新人戦、男子アイス・ピラーズ・ブレイク第二回戦。生であれ、モニター越しであれ、試合を見た者は総じて勝者の名を記憶に刻み、姓を知る者の中でもその家をよく知る者たちは再度危惧し始めていた。
ただそれを知らない者からすれば、スポーツにおいて選手がスーパープレーを魅せたことに等しく、会場一帯から大きな歓声が沸き起こっている。余韻が冷めないままでの選手の退場は観客にとっては名残惜しく、せめて最後を飾ろうと一層騒がしくなった。中には黄色い声も混じっているものの、当の秋水は一切反応する素振りが見られない。
「本当にあれがウチハシュウスイですか? 少し意外です」
歓声に彩られたモニターを視る少女は自身の想像との相違に困惑している顔をしていた。金色の髪に碧色の眼をした、西洋の人形のように整った顔はそれでも非常に絵になるもので、この場に異性がいたならば少なからず虜になっていることだろう。
「この競技ではあまり歩きませんから歩容認証はできませんが、身長や重心の位置、筋肉のつき方などは一致しています。何でしたらより専門的な手法を用いますよ?」
答えるのは少女ではなく女性。年齢は少女より十歳程度上だろうか。
「そこまでしなくても大丈夫です。おそらくは合っているでしょうし、今回は彼がターゲットというわけではないですから」
個人的な希望でこれ以上手を煩わせてしまうことは少女にとっていい思いをするものではなかった。
少女は端末に表示されている履歴書のようなページを指で軽くスライドさせてめくっていく。数回めくったところで指を止め、今度は画面を何度かタッチ触れていくと、今まで画面いっぱいに表示されていた個人の情報が二人分表示されるようになった。一方は仮面を付けた男性、もう一方は秋水のものだった。両者の来歴は性別以外何もかもが異なっており、明らかに偽装していることがわかる。
「彼に興味があるの?」
「そうですね。ウチハ家の話は前々から聞いていましたし、私と同い年であの場にいたのですから、気にするなという方が無理かもしれません」
端末を見ている少女の目には映らなかったが、女性はややつまらなそうな表情を浮かべていた。
「彼には勝てそうですか?」
カップの上においていた蓋を取ると、中で蒸されていた湯けむりがゆらゆらと天めがけて登っていく。茶葉の香りが空間を満たしてく。白磁のカップには鮮やかな液体が満たされている。
「勝てるかどうかではなく、私が「シリウス」である以上は勝たなければなりません。……骨が折れることは間違いないでしょうけど」
名前が意味する責任をしっかりと理解していることは好ましく思う一方で、縛られ、重圧に押しつぶされてしまうのではないかと常に思う。少女の答えに安堵する一方で、そういった不安が絡まった糸のように頭から離れなかった。
「開発者たちの悪口になってしまって嫌ですけど、まだ「ブリオネイク」がロールアウトしていないのが口惜しいですね」
それを振り払うように、女性はミルクをカップへと注いでく。明るい色が白を入れたことで、
ソーサーに乗せて差し出すと、少女はありがとうとお礼を言って早速一口淹れたてのミルクティーを口に運ぶ。飲みなれた、心身ともに暖かくなるいつもの味だ。
「ええ。彼らには少しでも早く完成を目指して欲しいものです」
自然と作った笑顔に偽りはないが、笑顔の裏側は不安が張り付いていた。
任務の内容をそのまま鵜呑みにしてバカ正直に考えれば、協力している彼と戦うことはまずない。だが、しっかりと本質を捉えてしまうとそれまでなかった可能性が浮上してくる。忍びである(魔法師でも同じ)以上は、手の内を明かしたくないもの。知られれば知られるだけ付け入られてしまう隙を作ってしまうためだ。それにも関わらず、彼は先ほどモニターで全国に公開された試合で大規模な古式魔法を披露した。かじった程度のために完全に理解はできないが、かなり強力なことは見れば分かる。それを晒したということは、解析されて対抗策を講じられたことで何ら痛手になりはしないということ。後先考えない人間だということも考えられるが、そのような人間があの場に招集されるとは到底思えない。となれば、やはりあの魔法程度では道にある小石程度にしかなりはしないのだろう。
数少ない同格か、格上の存在。決して楽ではないが、少女の中ではまだ情報がわかっているターゲットの方が楽に戦えると思っていた。
不安要素でしかない彼にあまりいい印象を持ってはいないが、少女は少なからず興味を抱いていた。その強さを手に入れるためにどのような努力をしてきたのか。これまでどのような苦労を味わってきたのか。そして、求める強さを手に入れた時、その先に望むものは何なのか。挙げていけば、聞いてみたいことは山ほどあった。
◇ ◇ ◇
控え室にて、再び第一高校の制服へと着替えた秋水は小さく息を吐く。勝利へ安堵、大観衆の中での試合から解放された事への
扉を開け、外へと出る。外といってもあくまで施設内のために、温度差はほとんどないと言って良い。
他に誰もいない殺風景な道を静かに歩いていく。
当初の目論見通り、派手に勝利を飾った第一試合で裏葉の名前を少しは広めることは出来た。それだけはこの試合において唯一得たものと言えるだろうが、まだまだ火力は弱い。望む域に達するためには、もっと大きな火種が必要だった。
例えば、今秋水の目の前にいる男などがそうだろう。
秋水よりも目線の位置が少し高く、トレーニングによって引き締しめられた腰とは裏腹に肩幅は安心感を与えるかのように広い。若武者風の凛々しい顔立ちの少年は、第三高校の絶対的なエースにして十師族の一家の姓を持つ一条将輝。名前負けしない風貌からは、ただの高校生からは出せないオーラが確かにあった。
「さっきの試合、さすがだったな」
「クリムゾン・プリンスにそう言われるとは光栄だな」
大和との間にあったような剣呑とした空気は、今の場ではなかった。
単に喧嘩を売られなかったということもあるが、実のところ二人は互いのことを知っており、こうして顔を合わせることは初めてではない。もちろん、親睦会で初顔合わせという意味ではない。ただ友人かと問われれば二人の間にはいささかぎこちなさがあり、赤の他人同然かと思えば、そこには確かに良い意味で馴れ馴れしさがある。二人の関係を表すとすれば、「顔見知り」辺りが適当だろう。
「そういう態度は変わらずか。二年ぶりだというのに変わらないな」
本来ならば、二年もあれば人の内面は自然と変化が生まれる。それが人生の中で最も多感な思春期ならばなおのこと。変わらないのであれば、あえて変えないようにする以外には考えられないが、そのことに将輝が気づくことはない。仮に気づいていたとしても、なぜそうなったのかまではわかるはずもなく、それを聞こうとするほど野暮な男でもないために、結果としてはどちらでも変わりはなかった。
「あと、その呼び名はやめてくれ。普通に一条か将輝でいい」
二○九二年、八月。新ソビエト連邦が佐渡島へと侵攻するという事件が起こった。その際に将輝は彼の父である一条剛毅が率いる義勇兵団に参加し、数多くの敵兵を葬り、敵味方の血に濡れても尚戦い抜いたことから継承として「クリムゾン・プリンス」と呼ばれるようになった。後に佐渡侵攻事件と呼ばれ多くの犠牲者を出したことで大衆の記憶に深く刻まれたこともあり、魔法師の中で、特に同年代では将輝の異名を知らない者はいないといっても良い。
将輝はその呼び名を忌み嫌っているわけではないが、知人にそう言われるのはどうにもこそばゆさを覚えてしまう。苦笑しながら、呼ぶ際には姓か名で呼ぶように促した。
「一条は次の試合だろう。試合前の選手が油を売っていていいのか?」
「問題はない。この競技で俺が遅れを取ることはないさ」
続く新人戦アイス・ピラーズ・ブレイクの第三試合の出場選手の内の一人は将輝。対するのは第六高校の選手。有名と無名。よほどのダークホースでもない限り、どちらが勝つかなどは下馬評通りになることは間違いなかった。
「もちろん、相手が
第三高校では宣戦布告でも流行っているのだろうかと問いたくなってしまうが、それを思うだけに留める。
同じ宣戦布告でも両者には違いがあった。大和が私怨混じりや勝てない相手へのものだったことに対し、将輝にはそれが含まれておらず、該当もしていない。戦力の観点から見てれば二人の差は歴然だ。殺傷性ランクが最高ランクの「A」に分類され、一条家の秘術である「爆裂」を持つ将輝と、同程度の威力の魔法を持たない大和では対戦した際の難易度が圧倒的に異なる。爆裂を前にしては、何らかの策を講じなければ一瞬で勝負は終わってしまうだろう。仮に大和と将輝が対戦すれば、開始を告げるブザーが鳴ったと同時に勝敗は決するはずだ。
「大した自信だ。相手が誰であれ、足元を掬われないようにすることだな」
まさしく強敵と言って遜色のない相手。油断をしていても、負けるということはまずない。せいぜい自陣の氷柱が数本砕かれる程度で、そこからでも勝利をさらっていくに違いない。
「言われるまでもない。それに、あんな物を見せられたんじゃ、手は抜くに抜けないからな」
将輝にとって、数十分前の出来事は琴線に触れるものであった。冷静に分析しても優勝が確実と思えてしまうほどの実力がある者にとって、競う者がいないということが一番つまらないもの。本来ならば本戦の方に出場したくとも、一年生である身としては無闇矢鱈と出しゃばるわけにはいかない。一条というネームバリューもあり、悪目立ちは必須。味方の指揮を下げかねないことなど、当然ながらできるはずもなかった。故に、新人戦には期待をしていなかったのだが、それはいい意味で打ち砕かれた。
競技場を覆った炎は、将輝の中で完全に消えていた闘志という蝋燭に再び火を灯すことになった。ようやく競技が出来そうな相手を見つけたのだ、そんな相手に無様な試合など見せられるはずもない。子供じみていると馬鹿にされるかもしれないが、なってしまったものは仕方がない。将輝はホルスターに収納されているCADへと意識を向けた。
「なら、期待しておこう」
秋水の言葉に将輝は小さく笑う。
「ああ、期待を裏切るようなことはしないさ」
自信に満ちた笑み、己の力を一切疑うことをしない者の笑みだった。
将輝が控え室に向かったことで再び秋水は一人となった、というわけでもなく、場をもう少し広く捉えれば一人ではないことがわかる。直線距離で三十メートルほど先にある突き当たり、そこを右に曲がったところに確かに人の気配があった。警戒の色が強くなるが、すぐに敵意や悪意がないことを察して平常時に戻る。待ち構えているのは悪戯をしようとしている猫のようだと思うと脱力し、秋水は一瞬でも警戒した自分が馬鹿らしく思えてしまった。
しかし、何のために。
歩みを止めることなく、湯水のごとく湧き出る疑問に対して解を探していく中で、待ち伏せていると知っているにも関わらずわざわざ目の前に行くのは如何なものなのかという考えが生まれ、次第に大きくなっていく。そうなってしまうと答えなどどうでも良くなるもので、思考がいかにして出し抜くのかへと移行していく。
普段の、当たり障りのない優等生の仮面を被っている状態の秋水ならばこういった思考にはいたらなかっただろう。感情の起伏によって本来の感情が漏れ出すことはあったが、今回は小さいながらも大望への一歩を決めたことで心にゆとりができたことが大きい。
歩くたびに縮まっていく距離は、秋水が気づいた時の半分ほどに迫っている。一向に動きがないことから、悪戯猫は爪を研ぎながら虎視眈々と狙っているのだろう。
だが、詰めが甘い。
相手が意識を集中しているということは、視点が一点に固定されている事になる。一挙一動を見てしまうがために、少しでもそぐわない行動をすればそこに注意が注がれてしまう。例えあまたに設置された監視カメラで監視するように多角的に見ていても、ある一点に注目した瞬間に視界は狭まり、効力は最小まで薄まる。
あとはタイミングだけだったが、その予測もさほど難しくはなかった。
そこまでくればあとは簡単。十八番の瞬身で距離を詰めるだけだ。実際には単なる高速移動でも、観測者からすれば消えたように見えただろう。
「きゃあっ!?」
故に突然目の前に現れた存在に対してビクリと肩を震わせ、短い悲鳴をあげてしまうのは無理がなかった。
「え? ……あれ?」
「真由美会長、ここで何をしようとしていたんですか?」
想像以上に驚かれたことでいくらかは罪悪感が芽生えるも、未遂ではあるが先に仕掛けようとしたのだからと秋水は謝罪するつもりはない。未だに「なんでここにいるのか」という言葉が真由美の顔には浮かんでおり、いつもとは違った面が見られたことは意外な収穫に思えた。
上級生として下級生にいつまでもみっともない姿を見せられないというプライドか、常に冷静であれという魔法師の矜持か、ほんの少しの時間で真由美は落ち着きを取り戻したように見えた。着崩れてもいない制服を整えたのは、気持ちの切り替えと恥ずかしさを隠すために咄嗟にとった行動だった。
「えっと……一条くんとは、知り合いだったの?」
見えているだけで、完全な平常心とは言えなかったようだ。そうでなければ、七草真由美という人間は質問を質問で返すようなことはしなかったはず。
「確かに彼とは知り合いですが、俺の問いに答えてください」
そこが議題ではない以上、知り合いではなく顔見知りだという些細な訂正は行わない。
「あ、うん。……その、お祝いのため、かな」
答えがずれていることも、まだ心に小波が立っていることの証明に繋がる。
真由美が平常心に戻ることを妨げる原因としては二人の距離にある。同年代の女性と比べれば、彼女のパーソナルスペースは狭いほうだ。異性への身体的接触も自らの意思で行うことは多い。それは自身の容姿を客観的に、かつ相手がどう思っているかまでも理解しているためだが、今回は能動と受動が異なる。準備が出来ていなかった段階でのエリア侵攻は彼女の心を大きく揺さぶった。早い話、彼女は攻めが強くとも守りが弱い。それが不意打ちともなれば、その差が顕著に現れることになる。
「そんなことのためにわざわざ……」
お祝いが何を指しているのかは疑いようがないが、開いた口がふさがらないとはまさにことのことか。
途中で思考は放棄していたが、それ以前にいくつかの答えの候補は存在していた。その中でまさかと思う答えが当てはまってしまったために、ただただ呆れることしかできない。だがその行為自体に嫌悪感はまるでなく、むしろ逆の感情が占めていた。もっとも、その感情が誰かに知られることはない。
「貴女はもう少し――」
言いかけて止める。
その様子が不自然だったのか、真由美は疑問符を浮かべていた。
「いえ、なんでもありません。祝勝して頂けることは嬉しく思いますが、できればそれは、彼に勝ってからの方が良かったですね」
優勝した時ではなく、彼に勝った時。それは彼以外敵ではないと言っていると同時に、彼にだけは危機感を覚えている証でもある。
「彼って、一条くんのこと?」
確信を得られなかった真由美は、自身が把握している中で最も驚異と思われる選手の名を出した。
「ええ、そうです」
秋水の視線が動いたことを真由美は見逃さなかった。先にあるのは今の位置から最も近い観客席の入場ゲートだったと記憶を辿り、主導権を握るためにも一つの提案を出した。
「やっぱり混んでいるわね」
数分後、二人は会場と通路を繋ぐゲート付近に立っていた。
第二試合の時点で満席ではあったが、今ではそれ以上に観客がおり、前方などはすし詰め状態だ。理由を聞かれれば十師族の一つである一条家の跡取りが出るに限る。彼の試合を生で見たいと思うのは、さも当然のこと。とはいえ、これだけ多くの人がいればテレビをつけて見たほうがはっきりと見ることが出来るのだが、それをしない理由が真由美にはあった。
「予想はしていましたが、これだけ違うと少しへこみますね」
試合を見ようと提案したのは真由美だったが、
「本当にそう思っているの?」
似合わない台詞にたいして、真由美が訝しげな目を向ける。
「まさか。観客が誰を求めて見に来ているかなんてことは俺には関係ありません。多く集まってくれるのであれば、それで良い」
見る体勢さえ作ることが出来ればあとは役者の腕の見せ所。目を引き、名を知らしめるだけならば人を惹きつける才能はいらない。ただ単純な力があれば良い。それだけで、人は否でも応でも目に焼き付けることになる。しかしそれは、暴君の類でしかない。惹きつける鎖は恐怖。繋がれ逃げることもできず、いつ振りかざされるかわからない矛に畏怖する民に、かの者を敬う気持ちなどどこに存在しようか。
秋水の身の振り方を、真由美はそのように捉えていた。だからこそ、四月に起こったブランシュによる襲撃事件でも、鎮圧に参加した生徒たちがテロリストに手傷を負わせて拘束していく中で、彼だけが容赦なく屠ったのだろう。魔法師は一般人とは違うとは言っても、一介の高校生には違いない。事件が事件ということもあって箝口令を敷き、情報が拡散しないようにしたこともあって現状では幸いにも彼への評価は好いが、いずれは反転することは想像に難くない。そうなってしまった時に、彼はどうするのか。そうなってしまった彼に対して、自分はどのような対処をするのか。彼の言動を聞いていると、そう考えるときは少なくはなかった。
「どうかしましたか……?」
思考の海にいつの間にか潜っていたが、秋水の言葉で真由美は現実へと浮上する。
「ごめんなさい。少し、考え事をね」
正誤がはっきりとわかる数学や物理ではないのだから、おそらくは考えられるどの道も正解であって不正解でもあるのだろう。だが考えることはあっても、明確な答えは一度たりとも出たことがない。生徒会長としての自分、十師族の一員としての自分、先輩としての自分、様々な自分が道を絞ることを許さなかった。
「ねえ、一つ聞いてもいいかしら」
「なんでしょうか」
「秋水くんは――」
タイミングが悪いことに、ポールに赤いランプが点ってしまう。顔には出さなかったが、真由美は運営に文句の一つでも言ってやりたい気分だった。
「すみません。その話は後でお願いします」
あと少しで試合が始まってしまう以上、それを無視して話を続けることは得策ではない。真由美は後で話すと告げ、競技場へと視線を移す。目下では既に光の色が黄色へと変わっており、それまで騒がしかった客席も静まり返っている。誰もがその瞬間を見逃すまいと集中していることは明白だった。
勝敗は一瞬で決まったといっても過言ではなかった。
横四列縦三列の計十二の氷柱に対して開始と同時に情報改変が行われ、内部から爆発でもしたかのように一斉に破壊される。ダイヤモンドダストのように小さく砕かれた氷片が太陽光を反射して幻想的な空間を作り出しており、見る者全ての視線を釘付けにしていた。もしくは、何が起こったのか分かっていないのか。何れにせよ、誰もいなくなったかのように静まり返った会場は実に不気味だった。
爆裂。
一条家の秘術であり、十師族足らしめているその魔法を、将輝は一切ためらうことなく使用した。
本戦も含めた上で、秋水が最大規模での魔法での勝利をしたのならば、将輝は最速での勝利を掴み取った。試合開始と同時に進むデジタル表記の時計は、まだ一から二へと変わっていない。威力、発動速度、正確性、どれをとっても一級品だということは火を見るよりも明らかだ。
真由美は秋水と将輝が何を話していたのかまでは知らないが、先ほど見せた試合への返事のようなものだと推測していた。それと同時に、優勝は間違いなく将輝だと思わざるを得なかった。威力だけならば秋水が放った魔法の方が高いのかもしれないが、発動時間は雲泥の差。印を結ぶ速さから考慮すれば決して遅くはないのだろうが、数秒かかっているようでは間に合いはしない。
どのような対策を練っているのか。それを聞こうと秋水の方を向くも、声が出てくることはなかった。
秋水が浮かべている表情は呆然としているわけでも、悩んでいるわけでも、戦意を喪失したわけでもない。表情の変化こそ少ないが、確かに笑みを浮かべている。それも極上の獲物を見つけて舌舐りでもしていそうな、嬉々とした好戦的な表情。今までに真由美が見たことがなかった表情でもあった。
敵愾心を燃やすことは悪いことではない。身近にいる相手よりも上に行きたいと思うことは人ならば、特に男であるならば尚の事だろう。将輝が秋水に触発されたように、秋水もまた、将輝に触発されている。
「男の子ね」
ポロリと出た小さなそれは、ようやく沸き起こった喝采の嵐にかき消されてしまった。
「何か言いましたか?」
何を言ったかは聞き取れずとも、何かを言ったことはわかった秋水はもう一度聞き直そうと訊ねる。
「ううん、何でもない」
独り言が一人歩きをしただけのために、恥ずかしさが
秋水も特にその話題については追求しなかったが、代わりに少しばかり時が遡る。
「そういえば、先ほど何か言いかけていましたが、何を言おうとしたんですか?」
息を一度吸ってから吐く程度の短い空白の時間ができる。
「一条くんには勝てそう? って聞こうとしたんだけど、今となってはその必要はなさそうね」
「そうですね。少なくとも、一方的に嬲られるようなことはありませんよ」
普段の会話ではない空白が生まれたことを秋水は見逃さなかったが、今は言及する気にはならなかった。一杯に溜まった水を零さないように、余計なことを考えている余裕はあまりなかったかたらだ。
「期待しているわね。――あら?」
言葉と同時に、真由美の端末にメッセージが届く。差出人を見ると内容が読む間に理解できたようで、表情に変化が見られた。
「鈴ちゃんに戻ってこいって催促されちゃったから、本部に戻るわね。秋水くんはどうする?」
「明日もあるので、部屋に戻って早めに休もうと思います」
「それがいいわね。明日はモノリス・コードの予選もあるけど、くれぐれも無茶だけはしないように」
「わかりました」
去っていく真由美の姿を、秋水は見送った。
背中が完全に見えなくなったところで、秋水はつま先の方向を変えることなく歩き出す。将輝の試合を見てしまえばもう用はない。後に控えている蟻同士の小競り合いなど、露ほどの興味も抱けるはずもなかった。
仮に注目する選手がいたとしても、この場では同じ行動をとっただろう。今は最優先でなすべきことがあった。