紅き眼の系譜   作:ヒレツ

38 / 45
Episode 4-4

「デートは如何でした?」

 

 テーブルに突っ伏した金髪の少女に、からかい口調で女性が尋ねる。

 

「デートじゃありません。変なこと言わないで下さい」

 

 突っ伏しながら答える少女の声からは、かなりの疲労感が漂っている。

 

「殿方から食事に誘って頂いたのでしょう。もっと好意的に捉えては?」

 

 その言葉に、少女ことリーナは顔を上げた。

 

「シルヴィはあそこにいなかったからそんなことが言えるんです。最初の方なんてまるで尋問でしたよ」

 

 不機嫌な表情をしていても絵になるのは、さすが絶世の美少女と言うべきか。泣き言をいうリーナを見ながら、シルヴィと呼ばれた女性はリーナの真正面の椅子に腰を下ろした。

 

 シルヴィア・マーキュリー・ファースト。USNA軍、スターズ所属の軍人であり、階級は准尉。年齢はリーナより十個ほど上でだが、階級から見れば彼女はリーナの部下となる。そんな彼女が日本にいるのは、リーナの補佐としてだ。

 

「最初の方は、ということは以降はそうでもなかったということでしょう?」

 

「それは、まあ……そうですけど」

 

 リーナは数時間前の事を思い出す。自身がちょっとしたドジをした結果、場の空気が変わったにすぎない。失態を犯したからこそ、呆れて態度を変えたのだ。考えたせいであの時の出来事を思い出し、リーナは恥ずかしさから顔の温度が上昇するのを感じた。

 

「呼び出した要件だって、尾行と監視を止めろって事だったんです。それにワタシなんて、尾行についてダメ出しまでされたんですよ」

 

 とてもデートだなんで言える空気ではなかった。そもそも思いたくもない。リーナの言葉からはそのように感じ取れる。

 

「ダメ出し?」

 

「はい。お前の尾行は粗末すぎると言われました。……だからワタシは反対したんです」

 

 戦闘能力ばかりに目が行きがちだが、裏葉も忍。諜報活動にも精通していることは当たり前で、特に写輪眼を持つ裏葉は観察に秀でている。ほんの少し訓練を受けた程度の者が見破られてしまうことは、当たり前といえば当たり前のこと。それでもリーナからすれば、任務を全うできなかった自身の至らなさが嫌でたまらなかった。

 

 表情が転々とするリーナを見ながら、シルヴィはこの辺りで本題に移ろうと判断した。あまり誂っても後が怖い。

 

 二人の関係はリーナが上司でシルヴィが部下ではあるが、歳の離れた姉妹のようでもあった。

 

「それは災難でしたね。それで、実際に話してみていかがでしたか?」

 

 落ち込んでいたリーナは、シルヴィの声色から意図を理解し、表情や姿勢を改めた。一旦間を置いてから話し始める。

 

「おそらくですけれど、彼はあの大爆発の術者ではないと思います。それと、彼はワタシの正体に気づいている可能性があります」

 

 リーナの言葉に、シルヴィは驚かなかった。元々、その可能性は示唆されていたのだ。裏葉が持つ血継限界・写輪眼。その能力の高さや危険性は、海を超えたUSNAにも届いていた。精神干渉力、洞察力、模倣力、どれをとっても一級品。邪眼や霊視放射光過敏症の大元ではないかと言われているほどだ。

 

「そうですか、彼が術者であれば良かったのですけれど」

 

 リーナがシリウスであることが第三者に露呈した場合、口封じをすることが決まりになっている。だが、何事にも例外はある。シルヴィの言葉がその存在を匂わせている。

 

 今回の目的は大爆発の術者を発見することだが、ただ発見して終わるはずも無い。スカウトできるならば行い、脅威であるならば抹殺する。それがUSNAの意向だ。

 

 今回リーナが担当していた三人は、スカウトできる可能性が高いと判断されていた。秋水に関しては金で動くフリーランスの魔法師であることもそうだが、可能であるならば写輪眼を手中に収めたいという思惑が強く働いている。四葉の配下であることは、ここではマイナスにならない。USNAとしては、むしろ引き込んだ際に四葉の情報が手に入るならば一石二鳥と考えていた。そのためならば、金だろうが女だろうが、用意できるものならば用意するつもりだ。それほどまでに、彼らの目には写輪眼が魅力的に映っている。

 

 秋水の担当にリーナが抜擢された理由には、絶世の美少女と言われる彼女の容姿が少なからず関係していた。

 

「はい。そして彼との会話から、タツヤが術者である可能性が高くなりました。明日、探りを入れてみようと思います」

 

「……大丈夫なんですか?」

 

 シルヴィは先日リーナから、達也に正体がばれそうと話していた。秋水の一件からもわかるように、その手のことが得意ではないリーナが行動を起こして問題ないのだろうか、という思いが強かった。

 

「はい。今回の件で、ワタシにはやはり不向きということがわかりました。ですから、ワタシなりの方法でやってみようと思っています」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 リーナと話をしてからしばらくして、朝刊で吸血鬼事件が取り上げられた。一部では魔法師の仕業ではないかとされてきたが、証拠があるはずもない。記事の大半は「何かしらの方法を用いて吸血痕が消されている」というオカルト面を強調した書き方となっており、世間は軽いお祭り騒ぎになっている。

 

 秋水は分身を学校に向かわせ、本体は自室で考えにふけっていた。

 

(痕を消した奴と消さない奴の違いは何だ? 魔法師か非魔法師の違い……ではないな。こいつは魔法師では無いはずだ)

 

 公表されている被害者の一覧を眺めながら、記憶と照らし合わせていく。三人目の名前と顔を見たところで、初めに思いついた考えは否定される。

 

(この名前は確か……)

 

 目にした名前は、騒ぎになる前に吸血鬼についての記事を書いていたライターの物。首筋には穿刺痕がはっきりと残っていたにも関わらず、今見ているニュースではそうではないとされている。

 

(なるほど。だから吸血されたと捉えたのか)

 

 犠牲者は全員、例外なく体格から推測される血液の一割がなくなっていた。傷痕も無いもない状態で、だ。そんな死体から、吸血されたと考えるのは突拍子もないこと。間に最低でももう一つ、両者を結ぶ出来事が不可欠。

 

 それがあのライターだと、秋水は結論付けた。血液が何割減っていたなど今では知る由もないが、あのいかにもな傷を見れば吸血されたと思っても不思議ではなかった。

 

(となれば前提から違うな。消す消さないについて考えるのは無駄。二つのタイプがあるのは、ただやった奴が違うだけ)

 

 傷痕を残さずに血を奪った犯人を「A」、吸血鬼を連想させるような傷痕を残した犯人を「B」とする。Aが起こした事件だけでは、死体には外傷が無く一定量の血液が損失していることしかわからない。人間の出血に対する致死量は、総量の約五◯パーセント。一割程度を失ったところで死ぬことはまずない。だが、一割相当が加熱されたならば話は変わってくる。人は体内温度が四五度を超えれば、まず間違いなく脳細胞が破壊されて死に至る。そして魔法を用いれば、血液の温度を上昇させて同様の現象を起こして死に至らしめることができる。成人の血液量は四◯◯◯ccであるとされており、その一割を体内で蒸発させるほどの温度に上げれば十分に致死温度を越える。もっとも、ただ温度を上げれば済むほど実際の人体はそんな単純ではない。体内の水分が気化された場合、生じる圧力によって筋肉と皮膚がはじけ飛んでしまう。一条家の爆裂がまさにこの原理を用いており、このままでは外傷がどうの言っている場合ではないことは明らかだ。人体に外傷を一切残さず、かつ体内のタンパク質の変質を起こさないようにするためには、より複雑な魔法が必要になる。高度になればなるほど使い手は減るが、決して不可能ではない。Aが起こした事件だけならば、横浜事変からそう日が経っていないことを考慮して、吸血鬼のようなお伽話よりも魔法による犯行が真っ先に連想されるはずだ。

 

 だが、Bが起こした事件が出てくるとまた話は変わってくる。これまでこれといった外傷が無かったにも関わらず、首筋に穿刺痕がある死体が発見される。そしてその死体も同じように血液が抜かれていたらならば、どう考えるだろうか。他の死体は、血を抜いた後にその痕を何らかの方法を用いて消したのではないか。魔法で血液を沸騰させて殺したという考えよりも、より有り得そうなこちらの考えが浮かぶことは何ら不思議なことではない。

 

(そしてあの傷痕は俺だけじゃない。Bが公表されることを見越した上で、Aへのメッセージでもあった。メディアという不安定な媒体を使ったということは、AとBはまだコンタクトを取れていないと見て良いだろう)

 

 いち早くAの存在に気がついたBは、何かの目的があってAに接触する必要があった。しかし、連絡する方法がない。ならば、その方法を作るしかない。BはAに己の存在を気づかせるために似たような死体を作り出し、あえて穿刺痕という決定的な相違点を作った。そして、多くの人が目にするメディアを媒体として選んだ。死体を発見させる方法など、タレコミの電話やメールを一本入れるだけで済む。その後は、マスコミが勝手に面白おかしく騒ぎ立ててくれる。

 

(本来ならばあの記者の死体は、穿刺痕があったと報道されるのがBにとってベストだったはず。警察もその意図に気がついて隠そうとしたのだろうが、Bがマスコミにもリークしたせいで情報規制が間に合わなかったんだろう)

 

 もしもAとBによって引き起こされた事件がそのまま報道されていれば、Aは自分以外にも似たようなことをしている輩がいると瞬く間に理解する。Aからすれば、Bの存在が気になり始めるだろう。仲間として取るか、自分の模倣をすることを良しとしないかは分からないが、何らかのアクションを取る確率が高い。

 

(Bは呪印を与えた奴で間違いないはずだ。そしてAはおそらく……)

 

 秋水は別の端末に目を移し、分身から送られてきた情報を見る。中身は、リーナが家庭の事情で学校を休むというもの。

 

 リーナは十中八九この件に関係している。

 

 ニュースが出ることとリーナが学校を休むタイミングの一致は、全くの偶然ではない。USNAが日本に来たもう一つの、もしくは複数の内の一つの理由と関わっていると秋水は判断した。

 

(こんなことになるなら、プライベートナンバーを聞いておくんだったな)

 

 読みが甘かった自分自身に対し、秋水は嫌悪感を露わにする。学生用に宛てがわれるアドレスを使えばメールを送ることはできるが、メールはいつ相手が見るかわからない。電話をすることができれば、相手が応じたその瞬間から情報のやり取りが可能なのだから、即座に連絡を取りたい場合はやはり電話に分配が上がる。

 

(BがAに接触を試みたということは、何かしらメリットがあるということになる。これはBが、既にAの正体を把握しているということ。一方的な搾取を行わないということは、戦闘になった際にBが勝てない、もしくは勝てたとしても一筋縄ではいかないということ)

 

 この際Aは、一個体が異様に強い場合と相当の数がいる場合が挙げられる。今の状態で厄介なのは、前者よりも後者。一人を捕まえたとしても、トカゲの尻尾きりになるのがオチ。

 

(どちらにしても、メッセージがこうして表に出てきた以上は近いうちに奴らは接触をするはずだ)

 

 今日か明日か、はたまた一週間後か。いつかなどは関係なく、秋水はこの接触を快く思っていない。むしろ邪魔したい気持ちがほぼ占めている。ただでさえBの目的がわからない状態で、更に不確定要素であるAが加わる。ほぼ確実に面倒事になる。

 

 秋水はディスプレイに地図を表示し、事件が起こった場所に印を打っていく。Aが起こしたと思われる事件には赤の、Bが起こしたと思われる事件には青のマーカーを。加えて事件日がわかるものには早いものから数字を付けていった。記事を見れば事件が起こったのは都内に限るということがわかるが、自らの手で印を付けていくことで都内の中でも更に限られた地域であることがわかる。

 

(都心部……やはりあいつの言っていた通り、七草の勢力圏内か)

 

 被害地域は都心五区に集約されている。発生日と場所の規則性は今のところ発見できなかった。

 

(自分の庭でこれだけ自由にされていて、何も手を打たないはずはない。事件が収まっていないということは、返り討ちにでもされたか)

 

 本家が動いていないことは知っている。そうなれば手足である関係者たちが動く他ない。能力では七草本家に劣るが、フットワークの軽さや数が彼らの武器。けれど今回は、それが上手く機能してはいないようだ。

 

 七草の関係者がいくらやられようが関係ないと考えながら、秋水は次に事件が起こりうるポイントを予測する。都心を区単位で別けた際、未だ事件が起こってない区は無い。あればその区と予想もできるが、そうはいかなかった。発生件数が多い箇所、少ない箇所、最近起こっている箇所、持っている情報を全て駆使しながら考えていく。

 

 公表されていない情報がある以上、どの考えにも穴ができてしまっていた。

 

(もっと情報が必要だ)

 

 早急にAとBの情報がほしい今、秋水には使える手札が少ない。影分身を使えば手数は増えるが、同じ思考をもった人間を増やしてもたかが知れている。今必要なのは、知識があり別の考えた方と秋水が持っていない情報を持っている者。

 

(……いないな)

 

 適合する者はいなかった。

 

 正確には、全くいないわけではない。七草の関係者がやられているならば、その情報は七草家長女である真由美にも入っているだろう。だが、秋水は彼女から情報を取ることをかなりの前段階で切り捨てていた。達也も候補の一人。頭の回転は速く、知識は抱負。能力は文句のつけようがないほどだが、彼もダメ。深雪のガーディアンという立場上、彼は深雪に危害が加わる可能性が無ければ自ら動こうとはしない。今の段階では、同程度かそれ以下の情報しか持っていないだろうと秋水は判断した。

 

(やはり、自分でやるのが一番か)

 

 今までも、ずっとそうだったのだから。

 

 椅子から立ち上がり、秋水はキャビネットを開いた。クナイに手裏剣、チャクラ刀などが詰まっているその場所に、一つだけ白色の物がかけられている。目の部分だけ繰り抜かれた狐の面。暗部としての仕事をする際に身につける装束の一部。秋水は一瞬迷ったが、その面に手を伸ばした。正体を隠して行動するには変化を用いるのが最も理に適っているが、戦闘になった際に変化は長くは続かない。それならばこちらの方が良いと判断しての事だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 同日、夜。秋水は渋谷に足を運んでいた。都心五区を周りながら情報を集め、最も出現確立が高い場所を導いた結果だ。そして、その予測は正しかった。そう遠くない所で二箇所、異様なオーラを見ることができた。

 

 二箇所ともドーム状に覆われており、一方は戦闘中なのかその内部でサイオンがやけに活性化している。もう一方は未だ落ち着いているが、不穏な空気を感じ取ることができた。秋水は己の直感が告げる方へと向かう。

 

 ビルの屋上をいくつも跳び越え、表通りと裏通りの隙間へと入り込む。音なく降り立つのは、ポツンと設置されている街灯の上。淡い光が灯す先に広がるのは、一脚のベンチが置かれただけの小さな公園。

 

 都会に似つかわしくない静寂な空間には、二つの影があった。一つは性別不詳の人の形をした何か。もう一つは流行を捉えたオシャレな服装に身を包む女性のもの。その女性は何かに覆い被され、衣服が乱れているにも関わらず一向に動こうとしない。襲われ抵抗することを諦めたのか、抵抗する気力が無いのか、その答えは考える間もなくすぐに分かった。

 

 覆いかぶさっていた何かが体を起こし、街灯の上にいる秋水を見上げる。

 

 丸い鍔の帽子の下から覗くのは、目元だけを繰り抜いた白一色の覆面。肌の露出が一切見られないその服装からは、人の形をした何かよりも怪人という印象が強かった。

 

 秋水が相手に抱いた感想は、相手も秋水に対してほぼ同じことを抱いていた。秋水も仮面で顔を隠し、ロングコートのフードですっぽりと頭を覆っている。覆面か仮面かの違いで、見た目はどちらも似た容姿をしている。

 

 秋水は覆面の怪人を見下ろしながら、紅く光る眼を細めた。

 

(当たりと見ていいだろうが、随分と荒い)

 

 プシオンは荒波のようにうねっている。サイオンも同様で、酷くノイズまみれだ。全て見えてしまう秋水は、それを不快で仕方がなかった。仮面の下で苦虫を噛み潰したように顔を顰める。だが、目の前にいる怪人がAで間違いないという自信があった。

 

 荒れが収まると同時に、今度はサイオンが活性する。それは魔法を発動するときの同様の現象。怪人は自身を秋水に向かって跳躍させ、隠し持っていた警棒を叩きつけるように振るった。

 

(CADなしで魔法を……?)

 

 警棒が振るわれる直前にその場を離れ、秋水は地面に足を付けた。

 

 スイングと同時に伸びた警棒は、秋水の代わりに鈍い音を立てながら街灯を叩いて光源を破壊。怪人は着地すると自己加速を行い、再び秋水に肉薄する。

 

(やはりCADを使っている様子はない)

 

 回避を続けながら、秋水は分析を続ける。手足が二本ずつ。動きを見ている限り、関節を始めとして可動部位と可動範囲は人間と同じ。

 

(こいつ、女か)

 

 服の伸縮性などたかが知れているため、激しい動きをすれば否が応でも体つきがわかってくる。加えて手や足の大きさから、秋水はこの怪人が女性だと判断した。

 

 秋水は腰に付けていた短刀を抜きながら、柄で警棒を振るう腕を打ち抜いた。チャクラを纏わせた打撃、鈍い音が響く。

 

 怪人の腕が不自然に曲がり、警棒が手から抜け落ちる。秋水の追撃を怪人は紙一重で避けて後退した。折れた腕を無理やり逆方向に曲げて戻すと、得物を失ったためか戦闘スタイルを変えた。両手を握り拳にして前に出し、胸に近付ける。中国拳法のような構えだ。今日一の速度で接近し、折れたはずの右腕で拳を突き出してきた。

 

 不意を突かれて反応が遅れることはなかった。写輪眼の洞察力は、僅かな動きから先の行動を予測できる。秋水は自身の予想を確かめるために、今度は怪人の肘から下を容赦なく切り落とした。

 

 鮮血が舞い、怪人の視線が自身の腕に向いたことで一瞬の隙が生まれる。

 

 秋水は間髪入れずに怪人の腹部に蹴りを入れた。岩でも蹴ったような、人間ではあり得ない感触が足底部から伝わってくる。

 

(カーボンアーマー系の何かを仕込んでいたか……それにしても)

 

 秋水はやや痺れている足よりも、怪人の腕に注目していた。見る見るうちに高速で再生していく右腕は、怪人が言葉通りの化物であることを物語っている。生命力が強い千手だとしても、千切れた腕がまるごと再生することなど無いだろう。

 

 生まれて初めて見る光景に見入っていると、複数の不可視の刃が秋水めがけて飛んできた。咄嗟に横に跳び退くと、刃は方向を変え、地面に無残に転がっている腕を切り刻んだ。明らかな証拠隠滅。あの腕を持ち帰られて解析されると、怪人にとって不都合なことがあるのだろう。正体が明るみになるのか、生物としての弱点が露呈してしまうのか。

 

(今ので確実だな。こいつはCADを必要とせずに、使用した時と同程度かそれ以上の速度で魔法が使える。発動速度は並より少し上、使える魔法のレベルは下の上から中程度)

 

 秋水は短刀を鞘に納め、素早く印を結ぶ。

 

(どの程度の怪我まで再生するのか、再生回数に限度はあるのかは気になるが、それはコイツを生け捕りにした後で確かめればいい)

 

 夜に覆面をしていることもあり、視軸は合わせづらい。秋水はこの怪人が、まだBと接触していないと踏んだ。前回襲ってきた輩は二種類のチャクラを持っていた。そして内一つのチャクラが爆発する要因となった。けれど、目の前にいる怪人は荒々しいが一種類しか存在していない。チャクラとサイオンは別物だが、どちらも個体差があって然るべきもの。しかしながら、一種類とはいえ何かが覆いかぶさっているような感覚は拭えない。取り憑いている、と言ったほうが適切だろうか。

 

 答えがなんであれ、まずは視界を絶つことを優先した。

 

 ――水遁・霧隠れ

 

 周囲との空間を隔絶するかのように靄が生じる。少しずつ濃くなり始め、やがて霧に、そして濃霧へと変わっていく。秋水のように写輪眼を持っている者や、蔓延している霧の僅かな変化を察知できる者でもなければ相手の動向を把握することは困難なレベル。

 

 それを機に、怪人のプシオンの活動が活発になる。

 

(まただ……魔法発動には関係ないプシオンがやけに――)

 

 プシオンを使って外部と連絡を取っているのではないか。その考えに至った瞬間、反射的に秋水は動いていた。身を低くして正面から近づき、一度フェイントを入れてから掌底で下顎を素早く強打した。

 

 反応しきれなかった怪人は、回避も防御もできずに痛打を受けることになった。ふらふらとした足取りで少しでも距離を取ろうと後退する。体が思うように動かないのは、脳を間接的に揺らぶられたことで起こる脳震盪が原因。傷が即時再生する相手に何秒持つかは不明だが、普通の人間ならばしばらくは自分の意志で動くことはできない。

 

 足元が定まっていない怪人の体に、ワイヤーが何重にも巻きつけられる。足を払われた怪人は、なされるがままに地面に倒れこみ拘束された。

 

 秋水は片膝を怪人の背中に落とし、短刀を首元に当てた。動こうとしたために膝に体重をかけ、刃を首に少しだけ食い込ませる。僅かに皮膚が切れ、血が刃を伝って滴った。

 

「俺には魔法を発動する際の兆候がわかる。少しでもその予兆があれば斬る。プシオンを使って外部と連絡を取ろうとしても斬る」

 

 外部と連絡の件は秋水の勘でしかない。それでも、殺生与奪の権は秋水が握っていることに変わりない。仮面の下から覗かせる魔眼は、重力が何倍にもなったと錯覚するほどの圧を与えることができた。

 

 覆面を剥いで幻術をかける。実行しようと試みるも、それは叶わなかった。

 

 真横から打撃と間違うほどの突風が吹き荒れ、秋水の体を突き飛ばす。ワイヤーで繋がっているために怪人も共に飛ばされるが、一瞬の隙をついて怪人がワイヤーを切って脱出した。

 

 秋水は空中で姿勢を直し、木へと足を付けた。霧の代わりに砂埃が立ち込める。濃霧と比べてまだ視界は確保しやすく、先ほどの突風の影響でほどなくして消えるだろう。秋水はそれを待たずに標的の位置を探る。数は二つ。怪人と襲われていた女性の物。秋水に攻撃した相手の物は見つからない。

 

(長距離からの攻撃か、居場所が掴めないな)

 

 長距離からの攻撃は、秋水との相性が良い。写輪眼による戦闘は基本的に相手と近い距離でいることが主であり、はっきりと視認できるほど相手の情報を読み取ることができる。逆に言えば、見えなければ写輪眼の利点は発揮されない。相手との位置関係の違いが苦にならないのは、白眼のように三百六十度かつ遠方まで透視できるような瞳術を持つ者に限る。

 

 チャクラを高め、体外に膜を張る。須佐能乎よりも薄く脆いが、チャクラの消費量は微々たるもの。遠方からの攻撃に対する簡易的な対策だった。

 

 怪人が取った次なる行動は、逃走。

 

 身を翻し、自身が持つ最速の速度でその場から遠ざかっていく。

 

(逃がすか!)

 

 脚力と木のしなりを利用して、秋水は一気に加速する。

 

 どちらも普通の人間と比べれば化物のような速さだが、両者の中でも速度に違いはある。元から大した距離も離れておらず、速度も秋水の方が速い。遠方からの攻撃を躱しながらでも、人通りの多い場所に出る前に追いつくはずだった。

 

 あと数メートルで追いつこうと言う時だった。

 

 秋水は自らの足をその場で止めた。止めざるを得なかった。

 

 怪人はその間にも人混みの中へと紛れ込んでいく。深夜帯であるにも関わらず、若者から大人まで大勢が闊歩している。騒ぎは無い。たまたま気づかれなかったのか、突然のこと過ぎて声を上げることもできなかったのか、認識阻害の魔法を瞬時に発動したのか。

 

 どれも違う。

 

 怪人は未だにその場にいる。何か魔法を発動した様子もない。にも関わらず、人々は怪人がその場にいることを当然のように認識している。

 

(違う。こいつら全員、幻術にかけられているのか……!)

 

 道歩く人々は誰も口を開かない。虚ろな目をし、まるでゾンビの様に徘徊している。

 

 これが、秋水が足を止めた理由。迂闊に飛び込めば、幻術にかけられた何百という人間が一斉に襲い掛かってくる。何の証拠もないが、秋水はそう判断した。視線をいたるところに向け、術者を探す。

 

(いない。となると、俺はまんまとここに誘導されたわけか)

 

「初め、まして……裏葉、秋水さん」

 

(俺を知っている……ならこれはBの方)

 

 一人だけが秋水の方を向き、拙い言葉で秋水に話しかけてきた。術者ではない。単に操られているだけの、魔法師ですら無い一般人の男。

 

 どこかでこちらの様子を見ているのではないか。秋水はそんな疑問を抱いた。そうでなければ、タイミングが良いはずがないのだ。だがそうすると、もう一つ疑問が生じる。

 

 どこで見ているのか。

 

 少なくとも視認できる範囲ならば、秋水からも視認できるということ。夜であり、ビルとビルの隙間にいることを考えれば、望遠鏡の類で見ていることは考えにくい。近場にいるはずなのだが、写輪眼では見つけることができなかった。

 

「私、が……見つけ、られます、か」

 

 見透かしたかのような発言は、秋水に自身の考えが間違っていないと確信付けさせた。

 

「私は」

「ここに」

「います」

 

 発言者が増え、秋水を見る人間も増えていく。

 

 背後にあった扉が、蝶番が錆びたことで出る音を立てて開いた。室内の光が溢れ出し、そこから幻術にかけられた人々が秋水に向かってぞろぞろと歩いていくる。

 

(五◯◯以上は確実か。面倒だが、不可能な数じゃない)

 

 周囲の何処かに潜んでいるならば、一人ひとり倒していけば必ず行き着く。幻術に操られているのはたかが一般人、術者に当たるまでに苦労はするがそこまで時間はかからない。

 

 突然、一番初めに話しかけてきた一般人の頭を後ろにいた大男が強打した。倒れたものの意識は失っていない。幻術が解けて正気に戻ったのか、小さな声には痛みに嘆く声とうめき声が交じり合っていた。

 

 倒れてから程なくして、倒れた男の体が突然爆発した。

 

「私が」

「見つけられ」

「ますか」

 

 挑発のために同じ言葉が発せられた。同時に、その場にいた人間が一斉に歩みを止めて秋水へと視線を向け、声を上げること無く襲いかかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。