落ちこぼれ。
その烙印を押されることがどれだけ辛いことかは、当事者になってみなければわからない。勝手に期待を押し付けておきながら、その期待に応えられなければ低能・無能だと罵る。実に自分勝手だ。そして不満をこぼしたとしても、それは届くことはない。全て負け犬の遠吠えとして処理されてしまう、理不尽な世界。
彼もまた、そんな理不尽の被害者だった。
彼の両親は優秀な魔法師だった。父が現代、母親が古式の出身で珍しいカップリングではあるが、夫婦仲は円満だった。しかし子供が生まれ、素養を検査されると一変した。お前が悪い。あなたが悪い。自分のせいではないと言い訳をしながら、子供の出来の悪さを相手のせいにした。さすがに育児放棄をするまでには行かなかったが、彼が物心つく頃には既に家庭に会話はなかった。子供ながらに、もう期待されていないことはわかっていた。両親の目には彼は映っていない。
彼はそれでも、努力をした。少しでも自分を見て欲しくて。
彼は魔法科高校を志望した。有数の進学校でありながら、魔法師としての育成も行っている。ここに入ればきっと変わる。そう思っていた。
しかし、結果は付いてこない。一科生はまだしも、
彼は魔法科高校ではなく、地元のそこそこのレベルの高校に進学した。滑り止めで入ったこともあってその中では優秀な部類だったが、彼の心は満たされなかった。それどころか、こんなところでしか輝け無い自分に酷く苛立ちを覚えた。行く意味を感じられなくなり、夏休みが始まる頃にはすでに学校へも通わなくなった。代わりに、夜の街へと出歩く回数が増えた。
世の中には似たような境遇の人間がいるもので、彼はそこで同類と出会った。同じ痛みを知る物同士。年齢はバラバラだが、全く気にならない。傷の舐め合いだったとしても、彼にはそこが居心地の良い場所だった。
数ヶ月が過ぎた頃、灼熱のハロウィンが起きた。魔法の優位性を示したあの事件だ。世間では、魔法師の存在を恐れる者がいる一方で、強力な力を持つ者達の憧れも強くなっていった。
そして、彼の下に転機が訪れた。違法ドラッグには手をつけていなかった彼らの仲間の内、一人がどこからかおかしな薬を持ってきたのだ。錠剤や粉末ではなく液体。一ミリリットルも入らない程度の小さな注射器に入っていて、色は怪しげな緑色。注射器の上下を反転させてみれば、液体の粘性はさほど高くないことがわかった。聞けば、潜在能力を開花させる薬のようだ。注入時に高熱がでてしまうが、上手く行けば今の何倍、何十倍もの力が手に入る。嘘くさい話だが、彼の仲間はそれを鵜呑みにしていた。利点だけでなく、欠点も述べられていたことで信頼してしまったのかもしれない。彼の仲間は仲間分の薬を入手し、皆でやってみようと提案してきた。彼は最初は断った。だが、熱のこもった説得に一人、また一人と周囲が陥落してく。
負け犬の人生はもう嫌だ。
誰かが発したその言葉は、彼の頭を強く打ち付けた。彼も首を縦に振り、注射器を手に取った。非侵襲化が進んだことで無針となっている。痛みもないため、一度やると決めたら行動は早かった。
皆で一斉に、薬を体内に流し込んだ。
注入部位から、妙な痣が浮かび上がる。人それぞれ模様は異なっていた。
突然、胸が苦しくなり始める。体内に入り込んだ異物に対し、拒絶反応を示しているかのように全身に激痛が走り始めた。いっそ殺せと泣き叫ぶ事さえできない。口から出るのはよくわからない言語。全身をナニカが這いずり回り、蝕んでいった。そして彼は、意識を失った。
彼は目を開ける。一体どれほど気を失っていたのかはまだわからない。周りを見ると、まだ誰も起きていなかった。ゆっくりと立ち上がり、両の掌を見つめる。
全身から力が溢れてくる。今ならば、何でもできそうなほどに。
ふと目に付いた壁を何気なく殴りつける。本来素手で殴れば、痛めるのは自身の手。しかし手に痛みはなく、壁はいとも簡単に崩れ去った。目を見張った。魔法を使ってもいない、本気ではない状態でこれだ。本気を出せば一体どれだけの力が出せるのか。考えるだけで、彼は笑いが止まらなくなった。
「おはよう。気分は良いみたいだね」
背後からかかる声に驚いて振り返る。フードを被っていて顔はよく見えないが、初めて聞いた声だった。
「……誰だ?」
「そうか、キミとは初めましてだったね。ボクはそこで寝ているカレの友達、とでも言えば良いのかな。そして、キミにその力を与えた者でもある。ああ、それと、このフードのことは気にしないで。人見知りなんだ」
嘘にしか聞こえなかった。
偽名さえも名乗らなかった。怪しさはあるが、この力があれば問題ないという自信が、彼にはあった。
「こいつらは、いつ起きるんだ?」
「さあ。馴染むまで個人差があるし、馴染めずに死んじゃう個体もいるからね。とりあえず持って帰るけど、あんまり期待しないほうがいいよ」
実験動物としか見ていないかのような物言いに、彼の不信感は強まっていく。
「……どういうことだ?」
「あれ、聞いてないのかい? この薬はボクが改良したとはいっても、まだまだ成功率が低くてね。十人投薬すれば七、八人は死んじゃうんだよ」
「ふざけんなっ! 人の命を何だと思ってんだ!」
拳を強く握り、殴るために全速力で走りだす。全力で殴れば人がどうなるかは想像できるが、加減するほどの余裕は無かった。
だが、力いっぱい振るおうとした拳は途中で止まってしまった。フードの奥から除く深紅の眼と目を合わせた突端、金縛りにあったかのように、思うように動かすことができなかった。
「どうして怒っているんだい? キミは、選ばれた側の人間じゃないか」
耳元で囁かれる言葉が、脳内に麻薬として入り込む。
「この力に適合できたキミには才能がある。今ニュースで取り上げられている魔法師なんかとは比べ物にならないほどの、ね。キミがその気になれば、もっともっと強くなることができるさ。きっとご両親も、キミのことを誇りに思うようになるだろうね」
潜在的に求めているところを刺激する言葉は、甘美の酒のようだった。上手く上手く、知らない間に線路が変更されていくことに気づいていない。
「ボクの下においで。そうしたら、キミにさらなる力を与えてあげよう。そして協力して欲しい。キミと同じように芽が出ていないでくすぶっている人達を、一緒に救おうじゃないか」
金縛りが解けると、彼は力なく佇んだ。どうすればよいのか、まだ迷っているのだ。
「強制はしないよ。決めるのはキミ自信だ。でも、考えて欲しいな。キミは今、必要とされている。キミの助けを待っている人がいる。キミはもう与えられるだけの人間じゃない。与える側の人間だ」
◇◇◇
リーナが第一高校に留学してから、既に数日が経過していた。留学初日から、彼女は有名人となっていた。理由は簡単。美男美女が多い第一高校の中でも、更に頭一つ抜けている深雪に引けをとらない美貌を持ってるためだ。加えて、留学生という立場から絡みやすいという理由もある。既に二人のどちらが好みか、などと男子生徒間で話題になっていることは、当の両名は知らない話。
「ねえ、ホノカ」
「なに、リーナ?」
授業中、リーナはホノカに声をかけた。座学ではなく、現在は魔法実技の最中。教師が一人しかおらず、一人ひとりを見る時間が限られているために、生徒同士が教えることもある。二人一組を組んだ際にチームになったほのかとリーナが会話をすることは、別段不自然なことではなかった。
「ウチハシュウスイってどんな人?」
少し声を抑え、変な勘違いをされないように抑揚も抑えた。リーナはここ数日、秋水を観察していた。色恋ではなく、容疑者の一人という理由で。観ていく内に、リーナの中での秋水のイメージと現在の姿が徐々に乖離していった。
九校戦時の秋水は負の方面へ強い感情を抱いていたために、その差は仕方がない。だが、裏葉の性質を知らないリーナからすれば、首を傾げたくなるのも無理はなかった。
「どんな人って、うーん……とにかく凄い人、かな」
悪い印象はないが、これといって良い印象もない。そこまで深い付き合いが無いほのかが抱くのは、授業や九校戦での成績が主。天才と言う言葉がふと浮かんだが、想い人である達也が好きではない言葉のため、声に出ることはなかった。
「凄いって?」
秋水の優秀さを、アトラスとの戦いを通じてリーナは嫌というほど知っている。リーナが知りたいのは、優秀さの理由だ。写輪眼という血継限界を持っているからなのか、はたまた別の理由なのか。
「えっと、勉強はできるし、実技もできるし。あとは、女子からの人気かな」
調度良いタイミングで、実技が秋水の番に回る。
女子生徒の大半は手を止め、秋水へと視線を向けていた。彼女たちの視線に込められている想いは様々で、それは傍から見ていたリーナにもよくわかった。
「……確かに、すごいわね」
聞き方が悪かったために求める答えは得られなかった。
「裏葉さんのことなら、深雪に聞いた方が良いと思うよ」
これ以上深掘りするかどうかリーナが考えていると、ほのかが自分よりも適している相手の名を言った。理由を知らないリーナは、頭に疑問符が浮かぶ。
「二人は生徒会の役員だったから。私より詳しいと思うよ」
ほのかの言葉はリーナにとって、もっけの幸いとなった。
「ありがとう、ホノカ。あとでミユキに聞いてみるわね」
「うん。でも、どうしてそんなに裏葉さんのことが――」
そこまで言いかけて、ほのかはハッと表情を一変させた。気づいてしまったという表情は、更に変化する。どこか嬉しそうな表情は、仲間を見つけたとでも言わんばかり。自身が達也に一目惚れように、リーナも秋水に惚れたのではないか。ほのかの頭の中では、妙な式が成り立っていた。
「多分、ホノカが思っているようなことじゃないわよ」
精神干渉を特異とする魔法師でも、勿論心理分析を得意としているわけでもないリーナ。しかし彼女はこの時、ほのかが何を考えているのか手に取るようにわかっていた。それほどまでに、ほのかの顔ばせはわかりやすかったのだ。
「まだお話をしたことが無かったから、どんな人か聞いてみたかったの」
あまり話すのが好きじゃない人に話しかけるのは、なんか申し訳でないでしょ。と付け足す。真実を告げることはないが、誤解されるのはまずい。リーナは自身の立場から無難な解答を引っ張りだした。
リーナの言葉を聞き、ほのかは恥ずかしさからまた
◇◇◇
魔法科高校の授業は、月曜から土曜まで一限から五限まできっちり組まれている。魔法の理論実技を学ぶだけでなく、一高校生としての一般素養もしっかりと身につけなければならないためだ。むしろ立場を考えれば、より一層教養には気をつけねばならないだろう。興味のない科目や、今後の人生で必要が無いと思えてしまうような科目であっても、しっかりと授業を受け、知識を身につけなければならない。
五限目の授業が終わる頃には、外は昼の色から夜の色に変わりつつあった。多くの生徒は部活動に精を出すため、帰宅する生徒は少ない。その少数の中に秋水の姿があった。
(鬱陶しい……)
表情に出さず、内側で毒を吐く。
ずっと見られている。女子達の好意が含んだ視線でも、男子たちのあこがれや妬みを含んだ視線でもない。一番近いのは、入学式に達也から向けられた観察の視線。
相手は既にはっきりしている。留学初日から学校を沸かせたリーナだ。気づかれないように誤魔化している。と、視線を向ける当人は思っているのだろう。しかし、実際は全くと言っていいほど気配を隠しきれていない。透遁術を習いたての下忍以下の出来栄えだ。そんなお粗末な視線をチラチラと何度も向けられれば、気が散ることこの上ない。
声をかけることも考えたが、相手は最早芸能人並みの有名人と化している。周囲に第一高生の目が多くある以上、今の段階では下策。それに、あと少しでコミューター乗り場に着く。それに乗ってしまえば、流石に追っては来ないだろうという楽観的な考えもあった。
コミューターから降りた秋水は、乗り場から続く道を伝って出ることができる市街地を歩いていた。暗くなった空とは対照的に、街灯や店の看板、ショーウィンドウなどがライトアップされていることで夜をあまり感じせない。人の往来も多く、仕事終えたサラリーマンや学校を終えた学生が多い。向けられる視線も含め、いつもと同じ。とは言いがたかった。
(まだ付いて来ているのか)
人が多くなったことで気配は紛れるものの、「見失わない」という意思が強くなっている。流石に容姿は変装しているが、秋水にとってはまるで意味を成さないことだった。
あと少し歩けば、住宅区に入る。人通りも少なくなったところで声を掛けようと決めた時だった。
後方からガラスが割れる甲高い音が辺りを支配した。
ボールが当たって割れたような小さな音ではない。人が衝突したかのような、大きな音だ。
何事かと、周囲の人々の時が一斉に止まる。止まった時の中で動いた人物は、わずか数人。うち一人の秋水が目に力を込めると、瞳が紅く変化し、三つ巴が浮かぶ。
振り返ると、ガラスを割った犯人を捉えた。年齢は二十代後半程度。不良という言葉が似合うような容姿。酷い興奮状態で、肩はわざとやっているのではないかと思えるほど上下に動いている。白い吐息は、彼の体から発する蒸気のように見えた。
「写輪眼……! その眼、その面、間違いない。見つけたぞ、裏葉秋水!」
秋水は男に見覚えは無かった。勿論これまで出会った人間を一人ひとり覚えてるわけではないが、
「……?」
秋水は写輪眼を通じ、男が持つチャクラの異変に気がついた。元来、体内に流動するチャクラは一種類。全く別のチャクラを持つ者は、それこそはるか昔にいたとされる人柱力ぐらいのものだろう。だが、目の前の男には二種類のチャクラが流れている。男本来のチャクラを青とすれば、異物は赤色をしていた。
「死ねェ!!」
一般的には速い動き。しかし、秋水から見れば取るに足らないもの。軽く後方へと跳ぶだけで簡単に回避ができる。回避せずとも、術を使えば簡単に倒せる。とは言え、今はそれができなかった。秋水だけ避けても一般人はそうではないし、術を放てば周囲に被害が出てしまう。昔とは違い、今はそれを良しとしない自分がいることに、秋水は少なからず自嘲してしまう。
打つ手なし。
そんな答えに辿り着くことは無かった。
秋水には伝家の宝刀が残っている。敵の動きを封じ、周囲に害を及ぼさない適した武器が。
手も脚も動かす必要はない。視軸を合わせる。それだけの行為で十分。
――幻術・写輪眼
男の動きが急停止する。
永遠の光を手にした秋水の写輪眼は、万華鏡状態にせずとも瞳力が格段に上昇している。時間や空間を完全に制御できるわけではないが、確実に金縛り状態にすることぐらいお手の物。幻術世界では、男は空間から現れた鎖で身動きを封じられていた。
秋水はビー玉サイズの火薬玉を取り出し、空中に投げる。爆竹と同程度の破裂音がすると、周囲の人間の時間がようやく動き出した。止んでいた音が至る所で鳴り始める。悲鳴を上げて逃げ始める者もいた。
それでいい。
リーナに関しては、その場に留まるわけには行かず、場所を移したようだ。ガラス張りのショッピングセンターなどだろう。上の階に行けば行くほど、興味本位でこちらを見ている客が多い。この距離ならば問題は無いと思い込んでいるのだ。溶け込むには持って来いだろう。
秋水は幻術に掛かっている男にゆっくりと近づいた。
「答えろ、お前は何者だ? 何故俺を狙う?」
「おれ、は――」
たどたどしい言葉が、途中で詰まる。
男の指先が、わずかに動く。
うなじの右側を中心に、別物のチャクラが活性化を始めた。その様子に、秋水は目を見張る。まるで意思を持っているかのように体内を巡りだした。まるで賦活剤を打ち込まれたようだ。
男の見た目に変化が現れたことと、幻術を破って動き出したのは同時だった。
秋水は先程はできなかった回避を選択し、攻撃を躱す。
振るわれた拳は標的を失ったことで、代わりに地面を打った。陥没させ、破片を僅かに飛ばした。威力はそこそこだが、スピードは先程より確かに増していた。
「その黒い模様、呪印術か」
自業呪縛。舌禍根絶。呪印術に代表される二つの術の特徴としては、痣のような模様が浮かび上がることだろう。症状が似ているため、秋水はそう判断した。
(いや、だがこんな)
呪印術だとすれば、気になる点も出てくる。呪印術の基本は、対象の思いや行動を意のままに支配すること。多くは動きを封じるタイプであり、幻術対策や身体強化などの補助系のタイプは秋水が知る中では無かった。
「裏葉の幻術など、効かんっ!」
身体を這いずりまわる模様は全身に及んだ。比例して、男の中の別のチャクラ量も多くなっている。
もし従来の呪印術だというならば、何かの制約を設け、強制的にチャクラを増幅・幻術対策をしている可能性が高い。そう考えた場合、問題になるのは制約の中身。現時点で有力視されるのは、性質変化を行わないこと。身体さばきは素人に毛が生えた程度だが、忍術を使えないとは言い切れなかった。次に公算が大きいのは、思考力の低下。興奮状態だったことを考えれば、こちらもあり得ない話ではない。
(もう少し、様子を見てみるか)
答えを出すには材料が足らないために、秋水は時間を稼ぐことを選択した。情報を抜き取る手段はあるが、チャクラの消費が激しい問題点がある。それにあの程度の破壊力ならば、防いだとしても身体にダメージが残ることはないと判断を下したためだ。いざとなれば須佐能乎による絶対防御もあるが、これはリーナが見ている以上あまり使いたいものではなかった。
「俺を殺したいんだろう? 早くかかって来い。それとも、怖くて怖気付いたのか?」
絵に描いたような挑発。それでも、思考力が低下している仮説が正しければ有効だろう。頭が回らなければ、言葉を深読みせずにありのままを受け取る。これは誰でも共通のことだ。
実際、男は青筋を立て、怒りで破裂しそうなのか体は小刻みに震えていた。
後一押し。
「大層な力を手に入れても、宝の持ち腐れだな。中身は変わらない。お前は、どこまで行っても落ちこぼれだ。俺の……いや、裏葉の足下にも及ばない」
内部で循環していた怒りが破裂する。
「黙れェェェ!!」
怒声を上げながら男は迫ってくる。黒い痣は更に多くなり、結膜は黒く、角膜は黄色に変化していた。怒りや感情の昂りによって反応するようだ。
連続で繰り出される攻撃を、秋水はすべてさばく。躱し、往し、防ぐ。防御一辺倒ではなく、隙あればジャブのような軽い攻撃を繰り出すために、男のフラストレーションは溜まる一方だった。
大きく振りかぶってから叩きつけた拳を、秋水はあっさり掌で受け止めた。チャクラの量は多い。これは事実だ。しかし、使い方がなっていない。一点に集中するようなコントロールをせず、流動するままに任せている。もしかしたら、忍術はおろかチャクラのコントロール法さえも知らないのかもしれない。秋水の中で、新たな説が生まれつつあった。
ふと、力が強くなる。
(……? こいつ、チャクラの質が)
全身に巡っていた痣の量は赤みを帯びて増え続け、一つ一つが繋がって肌を別の色に上塗りしていく。
化物の姿態となった男から、秋水は一旦距離を取った。
その行為を見て僅かに溜飲が下がったのか、男は不敵な笑みを浮かべる。
「逃げたな!? 無理もない! なにせこの状態は、これまでの数十倍以上の力を出せるのだからな!」
(うるさい奴だ。数十倍というのも嘘ではないようだが、気になるのは今のこいつのチャクラの質)
十倍になったところで、せいぜい一が十や二十になった程度。元々が大したことがなければ、倍率が高くともどうということは無い。気になっているのは、男のチャクラの質が普通では無いこと。精神エネルギーと身体エネルギーの他に、別のエネルギーが混ざり合っている。
思い出すのは、九校戦時に戦ったアトラスの最後の攻撃。あれにも別のエネルギーが混ざっていた。男のものはその時よりも純度が低いが、根本的には同じだろう。示唆されることは、自然エネルギーを取り込んだということ。三種のエネルギーを混同し、新たな仙術チャクラを練りだしたということだ。容姿が変化したことも、仙術チャクラならば納得がおく。扱いが難しいそれは、比率を間違えただけでもすぐにその影響を体が受けてしまう。
(吐かせるしかないな)
いつ、どこで、誰から得たのか。知りたいことが蓄積していく。チャクラの消費量など気にしている場合ではなかった。
「だが今更――なっ!?」
男の目には、秋水が一瞬で接近したように見えただろう。型は八極拳の頂肘に近い。突き出された肘は男の顔面を捉えた。
高速移動のまま放った肘打は、かなりの威力を有している。大の大人を数メートル以上転がすには十分なほどに。
それだけでは終わらない。不格好な後転を続ける男よりも速く移動し、待ち構える。写輪眼で見切り、タイミングを見計らって秋水は体を宙に浮かせて体をひねった。腹部が天を向いた際に容赦なく、勢い良く足を振り下ろす。踵は寸分の狂いもなく、鳩尾を捉えていた。
「ガハッ……!」
男は口から勢い良く血を吐き出し、力なく倒れた。
死んではいない。ただ気絶しただけだ。体の変化も消え始め、痣も引いていく。どうやら媒体の意識が飛ぶと、自動で解除される使用のようだ。
(始めるか)
秋水は万華鏡へと写輪眼を変化させる。三つ葉銀杏に組み巴が重ね合わされたような模様。光を失うことのない、写輪眼の真の状態とも言える。
相手の意識の有無は関係ない。一度その術を発動させれば、時間はかかるが脳に刻まれた記憶を全て見ることができる。映像からその時思った感情まで。現代の科学技術を持ってしても不可能なことを、左眼の万華鏡に宿る「
いざ、眼と目を合わせようとした時だった。
「――!?」
男の体に再度変化が起きる。
内部でチャクラが再び活性化し、耐え切れなくなった体がブクブクと歪に膨れ上がる。口から出ていた血液は、沸騰したかのように泡立ち始めた。
爆発。
アトラスとの戦闘からか、秋水は即座にその言葉を想起した。尚も膨張を続け、皮膚が避け始めた男の姿は、秋水が思い浮かべた事象を今にも証明しそうだった。須佐能乎の腕だけ発現させ、思い切り上空へと放り投げる。どの規模で爆発するかわからない上に、周囲には高層の建物が多い。自身の力だけでは無理だと判断した上での行動だった。
爆発すれば、肉片が降り注いで大変なことになってしまう。
秋水は後を追うように、近くのビルの壁を駆け上がる。屋上まで行くと、右眼を一度閉じた。右手の人差指と中指をピンと伸ばし、右眼にチャクラを集中する。目尻に血が溜まり、ゆっくりと頬を下っていった。
――天火明!!
充血した右眼を見開き、ピントを爆発寸前の男に合わせた。
超高温の熱が、男の体を一瞬で焼き尽くした。その場になにもないことが、男の存在がこの世から抹消された証。
被害を生むという最悪の事態は防げたものの、秋水の表情はすぐれない。それどころか、虚空を睨みつけ、舌打ちをする始末。
情報も読み取れなかった。須佐能乎を使っただけでなく、天火明まで使ってしまった。永遠の万華鏡だからこそチャクラの消費だけで済んだが、移植前ならばそうはいかない。己の慢心が招いた結果以外の何物でもなかった。
だが、何も情報が得られなかったわけではない。
幻術を解き、擬似的な仙術チャクラを扱い、意識を失っても勝手にチャクラが動く。単なる呪印術にしては効果の幅が広すぎる。そして何より、
(調べてみるか)
写輪眼を解除し血を拭った秋水は、闇夜に溶けるようにビルの屋上から姿を消した。