でもシリーズの繋がりとしては第2話に位置づけています。原作の世界設定に対する、妄想補完がちょっとありますのでご了承ください。
※こちらではpixivの投稿作品を転載しています
掲載元:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1316659
『深雪は、俺と男と女の関係になりたいと思うのか?』
それは幻聴。
抑圧された深雪の欲求が生む、夢うつつの空想。言われたい言葉。しかし聞きたくない言葉。
それに対して深雪は、無意識の中で応える。いつもと同じ返事を。
いいえ、妹がいいのです。深雪は妹でなければ、
だって男と女なんて……、「他人」同士ではないですか。
ここで深雪が考えている「男と女」とは、自分の両親や、父の愛人関係が身近なサンプルとしてあるのだろう。夫婦も、恋人も、代わりの利く「赤の他人」にすぎないと感じる。でも、血の繋がった兄妹であれば……。
深雪は兄との繋がりを、血縁によって一番強く感じている。お兄様に続いて生まれた、同じ
と同時に、深雪の心は、「自分が達也のものである」と文字通りの意味で認識している。であればこそ、男女の情が達也以外の誰かに向けられたりはしないのだ。なぜならば、私の身体だけでなく、
精神の一部でしかないのが恋愛感情だが、一部にすぎないからとて「私のもの」だとは思えなかった。
深雪も、兄妹間に恋愛は無関係だと知っている。それは達也に捧げなくてもいい感情のはずだ。だとしても、自らの恋する機能を自由にしていいかは別だった。何もかもが、兄のものでなければならない。
しかし、いずれ四葉家の責務として誰かと婚姻を結ばなければならない、という予想図が、彼女にとって最もリアルな世界だった。そこには浮いたロマンスすらもなく、恋愛の一般論も通じない。それが切実な境遇なのだ。
だから深雪は、男女関係について考えないようにしている。
望まぬ未来を回避したいという気持ちは、達也と「男と女」の関係になりたいという願望と表裏一体になるはずだが、そのどちらも意識をしたくない。
片方を意識して、もう片方と葛藤してしまうよりは、どちらも意識しないことによって現実から逃れることを、まだ子供である深雪の精神は選択していた。
なにより、達也への愛の結果として結ばれるのではなく、自分を守ってほしいというわがままで結ばれたい、という動機の不純さは、深雪の自尊心を汚すことでもあったから。
兄を自分の逃げ場所にしたくはないという気高い心と、兄になら全てを捧げてもいいし奪われてもかまわないという献身の心。
そのふたつのコンフリクトが、深雪に一線を越えさせないでいた。そう、深雪からでは、越えられない。──では、達也の側からならば。
お兄様は、私のことが世界で一番大切だと言うだろう。それは数日に一度のペースで、欠かさず告げてもらえる愛の言葉。
しかしそれは、「私以外が大切ではない」という事実の裏返しでしかない。
誰にも負けない兄、誰よりも秀でた兄のことを想うと同時に、達也が「戦略級魔法師」という名でも呼ばれていることを深雪は思い出す。
すべての魔法師の中で、一握りしか存在しない
そして達也は、その脅威的な魔法を抑止力として役立てるのではなく、戦場において「実用」した兵士としてもイレギュラーな存在となった。
達也自身は、すでにその異常さを割り切ってしまっている。これは外道の仕業だと、悪魔の所業だと客観的に認識し……、そして人間兵器としての精神的重圧を、耐えきった。
達也の「情動的欠陥」は、その点で有利に働いたと、彼自身は冷静に理解している。あるラインを超えた感情をシャットダウンしてしまえることは、
戦略級魔法師……その中でも、国際的に公表される「使徒」として扱われるには条件があるという。大規模破壊の術式を、ただ「
その上ではじめて、彼らは公的に管理される「兵器」と等しくなり、個人ではなく国家が「殺戮の責任」を肩代わりしてやることもできるのだ。
虚弱体質で知られる五輪澪ですら、儚げな容姿とはうらはらな気丈さゆえに「使徒」の座に就いている。魔法科の高校から大学にかけて、澪が残した記録は非肉体系の成績に限定されるものの、「勇壮」「果敢」と呼んで差し支えのないものだと知る者は多い。
戦略級に限らず、「潜在的な殺傷力が高い魔法師」らが
戦略級魔法師の心理的ケアという点において、達也の上司である風間は兄をじゅうぶんに人間扱いしてくれており、その心配りに深雪は感謝をしていた。
殺戮にも耐えられる精神だからこそ、いつか「それ」に対する感覚が麻痺してしまわないか知れたものではないからだ。
重度の後遺症を残したり、廃人と化すようなことがない代わりに、「静かに狂っていく」可能性が高いかもしれない。
達也にとって本当に危ぶむべきは、「当たり前の人間の感情」を失うことなのだから。そして達也自身は、もうすでに「そこ」に片足を突っ込んでいる、と考えて(諦めて)しまっている。
深雪はそんなことはないと思う。達也も、傷付くところでは傷付き、悲しむところでは悲しむ人だと知っているから。兄以上に、私がそのことを知っていると思うから。
だから深雪にとって、達也がまともに有している「人並みの感情」というものは、残された唯一の激情──
だから深雪は、達也の人間らしさから目を離さない。達也の人間らしさを見つけるたびに、いつくしみをこめて触れてあげようとする。達也が忘れてしまわないように。失わないようにと祈りながら、ともに心を感じ、ともに歩こうとする。
闇の中をさまよう兄の手をとりながら、光の指す方向はあちらなのだと誘導するかのように。それは彼女にしかできない役割だ。
たびたび達也自身が吐露する「俺は深雪がいることで救われているんだ」という言葉は、うぬぼれるまでもなく信じることができる。
それは文字通りの事実でしかないから。
「救いを一種類しか持たない」という、ただの残酷な事実にすぎない。
お兄様は、私以外を大切に思うことができない。私ひとりが例外だからこそ、私を必要としてくれるのだ。
……でもそれは、「私自身」が求められていると言えるのだろうか? この疑問が、いつも深雪の胸をキリキリと締め付ける。ちゃんと「私」を求めてほしい、という感情の波に揺さぶられる。
私自身を見てほしい一心で、自分を磨こうとする。飾りたて、背すじを伸ばす。
そして無防備な姿で、その身を兄に委ねる。
──私だって、お兄様「だけ」を見ているのは同じ。でもそれは、達也という一人の男性を自分で「選んだ」からだ。このひとの妹として生まれたという運命を、全身で受け入れたからだ。
実際、深雪にとって兄以外の人間がカボチャやジャガイモに等しいのは確かだが、決して「誰もが平凡に見えてしまうから兄が特別」なのではなくて、「兄が誰よりも特別だから兄以外は平凡に映る」という順序が正しい。
だが達也はその逆だ。何もかも特別ではないからこそ、妹にこだわるのだ。
その事実が、深雪にとっては辛い。
「私」を必要としてほしい。「私」が「深雪」だからという理由で、お兄様に喜んでいただきたいのに。「私」が「深雪」だからという理由で、お兄様の役に立ちたいのに。「私」が「深雪」だから、お兄様を理解できるのだと思いたい。もっと「
少しでも安心を得るために、深雪は薄い空気から酸素を求めるような切なさで、達也に必要とされる自分を確認しなければならなかった。
もっと。もっと。お兄様にとって、掛け替えのない「私」である証明がほしい。
もし私ではない司波家の子供がいたとして、もしその子にお兄様の愛情が向けられたとしたら、その子が「私の代わり」になっていたのだろうか……なんて考えたくもないのだ。
しかし深雪の胸に穿たれた「渇望」という名の空洞は、決して埋まるものではなかった。
もっと、もっと。より深い証明を求めれば求めるほど、その深さは足りなくなる。
少しずつ、深雪は欲深くなっていく。
どれだけ達也に捧げても、満たされない。
どれだけ達也を満足させても、何かが足りない。
それなのに、達也のそばで役に立とうとしなければ、不安で仕方なくなる。
──お兄様は、ずるい。
深雪が兄に対して恨み言を漏らすことは数少ない。しかしそれでも、この仕打ちはあんまりだと思うのだ。
こんなにも、私を不安にさせるお兄様。
一緒でいられる幸せを噛み締めると同時に、一緒にいるだけではと焦る心に襲われる。
どんどん欲深くなっていく深雪は、心の奥底で、本人の自覚もできない意識の深層で、おそるおそる兄を責め立てる。
そして、乞いねがう。
──私を安心させてください。
私だからとか、私じゃなかったら、なんて悩まないでいいくらいに、私を独り占めしてくださいませんか……?
なによりも一言、「ばかだな、深雪は」と仰ってください。
そしてもう一言、「お前は、俺のものだよ」とだけ囁いて、その腕の中に、抱きしめてください。
深雪は
了
第3話「ある一人の犠牲者について」へつづく