紅き眼の系譜   作:ヒレツ

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Episode 4-8

「終わらせる? その割には、ボクの腕を切り落とさないなんてキミらしくない。機会はいくらでもあったじゃないか。ああ……それとも、お気に入りの彼女に気を使ったのかな。七草のご令嬢には、少し刺激的すぎるかもしれないからね」

 

「相変わらずよく舌が回る。血之池であるお前に、わざわざ武器を作らせるわけがないだろう」

 

「……へえ、よく調べたね。でも――」

 

 服部の姿をした男の腕が膨張を始める。内部の血液が沸騰でもし始めたのか、ブクブクと膨れた腕からは血が吹き出した。

 

 秋水は掴んでいた腕を離し、攻撃態勢へと移る。がら空きの胴体へと足裏を叩き込んだことで、血は千野の体に追随して宙に線を描いた。

 

 勢い良く跳んだ体は、出入り口の扉を突き破って廊下の壁に激突する。轟音と亀裂が入った壁は、蹴りの威力を主張していた。

 

 術者から離れても、血は不気味に宙に留まり続けている。チャクラをふんだんに含んだ血液が徐々に千本の様に細長く鋭利な形状に変化し、横殴りの雨のように激しく振りつけた。

 

 まともに受ければ全身が穴だらけになるほどの量と言えども、防いでしまえばその結果は起こらない。秋水と真由美を包むように生じた白焔が、千本の強襲を全て妨げていた。弾かれた千本は床に落ち、一つ一つの形が崩れて小さな水溜りを作る。

 

 秋水は一旦視線を真由美へと向けた。手を伸ばせば振れる距離まで近づいたのは、やけに昔のことのように感じられる。白焔が守ったこともあり、傷はついていない。

 

 制服のポケットから、秋水はCADを取り出した。それを真由美へと差し出す。

 

「これ、私の? 一体どうやって」

 

 CADの預かりや返却には、本人を証明するために学生証が必要になる。真由美はなぜ秋水が自分のCADを持っているのか分からなかったが、秋水の紅眼を見てその手法を理解した。

 

「これがあれば自衛できますね」

 

 真由美の問には直接答えず、秋水はここへ来た目的はこれだと言わんばかりの態度を貫く。視線を戻し、写輪眼の洞察力を持って居場所を突き止める。

 

「ちょ、ちょっと待って。あれは誰なの!? どうして私が狙われたの!?」

 

 真由美の発言と同時に、今度は大きな槍となって血液が襲い掛かってきた。しかしまだ展開されている鎧は、それさえも通さない。

 

「それが須佐能乎か、噂通り硬いね」

 

 何食わぬ顔で再び教室に入ってきた際には、既に服部の容姿をしていなかった。フードを目深に被り、大きめのコートによって体型はわかりにくいものの、明らかに別人の姿。否、これが本来の姿と言うべきだろう。

 

「貴女達が探している吸血鬼の仲間ですよ。電波を発している個体は囮、本体は既に潜入済みってところでしょう」

 

 次に出てくるだろう疑問を先読みして答える。真由美の方は向かず、秋水の眼は常に千野を捕捉していた。

 

「それじゃあ校内には……」

 

「こいつ以外にも、既に何体か侵入しているでしょうね」

 

「そこまで読んでいたなら、もっと先手を打てたんじゃないのかな? もしあえてそうしなかったのだとしたら、キミの行為はこの高校への反逆と取られてしまうかもしれないよ」

 

 第一高校への襲撃は、ミアの記憶の覗いた際に手に入れた情報。取得日時を考えれば、情報の真偽を確かめるにしても警告程度ならば十分にできた。それを相手が受け入れるかどうかを別にしてもだ。

 

「俺には関係ないことだ。それに、手を打っていないわけじゃない」

 

「なんだって?」

 

 別の箇所で生じた爆発音が、準備棟の教室にも届く。

 

 真由美は知覚系魔法であるマルチスコープを用いて、音源の方角を見た。監視カメラのように多角的に、そして肉眼で見るように鮮明に対象を映すことのできる魔法は、彼女が「エルフィン・スナイパー」と呼ばれるようになった所以の一つ。その目には、準備棟正面入口から二時の方向で戦闘を行っている生徒たちの姿が映っていた。一旦魔法の発動を終えようとした瞬間、異形の姿をした生物が見えた。肌の色も身体的な特徴も、人間という枠から大きく逸脱している。

 

「なに、あれ……」

 

 そう呟いてしまうのも仕方のないこと。秋水は視覚同調をしていないため何を見てそう言ったのかがわからないが、真由美の言葉から敵が呪印を開放して「状態二」になっているのだろうと推測した。

 

「準備万端の割に苦戦しているようだけど良いのかい? 言っておくけど、呪印で底上げした彼らの力を甘く見ないほうが良いよ」

 

 呪印に適合さえできれば、その力は数倍に跳ね上がる。魔法を学びたての、実戦を経験していない高校生を相手にすれば、一方的に嬲ることもできるだろう。ただそれは、第一高校に在籍するごく平均的な生徒の場合。幸いにも学業の成績に関係なく、戦士として優秀な生徒は多く在籍している。直接力のぶつかり合いでは勝てなくとも、知恵を使い魔法を駆使し、暴力を制することは容易いだろう。

 

「他人よりも自分の心配をしたらどうだ。血之池(おまえ)じゃあ裏葉(オレ)に勝てない」

 

「言ってくれるね。キミたち裏葉が勝てたのは、ボクたち血之池が戦う意志を示さなかったからだ。写輪眼(キミ)の力は血龍眼(ボク)の力に劣ることを証明してあげるよ」

 

 挑発に対して馬鹿正直に幻術を掛け合うほど、二人の性格は素直ではない。やることは手数を増やし、隙を作り出して嵌める。どちらも己の瞳術が優れているという自負を持っているために、奇しくも同様の思考に至っていた。

 

「え、ちょっ、ちょっと――」

 

 いざ戦闘になった際に、幻術の対象が真由美になる可能性は大いにある。忍術がぶつかりあえば巻き込まれてしまう。戦うためには安全圏に避難させる必要があった。

 

「目と口を閉じて下さい」

 

 故に秋水が取った行動は、印を組んで発動する忍術でも、CADを使った魔法発動でもない。真由美を抱え、部室の壁を突き破っての外部への脱出だった。飛雷神を使わなかったのは、千野の攻撃対象が他へと移る可能性を最小限に抑えるためだ。

 

 部室棟からの飛び降りは、高さだけ見れば絶叫アトラクションに比べてかなり低い位置になっている。けれど、突発的かつ安全装置などもついているわけではない。どちらが怖いのかは人によって異なるだろうが、怖いことには変わりはない。ましてや、絶叫系アトラクションが苦手な者にとっては。

 

 叫び声さえも挙げなかったということは、今回の唐突な落下の方が恐ろしかったのだろう。グラウンドに着地してすぐに秋水から開放された真由美は、腰が抜けたかのようにその場にへたり込んだ。

 

「な……な、な」

 

 混乱状態が解けない真由美を余所に、両手が自由になった秋水は印を組み始める。一つ一つを目にも見えぬ速さで結んでいき、最後の寅の印と同時に大きく息を吸い込んだ。

 

 ――火遁・豪火球

 

 裏葉の代名詞とも言える火遁の忍術が、秋水が開けた穴から滝のように地面へと向かう水龍と衝突する。

 

 炎と激流によって生み出されたのは、大量の水蒸気。視界不良の中でも、洞察力にも長けた写輪眼は僅かな影さえも見逃さない。上から落ちてきた影に向かって、秋水は接近戦を仕掛けた。

 

 一本のクナイを口寄せし、右手に握る。

 

 霧の中を駆け抜け、両眼の焦点が定まった。

 

 鳴るのは金属がぶつかりあった乾いた音。広がるのは、瞬間で煌めく火花。短い間隔で、次々と似た音が連続する。秋水の攻撃を千野が両手に持った短刀で防いでいるのだ。彼の体表には既に黒い痣が広がっており、呪印を一段階開放した状態だった。

 

 受け身一辺倒な千野の表情は優れない。秋水の片手での攻撃に対し、両手を使ってようやく防げている。否、それも束の間。僅かな反応の遅れが対応の遅れに繋がり始めていた。

 

 秋水の左足が、千野が右手に持つ短刀を蹴り上げる。乱雑に空中へと放り出されたナイフを秋水が跳躍して掴み、そのまま振り下ろして左肩へと突き立てた。(はばき)まで刺さった肩から力が抜け落ち、ダラリと腕が垂れる。握力が無くなったのか、手からは短刀が滑り落ちた。

 

 体内の血液を操作できた時点で、手傷を負わせないことへのメリットは無くなっている。それならば断つなり刺すなりした方が、相手の行動を制限できる。今回秋水が実行した攻撃はまさにこの例にあたる。

 

 千野は自身の血液を体を覆うように纏い、そこから鋭利な棘のような形状に変化して秋水へと襲わせる。攻撃と防御を同時にこなせる陣形。

 

 写輪眼からすれば、チャクラを介した攻撃は先程以上に鮮明に見ることができる。体勢も崩れていなかったために、攻撃を間を掻い潜って躱すことは容易だった。

 

 突く、薙ぐ、叩く。血液を操作して形を変え、気配を頼りに攻撃を仕掛ける。ただ手応えはなく、千野が得たのは極稀に弾かれた時の感触だけだった。

 

「クソッ!!」

 

 近くにいるのに当たらない。どこいるか正確に把握できない。攻撃を一方的に受けているだけ。募る苛立ちは、千野の口から愚痴を吐き出させた。

 

 いくら呪印による底上げをしていたとしても、埋めがたい性能差が二人の間にはあった。どんなに強力な瞳術を持っていても、使い手の技量によって十分に活かされる場合とそうでない場合がある。重要なのは使い方。何より接近戦は、高い洞察力を持つ秋水が最も得意とする分野。相手がどんなにフェイントをかけてこようとも、僅かな肉体の動きでそれを先読みし対処できる。近距離戦は、秋水の狩場(テリトリー)だ。

 

 霧が晴れ、千野は秋水をようやく捉えた。互いの眼が合う。

 

 幻術の掛け合い。端からみれば一瞬の出来事だが、両人からすれば精神の削り合いに等しい行為。

 

 先に動いたのは千野。つまり幻術合戦の勝者となったのは、秋水ではなく彼。

 

 けれど、千野は秋水を攻撃せずに後方へと跳んだ。肩に刺さった刃を抜き、荒れた息を整える。栓がなくなったことで、傷口から血が溢れ出す。

 

 一足遅れ、秋水も虚構の世界から現実へと戻ってきた。両眼からの流血は、幻術を解くためにかなりの負荷がかかったことの証拠。息も少し上がっている。

 

 幻術能力だけならば、血龍眼は()()()を凌駕していた。

 

(これが、血龍眼の力……)

 

 特に流血がひどい右眼を抑えながら、秋水は万華鏡状態になった左眼で千野を見据える。

 

「なんで逃げた?」

 

 秋水の言葉に、千野の眉間の皺が鋭くなる。

 

 幻術を掛けた千野は、一瞬とは言え秋水に隙を作らせた。例え僅かな間でも、空いたその時間は攻撃を与えるには十分な時間。相手に隙を突くという行為は、忍や剣術家、魔法師に限らず、あらゆる場所で共通している。

 

「人間っていうのは、いざって時に本性が出るそうだ。お前が逃げたのは……そういうことだろ」

 

 人が逃げたいと感じるのはどんな時か。辛い時や面倒な時など、その時々で理由は様々だ。けれど生物という枠に拡大すると、たった一つの答えに辿り着く。捕食者との遭遇、つまりは死への恐怖。己の命が危険だと感じた時、本能が逃走を促す。これは、決して恥じることではない。だがなまじ知恵がついたために、中々素直にそう思えないのが人間の(さが)

 

「ボクが逃げた……?」

 

 握りこぶしに力が入る。小刻みに震えるそれからは、誰が見てもどんな感情を抱いているのかがわかるほど表に出ていた。

 

 ふと、震えが止まった。抑えた、という表現が正しいか。唾液を飲み込んだのか、喉が動く。

 

「キミこそ、お得意の幻術でボクに負けたっていうのに随分と余裕じゃないか。力の差もわからなくなったのかい? ボクが血龍眼(この眼)を使えば、キミをいつでも殺せるんだよ。それにボクが距離を取ったのは――――」

 

 その次に出す予定の固有名詞、それを持った個体が千野の視界には入っていなかった。右を見ても左を見ても、影一つ見当たらない。

 

「誰を探している?」

 

「オマエ……」

 

 千野の脳裏に一つの考えが浮かんだ。準備や計画に抜かりはなかった。にも関わらず、これまでの自分優位から一転して良いようにあしらわれている。飄々としていた表情は、初めてはっきりとした激情を浮かべていた。

 

 おもむろに懐から小瓶を取り出し、中に入っていた丸薬を一気に飲み干す。千野の体から外へと流れ出る血の量が増加していく。即効性の増血丸を多量摂取したことで、容量を越える量の血液が生成されているのだ。血之池の者からすれば、多量の武器が手に入ったことと同義。変化は血の量だけでなく、千野の体にも及んでいた。こちらは呪印状態を一から二へと引き上げたもの。肌は血のように紅く染まり、白く染まった髪は二倍三倍にも伸び始めた。容姿は鬼に近い。

 

「もう良い……搦め手は止めだ。キミは、力で叩き潰す!」

 

 両手を胸の前で合わせると同時に、周囲の血液が呼応して動き出す。

 

「血龍昇天!!」

 

 

 

 

 少し時間が遡る。

 

千野と秋水が戦闘を初めた準備棟から最も離れた場所、そこに真由美と秋水の姿はあった。千野の視界が濃霧に覆われた際に秋水が分身し、本体が真由美を連れて飛雷神で避難したのだ。時間がたったお陰で、真由美も落ち着きを取り戻していた。

 

「あいつの狙いは貴女です。本来なら、事が終わるまでこのまま隠れていてくれるとありがたいのですが」

 

 学内に他の生徒達や教師達がいる状態で、真由美が自分だけ安全圏でのうのうと過ごすことなどできるはずもない。彼女が秋水に関する記憶を失くしたとしても、秋水は彼女のことをよく知っている。説得が無理なことは、わかりきっていることだった。

 

「それは無理よ。理由は、言わなくてもわかるわよね。それに、まだどうして私が狙われているのかも聞いてないしね」

 

「それは――――おそらくですが、十師族の直系を囚えておけば、後々有利になると思っていたのでしょう」

 

 本心を打ち明けようとして、秋水は咄嗟に嘘をついた。

 

「私を殺したら、()()()()がどんな顔をするか楽しみだって言っていたのよ。その考えは違うと思うわ」

 

 虚言はすぐに暴かれてしまった。再び妙案を出すためにどうしたものかと考えを巡らせようとしたとろこで、ある点に気づいてしまった。

 

(まさか……いや、そんなはずはない。俺の神魂命は幻術とは違う。だが――)

 

 まさかそんなはずはと思う一方で、それを否定する自分がいる。だが、こうしたやり取りからは懐かしさを感じてしまう。話を切り、素直に疑問をぶつけた。

 

「……記憶が、戻っているのか?」

 

 敬語が外れているのは、瞳術に対する自信からか。

 

「ええ」

 

 真由美はごまかす必要もないため、首肯した。

 

「いつ戻った」

 

 秋水の左眼に宿る瞳術、「神魂命」。能力は、右眼に宿る天火明のような直接攻撃能力でも、時空間さえも自在に操る最高の幻術能力でもない。だが、秋水は神魂命は最凶の瞳術だと信じて疑わなかった。

 

 神魂命の能力は、脳への干渉。従来の写輪眼でも記憶を読むことや幻術を介して一時的な記憶改竄ができるが、秋水の万華鏡はそれよりも遥かに強力。

 

 数多の生物の中で最も進化したとされる人間の脳は、大きく別けて三つの部分から成り立っている。脳幹、大脳辺縁系、大脳皮質だ。脳幹は、呼吸・体温・ホルモン調節など、生きるための基本的な働きを司っている。中間にある大脳辺縁系は、喜怒哀楽といった感情を。最も外側にある大脳皮質は、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚といった人間の五感や、運動、言語や記憶、思考などの高度な機能を果たしている。

 

 では、神魂命はどこまで干渉できるか。

 

 答えは、最奥部にある脳幹。つまりは記憶や感情は元より、生きるための基本的な働きにさえ干渉できるということ。干渉することで掌握し、自在に改竄することができる。その気になれば、呼吸や瞬きを一切させないことも可能。

 

 秋水は、この瞳術を過去に何度か使用したことがある。その対象は、最近で言えば真由美と穢土転生で蘇った霆春。真由美には裏葉秋水と関わった記憶を消すために、霆春には人間として必要な生命機能を断つために。

 

 幻術とは違い、実際に改竄を行っているため、本来ならば解除方法は再度神魂命をかけるしか無い。秋水が望まない限り、真由美の記憶は元には戻らないはずだった。

 

「横浜事変の時よ。秋水くんがみんなをヘリに乗せてから少したった後だったかしら」

 

(イザナギを使った時か、死んだ時か)

 

 真由美が言った時間は、秋水が霆春と戦っていた時間帯。思い当たることと言えば、致命傷を無かった事にするためにイザナギを使用したことと死んだ時くらいのものだった。

 

「記憶が戻っていたのなら、貴女はどうして俺に文句の一つも言わないんですか」

 

 勝手に脳を弄られる。今回は一人の人間に関しての記憶を消しただけだが、記憶を隅々まで覗くこともできる。誰もが、他人に言えない事の一つや二つ持っているのは当然。それでなくとも赤の他人に記憶を勝手に知られたのだとしたら、とてもではないが許せたものではない。

 

 秋水の問に、真由美はそう言われればと言わんばかりの表情で思案する。記憶が戻った時、欠けていたピースが綺麗にはまる感覚とは別の感覚があったことを思い出す。はっきりとした情報ではなかったが、モヤモヤしつつもそれに対して居心地が悪く感じることはなかった。

 

「どうしてかしら……。そうね、はっきりとは言えないけど……それらしい理由を言うとしたら、秋水くんが何で私にそんなことをしたのかが何となくだけど理解できたから、かしら」

 

 どんな強力無比な術にも欠点や弱点は存在する。例えば天火明ならば、鏡や光学系の魔法で光を反射することで、術者自信がその術の対象になってしまう。チャクラの消費が極端に激しいことも欠点だ。写輪眼自体も多くの能力を持つ反面、敵に渡れば厄介極まりない上に、強力であるが故に過信してしまう危うさもある。万華鏡に進化すれば、写輪眼を凌駕する力を得る代償に失明へと進んでいく。このようにメリットが大きいほど、デメリットも比例して大きくなっていく。であるならば、神魂命にも相応のマイナス要素があるということ。

 

 秋水はあまり使用してこなかったことから、眼への負担と術をかけている間は無防備になること以外の欠点を理解していない。だが、真由美の言葉から大まかな推測はできる。

 

(俺の記憶を読まれたのか。無意識だろうが、何かの拍子で思い出すかもしれないな)

 

 脳への干渉は言い換えれば、己と他者の脳を繋げている状態である。干渉力が術者よりも強い場合、逆に記憶を一方的に覗かれることもあり得る。リンクした状態が続けば続くほど脳が混線し、術者の情報が漏洩する危険性があるのだ。真由美が秋水へ嫌悪感を示さなかったのは、何のために、どういう意思を持っていたのかを知ってしまった説が濃厚。頭の中ではっきりとしていないことから、潜在的に感じていることも考えられた。

 

 仮説が正しい場合、秋水からすれば最悪という他ない。

 

(思い出す前にまた消しておくか)

 

 真由美の性格を考えれば、思い出したらまた確実に足を踏み入れてくる。そうなる前に、芽は摘んでおかなければならない。

 

 今度はより強力に。

 

 そう思った矢先だった。

 

(――ッ! 四分の一じゃ流石に分が悪かったか。それにあの術の規模は厄介だな)

 

 分身体からの情報が還元される。状態二になった千野が、血龍眼の力をフルに使って力で圧倒してきたようだった。

 

(仕方ない、こっちは後回しだ)

 

「話の途中で申し訳ありませんが、あまり時間が無いようですので、俺は戻ります。先輩は――」

 

 マーキングをしておいて正解だったと思いながら、秋水はそのマーキングに意識を集中させる。

 

「待って!」

 

 袖が掴まれ、飛雷神で飛ぶことを妨げられる。

 

「約束して。後で必ず、全部本当の事を話すって」

 

 写輪眼に対しても臆することの無い、真っ直ぐな視線。そこからは、強い意思が感じられた。

 

「……わかりました」

 

 その返事で信じたのか、真由美の手が秋水の袖から離れる。再び意識を集中させ、秋水は戦場へと戻った。

 

 

 

 

 戻って初めに得た情報は、強烈な血の臭い。その臭いの元を見れば、頭が八つに別れた巨大な龍が長い首を動かしながら獲物を探している。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を連想させるその姿は、見る者に恐怖心を抱かせるだろう。

 

(あまり長引かせても、被害が大きくなるだけだな)

 

 生徒たちがいる校舎までは多少距離があるが、巨体ということを考えればあまり楽観視はできない。少なくとも、近場にある準備棟は大破することは割けられないだろう。

 

 集中してチャクラを練り上げるために、秋水は未の印を結ぶ。周囲に炎が灯る。揺らぐ白焔は次第に大きく、強くなっていく。骨が生まれ、肉が付き、外殻で包み込む。現れる姿は、鋭利な爪と牙を持った悪鬼。

 

「須佐能乎、初めて全身を見たけど随分と小さいんだね。ボクの術で一捻りにできそうだ」

 

 大きさに関していえば、秋水の須佐能乎は千野の血龍に及ばない。だが、千野は一つ勘違いをしていた。

 

「全身だと? 俺はこれまで、一度たりとも完全な須佐能乎を見せたことはない。よく見ておけ、これが――――」

 

 悪鬼が修験者の衣を羽織る。更に大きくなるその体は、次第に完全な二本の脚で直立を果たす。秋水と同じ印を結ぶ須佐能乎は、一つの極致へと向かおうとしていた。

 

 荒立っていたチャクラが、安定を始めた。

 

 地を這い憎しみをぶつける事しかできなかった鬼が、修験道を経て新たな姿に生まれ変わる。衣を脱ぎ捨てたその姿は、まさに修験を極めし者。鎧を装備し、羽ばたかせれば自身の体くらいはありそうな程の大翼を持つ天狗に似た鎧武者が、他を寄せ付けない圧倒的存在感を放っていた。

 

「須佐能乎の本来の姿だ」

 

 完成体須佐能乎。その巨軀は、校舎を超えていた血龍よりも更に大きい。写輪眼と同じ紅眼に白焔によって作られた体、その拳は山をも砕き、翼は嵐を巻き起こす。大地を踏みしめる度に、地を揺るがすだろう。破壊の権化とも言われるこの術は、あらゆる敵を討つ最強の矛であり、あらゆる攻撃を無に帰す最強の盾でもある。これまでの須佐能乎の弱点だった足場からの攻撃さえも、この状態になれば無に等しい。

 

 須佐能乎に八岐大蛇。まるで、神話を再現したような組合せ。

 

「馬鹿な……こんなッ!」

 

 千野も流石に想像の範疇を超えていたのか、見上げる視線には焦りの色が見える。

 

 須佐能乎が手を広げると、チャクラが集まって柄のない刃を作り出す。刀背(とうはい)が少し焔状になっており完全に安定はしていないが、全てを切断しそうなオーラがある。

 

「来ないのなら、こちらから行くぞ」

 

 一振り。

 

 直接触れていない大地が、その余波で裂けた。

 

 一太刀をまともに受けた血龍は、破裂したかのように辺り一面に血液をばら撒く。原型はない。元々液体だったこともあるのだろうが、それ以上に須佐能乎の一撃が強力だったのだ。

 

(……慣れていないと加減が難しいな)

 

 千野以上に学校へ被害を出している秋水は、その現状を見ながら調整の難しさを実感していた。

 

 千野の姿を探す。須佐能乎の額から見ると、地面にいる人など小さな点でしかない。千野を見つけるよりも先に、術の発動を写輪眼が捉えた。

 

 再生。

 

 飛散した血液が一箇所に集まり、龍の姿を形作る。須佐能乎の動きを封じようと両手両足に一首ずつ、龍が大きな顎を開いて牙を立てた。

 

 須佐能乎は逃げも防ぎもせず、ただその場に立っていた。ただそれだけ。それだけのことで、牙を立てた血龍の方が崩れて水滴に変化した。

 

 チャクラ体とはいえ人間と同様に骨があり、肉があり、鎧がある。何層にも編み込まれたチャクラが、須佐能乎の防御力をより強固な物にしている。並大抵の攻撃では、傷一つ付くことはない。

 

 今度は、再生されることはなかった。

 

「ふざけるなッ! ボクが――――なんで、こんなに……」

 

 拳を地面に打ち付ける。

 

 決して、千野が弱いわけではない。血継限界を持ち、その力を存分に使用できる上に呪印によって底上げまでしている。その辺の相手ならば、一方的に蹂躙できるだけの実力は持っている。だが今回は、相手が悪かった。その上で逆鱗に触れてしまった。実力や戦闘経験値の差以上に、その事が現状を生み出す要因になっている。

 

「もう止めておけ」

 

 須佐能乎を解除した秋水が、千野の傍まで近づいた。

 

「ボクを……ボクを、見下ろすなッ!!」

 

 瞳から流れる血涙。血龍眼が発動し、秋水を幻術世界へと誘う。

 

 先ほどと一転した赤の世界。空も太陽も地面も、何もかもが血のように赤い。そして、草木は一本もない。荒廃した世界に秋水は立っていた。

 

(地獄谷、か)

 

 幻術で作られた景色を見て、資料で読んだ場所を思い出す。血ノ池が追いやられた死の土地だ。

 

 突然何者かに足首を掴まれる。秋水が下を見ると、赤い水面が波紋を広げていた。その下には無数の骸が、恨めしそうな視線を向けながら手を伸ばしている。水中に引きずり込まれると、実際にそうであるかのように呼吸ができなくなる。口から出ていった気泡が、秋水とは真逆に進んでいく。

 

 一体、また一体と、亡者が生を求めるかのように群がってきた。冷たく、重い。積年の恨みが込められているかのように、振りほどくことができない。

 

 瞳に浮かぶ三つの勾玉が回りだし、収束して別の巴模様を作り出す。

 

 世界が鏡を砕いたように崩れ去った。

 

 反転してすぐ、秋水の眼には千野が襲いかかる姿が見えた。短刀とはいえ首筋や心臓など、急所を付かれては一溜まりもない。狙いは急所だった。

 

 幸いなことに、心臓部へは手が出しやすい。咄嗟に手を前に出し、心臓の間に盾を作る。肉が裂ける感覚。よく砥がれているのか、短刀は驚くほどスムーズに秋水の手を貫いた。

 

 滴る血は手からのみ。心臓へは間一髪攻撃を避けることができた。

 

 笑みを浮かべたのは千野の方。彼からすれば、心臓だろうが掌だろうが、一撃を当てればそれでよかった。千野が短刀を引き抜いて、そのまま後方へと跳んだ。一撃離脱にしては、少し距離が遠い。

 

「傷が……?」

 

 掌の傷が高速治癒をしていることに、秋水は眉をひそめた。傷の治りは常人と比較してかなり早いが、それでもこの速度は異状。

 

「終わりだよ、裏葉秋水」

 

 短刀を投げ捨てた千野は、愉悦の表情を浮かべている。

 

「本当はキミ跪かせたかったけど、仕方がない。キミは確かに強かったよ。でも、最後に勝つのはボクだ」

 

 秋水は己の異変に気がついた。刺された左手から血液が暴れだす感覚。ブクブクと沸騰するかのように、皮下で血液が変化を始めている。

 

 起爆人間。血之池のチャクラを他者の血液に流し込むことで操作し、爆弾にさえも変えることのできる能力。千野のチャクラに侵された血液が心臓に到達し、増幅されて全身に行き渡った時が最後。

 

「まさか……こんな……ッ」

 

 膨張していく体は、秋水のシルエットを球体に近づけていく。皮膚が裂け、穴が空いた血管から血が溢れ出す。体を包み始め、最終的にはそれが人であったとは思えないきれいな球体に仕上がった。

 

 圧縮し、破裂する。

 

 千野は、秋水が爆発した瞬間を確かに見た。

 

 倒した、あの裏葉を。血龍眼が写輪眼を超えたのだ。裏葉に淘汰された血之池として、これ以上のことはない。全身からこみ上げる高揚感に思わず酔いしれる。勝利の美酒とはどのような名酒にも勝るとは、まさにことのことだった。

 

 だが、余韻に浸っていられる時間は短かった。

 

 爆発して飛散した血液が勝手に動き出す。時間が巻き戻り、再び形を作っていく。

 

「なんだ、これは……」

 

 目の前で起こる現象は全く見たこともないものだった。血を操る血龍眼でも、このように再生させることは不可能だ。

 人間の形に戻るまでの工程を、千野はただ黙って見ているしかなかった。

 

「もう止めておけ」

 

 一つの答えに辿り着く。

 

「まさか……」

 

 現実に起こり得ないことが目の前で起こっている。この奇天烈な世界を作り出すことができる人物を、千野はよく知っていた。

 

 タイミングを見計らったかのように幻が解け、現に戻る。目の前にいたはずの秋水の姿はどこにもない。

 

 千野にはどこからが幻術で、どこまでが現実だったのかわからなくなっていた。ただ言えることは、写輪眼の瞳力に血龍眼の瞳力が破れたということ。そして背後から届く声が、終焉を告げる。

 

「終わりだ」


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