓があると思われる位置に奇妙な模様の光が浮かび上がっていた。
それが心臓刻印なのだと一同は理解すると、全員がジェフリーの方を向く。
「もう大丈夫だ。あとはオレがヤ…ル!」
その体は真っ赤に染まり、魔と人の間を行き来している状態だが、それでもジェフリーは魂を吸収する速度を落とさず、それどころか代償変換の儀式に成功したさやかに続こうと、速度を上げて一気に魂を吸収していく。
体が燃え上がるような真紅の色に染まる。
一同はそれに対して何も出来ずにただ黙って見守っているだけだったが、体からあふれ出た魔力は幻影となってジェフリーの頭上に現れた。
それは体の中央に杯を象った竜。
ぼっこりと膨らんだ胴体に、そこから生える長く細い複数の足、一見すれば醜悪な虫にも見える姿であるが、首の長い双頭の鬼がそれが自然界の生き物ではないと象徴していた。胴体の右側には天使の羽、左側には悪魔の羽が備わっていて、その姿を見て少女たちはジェフリーから聞かされた魔物の事を思い出す。
「ゴッドドラゴン……」
代表してほむらが口を開くと、少女たちはイメージだけとは言えゴッドドラゴンの前に圧倒されていた。
「マジかよ……ワルプルギスの夜と同レベル、いやそれ以上の実力かも知れないぞこれ……」
「こんな凄い魔物をジェフリーさんは一人で戦って討伐したって言うの?」
杏子とまどかはその姿に圧倒されてばかりであったが、マミはすぐにハッとした顔を浮かべると、ジェフリーに向かってエールを送る。
「ジェフリーさん頑張って! あなたは自分の中の神の思念に負けるような弱い人じゃないはずです! 何度も私を助けてくれた格好いいジェフリーさんを見せてください!」
何も出来ないならせめて応援をと思い、マミは必死のエールを送る。
マミに続いて他の三人も思い思いのメッセージをジェフリーに送った。
「そうだ! お前はアタシもさやかも救ってくれた最高の魔法使いだろ⁉ 見せてくれよ! 奇跡も魔法もあるってところをよ!」
「ジェフリーさん! 私に人の強さを見せてくれるんですよね⁉ あなたがワルプルギスの夜の皆を救ってくれたら、もう私に絶対に契約なんてしない! 力を欲そうなんて思わない! 私は人間鹿目まどかとして皆と一緒に戦うから!」
「全てはあなたに託したわ! ジェフリー、あなたに甘えてばかりだけど、この因果にも決着を付けて!」
杏子、まどか、ほむらのエールを受けると、ジェフリーは最後の力を振り絞って、残っているコアを一気に体の中に押し込む。
幾多の魂がジェフリーの体内を駆け巡って喧嘩している状態。
今にも体から魂があふれ出しそうな状態のジェフリーだが、それでも彼が人としての意識を必死に繋ぎ止めているのは信念があったから。
「オレハ……イダイナル、サンクチュアリノ、いや……ヒトの強さを継承した魔法使い……」
声が魔に近い淀んだ物から、人のそれへと変わる。
最後にジェフリーは手を天へと掲げると、思いの丈を叫び体の中にある全ての魂を解放する。
「俺はジェフリー・リブロムの力と想いを継ぎ、人々の美しい心を継いだ魔法使い! 俺の名は……俺の名は!」
叫ぶと同時にさやかの何十倍もの魂が右腕から放たれる。
それは打ち上げ花火と言うよりも、流星群に近い物であり、透明な球体は全てが天へと向かって帰って行く。
「アーサー・カムランだ!」
自分を本当の意味で取り戻した魔法使いの叫びが終わっても、右腕から魂は放出され続けていた。
その数は数千、数万はあるかと思われ、少女たちは天へと帰って行く魂たちを呆気に取られながら見つめていたが、ほむらはある魂が見慣れた人影だと気づき、自分の上空で佇んでいる二つの人影に話しかける。
「双樹あやせ、ルカ……」
透明になった双樹あやせ、ルカは元ある場所へと帰る直前まで、ほむらに対して悪態を付いた。
二人揃って目の下を引っ張って、あかんべえのポーズを取ると、そのまま天へと昇って消えてなくなった。
「最期まで頭を悩ませる存在だったわね……」
疲れたようにため息をつくほむら。
一方さやかは自分の上空で佇んでいる法衣姿の老人が気になり、彼にコンタクトを取ろうとするが、老人の方からさやかに話しかけた。
「随分と大きくなったの我が孫よ……」
「人違いですよお爺ちゃん。どちらさまですか?」
「冗談じゃよ。ワシの名は13代目ペンドラゴン、元々はリブロムの中にあった魂の一つじゃ」
13代目ペンドラゴンのことはジェフリーから聞かされている。
ワルプルギスの夜の魂だけではなく、リブロムの中に元々あった魂まで解放されるのかとさやかは驚いていたが、13代目ペンドラゴンは穏やかに笑いながら、最後に若き魔法少女にエールを送る。
「お若いの。最後に一つ爺の戯言に付き合ってくれんかの?」
「何ですか?」
「今は辛いだけかもしれんが、その涙はいつか絶対思い出に変わる。思い出はいいもんじゃよ。ワシは魔法大全以外の事を記憶できんからの。ではさらばじゃ」
最後にさやかへエールを送ると、13代目ペンドラゴンの魂もジェフリーの元を離れ、あるべき場所へと帰って行く。
13代目ペンドラゴンの悲しい定めはジェフリーから聞かされている。
全ての魔法を扱えるペンドラゴン一族は、先代のペンドラゴンを生贄に捧げてその記憶を継承することで、門外不出の魔法大全を手にすることが出来る。
だがその代償としてペンドラゴンは新しいことを記憶出来ない。脳の中は全て魔法大全で埋め尽くされているからだ。
重みのある言葉を胸に受け止めると、さやかは涙を拭って13代目ペンドラゴンを見送り一言呟く。
「ありがとう。お爺ちゃん……」
さやかが13代目ペンドラゴンの魂を見送ると、新たな魂がジェフリーの右腕から放たれる。
それは黒い法衣を身にまとった美しい女性であり、彼女はマミとまどかの前に立つと友好的に話しかける。
「やあ、まだ帰るまでに少し時間がある。少し話していかないか?」
「それは大丈夫ですけど?」
「あなたは?」
目の前の彼女が誰か分からないマミとまどかは困惑した顔を浮かべる。
女性はハッとした顔を浮かべると、少しバツの悪そうな顔を浮かべて自己紹介を始める。
「おっと失礼。私の名はニミュエ、この出来の悪い魔法使いのパートナーで、その役目がようやく解放されたのさ、私の相棒はジェフリー・リブロム一人だ。いつまでもアーサー・カムランに私の幻影を負わせる訳にはいかない」
目の前に居る女性が何度もジェフリーの話に出てきたニミュエだと知ると、マミとまどかはハッとした顔を浮かべて、彼女に触れてジェフリーの元へと戻そうとするが、魂だけのニミュエの体に触れることは出来ず、二人は前のめりに転倒し、ニミュエは思わず軽く笑ってしまう。
「大丈夫。アイツにも何だかんだで世話になった。最後に別れの挨拶ぐらいするさ。いつまでも死んだ人間に囚われていては新しい物語は紡げないからな」
理屈では分かるが、それでも二人はニミュエの選択に対して複雑そうな顔を浮かべていた。
納得が行ってないと言う様子の二人に対して、ニミュエはこれから自分が成すべきことを話し出す。
「私は生きていた頃、破壊と暴虐の限りを尽くしていた。自分の心とは裏腹にな。ちょうど今、天へと帰って行く少女たちのようにな」
言われてみて、合致する部分はあった。
複数の魔法少女の魂はどうしようもない深く深く絶望した結果、破壊と暴虐の限りを尽くした。
そしてニミュエは天へと帰っていく魂たちを見つめながら、柔らかな笑みを浮かべながら話し出す。
「だから私は彼女たちの痛みを少しでも癒せればと思い、彼女たちと同じ所へ向かおうと思うんだ。かつてリブロムが私にそうしてくれたようにな」
そう言って大人びた優しい笑みを浮かべるニミュエに嘗ての破壊衝動は全く感じられなかった。
もうとっくに彼女はリブロムを許し、ジェフリーにも自分だけの物語を紡いで欲しいという想いが伝わった。
ニミュエの決心の固さを知ると、マミとまどかは彼女にエールを送る。
「皆の事よろしくお願いします。一人ぼっちは寂しいですから」
「あなたのような人が居てくれるから。私は私でいられます。本当にありがとうございました!」
「ああ」
少女たちの声に対いて短く返すと、ニミュエは丁度全ての魂を放出しおえたジェフリーの元へと向かう。
彼の前に立つとニミュエは厳しくも優しく、短く一言だけ言う。
「これでお別れだアーサー・カムラン。お前はお前の物語を紡げ、いつまでも私の幻影を言い訳に前進することを拒否するな」
「ああ。今までありがとうニミュエ」
そう強く言うジェフリーに対して、ニミュエは最後に口づけを交わして天へと昇って行く。
ジェフリーの目には涙が浮かんでいたが、それは絶望の涙ではない。
大切なパートナーが新たな道を歩んでいくことに対しての喜びの涙だった。
「じゃあそろそろ私も行くね」
杏子の前に現れたのはメイジー。
幻惑使いの彼女ではあるが、こう言う時に冗談を言うような性格でないことは付き合いの長い杏子はよく分かっている。
彼女との別れが辛いのか、杏子はメイジーとまともに目を合わせることが出来なかったが、メイジーは杏子の顔を持ちあげると、その額に軽くキスをする。
「そんな顔しちゃダメよ。私はこれからニミュエさんと一緒に少女たちの心の痛みと向き合うって新しい使命を見つけたんだからさ。こう言う時はパートナーを笑って送り出すもんだよ」
「バカヤロウが……本当に最後の最後までお前は勝手な奴だよ!」
杏子は涙ながらにメイジーを抱きしめようとする。
だが魂だけのメイジーは触れることも出来ない。ここから彼女と杏子は決して相容れない存在だと言う事を杏子は改めて理解すると、涙でグシャグシャになった顔で怒鳴り散らすように叫ぶ。
「憑りついてからと言う物、ウゼェ小言ばっかり抜かしやがってよ! 向こうに行った魔法少女たちがアタシみたいに聞き分けいい奴ばかりだと思ったら大間違いだぞ! お前なんて向こうの世界でたっぷり苦労すりゃいいんだよ!」
「その何倍も杏子は苦労することになるよ」
「そんなのヘッチャラだ! アタシにはなお前よりもずっと素敵な仲間が四人も居るんだからな! 向こうの世界にアタシが行くことになったら、タップリ話してやるよ佐倉杏子様の武勇伝をな!」
まるで喧嘩別れのような啖呵を切る杏子だったが、メイジーとの永遠の別れが辛いのか、その場で膝を突いて泣きじゃくった。
そんな彼女の肩を優しく抱こうと、四人の少女がすり寄っているのを見て、もう杏子は大丈夫だろうと判断して、彼女のプライドを優先しようとここは去って、メイジーはジェフリーの前へと立って、彼にも別れの挨拶をする。
「ニミュエさんも言ってたけど思い出ばかりを大切にしちゃダメだよ。あなたはジェフリー・リブロムの記憶で思い出は構成されているけど、未来は分からないでしょ?」
「ああ、俺は皆のおかげで思い出せたよ。俺の物語の意味をな。メイジー、お前も今までありがとう」
威風堂々と言ってのけるジェフリーを見て、メイジーは頼りがいを覚えた。
これなら自分も安心して、自分の役目を果たすことが出来ると判断してメイジーは、ジェフリーの唇に別れのキスをすると、彼女もまた魂が帰るべき場所へと帰って行く。
二人の大切な女が新たなステージへと向かうのをいつまでもずっとジェフリーは見守っていた。その眼からは涙が止まらなかったが、それは絶望の涙ではない。パートナー二人が新たな希望を持つことに対しての喜びの涙だった。
「これで俺の中から魂は全て消えたか……」
――まだ残っているぜ、テメェと一蓮托生の魂がな!
――神の思念を天に返すにはまだ時間が必要だ。もうしばらく付き合わせることを申し訳なく思っている。
ジェフリー自身の脳内に響いたのは二つの男の声。
それがリブロムとマーリンの物だとすぐに理解すると、ジェフリーは胸に浮かんだ心臓刻印を法衣の上から軽く握って、ワルプルギスの夜が残してくれた遺産を胸に新たに歩みだそうと決心を固めていた。
その場に居た全員の目から涙が止まらなかった。
ジェフリーとさやかが無事に生き残ったこと、ニミュエとメイジーが新たな希望を抱けたこと、ワルプルギスの夜の魂が救われたこと、理由は様々だが本当の意味で決着が付いたことに全員歓喜の涙が止まらないでいた。
それに終止符を打ったのはジェフリー。胸に力を込めると心臓刻印の輝きを収めて、皆と一緒に体育館へと帰ろうとする。
「もうしばらく世話になるぞ。この世界でやらなければいけないことが増えたからな」
そう言うとジェフリーはワルプルギスの夜が残したもう一つの遺産、超ド級のグリーフシードを手に取って少女たちと共に帰って行く。
少女たちは分かっていた。いずれは彼も遠いところへと、自分が帰るべきところへと帰っていくのだと、だが今だけは堪能していた。
この穏やかな時間を。
そして物語は最終楽章へと向かう。叛逆の物語へと続く物語へ。