風の聖痕――電子の従者   作:陰陽師

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第十九話

天空より舞い降りる彼らの姿に、ある者は神を、ある者は天使を、ある者は悪魔を想像した。

圧倒的な力をその体から放つ。絶対的な強者の風格。膨大な数の風の精霊を従え、凄まじい力を宿した槍を持つ男。

綾乃はそれが大阪で見た和麻と同一人物には思えなかった。

あの時の和麻からはこれだけの力を感じ取る事が出来なかった。今の彼から感じる威圧感はそれこそ厳馬と同じかそれ以上にも感じた。

 

八神和麻とウィル子。

決して姿を見せず、裏より暗躍を繰り返してきた主従。

彼らが姿を現したのには理由があった。

 

(くそ忌々しいもんを見せやがって)

 

槍を握る和麻の手に力が篭る。彼は有体にいればキレていた。ここから五キロ手前の地点でヘリを降り、そのまま気配と姿を遮断し彼らは上空からこの戦いを見守っていた。

会話は全て聞いていた。状況もすべて把握していた。だからこそ、彼は怒りを込みあがらせたのだ。

別に兵衛が自分の名前を出した事に対して腹を立てているのではない。

ここまでお膳立てしてやったのに、神凪の方が一方的に敗北している事に腹を立てているのではない。

 

彼は思い出してしまったのだ。四年前のあの日、あの時の事を。

弱く、惨めで、情け無い自分を。神凪和麻と言う厳馬との戦いで決別したはずの存在の事を。

ボロボロになり、這い蹲り、何も出来ずにアーウィンが翠鈴を生贄に捧げたあの日の事を思い出してしまった。

愛しい少女がその存在を失う一部始終を、ただ見ているしか出来なかったあの時。

救い出すどころかたった一秒すら儀式を遅らせる事すら出来なかった、無力な神凪和麻と言う少年の姿を思い出してしまった。

 

美琴と綾乃と燎。

彼女達の姿があの日の自分と翠鈴の姿に重なってしまった。

妖魔に食い尽くされそうになる、生贄にされた少女。それを見ていることしか出来ず、無力に叫ぶだけしか出来ない少年と少女。

あの日の翠鈴と和麻の姿にあまりにも似ていた。記憶がフラッシュバックし、自分が許せなくなっていた。

 

気がつけば大量の風の精霊を召喚し、槍の力で増幅し、解き放っていた。

通常以上に浄化の力を増幅された風は、この周辺数キロの範囲を完全に浄化しつくした。

 

元々姿も見せる気はなかった。風牙衆がどうなろうが、神凪がどうなろうが知ったことではなかった。

共倒れしようが風牙衆が勝とうが、神凪が勝とうが関係なかった。

神凪が勝ちそうならば兵衛が殺されそうになった瞬間、彼を拉致してそのまま自分の手で殺そうと思っていた。

風牙衆が勝ったなら、そのまま姿を見せて圧倒的な力を見せつけ兵衛を殺すつもりだった。

誰にも見られず、見つけられずこのまま姿を見せずに終わらせるつもりだった。

だが出来なかった。

浄化の風を放ち、このまま兵衛だけを拉致して殺してもよかった。

 

だがそれだと気が治まらない。それだけだと納得できない。

もう別に神凪に姿を見せてもいい。力を見せてもいい。どの道、厳馬には力を知られているのだ。綾乃にも大阪で知られている。

秘匿しなければいけない情報だけを秘匿できればそれでいい。

浄化の風も別に構わない。こんなもの切り札でもなんでもないのだ。ただの手持ちカードの一つ。理由付けも忌々しい事だが、神凪宗家の血を引いているからだとかで十分に言いつくろえる。

 

顔を見られても、自分が生きていると知られたところで、すでに情報が出回っている事は知っている。

生存を隠していたのはアルマゲスト対策だったが、そのアルマゲストも殲滅したし、逆にヴェルンハルトをおびき寄せる餌にもなるだろうと考えた。

ゆえに和麻はウィル子と共に彼らの前に姿を現したのだ。

 

「か、神凪和麻!?」

 

兵衛は驚きの声を上げる。何故この場にこの男がいるのか。あの風はこの男が起こしたのか。あまりの事態に兵衛はパニックになっていた。

 

「……その名前で俺を呼ぶな。今の俺は八神和麻だ」

 

自らの名前を口に出す。偽名ではない、仙術の師である老師から譲り受けた名前。神凪に対して退かない、今の自分が誇る物の一つ。

彼をウィル子はゆっくりと大地に降り立つ。相対しただけで兵衛は全身から汗を吹き上がらせた。

 

兵衛も戦闘能力こそ低いものの一流と呼べる風術師である。さらに弱いからこそ、相手と自分の力量を測ることには長けている。長けていたつもりだったが……。

 

(な、なんじゃ、こやつの従えている風の精霊の数は!? それにこの力は何だ!? ワシがこれほどまでに震えている!? 怯えているじゃと!?)

 

脱兎のごとく、恥も外聞も無く悲鳴を上げながら逃げたいと兵衛は思った。

ありえない。ありえない! ありえない!!

この男から感じる威圧感は若かりし頃の厳馬や、全盛期の炎重悟にも匹敵するのではないか!? そう思えるほどの力を感じる。

 

兵衛の思考を他所に和麻はゆっくりと周囲を見渡す。全員生きているようだ。宗主も全身ボロボロだが死にはしないだろう。

ただかつて神凪一族内では一番世話になっている手前、今の痛々しい姿には多少憐憫の念が生まれた。

 

「おい、ウィル子。宗主に適当に薬でも渡しとけ」

「ま、マスターが他人を気遣うなんて!? これは明日は槍でも降りますかね」

「……こいつなら降らせてやってもいいが?」

 

和麻はウィル子に手に持った槍をこれ見よがしに見せる。本当にやりそうだから怖い。

 

「いえ、遠慮しておくのですよ。じゃあ渡してきますね」

「ああ。きちんと請求書はつけとけよ。相場の百倍くらいで」

「にひひひ、了解なのですよ」

 

ちゃっかり金を請求する辺り極悪と言うべきか、しっかりしていると言うべきか、それとも舐められないようにしたいだけか。

神凪に対して多少なりとも譲歩する、和麻の優しさと言うか甘さにウィル子は驚きを隠せないが、一応自分のマスターが借りはきっちり返す人間だと言う事を知っている。

かつて世話になった恩人には礼を尽くすくらいするだろうと、ウィル子は思った。そのまま彼女は自分達用に用意してきた幾つかの治療薬を手に、宗主の下へとやってきた。

 

「“お初”にお目にかかるのですよ、神凪重悟。ウィル子はマスターのパートナーのしがない妖精なのですよ」

 

一度以前にジグソウの一件で直接姿を見ているが、そんな事をおくびにも出さずにウィル子は重悟に挨拶を述べる。

 

「妖精……。和麻が風術師であるならば風の精霊の眷族であるピクシーの一種か?」

「まあそんなものだと思っておいてください」

 

自分の情報は一切渡さない。電子の精霊である事も、超愉快型極悪感染ウィルスであると言うことも。

大阪では綾乃に電脳アイドル妖精と言う自己紹介しかしていない。電脳と言う単語は出したが、あの状況で綾乃がどこまで覚えているか。

仮に覚えていたとしてもまさか電子精霊とは思わないだろう。そもそも電子の精霊などと言う概念も存在しない。和麻でさえウィル子の存在は初耳だったのだ。

 

「ええ、ではマスターからの薬です。七人分を一応渡しますので。効用は自己回復力の増進や血止めなどです。死ぬほどの怪我じゃない限りはこれを飲んでしばらく休んでいればある程度に回復します。ただし戦えるほどの体力は回復しません。あと激しく動いた場合、傷口がふさがっていても再度開きますので」

 

エリクサーのような死者さえも蘇らせるような、反則クラスのものではないのだ。飲んですぐ全回復と言う万能薬では決して無い。それでもこの薬はかなり貴重品だ。

 

「全部で一億円となりますので。あっ、ここに印鑑をお願いします。無ければ血判でもいいので」

 

どこからともなく取り出した紙を重悟に差し出す。重悟はそんなウィル子の場違いな雰囲気に緊張感を奪われていくような気がした。

 

「高い上に金を取るのか、あんたらは!?」

 

思わず綾乃が突っ込みを入れたが、そんな綾乃の姿を和麻もウィル子も一瞥した後、はぁっとため息をつく。

 

「アホか。こっちも慈善事業でやってるわけじゃないぞ。品物には対価を。商売の基本だろ」

「ついでに相手の足元を見るのも商売の基本ですよね、マスター」

「当然だ。稼げる時に稼ぐってのは世の中の常識だ」

 

と正論と言えば正論なのだが、どこかこの状況では暴論にも聞こえる。

重悟はそんな和麻の言葉と姿に微笑を浮かべる。綾乃あたりは金に汚いとか思うかもしれないが、彼はそう思わなかった。

自分が情で動いたと思われたくないのだろう。でなければ薬を出そうとはしない。仮に金を欲していた場合、いくら出す? と請求額を吊り上げようとするだろう。

それをしない事から、これは和麻自身が神凪に甘く見られないようにするためだと言う事だと気がついた。

 

「わかった。ウィル子殿、契約書にサインさせていただこう。印鑑は無いので血判にしていただきたい」

「にひひひ。毎度ありがとうございます。ではここにどうぞ」

 

自分の血で重悟は紙にサインをする。それを確認するとウィル子は重悟に薬を渡す。

 

「はいなのですよ。薬は使用上の注意をよく読んで飲んでくださいね。あと兵衛はマスターとウィル子が頂きますので」

 

そう言うとウィル子は再びふよふよと和麻の元まで飛んで戻ろうとする。

だが見れば、和麻が槍の矛先を美琴へと向けていた。

 

「えっ?」

 

美琴も驚きの声を上げている。

 

「み、美琴!?」

「ちょっと! あんた美琴に何をするつもり!?」

 

燎も綾乃も和麻の行動に驚きを隠せないでいる。

 

「お前らは黙ってろ。あとお前もじっとしてろ。じゃないと手元が狂う。久しぶりに使うんでこいつも拗ねてるんでな」

 

銀色の矛先に蒼い風が集まる。光り輝く風の螺旋。あまりにも幻想的な光景に槍先を向けられているにも関わらず美琴は見入ってしまった。

和麻は槍をほんの少しだけ美琴に向かい動かす。蒼い風が美琴の中に入り込み、直後彼女の背中から黒い影が噴出した。

 

「なっ!」

「あれってまさか妖気!?」

 

再び驚きの声を上げる燎と綾乃だったが、和麻は冷めた様な目で妖気を眺める。

 

「ったく。ずいぶんと深くまで侵食してくれてたな。最初の一撃で仕留めきれないとか、結構プライドが傷ついたぞ」

 

無手の状態ならばともかく、この槍を使った状態での浄化の力だ。はっきり言っていつもの数倍の威力を発揮している。なのに一撃で浄化しきれなかった。

それだけ美琴に侵食していた妖気が凄まじかったのか、はたまたよほど美琴の身体が妖気に適していたのか。

 

とにかく後腐れないように完全に、徹底的に、完膚なきまでたたき出した。風で調べてみたが、もう彼女の身体に妖気は残っていない。多少、普通の人間とは違うようだったが、それはさすがに風で元には戻せない。破壊するだけなら出来なくも無いが、下手に手を出せば死なせてしまいそうだったので、そちらには手を出していない。

 

「あ、あの……」

「……妖気は全部取り除いてやった」

 

短く言い放つと和麻はそのまま美琴に背を向けて彼女から離れる。和麻が離れた直後、綾乃と彼女に支えられた燎が美琴の傍にやってきて、無事で彼女を抱きしめながらよかったと涙を流している。

風でそんな彼らの姿を見ながら、和麻は思う。

もしあの時、自分の命を救ってくれた老師の到着が少しでも早ければ、自分も翠鈴を抱きしめて涙を流し喜んでいただろうか。

 

(いや、未練だな)

 

すべては力の無かった己の責任。翠鈴を守ると約束したのはほかならぬ自分自身。守れなかった責任を、罪を、他人に押し付け擦り付けていいはずも無い。

とにかく今は最高にイライラしていた。この怒りの捌け口は目の前にある。兵衛の顔を見ると思わず笑みが浮かぶ。残虐な笑みが、悪魔のような笑みが。

その表情を見れたのは兵衛のみ。残りは彼の後ろにいて、角度的に見ることは叶わなかった。

 

雅人も煉を連れて一時的に宗主の下へと戻っている。煉は和麻の登場で彼に何かを言いたそうであったが、雅人がそれを制止したようで小さく「兄様・・・・・」と呟いたきり、何も出来ないでいる。

 

「よう、兵衛。好き勝手してくれたな。いい夢は見れたか?」

 

和麻は兵衛に声をかける。どこまでも冷たく、どこまでも恐ろしい笑顔で彼は問いかける。

 

「な、なぜお前がここに?」

「ああっ? 決まってるだろ。お前を殺しに来たんだよ」

 

当然とばかりに言い放つ和麻に兵衛は驚愕する。

 

「な、んじゃと?」

 

この男が何を言っているのか、兵衛には理解できなかった。

 

「理解できないか? ああ、そうか。お前は俺達と違って状況を全然理解できていないもんな。いいぞ、最初から懇切丁寧に教えてやる」

 

和麻は今までの恐ろしい笑顔から、どこか慈悲深さすら感じさせられる笑顔にその表情を変化させた。

彼を知るものがいれば自分の目を疑うだろう。幻影だ、偽りだ、ありえないと自らの頭と視力に異常をきたしたのかと戦慄しただろう。

 

「さて。お前はどうして俺がここに来たと思う? お前ら風牙衆が神凪一族からの報復を恐れ、俺の事を利用しようとした報復として来たとか思ってるのか?」

 

混乱する頭を落ち着かせながら、兵衛は和麻の言葉の意味を考える。それ以外に参戦する理由が無い。

確かに命を狙われたのだ。この業界では報復する理由にはなる。

 

(いや、待て。そもそも何故我ら風牙衆がこやつを利用した事を知っている!?)

 

ふと思い浮かんだ疑問。そもそも和麻の名前を出したのはあの時、神凪一族と風牙衆が会した時のみ。久我透が漏らしたのか? 状況としてはそれしか考えられない。

 

「まあそれも間違いじゃないが、他にも理由はあるんだよ。と言うか、残念だったな。せっかく神凪があんなことになったのに、せっせと溜め込んでいた逃亡資金が何者かに奪われて」

「……。待て、貴様、今、なんと言った?」

 

聞き捨てなら無い台詞が和麻の口から漏れた。逃亡資金が奪われたとこの男は口にしなかったか?

それは風牙衆しか、それも自分とその取り巻きしか知らない情報のはずだ。

 

「それに京都に来るのにもクレジットカードが使えなくて、自家用車も公共機関もうまく使えずに自分達の足で来る羽目になっちまったな」

 

待て、待て、待て。何故その事をこの男が知っている?

 

「神凪の裏金も奪われて、それを報告も出来ず仕舞い。警視庁や他の組織から引き抜きの話が来てたけど、自分達が不正を暴いたんじゃないから簡単には乗れない」

 

和麻の言葉に兵衛は嫌な汗がさらに吹き上がる。自分の中で、最悪の答えが、考えが浮かんでしまう。

ありえない。そんな馬鹿な。そう思いながらも、まさかと思い和麻を睨む。

 

「き、貴様、まさか」

「ああ。そうだぞ。お前があの時、神凪一族に言った話はほとんど間違ってなかったんだよ。組織って所だけは違ったけど、それ以外は大正解だ」

 

和麻は兵衛に向かい全てを暴露する。

 

「神凪の不正を暴いたのも、神凪と風牙衆の裏金や逃亡資金を奪ったのも、ネットに情報を流したのも、お前達が京都に到着するのを遅らせるように細工したのも、全部俺だ」

「マスター。ウィル子の手柄もあるのですからそこは忘れないで欲しいのですよ」

 

文句を言いながら、ウィル子が和麻の隣までやってくる。

 

「ああ、そうだな。俺達だ。ついでに逃亡中のお前の取り巻きの三人も今頃神凪に拘束されているだろうよ。ただし頭クルクルパーだから、まともな対応は出来ないだろうよ」

 

そういう風にした張本人にも関わらず、和麻は悪びれもせずに言う。

 

「ついでに神凪の連中がここに来るように仕向けたのも俺達だ」

「な、な、なっ……」

 

あまりの事に兵衛は頭が回っていない。当たり前だ。ここまでの流れ全てが、この男によって仕組まれていたなどと信じられない。

 

「嘘じゃ、嘘じゃ! そのような事が信じられるか!? すべて、すべてお前達がしでかしたじゃと!?」

「にひひひ。信じられないのなら証拠をお聞かせしましょうか? 裏金の金額とか口座番号とか銀行の名前とか」

 

ウィル子はそう言うとカタカタとパソコンを操作しながら、歌うようにすらすらと兵衛しか知りえない情報を口にする。

さらにはパソコンで録音しておいた、神凪一族や兵衛達の話を盗聴した物を聞かせた。

あまりの事に兵衛は放心し、ガクリと膝をついた。

 

「な、何故ワシにこの話を?」

「ん? 決まってるだろ? 嫌いな相手にはとことん嫌がらせをするのが俺の信条だからな。まあ向かってこなけりゃ放っておくんだけど、お前は俺を怒らせた」

 

ゾクリと、兵衛だけではなくウィル子までもが悪寒を感じた。

 

「お前は人間を生贄にしようとした。俺はな、人間生贄にする奴が死ぬほど、殺したいほど嫌いなんだよ。だから人間生贄にする奴は死刑って決めてる。しかもお前は俺にとって激しく忌々しいものを見せてくれた。その礼もかねてだな。もうお前の切り札は何も無い。流也もいない。あの美琴って奴ももう戦えない。妖魔も風で封印に押し込めた。お前は終わりだよ、兵衛」

 

そんな言葉を聞き、兵衛は天を見上げた。全てを失い、放心したかのようだった。

その姿に和麻も中々溜飲を下げられた。これで後は殺すだけだ。

 

「……ふ、ふふふ、ふふふふふ、ふはははははっっ!」

 

いきなり兵衛は笑い出した。

 

「な、なんなのですか、いきなり?」

「壊れたか? まあ色々と暴露したし、別にこいつが壊れても構わないけど」

「ふ、ふふふ! 愚か者が! ワシを絶望させるためにその話をしてのだろうが、お前は墓穴を掘った! 今の会話は神凪の連中も聞いておる! 貴様がこれまで姿を見せなかったのは、自分の情報を知られぬためであろう!? じゃがお前は感情にかまけてワシの前に姿を現した! 貴様らがこれまで隠してきた情報、特に神凪と風牙衆の金を奪った事が知れ渡ったわけだ!」

 

兵衛は最後に一矢報いようと反撃を試みる。このまま殺されるのは我慢なら無い。少しでもこの憎らしい顔に後悔の念を浮かべさせたい。

 

だが……。

 

「ああ、それは無い」

 

和麻はきっぱりと否定した。

 

「そんな程度の事、俺が考え付かないとでも思ったのか? なんでワザワザ俺が姿を現した上に、神凪の連中に情報を渡さなきゃならん」

「そうですね。マスターとウィル子がそんなミスをするはずが無いではないですか」

「風術師は風を操るのはお前も良く知っているだろ。さてそもそも声、音ってのはなんだ? 突き詰めて言えば空気の振動を鼓膜がキャッチしてそれを脳に伝えるわけだが……」

「ま、まさか……」

「そう言う事。俺がこの周辺の風を操って音を操作してる。お前の声は、もちろん俺の声もだが神凪の連中には届いちゃいねぇよ」

「ば、馬鹿な! だ、だがそんなことをすればワシがこのように声を上げている姿を見て、聞こえないのを不審に思うはず!」

「それでしたら問題ないのですよ。神凪の方にはこの声を聞かせておりますので」

 

ウィル子はピッとパソコンを操作する。

 

『兵衛。お前は俺を怒らせた』

『抜かせ! ワシは絶対に諦めんぞ!』

 

などと和麻と兵衛の声が流れてくる。

 

「な、なんじゃそれは……」

「にひひひ。ウィル子が予め作っておいたマスターと兵衛の会話の音声です。それを今までマスターが風に乗せて届かせていたので、神凪の連中は不審には思ってないのですよ」

 

これはこんな時のためにウィル子と和麻が用意していたものだ。兵衛の声を解析し、彼と同じ声が流れるようにした。簡単に言えば高性能の変声機のようなものだ。

某街の科学者が超高性能でどんな声でも出せてしまう変声機を作って、それを身体が小さくなってしまった少年探偵に渡せるのだ。ウィル子が作り出せないはずが無い。

 

会話も様々な物を用意して、状況に合わせて流すようにしている。

微妙に会話の中には熱血和麻やクール和麻と言った、ウィル子の遊びの声も入っているが、それはまだ流していない。

他にも兵衛が神凪一族を罵倒する声や、ワシは悪くない! 全ては神凪が悪いとか、全然反省していないような声が流れてくる。

 

「ちなみに向こうの会話にもばっちりウィル子が対応しており、向こうの誰かが声を発したらそれに伴いこちらでも会話を調整しております」

 

兵衛のリアクションや唇の動きで、内容が伴っていないようにも感じられるかもしれないが、一々この状況ではそんなもの気にしない。特に唇の動きなど重悟くらいしか読めないだろうし、ウィル子も状況に合わせて受け答えを変えているので疑問に思うことも少ないだろう。

 

「よかったな、兵衛。お前が知りたかった事は全部知れたんだ。これで心置きなく死ねるだろ? ああ、なんだったら他に聞きたい事があれば聞いておいてやる」

 

槍を兵衛に向けながら、和麻はそんなことを言う。

 

「無かったら殺すぞ。本当ならこいつを使うまでも無いんだけど、ここ数ヶ月放置してたから機嫌が悪いんだよ。だから今日は使ってやらないと」

「せっかく某所から貰ってきたのに、マスターは全然使いませんでしたからね」

「使う必要も無かっただろ。けどお前も悪いだろ。元々こいつは体内に仕舞えたのに、お前が辺に改造するから……」

「なっ! マスターだってお古は嫌だし、バレると面倒だから作り直せって言ったではないですか!」

 

やんややんやと二人は言い合う。兵衛は思う。こいつらは本当に状況を理解しているのだろうか? と言うよりも自分はこんな連中に手のひらの上で踊らされていたのだろうか。

 

「ん? ああ、これか? 冥土の土産に教えておいてやろうか、こいつが何なのか」

 

これ以上聞きたくないと思いつつも、これだけの力を放つ武具に興味がわかないはずも無かった。

まるで噂に聞く、香港の最高の風術師の一族である凰一族が保有する風の神器である虚空閃のような……。

 

「虚空閃」

「………はぁっ!?」

 

思わず兵衛は変な声を出してしまった。和麻は何と言った? 虚空閃と言わなかったか。

 

「だから虚空閃だよ、虚空閃。お前も名前ぐらいは聞いた事があるだろ? 香港の凰一族が持ってた風の神器だ」

「マスター。もうかつての虚空閃では無いのですよ。ウィル子が01分解能で再構築しなおした虚空閃・改なのですよ」

「いや、一々『改』をつけるのも呼びにくいだろ?」

「だったら名前を変えればいいじゃないですか」

「それこそ厨二病みたくて嫌なんだよ、俺は」

 

ぼやく和麻にウィル子はあきれ果てる。

和麻が持っている槍。それは神凪が所有する精霊王より賜ったとされる神器・炎雷覇と同じく風の精霊王が与えたとされる風の神器であった。

これは長い年月、香港の風術師の一族である凰一族が保有していたものである。断じて和麻が持っていていいものではない。

 

いや、風の精霊王と契約した和麻が持つ資格は十分にあると言うか、本来なら彼が持つべき物だが、そんなことを凰一族に言っても納得しないだろう。

それに和麻も自分が契約者であると言いふらすつもりも無かったし、欲しいとも思っていなかった。

 

では何故この槍が和麻の手にあるのか?

それは数ヶ月前の話である。

和麻は中国のある場所に、アルマゲストの残党が逃げ込んだと言う情報を得てそこに向かった。

ヴェルンハルトではなかったが、取りこぼした序列百位以内の残りだったので和麻は早急に始末しにかかった。

 

中国はあまり行きたくない場所ではあった。香港では翠鈴と出会い、失った地でもある。他にも中国には師や兄弟子がいるため、出来る限り戻りたくなかった。

 

しかしアルマゲストがいるのなら向かわないわけにはいかない。細心の注意を払い、和麻は中国に戻り、アルマゲストを殲滅。そのままアメリカかヨーロッパ、はたまたオーストラリアにでも行こうかと考えた。

 

そんな折、偶然、上級妖魔との戦いを繰り広げる術者の一団と遭遇してしまった。何でも中国に三千年生きた吸血鬼がいたらしく、しかもそいつが中国の共産党幹部の娘を嫁にするとかで攫おうとしたらしい。

 

それを阻止するために、十人以上の術者が集められた。その中に凰一族の当主であり、虚空閃の継承者の男もいた。

 

和麻はこれに巻き込まれる形になった。丁度アルマゲストが潜伏していた場所がその吸血鬼の住処の近くであり、自分を討伐に来たのだと勘違いした吸血鬼に襲われた。

 

さすがに和麻でもこれには手を焼いた。ウィル子を守りながらでもあり、状況は不利だった。

そんな中、先に情報収集に赴いていた凰家の当主が、不幸に二人の戦いに巻き込まれてしまった。幸い戦いの衝撃で気を失っただけだったのだが、虚空閃を手に持っていたため和麻は使えると思い強奪。ウィル子の尊い犠牲(主に血を吸われただけだが)で、勝利を収めた。

 

何でも実体化したウィル子の血は病原菌(ウィルス)のようで、毒性も強く吸血鬼は逆に吐き出し、魔力も急激に消耗した。

こうなればあとは和麻が有利であった。心置きなくフルボッコにした。

 

「……虚空閃か。使えるな」

 

と、和麻はこの槍をそのまま手元に置く事にした。しかしさすがに凰一族から強奪したのがバレたら不味い。いや、無くなった時点で奪われたと騒がれるだろう。

ならばどうすればいい? 代わりのものを置いていけばいいじゃないか、と和麻はすぐさまウィル子に01分解能でレプリカを作らせた。

 

しかしレプリカと言ってもただのレプリカではない。風の属性を持ち、虚空閃と寸分たがわぬ作り。材質はオリハルコンでこしらえ、さらには風の精霊達から力を貰い受け、内部に内包する事で虚空閃と変わらぬ槍を作り上げた。刀身も重量配分も、ウィル子が計算し最適な切れ味、重さなどを実現した。

難点を言えば、これはオリハルコンで作っているため、体内に宿す事が出来ないという点であるのと、やはり神器に比べれば幾分か性能が落ちてしまうことだ。

 

それでもオリハルコン製の武器はこの地上で何よりも強度がある。そもそもオリハルコン自体神が創ったとされる鉱物だ。オリハルコン製の武器など、この世にどれだけ存在することか。

さらに凰一族は虚空閃を使いこなせていなかった。はっきり言って宝の持ち腐れである。

ウィル子が作った武器は神器ほど扱いにくく無いために、今までの虚空閃と同じような力を発揮する。

つまりオリハルコン製になったことで、より強度と威力が上がった。風を纏い、自分の気も神器に伝えやすくなった。

 

「これだけの武器と交換だ。凰一族も泣いて喜ぶだろうよ」

 

そのまま交換して自分達の痕跡を消して、その場を後にした。もちろん記憶操作も忘れない。証拠はあるが、騒ぎ立てにくいだろう。

下手に騒げば凰一族の沽券に関わるし、どの道和麻を見つけ出す事は出来ないのだ。レプリカ虚空閃も手元に残っているし、体内に宿せないのと意思が宿っていない以外の弊害ははっきり言って無いのだから。

 

「はぁ……。ウィル子としてはこの武器をマスターに使って欲しかったのですが」

 

丹精込めて作った武器を交換用に出されたのが少し納得いかないウィル子だったが、すぐに和麻がこのままだと虚空閃だとすぐバレるので作り直せと無茶を言い出した。

 

「大丈夫だ。精霊王には許可を貰ってる」

 

じゃあ精霊王が作り直したり、新しく貰えばいいんじゃないかと思わなくも無かったが、マスターの頼みは断れない。

だからこそ、レプリカ虚空閃を作るよりもさらに全身全霊をかけて作り直した。

作り直したのはよかったのだが、材質をまたオリハルコンにしてしまったため、今度は和麻の体内に宿せなくなってしまった。

しかしオリハルコンにした方が色々な面で都合がよかったのと、他にも効果が高かったので、これだけは外せなかった。

こうして作り直された虚空閃は和麻の手に渡る事になった。

 

「まっ、ここ数ヶ月使う必要性が無かったから、全然手にとってやらなかったからな」

 

虚空閃には意思が宿っている。人間のような明確にして個と言えるような物ではないが、確かにそこには意思があった。

ウィル子や和麻はその意思と共感する事が出来る。虚空閃を作り直す際、彼らはそれに触れ、同意を得てから行ったのだ。

と言っても体内に取り込めないからと、何ヶ月も放置されていればへそを曲げても仕方が無い。

 

また和麻がこの槍を厳馬との戦いの際に使用しなかったのは、あくまで自分自身の力だけで、対等に近い条件で戦いたかったからだ。

尤も、炎と風と言うあまりにもかけ離れた条件での戦いだったが、和麻はあくまで無手にこだわった。これは過去との決別の意味も込められていたからだ。

 

ちなみに流也の時は、すぐに出せるところに置いてなかったからだ。一応、持ち運びがしやすいように今それ専用のアイテムを手に入れて、もうすぐ手元におけるという時にあの襲撃であった。

そもそも和麻自身の力が強すぎて、虚空閃を使う必要性が無いと言うのも問題だろう。

 

「さて、そろそろいいな、兵衛。もう死んどけ」

 

音速を超える風が槍から放たれ、兵衛の胸を貫いた。

 

 

 


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