9月28日にこちらで連載開始してから1年経ちました。
思いがけない高評価を頂き、いまだにお気に入りが増え続けるという本当にありがたい事態に言い表す感謝の言葉が見つかりません。
拙作『絶望のアインクラッド』に掲載予定だったものですが、バッドエンドでないのでこちらに掲載することにいたしました。
続きは書かないと宣言していたのに結局書いたのかよとおっしゃるかも知れませんが、広い心で読んでいただければ幸いです。
本作『ヘルマプロディートスの恋』を愛してくださる皆様にこのお話を捧げます。
特別番外1 広がる絆 広がる世界
温かい春の光が教室に降り注ぐ。
4月を迎え、春休みが終わり、あたしたちはSAO被害者が集められたこの学校の5年生になった。クラス替えもあったが、弘人とはまた同じクラスになった。
去年はこの弘人に嵌められて学級委員長を押し付けられたので、今年はあたしが先制攻撃をして弘人に学級委員長を押し付けた。そこまでは良かったのだが、今度はあたしが副委員長に選ばれてしまったのだ。ここまでくると腐れ縁という言葉が良く似合う関係だ。
あたしはちらりと腕時計を見た。午後3時40分。
4月6日の登校初日から学級委員の仕事があるとは予想外だった。今日は約束があるのにこれでは完璧に遅刻だ。
その時、机の上の書類が春の突風に吹かれてバラバラと音を立てて床に落ちて行った。
「ああ。もう!」
イライラしてついため息があたしの口からもれた。
「里香。イラついてるね」
弘人が風で舞った書類を空中で何枚かキャッチした後、床に散らかった手近な書類を拾い上げると窓を閉めた。さすがバスケをやってるだけあって身のこなしにキレがある。
「この後、約束があんのよ」
あたしは残りの書類を拾い集めて席に戻った。
「僕も約束があるんだけど、誰かさんに委員長を押し付けられちゃったからな~」
弘人は上目づかいで恨めしそうに言った。
「だから、こうして手伝ってるじゃない。サブとして……。だいたいね、あたしの約束の方が重要なんだから、アンタの約束なんかと一緒にしないでよね」
そうなのだ。今日の約束はただの約束じゃない。約1年半ぶりにあたしは親友であるコーに会えるのだ。
昨日、春休みの宿題を一気に片づけ終わったのは日付が変わる直前だった。その後いつものようにアルヴヘイムオンラインにインするとコーからのメッセージが届いていたのだ。そこには明日の午後4時に新生アインクラッド第22層のアスナの家で会いたいと書いてあった。
あたしはすぐにメッセージを送りかえしたが、コーはもうログアウトした後だった。
そこで、あたしはアスナに連絡を取った。アスナとコーはさっきまで話をしていたとのことだった。どうやら、あたしと入れ違いにコーはログアウトしたらしい。計画的に春休みの宿題をやっていれば、コーと会えたかも知れない。あたしは少し後悔した。
そして、今日。こんなよけいな仕事がなければ余裕で間に合ったのに……。
「僕の約束も重要なんだけどなあ」
弘人はなぜか少し緊張した面持ちで言った。
「うーん」
どうせ弘人の約束は螢とのデートだろう。毎日のように会ってるんだからあたしの方が重要に決まってる。「ねえ。弘人。これ、今日中にやんなくてもいいんじゃないかな?」
「だめだよ。今日やっとかないと、明日は別の仕事があるって河シューが言ってたじゃん」
弘人は首を振った。河シューっていうのは去年に引き続きあたしたちのクラス担任になった河原崎修平のニックネームだ。「それに、納期ぎりぎりに頑張らずに計画的にやった方が楽じゃない」
「追い込まれた方が、あたしは力が発揮できんのよ」
と、憎まれ口を叩いたが、実際の所は弘人のおかげで結構助かってる。あたしの見えない所でフォローしてくれてる事も知っている。委員会の仕事で「やばっ」って思った時に先回りしていた弘人に助けられたことは一度や二度じゃない。去年、この学校で初めて出会ったというのにまるで昔からの友人のようにあたしの短所も長所も分かってくれている弘人は不思議な存在だ。
しかし、それはともかく今日の約束は譲れない。あたしは立ち上がって宣言するように弘人に言った。
「決めた!」
「何?」
きょとんとした顔で弘人が見返してきた。
「あたし、帰るわ」
あたしは荷物をまとめ始めた。あとは集計だけだから、そんなに時間がかからないだろう。二人でやればもっと早く終わるだろうけど、あたしは1分でも1秒でも早くコーに会いたいのだ。弘人には悪いが帰らせてもらおう。
「え? ちょっと待ってよ!」
「大丈夫、大丈夫。弘人ならすぐ終わるわよ」
弘人の声を置き去りにしてあたしは教室の扉を勢いよく開けた。「じゃ、あとはヨロシクー!」
今から全速力で帰れば30分ぐらいの遅刻で済むだろう。あたしは太陽のように輝くコーの笑顔を思い浮かべながら学校を飛び出した。
あたしは家に戻ると約束の4時を20分ほど回っていた。着替える時間も惜しくて制服のままアミュスフィアをかぶってベッドに寝転んだ。
「リンクスタート!」
光の粒子が雨のように降り注ぎ、視界のすべてを埋め尽くす。そして光に強弱が生まれやがて風景を形成した。居心地がいいログハウスの部屋の風景だ。あたしの親友のアスナが丹精込めて工夫を凝らした内装はなぜだか心が落ち着く。
「あ、リズ。いらっしゃい」
ウンディーネ特有の鮮やかな水色の長髪を揺らしながらアスナが笑顔で迎えてくれた。
「遅くなってごめん。そうか、昨日、ここで落ちたんだった」
「半分寝ぼけてたもんね」
アスナの口からクスリと笑い声がもれた。
「リズベットさん。お久しぶりです」
アスナの隣に立っていたのはケットシーの長身の男性だった。ケットシー特有の猫耳という違いはあるがすぐにその顔は思いだせた。
「ジークリードさん。こんちゃー」
あたしは気安く返した。「そっかー。コーと一緒に再開したんだね!」
「はい」
「って事はリアルでコーと連絡取れてるんだ。いいなー」
あたしもアスナもリアルでのコーとの連絡先を知らない。さすがにソードアート・オンラインで夫婦関係にあった二人は連絡先を交換していたのだろう。「コーは外国にいるんでしょ? スカイプとかで話をしてるの?」
あたしの問いにジークリードはなぜか困ったような表情を浮かべた。
「リズ。今日、遅かったじゃない。何かあったの?」
アスナがさえぎるようにあたしに聞いてきた。
「それがさー。今年は副学級委員になっちゃって、河シューに仕事頼まれちゃってさぁ」
「その仕事、終わったの?」
「ううん。早くここに来たかったから弘人に押し付けて来ちゃった」
「あ。ああ……」
アスナは妙に納得した顔で頷いた。
「で、コーは? まだ来てないの?」
「うん。まだ……」
アスナは曖昧に頷いた後、ジークリードに顔を向けた。「ジーク。話はコーが来てからにしましょ」
「はい」
二人のやりとりに「あれ?」と、あたしは違和感を感じた。
ジークリードは血盟騎士団メンバーではあったが、アスナが「ジーク」と呼ぶような関係だっただろうか? あたしの記憶では「ジークリードさん」と呼んでいたような気がする。
「とりあえず、コーが来るまで待ちましょ」
アスナは微笑みながらソファーを指差した。
そこからあたしたちはジークリードにALOとSAOの違いについて代わる代わるレクチャーした。
SAOと比べると戦闘面でかなり大きく変わっている。何しろ背中の羽で飛ぶことができるし、魔法もある。あたし自身もなかなかSAOのクセが抜けなくて、ついつい飛ばずに魔法も使わずにソードスキルだけで戦ってしまうけれど。
ジークリードは落ち着いた雰囲気で頷いたり、相槌をいれたりしてあたしたちの話を聞いた。
(あれ?)
あたしの心に何かが引っ掛かった。なぜだかデジャヴのような感覚が湧いてきたのだ。以前にもこの3人で話し合った事があるような気がしてしまう。そんな事、なかったはずなのに……。(なんだろう? この感じ……)
あたしがその感覚の原因を突き止めようと思いを巡らそうとした時、小さな鈴ような効果音と共に光が集まり始めた。誰かがログインをしてきたようだ。
光の粒が輪郭を形成し女性の姿を浮かび上がらせた。
腰まである淡い萌木色のストレートの長髪。すぅっと通った鼻筋の下にはやや小さい唇。そしてゆっくりと儚げな瞳が開かれる。シルフの特有の尖った耳のためか、本当の妖精のような姿だ。
その姿を見てあたしの中の時間がアインクラッドの頃に巻き戻されたような気がした。
「コー!」
あたしは再会できた喜びで頭がいっぱいになって、立ち上がって彼女の胸に飛び込んだ。
「リズ。ちょっと、待って」
コーはバランスを崩しながらもあたしを抱きとめたが、その声があせって裏返っていた。
(んー。ホント、かわいいんだから!)
あたしはそんなコーを思いっきり抱きしめた。約1年半ぶりの再会だ。多少オーバーなスキンシップぐらいは許してくれるだろう。
「ちょっと。ちょっと。待って。リズ。離して」
コーは身をよじってあたしから逃げようとした。
「もう、ジークリードさんがいるからって照れちゃって、かわいい」
「そうじゃなくって!」
コーが叫んだのであたしはちょっと驚いてコーから離れた。
ふう。とコーは息を深くはいた後、申し訳なさそうな表情であたしを見つめてきた。
「なに?」
尋常じゃないその雰囲気にあたしはちょっと不安になる。
「僕、リズに謝らなきゃいけない事があるんだ」
コーがそう言うと視界の隅でジークリードが表情を引き締めていた。
「ん? リアルの連絡先を教えてくれなかった事? いいって、いいって。これから毎日ALOで会えるでしょ?」
「えーっと……。ごめん、実は僕、ほとんど毎日リズと会ってるんだ」
「は?」
「――僕、勅使河原弘人なんだ」
まっすぐ、あたしを見つめてコーは静かに言った。
「はい?」
あたしはコーの言葉が理解できなかった。何度も頭の中でコーの言葉を反芻する。
ボク、テシガハラヒロトナンダ。
ぼく、てしがはらひろとなんだ。
僕、勅使河原弘人なんだ。
30分ほど前に教室に置き去りにした弘人の顔を思い浮かべてコーと重ねてみる。
(いやいやいやいや。全然違うし!)
それにソードアート・オンラインでデスゲームが始まった時、あたしたちの姿はリアルの姿に戻されたはずだ。
あの日の事は忘れられない。中央広場に集められた1万人のプレーヤーは茅場から渡された手鏡のせいで美男美女ぞろいのアバターは残酷なまでに普通の姿に戻されてしまったのだ。それに、あの前後で男女比率も大きく変わった。現実に戻されたのだから当然だが、女性は圧倒的に少なかったのだ。
それなのにコーが勅使河原弘人などとはにわかに信じられなかった。姿も全然違うし、なによりコーは女で弘人は男ではないか。
「リズ……」
固まっていたあたしにアスナが優しく気遣うような声をかけてきた。
「えっと……。コーが言ってる意味が分かんない」
いや、言葉の意味は分かってる。認めたくないだけだ。「だって、そんな事、ありえないじゃない。みんな、あの手鏡で元に戻っちゃったじゃない。あたしも、アスナも、キリトも……みんな!」
「僕、茅場から手鏡を貰った瞬間に捨てたんだ」
事態を受け止めきれていないあたしを見ながらコーは寂しげに小さく笑った。
「私の場合は取り出そうとして間違えて捨てちゃったんですけどね」
ジークリードがコーの右隣に立ってコーを気遣うような視線を向けた。
「ちょっとまって! それじゃ、ジークリードさんも?」
「私は望月螢です」
「えええええええ?」
(いやいやいやいや。ありえないし!)
コーの話だけでも衝撃だったのにジークリードが螢だって? さっき感じたデジャヴはそのせい? 確かに学校で3人で話すこともあったけど……。でも、でも!
あたしの頭はいろいろな感情がぐるぐると巡ってパンクしそうだった。
「いや、やっぱ信じらんない。コーが弘人だっていう証拠を見せてよ」
「んー」
コーは顎に手をやって上に視線を向けた。そう言えば、弘人も考え事をする時に同じポーズをよしくている。「リズ。明日、早めに登校してね。途中で帰っちゃったから河シューの仕事をそのまま残してるから」
その言葉はコーが弘人である事を示していた。あたしが途中で仕事を放りだしてきたのは弘人とその事を伝えたアスナとジークリードしか知らない事だ。アスナとジークリードがあたしの気取られずにコーにその事を伝えるのは無理だ。だって今まであたしと話していたんだもの。
「ほんとに……弘人なのね……」
あたしは呆然とコーの顔を見つめた。
(アインクラッドで楽しいコーとの会話の相手は弘人だったって事?)
「ずっと、黙っててゴメン」
本当に申し訳なさそうにコーは頭を下げた。
「私からも謝らせてください。本当にすみませんでした」
ジークリードも深々と頭を下げた。
どうしたらよいか分からずにあたしは二人から視線を逸らした。
「リズ……姿に惑わされないで」
アスナがあたしを落ち着かせるように優しく言った。「コーが弘人君だとしても何にも変わらないわ」
「でもさ」
あたしは平謝り状態の二人に視線を戻した。
螢の方は理解できる。あたしだって『男だったら良かったのに』って考える事もあるし、男キャラでMMOをやった事もある。女性というだけでネットゲームの中では色々な気遣いをしなければならないものだ。言い寄ってくるうざい男や好奇の眼差し。それらがめんどくさくて男キャラでやりたいと思うのはとても自然な事だ。
けれど、弘人の方は理解できない。ネットゲームの中でチヤホヤされたかったのだろうか? それとも女性になりたかったのだろうか? 弘人のその行動はものすごく気持ち悪い。
理解できないのはあたしが女だからだろうか? キリトやクラインだったら弘人の気持ちを理解できるのだろうか?
「やっぱだめ。ちょっと、気持ちの整理がつかないわ」
あたしは頭をガシガシとかきむしりながらアスナに言った。
「んー」
アスナは人差し指を優雅に自分の頬にあてて想いを巡らせた。「リズ。食事が終わったら一緒に狩りにいこ。みんなで」
「みんなで?」
「そ、みんなで」
アスナはあたしやコーとジークリードを見渡して言った。「31層の迷宮区めぐり。どう?」
「わかった」
あたしは頷いた。狩りをしているうちにあたしのわだかまりが薄らぐかもしれないとアスナは考えてくれたのだろう。
元々コーは親友だし、弘人の事だってそんなに嫌いじゃない。今は気持ちの整理がつかないだけだ。考えすぎずに狩りで身体を動かした方がいいかもしれない。
「二人ともいいわよね?」
アスナはジークリードとコーに確認した。
「わかりました」
「うん。わかった」
ジークリードもコーもアスナに返事をした。
あたしたちはいったんログアウトして食事を取った後、夜の7時に再びここに集まる事になった。
もやもやとした気持ちのまま、あたしは夕ご飯を平らげ、ラフな格好に着替えた後、アミュスフィアをかぶってベッドに転がった。
「はああ」
深いため息が無意識のうちに漏れた。
あたしの中にあるもやもやを表現する単語はなさそうだ。いろいろな感情が入り混じってごちゃごちゃしててあたしを惑わせ混乱させる。
思い返してみれば、弘人はあたしの事をよく分かってくれていた。彼がコーだったのだから当然だ。
先ほどのアスナとジークリードとの会話でデジャヴを感じたのはリアルで3人で会話をしたことがあるからだろう。螢は聞き上手でアスナとあたしの話を微笑みながら聞いている姿が頭の中でよみがえったのだろう。
「よし!」
あたしは無理やり自分を納得させるように気合を込めた。「リンクスタート!」
純白の光に包まれた後、あたしは再びアスナの家にログインした。
「リズ。おはよう」
後ろから優しい男性の声が飛んできた。振り向くと浅黒い肌に黒髪のスプリガンが揺り椅子に腰かけながらメインメニューを操作していた。
「おはよう、キリト。アスナは?」
あたしはキリトの近くの椅子に座りながら尋ねた。
「こんばんわ。リズベットさん。ママはもう少しで帰って来ると思いますよ。今、買い出しに行ってます」
キリトより早く、彼の肩に座っているユイちゃんが答えてくれた。
「そっか……」
あたしはしばらくキリトが装備を整えている姿を見つめた。
コーの事を聞いてみようか? いや、キリトはコーの正体が弘人だと知らないかもしれない。遠回しに尋ねてみようか……。
「ん?」
その視線に気づいて、キリトはあたしに優しい瞳を向けた。「どうした? リズ」
「キリトってさ。GGOのアバターってすごい女の子っぽかったじゃん。ああなった時ってどんな気持ちだった?」
キリトは死銃事件でGGOにコンバートした。その時にランダム生成された彼のアバターはコーのように黒のストレートの長髪で性別こそ男性だったがとても女の子っぽいものだったのだ。
その時、キリトが何を考えたのか? それが弘人の気持ちを考える手がかりになるのではないかと思ったのだ。
「ああ。あれかー」
苦い表情を浮かべながらキリトは笑った。「なんじゃこりゃって感じだったなあ」
「だよねー」
「でも、いろいろ助かるかもなとは思ったな」
「助かるって?」
「…………」
あたしの問いにキリトはしばらく目を泳がせて言葉を探していた。
「ん? 白状しなさいよ」
あたしはちょっと上目で睨みつけるようにしてキリトに迫った。
「ALOはそうでもないけど、GGOって女性が少ないだろ。そうするとやっぱり……親切にしてくれる人が多いわけで……」
キリトは口ごもりながら言った。
「やっぱり……」
やはり、弘人もそういう考えで女性アバターにしたのだろうか? だとしたら少し軽蔑してしまう。
「でも、あの姿のおかげでシノンと知り合えたんだから、あれでよかったと思ってる」
「ああ、そうだね」
あたしはシノンのクールな姿を思い出しながら頷いた。
「リズ……。コートニーさんの事を気にしてるかも知れないけどさ……」
「え? キリト、コー――ってか弘人の事知ってるの?」
「ああ、アスナから聞いた」
「そう……なんだ」
「SAOが特殊なんだよな」
「どういうこと?」
「アバターが現実の姿と同じっていうのはSAOだけじゃないか。リーファだって、シノンだって現実の姿と違うし……。だから、俺はコートニーさんの事はあんまり気にならないな」
「でもさ、女の子になっちゃってるんだよ? 性別が違ってるじゃない!」
思わずあたしは叫び返してしまった。
「うん。まあ、そうなんだけど。でも、全部ひっくるめてコートニーさんじゃないかって思うんだ」
「全部ひっくるめて……」
「ああ。アインクラッドで過ごした2年間は幻じゃないって事さ。色々思い出があるんだろ?」
「そりゃあ。あるけどさ」
「それに別に女性である事を利用してリズやアスナに近づいたわけじゃないんだろ? 実際、ジークリードさんと結婚してるわけで……」
ログインする音が聞こえたので振り向くとちょうど話題になったジークリードが姿を現した。見ると、ちょっと表情が疲れている。
「どうしたの? 顔、疲れてるわよ」
「いえ、ちょっと。佳織と言い合いになっちゃって」
「ああ……」
佳織と言えば寮で螢と同室だった。こういう所でさらっと名前が出ることで改めてジークリードは螢なのだと再認識した。「今頃、螢の身体を触りまくってるかもよー」
「あ、ああ……多分大丈夫だと……」
そう言いながらジークリードの顔は少し青ざめているような感じだった。
「そういえば、ジークとコーってSAOの中で自分の事をちゃんと伝えてたの? その……性別の事とか……」
「いいえ。私もコーも黙ってました。だって、関係が壊れてしまうと思ってたから」
ジークリードは少し遠い目をしながら呟くように言った。きっと、頭の中ではコーとの思い出が甦っているのだろう。
思い出してみると1年前の二人は非常にぎくしゃくしていた。お互いの正体を知った事で混乱してしまったのだろう。きっと、その混乱はあたしが今感じているもの以上に激しいものだっただろうなとあたしは思った。
「って事は……。アンタ、女の子のコーを好きになったって事だよね?」
「ええ……まあ。そうですね。今でも好きですよ。だって、コー、可愛いじゃないですか」
「中身はあんなんだけどねー」
弘人の姿を思い出しながら、ジークリードのおノロケを茶化すようにあたしは言い返した。
「え?」
ジークリードは赤い顔をさらに真っ赤に染めて真剣な表情で言った。「弘人だって可愛いじゃないですか。可愛いですよね?」
「は? 可愛い?」
迫ってくるジークリードの顔を見てるとここは頷かなければまずい気がする。
けど、弘人は可愛いか? 螢の目って変なフィルターかかってない?
どう答えようか悩んだ時、またログイン音がして今度はコーが現れた。
「戻りましたー。ん? どうしたの?」
あたしと頬を赤く染めたジークリードを交互に見ながら、コーは不思議そうに小首を傾げて尋ねてきた。
「あのさ、コー。アンタ、男子としてのジークを好きになって結婚したんだよね?」
あたしは「弘人が可愛い」件に対する返事を保留にしてコーに話をふった。
「うん。そうだけど?」
あっけらかんとコーは答えた。「だって、優しいし、かっこいいし、強いし」
「でも、ジークはリアルだと女の子じゃない?」
弘人はそこらへんをどう考えているのだろう?
「リアルでも……」
コーはそこまで言うと、顔全体を桜色に染め上げてチラリとジークリードを見あげた。「螢は優しくてかっこいいよ……」
「ああもう、ごちそうさま!」
(アインクラッドで何度も見たよ。この風景!)
あたしはソードアート・オンラインでの二人の姿を思い出して、つい吹き出してしまった。(そうだ、キリトの言うとおりだ。アインクラッドで過ごした2年間は幻じゃないんだ……)
「ただいまー!」
明るい声でアスナが扉を元気よく開けた。「ん? どうしたの?」
「アスナ。もうちょっと早く帰ってきたら二人のおノロケが聞けたのに、残念だったわね」
「リズ!」
「リズさん!」
「なあんだ。そんなの学校でいくらでも見れるじゃない」
アスナはクスクスと笑った。
「僕としては、アスナに言われたくないかな……」
コーがジト目でアスナを睨みつけた。
確かにアスナとキリトも学校でベタベタしている所をよく見かける。コーがそう言う気持ちは痛いほど理解できた。
「え? なんで?」
ぽかんとした顔でアスナはコーに聞き返した。
「自覚なし?!」
あたしとコーの声がぴったりと重なり、あたしはコーと顔を見合わせて爆笑した。
「え? 二人とも、なんなのよ!」
アスナが口をとがらせて睨みつけてきた。そして、つかつかとあたしに向かって歩いてくると不意にその瞳が優しくなった。そして、耳元で柔らかいアスナの囁きが聞こえた。「もう、大丈夫みたいだね」
「うん……ごめんね。気を遣わせて」
あたしも小さく囁き返す。
「いいよ」
アスナはにっこりと微笑むと机の上にポーションを山のように積み上げて実体化させた。「さあ。みんな適当に持って。迷宮区に行こ!」
「あ、キリトも行くの?」
積み上げられたポーションのいくつかをアイテムストレージに放り込むキリトを見て、あたしは尋ねた。
「ああ。31層マッピングするいい機会だし」
そういえばキリトの装備がいつものラフな格好ではなく本気装備に変わっていた。
全員の装備が整った後、キリトがパーティーリーダーとなってパーティーを組んだ。
「あ、そうだ」
ふと、あたしの頭の中でアイディアが閃いた。「パーティーの中でチーム分けしない?」
「どういうこと?」
アスナが首を傾けて聞いてきた。
「男女パーティーに分けよう!」
「えーっと。アスナ、リズ、僕。と。キリトさん、ジークって事?」
今度はコーが首を傾げて尋ねてきた。そういう仕草は本当に仕草がアスナそっくりだ。
「違う違う」
あたしは両手を振りながらコーの言葉を否定した。「リアル性別で。そうじゃないと、アスナが妬くでしょ!」
「あ、そうか」
コーはにっこり笑って頷いた。
「『そうか』じゃないでしょ。コー!」
「でも、それがいいかもな」
キリトはウンウンと頷きながら言った。
「もう、キリト君まで!」
「いや。実際、コートニーさんもジークリードさんもALOでの狩りは初めてだろ? フォローする役割を分担するのはいいと思うんだ」
アスナの気持ちを知ってか知らずか、キリトはまっとうな意見をアスナに向けた。
「それはそうだけど……。今、ツッコミをいれてるのはそこじゃないんだけど……」
「ん? アスナ、なんか言った?」
とぼけるわけでもなく、キリトは真顔でアスナに聞いた。
(まあ、アスナの気持ちなんて分かってないんだろうなあ。キリトは……妙にニブイ所があるから……)
あたしは二人のやり取りを見ながら心の中で小さく笑った。
「じゃ、出発しましょ!」
このままだと今度はアスナとキリトの夫婦漫才が始まりそうだったので、あたしはそれを断ち切るために大声を出しながら家のドアを開けて外に飛び出した。
第31層はつい3日前に解放されたばかりだ。記念すべき第30層の攻略を果たし≪剣士の碑≫に刻まれた名の中にアスナたちの名前はない。そこには攻略ギルド≪ライジング・ホース≫のパーティーリーダーたちの名前が刻まれている。ライジング・ホースは第23層から第26層まで攻略した有名大規模ギルドだ。
絶剣のユウキがこの世界を去ってからアスナはふさぎ込むことはなかったけれど、第30層の攻略から離れていた。昔のソードアート・オンラインのようにクリアしなければ現実に帰れないなどという事はないのだから、ユウキとの思い出に浸って、ただ平穏に過ごしても誰が責める事が出来るだろう。それが許されるのが今のアインクラッドだ。
コーが帰って来てくれた事でアスナが少しでも元気になってくれるなら、あたしは嬉しいと思った。
第31層の迷宮区の攻略は進度40%といったところだ。マッピングという作業は地味だが攻略の役に立つとなればそれなりにやりがいがある。
この第31層の迷宮区はダンジョンの中だというのに飛行可能なほど天井が高かった。地上をのし歩くドラゴンだけではなく、空を飛ぶ飛龍タイプのモンスターも数多く湧いた。
「ハァッ!」
コーの支援魔法で全身を輝やかせているキリトが気合の声と共に放った剣戟で小型の火龍を葬り去った。討ち漏らした火龍はコーが放つ攻撃魔法で焼き尽くしていく。
男性チームの二人は華麗にダンジョンの空間を飛びまわりながら次々と火龍を葬って行く。
コーの適応力は驚くほどだ。随意飛行はマスターしているし投擲スキルに織り交ぜて魔法もユイちゃんのアドバイスがあるとは言え的確に放っている。さすが、最強の攻略ギルド≪血盟騎士団≫のメンバーだ。
それにキリトとのコンビネーションもぴったりだ。キリトへの支援魔法、回復魔法のタイミングも絶妙で、おまけにスリングから片手直剣に持ち替えてスイッチもこなすという万能ぶりだ。
「おつかれー」
全ての火龍を倒してコーは笑顔で手を挙げた。
「支援サンキュー」
キリトも笑顔でコーのハイタッチに答えた。「あーでも、火龍に火属性の攻撃魔法は効率が悪いな。シルフなんだから風属性の魔法の方がいいかな」
「あーなるほどー。エフェクトが派手だからつい使っちゃうんだよね」
キリトのアドバイスを素直に聞くコー。見ていてなかなか微笑ましい。
「あの二人、相性がいいみたいね」
あたしは隣にいるアスナに声をかけた。……ってアスナ……なんか目が怒ってない?
「あっ」
短いコーの叫び声であたしは視線を空に向けた。見ると近づきすぎたコーとキリトの羽がぶつかってバランスを崩してコーが落ちた。
「おっと。ゴメン」
キリトはすぐに追いついてコーを抱き上げるように助けた。
「ありがとう」
「ははっ。随意飛行はコツがあるから、咄嗟の時に困るよな」
ヴンッ!
激しい羽音と共に襲ってきた暴風にあたしの髪が大きく掻き乱された。アスナが全力で空へ飛び出したのだ。
「キ、キリト君!」
やや裏返り気味の声でアスナが言った。「そろそろ役割交代しよ」
「あ……」
コーはアスナの剣幕に少し息を飲んだ。「ああ、そうだね。僕とジークと交代するね」
「コーが可愛いからってデレデレしちゃってさ」
「デレデレしてないだろ! コートニーさんは男なんだし」
「どうだか? 顔が緩んでたわよ!」
「やれやれ」
言い争いをしながら二人は地上に降りてきた。
(アスナ……。アンタあたしに「姿に惑わされないで」って言っといてそれかい!)
あたしは心の中でツッコミをいれた。
こんなわけでコーとジークリードを入れ替えたのだが、すぐに破綻が訪れた。
キリトがソードスキルの繰り出し方についてジークリードに熱血指導を始めた時、アスナが止めに入ったのだ。
確かに身体を密着するように手取り足取り状態でジークリードのフォームの指導をしたのは行き過ぎだったかもしれない。
「な、なんだよ。アスナ。ジークリードさんの姿は男だろ」
「中身は女の子よ! そんなにベタベタ触るなんてデリカシーがないの?!」
「ああ、アスナさん。でも、これは私がお願いした事ですし……」
ジークリードがアスナの剣幕におろおろしながら言った。
「やれやれ」
キリトは深いため息をつきながらうなだれた。
「ねぇ。リズ」
コーがいたずらっぽく微笑みながらあたしの耳元で囁いてきた。「チーム分けを提案したのはリズなんだから、責任とってね」
「責任って言ったってさ」
あたしもキリトのように深いため息をついた。しょうがないのであたしはキリトとアスナの間に入った。「アスナ! 二人ともALOに慣れただろうから、今から一つのチームでやろ!」
「ああ、そうだな」
疲れ果てた表情でキリトが言った。「前衛に俺とリズとジークリードさん。後衛はアスナとコートニーさん。これでいいだろ?」
「そうね」
にっこりと微笑みながらアスナはキリトを睨みつけた。
(アスナ……目が怖いわよー)
そんなアスナを見て、あたしは思った。
その後は何のトラブルもなく、楽しいマッピング作業となった。
そして、見るからに怪しい扉を開けて中を覗いてみると、全身が骨になっている巨大ドラゴンが部屋の中央に鎮座していた。
「中ボス?」
尋ねるコーの声が楽しげに弾んでいる。
「中ボスね」
「中ボスだね」
「中ボスだな」
アスナとあたし、そしてキリトが頷いて断定した。
≪an Ancient Dragon≫
古代龍。『The』の定冠詞こそないがヒットポイントバーが3本。巨大な姿から見て間違いなく中ボスだろう。
新生アインクラッドのボスモンスターは信じられないほど強化されている。中ボスとはいえ旧アインクラッドのフロアボス60層クラスの力を持っていると思われた。
アルヴヘイム・オンラインはゲームで死んだからといって実際に死ぬわけじゃない。とはいえ、デスペナルティもあるしできれば死ぬような事態は避けたい。
「どうするの? キリト」
あたしはパーティーリーダーであるキリトに尋ねた。
「このメンバーならいけるとは思うけどな……。無理して戦う必要もないかなあ……」
キリトはそう言いながらコーの顔を見た。
「えー! やっちゃおうよ!」
コーは不満そうに訴えた。多分『やっちゃおう』は『殺っちゃおう』なんだろうな。
「コーはこういうの昔から好きだったもんね」
アスナが苦笑しながら何度も頷いた。「いこ。キリト君」
「そうだな」
キリトはニヤリと笑った。ゲーマー魂に火がついたみたいだ。「じゃあ、前衛後衛はさっきの組み合わせで。最初はあいつの攻撃パターンを見切るために防御重視で。前衛の指示は俺がやるよ。全体の指揮はアスナがやってくれ」
「了解!」
アスナはにっこりと笑って頷いた。「コー。マナポーションの在庫を調整しましょう」
「うん!」
「リズはあんまり前にでるなよ」
前衛組3人で回復ポーションの配分をそろえながら、キリトがあたしに言った。
「何よ。あたしも戦えるわよ!」
「うん。期待してる。ポーションローテーションがうまく回るかどうかはリズにかかってるからさ」
「あんまり、プレッシャーかけないでよ」
確かに前衛3枚は薄すぎる……っていうか5人でほんとに中ボス倒せんの?
「ジークリードさんは自分のヒットポイントをちゃんと見て無理しないように」
「あ、はい」
キリトの指摘にジークリードは頭をかきながら頷いた。確かに時々周りが見えなくなってしまうクセがジークリードにはあるようだ。
「あ、パパ」
キリトの胸ポケットからユイちゃんが頭を出した。「リーファさんがログインしたみたいですよ」
「お。ユイ。リーファをここまで案内してきてくれないか?」
「分かりました」
ユイちゃんはキリトのポケットから飛び出していった。
ソードアート・オンラインの仕様が引き継がれていて、新生アインクラッドのダンジョン内もメッセージのやりとりが制限されている。ナビゲートピクシーのユイがいなければリーファとの連絡はダンジョンをいったん出なければならなかったところだ。
「じゃ。準備はいいか?」
キリトがアスナに確認する。
「うん」
アスナが全員に防御度アップの支援魔法をかけると大きく頷いた。
「いくぞ!」
キリトを先頭にあたしたちは中ボス部屋に飛び込んだ。
「ブレス、来るぞ!」
キリトが古代龍のわずかなモーション変化を見逃さずに叫んだ。「リズ!」
「リズ。いけぇー!」
コーの明るい声と共にあたしたち前衛に攻撃力強化の支援魔法が飛んできた。
「OK!」
あたしは古代龍が炎を吹きだそうとした顎に向かって≪雷槌ミョルニル≫をソードスキル≪ナミング・インパクト≫で殴り上げた。
ナミング・インパクトの特殊効果であたしの≪雷槌ミョルニル≫から電撃がほとばしり、古代龍は激しい呻き声を上げてスタン状態に陥って、ブレス動作がキャンセルされた。
「ナイス!」
ソードスキルの硬直時間で固まっているあたしを守るようにキリトがニヤリと微笑みながら前に出た。そして、≪バーチカル・スクエア≫を叩きこむ。さらにその隙を埋めるようにジークリードが前に出て≪サベージ・フルクラム≫の重3連撃攻撃を加える。
「いいよ! このまま押し切れるよ!」
アスナの弾むような朗らかな激励の声が後ろから聞こえる。
古代龍との戦いの序盤は動きが読めず大苦戦だった。ブレス攻撃と噛みつき攻撃。それに時折翼をはばたかせての陣形崩しの吹き飛ばし。戦線崩壊の危機を救ったのはジークリードの硬さだった。ケットシーというよりノームのような力強さで古代龍の攻撃を一手に引き受けて時間を稼いでくれたおかげでこの中ボス部屋から逃げ出さずに済んだ。
そして、キリトとアスナの観察眼でブレス攻撃と噛みつき攻撃とはばたきの予備動作を見抜くと俄然楽になった。
予備動作中にあたしの電撃ハンマーで古代龍をスタン状態にさせて攻撃を集中するというパターンができてからは序盤の苦戦が嘘のようにさくさくと古代龍のヒットポイントを削り取る事ができた。
「リズ、ラストアタックはジークリードさんかコートニーさんに取らせようぜ」
キリトが笑顔であたしに提案してきた。
「そうだね!」
こんな会話ができるぐらいあたしたちには余裕が生まれていた。
「コーに取らせてあげてください」
ジークリードが微笑みながら古代龍の攻撃をシールドで弾き飛ばした。
(さすが、ジーク。妻のコーをたてる、夫の鑑! リアル性別だと逆だけど)
あたしは心の中でクスリと笑った。
「よし、やっちゃえ! コー!」
あたしは後ろのコーに声をかけた。
「いいのかな……」
「いいのよ」
アスナがぽんと優しくコーの背中を押した。
「よーし! いっくよー!」
コーは太陽のような笑顔を輝かせ、風属性の攻撃魔法の詠唱を始めた。
コーの周りからカマイタチのような空気の刃が3つ生まれ古代龍に向かって放たれた。と、同時にコーは剣を握ると目にもとまらぬスピードで古代龍に飛び込んでいった。
カマイタチが古代龍の尻尾や翼を斬り刻む中、コーは古代龍の胴体に向かって≪サベージ・フルクラム≫を叩きこんだ。
グオオオオオオオオ。
地面を揺らす末期の絶叫をあげて古代龍の身体はポリゴンの欠片となって砕け散った。
「やったー!」
子供の様に飛び跳ねながらコーは喜びを全身であらわしていた。
「おめでとう!」
あたしは笑顔で手を挙げてコーに声をかける。
「ありがとー!」
コーは満面の笑みでハイタッチをしてくれた。
「結局、リーファが来る前に片づけちゃったな」
キリトが息を一つ吐くと、アスナに向かって言った。
「もうすぐ、来るのかな? もうちょっとマッピングつづけとく?」
「そうだな。中ボスって事はこの先にボス部屋があるかもしれないし、そこまでやろうか」
「うん」
あたしたちは再びマッピング作業に戻った。
そして、いくつもの分岐を通って30分もしないうちにボス部屋と思われる巨大扉が現れた。
「なんか、まっすぐボス部屋に来ちゃったね」
あたしは巨大な扉を見上げながら呟いた。ユイちゃんのナビもなかったのにいくつもの分岐を正確に選んだキリトの勘にあたしは舌を巻いた。
「まあ、カーディナルシステムが作るダンジョンはなんとなくクセがあるからなあ」
キリトは腕を組んで頷いた。
「キリト君は旧アインクラッドも含めたら100回以上マッピングやってるもんね」
アスナがクスリと笑いながらキリトの顔を覗き込んだ。
「ねーねー。開けていい?」
屈託ない笑顔でコーが扉に手をかけた。
「ちょっと待って!」
アスナが叫ぶとジークが目にもとまらぬ速さでコーの首根っこを摑まえて引きずり戻してきた。
「ちょっと、ジーク。離してよ!」
「すみませんねえ」
暴れるコーをもろともせずジークはアスナに微笑み返した。
「あのね。コー。前のアインクラッドと違って、ボス部屋の扉は1分しか開かないのよ」
「そうなんだ」
コーの笑顔がアスナの言葉で一瞬のうちに暗いものに変わった。
「どうしたのよ。コー」
あたしはあまりにも暗いコーにひじを小突きながら笑顔で言った。
「……ちょっと昔を思い出しちゃった」
コーは悲しげに微笑んだ。「扉が閉まっちゃうボス部屋ってまるで旧アインクラッドの75層だよね」
「あ……」
あたしとアスナの絶句の声が重なった。
そうだった。コーとジークは第75層のボス偵察隊の後衛として参加していたのだ。そして前衛にまわった血盟騎士団の二人が命を落としている。もし、コーやジークが前衛になっていたら間違いなく命を落としていただろう。あの世界は死というものが本当に身近にあふれていた。
あたしの背筋に冷たいものが走った。
無意識のうちにあたしは左手を振ってメインメニューを立ち上げた。そこに見える≪LOGOUT≫の文字を見てほっとする。
「ごめん、勝手に落ち込んじゃってごめん!」
コーが笑顔と明るい声で場の空気を照らした。「昔を懐かしむなんておじいちゃんだよね」
「いいよ。気にしないで」
あたしは手を払ってメインメニューを消してコーに笑いかけた。
ふと見ると、いつの間にかコーとジークがしっかりと手をつなぎ合っている。あの絶望の世界を支え合って生きてきた二人の絆が形となって見えたような気がした。
「ほら。アスナもそんな顔しないで!」
「ごめんね。コー」
「僕の方こそごめん」
コーは深々と頭を下げた。そして笑顔でとんでもない言葉を続けた。「だから、この5人でボス倒しちゃお!」
「ええええええええ!」
あたしは驚きの声をあげた。「無理だよ。ムリムリ。せめてリーファが来るまで待とうよ」
「でも、行っちゃうもんねー」
コーはジークの手を振り払ってボス部屋の扉へ飛んだ。
「ちょ! アンタ!」
「行きましょう。リズ」
アスナが笑顔であたしの手を引っ張った。
「ちょっと。マジで?」
「やれやれ」
苦笑を浮かべてキリトも歩き始めた。
「すみませんねぇ」
ジークもあきれ顔で苦笑していた。「まあ、1回死ねば気が済むと思いますので」
(さらっと恐ろしい事言うね。アンタ)
でも、こうなったら楽しんだ者勝ちだ。
「よおーし! いっちょやったるか!」
「その意気だ!」
コーが笑顔で右手を高々と挙げた。「目指せ! 単独パーティークリア!」
「おお!」
全員の応える声が上がったところで、コーがボス部屋の扉を押し開けた。
「ボス部屋の扉って一度は開けてみたかったんだよね」
コーは無邪気に笑いながらボス部屋に足を踏み入れた。
先ほどの中ボス部屋の数倍の広さがある円形の部屋の奥に青白い炎が二つ噴き上がった。照明を兼ねたこの炎が部屋を一周する1分間がボス部屋の扉の開放時間である。
「ん?」
キリトが振り返って首をかしげた。
「どうしたの? キリト」
「扉を閉めるスイッチがない」
「ほんとだ」
あたしはキリトの視線の先を見た。ボス部屋にはこのわずか1分間の時間をキャンセルして扉を閉めるスイッチが入り口の右手に用意されているはずだ。「ここはボス部屋じゃないって事?」
「アスナたちが1パーティーで倒しちゃってるから、その対策かもな」
キリトはニヤリと笑ってアスナに目を向けた。
確かにアスナとスリーピング・ナイツが単独パーティーで第27層のフロアボスを倒したのは衝撃的な出来事だった。オマケに第29層のフロアボスもアスナとスリーピング・ナイツで倒してしまった。それについて多くの攻略ギルドが不満の声を上げているらしいと小耳に挟んでる。
「これはこれでギスギスしちゃうかもだけどね。勝手に入ってくるなって文句を言う人が出てきそう」
アスナはため息交じりに言った。
そうこうしているうちにすべての燭台に炎がともった。しかし、ボス部屋の扉は閉まらない。
「閉まらないわね」
あたしは動こうとしない扉を見つめた。
「来るぞ!」
キリトの鋭い声であたしは部屋の中央へ視線を戻した。
パイプオルガンのような重低音の和音が響く中、巨大な岩のポリゴンが姿を現した。
「ちょっ! 大きすぎない?」
凝集するポリゴンの輝きがまだ大きくなり続けている。何回かボス戦に参加した事があるけど、今まで見たことがないほど巨大だ。
もしかすると、ボス部屋の入り口が閉じないのは1レイドで倒せないほどに強化されたボスキャラって事じゃないの?
「こりゃ、大物だ」
あたしの前に立っているキリトがのんきな口調で言った。
(大丈夫。あたしたちにはキリトがいるもの!)
その黒一色の後ろ姿はとても頼りになる。いつだってキリトは絶望的な場面を切り抜けてきた。きっとこれからも!
ようやく巨大化を止めポリゴンの欠片を振りまき、このフロアボスが二つの鎌首をもたげて現れた。
≪The Executioner of Two heads≫
処刑人なんて名前だが、その姿は双頭の巨大ドラゴン。体長は20メートルを超えるだろうか。見ただけですくみ上る凶悪な顔つきが妖しく左右に揺れ、巨大な翼をはばたかせた。その途端、激しい風があたしたちを襲う。
「あ!」
巨大ドラゴンが引き起こした暴風で、陣形を組んでいた前衛3人があたしもふくめて吹き飛ばされた。
「みんな!」
アスナが全体回復魔法をかけてあたしたちの回復を始める。
地面に叩きつけられたが、すぐにあたしとキリトは立ち上がって陣形を戻そうと、防御の要であるジークの所へ駆け出した。ジークの防御力が頼りだ。
その時、巨大ドラゴンの二つの頭のそれぞれに魔法詠唱のエフェクトが現れた。
(コイツ、魔法も使うの?)
そう考えた瞬間、あたしの身体が硬直した。詠唱時間から見てそれほどの高位魔法じゃない。この硬直魔法はすぐ解ける。刹那、あたしの身体に激しい衝撃と共に炎が襲ってきた。
「キャアァ!」
全身を襲う痛みで思わず口から悲鳴が漏れてしまう。
ようやく硬直魔法の効果が解けた瞬間、巨大ドラゴンの剣のように鋭い尻尾があたしを薙ぎ払った。
「うっそー!」
連続攻撃であたしのヒットポイントが一気にレッドゾーンに落ち込む。
「リズ!」
コーの声と回復魔法が飛んできてあたしは一命をとりとめた。慌ててポーチからポーションを取り出して口に含む。
「無理だ。みんな。撤退しろ!」
キリトが叫んだのでそちらを見ると、キリトもジークもヒットポイントがすでにイエローゾーンにまで落ちている。
人数が足りなすぎる。せめてあと二人。回復専門のメイジとガチガチの盾役が必要だ。たとえ、リーファが一人来てもこの絶望的な力の差は埋められそうもない。
「クソッ! みんな早く! さがれ!」
キリトが巨大ドラゴンの攻撃を弾き、一瞬の隙を見逃さずメインメニューを操作した。そして、左手を背中に回すとそこに実体化した二本目の剣の柄を握って華麗に抜いた。黄金色の繊麗なロングソード。伝説の≪聖剣エクスキャリバー≫。
そのタイミングを見計らったわけではなかっただろうが、巨大ドラゴンは硬直魔法でキリトの動きを止めた。
「キリトさん!」
ジークがフォローに入ろうとするが、もう一方の頭にさえぎられた。
「俺の事はいいから、下がれ!」
キリトは自分の命を犠牲にして時間を稼ぐつもりだ。いつだってキリトはそうだ。昔と違って実際に命を失う事はないけど、デスペナだってあるのに。
ふと、キリトと二人、白竜の巣に閉じ込められた時の事が頭に浮かんだ。
あの時のあたしは白竜の前に何もできなかった。あの日の夜、あたしは人の暖かさ――いやキリトの暖かさを知ったのだ。
(あの時は守られるだけだったけどさ!)
あたしは前に駆け出した。
「リズ!」
アスナとコーの驚きの声が後ろから聞こえる中、あたしはキリトに襲いかかろうとした巨大ドラゴンの頭を≪雷槌ミョルニル≫で殴り飛ばした。クリーンヒットした感触がとても心地いい。
「カッコつけてんじゃないわよ! キリト」
あたしはそう言い捨てて、電撃の効果でスタン状態になった巨大ドラゴンに追撃を食らわせた。
けれど、すぐに反撃にあって、たった一発の攻撃を受けただけであたしのヒットポイントは見る間に減って行った。
「バカ、リズ。無理すんな」
キリトがあたしをかばうように前に立った。「けど、サンキューな」
キリトは右の剣を≪ハウリング・オクターブ≫でオレンジ色に輝かせて巨大ドラゴンの顔に叩きこんだ。そして、その8連撃が終わる寸前、キリトの引き絞られた左の剣が≪サルベージ・フルクラム≫で空色に煌めく。
キリトはそうやってソードスキルで光り輝く左右の剣を操って次々と斬撃を浴びせる。
巨大ドラゴンはそれから逃れるように身体をひねって剣のような尻尾であたしたちを薙ぎ払う。
ジークは盾で弾き、あたしとキリトは跳んで躱したが、余波だけでじりじりとヒットポイントが削られた。そこへアスナの高位全体回復魔法、さらにコーが一番ヒットポイントが減ってしまったあたしに個別回復魔法をかけてくれた。
これではジリ貧だ。マナ回復ポーションが追いつかなくなった時、この戦いはあっけなく終わる事になるだろう。
突如、巨大ドラゴンが雄叫びをあげて紫色のブレスを吐いた。全身に細かい糸のようなものがまとわりついて来る。
「なにコレ!」
その糸は急速に粘着力を高め、あたしたち3人を縛り上げた。
身動きが取れなくなったところで、巨大ドラゴンはヘイト値が高いキリトに攻撃を集中した。たちまち回復魔法が追いつかないほどのダメージが襲い掛かる。
「キリト!」
「キリト君!」
たまらず後衛のコーとアスナの二人がカバーのために飛び込んでくるが、双頭のそれぞれの攻撃をしのぐのに精いっぱいになった。巨大ドラゴンはそれをあざ笑うかのように尻尾を左右に振ってキリトのヒットポイントをなぶりつくした。
「キリト君!」
悲鳴のようなアスナの声が響く。
キリトが死んだらおしまいだ。
絶望が空気を重くした時、たくさんの軽快な羽音が聞こえた。
「パパ!」
「お兄ちゃん!」
ユイちゃんに続いてリーファがボス部屋に飛び込んできた。リーファは滑らかに防御魔法を詠唱すると、無数の光り輝く若草色の蝶がリーファから飛び出しキリトを守るようにドームを形成した。
そして、すぐに別の女性の高位回復魔法の詠唱が聞こえ、キリトのヒットポイントは危険域から脱した。
「アスナさん! 回復は任せてください」
次に飛び込んできたのはアクアブルーの長髪のウンディーネ。シウネーだった。という事は後に続いて聞こえる羽音は……。
ノリ、ジュン、テッチそしてタルケンが次々にボス部屋に飛び込んで来て、まるで打ち合わせをしていたかのように適切な位置に防御陣を築いた。
「動けるようになった?」
タルケンが槍を振るった後、丸メガネの位置を直しながらあたしに声をかけてきた。彼は同じ鍛冶妖精族という事もあってスリーピング・ナイツの中で一番仲がいい。
「あんがとね。マジ助かったわ」
あたしは粘着力が弱くなった糸を振り払うと戦線に復帰した。
後衛の回復役がシウネーとアスナの二人になった事で瞬く間に状況は改善された。前衛も一気に5人増えたおかげで巨大ドラゴンの攻撃を許さないほどのソードスキルの嵐を叩きつけた。
「ぐおおおおおおおお!」
巨大ドラゴンは再び雄叫びをあげた。すると周囲に4つのポリゴンが形成された。やがてそれらはワイバーンに姿を変えて、あたしたちに襲い掛かってきた。
「げっ」
思わずあたしの口からうめき声が漏れた。
「僕、後衛の守りに入るね!」
コーがジークに目配せして頷き合うと後ろへ飛んだ。
「頼む!」
キリトも頷いてコーを送り出す。
「テッチ、ジーク、タルケン5分支えて。残りはワイバーンを5分で片づけて!」
アスナの指示が飛び、それぞれの了承の声を返してそれぞれの役割を果たしていく。
「右からやるぞ!」
キリトの言葉に従って攻撃を集中して次々とワイバーンを葬った。
その間も支援魔法、回復魔法は途切れることがなかったのは、コーが後衛を襲おうとしたワイバーンを攻撃しヘイト値を高めてボス部屋を引きずりまわして守ったからだ。
アスナの指示の5分を待つことなく、ワイバーンを駆除して再びあたしたちは巨大ドラゴンの攻撃を再開した。
それから1時間以上、あたしたちは巨大ドラゴンに攻撃を加え続けた。新アインクラッドの仕様でボスモンスターのヒットポイントバーは表示されない。しかし、そろそろ限界のはずだ。というか、もういい加減に死にやがれ!
巨大ドラゴンがうめき声をあげて翼をはばたかせた。明らかに今までとは違う挙動だ。終末を予感し、あたしの胸は高鳴った。
「リズ! スタン攻撃してくれ! 嫌な予感がする」
キリトの嗅覚はその動きに危険を嗅ぎ取ったらしく、鋭い声を発した。
「了解!」
あたしは≪雷槌ミョルニル≫を渾身の力で叩きこんだ。「飛んでけー!」
確かな手ごたえに快感を覚える。 雷槌ミョルニルから発した電撃が巨大ドラゴンに襲い掛かった。これでスタン効果が付与され、巨大ドラゴンはしばらく動けなくなる。
突然、巨大ドラゴンの目の色が変わった。黄金色から凶悪な血の色に輝きを変えるとスタン効果を無効にしてブレス、そして全体効果の拘束魔法を発動した。
「な、なんなのよ! ずるくない?」
着地した途端、あたしの身体は石のように動かなくなった。しかし、この凶暴化は巨大ドラゴンのヒットポイントが残りわずかになったという証拠だ。
「う、動けねー!」
テッチの悲壮なつぶやきが聞こえた次の瞬間、巨大ドラゴンは凶悪な双頭での噛みつき尻尾をでたらめに振り回して動けない前衛陣すべてに全体攻撃を加えた。
アスナ、シウネーの高位全体回復魔法、ワイバーンが湧いた時から後衛に回っていたコーの低位全体回復魔法が降り注ぐがまったく釣りあっていない。
あたしたちのヒットポイントは上下を繰り返しながらも明らかに危険域へ転がり落ちて行った。
「ヤアッ!」
コーの鋭い気合の声が響いた。≪ヴォーパルストライク≫で剣を深紅に輝かせジェットエンジンのような轟音を響かせながらコーが巨大ドラゴンに突っ込んだ。
ソードスキルとコーの助走エネルギーをまともに食らって巨大ドラゴンは激しいノックバックでのけぞった。
だが、巨大ドラゴンのヒットポイントはそれでは削り切れなかった。巨大ドラゴンはすぐに立ち直ると動けなくなったコーに双頭の噛みつき攻撃をしようと、蛇の鎌首のように鋭く頭部を振り下ろす。
≪ヴォーパルストライク≫は大技ゆえに発動後の硬直時間が長い。このままではコーがやられてしまう!
「コー!」
思わずあたしはその名を叫んだ。
コーはあたしの叫びに満面の笑顔を返してきた。「大丈夫だよ」そう言っているようだった。
「やあァァァッ!」
鋭い気勢の声と共に青い疾風が巨大ドラゴンの双頭を貫いた。
最速の高位細剣技≪ニュートロン≫の5連撃が巨大ドラゴンの攻撃を阻み、その間にコーの硬直時間は解かれた。
「セイッ!」
気合の声と共に硬直時間に入ったアスナを守るようにコーが≪バーチカル・スクエア≫を放つ。
そして、コーの硬直時間に再びアスナが≪スター・スプラッシュ≫で巨大ドラゴンの頭を貫く。
一分の隙もないコーとアスナの美しい剣技の協演にスタン状態で動けなくなっている前衛陣から賞賛のため息がもれた。二人の攻撃はまるで≪スキルコネクト≫で二刀流を操るキリトのようだ。二人は一切言葉も交わさずアイコンタクトすらしていない。それなのに硬直時間や次の着地の体勢まで考え抜かれたような動きだった。
二人の動きは血盟騎士団で積み重ねた時間と結びつきを感じさせた。
しかし、その攻撃も臨界点が近い。永遠に放ち続けられるソードスキルは存在しない。二人の攻撃が尽きるか、巨大ドラゴンのヒットポイントが尽きるかの争いとなった。
「アスナ。やっちゃえー!」
コーは≪ファントム・レイブ≫を放った後、着地に失敗した。もう、次のソードスキルは撃てそうにない。
「やぁっ!」
アスナは細剣を鮮やかな青紫に輝かせて右上から左下へと鋭い5連撃の突き、さらに左上から右下へと神速の5連撃突きが巨大ドラゴンの身体に十字架を刻み付ける。「いっけー!」
アスナは全身を引き絞り光り輝く剣を前へと突き出す。最後の強烈な一撃が轟音を響かせて十字架の中心を貫いた。
≪マザーズ・ロザリオ≫
この世界の最強にして最高の11連撃オリジナルソードスキル。絶剣のユウキがここにいたという証……。
アスナが刻み付けた十字架の中心から四方八方に亀裂が走り、遂に巨大ドラゴンはその身体を散らした。
「おお!」
「やったー!」
「おつかれー!」
多くの歓声が上がる中、アスナの口元がわずかに動いた。
『ありがとう……ユウキ……』
あたしの頭の中でその言葉がはっきりと再生された。
アメジスト色の瞳を屈託のない笑顔で輝かせるユウキの姿を思い出し、あたしは胸を締め付けられた。
「アスナ!」
あたしは夢中でアスナの胸に飛び込んだ。
「ど、どうしたのよ。リズ」
驚く顔であたしを見つめるアスナの瞳は今にも涙がこぼれそうなほど濡れていた。
きっと、あたしと同じ思いをしてたと信じたかった。
「なんか、感動した。ちょっと違うかも知れないけど」
ストレートに言うと気恥しかったのであたしは遠回しに言った。たぶんアスナなら分かってくれる。
「そっか。わたしもよ」
寂しげに小さく笑ってアスナは瞬きして涙の雫を指で払った。
「うん」
あたしも周りに気取られないように涙を払う。
「行こ。リズ」
アスナはあたしの手を取ってお互いの健闘をたたえ合う輪に足を進めた。
「そうだね!」
あたしもその輪に笑顔で参加する。
「あ、リーファちゃん。来てくれてありがとう」
いつもの調子に戻ったアスナは応援に駆け付けてくれたリーファに声をかけた。
「間に合ってよかったです。でも、みんなが助かったのはシウネーさんたちのお蔭かな」
「シウネーさんも、ありがとう」
「いえいえ」
シウネーは優雅に頭を下げた。「先日のお礼を言おうとお宅に伺ったら、ばったりリーファさんと会う事が出来たものですから。本当にラッキーでした」
「ねーねー。この場合、≪剣士の碑≫に載る名前はパーティーリーダーだけになっちゃう?」
コーが飛び切りの笑顔を見せながらアスナに尋ねた。
「ええ。そうよ。だから、キリト君と……そちらはシウネーさんがリーダー?」
「いえ」
シウネーは優美な掌をリーファに向けながら言葉を続けた。「リーファさんです」
「じゃあ、キリトさんとリーファさんの名前が載るんだ。いいなあ」
コーは相変わらずの笑顔で言ったけど、いいのか? それ、地雷じゃないの?
「あたしとお兄ちゃんの名前が一緒に載るんだ。なんか、照れくさいけど嬉し……あっ!」
リーファが地雷を踏み抜いた事に気づいて言葉を飲んで、慌ててアスナに頭を下げた。「ごめんなさい。アスナさん」
「なんで謝るのよ。おめでとう。リーファちゃん」
アスナの完璧な笑顔と言葉だった。
(けど、目が……目が怖いわよ。アスナ!)
「アスナー。目が笑ってないよー」
恐れ知らずのコーがアスナをからかう。
「そ、そんな事ないわよ! あたしは心から――」
「キリトさんと一緒に名前を刻みたいって顔してるよ」
「コー!」
コーを捕まえようとしたアスナの手をするりと躱して、コーは空へ飛んだ。慌ててアスナもその後を追った。「待ちなさい!」
「へへーん。こっちだよー」
からかいの言葉を投げかけながら、コーは自由自在に宙を飛び回る。
「もう、許さないわよ! コー!」
「くすっ」
誰かの笑いをきっかけにして、どっと笑いが地上に広がった。
「おーい。32層のアクティベート行こうぜ」
笑いをこらえたキリトが言うまで、コーとアスナの追いかけっこは続いた。
「えー。あたしもコートニーさんと会いたかったです。いいなー」
昼のカフェテリア。昨日の第31層突破のいきさつを話すとダガー使いのシリカこと綾野珪子がエビピラフをスプーンでもてあそびながら言った。
「あれ? 珪子ってコーと面識あるんだ」
「はい。以前、助けていただいたことがあるんです」
「そうなんだ」
珪子とは長い付き合いだが、まだ知らない事があるっていうのは新鮮な驚きだった。「昨日、ログインしなかったの?」
「親と食事に出かけてたんですよ」
珪子は一つため息をついた。「そういう事になってるなら、あたしも行きたかったです」
「ま、これからいくらでも時間はあるじゃない」
「そりゃそうですけど……」
そう言った珪子の視線があたしの後方に向けられた。「あ、螢さん」
振り向くと螢と弘人が仲良くA定食を手に持ってこちらへ歩いてくるところだった。
「となり、いいですか?」
螢が優しく珪子に尋ねる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「となり、いいよね」
弘人はさも当然といわんばかりにあたしの返事を待つことなく隣にA定食を置いた。
「ちょっとー。螢を見習ってもうちょっと丁寧に言いなさいよ」
あたしはちょっとカチンときて弘人の定食のおかずから1つ奪って口に放り込んだ。
「ちょっと、なにすんのさ!」
そう言いながら弘人があたしのおかずに手を伸ばしてきたので遠慮なく叩き落とす。「痛ってー」
「手癖も悪い! 螢。こいつをちゃんと調教しておいてよね」
「もう、手遅れです」
螢はあたしと弘人を見ながら小さく笑い声をあげた。
「お二人とも仲がいいですねー」
珪子も螢につられるようにクスクスと笑いながら言った。
「あ、そうそう弘人。珪子がALOで会い……たい……って」
あたしは途中でまずいと思ったが言葉が止まらなかった。たちまち弘人の表情が変わる。
珪子はまだコーの正体が弘人だとは知らない。明らかにあたしのミスだった。
「ごめん。わざとじゃない。わざとじゃないから」
あたしは小声で必死に謝る。
「違いますよー。リズさん。あたしが会いたいのはコートニーさんです」
小動物のように可愛らしく小首を傾げながら珪子は笑顔で言葉を続けた。「勅使河原さんもALOやってるんですか? また機会があったら遊んでください」
「う、うん」
かなり戸惑いながら弘人は辛うじて返事をした。
(よし、ここはあたしが一肌脱ごうじゃないの)
あたしは心に決めて珪子に話しかけた。
「ねえ、珪子。今晩時間があったらあたしの店においでよ。コーと連絡取って呼ぶからさ」
そう言いながらあたしはちらりと弘人と螢に目配せをする。二人は小さく頷いてくれた。
「本当ですかぁ。嬉しいです!」
弘人と螢の表情に全く気付かず、珪子は笑顔を輝かせながら喜びをいっぱいに表現していた。
きっとコーの正体を知ったら珪子は戸惑うだろう。そうなったら、アスナやキリトがしてくれたようにあたしがフォローしてあげよう。
だって、コーとあたしは親友。弘人とあたしは悪友。
ソードアート・オンラインで結んだ絆も、現実世界で積み重ねてきた絆も両方ともあたしにとって大切な思い出だから。
「里香さん。なんですか? ちょっと気持ち悪いですよ」
じっと見つめていたせいか、珪子が気味悪がってあたしに毒を吐いた。
(ったく、この子は人の気も知らないで……)
教育的指導のため、あたしはデコピンで弾いてやった。
「いったーい。何するんですかぁ」
そんな珪子の愛らしい声と弘人と螢が笑い声が重なった。
「年上は敬いましょうねー」
ニヤリと笑ってフンと鼻を鳴らしてやる。
こうして積み重ねていく一つ一つの絆。
ソードアート・オンラインの世界は悲惨で厳しいものだったけれど、あたしに多くの絆を与えてくれた。仮想空間で結ばれた関係は現実世界でも繋がり広がって行く。
仮想空間と現実世界の垣根はいつか取り払われて、きっとわくわくするような世界が始まって行くだろう。
あたしは暖かな春の日差しに温められ、笑いがこぼれるテーブルに確かな未来を感じた。
リズベット視点のお話です。
24000文字を超えているので途中だらけたりしているかもしれません。申し訳ありませんorz
時系列的には原作7巻のマザーズロザリオの直後。ユウキの告別式からわずか2日後という押し込み設定です。
原作の設定を壊さないように気を遣いましたが、所々お話の都合上やむなく変更してあったりします。
久しぶりの『ヘルマプロディートスの恋』なので欲張ってキャラを出しすぎて、主役のリズ、コー、ジークの影が薄くなってしまいました。お許しください(土下座)
なんとか、1周年記念日の9/28に間に合わすことができてよかったです(残り3分しかありませんが^^;)
もう1話、佳織さん視点のお話を追加予定です。お楽しみにしてください。
2013年12月18日追記
すみません。挫折しましたorz
佳織さんのレズハッピー話(違)はお蔵入りとなりました。楽しみにしてくださった方(いるかどうかわかりませんが)すみませんでした。