<GAME SIDE>
アルスがなんだか大変なことになっていた、その頃。
そんなことは露も知らず、僕は初めての船旅に浮かれていた。真っ白な帆船『リリーシェ号』は、ロマン溢れる冒険の旅に相応しく。夕日が世界中を黄金色に灼きながら、水平線の向こうに沈みかけている。思いきり潮風を吸い込めば、自然と歓声も上がる。
「っん〜っ、気持ちいい! けっこうスピード出るんだね」
「今日は潮も風も最高だ。勇者ってのは、自然も味方につけるみたいだな」
船長のモネさんがガッシリした手を僕の肩に置いて笑った。もじゃもじゃの白ヒゲと、ちょっと悪党っぽい刺青と、トレードマークのキセル。ポルトガ王から僕らの航海を任された人なんだけど、まさに「いよっ海の男!」って感じの、頼りがいのあるおじいちゃん船長だ。
「これなら、明日の朝にゃあエジンベアに着くぜ」
「お願いします」
問題はあの差別主義の番兵だな。ロマリア国王(仮)をやってたときに事前に釘を刺しておいたし、ポルトガ王の紹介状もあるから大丈夫だとは思うけど……くしゅん!
「おっと、風邪ひいちゃいけねぇ。さ、中に入んな」
「はーい」
船室に戻ろうとしたら、入れ違いにロダムとサミエルが出てきた。ロダムは口に手を当てて青い顔をしている。船酔いがひどいらしい。
「大丈夫?」
「え、ええ、ご心配なさらz……うぷ!」
船縁に駆け寄り、身を乗り出してまた吐いている。ロダムの背中をさすりながら、サミエルは脳天気に笑った。
「しっかし意外ッスよねえ。てっきり勇者様だと思ってたのに」
「別に僕は、酔いやすくて吐いてたわけじゃないってば」
でも気持ちはよーくわかる。あんまり吐くと胃を痛めるし。頑張れロダムー。
船室に降りていくと、なにやらみんなが騒いでいた。「あっち行ったぞ!」「こっちに逃げた!」とか叫んでいるから、ネズミでも出たんだろうか。
エリスがいたので聞いてみると、なんでも魔物が荷物に紛れて乗り込んでいたらしい。
「教会の洗礼を受けていない魔物を乗せるのは、縁起が悪いんだそうです」
「そうか。船乗りさんは験《ゲン》を担ぐ人たちだからね」
こういうのはただの迷信じゃなく、昔からの知恵が反映されていることが多い。僕も手伝った方がいいかな。
「勇者さーん、そっちに行きゃしたぜ!」
「え?」
瞬間、足下をなにかが駆け抜けていった。ランプの明かりじゃ暗くてよく見えなかったんだけど、サッカーボールくらいの青いカタマリが、僕の後ろの、樽の陰に隠れたようだ。
「勇者様は下がっていてください」
エリスが杖を構えて前に出ようとする。
「待って待って、たまには僕に任せてよ」
逃げ回ってるくらいだからそんなに強い魔物でもないんだろうし。
船員にランプを取ってもらって、かざしてみる。どれ、確かこの辺に……
そこで僕は、見てしまった。
こ、こんな……こんなことがあっていいのか? ありえない。ありえないモノが、こ・こ・に・い・る !! !!
「カ………………………カ〜ワ〜イ〜イ〜ッッ☆♪ !!」
ちょ、ちょっと待ってよ、なにこの、つぶら〜な瞳! 丸くてね、半透明でね、プルプルしててね、もうなんて言ったらいいのか!
「いや〜カワイ過ぎるッッッッ!! え、もしかしてこれがスライム?」
「そうみたいですね」
横からのぞき込んだエリスがうなずいた。あんまりカンドー無いみたいだけど、女性はこういうのに弱いんじゃないの?
「私たちは子供の頃から見慣れてますから。そう言えば勇者様、アリアハンからロマリアに直行しましたから、近くで見るのは初めてでしたか」
そうなんだよ。これならアリアハンでちょっと外に出てみれば良かった。
さて、モニターの前の読者様は「たかがスライムだろ?」と思われるかもしれない。ドラクエ界ナンバー1の有名モンスター、あまりにいろんなメディアやグッズで出回ってるから、いまさらというか……。
だぁがしかし、ホンモノはもう想像の範囲外! ウェルシュコーギーの子犬にもアメリカンショートヘアの子猫にも負けず劣らずの愛らしさだ。そんなのがウルウルした目で僕を見上げているのだから、言うことはひとつしかない。
「飼う!」
「ダメです」
光の速さで却下されたぁ!
僕が味方だとわかったのか、スライムは物陰から出てくると、ピョンと僕の胸に飛び込んできた。柔らかくてひんやりした肌触りも超GOOD!だ。あ、なんか震えてるよぉ。
「いいでしょエリス。こんなに怖がってるのにっ」
スライムを抱きしめて訴える僕を、エリスと屈強な船乗りさんたちがじりじり取り囲む。
「そうは言ってもなぁ。勇者さん、洗礼してないのはヤバイんだよ」
「他の魔物を呼び寄せてしまうそうです。海のモンスターは手強いんですから、危険はできるだけ回避するべきですよ、勇者様」
「じゃあ、どうするの……?」
「海に捨てます」
そ、そんな〜!
「死んじゃうじゃないか! 可哀想だよ、この子なんにも悪いコトしてないのに!」
ランランララランランラ〜♪
誰だナウシカのBGMかけてるヤツぁ! やめやめ、あれ防衛に失敗してるじゃん!
「お願い、ちゃんと面倒見るから。ね? ね?」
「ダメったらダメです。わがまま言わないでください」
「お願い、ちゃんと面倒見るから。ね? ね?」
「ループ合戦なら負けませんよ。朝まで続けますか?」
「よーし朝までやろうじゃないか。その頃にはエジンベアだ、真っ先に教会に行って、その『洗礼』とかいうの、やってもらえばいいんでしょ?」
「勇者様ってば……」
あきれ顔でため息をつくエリス。わかってはいるけど、でも〜。
「おや、皆さんどうしたんですか?」
そこにロダムとサミエルが戻ってきた。船員さんの一人が説明する。穏やかに聞いていたロダムは、事情がわかると僕の方に近づいてきた。
「まあまあ、そんな涙目で睨まないで。この子に洗礼をしてあげれば良いんでしょう?」
「え……ロダム、できるの?」
にっこり笑う宮廷司祭殿。
「あんた神父の経験があるのかい?」
モネ船長がほぉっと感心する。ロダムは少し照れたように頭をかいた。
「まだ駆け出しの時に武僧に転向したもので、簡単な典礼だけですがね」
ロダムは僕からスライムをそっと受け取ると、テーブルの上に置いた。スライムはおとなしくしている。
気を利かせた船員さんが分厚い本を持ってきた。バイブル——聖書か。ロダムが祈祷を始めると、みんなが手を組んで祈り始めた。僕もそれに倣う。お、スライムも目を閉じてるし。賢いやつだなぁ♪
たっぷり一〇分くらい祈ったのち、精霊神ルビスに誓いを立てて聖水をかけて(ダメージ食らうんじゃ!?と心配したけど平気そうで良かった)、スライムの洗礼は終わった。
◇
下を向いて本(聖書)を読んだせいで、ロダムはまた酔いがぶり返し、儀式が終わった途端に甲板に出て行った。ありがとうロダム、あなたの犠牲は無駄にしないよ!
「プニプニしてかわいーなー♪ よし、お前の名前はヘニョだ」
「ヘ、ヘニョ……?」
エリスとサミエルが口の端をヒクヒクさせている。そのいかにも「こいつセンスねぇな」的な眼差しが痛いんだけど。だって誰かさんがあんまり嫌がるからさー。いいじゃないか、スライム本人だって気に入ったみたいだし。ずーっとニヘラっとしてるから、いまいちわからないけど。
「そろそろメシにするぞ」
「お、待ってました!」
船員さんに声をかけられて、サミエルがさっそくとなりの食堂に移動する。
「ここのシェフのメシはうまいッスよねぇ」
「だねー。そういえばヘニョはどんなもの食べるの?」
「基本は草食ですが、だいたいなんでも食べますよ」
雑食と思っていいのかな。じゃあ旅の間もエサには困らなそうだ。
……だが、その雑食性であることがどのような問題を引き起こすのか、僕はすぐに思い
知ることとなった。
今日の夕飯は子羊のシチュー。黒胡椒がピリッと効いてなかなかの美味。ヘニョも食べたそうだけど、まだ熱すぎるかな。
「冷ましてあげるから、もうちょっと待ってね?」
僕のひざの上で不服そうにしているヘニョをなぜてやる。
と、視界の隅をなにかがカサカサっと走り抜けた。同時に、ヘニョがピョンと飛び降りて素早く追いかけていく。隅の方でガタガタなにかと格闘して、すぐに僕のひざに戻ってきたんだけど。
その口にはーーネズミがくわえられていた。
すごいでしょ、と目をキラキラ輝かせているヘニョ。……まったく動けない僕。
まだバタバタ暴れているネズミを丸呑みするヘニョ。……顔がひきつってる僕。
パキパキ絞め殺されるネズミが透けて見えるヘニョ。……鳥肌たちまくりな僕。
ニヘラっと笑う口の中が血まみれになってるヘニョ。……今にも吐きそうな僕。
「やるもんだなぁ! よっぽど腹が減ってたんだな」
モネ船長や船員さんたちの評価が上がったことは喜ぶべきなんだろうけど。
僕は震える手でそーっとヘニョを床に降ろし、できるだけゆっくりと食堂の出入り口に向かった。みんな必死で笑いをかみ殺してるんだけど、僕にそれを抗議する余裕はない。
ドアを開けて、ドアを閉めた瞬間に、甲板への階段を駆け上がる。見張りに出ていた船員さんが驚いて声をかけるのも無視して、ロダムのいる船縁に猛ダッシュ。彼のとなりに立つなり、今食べてたシチューをお魚さんのエサにしてやったわけで。
「……おや、勇者様も酔ってしまわれたんですか?」
「まあ、ね」
だーかーらー! こんなリアルなのドラクエじゃねえっつーのぉ!
せめてスライムくらい、可愛いままでいて欲しかったよ、ううっ。