「以前からそうじゃないかなとは思ってましたけど、相談役って鬼ですよね。僕、ギャラルホルンに追われる身ですよ?それなのに地球行きに付き合えとか」
「船から降りなければそうそう見つかるものでもないだろう。第一本社でも何時も引き篭もっているんだ。大した違いではあるまい」
フレデリックは抗議したものの相手はまともに取り合ってくれなかった。他者ならば追加で嫌味の一つも口にするのだが、フレデリックは沈黙を選ぶ。何しろ相手は大事なパトロンだからだ。
「それで、知らせたい事と言うのは例の件かな?」
「ええ、取り敢えず試作一号が出来たので報告をと。ただ、実際に使うまで保証が出来ません」
阿頼耶識システムの研究者である彼に相談役が最初に依頼したことが、施術に失敗した者たちの治療だった。正直に言えばあまり関心の無い要求であったが、研究環境の継続的確保を望んだ彼はそれを実施する。幸いにしてサンプルは幾らでも居たし、比較対象となる成功例にも事欠かなかったため、研究の進捗は順調だった。
「それにしても酷いものです。よくもまあこんなものがまかり通っていましたね?」
そう言って彼は、施術用のナノマシン注入器を弄ぶ。それを見ていた相談役も困った顔で同意する。
「確かにな。だが仕方あるまい。ナノマシンを解析する技術も設備も持ち合わせていない者が殆どだ、中身の精査などしたくても出来まいよ」
阿頼耶識システムの施術は法的には罰則が設けられていないものの、社会的倫理観において悪しきものだとされている。そのため全ての施術用ナノマシンは裏社会で生産流通しているのだが、これには根本的な概念が欠落していた。即ち、品質である。何しろ流通させている側ですら機材の質がピンキリであるし、知識だって差が激しい。中には生産設備だけを延々受け継いで流しているような、全く知識のない者までいる始末だ。
「施術の失敗は被術者の適合失敗や施術自体の杜撰さに起因するものではなく、そもそも注入しているナノマシン側に問題があるなど想像もしなかっただろうね」
「中には半分以上ただの水で薄められているのまでありましたからね。よく今までばれなかったなと」
「捌く側も買う側もロット管理なんて真似はしていないからね。それこそ何処から買ったものに粗悪品が交ざっているかも把握できない状況だ。特定のしようがなかったのだろうさ」
その言葉にフレデリックは溜息と共にタブレットを取りだす。
「ビルス君をはじめ、所謂施術失敗者に注入されていたナノマシンは全て同一のものでした。これは端的に言えば、コネクタへの生体信号の伝達並びに切り替えを行うナノマシンが只管増えるだけと言う、とんでもない粗悪品です。こんなもの打ち込まれたらどんな人間でも同じ状態になりますよ」
「そんなものが全体の4割近くを占めているというのだからな。まあ、今後は多少減るだろうさ」
「減らした張本人の言葉は重みが違いますねぇ」
研究用のナノマシン精製機などをフレデリックが欲した結果、相談役はサルベージのついでにこうした粗悪品を流している業者を特定、生産拠点の襲撃を繰り返した。このためCGS本社の地下にはギャラルホルンも真っ青というレベルのナノマシンプラントが出来上がっている。
「一応、脊椎動物での試験は成功しました、けれど人体では誰かが試さないかぎり確実な保証にはなりません」
「だろうな。彼なのだろう?志願者は」
念を押すフレデリックに悟った顔で相談役が応じる。彼は素直に首肯し告げる。
「はい。ビルス君は失敗者の中でも健康状態が良く、施術の負担に最も耐えられる可能性が高い。率直に申し上げて彼が適任でしょう」
タブレットの画面をスライドし、フレデリックは続ける。
「施術自体は単純です。本来あるべき制御用を含む正規のナノマシンを追加で注入、異常化した状態を修正させます。ただ」
「ただ?」
「おそらくこのナノマシンもオリジナルとは異なります。僕の家で保管されていたデータによればナノマシンの定着に年齢制限はありませんでしたし、何よりMSの操縦負荷程度で人体に悪影響が出るなんておかしいんですよ」
大戦初期に起きた知識層の大量喪失により、あらゆる工業、軍事関連が阿頼耶識システムに依存することとなった。当然その中にはMSの操縦を遥かに超える負荷の職業もあったが、問題なく運用されていたのだ。
「事実我が社で確保している製造システムは既存の施術成功者でも廃人にしてしまう訳だからな。となると、オリジナルはもっと高負荷に耐えられるものだったと言うのが自然だな」
「ただ、それが何だったのかが解りません。プログラムもさっぱり消えていますから正直お手上げです」
「…案外、単純だったりしないだろうか?」
そう肩を竦めるフレデリックに、顎へ手を当て考え込んだ相談役が突然そう呟いた。
「へ?」
「要は人間の脳みそで直接処理している情報が多いから負担が大きい訳だろう?ならば情報量を減らしてやればいい」
「え?いや?どうやって?」
「専門外だから具体的にはどうするとは言えないが、例えばそうだな。コンピューターのOSのように、動作の際に発生する情報を監視隠蔽して解りやすく纏めたものだけをパイロットへ送るとか、あるいは補助輪を設けるとかか?」
「補助輪?」
「例えば阿頼耶識では空間認識能力を高めるが、常時それを脳に伝達している訳だろう?激しく動き回る状況では当然大きな負担になるが、大部分は常時監視など必要ない情報だ。それを取捨選択して連絡するような、そうだな、補助脳とでも言うのか?そういうものがあれば――」
「それだぁ!!!」
相談役の思い付きにフレデリックは叫び、指さした。
「補助脳!そうですよ!なんで思いつかなかったんだ!?」
人体側で処理しきれないのであれば、処理できるように補ってやればよい。その思考は同じ結果であるとしても、被術者の負担を避ける事を優先する相談役の望みとは致命的に異なっていたが彼は気にしない。平然とその事実を隠蔽し、笑顔で相談役へ告げる。
「素晴らしい考えです。現行の施術者達の負担も間違いなく緩和される。相談役、これは一刻も早く実現すべき技術です!」
「少し落ち着け。それに研究するにしてもまずは現状の改善からだろう」
悠長な事を宣う相談役にフレデリックは苛立ちを覚えるが、それを笑顔で隠して同意する。
「そうでした、すみません。悪い癖だとは解っているんですが」
「いや、構わないよ。その向学心が人々の助けになるのだからね」
相談役の言葉に頷きつつ、フレデリックは研究室の扉をくぐる。既に処置用のベッドで待機していたビルスと脇で心配そうに彼を見ていたハッシュの二人が振り向いて声を掛けてきた。
「先生、それにマさん」
「ビルス。解っていると思うが、これは危険な行為だ。それでもいいのか?」
真剣な表情でそう問いながら、相談役はフレデリックに視線を送ってくる。その意味を理解したフレデリックは素直に答える。
「うん、本当に保証できるのは死なない事くらいだ。理論上は正常になるはずだし、動物実験も済ませてはいるが、それでも絶対とは言えない」
そう告げる大人たちにビルスは柔らかい笑顔で答えた。
「構いませんよ。可能性があるなら俺はそれに賭けてみたい。失敗したとしても失敗したっていうデータは取れるんでしょ?なら無駄にはならない。俺は誰かの役に立てる」
「ビルス」
心配した表情でハッシュが声を掛けるが、ビルスは笑いながら続ける。
「それに最悪このままだとしても、俺は俺のやり方で役に立てる。そう教えてもらったから」
「…そんな事の為に教えたわけじゃないんだがね」
そう言うと相談役は壁際に寄り、静かに立ち尽くす。これから起こる全てを見逃さないとでも言いたげな動きに、フレデリックは内心肩を竦める。
(そんなにビビらなくても平気さ。十分研究はさせてもらったからね)
「ではビルス。処置を始めるよ」
そう宣言し、フレデリックは自身がプログラミングを施したナノマシン入りのインジェクションガンを持つ。頷いたビルスはハッシュの助けを借りてうつ伏せになった。醜く腫れ上がったその背に、フレデリックは躊躇なくナノマシンを注入した。
「違和感はあるかい?」
「いえ、特に…。いえ、なんか、痒い。うわ、これ痒いです!?」
その反応にフレデリックは満足して頷く。
「ちゃんとナノマシンが動作している証拠だ。体に負担がない最大の速度で書き換えるとどうしても痒みが出る」
「ちなみに、速くするとどうなるんです?」
悶えるビルスを見ながらハッシュがそう聞いてくる。
「普通に激痛で悶絶する。最悪ショック死の可能性もあるからおすすめしないな。速度を落とせば痒みは多少マシになるが、書き換えまで年単位になってしまう。それはそれで拷問に近いから止めておいた方が無難だね」
「いや、先生!?これ、大分!!いつまで続くんですか!?」
「ビルス君くらい増えちゃってると大体1~2週間くらいかなぁ?」
「いちに!?」
フレデリックは実験の成功に満足しながら、薬棚から貼り薬と錠剤を取り出しハッシュへ渡す。
「時間と共に治まるだろうけど最低2~3日は今の痒みが続くはずだ。患部にこれを貼って、夜はこっちの睡眠剤を飲ませてやって。多めにストックしてあるけど、足りないようなら社長に言えば追加で買ってもらえるから」
素直に聞いて頷いていたハッシュが違和感に気付き疑問を口にする。
「あの、先生何処かへ行くんですか?」
「うん、ちょっと地球まで出張。そこの相談役の付き添いでね。ナノマシンの生産方法は覚えているよね?特に設定で弄る所はないから、このまま製造して他の子にも打ってあげて」
「え、いや、俺がするんですか!?」
驚くハッシュにフレデリックは不思議そうに応じる。
「だってウチで僕の次に阿頼耶識に詳しいのハッシュ君じゃん。君以外に任せる方が危ないと思うんだけど」
「いや、俺ただの事務員すよ!?」
そんな彼らの会話に助け船を出したのは相談役だった。
「すまないハッシュ。私からも頼む。今回の計画は長期かつ荒事前提だ。どうしても医者がいる」
するとハッシュは今までの狼狽が嘘のように顔を顰めつつも同意する。
「クベさんに頼まれたら断れないじゃないですか。いいですよ、やります、やればいいんでしょ?」
世の理不尽を感じるフレデリックだった。
読者のテンションを放り出して始まる日常回。