流れる音楽は第50層のアルゲードのBGM。みんなの服装はあの時とまったく違っているけれど、ここ≪Dicey Cafe≫はアインクラッドの中に実在する酒場ではないかと錯覚してしまう。
いつの間にかわたしの周りには多くの人が集まって大きな丸テーブルを囲んでいた。わたしのすぐ右隣にはキリト君。その隣にはリズ。クラインさん。エギルさん。シンカーさん。ユリエールさん。キリト君の妹の直葉ちゃん。そしてシリカちゃん。……わたしに近しい人たちが集まってくれている。
もし、ここにコーがいてくれたら……もっと楽しい、完璧な≪アインクラッド攻略記念パーティー≫になったのに。それだけが残念でならない。
あの須郷の虜囚から解放してくれたキリト君にわたしは二人の親友と会いたいとお願いした。それはリズとコー。
リズとはすぐに再会できたが、コーとの再会は果たせなかった。キリト君によると、連絡先は先方の都合で教えてもらえなかったそうだ。伝えられたのはコーからの伝言だという、ただ一言。『生きててよかった。本当にうれしい』だけ。
外国に行ってしまったというコー。今、一体どうしているだろうか。外国に行ったのも連絡先を教えてもらえないのも親の都合かも知れない。わたしだって、もし両親が(というより母が)「外国に行くから一緒に来なさい」と命令されたら最後まで抵抗できるか自信がない。
目を閉じると子供の様にはしゃぎ、太陽のように輝くコーの笑顔が浮かんでくる。
「アスナ。眠いの?」
リズがキリト君の向こう側から声をかけてきた。さっきまで泥酔寸前という感じだったが、だいぶ酔いがさめてきたようだ。いつものようにわたしを気遣ってくれた。
「違う、違う。ちょっと考え事してただけ」
わたしは手を振って、大丈夫だよと笑顔を作った。
「それにしても、けしからんなあ、あの二人……」
リズはそう言いながら巨大ピザの一部を引き裂いて頬張った。
リズの視線の先を見ると、一組の制服姿のカップルが寄り添うように密着している姿があった。
この学校に入ってからの友人――望月螢。ソードアート・オンラインでもわたしとフレンドだったらしいが、記憶がない。175センチぐらいあるとても長身な女の子だ。それだけで目を引く女性なのに奇妙な事にまったく記憶がないのだ。
その彼女の左隣には勅使河原弘人が螢にもたれかかるようにして寄り添っている。彼とはあまり話をしていない。ただ……。
不意に弘人君と視線がぶつかった。
わたしはとっさに笑顔を作って微笑みかけた。彼は寂しげな笑顔を一瞬浮かべた後、視線を外して螢の左肩に頭を預けてなにやら囁いている。
わたしの心に何かが引っ掛かった。まるで心の奥底の≪剣士アスナ≫が言葉にできない違和感を訴えているようだった。
「アスナ。どうした?」
キリト君が覗き込むようにして尋ねてきた。
「あの二人……攻略組なんじゃないかな?」
言葉にできない違和感が、キリト君に尋ねられることでぽっと言語化された。ああ、でも、わたしのわだかまりはこの言葉とはちょっと違うかも知れない。
「え?」
キリト君はそう言われて、二人の方に目を向けた。
わたしの言葉のせいか、この丸テーブルに座っている人たちが一斉に二人に視線を向けた。
(ちょっと、みんなで見たら、二人が可愛そうでしょ!)
と、心の中でツッコミをいれた。もし、あの二人がわたしとキリト君だったら恥ずかしくなって距離をとるに違いない。
しかし、二人はみんなから視線を向けられているというのに、まるでお互いの絆を見せつけるように見つめ合ってなにやら言葉を交わしていた。よほど深い絆が二人には結ばれているのだろう。
その割には最初に体育館で顔を合わせた時にはかなりぎくしゃくしていたが……。
「それにしても、あの娘。直葉ちゃん並みに大きいなあ」
そう声を漏らしたのはクラインさんだった。
(もう)
わたしは心の中で深いため息をついた。こういう所がなければクラインさんはモテると思うのだが……。
「え? あたし、あんなに身長高く……」
直葉ちゃんがそこまで言って、クラインさんの視線を見てその意味を察したらしく、両手で胸を隠して恥ずかしそうに視線をそらした。
「ぐあっ!」
クラインさんはリズ、キリト君、エギルさんの肘打ちと蹴り、そしてパンチの鉄拳制裁を食らって身をのけぞらした。
「それはともかく、あの顔は攻略組じゃ見たことないぜ」
エギルさんは頬杖をつきながら言った。
「あ、でも」
そう口を開いたのはシンカーさんだ。「少なくとも25層までは攻略組だったみたいですよ。先ほどちょっとお話したのですが、25層のボス戦のあとMTDを抜けたという話でしたから」
なるほど。MTD≪MMOトゥデイ≫は第25層のボス戦で多大な被害を出して、それ以降攻略から手を引いた。そのため、多くの攻略組がMTDから脱退して他の攻略ギルドに籍を移したのだ。
そういう事なら二人が少なくとも第25層まで攻略組だったのだろう。
だけど……。
「シンカーさんは二人の事を覚えていらっしゃいますか?」
わたしは気になった点を尋ねた。
「いえ。お恥ずかしいお話なのですが、あの時点でギルドメンバー全員の顔を知っている状態ではなかったんです」
「いやいや。あれだけの巨大ギルドですよ。全員の顔を覚えるなんて不可能でしょ」
クラインさんがシンカーさんを気遣ってフォローした。
「でも、アスナ。攻略組かどうかっていう所に引っ掛かってるわけじゃないだろ?」
キリト君がわたしをじっと見つめてきた。
そうだ。さすがにキリト君は鋭い。
攻略組は最後の段階で500人近くいたのだ。わたしもキリト君もその全員の顔を把握してるわけじゃない。わたしが引っ掛かっているのは……。
「どういうことだ? アスナさん。何が引っ掛かってるんだ?」
エギルさんが顎鬚を撫でながら尋ねてきた。
「あの二人、わたしたちと接点がありすぎよ。それでいて、誰も二人の顔を覚えていない。……こんな事ってあると思う?」
わたしは全員を見渡した。みんなそれぞれに考え込む表情になっている。「ちょっと、あの二人から何を言われたか、教えてもらってもいいですか?」
なんだか、探偵みたくなってきたぞ。わたしはこういう頭脳ゲームが大好きだ。全員からヒントを集めれば何らかの答えが出るかも知れない。
わたしはまず右隣に座っているキリト君を肘でつついた。
「え? 俺から?」
キリト君は少しため息をつくと話し始めた。「えっと、あの螢って子の方から『命を助けてくれてありがとう』って言われただけだな。弘人君とは話をしてないな」
「キリト、アンタどんだけ女の子を助け回ってるのよ」
リズがわたしの心を余すことなく言い表した。ホント、キリト君ってアインクラッドのあちこちの女の子を助け回っていたんじゃないかしら。
「リズは?」
わたしはリズの攻撃がエスカレートする前に彼女に尋ねた。
「あの二人とあんまり、SAOの話はしてないなあ。あたしの武器とか防具とかはつかってくれてたみたい。けど、弘人はなんか不思議な感じ」
「不思議?」
「うん。ああ、今、あたしが学級委員長であいつが副委員長やってて一緒に仕事するんだけどさ。なんかしっくりくるって言うか……。あたしの癖とか分かってるらしくてさ、先回りしてフォローしてくれたりして……」
リズは頭をガシガシかきながら言葉を必死に紡ぎだそうとしていた。きっと、言葉にするのが難しい感覚的なものなのだろう。「例えると、アスナと仕事してるみたいな感じ」
「え? わたし?」
「そうそう、そんな感じ」
リズは一人で納得するように頷いた。「アスナだったら、こうしてくれるよなーってそんな感じ。そんな事がよくあるのよ。……うー。うまく言葉にできない。クライン、ターッチ!」
リズはクラインさんとハイタッチした。
「そんな中途半端な話をした後に俺に振るのかよ」
クラインさんはあきれたような口調でリズに言った後、わたしに視線を移した。「俺はあの男の子の方の命を助けたらしい。全然覚えてねぇンだけどな。そう言えばあの女の子の方から『彼の命を助けてくれてありがとう』って感謝されたぜ」
螢の話をして何を思ったのか、クラインさんの顔がでれっとした表情に変わったが、それは彼のためにスルーする事にした。
「俺は、あの兄ちゃんから謝られただけだな。『SAOの中でずっと無視しててごめんなさい』そんな感じの言葉だったな」
エギルさんもクラインさんのでれっとした表情にあきれた顔をしながら言った。
「ひどい事したんだろうな」
エギルさんの言葉にニヤリと笑ったのはキリト君だった。「1に信用、2に信用、3、4がなくて、5で荒稼ぎなんて言ってるぐらいだからな」
「おいおい。キリトよぉ」
「シンカーさんはさっきお話して頂いた以外になにかありますか?」
不毛な二人のトークが始まる前にわたしはそれを制した。
「いえ……。25層のボス戦の後、ギルドを抜けてすみません。というような事を男の子の方から聞いただけです」
シンカーさんの言葉にユリエールさんも頷いた。
「あ、あたしはあのお二人とお話してないです」
直葉ちゃんが両手を振ってわたしに言った。
「あたしは今日じゃないんですけど、螢さんから使い魔の事でお話しましたよ」
シリカちゃんが直葉ちゃんの後を引き継いでしゃべり始めた。
「そうなの? どういうお話をしたの?」
「えっと、ALOにSAOの使い魔が引き継がれるかどうかというお話を」
「ああ、なるほど……。って事は螢はビーストテイマー?」
「多分……」
シリカちゃんの言葉にわたしは考え込んだ。全員の話を聞いてもまったく思いつかない。
「アスナはどうなんだ?」
考え始めたわたしにキリト君が尋ねてきた。
「え? わたし?」
「あの二人、アスナには何を言ったんだ?」
キリト君は深い瞳でじっとわたしを見つめてきた。この謎をキリト君も気になっているのかも知れない。
「弘人君から『憧れで目標だった』みたいな事を言われたなあ。あと、螢とわたしはフレンド登録してたみたい……」
「アスナがフレンド登録したのに覚えてないってありえないだろ?」
キリト君が目を丸くして驚きの表情を見せた。
「でも、そうなのよ。わたしは彼女を覚えてない……っていうか知らないわ」
「それに妙だな」
「妙って?」
「アスナに憧れるっていうのは分かるんだ。アインクラッドの男性全てがアスナのファンみたいなもんだったし。だけど、目標にするものかな? 普通目標にするならヒースクリフとか、男性プレーヤーじゃないのか?」
「確かに……」
わたしは顎に手を当てて考え始めた。
整理してみよう。
望月螢。SAOネームはクリームヒルダ。
わたしとフレンド。
キリト君が命を助けている。
ビーストテイマーをやっている。
勅使河原弘人。SAOネームはシベリウス。
わたしに憧れてて目標としてた。
リズの癖を知っている。
クラインさんが命を助けている。
エギルさんをずっと無視するほど嫌っていた。
二人とも。
リズの武具を使っている。
少なくとも25層までは攻略組。
お互いがとても親密な関係。
そして、誰もその顔を覚えていない。
だめだ。この連立方程式は難しすぎる。
このパーティーが始まった時の自己紹介で二人は中層プレーヤーだと言っていたが、その割にはわたしたちとの接点が多すぎる。
けれども、解を導き出すには情報が少なすぎた。
「やめよ!」
そう言ったのはリズだった。「二次会の話をしよ!」
「そうだな」
キリト君もリズに同調してニヤリと笑った。そして、わたしの耳元に口を寄せて囁いてきた。「アスナが気になるなら、菊岡に調べてもらおうか?」
「ううん。いいや」
わたしは首を振って、キリト君の申し出を断った。
あの菊岡という役人のおかげでリズや他の仲間たちと早く再会できた。それはいくら感謝してもし足りないぐらいだが、どうにも彼が信頼できない。これ以上、彼に借りを作らない方がいいだろうと思った。
静まり返っていたテーブルが今日の二次会を肴にしてにぎやかな宴に戻った。
こういった暖かい宴は久しぶりだ。
第39層のギルドハウス披露パーティーの時みたいだ。あの時は結局、コーの結婚披露宴になって、とても楽しかった。
(結局、コーとの思い出が甦っちゃうなあ)
そう考えた時、ずっと店内で流れていた第50層のBGMが途切れた。なぜか会話が途切れ、静寂が訪れた瞬間、突然、わたしの頭の中にコーの声が響いた。
「僕はシベリウスっていう名前でやってたんだよ。覚えてないかなあ?」
それはギルドハウス披露パーティーの準備の時、コーがクリシュナに語った言葉だった。
わたしの頭の中に電撃が走り、閃いた。
「あーーーーっ!」
難しい証明問題が一つの発想の転換をきっかけにしてドミノ式に一気に解けていくようなしびれるような感覚がわたしの中を駆け抜け、わたしは立ち上がって叫んだ。
そして、頭の中でフル回転で検証が始まった。
勅使河原弘人のSAOネームはシベリウス。もし、彼がコーだとしたら?
『わたしに憧れてて目標としてた』
そうだ。コーはわたしに憧れてて、目標にしてくれていた。
『リズの癖を知っている』
もし、彼がコーなら当然だ。
『クラインさんが命を助けている』
ラフィンコフィン討伐の時、クラインさんは≪還魂の聖晶石≫を使ってコーを助けてくれている。
『エギルさんをずっと無視するほど嫌っていた』
コーのエギルさん嫌いは攻略組の間でも有名な話だ。いくらジークリードが説得しても遂にコーの態度は変わらなかったのだ。
望月螢のSAOネームはクリームヒルダ。もし、彼女がジークリードだとしたら?
『わたしとフレンド』
これは元々、「わたしが死んだ事をなぜ知ってるの?」の答えとして螢が言った事だ。ギルドメンバーであれば、ギルドメンバーリストでわたしの死を知る事はできる。
『キリト君が命を助けている』
第25層のボス戦でキリト君はジークリードを助けた所をわたしは近くで見ていた。
『ビーストテイマーをやっている』
ジークリードはヴィクトリアという名のユニコーンを使い魔にしていた。
二人ともリズの武具を使っていたし、二人の絆については語るまでもない。
面白いように多くのピースがぱちりぱちりと頭の中ではめ込まれていく。
(だけど……)
ソードアート・オンラインではゲーム開始早々に全員がリアルの姿に戻されたはずだ。ゲーム開始時のアバターをそのまま使っている人がいるなんて聞いた事もない。
「おい、アスナ」
キリト君がわたしの右手を優しく引っ張ったので、わたしは我に帰った。
周りを見ると店内の全員が何事かとわたしを見つめていた。
(うわ。なにやってるのよ。わたし……)
恥ずかしさのあまり、顔から火が出そうだ。わたしは顔を両手で覆いながら座った。
勅使河原弘人がコーだったらという仮説。――ほとんどのピースが当てはまるけれど、重要なそしてもっとも重大な障害がある。あの姿だ。姿だけじゃない。性別だって違う。こんな事はありえないだろう。
わたしは捨て去るには惜しいと思いながら、この仮説を捨てようとした。その時、再びアインクラッドの思い出が頭によみがえってきた。
あれは確か、コーが一人で蟲風呂に行った次の日の事だ。
「ねー。アスナ。実はね。昨日、髪の色をアスナみたく栗色にしてみたんだ」
コーが微笑みながらわたしがよくやるように自分の毛先をくるくるともてあそびながら言った。その髪の色は栗色ではなく漆黒だった。「そしたらね。ジークが『副団長の真似をしないで、コーはコーらしくいて』って言ってくれたんだー。めちゃくちゃ嬉しかったよ!」
「はいはい。ごちそうさま」
わたしたちは笑いあった。
そう言えば、さっき弘人と言葉を交わした時、螢が言っていたではないか。
『憧れてて髪の色まで変えたよね』
と……。普通、男の子がわたしにいくら憧れても髪の色は変えないだろう。
わたしは視線を二人に向けた。
寄り添う二人の姿がコーとジークリードの姿に重なって見えた。
(コー……コーだよね?)
わたしは確信した。姿や性別が違うけれど、あれはコーとジークリードだ。
視線が弘人とぶつかった。
(コー。いつか、気持ちの整理がついたら、わたしに話してね)
わたしは弘人にコーの姿を重ねあわせて微笑みかけた。
弘人がわたしに微笑み返してくれた。あれはコーの微笑みだ。
「アスナ?」
心配そうにキリト君がわたしの顔を覗き込んできた。
「ううん。なんでもない!」
わたしはにっこりと笑って、あふれ出しそうな思いを抑えるために両手で胸を押さえた。
この考えはしばらくわたしの胸の中にとどめておこう。弘人――コーがいつかわたしに打ち明けてくれるその日まで……。
きっと、そんな遠い未来じゃない。
目を閉じると、コーの太陽のような笑みが浮かんだ。それに照らされてわたしの心は温められ明るく輝いた。