私はぱっと目を覚ました。
目の前に可愛らしい女の子が私と鼻がぶつかりそうなくらい近くでスヤスヤと寝ていた。私の頭は大混乱に陥った。
あれ? 私、どうなっちゃったんだっけ? この子は誰? 学校は? 今、何時?
そうだ。私はソードアート・オンラインに囚われているのだ。そして、目の前にいる美少女は私の唯一のフレンド、コー。学校はこの世界には存在しない。時間は……視界の隅にある時計は七時二十分を示している。
私は現状が確認できたところで落ち着いて、すやすやと眠るコーの顔を観察した。
モデルのように整った顔立ちだ。すっと通った鼻筋の下にやや小さい唇。全体として守ってあげたくなるようなか弱くデリケートな少女の印象を与える。女性の私でさえドキリとしてしまうほどだ。現実世界の姿に私以外の全員が戻されている今、コーはアインクラッドで一番の美少女かも知れない。
リアルの私もできる事ならここまで完璧な顔は望まないが、もう少しマトモな顔に生まれたかった。
私は彼女の顔を十分に堪能した後、起こさないようにそっとベットから出た。
やはり、茅場が言っていた事は真実なのだ。私たちはログアウトできない。いつもなら絶対、家族の誰かが私のナーヴギアを外して強制ログアウトさせるだろう。なぜなら、この時間に家を出なければ学校に間に合わない。今日は月曜日なのだ。
今、ログアウトしていないという事はやはり、リアル側で強制的にログアウトさせる手段が存在していない事を示している。
という事は、茅場が言っていたもう一つの言葉『ヒットポイントがゼロになった時点で諸君らのアバターは消滅し……同時に現実世界の諸君らの脳はナーヴギアによって破壊される』というのも恐らく真実なのだろう。
私は自分の頬を両手で覆うように触った。そして、心配になって部屋の壁にセットされている鏡に駆け寄った。
鏡の中の私はちょっと頼りなさげな男性の容貌だった。そう、これが今の私。ジークリード。
「おはよう」
背後で少女の声がした。コーが目を覚ましたらしい。
「おはよ……」
私の挨拶は途中で消えた。
振り返ると、コーは眠たそうな表情でばっと布団をめくりあげて起き上がったところだった。
布団の下にはめくれ上がったワンピースのすそから白い完璧なプロポーションの足が二本あらわになってその根元……白い下着まで見えてしまっている。同じ女性だがなんだか見てはいけないものを見てしまった気持ちになって私は目をそらした。
「コー。ちょっと。ちゃんと起きて! 服を整えて!」
私の叫び声に半分閉じられていたコーの眼は丸く全開になった。
「回れ右!」
鋭いコーの言葉が私に投げかけられた。
「はいっ!」
私は言われたとおりに体育の授業のようなきびきびとした動作で回れ右をした。
「OK。こっち見ても大丈夫」
その言葉で振り向くとコーは昨日、出会った時のように革鎧を装備していた。「まったく、油断も隙もない!」
(いやいや、油断も隙もコーが勝手に……)
思わず私はため息をつく。同性なのになぜここまで気を使わなければならないのだ。やはり、私が女性である事を打ち明けてしまおうか。きっと、コーは許して、私を受け入れてくれる。
「行こ」
コーは硬い表情のまま表情で歩き始めて、さっき私が覗き込んだ鏡に目をやった。
彼女は自分の顔を確認すると小さくため息をついた。
自分の顔が気に入らないのだろうか? リアルの私に比べればはるかによい容姿を持っているのに……。やや小さい唇が嫌いなのだろうか? それとも性格はあんなに明るいのに儚げに見える容姿が気に入らないのだろうか。
そんな事を考えながら私はコーの後を追った。
村にある武器屋に向かう途中、私たちは無言のまま並んで歩いた。なんとなく、気まずい。
「ジーク。あのね!」
武器屋の前でいきなり、コーは立ち止まって私に頭を下げた。そして、数秒以上そのまま固まった。「ごめん。ジークはなんにも悪くない。だから……これからも一緒に狩りをしよう? 僕はジークをとても頼りにしてるんだよ」
「大丈夫。気にしてないよ」
私は微笑んだ。「その期待に応えられるように頑張るよ」
そうだ、今だけだと思うけど私はコーに必要とされている。コーが必要と思っているのはこのジークリードという男性なのだ。私がもし女性である事を打ち明けたら、この儚げな少女は頼るものがなくなってしまう。たとえ幻想だとしてもコーにとってジークリードという男の存在はありがたいものなのだろう。
コーが十分強くなって、私の支えなんか必要なくなる時まで、私が女性である事はコーに黙っていよう。私はそう心に決めて、武器屋の扉を開けた。
すでにコーは十分な装備を整えているので、武器屋では私の装備を整える事になった。
私の構成は盾持ち片手剣。二つしかない最初のスキルスロットは≪盾≫と≪片手剣≫の二つで決まりだ。初期装備のショートソード以外をすべて売却して革鎧と円形盾を選び、残金をポーションにあてるのがセオリーだ。ショートソードはできるだけここで引っ張る。
ショートソードの代わりはこの村で受けられるクエスト≪森の秘薬≫の報酬≪アニールブレード≫を当てるのだ。森の秘薬クエストの達成条件である≪リトルネペントの胚珠≫を手に入れるまでショートソードがもてばいい。
私がNPCから商品を買おうとした時、コーが私の手を止めた。
「待って。僕、お金に余裕があるから盾を買うよ。ジークはリングメイルを買って」
リングメイルは革鎧よりも防御度と耐久力に優れている。このレベルでは贅沢品といえる代物だ。「でも、次に戦うのは≪リトルネペント≫でしょ? 耐久がバリバリ減っちゃうからもったいないよ」
リトルネペントは植物型のモンスターで時折、腐食液を吐き出す。浴びればヒットポイントと装備の耐久が大幅に減ってしまう。
「大丈夫。ちゃんと、避ければ!」
コーはクスクスと笑ってトレードで盾を渡してきた。私が買おうとしていた円形盾よりランクが上のカイトシールドだ。値段もそれなりに高い物だ。
「いいの?」
「貰うのが嫌なら出世払いにするよ?」
「ありがたくいただきます」
私は頭をかきながら、その盾を受け取った。
そんなやり取りに思わず笑みがこぼれてしまう。コーの顔を伺うと彼女もにっこりと微笑んでいた。
リングメイルとカイトシールドを装備すると、私はなんとなく安心感に包まれた。この装備で剣がショートソードというのが不釣り合いだが、それもしばらくの辛抱だ。
この装備であれば迷宮区までのモンスターに十分対応できる。
問題はコストだ。これらの装備は決して安くない。
「あのさ、これは提案なんだけど。嫌なら断ってね。断っても、僕は怒らないから」
コーがそう前置きした。「レベル2になるとスキル枠ふえるじゃない。それを≪鍛冶≫にしない?」
「ああ、なるほど」
私はコーの考えを理解して頷いた。「いいね! それ!」
コーは鍛冶屋になれと言っているわけじゃない。自分の装備は自分でメンテナンスできるようにしようという提案なのだ。スキルが低いうちは耐久回復に失敗することもあるだろうが、使いつぶして買い替えるよりはるかにコストパフォーマンスがいい。
ベータテストではお互い、好きなスキルを取っていたため重複するスキルも多かった。最初からこうやって相談してスキルを決めて行けば効率がいい。
そして、僕は隣の道具屋で残ったお金を使って回復ポーションと解毒ポーションを購入した。
「準備OK?」
コーは首を傾げて尋ねてきた。
「うん」
「じゃ、クエスト受けに行こ」
私たちは村の奥にある民家にむかった。そこが≪森の秘薬≫クエストを請け負う場所なのだ。
「こうやって、ちょっと無理をしていい装備で戦えば、死ににくくなるよ」
その民家に向かう途中、コーは両手を後ろに組みながら言った。
「そうだね」
コーは昨日、私が『はじまりの街で助けを待った方がいい』と言った事を気にしているのだろう。
もしかしたら、私を前衛に立たせる事に罪の意識を感じているのではないだろうか?
「コー。あまり私に気を遣わないで。思っている事をぽんぽん言い合おう?」
「うん。ありがとう」
コーは笑顔を浮かべたが、ちょっと暗い表情になった。
どうやら、私の言葉は逆効果だったようだ。人付き合いというのはなかなか難しい。
民家に入ると台所で鍋をかき混ぜているNPCが私に振り向いて言った。
「おはようございます。旅の剣士さん。お疲れでしょう、食事を差し上げたいけれど、今は何もないの」
これがクエストスタートの合図だ。ここから会話を進めて≪リトルネペントの胚珠≫を持ってきてほしいと依頼を受けるまで結構長い。
「始まったね。僕も受けられるかな?」
コーは首をかしげた。
確か、ベータテストの時は一人がクエスト受けを始めると誰も受けられなった。妙なところでリアルなソードアート・オンラインらしいところだ。だが、それを悪用してクエスト受けの途中で放置する嫌がらせが流行した。ベータテストの間に不具合として多くのプレーヤーがGMコールしたはずだが、正式サービスの今はどうだろうか?
「やってみるしかないよ」
「うん」
コーは頷いて、NPCに元気な声で話しかけた。「おはようございます!」
「おはようございます。旅の剣士さん。お疲れでしょう、食事を差し上げたいけれど、今は何もないの」
NPCはコーに語り始めた。
お、これは脈ありか? これで私が話しかけてクエスト進行が止まっていなければ修正されている事になる。
「何かお困りですか?」
と、私がNPCに語りかけるとNPCの頭上に【?】の表示が現れた。
「剣士さん。実は私の娘が……」
どうやら、複数の別々の人が話しかけてもクエストが進行するように修正されているようだ。これは良アップデートだ。
ソードアート・オンラインのクエストの導入部分は凝りすぎていてどれも長い。昔ながらのモニター型のゲームなら連打でメッセージを飛ばせるが、ここではそうはいかない。こういう部分もリアルさを求めた結果なのだろう。初めて体験する時は新鮮だが、私たちはベータテストに続き二回目だ。もう、いい加減にこのシステムには食傷気味だ。
私たちは長いクエスト導入部分をようやくクリアして同時にクエストを受けるとパーティーを組んだ。視界の左上の自分のヒットポイント表示の下に≪Courtney≫という表示と彼女のヒットポイント表示が追加された。
私たちは≪リトルネペント≫の湧く森へ向かった。
「あ、ごめん。ちょっと買い物」
コーはそう言って大工屋に飛び込んですぐに出てきた。
「何買ったの?」
「秘密ー」
コロコロと笑いながらコーは駆け出した。
先ほどのちょっと暗い表情はすっかり消えている。私はほっとして、彼女の後を追った。
コーの狩りはいつも地形調査から始まる。
コーは狩場近くの地形をぐるぐると歩き回り状況を確認する。こうすることで逃げて行ったら行き止まりでした。とか、逃げて行ったら別のモンスターの湧きポイントに飛び込んで袋叩きにあってしまう。なんていう事がなくなる。それに、コーの投擲スキルを生かせるような地形を探すという目的もある。効率は悪いが嵌れば途方もない稼ぎが得られる方法だ。
「あ! あれ! リトルネペントの胚珠じゃない?」
コーが指差した方向を見ると、確かに木の根元にリトルネペントの胚珠がある。
この胚珠を手に入れるにはリトルネペントを狩り続け、たまに湧く≪花つき≫と呼ばれるレアを狩らなければならなかったはずだ。こんなところに置いてあるなんて、これは、何かの罠かも知れない。
「コー気を付けて!」
と、私が注意を促している間にコーは駆け寄ってそれを手に取ってアイテムストレージに入れようとした。しかし、その瞬間、カシャーンという音と共にそれは破砕した。
私は剣を握り四方に視線を飛ばして周りを警戒した。しかし、何も起こらない。どうやら杞憂だったようだ。
ソードアート・オンラインのアイテムのほとんどは耐久力というパラメータが存在する。野外に置かれたアイテムの耐久力は時間が経つにつれて減少し、ゼロになった時点でこの世界から消える。つまり、胚珠も長時間野外に放置された故に消えたのだろう。
「どういう事だろ?」
コーは首をかしげて私に聞いてきた。
「誰かがここに置いたんじゃないかな? 何時間か前に」
「結構、レアだよ。胚珠ってなかなか出ないじゃん」
「たまたま同時に出て、置いてったとか?」
「確かに一人一回しか受けられないクエストだけど……。でも胚珠をプレーヤーに売ればいいじゃない」
「それもそうだね……」
世の中分からないことだらけだ。
「ま、いいか。すごい残念だけど」
コロッと気持ちを切り替えたコーは再び歩き出した。
「よし。ここにしよう」
コーが戦う場所に選んだのは袋小路だった。
人がようやく通れる細い通路の奥にちょっとしたスペースが広がっている。
コーは道すがら拾い集めた石を実体化させて足元に積み上げた。百個以上あるんじゃないだろうか。ものすごい数だ。
「わかった」
私は奥歯をかみしめてショートソードの柄を強く握った。そして、構えてソードスキルを立ち上げる。剣が青く輝く。気合と共に私は振り下ろして素振りをした。
よし! 感覚は鈍っていない。十分戦える!
そんな私を足元でコーが恐れに満ちた目で見上げていた。
「え?」
「びっくりしたー。殺されちゃうかと思ったよ」
コーは大きく息を吐き出してその場にぺたりと座り込んだ。
「ごめん」
私は慌ててショートソードを鞘に納めると、コーの目の前に膝をついて彼女の両手を取った。びくっとコーの身体が震えた。「ちょっと素振りをしただけ。今日が初めての戦闘だから」
「うん。分かってるよ。勝手にびっくりした僕が悪い。気にしないで」
「コー。私は絶対、君を裏切らない。何があっても。信じて」
そうとも、このかけがえのないフレンドを失うなんてどんな事態になってもそんな選択肢は私に存在しない。
「僕も……絶対ジークを裏切らないよ。約束する」
「うん。ありがとう」
コーは緊張が解けたのか、眼に涙が浮かんでいた。
私はそんなじっとコーの瞳を見つめた。
(あれ? これって……なんか告白っぽくない?)
そういう思いが頭に浮かぶと自分の頬に熱がわきあがった。
(すっげーハズいんですけど! 何やってるの。私!)
私は立ち上がって顔の変化を読み取られないようにコーに背を向けた。もう、手遅れかもしれないが。
私はそういう気があるのだろうか? 私立の女子高に行ったリアル友達が『百合って本当にあるんだよ! びっくりした!』なんて言ってたのをふと思い出した。
いやいや、これは友情! 女と女の固い友情! 呪文のように何度も私は心の中で繰り返す。
こつんと私の背中にコーの拳が当たった。
「さ、狩りを始めよ!」
「うん」
頬のほてりはおさまっているだろうか。コーに顔を向けるのが怖い。
「ここでちょっと待ってて。ちょっと実験するから」
「無茶する気じゃ……」
「大丈夫。一匹ここに連れて来るだけ!」
コーはそう言うとスリングに石を一つセットするとぐるぐると回しながら袋小路から出て行った。
まもなく、シュウシュウというリトルネペント特有の音が近づいてきた。
目を凝らすとコーはすでにスリングから槍に持ち替えてこちらに走ってきた。その後をリトルネペント一匹が追って来ていた。植物型で二本の蔦を腕のように振り回している。その中央には捕食用の口がバクバクと動き、腐食液がよだれのようにそこから垂れている。近くで見るとおぞましい姿だ。結構足が速いモンスターだが追ってきているのは一匹だけだ。コーはタイミングよく槍でダメージを与えて距離を取って走り、追いつかれそうになると再び痛撃を与えて距離を取った。表情にも余裕がある。あれなら大丈夫。私は安心してコーがどうするのか見守った。
コーは私がいる袋小路に飛び込みすぐに振り返ると、机を実体化させて通路にドンと設置して後ろに飛んで私の右に立った。
「え?」
いったい何を? つい、私の口から声が漏れた。
リトルネペントはウツボをぐっと膨らませた。腐食液を吐き出す予備動作だ。
「避けて!」
コーの声に私は左に飛んだ。その瞬間、コーは右に飛んで、さっきまで私たちがいた地点に腐食液が降り注いだ。
私はすぐにこの袋小路になだれ込んでくるであろうリトルネペントの攻撃に備えて身構える。しかし、リトルネペントはシュウシュウという音をだしてその場にとどまっていた。コーが設置した机に進路を阻まれてこちらにやってこれないのだ。こうなってしまえば、間合いの取り方はこちらが圧倒的に有利だ。
「へへへ」
得意げにコーは笑って悠々とスリングに持ち替えて攻撃態勢に入った。
まったく、途方もない事を思いつくものだ。私は心の底から感心してコーを見つめた。
「さ、ジークも攻撃して。腐食液に気を付けてね」
「うん!」
私は頷いてリトルネペントの前に飛び込んで、ソードスキルを叩きこんだ。後ろからはコーが投げる石が投擲スキルによって輝く彗星のようにリトルネペントに降り注ぐ。
リトルネペントの二本の蔦による攻撃を盾と剣でさばきながら、私は再びソードスキルを叩きこむ。奴のヒットポイントバーはあっという間に真っ赤に染まりその幅を失った。キーンという甲高い音と共にリトルネペントは爆散した。
目の前に獲得した経験値と金が表示された。レベル1で青イノシシを狩るときには考えられないほどの経験値と収入だった。
「やったね! 初勝利おめでとう!」
コーは祝福の言葉と共に右手を高く上げた。
「ありがとう!」
私はショートソードを鞘に納めて、コーの右手にハイタッチした。なんだか3ポイントシュートを決めた時のような快感が全身にあふれた。とても楽しい!
「これは奥の手ね。≪実つき≫をついやっちゃった時の保険」
机を指差しながら話すコーの言葉に私は頷いた。
リトルネペントは狩り続けるとレアモンスターの≪花つき≫リトルネペントと≪実つき≫リトルネペントが湧く。クエスト達成条件の胚珠をドロップするのは≪花つき≫のほうだ。一方、≪実つき≫はその実を破壊すると大きな音と嫌な臭いをふりまき、その音を聞いたリトルネペントが実を破壊した者をターゲットして襲いかかってくるという恐ろしい罠だ。
ベータテストの時に、つい実を破壊してしまった経験がある。その時は二十以上のリトルネペントが一斉に襲いかかって来て私はなすすべなく圧死した。
コーを見るとその表情に緊張が浮かんでいた。私と同じように実つきをやって死んでしまった時の事を思いだしているのだろうか?
「コー。大丈夫。慎重にやろう」
そんなコーの緊張をほぐすために私はぽんぽんと彼女の頭を叩いた。
「了解!」
コーは緊張を解き放って、可愛らしく敬礼した。
「よし、行こう」
私たちは狩りを始めた。
それからの狩りは順調だった。多くても二体以上のリトルネペントからターゲットされないように慎重に私たちは狩りを続けた。
他のプレーヤーは先ほど一人の男が近づいて離れて行った。狩場の重複を避けたのだろう。これから、時間を追うごとに他のプレーヤーは増えていくだろう。今のうちに狩れるだけ狩っておこう。
私はショートソードを握りしめて次の狩りに備えた。
まず、私がリトルネペントに近づいてターゲットを取り、コーが待つエリアに連れて行き二人で倒す。このやり方で私たちは狩りを続け、私はレベル2に、コーはレベル3に上がった。
「やった!」
コーは自分のレベルが上がって小さくガッツポーズした。
「おめでとう!」
と、私が祝福するとコーは満面の笑みを返してくれた。
「ありがとう。ジークもおめでとう!」
「ありがとう。あとは花つきが来てくれればいいな」
≪花つき≫リトルネペントの湧く確率は確か1%ぐらいだったろうか……。
「うんうん」
「ちょっと休憩しよう」
「そうだね」
私はショートソードを鞘に納めて一つ息を吐いた。
その瞬間、『バァンッ!』と乾いた音がした。
私たちの間に緊張が走った。これは≪実つき≫の実が割られた音だ。フィールドにばらばらに沸いているリトルネペントがその音に向かって一斉に移動を開始した。
音がした方角を見ると、そこには先ほど私たちに近づいてきたプレーヤーがいた。きっと、彼が誤って実を割ってしまったのだろう。
その男はこちらに向かって走ってくる。助けを求めに来るのだろうか? しかし、あれだけの数のリトルネペントから彼を救い出すことなどできない。それに、リトルネペントが彼にターゲットを向けて移動途中でも攻撃可能対象がいるとリトルネペントはちょっかいを出してくる。救出は不可能だ。
私はその男の表情を見た。
そこに浮かんでいたのは≪恐怖≫ではなかった。獲物を狙う目だ。
獲物は私たちだ! こいつはMPK。モンスターを利用して私たちを殺す気なのだ!
「コー!」
私が声を飛ばすと「うん」と短く緊張した声が返ってきた。
視線を向けるとすでに武装を槍に代えて身構えている。
「さっきの袋小路に行く?」
「だめ。机をあいつがどかしたら、僕たちは……」
コーは私の提案を一蹴して私の左隣に移動した。そして、すがるような瞳で私を見上げてきた。「ごめんね、ジーク。やっぱり、危険だったね。はじまりの街にいれば……」
(コーを守ってあげたい!)
猛烈な衝動が私の全身を燃え上がらせた。
「大丈夫。私たちなら。負けない!」
強く、私が言うと儚げなコーの瞳に力がみなぎるのを感じた。
「うん! 僕たちは絶対、生き残る!」
コーが槍を構えると槍スキルが立ち上がって穂先が白く輝いた。
そんな私たちの近くを通ってMPKは袋小路へ走って行った。
私たちはほとんど背中合わせで近くを通ってちょっかいを出してくるリトルネペントに応戦した。この程度なら支えきれる。たとえ、あのMPKが私たちの周りを走り回ってもターゲットが私たちに向かない限り支えきれる。そういう確信が私に生まれた。
MPKの男のカーソルが袋小路に入ると消えた。一瞬、リトルネペント達の動きが停止した。
≪隠蔽≫スキル!
スキルによって隠れる事でモンスターのターゲットを外したのだ。残されたモンスターは当然、近くに残された私たちを狙うことになる。
保険だった袋小路は使えない。今全力で逃げればあるいは……いや、だめだ。意外にリトルネペントの足は速い。相手が少数なら打撃を与えながら逃げる事は出来るだろうがこの数では不可能だ。
「大丈夫だよ」
コーの声は落ち着いていた。「あれが隠蔽スキルならターゲットは彼に戻る」
その言葉を合図にしたかのようにリトルネペントは再び動き始めた。モンスターたちはMPKの男が隠れている袋小路に向かって次々と突入していく。
「だって、リトルネペントは視覚で僕たちを認識してるわけじゃない」
と、コーが低く呟くと袋小路から男の悲鳴が聞こえ、再び姿を現した。
リトルネペント達は男に蔦を振り下ろし、腐食液を吹きかけ、殺到した。あれでは彼のヒットポイントは十秒と持たないだろう。
「コー。今のうちに逃げよう!」
「待って、今なら!」
コーはそう言い残すと袋小路に走り出した。
まさか、あの男を助けようというのか!
あわてて私もその後を追う。
袋小路の入り口まで来たときには男のヒットポイントバーは赤く染まり数ドットしか残されていなかった。あれでは回復ポーションを飲んだとしても、回復効果が表れる前に次の痛打で……。
「なぜだああああああ!」
男の絶叫と共に彼の身体は細かいポリゴンとなって砕け散った。
次の瞬間、リトルネペント達のターゲットが一斉に私たちに向いた。数匹のリトルネペントがウツボを膨らませ腐食液の発射体勢に入った。そのほかも二本の蔦を振り回した。このままでは彼の二の舞だ。でもこの状態では、もうなにをやっても間に合わない。
「てや!」
そんな中、コーは気合の声と共に机を実体化させて、袋小路の入り口に置いて後ろへ飛んだ。
そこへリトルネペント達の腐食液が降りかかる。
コーの悲鳴が耳を激しく叩く。
「コー!」
コーのヒットポイントバーが一気にグリーンからイエローへ変わって半分以下になった。その表示を見ただけで私の心臓が凍りついた。
「大丈夫!」
見ると、すでに手に回復ポーションを手にして飲み始め、二撃目を貰わないようにさらに距離を取っていた。
私は袋小路へ視線を向けた。リトルネペント達は机に阻まれ袋小路から出てこれなくなっていた。今がチャンスだ。
「今のうちに逃げよう!」
ゆっくりと回復に向かっているコーのヒットポイント表示を見ながら私は叫んだ。
「戦おう! 見て! 花つきが中にいる!」
コーは首を振って指をさした。
「分かった!」
確かに、この状況なら苦労はするだろうが袋小路にいるリトルネペントすべてを倒すことができるだろう。
「うおおおおお!」
気合の声を上げながら私は盾をかざして前線に向かった。
袋小路に閉じ込めた最後のリトルネペントを倒した時、私たちはハイタッチをするどころか疲れでしゃがみ込んでしまった。辺りは日が傾き、もうすぐ黄昏の足音が聞こえてくるようだった。
「やったね。ジーク」
「おつかれ。コー」
お互いに健闘をたたえあった後、コーはふらふらと立ち上がって、今回の一番の立役者である机をアイテムストレージに格納すると再び座り込んだ。
私は右手を振り下ろして自分のアイテムストレージを確認した。
≪リトルネペントの胚珠≫×2
の表示がそこにあった。
「コー胚珠は?」
「僕は持ってない」
「私二個持ってるから、これで二人ともクリアだね」
私は早速、トレードメニューを操作してコーに胚珠を一つ渡した。
「ありがとう、ジーク」
「村に戻ろう。こんなところをPKに襲われたら今までの苦労が水の泡だ」
しゃがみ込んでいるコーに近づいて手を差し伸べた。
「うん。帰るまでが遠足だよね」
コーは私の手を握って微笑んだ。
「なに。これは遠足?」
ぐいっとコーの手を引っ張って彼女を立たせた。
「ナイスツッコミ!」
コーはぴょこんと立ち上がりながら飛び切りの笑顔を見せながら私を指差した。
『カシャアン』
モンスターが死んだ時とは少し違う破砕音がしてコーの身体全体が光のエフェクトに包まれた。
「え?」
光のエフェクトが消え去った時、そこには下着姿のコーの姿があった。そう言えば、あの後も何度かリトルネペントの腐食液を食らう場面があった。私の装備は今日買ったもので耐久が高いからまだまだ大丈夫だが、コーの装備は昨日買ったものだし革鎧はもともとそれほど耐久度は高くない。耐久が今なくなっても不思議ではないが……。
それにしても、完璧すぎるプロポーションだ。リアルの私と違って、大きすぎず、かといって小さすぎず。ウェストだって……いやいや、私は何を考え、見ているんだ!
「ごくり」
つい飲み込んだ唾の音がリアルに聞こえた。これではコーの耳にも届いたに違いない。
私は眼を閉じて次の瞬間に訪れるであろう、コーの叫び声と痛打に備えた。……だが、それらはどちらもやってこなかった。
薄目を開けると、左腕で胸元を隠しながら右手でメインメニューを操作しているコーがいた。顔どころか全身が桜色に染まっているように見えるのは夕日のためだろうか。
ぱっと、コーの姿が初期装備のワンピースに変わった。
「これは、僕が装備の耐久度を確認しなかったミス……」
そう言うコーの言葉はまったく抑揚がなかった。それがまた、私の恐怖をあおった。「今日の宿代と夕ご飯をおごって……それでチャラ」
「あ……ああ、はい、わかりました」
私はコーの暗黒のオーラに気圧されて承諾した。
だが、待てよ。コーは今回の事は自分のミスだと認めていなかったか? 自分のミスなのに私におごらせる気なのか?
私は心の中だけで深いため息をついた。世の男性たちはこういった理不尽な女性たちの要求に日々こうやって苦しめられているのだろうか。もし、現実の世界に戻る事が出来たなら、ほんの少しだけ男性に優しくしてあげよう。
私はとぼとぼとコーの後ろをついて歩いた。
村に戻って私たちはクエスト報酬の≪アニールブレード≫を手に入れた。
その後、二人で宿屋に併設されている食堂に入った。席に着くとNPCがやってきた。
「メニューを見せて」
コーがNPCに話しかけた。
「いらっしゃいませ。お嬢さん。ウチはなんでもおいしいよ!」
恰幅のいいコック姿のNPCは明るく返事をした。
「私にも見せて」
私もNPCに語りかけた。
「いらっしゃい。旦那。いっぱい食ってくれよな!」
NPCは違うセリフを私に言った。
それにしても、コーはどれだけ食べるつもりなのだろう。
ソードアート・オンラインの食事は空腹がまぎれるだけだ。リアルの肉体には栄養はまったくいかない。やろうと思えば永遠に食べ続ける事も出来るのだ。もちろん、その時のおなかに対する圧迫感は半端なものではないだろうが……。
私は目の前に広がるNPCが提示するメニューの向こうのコーを恐る恐る見た。
視線がバチンとぶつかるとコーがニヤリと笑った。
「めちゃくちゃ注文されたらどうしよう。……なんて考えてる?」
「ちょっとだけ……」
「そんな事しないよ」
コーは小さく鼻を鳴らして肩をすくめた。「でも、ちょっとだけ贅沢しよ。アニールブレードは手に入ったし。二人ともレベル5になったし」
「そうだね」
私はほっとしながらコーの注文を聞いた。確かにちょっとだけ贅沢な注文だった。でも今日、手に入れたコルを考えれば逆に質素だったかもしれない。
しばらくすると私たちの間にクリームシチューや白パン、サラダなどが並んだ。リアルのファミレスで注文したら三千円コースって感じだ。
仮想空間の映像なのに妙にリアルに湯気なんか出ている。ぐぅ。と私のお腹が鳴いた。
「いただきます」
私は手を合わせるのもそこそこにスプーンを手に取った。
そして、そのスプーンをシチューに刺し込もうとした時、コーがまったく微動だにしてない事に気づいて動きを止めた。
コーは両手をしっかり組んで、目を閉じてうなだれていた。
いったい、どうしたのだろう? そんな事を考えていると、ぱっと電源が入ったようにコーは組んでいた両手を離し、顔を上げてスプーンを手に取った。
「あ……」
私の訝しむ視線に気づいてコーは再びその動きを止めた。「ごめん、びっくりした?」
「ちょっとだけ。どうしたの? 調子が悪いの?」
「全然違う」
コーは両手を左右にブルブルと振って否定した。「えっと。僕の両親。クリスチャンなんだ。だから、食事の前のお祈りをしたんだよ」
「そうなんだ」
私はコーのリアルにこれ以上踏み込んでよいか迷ったのであいまいな返事をした。
「でも今、人生で初めて真剣に食事前のお祈りをしたよ」
「え?」
「今まで、ずっと嫌だったんだ。この習慣。でも、今日はね……心から神様に感謝したくなった」
コーは視線を私に向けた。「今日は本当にありがとう。ジークが勇気づけてくれてとても心強かったよ」
「そんな……」
私はただ反射的に勇気づけただけだ。きっと、部活のバスケットで不利になった時に声を掛け合う習慣が自然と出ただけだ。でも、コーの役に立てた事がちょっとうれしい。いや、かなり、とてもうれしい。「私もコーに感謝してるよ。コーがいなかったらきっと私は死んでたよ……。もう、やめよ!」
「え?」
私が急に話を打ち切ったのでコーは驚いた表情を見せた。
「すっごい、照れくさいから」
私はシチューの中でスプーンをぐるぐると回した。
本当に照れくさい。多分、今の私の頬は真っ赤に染まっているだろう。私がコーに抱いている感情は友情ではなくて恋に近いのかもしれない。コーもひょっとしたら私を好きになってくれているのかもしれない。それは嬉しいけれど。それはとてもまずい気がする。
「でも、これからも『ありがとう』って思った時に、僕はちゃんと言う事にするよ」
コーは私がぐるぐるとかき混ぜているシチューを見ながら言った。
「そうだね。私もそうする」
「それと、注意しあうことも必要だよね?」
「そうだね」
まったく、コーは気ままに突っ走るから時々注意してあげなければ。そう考えて私は頷いた。
「じゃあ、言うけど。ジーク。食べ物で遊んじゃいけないよ。いくらゲームの中でも……」
「分かった……」
ぐるぐるシチューをかきまぜ続けていたスプーンを私は止めた。まったく反論の余地がない。これは一本取られました。
私はシチューを一杯すくって口に運んだ。口いっぱいにクリームの味が広がって行く。現実では何も食べていないけれど、今までの人生で一番おいしいシチューだった。
ふうせんかずら「あー。これは完全に意識しちゃいましたね。もう、後戻りはできませんよー」
最近、ジークリードをいじるのが面白くなってきた、今日この頃。
波に乗ってるとすごいたくさんかける物なんだなあと実感しています。
そろそろ、止まる気もしますが^^;
あの、すぐ消えてしまった胚珠。あれを置いて行ったのはたぶん、あのかたですね……。