「我が社としては御社が保有する採掘権の30%を要求するよ」
ノブリス・ゴルドンはまるで世間話のような気安さで目の前の男にそう告げた。
「ゴルドンさん、そりゃ幾らなんでも吹っ掛けすぎじゃないかい?」
クリュセのオフィス街。その一角に今回の騒動で被害を被った三社の代表が集まり、話し合いの場を設けていた。内容は騒動の一件に対する損害賠償。要求を突き付けられたジャスレイ・ドノミコルスは苦虫を嚙み潰した顔でそう返事をする。だがノブリスは肩を竦めて言い返して来た。
「吹っ掛ける?とんでもない、これでも随分譲歩しているよ。あの一件で我が社は大切な社員を何人失ったと思っているのかな?残された遺族に対する責任が我が社にはあるし、おまけに彼らとは比べ物にならないが、機材や設備にも甚大な被害を受けている。はっきり言って採掘権を全部貰っても釣り合わないくらいさ」
無論ノブリスに死者へ対する哀悼の気持ちや、残された家族に対する補償を行う責任感など欠片も無い。しかし、そうした建前が相手からより多くの譲歩を引き出せる事を彼は熟知していたし、慈悲深く見える行動が信用として更なる利益につながる事も理解していた。
「ですがゴルドンさん、それでは設備が復旧するまで利益の回収が難しいのではないですか?大切な社員に多大な損失を被った御社ですから、再建も容易な事ではないでしょう。採掘権を獲得しても掘り出せなければただの荒れ地です」
そう口をはさんだのはもう一人の当事者、クーデリア・藍那・バーンスタインだった。
「確かにそれまでは懐が痛む事になるね。だが見舞金を送り付けてはいさようならでは如何にも薄情というやつじゃないか。だとしたら今は損でもいずれ彼らを養い続けられる稼ぎ口を確保しておきたいと思うのが普通だろう?」
「成程、ですがその為に損害を全てドノミコルスさんへ押し付けるのは違うのではありませんか?今回の一件は誰にでも起き得た事故です」
「そうだね、痛ましい事故だ。だが彼の部下が起こした事故であることは確かで、それによって我が社の人間が犠牲になった事も動かしようのない事実だ。ならばその上司に責任の所在を求める事は何らおかしな事ではないと私は思うがね」
「責任を問うなとは言っておりません。責任だからと全ての損失を押し付けるのが正しくないと申しているのです。そもそも遺族の方を養うと仰いましたが、雇用契約はどのようになっていたのですか?雇用期間以上の費用を負担する事が健全だとは私には思えませんし、更にそれを理由にそれ以上の資産価値を要求する事も正しいとは思えません。今回の一件ではJPTトラストでも多くの方が亡くなっています。彼らの遺族を困窮させるのは同じ経営者として余りにも薄情なのではないですか?」
畳みかけるように問いかけてくるクーデリアを見てノブリスは一瞬表情を強張らせるが、直ぐに元の飄々とした顔に戻ると口を開いた。
「ふっふ、そこまで言われてはしょうがないね。クーデリア君には腹案があるのだろう?聞こうじゃないか」
その言葉にクーデリアがジャスレイに向けて視線を送る。彼が無言で頷くのを見て、彼女は腹案を提示した。
「今回の設備損壊及び装備の破損についてはJPTトラストに補填して頂きます。また亡くなった方の遺族に対する養育費を雇用者の契約期間分の支払いをお願いします。これを受け入れて頂ける場合、支払期間中マーズ・マイニング社からのハーフメタル買取価格を10%上乗せさせて頂きます。そしてその分の補填を我が社はJPTトラストに要求したいと考えております」
その言葉にジャスレイは驚くように目を見開き、ノブリスは愉快そうに笑う。
「随分と慎ましい要求じゃないか。それだと君の会社は何も得られていない」
ノブリスの言葉にクーデリアが応じる。
「私は弱者救済の為にこの会社を立ち上げました。理想だけでは誰も救えないからです」
「……」
「けれど理想を忘れたわけでも、捨てたわけでもありません。困窮する方が一人でも減る事こそが我が社にとって最大の利益です」
挑みかかる様な笑顔でそう告げるクーデリアに、ノブリスは笑みを浮かべたまま頷いた。
「緊張しました」
会合を終えて自社へと戻る車の中で、クーデリアはそう言って大きく息を吐き出した。
「お疲れ様。でも上手くいったんじゃない?ジャスレイさん随分機嫌良さそうだったし。ノブリスさんの方はピリピリしてたけど」
護衛として隣に座っているミカヅキがそう口にした。
「ええ、我が社としては成功ですね。ノブリス氏の独占を阻止できましたから」
JPTトラストの社員を困窮させない。それはクーデリアの紛れもない本心であったが、会合での発言が全てそれだけに即したものでなかった事も事実だ。既に採掘場の50%近くを獲得しているマーズ・マイニング社が更にJPTトラストが保有している採掘権の30%を獲得した場合、火星におけるハーフメタル採掘の大半を押さえられてしまう事になる。そうなれば彼の望むようにハーフメタルは価格操作を受ける事になる。それはハーフメタルの加工事業を手掛けているアドモス商会にとって看過出来るものではなかった。
「難しいですね」
そう言ってクーデリアはミカヅキの肩に頭を預けた。地球での経験以降、彼女はあまり正しいや正義という言葉を口にしなくなった。それは彼女にとっての正義が他者にとっても同様ではないという事に気付いたという事もあるが、何よりも弱者を救いたいという自らの我儘で、誰かに不利益を与えている事も自覚しているからだ。無論それらは彼女からしてみれば不誠実に見える利益であったとしても、それを妨害する自らが彼らにとっての悪であるという事が理解出来てしまうからに他ならない。結果彼女の心は急速に摩耗している。
「でもクーデリアは続けてる」
革命の乙女と持て囃され、会社のトップとして職務をこなす彼女にとって、ミカヅキとの逢瀬は数少ない平穏で、誰かに甘える事の出来る時間だ。当初は彼の恋人であるアトラへの後ろめたさがあったのだが、彼女からお墨付きをもらった事で、もう一人の恋人としてミカヅキとの関係を構築している。優しい声音でそう口にしながら頭を撫でてくれるミカヅキに対し、クーデリアは目を閉じて彼の大きな手の感触に集中する。こちらを労わる様に優しく続けられるそれに、気持ちが落ち着いていくのと同時、彼女は強い睡魔に襲われた。
「いいよ、着いたら起こすから」
愛しい男にそう言われ、彼女は惜しみつつも意識を手放した。
呑気にトマトへ水をやりながら、俺は視線だけで同じように畑仕事をしているアトラ嬢を見た。基本的に演習場の整備は希望者がやることになっている。大体はアルトランド兄弟とミカヅキ、それからアストンとデルマ辺りだ。5番隊の子供組も手伝う事はあるが、畑の世話まではさせていない。
「マさん。水、このくらいでいいですか?」
アトラ嬢はかなりの頻度で整備に顔を出す。ミカヅキと一緒の作業をしたいというのもあるのだろうが、同時にいずれ農業をやりたがっているミカヅキを助けられるように知識を蓄えているようだ。事実今日の様にミカヅキが業務で参加できない場合でも積極的に顔を出している。
「ああ、トマトは水をやり過ぎてもいかんからな、その位でいいだろう」
あまりあげすぎると水っぽいトマトになってしまうからな。俺の返事に頷いて作業に戻ったが、見続けていたのが悪かったのだろう。視線に気付いたアトラ嬢が首を傾げながら聞いてきた。
「どうかしましたか?」
「いや、付いていきたかったのではなかったのかと思ってね」
鉄華団解散後、ミカヅキとアトラ嬢はCGSの社宅で二人暮らしを始めた。それについてとやかく言える権利は無いが、取敢えず母体の安全性の問題からそれなりの指導だけはしておいた。そんな彼女の思い人は、現在もう一人の恋人の護衛でクリュセに居る。正直あれだけ執着しているのだから、目の届かない所で二人きりなど気分の良いものではないだろうと考えてしまったのだ。ぶっちゃけ、クーデリア嬢と交際を認める発言の時点で大分驚かされてはいるが。
「私も行くとクーデリアさんが寛げませんから」
そう言ってアトラ嬢は苦笑する。なんでもクーデリア嬢はアトラ嬢からミカヅキを取っている気分になって、3人で居ると罪悪感から遠慮してしまうそうだ。なんだかなぁ。
「正直に言えばそこまでアトラ嬢が譲ってやることは無いと思うのだが」
不用意な発言を俺は直後に後悔する事になる。
「私はミカヅキが好きですけど、クーデリアさんにはミカヅキが必要ですから」
アトラ嬢に言わせれば、クーデリア嬢は昔の店で見た余裕をなくしたお姉さん達と酷く雰囲気が似ているそうだ。一見タフで強そうなタイプ程こうなった時は危なくて、ある日唐突に居なくなるならまだ良い方、最悪部屋で天井からぶら下がっていたなんて事もあるそうだ。
「私クーデリアさんの事も嫌いじゃないですし、それに会社にとっても大事な人じゃないですか」
確かにアドモス商会との取引はCGSにとってサルベージ業に次いで大きな収入源になっている。とは言え比率からすれば全体の数%であって、関係悪化が致命的と言う訳でもない。ついでに言えば良好な関係であるに越したことは無いが、向こうとしても付き合いが深い暴力組織などウチくらいのものだから関係が悪化しても簡単に切ることが出来ない間柄だ。冷たい言い方をすればアトラ嬢に何らかの我慢を強いてまで良好な関係を築き続けるほどの関係では無い。けれど彼女はそう考えない。いや、考えられないと言うべきか。彼女を含め元浮浪児であった彼らは我儘を言う事がとても危険な行為であると認識している。そして生きる事に精一杯だった故に少しでも物的報酬が増えるならば、見合わない精神的負担を平然と受け入れてしまうようになっていた。ここに情操や倫理に関する教育の欠落が加われば、社の利益の為に好きな男が別の女と逢瀬する事を我慢できる少女の出来上がりと言う訳だ。胸糞悪い事この上ない。
「あ、それにこれって私の為でもあるんですよ!」
俺の表情に何かを察したのだろう、アトラ嬢が明るい声音で告げてくる。
「ミカヅキって戦う理由は沢山あるけど、帰ってくる理由が全然ないじゃないですか。…赤ちゃんは止められちゃいましたし。だから少しでも沢山ミカヅキが帰ってこなきゃいけない理由が必要だと思ったんです」
その言葉を聞いて、俺ははっきりと溜息を吐いてしまった。幼少期の食生活のせいだろうか、アトラ嬢は年齢の割には発育が悪い。そっち方面に関して俺は素人であるが、未成熟な体での出産が危険な事くらいの知識はある。だから少なくとも現状では彼女の妊娠を許可することは出来ない。そして彼女は俺達が絶対に許可しない事を理解したからこそ、子供の代わりになる存在を望んだのだろう。
「この間、ラフタさん達を迎えに来たタービンさんが言ってたんですよね、男も女も最後に帰る場所は家族の所だって。家族が沢山いたら、多分ミカヅキも帰らなきゃって思ってくれるんじゃないかなって。だから、これはミカヅキに帰ってきて欲しい私の為でもあるんです」
そう笑う彼女に、俺は返すべき言葉が見つからなかった。
アトラちゃんのお気持ち表明回