初めから、偽物だと疑っていなかった。疑うはずもなかった。
手入れの行き届いた艶のある綺麗な黒髪も、すべてを吸い込むかのような黒い瞳も、異性を虜にする容姿や仕草も、何もかもが彼女そのものだった。ずっと近くにいたのだ。絶対に間違えるはずなど無い。
「なん――」
「大きくなったね」
兎が跳ねるかのように近づいてきた風夏は、久しぶりに会った従姉妹のような台詞を吐く。とても死人が最初に口にする台詞とは思えない。
「は?」
秋水の口から、マヌケな声が漏れた。
「身長。前は私と同じくらいだったのに。やっぱり、成長期の男の子は背が伸びるのが早いね」
風夏は背伸びをしても秋水の目線にならないことに驚きながらも、嬉しそうだった。
そんな風夏を余所に、そういえば、というのが素直な感想だった。秋水の身長はここ数年で順調に伸びていた。昔は同じ高さだった目線も、今ではだいぶ差がある。それは普通に生活ができていれば、もっと早くに気がつくべきことだ。
「それに、少し大人っぽくなった」
慈愛に満ちた目で、上目遣いでじっと見つめられてしまうと言葉が出なくなってしまう。勝手ながらも敬愛する存在として、尊敬する存在として、目標とする存在として、昔から風夏には頭が上がらなかった。当時は身長もさほど変わらず、歳も二歳上だった。だが今では、身長も年齢も秋水の方が上。なんとも複雑な気持ちだった。
「姉さん」
「なに?」
首をかしげる仕草が誰かと重なる。
「ここは死後の世界、なのか?」
随分と馬鹿げた発言だろう。死んだ姉がいて、失ったはずの両眼に光がある。幻術か否かの判断はできるため、答えはもうわかっているようなものだった。本心では別のことを聞きたいが、それを話す勇気がまだ足りていない。
「んー、そうと言えばそうなんだけど、違うといえば違うんだよね」
はっきりしない物言いは、秋水に気を使ってのものではない。どう言ったら良いのかわからないようだった。顎に指を当てながら考える癖は、懐かしいものだった。
「あの世とこの世の間にある、精神だけの場所って言えばいいのかな」
「精神……なら、姉さんはなんでここに?」
浄土でないことに驚きながらも、秋水は浮かんできた疑問を素直に投げかけた。精神の世界というならば誰かいてもおかしくはないが、風夏だけがいるのは少しおかしい。
「私が死ぬ時、私のチャクラを少しだけ秋水に渡したの。だからこうして私はここにいられる」
チャクラとは身体エネルギーと精神エネルギーを合わせて生まれる、あらゆる術の素となるエネルギーのこと。祖である六道仙人は「個々を繋げる力」としていたが、時の流れによってそれを知る者は消え失せてしまっている。あくまで、忍術などを発動させるために必要なもの、くらいの認識が強い。事実、秋水もチャクラにこのような力があることを知らなかった。
「……ごめん」
チャクラについて言及する気力はなかった。風夏の口から放たれた「死」という言葉が、秋水の自責の念を大きくする。
今にも消えてしまいそうなほどに、情けないほどに弱々しい声だった。目線を下に落とし、風夏の顔を見ようとしない。
「急にどうしたの?」
「俺が強ければ、あの時あんなことにはならなかった」
風夏は秋水を庇って死んだ。
あの時に力があれば、そんなことにはならなかった。守られるのではなく、守れるくらいの、敵を殲滅できるほどの力があればこんなことにはならなかった。過去の事をいくら悔いたことで何が変わるわけではないということを頭が理解していても、それを止めることができなかった。
「俺が弱かったばかりに、姉さんは……」
歯を食いしばり、拳を強く握る。
風夏は首を横に振った。
「それは違うよ。あの時私は、私の意思で行動した。だから秋水が後悔することなんてないの」
お前のために死を選んだ。
かつて幻冬に言われた言葉。「ため」と言えば聞こえは良いが、言い換えれば、「お前が殺した」ともなる。風夏の意思の有無など関係ない。
風夏の言葉で、溜まっていた感情が一気に爆ぜた。
「後悔しないわけ無いだろ!」
あの日からずっと、忘れたことなど無かった。止むこと無く吹雪く悔恨は、日に日に積もっていった。
あの日を堺に、秋水は一層強く誓った。
「なんで、いつもいつもそう勝手なんだ! 俺のことをわかったように言って、残された俺の気持ちを考えたことがあるのか!」
もう誰も、大切な人を失わせない。
必要なのは力。得るために手段は選ばない。それさえあれば、他のなにもいらない。友も、愛する人も。いればいるだけ、失った時の痛みが強くなるだけ。もうあんな思いをするのはたくさんだった。
「なんで俺を庇ったりした、俺は姉さんに生きていて欲しかったんだ! 姉さんが生きているなら、俺は! 俺は、あそこで死んでよかった……!」
完全な八つ当たり。子供が癇癪を起こすのと変わりない。わかっているつもりでも、心はまた別だった。もう、秋水は自分で止めることはできなかった。
風夏は驚きもせず、腕を伸ばしては秋水を抱き寄せる。
突然のことで、秋水は何も抵抗ができなかった。あれだけ叫んでいたにも関わらず、電池が切れたように途切れる。
「ずっと秋水の中から見てたから知ってるよ。私のために泣いてくれたことも、怒ってくれたことも、私のせいでお父様と仲違いしちゃったことも、全部知ってる。それにね、秋水が私に生きて欲しいって思ってくれるように、私も秋水には生きてほしいの。あなたは大切な、たった一人の弟なんだから」
久しぶりの人の温もり。
秋水の目から涙がこぼれた。その都度鬱陶しく感じるそれも、不思議と今はない。
「だから、死んでも良かったなんて言わないで」
「ごめん」
それしか言えなかった。
濡れた視界を閉じ、空いていた手を風夏の背へと回した。
少しの間だけ、昔に戻れた気がした。
「大丈夫そうだね」
昔もこうして、落ち着くまでそばに居てくれた事があった。秋水がすぐにぐずってしまう本当に小さい時から、母を失くして悲しんでいる時も。
「ああ」
秋水がそう言うと、二度軽く背を叩いてから風夏は離れた。
「そっか、それなら安心だね。……私は、そろそろ行かないと」
風夏の身体が僅かではあるがほころび始める。チャクラが炎のように揺らぐ様は天に召されるかのようだ。
「もう、そんな時間なのか」
チャクラは無限ではない。いずれ、その時が来ることはわかっていた。しかしいざその時が来てみれば、やはり名残惜しい。遠方の友人との別れとは異なり、時が経てばいずれまた会えるということもないのだ。もう二度と、奇跡は起こらないだろう。
「こうして話してるだけなら、まだいれるんだけどね。でも、私はあなたを現実へと戻さなきゃいけない」
「どういうことだ?」
「さっき、ここはあの世とこの世の間だって言ったよね。それはどっちの世界にも行けるってことなの。向こうに戻るには本当はかなりの量のチャクラが必要なんだけど、何事にも例外はあるのよ」
風夏の目が紅く染まり、基本巴から組み巴のような形へと変化した。秋水も初めて見る万華鏡写輪眼は、怪しい輝きを放っている。
現実に戻されれば、秋水はまた「彼」と相対さなければならない。自然と顔がこわばったものになる。
「私の瞳術を使えば、少ないチャクラで戻ることができる。そしたら残りは――って、どうしたの?」
「……あいつに勝つイメージが湧いてこないんだ」
自分よりも強い相手と戦ったことが無いわけではない。その時は相手の仕草や言動、写輪眼の洞察力を持って活路を見出してきた。弱点を見つけては、そこを狙って勝利を掴んできた。相手との差は、それで覆せるほど近いものだったのだ。たが、霆春は違う。武御雷による雷速移動と、肉体の完全雷化。そこに不死性の付与。秋水の何倍も生き、何十倍、下手をすれば何百倍もの埋めがたい経験値の差が存在している。何をしても無駄と思えてしまう。秋水にとって、こんな経験は初めての事だった。
「確かにお祖父様は強い。穢土転生の恩恵で、はっきり言って戦闘力は全盛期以上になっていると思う」
第三者からの貴重な意見。互いの力量をある程度知り、かつ主観が入っていない分、秋水の分析よりも確かなものだろう。
「今の秋水が相手取るのは難しいかもしれない。でも、誰かのサポートがあったらどう?」
「サポート?」
「そう。さっき言いそこねちゃったけど、私に残されたチャクラを、力をあなたに全部あげる」
どの程度のチャクラが残っているかは分からないが、いくらチャクラが増えたところでどうにかなる相手ではない。そもそも両眼ともイザナギによって失明してしまっている。秋水を通じて見ていたのならば、それくらいのことはわかるはず。秋水は風夏の言っている意味がいまいち掴めていなかった。
「実際に眼を交換するわけじゃないけど、きっと本来の万華鏡の姿に近づける。そうなれば、お祖父様にも勝てるはず」
永遠の万華鏡写輪眼。他者の万華鏡を移植することで、光を失うことがなくなる万華鏡の真の姿。他に条件があるのか、移植しても永遠を手に入れられるとは限らず、限られた例からは近親者ほどその可能性が高いとされていた。その点から見れば、秋水にとって風夏の万華鏡はこれ以上ないほど条件を満たしていると言える。
「自分の力を信じて。秋水が思ってる以上に、あなたは力を持ってる。私のマネをする必要はないんだよ」
秋水の時空間忍術は、一般と比較すれば上。脅威となるほどに強力だ。だが、真に得意としている者達には敵わないレベル。それを自覚して尚修練し続けたのは、同じ魔法を使うことで風夏が傍にいるような錯覚を得られたからだった。
「そうか。なら、なんとかなるのかもな」
あっけらかんとした秋水の言葉に、風夏は心底意外そうな顔をした。
「どうした?」
「もっとウジウジするかと思ってからね」
「ウジウジって……。まあ、姉さんに言われなきゃとてもじゃないが信じられなかったし、きっとそうだったんだろうな」
口にしたことはない。態度でバレているのかもしれないが、秋水は風夏に絶対の信頼を置いている。風夏がそう言えばそうなのだろうと、秋水の中ですぐに答えが出るほどに。些細な事で揺らいでしまう自信と不変の信頼、比べるほうがどうかしている。それに辛い時こそ、信頼している人からの言葉は励みになるものだ。
秋水の言葉に、風夏は笑みを浮かべた。
伸ばされた両手は、秋水の頬に触れた。軽く引っ張られ、額が風夏の額と合わさる。まだ残っている温かさは、これから消えてしまう人のものとは思えなかった。
「約束してほしいことがあるの。聞いてくれる?」
断る理由など、どこにも無い。秋水は肯定の旨を伝えた。
「ありがとう。
……もう少し、周りを見なさい。きっとこれから、これまで以上に辛いことや悲しいこと苦しいことが起こると思う。どうしても逃げられない事もあると思う。一人で超えられない壁が出てくると思う。秋水はそれでも突っ走っちゃいそうだけど、そんな時だからこそ周りを頼りなさい。恥ずかしがることなんて何もない。友達でも、恋人でも、家族でも誰でも良いの。きっと皆、あなたに力を貸してくれるから。それと、この先もずっと生きて幸せになって。好きな人と付き合って、結婚して、子供を授かって、お爺ちゃんになるまで長生きして。もし早く私のところに来たら、許さないからね」
一言一句を神の啓示のごとく確かに刻みこみ、噛みしめる。
「ああ、約束するよ」
少しずつ触れられているという感覚が薄れていく代わりに、何かが中に流れ込んでくることを秋水は確かに感じていた。
「良かった。じゃあ、これで本当に最後」
満面の笑みと言葉を合図にしたかのように、流れは加速していく。
「さっきはああ言ったけど、秋水がどんな道を選んでどんな人間になったとしても、私はあなたを愛してるから」
宣言通り、それが最後の言葉となった。
秋水はじっと目を閉じたまま上を向き、動こうとしない。それは考えているようにも眠っているようにも見え、そんな秋水を目覚めさせるかのように一方から光が押し寄せてきた。
目を開き、光から目をそらさずに真っ直ぐ見つめる。
「ありがとう。姉さん、見ていてくれ」
秋水の万華鏡が輝くと身体が光に包まれた。
目を開ける。ひんやりとした地面の感触が、全身の触覚を通して伝わってくる。焦げたような臭いも、唾液の味も、雷鳴が轟く音も、崩壊した周囲の景色も、様々な情報が押し寄せてきた。全ての感覚が、秋水に生を実感させている。
(目が見える。傷も癒えているのか)
イザナギで失った光は決して戻らない。それを知った上で生きることを選択して発動したはずだった。もっとも、それも無駄に終わってしまったわけだが。怪我にしても、致死レベルの傷がこれほどの速度で癒えることは今まで無かった。千手の血を引いていることもあり、他の人間よりも何倍も傷の回復は早かったのは確かだ。気になることは多いが、身体の傷が完治していることよりも、視力が完全に戻っていることに対しての驚きが大きかった。
(それにしても、不思議な感覚だ)
全身の細胞が躍動し、力が溢れてくるのがわかった。内側から湧き出る力は、自分のものとは思えないほどしっくり来ていて不快感など何もない。何より眼の奥から伝わる温かさは、死ぬ以前よりも瞳力が増していることをひしひしと伝えているかのようだ。
瞳が紅に染まる。ただ模様は、基本巴でも以前の万華鏡の模様でもない。
視線を動かし、ビルの屋上に立っている霆春を見つける。一度死んだせいか、何かが変わったせいか、絶望を感じはしない。
(本当になんとかなりそうだ。けどまずは、あの雲を何とかすることが先決だな)
秋水の身体を白焔が包み、人一人を容易く握りつぶせるほどの巨大な右手だけが現れる。その右手が広がると、三つの勾玉上の炎が出現し、三点の中心を軸として回り始める。八坂ノ勾玉。須佐能乎が持つ対遠距離用の技であり、その破壊力は雲を吹き飛ばすなど造作も無いだろう。幸い、霆春はまだこちらに気づいてはいない。
勾玉が直線ではなく、弧を描くようにして雲めがけて投げつけた。
◇◇◇
夜空とは違った黒さを持つ分厚い雲。そこを住処とする怪物は、時折隙間から身体の一部を下界へと晒していた。青白く輝く身体は、少しでも動くたびに腹の底に響く重い音を奏でた。
急な天候の変化は嫌でも目につく。数多の雷轟は、この地に終焉をもたらさんとするかのよう。写輪眼などの特異な眼を持たずとも、誰もがその感じずにはいられなかった。
「まとめて散れ」
準備は整った、後は腕を振り下ろすだけ。それだけの行為で、地上へと裁きが下される。神という天上の存在が下すのではない。地上を統べようとする王が、自らの国を築くために裁く。
だが、挙げていた腕を振り下ろすことはできなかった。
分厚い雲の壁が裂け、わずかに灯っている星明かりが姿を見せる。
(二方向から。新手か……だが、あの方向と一撃は)
霆春はさほど同様もせず、即座に分析に移った。人を滅ぼす天雷も、彼にとっては数ある術の内の一つでしか無い。また作ろうと思えば作り出せるのだ。
霆春が向いている方向は、つい先程まで彼の孫である秋水と戦っていた場所。しぶとく食らいついてきたが、確かに命を断ったはずだった。数えきれぬほどの数の命を奪ってきたのだ、今更その感触を間違えるはずもない
(まだ生きていたということか。千手の血を引いているならあり得ない話というわけでもないか、中々にしぶとい。そしてもう一方は――)
霆春は目線を変え、全身を黒いライダースーツに包んだ人物へと向けた。フルフェイスのヘルメットからはどんな顔をしているのかわからないが、体格などから男と判断できる。突きつけられた銀色のCADに対して怪訝そうに眉を潜めると、男に向けて手をかざした。
(飛行しているところを見るにそれなりなのだろうが、所詮は劣等種)
それだけで、霆春の対抗魔法は発動する。
CADという電子機器を使う現代魔法師に対してのみ有効な技。電子は素粒子、つまりは物質を構成する最小の単位。材質を構成する原子よりも更に小さく、構造上生じる超微小な空間を通り抜けさせることなど朝飯前だ。後は回路において
落下していく男に狙いを定め、霆春は地を蹴った。邪魔な敵は殺せるときに殺す。落ちていく獲物など格好の的でしかない。
雷速に迫る拳をメット越しの顔面に叩き込む。
(何――ッ!?)
捉えた感触を得たのと同時に、霆春自身も巨大な拳によって横へと殴り飛ばされた。
痛みはない。分厚い壁をぶち抜いたところで衝撃を拡散させるために実体化を解除し、再度実体を持たせる。さきほどの打撃による損傷部位が自動で再生を始めた。
(殴られるまであいつだとは気づかないとは、少しチャクラの質が変わったな。一度死にかけて六道へと近づいたのか? まあ、何にしても折角作った雷雲が消されてしまった)
再生しながら壊れた壁に向かって歩いて行く。上空を見れば、雲のかけらさえも無い。
(今また作ったとしても、結果は先の二の舞いか)
目線が下に向く。ちょうど、王が民衆を見下ろすかのようだ。自然と口端が上がってしまうのは、裏葉の血が疼いている証。死体である身体に流れているかは定かではないが、魂に染み込んでいるのだろう。
(まだやれるのであれば越したことはない。正直、まだ物足りないくらいだったからな)
秋水は倒れている男へと近づく。ぐったりと倒れているその男は、ピクリとも動かない。あの速度で殴られたのであれば、ヘルメットの強度などあってないようなものだろう。それほどの一撃を頭部に受けたのだから、例え死んでいなかったとしても動けない事に不思議はなかった。もっとも、この男があれで死ぬようなことはないと思っていたが。
「まだ動けるな?」
「ああ、問題ない」
身体を起こすことで、秋水の問に言葉だけではなく態度でも示した。砕けたはずのヘルメットもすっかり治っており、顔を見ることはできない。たが、声やサイオンの色で誰かは判断できてしまう。
司波達也。なぜ学生服から着替えているのかなどは、秋水からすればどうでも良いことだった。
「あいつは誰だ? 模様は違うが、写輪眼のようなものを持っていたが」
達也からしても、とやかく言われるよりはこのまま主題に添ってくれている方がありがたかった。
「俺の祖父だ」
必要最低限しか言わない秋水の解答は達也の求めているレベルまで達するはずもなく、達也は続けざまに質問をするはめになった。
「……どういうことだ?」
面倒だとは思いながらも、秋水は達也に持っている霆春の情報を全て話した。穢土転生について、万華鏡写輪眼とその瞳術である武御雷について、彼の目的について。その間も、霆春がいるビルからは注意を怠ることは無かった。
「なるほど。なら厄介なのは再生することよりも、無限のチャクラとあいつ自身の雷化能力ということか」
「そういうことだ」
変に取り乱すことも無く理解したことは、秋水にとって好ましいものだった。
「あいつは俺が相手をする。お前は――」
言いかけたところで、もっと周りを頼れ、という風夏の言葉が脳裏で再生された。あの時は約束するとは言ったものの、いざその場面に立たされると中々言葉が出てこないものだ。特に、ずっと一人でやってきた秋水には変なプライドができてしまっている。とはいえ、意固地になっているほど余裕があるわけではない。一秒、二秒と黙った後に、諦めたように息を吐いた。
「いや、力を貸せ。今ここであいつを止めなければ、お前もお前の大切な存在もすべてが終わりだ」
深雪の存在をほのめかす。秋水にとっての妥協点であると同時に、達也に断るという選択肢を捨てさせるための手段でもあった。大切な存在という回りくどい言葉をあえて使ったことも、達也を達也としてではなく、別の誰かとして接していることを明らかにしていた。
「いいだろう。だがどうするんだ、お前の話だとあいつは死なないんだろう。封印する類の魔法を持っているのか?」
単に秋水に言われたからではない。ほんの一瞬の対峙だったが、相当腕が立つことは理解できていた。危険な思想を持っていることもわかれば、彼は達也にとって十分に排除対象となり得た。
いかに武御雷を打ち破ろうとも、永遠に再生を繰り返すのであれば意味は無い。同じ手が何度も通じるはずもなく、霆春とは異なり秋水と達也の力は有限。いずれ枯渇し、敗れる運命だ。それを避けるためには、封印するより他ない。しかしながら残念なことに、現代魔法にその手の魔法は存在しない。あるのはせいぜい足止めをする程度のもので、その分野は古式魔法がまだ一歩も二歩も先を行っていた。当然、現代魔法師であり自称劣等生の達也は封印系の魔法は使えない。
「その手の魔法は持ってはいないが、左眼の瞳術を使う。俺の仮説が正しければ、それであいつには勝てる」
右の万華鏡に宿る天火明とは異なる、左の万華鏡に宿るもう一つの瞳術。それがこの戦いの行く末を決める重要な鍵となる。先ほどは使いたくとも使うことができなかった術でもあった。
「ただ、この瞳術ははめるまでに少し時間がかかる」
戦場において、その少しの時間は非常に大きなものだ。一秒早ければ、コンマ一秒早ければ、結果を変えられたなどということはいくらでもある。
「俺にその時間を稼げというわけか」
「そうだ、お前はバックアップを頼む。CADを壊された以上、前衛で戦闘はできないだろうからな。メインは俺だ。お前は適当にタイミングを見計らって魔法を打てばいい」
CADが無くとも、時間をかければ魔法師は魔法を発動することができる。時間を稼いでいる内に一つや二つは発動できるだろうと秋水は考えていた。そうなれば霆春といえども完全に無視することはできずに、魔法の対処をしなければならない。その隙をつく算段だった。
「CADについては問題ないが、サポートについては引き受けよう。あの速さに真正面から付いてくのは、無理そうだからな」
深雪のこととなると感情が顕になる達也だが、今はまだ分析ができるほどには冷静さを保っている。達也が前衛を務めた場合、最悪幻術で操られてしまうだろう。ならば同じ写輪眼を持ち、速度で達也に勝る秋水が前衛を務めるのは理に適っている。
「作戦会議は終わったか?」
霆春の声が届く。再生の済んだ身体に、ダメージの痕跡はない。
二つの万華鏡が、再度互いを捉えた。
「その眼……貴様、一体何をした」
秋水の万華鏡の模様が変わっている。霆春からすれば、その事象が起こるのは他者の万華鏡を移植すること以外考えられなかった。短時間で死の淵から蘇り、目の交換をする時間などとうていできるものではない。
「あんたには理解できないさ」
素直に教える理由はない。教えたところで、霆春は理解することはないだろうと秋水は考えていた。
「まあ良い。二人に増えたのだ、先ほどよりは楽しませてくれるのだろう」
最終決戦の幕が上がる。