魔法科SSシリーズ   作:魔法科SS

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前話を書いたときから数カ月後、衝動的に書きはじめた新作でした。

「ダブルセブン編」以降のネタバレを含みますのでご了承くださいませ。


※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1825270


5. 本当は冗談じゃないと思う

 去年の同じ季節、新入生だった生徒たちは、その一年後である今、(留年しなかったので当然なのだが)二年生としてまた新たな季節を迎えていた。

 学業における、進級という区切りはクラス替えを伴う。実力によるランク分けが公然と行われるこの第一高校にあっては、クラスはランダムの偶然で決まるものではなく、成績を反映した必然で与えられるものだった。

 それはただの学級(クラス)ではなく、階級(クラス)によって生徒たちが別たれることを意味する。

 クラス分けがランダムではなく、避けがたいロジックで決定するということは、クラスメイトの流動性にどう影響するか。

 ふたつの結果があるだろう。ひとつは、成績が並んでいるかぎり、クラスメイトがバラバラになることはないということ。

 しかしもうひとつの結果がありうる。誰かが抜群の成績アップを果たしたり、誰かが一気に落ちこぼれたりすると、別れを避けることができない。

 第一高校の劣等生(ウィード)たち。その中でも昨年、ひときわ異彩を放っていたグループがあった。

 元1年E組、元風紀委員にして現生徒会副会長、司波達也。

 元1年E組、現風紀委員にして「吉田家」の吉田幹比古。

 元1年E組、調整体魔法師の末裔、西城レオンハルト。

 元1年E組、「千葉家」の千葉エリカ。

 元1年E組、「天眼通」の所有者、柴田美月。

 袖すり合う仲だった一年間、彼らはただのクラスメイトというだけでなく、戦友とまで呼べる関係を結んできた。

 それが今や、魔工科、二科、一科の三クラスにメンバーが分散している。それぞれが開花させ、発露させた、個性的な才能の結果として。

 だがクラス分けをもってしても、彼らの培ってきた交友関係が失われることはないようだ。彼らは進級後も、グループを組んでいる意識が強く、他に理由がないかぎり、昼食や下校の時間を共にしていた。

 そもそも、このメンバーは普段、E組生徒だけでなくA組の生徒も混ぜたグループを組むことが多かった。学科をまたいだ交流に元々慣れていたことが、彼らの「縁」を支えていたとも言えよう。

 初年度時、クラスの異なるメンバーの(かすがい)役を担っていたのが、達也の家族である司波深雪だった。彼女は、愛する兄とクラスが別々になることを理不尽のきわみだと言わんばかりに、あらゆる機会を利用して達也と同じ時間を過ごそうとする。

 彼女の級友である光井ほのかは、そんな深雪にくっついていたことから達也に接近することとなり、ほのかの親友である北山雫もまた、達也たちのグループの一員となった。

 そして二年生になってから、深雪とほのかの所属する生徒会に達也も加わった。ちなみに委員活動としては、幹比古と雫が同じ風紀委員という、意外なペアも生んでいる。風紀委員室は達也の古巣であるだけでなく、生徒会室と物理的な距離も近い。

 学級の繋がり、家族の繋がり、そして委員の繋がり、それぞれの関係が再構成され、グループが集うタイミングも新たに調整されるようになった。

 今日はそんなある日、同じ生徒会である深雪、ほのか、達也の三人と、その達也と同じクラスである美月がたまたま一緒になった帰りの出来事だった。

 

 

 残りの四人は、それぞれの理由で下校時間がズレていた。深雪を主とする水波の姿も、今はない。

 考えてみれば、あまりなかった組み合わせだと、司波兄妹は思い当たり、視線を交わしあって互いの記憶を確認する。

 客観的には、生徒会の副会長として知られた二人が、それぞれのクラスメイトを連れているように映るユニットだろう。

 いつもの女性陣が揃ってはいないものの、達也以外の男子が全滅だ。達也にしてみれば「美少女に囲まれる」というシチュエーションのありがたみは今更と言うべきで、特に感慨も湧かないが、男一人という立場はやはり気寂しさを覚える。

 遅れてくる雫を待ちたいほのかに合わせ、四人で喫茶店に入ることになった。入店に至る経緯としては、少しでも達也といる時間を延ばしたい、ほのかの希望が第一にあるだろう。

 そして美月の場合は、幹比古と合流できる機会だから時間潰しの提案に乗ったのだろう、と残りの三名は勝手に推測していた。

 さて、深雪にとっては、積極的に時間を潰す理由がなかった。

 彼女も社交性が欠けているわけではないが、なんとなくの気分でお茶するくらいなら、早く兄と家に帰りたいと思うのも事実。

 かすかな不満があり、わずかな我慢を覚えたことで、彼女の中に無意識の稚気が生まれる。

 深雪は率先して、店内の隅のほう……窓もなく、周囲からの死角が多い客席を選んでいた。

 

 

 高い壁でセパレートされた、半個室状ともいえるその席は、壁が作るスペースに合わせて三角型の机が置かれている。

 それを見たほのかの表情が、わかりやすく明るくなった。ただの四角い机ならば、達也と深雪の対面に押しやられることは予想できていたからだ(かといって、美月を一人だけ不自然に残して、残り三人で対面を陣取るのも罪悪感があった)。

 しかしこれなら、自然に隣の席を得ることができるだろう。

 期待した通り、深雪と達也が確保した場所を挟むように残り二人が座ると、ほのか、達也、深雪、美月という順で並んだ。ほのか、達也、深雪が座ったのはストレートのソファだが、ちょうど美月のところで折れ曲がっている形だ。

 このポジションが決まるまで、ほのかの内心は戦々恐々としていたものだが、他人に比べておっとりしている美月は、落ち着いてからようやく「おや?」と気付き、「……ひょっとして、私が余ってる?」という顔をした。

 

 

 そしてこの席順は、深雪が瞬時に計算して決めたものだった。彼女に芽生えた稚気は、この機会をいかに楽しむかという方向に向いていた。

 ちょっとした悪戯心。言い換えれば、鬱憤ばらしの嗜虐心。

 特に美月は、冗談でからかおうとすると、上質の「観客」になってくれるという認識がある。

 そしてどうせなら、ほのかを出し抜いてしまっていい、と今日の深雪は思っていた。

 この際、ほのかを置いてけぼりにして、差をはっきりさせるのも(やぶさ)かではない……。

 つまり、自分とほのかの、どちらがよりお兄様と密接な仲なのかを、美月の目で見極めてもらおう……いや、ただ存分に見せつけてやろう、と目論んだのだ。

 

 

 最初は、深雪の狙った通りにことが進んでいた。

 まずはさりげなく、自分だけがケーキを注文し、「お兄様もいかがですか?」と勧める。

 ほのかが「あっ」と気付いたのも束の間、達也の口にスプーンを運んだ。

 達也も慣れたもので、少し面食らったのち、黙々と受け入れている。

 それだけで、やや斜めの角度から眺めていた美月は動揺しはじめていた。深雪は少食なのか、注文したメニューを一人で完食することは珍しく、達也におすそ分けを申し入れることが多い。だが「あーん」をするところまで行くのは、美月にとって初めて見る行為だった。早くも顔を赤くして、いまにも湯気を出しそうだ。

 その反応を感じた深雪が、よしよし、と内心でほくそ笑んだかは定かでないが、さらにもう一段階、悪戯がエスカレートする。

「もう一口いかがですか? ええ、どうぞお召し上がりください。……あらお兄様、口元にクリームがついてしまいました」

 そう、言うが早いか、唇ではない微妙な位置についた──もちろん意図的に「つけた」が正しい──クリームを、ついばむように自身の口で取り除き、食べた。

 ちょうど達也の反対側に座ったほのかには見えないようにして。

「わっ、わっ」

 美月が叫びにならない悲鳴をあげる。

 その様子に気付いた深雪はというと──、ほのかには内緒ね、と色っぽすぎる微笑とともにウインクを飛ばす。

 その瞬間、美月の頭の中がはじけた。

 血を炉の炎に変えて、一気に頭蓋内の脳へと熱がまわる。個体と液体の混ざった状態から、その相転移のプロセスも認識しえないスピードで気化が始まり……つまり比喩的な意味で、頭が沸騰した。

 ふだんは黙っているが、美月は美少女にすこぶる弱い。特に恋する美少女に目がなかった。

 前学期にて、かすかな片想いを自覚していたエリカの恋路に強く感情移入していたのも、友人だからという理由だけでなく、エリカを「クラス一の美少女」と位置づけていたことが、実は無関係ではなかった(この事実を当のエリカが知れば、苦虫を噛み潰したような顔をするだろう)。

 では、ここにいる光井ほのかはどうなのかというと……。彼女は恋する少女というより、なんだか「忠犬」の忠誠心のように感じられて、それほど美月の歓心を誘わないのだった。

 ほのかも顔はじゅうぶん魅力的で男好きのするタイプだが、深雪やエリカの美貌に見慣れていると、断然、美月は深雪派であり、エリカ派だった。

 目が肥えすぎている、と呆れられてもおかしくない審美基準なのだが、そこは美月本人のルックスが(自覚を抜きにして)相当に高いレベルにある点を差し引くべきかもしれない。

 ともかくとして、美月は深雪が想定している以上に、並々ならぬ思い入れを彼女に向けている。身内の友人ながら、「熱狂的ファン」と呼んでも差し支えのないほどに。

 美月の思い入れの強さが、周囲の予想を超えてしまうケースならば前例がある。それも、ちょうど一年ほど前の話だ。……深雪と達也の仲を快く思わない一科生らに対し、美月は向こう見ずに喧嘩を売っていた。

 この二人の仲を引き裂くことは許さない、と。

 美月という少女は、自分のこと以上に、自分が眺めていたいものに情熱を燃やすタイプなのである。他人の恋路だろうと見境なくプッシュしてしまうのは、本人が自覚してない悪癖でもあった。

 しかしあの事件以来、深雪が美月の激昂する姿を見ることは、幸いにしてなかった。見た目のイメージ通り、おとなしく素直そうな女の子として、友達付き合いが続いていたつもりだった。

 そんな深雪の予想では、美月はしばらくフリーズしたままだろう、とタカをくくっていた。根にサディストの素質を隠し持つ深雪は、なんでも素直に受け取ってしまう彼女を弄ぶ寸劇をいつも(たの)しんでいたし、今も普段の延長にすぎないと考えていた。

 しかしながら、今回は、いつもフリーズを解く役割(ポジション)であるエリカや幹比古がいないのだ。

 フォロー役の欠席を失念していたのは、このシチュエーションを「楽しみすぎた」ことによる、反省すべき無思慮だったと後になれば言えるだろう。

「み、深雪……っ。だめだよ私しか見てないからって、こんな人前で!」

 だからこのように、真に受けた注意をされてしまう。

「そういうことは、その、ふたりっきりのときにでも……」

「やだ、美月ったら、冗談なのに……。ですよね、お兄様?」

「ん、あぁ、そうだな」

 おどけてはぐらかす妹に、生返事の兄。

 息の合った、問題のそらし方だった。このシスコンの兄とブラコンの妹は、だいたいこの手で周囲からの追及を迎撃してきた。あとは何を言われても相手が自爆するというパターンである。

 ただし、ふたりの平然とした表情はもちろん仮面だ。深雪は内心、兄との大胆な皮膚接触によって興奮醒めやらぬ心境だったし、達也は率直に「妹として、これはやりすぎだろ」という戸惑いを押し殺すのに大変だった。

 お芝居の息は合っているのだが、互いに隠して思っている(想っている)ことは微妙にすれ違うのも、この兄妹ならではだろう。

 そんな複雑な事情を知る由もない美月だが、どこまでも彼女は、素直な少女であり、……天然娘だった。

「私! 深雪のしたこと、本当は冗談じゃないと思う!」

 何より彼女には、「人を見抜く目」があった。この才能は、彼女の霊視能力と関係がない。単に彼女の性格として、人を見る目が優れているのだ。

「えっ……、落ち着いて美月。兄妹でこんなこと、冗談でなきゃするはずがないでしょう?」

「兄妹だからしちゃいけないことなんかないよ!」

 

 

 美月は、問題発言を叫ぶやいなや、ブレザーの内側から汎用型CADを素早く取り出した。そして淡々と、「音波遮断」の起動式を呼び出して、術式を展開しおえる。いくら大声で話しても大丈夫なように、他の客席まで会話が漏れないようにしたのだろう。

 それはふだん、めったに私用で魔法を使うことのない彼女の、驚くべき行動だった。

 冷静さゆえの配慮なのか、もしくは激情のあらわれなのか、計り知れない様子に凄味を感じてしまう。

 魔法力に不足している美月の術式を破ることくらい、ここにいる三人にとっては造作ない行為だ。

 だがしかし、彼女の静かな迫力に押され、ここで逆らうのはとても現実的に思えなかった。ほのかに至っては、母親に叱られる前の子供のように縮みあがっている(事情もよくわからないまま怯えているあたり、本当に「子供」である)。

「実は、ずっと言うのをガマンしていたことだけど、言わせてもらいます」

「え、う、うん」

「あ、あぁ」

 はー、と深呼吸(大きめの溜息かもしれなかった)を一回行ってから、キッと達也と深雪に向かって視線をぶつける。

「私、親が翻訳家をやってますから、日本と海外じゃ文化の違いがあるって知ってます。

 重婚が禁じられてない国だってまだありますし、恋人以外とキスしてもおかしくない国だってあるんです。

 そう……さっきみたいにほっぺたにするキスだけじゃなくて、唇にするキスだって。恋人だけの特権かというと、それは違うんですよ!

 例えばロシアだと、親しい女同士や男同士でも口づけをするそうですよ? 家族だからってなんなんですか!?」

「いや、待て。それは海外の話だろ……?」

「人間としての話です! 私たちは思い込みだけのルールに縛られる必要はないんだっていう……」

 まさかこのままでは、太古の日本では異母兄妹が結婚することも珍しくなかったとか、兄妹のカップルはむしろ神聖さの象徴だったのだとか、史実や宗教の知識まで披露されるのではないか、と達也は危険を感じた。

 昔の日本でも同腹の子同士が結ばれることはやはり禁忌だったらしいぞ、と野暮なツッコミを返す用意も思い浮かんだが、どう考えてもそんな話題を持ちかけられた時点で何を言ってもヤブヘビになることは間違いない(何より、達也がそんな雑学に「なぜか詳しい」と思われかねない流れを作ること自体が破滅的にリスキーだった)。

 なんとしても話をそらさなければならなかった。その危機感は妹も同じようで、

「だとしたら、なおさら私たちだけの問題ではなくて……?

 ルールで決められるのではないわ」

 と美月の主張の隙を衝こうとする。しかしこの反論にも、相手が付け入る隙を含んでいた。そのミスに気付いた深雪は、自分の意見を反芻しながらも、わずかに声を震わせる。

「……文化とか関係ないわ。私たちにとって自然なら」

「うん、私もそうだと思う。だから……、兄妹でこんなことするわけない、っていうのが言い訳だと思うのは間違ってますか?」

 結局、告発がスタート地点に戻っただけとなった。びくっ、と深雪の体が強張って固まる。

 美月にしてはキツい物言いに感じる「言い訳」という表現だが、そんな美月の言葉だからこそ揺さぶられてしまうようだ。

「知りたいのは、おふたりの素直な気持ちなんです。兄妹の愛情表現に物足りなさを感じているなら、やきもきせずに先へと進むべきだって思うから。そこのところ、深雪はどうなの?」

 そうまくし立てると、自分の眼鏡に手をかけ、ゆっくりと外した。

 彼女は近眼や弱視などではない。むしろ、見えすぎるから常用している眼鏡である。それを外すことで当然、まなざしはぼやけることなく、鋭さを増していく。

 しかし見えすぎるとはいえ、彼女のような「霊視」に思考や感情を読む力はない、と一般には言われている。

 霊子(プシオン)の色彩や輝きから感じ取れるのは「おおまかな雰囲気」としか言い表せないものであって、それを読心(マインド・リーディング)に活かそうとするならば、能力と無関係な「直観」に頼らざるをえない。

 雰囲気や気配から直観で心を読むとしたら、普通の人間が五感だけで挑戦することと大差がない。

 だから霊視能力者が、会話中にオーラ・カット・レンズを外して見詰めるという行為も、別段プライバシーを覗くようなマナー違反にはあたらない、というのが(知識としての)共通理解だった。

 しかし、心を見抜かれるかどうかを抜きにして、裸眼の美月がまっすぐ見詰めてくること自体が初めてで、思わず気圧されるくらいのプレッシャーがあった。

 美月がこうしたのは、相手と本気で(比喩的な意味では「裸で」)向かい合いたいという生真面目さだけが理由にあって、プレッシャーを与えることまでは微塵も計算していなかったのだが。

 

 

 核心を問い詰めてきた美月に、深雪は何も言えなかった。

 まったく予想外の反撃に、顔を青褪めさせてうろたえるだけだ。

 美月は、図星をついている気がする。

 でもその図星を、私だけでなく、お兄様やほのかの居るこの場で衝かれたのは、たまらなく恥ずかしかった。

 次に、謝罪したい気持ちで一杯だった。言い方を変えれば、降参したいと思った。

 兄妹で演じる「冗談」を我慢させつづけていた不明を詫びたかったし、冗談に振り回されているだけの、からかいやすい相手だと見くびっていたことを取り下げたかった。

 御免なさい、あなたをなめてた。

 そんな言葉が思い浮かんだが、パニックのあまり、とても口にできない。

 兄はどんな気持ちなのだろう。

 そう考えると、時間を止めてしまいたくなる。しかし「時間を止める」などという、現代物理学を粉々に砕くような魔法は、まだ誰も実現させたことのないマボロシだった。

 

 ──私はお兄様のもの。

 だから、お兄様のものになりたい。

 

 なりたい、と願うのは、まだ彼のものに「してもらえていない」証拠でもある。

 深雪にとっては疑いようのない「お兄様のもの」という事実を、彼にも受け入れさせるには、何をすればいいのか。

 つまり、これ以上に何を捧げればいいのか?

 妹として捧げられるものは全て捧げてきたつもりだった。

 それ以上は肉親の限界を超えるものだと思っていた。

 なぜなら、深雪はあくまでも「達也の妹でいる」という状態が最上であり、実の妹としての愛を超えた想いなど考えつかないからだ。

 だから恋人しかしないような行為に興味はない、つもりだった(ならばこそ「家族でもできる恋人のようなこと」には多大な関心を示すのだが)。

 しかし、その「肉親の限界」や「恋人しかしないこと」がただの思い込みにすぎないとキツく注意されて、足元の床が崩れ去る気分だった。

 いままで本当の愛情を感じながら表現していたはずが、社会の常識などというものを「周囲に思い込まされ」、縛られていただけだと気付いたのがショックだった。

 掛け値なしの真実の愛なら、常識を破るもののはずなのに。

 めまいのしそうな動揺の中、思考がループする。

 

 私はお兄様を愛する妹で。

 私のすべてはお兄様のもの。

 

 それが深雪の気持ちであり、彼女にとっての事実。

 気持ちは高まる一方で止めることもできず、彼女の世界の「事実」を、現実のものにできるならばと心から願っている。

 しかし、「もう捧げるものが残っていない」という認識が間違っているとしたら?

 妹のやることではない、という過ちをおかすことなく、まだ捧げるものが残っているとしたら?

 悩むまでもない、と彼女の深層心理は決断を下すだろう。

 心は、胸中では悩まない。あとは、頭の中で迷ってしまっているだけだ。

 第一、素朴な乙女心として……「そんなこと、素敵なシチュエーションでも存在しないかぎり、実行に移しようがないじゃない」というジレンマでブレーキがかかってしまう。

 このジレンマまで思考がたどり着くまでに、いったい何秒の時間が費やされただろうか。またたくまのようでもあり、力尽きるまでマラソンを続けていたような疲れも感じた。

 だったら、そう言う美月がなんとかしてくれるの? という腹立たしい感情が少し芽生えたほどだった。……他力本願になってしまうのは、深雪にとって珍しいことだ。

 

「お兄様ぁ……」

 

 美月が困らせるんです……。そんな甘えた声を出して、兄に助けを乞う。

 何もかも捧げてしまいたいと、本音では感じてしまっている。それは秘密の願望にすぎない。

 隠してきた願いだからこそ、何も知らぬはずの兄なら、少しでも冷静な対処をしてくれると深雪は期待していた。

 そんな本人はまったく意図もせず、蠱惑的な猫なで声を出してしまっていた妹の頬を、達也は手のひらで優しく撫でた。

 んっ、と息を漏らす妹を、本当の猫でもなだめているかのように、耳をさすり、髪を梳き、首筋を、そして頭を撫でた。ひとつ撫でるごとに頬が紅潮していく。きっと彼女の、いじらしいサイズの心臓は健気に(あえ)いでいるに違いない。

 勝手に触られることをくすぐったい、などとは少しも感じずに、ただ愛撫されているような反応を返してしまう深雪。

 美月のした問いに対して、これは何よりも雄弁な答えとなる表情だった……が、それ以前に、今日一番の「目に毒」な光景でもあった。

 顔を真っ赤にするのは美月も同じで、彼女にとっては二度目の沸騰。再び理性が乱れ、先ほどまでの思考がふっとびかける。

 ふたりの少女が本格的にフリーズしてくれたところで、遠慮がちに達也は口を開いた。

「もうこの話はやめにしよう、美月」

 それは白旗を振り回すに等しい、強引な敗北宣言だった。

 何も言い返すことはできません。

 「あなたの言う通りです」に限りなく近い、「どう思われようと結構」という返事だった。

「……それで納得してくれないかな?」

 眉を八の字にして、申し訳なさそうな顔まで作って見せる。

 サァー……と、劇的に顔が青褪めるのは、今度は美月の番だった。

 空間のエイドスを改変していた魔法式が術者の制御を離れ、「音の伝搬」が復活したのは、ポトンとCADが美月の手からすり落ちた、ちょうどこのタイミングだった。

 

 

 雫と幹比古が現れるまで、美月は何度も司波兄妹に謝り通すことになった。

 そしてペコペコと頭を下げつづける美月を、なだめすかすことに兄妹は多大な労力を必要とした。

 この謝罪をストップさせて、うつむいてばかりの頭を上げさせることの方が、今回の暴走を止めることよりも難度の高いミッションだったと言えるだろう。

 そして文字通りの「置いてけぼり」を食らっていたのが、光井ほのか、その人だった。

 彼女は少し前に、「深雪が本気になるまでのあいだしか、自分にチャンスはない」と親友に発破をかけられたばかりなのだから。

 ほのかにとって美月のエスカレートは、深雪たちとは違う意味で「やめて! もうやめて」と涙目で遮りたくなるような内容だったのだ。

 親友が目の前にやってきた瞬間、ほのかはその腰あたりの位置にガシッとしがみついた。

 セリフを与えるとしたら「え~ん!」とでもなりそうな抱きつき方だった。

 今夜の相手は長くなりそうなことを早くも察して、とりあえず「よしよし」をする雫。

 また、美月はというと、幹比古に泣きつき……はしなかったが、ようやく平静を取り戻せたようだ。

 不思議と彼女は、隣に幹比古がいると(先ほど見せた気丈さとは別の意味で)気を強くする傾向があったおかげだろうか。

 そして達也と深雪はというと。

 黙って店内を出る支度をはじめ、そそくさと会計を済ませようとしていた。

 幹比古や雫との挨拶も言葉少なに、早々と立ち去ろうとする。怪訝な顔をして、幹比古らがその背中を追った。

 駅に着いて、それぞれのキャビネットに別れるまで、同じような態度を兄妹は続けていた。

 特に、深雪はずっと無言を通していた。

 彼女が黙り込んでいたのは、そのあいだずっと、かぎりなく兄と体を密着させていたからなのだが──。

 

 

 指や、腕を組み合わすだけでは済まないその密着の深さは、自宅に帰り着く最後まで、人目を(はばか)ることなく続いていた。

 友人らの目も、見知らぬ他人の視線もおかまいなく──。




第6話「好きな人の欠点」につづく

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