9月20日。学校が終わっての放課後、ここは鮫島の土手だ。
「たあっ!」
茶髪の少女――千枝はトントンッとステップを踏みつつ回転、勢いを込めた左足での蹴りを目の前にいた相手に放つ。
「っと!」
が、その相手――真は手に持っている丈夫な木の枝――そこら辺で拾った木刀代わりだ――で右へと受け流す。
「甘いな」
「わっ!?」
さらに真は右腕と右脇で挟み込むように千枝の足を取り、彼女の動きを封じると左手一本で木の枝を振り上げ、動けなくなった千枝目掛けて振り下ろそうとする。
「甘いのはっ――」
が、千枝はもう片方の足で地面を蹴ると、なんと真に押さえられている足を支えにして宙に浮かぶ。
「――そっちっ!!」
「ぐふっ!?」
予想だにしない反撃に面食らってしまった真は胸に千枝の蹴りをくらってしまい、膝をつくと苦しそうに咳き込む。その頭のすぐ横にビシュッと風を切るような音が聞こえた。
「あたしの勝ち! だよね?」
千枝は真の頭のすぐ横に回し蹴りを寸止めしつつ、にかっと笑いながら真に尋ねる。
「……ああ。参った」
その言葉に対し、真は木の枝を投げ捨てて敗北を認めるのであった。真は放課後、千枝の特訓に付き合う中で組手を行っていたわけだ。と言っても真は木の枝とはいえ刀を使う事を想定しての実戦形式であったのだが。
「んじゃ約束通り。特訓の後のご飯は椎宮君の奢りってことで! よろしく!」
「ああ、約束は守る」
千枝はにかっという笑顔のままそう言い、真もこくりと頷いて返した。その後特訓というか組手を終えた二人は稲羽商店街の中華料理屋である愛家にやってきていた。しかし千枝はその店頭に貼られているメニューの書かれたポスターを見ながら「うーん」と唸っている。
「肉丼か定食……まさに究極の選択……」
そう呟く千枝。流石に真の奢りとはいえ二品も頼むのは自重しているようだ。
「や、やめろよぉ!……」
そんな時、突然そんな声が聞こえてくる。
「デカイ声出すんじゃねーよ」
「そうそう。出すならさぁ、他のもん出して欲しいんだよね。何? こんだけ? ちょっと飛んでみ?」
さらにドスの効いた声など、明らかに穏やかではない声が聞こえてくる。
「こ、これって、まさか……」
千枝の声に焦りが混じる。以前千枝と共に今回のように特訓の帰りに食事をしようとしていた時、不意に通りがかりの警察から聞かされた――というよりは高校生に対して注意を呼び掛けていた方が近いが――最近多発している恐喝の現場かもしれない。
「椎宮君、行ってみよ!」
「ああ」
千枝の言葉に真も頷き、二人は声の聞こえてきた路地裏へと走り込んだ。
「た、剛史!?……」
その先にいたのはやはりというか三人の男子に取り囲まれている一人の男子。彼は以前、やはり千枝と特訓をしていた時に偶然出会った、彼女の中学時代のクラスメイトこと河野剛史だ。千枝は絡まれているのが自分の知り合いだという事に驚いている。
「あーあー、人来ちった」
「いーじゃん、あいつらからも小遣いもらえばさー」
「こいつ、千円しか持ってねーしなー」
恐喝をしていた男子の一人がつまんなそうに呟くと、リーダー格らしい少年が真達からも金を奪えばいいと笑い、それにもう一人の少年が千円札をヒラヒラさせながら剛史を馬鹿にする。
「ち、千枝ー!」
と、その隙をついた剛史は悲鳴のような泣き声のような声を上げて千枝の背後に回り込んだ。
「あ、コラ!」
「なぁに逃げてんだよ」
「しかも、女のケツに隠れちゃってさぁ」
男子三人が剛史を威圧するが、千枝は構えたまま剛史にちらりと目をやる。
「どっかケガは?」
「へ、へーき……」
千枝の確認に剛史は平気だと返した後、「有り金を全部取られた、千枝はこういうの得意だよな。こういうの許せないよな」と場を千枝に任せようとする。
「まー、ムカつくけどね!! ねえ、アンタらさ、ヒキョーなんだよ! 寄ってたかって……恥を知りなさい!!」
千枝はびしっと指差しながら男子三人を一喝。
「じゃ、じゃあ任せたから!」
その隙に剛史はその場を逃げ出した。
「え、ちょ、早ッ!……ったく!」
千枝は逃げ足早い剛史に呆れた後、トントンッとステップを踏み始める。
「ほら、どしたの? やんなら、かかってきなよ!」
「ハァ?なんだ……この女」
「女がチョーシ乗りやがってよ……」
「女でも、ヤってやんぞ、アアン!?」
千枝の挑発に男子が怒りだす。どうにもよくない状況だ。
「……」
と、真が千枝の前に腕を差し出して彼女を静止させる。
「やるなら……俺が相手だ」
「えっ……椎宮君が?」
真の言葉に千枝は不満そうな顔を見せる。
「面倒くせー……」
「おい、さっきのヤツ、サツとか連れてきそうじゃね?」
「あーあ、つまんね。行こうぜ」
男子三人はそう言って去っていく。
「あ、ちょ、ちょっと! 待てコラ!!……何よ……椎宮君が出てきたとたん、逃げてさ」
千枝は自分ではなく真を見て相手が逃げ出したのを見て複雑な様子を見せた後、真を睨む。
「さっき……何で余計なことしたの? あたし、そんなに頼りない!? 一人で平気だったよ! あたしさっき、椎宮君に勝ったじゃん!」
自分がそんなに頼りないのか、と怒る千枝。しかし叫んだ後クールダウンしたのか彼女はしゅんとなる。
「……ごめん。何か、一人で突っ走って……椎宮君にも、メーワクかけて……」
「迷惑じゃない」
「ん……ありがと」
千枝の言葉に対し迷惑じゃないと返す真。その言葉を受けた千枝はお礼を返しつつもどこか申し訳なさそうな様子を見せていた。
「そうだよね、あたし、一人じゃないのに……いつも、そう」
千枝は一人呟き、苦笑する「真や陽介、雪子。仲間がいて皆で頑張っているのに、それでも自分がやらなきゃいけない。自分がもっと頑張らないといけないと焦ってしまう」と彼女は語る。
「それでいつか、今日みたいにメーワクかけちゃったりするのかな……はは……バカすぎる」
千枝はそう呟き、自嘲。ふぅ~、と小さく、しかし長くため息をつくとパンッと自分の頬を両手で叩いた。
「椎宮君……ありがと……その」
千枝は自分の至らぬところを反省した後、真にお礼を言い、次にやや気恥ずかしげな様子を見せる。が、少しするとにぱっといつもの元気な微笑みを見せた。
「なんでもない! ね、もう帰ろ」
「食事はいいのか? 奢る約束だが」
「いーのいーの! なんでもっと頑張んなきゃって焦るのか、家に帰ってよく考えてみるよ……あんま頭良くないから、不安だけどね!」
千枝はそう言い、おどけたように笑う。
「……分かった。奢りはまた今度に」
「うん。楽しみにしてる」
二人はそう話してその場を切り上げ、真は千枝を家まで送ってから帰路につく。だが特訓やら恐喝現場での騒ぎやらで時間を取ったのか、既に日は暮れ始めていた。
「……あれ?」
と、商店街を歩いていた真の耳にそんな聞き覚えのある声が聞こえ、真は声の方を見ると「あっ」と声を出す。
「足立さん」
「奇遇だねえ、君かあ。こんな時間にどしたの? 最近は物騒だから早く帰りなよ」
声の相手――足立はそう言い、「まあ事件は解決したんだけど」とへらへら笑う。
「足立さんも、仕事帰りですか?」
「あー、まあね。早く上がれたからさ、たまには何か作ろうと思ったんだけど、メンドくさくなっちゃって。惣菜でも買って帰ろっかなってとこ?」
真の質問に足立は答え、真も暇だからと彼の目的地である惣菜大学までついていく。が、店は既にシャッターを閉めており、閉店の様子を見せていた。
「あー……やっぱりね。田舎の店って閉まるの早過ぎ」
若干予想はついていたのだろうか、足立は諦観気味の言葉を紡ぎ出した後、困ったように頭をかく。
「参ったなあ、家に煮物だけはあるんだけどねー。それも大量に……」
「あら、透ちゃん! お仕事どう? 頑張ってる?」
足立の言葉を遮る勢いで聞こえてきた女性の声、足立の口から「げっ」と嫌そうな声が漏れ出し、しかし無視するわけにもいかないという様子で彼は声の方を向き、真も同じ方を見る。そこに立つのは一人のお婆さん。以前足立と話していた時に会った、足立と同じ名前の息子がいるため足立にかまっているお婆さんだ。
「あ……どうも。さっき上がったところで……」
「夕飯は済んだ? 若いんだからしっかり食べなきゃ。そうだ、良かったらウチに来ない? 大好きな煮物、いっぱいあるわよ」
お婆さんの言葉に足立が困ったように苦笑を漏らしながら返すとお婆さんは返答を待たない勢いでまくしたて、足立は「あー、いや、今日はちょっと……」と何か言いあぐねつつ、ふと真の方を見る。
「そうだそうだ。夕飯は彼と食べる約束してて。上司のトコの子だから断れなくって。はは……また今度お願いします」
「そう……残念ね。それじゃ今度、絶対ね。おやすみなさい」
足立は真の肩を抱きながらそう言い、お婆さんはそう言ってその場を去っていく。
「ふぃ~」
お婆さんが見えなくなってから、足立は安堵が含んだようなため息をつく。
「参るよなぁ。人んちでサシで夕飯とか、気まずいでしょー。だいたいあの煮物、レンコン硬くて苦手なんだよね」
そう言いながら足立は真から離れ、気づいたように真向けて申し訳なさそうな笑みを見せる。
「あー、悪いね。ダシに使っちゃって。おかげで助かったよ」
「煮物だけに?」
「は?」
足立の詫びの言葉に真が悪戯っぽく笑いながら返すと、足立は呆けた声を出す。が、すぐに「ああ」と合点がいったように頷く。
「ダシって事? くっだらなー。君、良くダシなんてすぐ出るよね……って、そういや結構料理得意なんだっけ? はは、本当にご馳走になろうかなー。この前の料理も美味かったし」
そう足立は軽口を叩くが、続けて何かに気づいたように首を傾げる。
「でも、堂島さんまだ仕事だよね? って事は僕らだけ?……何か変じゃない?」
「菜々子も喜びます」
「君の“お兄ちゃん”ぶりも板についてきたねー。菜々子ちゃん、君が来てからちょっと明るくなった気がするし」
真の言葉に足立は再び苦笑する。が、菜々子を気にかけていた事がその返答から読み取れた。
「しっかし、ホント君ってすごいねー。僕が高校の頃なんて、料理の“り”の字も知らなかったからさ」
「何してたんですか? 部活とか?」
足立の言葉に真が首を傾げると、足立はひょいっと肩をすくめて皮肉気な笑みを見せる。
「勉強ばっかしてたよ。それなりに進学校でさ、成績が全て」
そう自らの高校時代を振り返る足立。振り返った結果として「やれば返ってくるところは分かりやすかったし、親も成績さえ良ければ何も言ってこなかったため別に嫌ではなかった」と続け、だがそこまで言った後、彼は疲れた息を吐く。
「……でもさー、そんなんで上手くいくのは、やっぱ学校の中だけなんだよね」
「やっぱり、社会は大変なんですか?」
「そりゃあね。仲間内で足引っ張り合ったり、責任押し付けあったり……大人は大変だよ」
皮肉気な笑みと疲れたため息をそのままに彼はそう言う。
「じゃあ、今日ぐらいはゆっくりしてください。食事、ご馳走しますから」
「……結局そうなんのね。ま、いいや。じゃあ、ご馳走になろうかな。君、料理上手だし」
最終的に堂島家での食事に誘われる事になる結果に足立は苦笑し、断るのも面倒になったか誘いを受ける。
そして真は足立を家まで連れてくると料理の仕込みを行ない「お手伝いするー」と言う菜々子にジャガイモが柔らかくなるのを見ていてほしいという任務をお願いした後、足立と雑談をし始める。
「お兄ちゃん。じゃがいも、柔らかくなってきたよ」
「ああ、ありがと」
菜々子の報告に真はお礼を言いながら立ち上がって彼女の頭を軽く撫で、菜々子は「えへへ」と嬉しそうに笑った後足立を見る。
「今日はね、シツーなんだよ!」
「シツー? ああ、シチュー?」
「そう、しつ……しちゅー!」
「あ、言えた」
シチューとちゃんと発音出来てなかった菜々子に足立が首を傾げた後正しく言い直すと菜々子は言い直し、ちゃんと言えたと足立は笑う。
「あだちさん、しちゅう好き?」
「シチューかぁ。まあ、割とね」
「わりと?」
「あー……いや、好きって事。久々だしね、実際」
足立は菜々子にそう話した後、シチューを作っている真に目を向ける。
「ってゆーかさ、この前堂島さんに誘われた時から気になってたんだけど、普段からこうやって料理してんの? 堂島さん、君が来て助かってるだろーねー。言われてない?」
「ああ、たまに言われます」
「あ、ホントに? あの人、そういうの素直に言いそうにないのにね」
足立の質問に真はたまにお礼を言われる事を思い出し、その返答に足立は意外そうに笑う。それから真がシチュー作りを続け、後はシチューを煮るだけになり、タイマーをセットして戻ってきたのを見て足立はふふっと笑う。
「そう言えば君、春に帰るんだっけ? 堂島さん、泣いちゃったりしてー」
「……」
足立の言葉を聞いた菜々子が悲しそうにうつむき、足立は「げっ」と自分の失言に気づく。
「あ、ごめんごめん。帰るって言っても、まだ先の話だから」
「うん……」
足立の言葉に菜々子は頷くが、やはりまだ悲しそうな表情は消えず、足立は「えーっと」と考え始める。
「そうだ、菜々子ちゃん。こんなの知ってる?」
そう言って足立は手を広げ、手の平の上に500円玉を乗せる。
「よーく見ててねー」
足立は500円玉を握りしめ、手を持ち上げ、もう一度下げる。
「ほら」
そう言って開いた手の平からは500円玉はこつぜんと消えていた。
「なんで!? なんでー!? もっかい! もっかいやって!!」
「じゃあ今度は、もっとすごいやつねー」
菜々子が驚いたように声を上げ、足立は得意気に笑ってまた500円玉を手の平の上に乗せ、握り締める。
「お兄ちゃんのポケット」
「?……!」
足立の言葉を受け、ポケットを探る真。するとポケットから500円玉が出てきた。自分も手品は趣味としてやっているが、それを超える腕前の足立に真は驚きを隠せずにぽかんとしてしまう。
「すごーい! あだちさん、すごーい!!」
「ビックリした……」
「手先は器用な方でさ。出来ちゃうんだよね、これくらいは」
足立はケラケラと笑いながら500円玉を回収。菜々子も元気になっているのを確認してこっそりホッとしている様子を見せる。
「僕、マジシャンになればよかったかなー。そしたらさ、こんな……」
そこまで言った辺りで足立は口を滑らせたとでもいうように口をつぐんだ後、「あー」と呟き、小さく首を横に振る。
「まあ、公務員に勝る職業はないか。ちょっと器用なくらいじゃ、何にもならないし」
足立はそう言って肩をすくめた後、鼻をヒクヒクと動かす。
「いい匂いしてきた。そろそろなんじゃない、シツー」
「し・ちゅ・う!」
足立のわざとらしい言い間違いに菜々子が叫ぶ。
「シツー?」
「し・つ・う!」
「ブッブー」
「言えたもん!」
「言えてませーん」
からかう足立とむきになる菜々子、それを見て苦笑する真。三人で賑やかな時間が過ぎていった。
その翌日。真は神社でキツネに依頼されていた「口下手を直したい」というお願いを解決――同じ学校の生徒で、少し話し方の指南をした――した事を報告しに来た後、少しキツネと一緒に過ごしていた。
「あれっ、椎宮君」
「天城」
神社にやってきたらしい雪子が驚いたように真を呼び、真も雪子を呼ぶ。「偶然だね」と雪子は笑った。なお雪子が来ると共にキツネは警戒したのか去っていった。
「天城も何か用事か?」
「うん、ちょっとお参りに」
真の質問に対し、雪子はまあ神社への用事としては当然な返答を見せる。
「時々、時間見つけて来てるの。静かで気持ちいいから」
微笑んでそう話す雪子。大切なお客さんが来る時に仲居さんとお参りをする事もあったし、毎年の初詣や受験のお守りもここだった、と彼女は回想していたが、やがて寂しそうな目を見せる。
「この町を出たら……ここにももう、来られなくなるね……」
「帰ってこないのか?」
「だって……親にも顔向けできないし」
雪子の呟きに真が聞き返すと、雪子はそう寂しそうな声を出す。
「あれ、雪ちゃん!」
と、そんな声が聞こえ、雪子が驚いたように声の方を向くと真もそっちを見る。神社の鳥居の下に立っているのは和服の女性だ。
「葛西さん……どうしてここに?」
「酒屋さんへ注文ついでに、ちょっと休憩……あーあ、雪ちゃんにバレちゃったぁ」
「や、やだ、別に言いつけたりなんか……」
葛西という女性は雪子に向けて悪戯っぽく笑いながら言い、雪子が慌てて言いつけたりなんかしないと言おうとすると葛西は悪戯っぽい笑顔のままあははと笑って「冗談よぉ」と返す。と、そこで葛西は雪子の横にいる真に気づいたように「あっ」と声を出す。
「そちら、もしかして、ウワサの彼氏? あらぁ~料理の勉強の甲斐あって、遂に射止めちゃったわけねぇ?」
「彼氏?」
「ち、違うったら!!」
葛西の言葉に真が首を傾げると雪子は顔を真っ赤にして否定。しかし葛西は楽しそうな微笑みを浮かべた。
「あらぁ、雪ちゃん真っ赤よ? じゃ、邪魔者は消えるわねぇ~」
「だ、だから、違うったら!」
楽しそうな悪戯っぽい笑顔での言葉に雪子はさらに慌てるが葛西は聞く耳持たず神社を後にする。雪子は「もう」と呟くが、直後気づいたように慌てて真の方を見る。
「ご、ごめんね。あ、さ、さっきの人は、うちの仲居さんなの。仲居さんたち、何か勘違いしてて……ほんと……ごめんね……」
雪子は先日から料理の特訓として、真に作った料理を食べてもらってはアドバイスを貰っていた――曰く修学旅行の時に風花と荒垣を見て実際に人から評価とアドバイスを受けた方がいいと気づいたらしい――のだが、それがいつの間にか好きな人のために料理を作っているなんて事になってしまっていたらしい。
「別にいい」
「う、うん……よかった」
特に気にしていない様子の真に対し、雪子はやや汗ばんだ様子でそう返す。
「さっきの葛西さんとかね、仲居さんたちや板前さんたちが、料理教えてくれてるの」
雪子は話し始める。最初は一人でやると言い張っていたのだが、失敗続きでヤケドまでしたのを見た板前からついには「教えさせてくれ」と言われてしまい、休憩時間を潰してまで優しく教えてくれたこと。一度、割と成功した時なんて、みんな集まって味見して、褒めてくれた。それがなんていうか、嬉しかったのだと。
「それに私には、学校の仲間もいる……結構、私、幸せ者だよね……」
「ああ」
雪子の言葉に真は頷き、雪子もうんと頷き返す。
「私ね……みんなのためにも、頑張ろうって思う……」
「ああ」
その笑顔からは静かなやる気と決意を感じ、真はその決意に応えるようにこくりと頷く。が、その時雪子の笑みに影が出来た。
「でも私、あんな優しい人たちを裏切って出て行こうとしてる……でも……仕方ないよね……」
雪子はそう、ぼそりと呟く。それに対し真は何も言う事が出来なかった。
時間が過ぎて夜、天城屋の駐車場。ここにバイクで戻ってきた命、結生、ゆかりは長期間宿泊&雪子の友達というよしみで使わせてもらっている従業員専用駐車場にバイクを止め、玄関へと歩いていく。
「ふあ~、ジュネスのバイトって大変だねぇ~。シャガールの方が楽だわ~」
「覚える事がたくさんあって大変だわ……それに、変な奴もいたし」
伸びをしながら呟く結生にゆかりもうんうんと頷いた後、疲れたため息を漏らす。二人も人手不足ということでジュネスのバイトへの採用はもらったのだが結生はともかくゆかりは命の恋人であることが主なバイト層である学生バイトの中でも女性陣にやっかまれていた。
「まあ大丈夫でしょ? ゆかりに理不尽なイジメしたら許さないって言っといたし」
もっとも、命がシャドウ相手に放つ本気の殺気を一般学生相手に放ちながら注意を喚起していたため逆に怯えられてしまい、彼女らの教育係を陽介が一人でする羽目に陥ってしまっていたのだが。
「あ~あ。オイシイ話だってのに、乗らないのは田舎の特徴なんですかねぇ?」
「!?」
と、いきなりそんな話し声が聞こえ、いきなりでよく分からないが不穏な雰囲気を察し、先頭に立っていた命が咄嗟に二人を止めるように腕をかざす。二人も無言で頷くと三人とも壁に張りつくようにして気配を隠しつつそっと壁から顔を出して声の主を確認する。そこにいるのはスーツの男を始めとした若い男達だ。
「事件で客が減って大変だろうから、客が増えるようイイ企画考えてやったってのに」
「そうっすよねぇ。“あの騒動の老舗旅館、哀れ廃業か!?”って危機感を煽るいいコピーなのに」
「お前本気かよー」
そう言い、「あはは」と笑う男達三人。
「……なんかむかつくわね」
ゆかりが額に怒りマークをくっつけながら呟く。
「……ん?」
と、結生が男の一人――スタッフらしく背中に局のロゴだろうかがプリントされた上着を羽織っている。を見て首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、あの局のロゴ、どっかで見たような……」
「テレビ局のロゴぐらいどこでも見るでしょ?」
「ん~、いやテレビとかじゃなくって、どっか別の……ん~?」
ゆかりが尋ね、結生が首を傾げながら言うとゆかりは「テレビ局のロゴなんてどこで見たっておかしくはない」と返す。だが結生は納得しないように首を傾げていた。
「なんにしても、穏やかじゃないね」
「ん、そだね。ユキちゃんを困らせるんならぶっ飛ばしてやる」
「二人とも穏便にね? ああいうの敵に回したらめんどくさいんだから……まあ、やるってんなら協力するけど」
命の言葉に結生がやる気満々の様子を見せるとゆかりは二人をたしなめつつ、叩き潰すなら協力すると返す。そう話し合いながら彼らは天城屋旅館へと入っていった。
《後書き》
お久しぶりです。まさか年末ギリギリ更新までに長引いた挙句にコミュイベントのみで終了とは予想もしませんでした。(白目)
ここまで来たら次回はりせと完二で特別捜査隊メンバーのコミュイベント一通りやってからストーリー進めてやろうかとまで思い始めてきましたよちくしょう。
まあそこはまた後で考えるとしましょう。今回はこの辺で。ご指摘ご意見ご感想はお気軽にどうぞ。そしてやや遅れたメリークリスマスそして良いお年を。それでは。