6月ももうすぐ終わりだ。ここ、アインクラッドでもリアル世界のうっとうしい梅雨の季節を見事に再現してくれているが、今日は珍しく晴れ渡っていた。
最前線の第63層の迷宮区マッピングは複雑な形状のダンジョンと強力なモンスター相手にだいぶ手間取っている。このままではこの層の攻略は来月にずれ込んでしまいそうだ。
僕たちは一日のマッピング作業を終えてギルドハウスに戻った。
今のギルドハウスは第55層のグランザムにある城塞のような建物だ。グランザムは≪鉄の都≫と呼ばれるように街並みのほとんどが黒光りの鋼鉄で作られている。鉱山が近く、材料が入手しやすい事から鍛冶職人たちが多く集まっている層だ。
アスナはこの新しいギルドハウスがあまり好きではないようだ。確かに以前あった第39層のギルドハウスと比べると暖かさが足りない。街並みもきっちり区画整理されているうえに街路樹一つもない。生き物の暖かさがあまりにも少ないのだ。
本来男の子の僕には謎の秘密基地とか鋼鉄の巨大ロボットが出て来そうな雰囲気がとても好きなのだが……。
やがて、見上げるような扉とその上に突き出した槍に掲げられた白地に赤の剣のマークのギルド旗が目に入った。
僕たちはその扉をくぐって吹き抜けのロビーを歩く。石畳と靴の鋲がカツカツと音を響かせ鋼鉄の城塞の中に響いた。
ブリーフィングルームでそれぞれのパーティーが持ち帰ってきたマップデータを統合して今日の一日が終わった。
「コー」
血盟騎士団全員がそろってのマップ統合作業が終わり廊下に出た時、僕はアスナに呼び止められた。
「なに?」
僕はアスナに通路わきへと引っ張られた。
「明日なんだけど、わたし、オフにしてもらってもいいかな?」
通路の行き止まり、みんなから死角になる場所でアスナが小声で囁いてきた。
「え?」
攻略に全身全霊をささげてきたアスナの言葉とは思えず、思わず聞き返してしまった。
「だめ? お願い」
アスナは両手を合わせて僕を拝み倒した。
「ははーん」
思い当たるふしが僕にはある。ニヤニヤしながらズバリと言い放った。「デート?」
「ちがっ!」
アスナが大声で否定しそうになったので、僕は口の前に人差し指を立てて静かにするように促した。
「じゃあ、なに?」
僕のニヤニヤは止まらず、意地悪だなと思いつつアスナを問い詰めた。
「違うわよ。えーっと、これは秘密なんだけど、コーがちゃんとパーティーメンバーを率いていけるかのテスト。そう、これはテストなのよ!」
苦しすぎる言い訳だ。アスナの代わりにパーティーを率いる事なんかこれまでに何度もある。立派な事を口にしているが頬を赤く染めているからデートで間違いないだろう。お相手は恐らく、黒の剣士――キリトだろう。
春先からアスナは変わった。きっかけは何だっただろう?
パニのフィールドボス攻略について争って、デュエルで敗れた時? それとも安全圏内で起こったPK偽装事件?
何がきっかけか分からないが、アスナはキリトを気にするようになっていた。オフの時は会えるように頑張っているらしいが、今回はキリトの都合に合わせたのかも知れない。
「じゃあ、そういう事にしとこうね」
僕はクスリと笑った。
二人をツーショットで見たことはないがきっとお似合いの二人だろう。強さ的にも容姿的にも年齢的にも、多分――精神的にも。
「嫌な言い方」
少し唇をとがらせてアスナは腰に手を当てた。
「ご命令、謹んで拝命いたします。副団長閣下!」
僕はぴょこんと敬礼して舌を出した。「この方がよかった?」
「もう!」
アスナは破顔して僕の肩をバチンと叩いた。
「じゃ、明日は楽しんで来てね」
僕はニヤニヤ笑いながらジークの所へ戻ろうと歩き出した。
「そんなんじゃないって言ってるでしょ!」
「パーティーを率いる事が出来るかのテスト。がんばりまーす」
腕を組んで頬を膨らませている可愛らしいアスナに大きく手を振って、廊下で待ってくれていたジークの左腕へ走った。
「テストって……どうしたの?」
ジークが心配そうに尋ねてきた。
「明日、アスナ、オフだって」
「へぇ」
ジークもそれだけの言葉で察したようだ。微妙な笑みを浮かべている。
「明日、アスナの分まで頑張ろうね」
「うん」
僕たちは腕を組みながら歩いていると、アランが歩いてきた。
「アラン君。久しぶり。どう? ラフコフのアジト探索は」
僕は手を振ってアランを呼び止めた。
ラフィンコフィンの活動は相変わらず活発だ。情報屋にアジト探索を依頼しているが、現地の確認にはアランのような高度な隠蔽スキルを持っている者があたっているのだ。
そんなわけで最近アランは攻略に参加せず、ずっとラフィンコフィン対応で情報屋から寄せられたアジト候補を巡っているのだ。
「だめだめだよ。あいつら、一体、どこに隠れているのかなあ」
アランは首をすくめて頭を振った。
「ねえ」
僕の頭にいたずら心が閃いた。「アラン君。明日ヒマ?」
「え?」
アランが首をかしげると、右隣に立っているジークが何かを察して深いため息をついた。
ジリジリジリと心地よい音を響かせながら砥石がわたしの≪ランベントライト≫を磨き上げていく。
この作業が始まる前、散々リズにからかわれた。イヤリングとかおろしたてのブーツを見て、これからのわたしの行動を察してしまったらしい。
(もう、コーもリズも……)
わたしは二人のにやけた顔を思い浮かべながら、砥石とランベントライトが作り出すオレンジ色の火花を眺めた。
そんなにわたしは変わっただろうか?
キリト君を意識し始めたのはいつからだろう。きっと、第56層のフィールドボスの攻略方法で言い争いになりデュエルで決着をつけようとして敗れた時……。
いい勝負だったと思う。片手剣の使い手である彼がもう一本の剣を繰り出そうとしたフェイントに引っ掛かりさえしなければ……。それぞれの手に片手剣を装備するなんてこの世界ではありえないのに、あまりにも迫真のフェイントに引っ掛かってしまった。嘘みたいだけど彼の左手に握られた剣がわたしには確かに見えたのだ。
でも、そのフェイントに引っ掛からなかったとしても負けていたかも知れない。
わたしより強い人がソロプレーヤーの中にいるなんて思いもよらなかった。
最終的にフィールドボスの攻略もキリト君が言うとおりの展開になってしまった。
その時わたしはちょっと……いや、かなり腹が立った。彼が超然として落ち着いた雰囲気を漂わせているのも気に食わなかった。
だから、第59層の迷宮区前でのんびりと昼寝をしていたキリト君を見つけた時はめちゃくちゃイライラした。一喝して文句の1ダースもぶつけてやろうと思った。そこでコーにパーティーを任せて先に行かせ、彼の足もとに立った。
結局、ミイラ取りがミイラになってしまったけれど。それ以来、きっとわたしは――。
「なに、にやけてるのよ」
目の前にリズの顔がどーんと現れ、わたしは慌ててのけぞった。
「びっくりしたー!」
「はい。お待たせ」
リズがパチンと ランベントライトを赤い鞘に納めて差し出してきた。
「ありがとう」
わたしは代わりに100コル銀貨を手渡した。
「毎度~」
リズがにっこりと微笑んだ。「今度、連れて来なさいよ」
「まだ、そんな段階じゃ……」
言いかけた時、9時の鐘の音が響いた。まずい、遅刻だ。「あ、急がなきゃ! 店の宣伝はしとくわよ。じゃあね」
わたしはリズに言い捨てて彼女のお店を飛び出した。
今日のデート……じゃなくってレベル上げはわたしのほうからキリト君にお願いした事だ。遅刻なんて許されないのに!
わたしは敏捷度パラメータの限界スピードで街を駆け抜けた。
第62層の転移門広場でキリト君はベンチに座って待っていた。
「遅くなってごめん」
わたしは慌ててキリト君に駆けよった。
わたしとキリト君の距離は1メートルぐらい。そう、これが今のわたしたちの距離。お互いが手を伸ばさないと触れられない。
「そんなに遅れてないじゃないか」
キリト君は相変わらずの仏頂面で立ち上がった。
(なによ。人が謝ってるのに……)
以前のわたしならここで思った事をそのまま口にして毒づいただろう。けれど、今はそんなキリト君の態度が許せてしまう。だって、この仏頂面が照れ隠しだって知っているから……。
「と、とりあえずパーティー組みましょ」
わたしは頬に熱を帯び始めたのを意識して、それを悟られないようにそそくさとメインメニューを操作した。
「ああ」
キリト君はわたしのパーティー申請を受託した。「よろしく」
「今日はどこに行くの?」
わたしは両手を後ろに組んで尋ねた。
「レベル上げにならないかも知れないけど、クエストを手伝ってくれないかな」
キリト君はなぜかちょっとわたしから視線をそらしながら言った。
「クエスト? どんな?」
「スローター系。≪いけにえの応酬≫っていうクエストなんだけど、昨日、情報屋から買ったんだ。レッドデーモン5体を倒すといい武器が手に入るらしいんだよ。今日、どれくらい時間大丈夫?」
そう言いながらキリト君はわたしにクエストの情報をメッセージで飛ばしてきた。報酬は片手用直剣なのだがまだ報酬アイテムの性能は不明らしい。
「1日大丈夫よ」
レッドデーモンというと結構強い。5体倒すというと二人でやっても3時間は固いだろう。なんにしても1日オフだから8時間だろうと10時間だろうと、わたしはかまわない。
「よし。じゃ、早速行こうか」
キリト君は行く方向を指差して歩き始めた。
「了解」
わたしはキリト君の左側を歩く。やっぱり距離は1メートルなんだけど。
ソードアート・オンラインのクエストは総じて導入部分が長い。
神官と魔女の間を4往復してお互いが相手を呪おうとしていけにえをレイズしていくというストーリーにわたしたちはあきれた。また、神官と魔女の場所が遠いのだ。もっとも、隣り合わせに住んでたらギャグにしかならないけれど……。最終的に魔女側の要望を聞き入れてレッドデーモン5体を倒すというフラグ立てだけで1時間もかかってしまった。
「なんかさ……このストーリー、情報屋との交渉みたいだよね」
わたしは一人の情報屋を思い浮かべながら呟いた。
「閃光ヨ。それはこのオネーサンのことカ?」
キリト君の言葉は、今まさにわたしが思い浮かべた情報屋のアルゴのものまねだった。
微妙にというより絶妙に似てる。
「ぶっ」
思わず吹き出してしまった。さらにツボに入ってしまって笑いが止まらなくなってしまった。
「お、おい」
困ったキリト君の表情がわたしにさらに追い打ちをかけてきた。
「ど、どうしよう。止まんない」
笑いと笑いの隙間になんとかその言葉を滑り込ませてわたしは笑い続けた。
「しっかりしてくれよ」
「だ、大丈夫。きっと、着くころには落ち着いてるから」
息を整え、それだけを言うと、再びお腹がよじれるほどの笑いがこみあげてきた。
「ま、いいか……」
キリト君は一つ息を吐いて先を歩き始めた。わたしはあわててその後を追う。ちょっと離れた距離を……。
レッドデーモン5体を倒すのに思ったより時間がかかった。デーモン以外のとりまきモンスターに結構邪魔をされてしまったのだ。それでも午後1時半にはミッションコンプリートすることができた。
報酬をもらうためにわたしたちは魔女の家に向かった。
「じゃあ、剣を貰ったら食事にしましょ。今日はわたしが誘ったからお昼をおごってあげるわ」
わたしはそう宣言をしてキリト君の午後の予定を抑えた。こう言っておかないと、クエスト達成で『さよなら』なんて言いかねないから、この人は……。
「あ、ああ。悪いな」
遠慮がちにキリト君が言った。「本当にアスナはこのクエ受けなくてよかったのか?」
「うん。片手用直剣なんてわたし、使わないし。でも、どんな武器かは見せてね」
もし、いい武器だったらギルドメンバー総動員で集めるのもいいだろう。
「ああ、わかった」
「その剣を持ってるのに……。それ以上の剣なんて、クエストで出ないと思うけど……」
わたしはキリト君が背負っている漆黒の剣に目をやりながら尋ねた。
その剣はエリシュデータ。あの第50層ボスのラストアタックでゲットしたという話だ。キリト君はその剣のデータも教えてくれた。魔剣クラスの能力だ。強化すれば90層……もしかするとゲームクリアの第100層まで使える剣かも知れない。
愛剣のデータを教えてくれたという事はそれなりにわたしを信頼してくれているのかな。そう考えるとちょっと嬉しい。
「同じぐらいの剣でもいいんだけどな」
「予備が欲しいの?」
「いいじゃないか」
キリト君は語気を強めて話題を打ち切った。彼との間に壁を感じた。
「ごめん。立ち入った事を聞いて」
わたしは視線をキリト君から外して前を見た。もうちょっとで魔女の家に到着しそうだ。
気まずい沈黙が流れた。
「アスナの剣はプレーヤーメイドだっけ?」
キリト君は気まずい雰囲気を感じたのか、話題を振ってきた。「いい剣だよな」
「う、うん」
わたしはメッセージをキリト君に送った。リズベット武具店の場所が書いてある宣伝用のメッセージだ。「わたしのフレが作ってくれたの。よかったら行ってあげて」
「ああ」
キリト君はわたしが送ったメッセージを見た後、わたしを見て呟くように言った。「ありがとう」
トクン。
目が合ってそんな言葉を聞いただけで心臓が不整脈のように高鳴った。
「ぜ、絶対行ってよね」
声が裏返りそうなのを必死に抑えようとしたら、妙に大きな声になってしまった。
「そんなにいい店なのか」
わたしの言葉に辟易しながらキリト君は魔女の家の扉を開けた。
すると、中にはよく見る血盟騎士団の制服を着た二人が立っていた。
「マティアス。マリオ。……何やってるのよ」
中にいたのはわたしのパーティーメンバーの二人だった。恥ずかしかったのでキリト君との距離をさらにとってマティアスを睨みつけながら尋ねた。「今日の攻略は?」
「ああ、コートニーさんが頑張って終わりましたよ」
マティアスがそう答えると、マリオが頷いた。
「ホントなの?」
確かに今日の探索範囲はわたしが参加しないから狭くしたが、それでも夕方までかかるはずだったのに……。
「ええ。マップ見ます?」
マティアスはそう言うとわたしに迷宮区のマップデータを見せてきた。確かに……今日の探索範囲は埋まっている。
「で、何しに来てるのよ」
「≪いけにえの応酬≫っていうクエストをやりに来たんですけどね」
「そ、そうなんだ」
偶然なんだろうか? 二人とも前衛のタンクだから性能のいい片手用直剣は欲しいのだろう。
わたしとマティアスが話している間にキリト君が魔女と話をして報酬アイテムをゲットした。
「アスナ。行ける?」
キリト君が優しい口調で尋ねてきた。「それとも……」
「うん……おごるって言ったじゃない」
わたしはキリト君に答えた後、マティアスの方を見て言った。「じゃあ、わたしはこれで行くから」
「はい。ごゆっくり」
マティアスはニヤニヤとしている。
「なによ!」
「いえいえ」
「ところで、コーは?」
「え? ――た、たぶん、家に帰ったんじゃないですかね?」
マティアスは不意をつかれたように視線を宙に泳がせた。
かなり怪しい。何かある。何かはわからないけど。
わたしはキリト君の後を追って外に出た。
「どこでお昼にする?」
キリト君が尋ねてきた。
「そうね……」
『キリト君の行きたいところでいいわよ』と、言いかけてわたしはそれを飲み込んだ。そんな事を言ったら、この人はアルゲードの怪しいラーメン屋みたいな変な場所をチョイスしかねない。「マーテンのレストランにしましょう」
「わかった……」
キリト君の表情は今一つぱっとしなかった。気に入らなかったのだろうか?
「なに? 嫌なの?」
不安になってわたしは囁くように尋ねた。
「いや……。あそこで食事するとなぜか最後まで食べれなかったなって思ってさ」
キリト君はほろ苦い表情で微笑んだ。
確かに……。わたしがキリト君の前で昼寝してしまった時に食事をおごると言ってキリト君を連れて行ったらあの圏内事件でろくに食べないうちに飛び出してしまった。その後の仕切り直しの食事もグリムロックがヨルコさんたちを殺す可能性に気づいて食事途中で飛び出してしまった。
「三度目の正直。今度こそ最後まで食べましょ」
明るい声でわたしは笑いかけた。
「そうだな」
キリト君はわたしの心を溶かす笑顔を返してくれた。
わたしは心の中を読み取られないように視線をそらした。
あの圏内事件から2カ月ぐらい経っているけれど、まだマーテンは人気の層だ。さすがにここを拠点にしている攻略組は少なくなったが、今度はボリュームゾーンのプレーヤー達が拠点とし始めている。人数的にはボリュームゾーンの人たちの方がたくさんいるからむしろ2カ月前より人が多いかも知れない。
そして、そのマーテンのレストランの中に入ってみると、またしても見慣れた血盟騎士団の制服を着た者が二人いた。モンスタードロップの巨大両手斧を背中に背負っている顎鬚の男とわたしと同じ細剣使いの優男だ。
その二人が今、まさに食事をとろうとしていた。
「ゴドフリー、ラモン!」
わたしは思わず声をあげてしまった。
「おお。こんな所で奇遇ですな」
ゴドフリーがニヤリと笑ってわたしとキリト君を交互に見た。
「あなた。何しに来てるのよ。今日の攻略はどうしたのよ?」
わたしはゴドフリーに駆け寄って耳元で囁いた。
「今日の攻略が思ったより早く終わったものだからな。ラモン君が最近伸び悩んでいるものだから、食事ついでにアドバイスをしている所だ」
ゴドフリーはステーキを口に頬張って、ラモンに目配せしながら言った。「そうだよな」
「は、はい」
わたしに申し訳なさそうにラモンがうつむいた。
「偶然だって言うの?」
わたしはゴドフリーを睨みつけた。
「俺がどこでメシを食ってもいいだろう? それより副団長。お連れの方が困っておられますぞ」
高笑いをしながら、ゴドフリーは次のステーキを口に運んだ。
「他のお店にしよう。キリト君!」
わたしは語気を強めてゴドフリーをさらに睨みつけた後、キリト君の左手を掴んでお店を出た。
「お、おい。アスナ」
「なにっ!」
困っておどおどしたキリト君の言葉につい、口調鋭く返事をしてしまった。
「手……。俺、子供じゃないから……。ちゃんとアスナについていくから」
その言葉にわたしはキリト君の手を強く握りしめている事を思いだした。その事実を認識するとたちまち頬に熱を帯びるのを感じた。
「ご、ごめん」
わたしは慌てて手を離して、数歩下がった。「あっちのお店にしよ」
「ああ」
キリト君は苦笑いを浮かべながら頷いた。
どう考えてもおかしい……。
行く所、行く所に血盟騎士団がいるのだ。マティアスやゴドフリーぐらいなら偶然かも知れないと思えたが、その後も道具屋に行けば道具屋に、武器屋に行けば武器屋に、ダンジョンに行けばダンジョンに誰かしら血盟騎士団のメンバーがいるのだ。他の層の店に行ってもいるのだからこれはわたしたちを追跡しているとしか思えない。
夕日がまぶしくなった頃、第50層のエギルさんの店でわたしたちは本日6度目の血盟騎士団メンバーとの遭遇を果たした。
「副団長じゃないですか。どうしたんですか?」
エギルさんの店の扉を開けて中にいたのはプッチーニだった。
「あなたたち……」
6度目となればもうわたしに驚きはない。キリト君がいなかったら胸ぐらをつかんで問い詰めたいところだ。
「エギル。武器鑑定してくれよ」
キリト君はため息を一つつくと、わたしの脇をすり抜けてエギルさんにクエストで手に入れたばかりの武器を渡しながら言った。
「プッチーニ。何をやってるの?」
一応、理由を聞いてあげることにした。
「エギルさんに先日のボス戦のドロップ品を売っていた所ですよ」
プッチーニはエギルに視線を移した。
「ああ、いい取引だったぜ」
エギルさんはいつものようにニヤリと笑った。そして、キリト君の剣の鑑定を始めた。
「あなたたち、何を企んでるのよ」
わたしはプッチーニを部屋の隅に引っ張って小声で尋ねた。
「何かあったんですか?」
ニヤニヤしながらプッチーニは聞き返してきた。
「わたしたちの先回りをして何が楽しいの?」
「先回り?」
再びプッチーニが反問してきたのでわたしはため息をついて、「もういい」と脱力しながら言った。
結局、キリト君はクエストで手に入れたばかりの武器をエギルさんに売却した。思ったよりいい武器ではなかったらしい。
「アスナ。行こうか」
「うん」
わたしはキリト君の後を追いかけた。
「なあ」
さすがのキリト君も6度目の遭遇の後、主街区広場でわたしを咎めるような眼で見てきた。
「ごめん」
なんと言って謝ればいいのだろう。わたしは目を伏せた。
「いや、責めてるんじゃなくって」
キリト君は慌てて両手を振った。「さすがにこれって、おかしいよな」
「うん……」
「そういえば最初の二人……。マティアスとマリオだっけ……。あの二人も変だったし」
「え?」
「だって、俺が報酬アイテムをゲットした時に何も聞いてこなかっただろ? 普通、どんな性能か聞いてくるだろ?」
「確かに……」
そう言われてみればそうだ。まだ情報屋の間でもどんなステータスの武器なのかオープンになっていなかったのだ。二人が報酬アイテム狙いならキリト君が手に入れた時、なにかしら尋ねてくるはずだ。
キリト君の瞳の色が変わった。索敵スキルか追跡スキルを使っているのだろう。何回も主街区広場を見回した。
わたしはその系統のスキルを持っていないから普通の夕焼けの風景にしか見えない。彼にはどんなふうにこの景色が見えているのだろうか?
「今にして思えば、俺たち次の行先をお互いに話してたよな」
「ええっ? もしかして、隠蔽と忍び足でわたしたちのすぐ近くに!」
わたしはきょろきょろと見回してみるが、当然怪しい人は見当たらない。
「くそっ。KoBにその系統の使い手はいるのか? 俺の索敵スキルに引っ掛からないな」
「アラン君……」
わたしは可能性が一番高いメンバーを思い出した。しかし、彼は今、ラフコフのアジト探索に駆り出されているはず……。
「アスナ。ちょっと失礼」
キリト君はずいっと2歩わたしに近づいてきていきなり右手を取った。
「え?」
次の瞬間、キリト君は猛スピードで駆け出し、わたしの身体が宙に浮いた。「ちょ、ちょっと!」
キリト君は無言のまま角を次々と曲がり、細い路地に入るとわたしを座らせた。そして、キリト君はコートをばっと広げるとわたしに覆いかぶさるようにして姿を隠した。
「バカッ! なにすんのよ!」
いきなりの事でわたしは抗議の声をあげて、キリト君を見上げた。
「静かに! ハイディングがとけるだろ」
すぐ近くでばちんとキリト君と視線が合ってしまった。
めちゃくちゃ照れくさい。反射的に手でキリト君を突き飛ばそうとした時、駆け寄ってくる複数人の足音が聞こえたので、今まさに突き飛ばそうとしていた手を止めた。
「どこ行った!」
「こっちだよな」
「俺、あっちいくよ」
「じゃあ、俺、コートニーさんに指示仰ぐよ」
キリト君のコートの隙間から覗き見ると4人の血盟騎士団メンバーがひそひそと話し合ってそれぞれの路地へと散って行く所だった。
(やっぱり黒幕はコーなのか……。何やってるのよ。あの子……)
思わずクスリと笑ってしまった。
「これでまいたかな……」
足音が消えた時、キリト君は立ち上がった。そして、わたしの顔を見て呟いた。「なんか、楽しそうだな」
「なんか、鬼ごっこみたいだよね」
わたしはにっこりと微笑みながらキリト君を見つめて立ち上がった。「ごめんね。ウチの団員の遊びに付き合わせちゃって」
「い、いや。いいんだ。俺もこういうのは結構楽しいし」
キリト君の頬が真っ赤に染まって慌てて視線をそらすのがとても可愛らしかった。
「じゃ、晩御飯はおごってもらおうかな」
わたしは自分の腕を組んで片目でキリト君を見上げた。
「えええ?」
キリト君は目を白黒させた後、腰に手を当てて言い放った。「じゃあ、この間のメシ屋に行こうぜ」
「また、あのニセラーメン食べるの?」
「定期的に食べたくなるんだよ」
キリト君はそう言うとニコリと笑ってわたしに手を差し伸べた。
「≪アルゲードそば≫以外のおすすめはないの? いつだか言ってたソースの味しかしないお好み焼き屋さんは却下よ」
わたしはクスリと笑ってその手を取った。
キリト君の手がとても暖かい。やっぱり、わたしはこの人に恋をしてるんだ。
リアルの世界ではこんなに熱い感情を持ったことはなかった。この想いを大切にしよう。この世界に来て初めて出会えた現実世界を含めても一番大切な人……。
この想いを伝えるのはまだちょっと早い。でも、いつかちゃんと伝えよう。
わたしはいつの間にかじっとキリト君を見つめていた。まるで時間が止まったようだ。
ずっとこのままでもいい……。
「ご、ごめん!」
キリト君が顔を真っ赤に染めて慌てて手を引っ込めたので、再び時間が流れ始めた。
「じゃ、道案内してよね。あのお店、一人じゃ絶対いけないから」
わたしはさっきまでキリト君の手を握っていた手をそっと自分の胸に抱きながら言った。
「おう。任せとけ」
キリト君はポンと一つ胸を叩いて歩き始めた。
わたしはその左隣を歩いた。隣を見るとすぐそこにキリト君の顔がある。
わたしたちの距離は手を伸ばせばすぐ届く距離……50センチぐらいに縮まった。今まではこんなに近づいたらどちらかが逃げていたのに……。
夕日に照らされたアルゲードの複雑な街並みをわたしたちは肩を並べて一緒に歩いた。
のれんをくぐって暗い店内に入ると、すでにアルゲードそばをすすっている血盟騎士団二人がいた。コーとジークリードだ。
「コー!」
わたしはその姿を見て驚きの声をあげた。
確かに追手はまいたはずなのに!
「追手はまいた……なんて思っちゃった?」
コーはスープを飲み干してどんぶりを置くと、にっこりと微笑んだ。「どう? 僕の指揮ぶり。合格点もらえるかな?」
「参ったわ。降参よ」
わたしは苦笑して首をすくめた。「アラン君にやらせたの?」
「アラン君はまかれちゃったんだけどね」
コーがそう言った瞬間、キリト君が驚きの声をあげた。
「うわ!」
キリト君の隣に現れたのは地味なレザー装備に金褐色の巻き毛、そして頬には特徴的なおヒゲの化粧――アルゴだった。
「久しぶりだナ。キー坊」
「い、いつからつけてたんだよ!」
キリト君の声が裏返った。
「誰かがオレっちの下手なモノマネをしたあたりからダ」
アルゴはニタリと笑って睨みつけるようにキリト君を見上げた。「なかなか、面白かったゾ」
「て、て、てって事は一日中?」
いつもふてぶてしいまでに落ち着いているキリト君が声を裏返して焦りまくっている。そんな新しい顔を見てわたしはますます彼が可愛らしく思えた。
「もう、コーったら。アルゴさんまで巻き込んで何やってるのよ」
「予行演習だよ。対ラフコフ用」
「なるほどね」
コーはわたしとキリト君をラフコフの幹部に見立てて追尾していたのだ。という事はわたしが思っている以上にたくさんの人がこれに関わっているのだろう。
「では、アスナに合格点を貰えたので、今日の演習は終わり! みなさん、お疲れ様でした!」
コーがそう言うと、店の外からたくさんの顔が覗いてきた。血盟騎士団だけではなく情報屋の顔もあった。
「お疲れー」
それぞれが声を掛け合っていた。
「じゃあ、僕たちはこれで帰るんで、お二人はごゆっくり」
コーは深々とお辞儀をしてわたしとすれ違いざまに耳元で囁いた。「次は腕を組めるといいね」
「コー!」
思わず繰り出した裏拳がコーの後頭部を直撃し、彼女は椅子やテーブルを巻き込みながら盛大な音響と共に店から飛び出していった。
外から血盟騎士団メンバーの盛大な笑い声が聞こえた。
「アスナってすごいな……」
キリト君がすぐ隣で呟いた。
「え?」
「だって、あんなにたくさんの人から副団長として慕われてるんだから」
キリト君はそう言いながら優しい目で立ち去っていく血盟騎士団メンバーを見つめている。
今なら……腕を組めそうだ。
わたしは手をそっと伸ばした。もうちょっとでキリト君の腕に届く……。
けれどもわたしはその手を引っ込めて、おもいっきりキリト君の肩を叩いた。
「なっ!」
突然叩かれてキリト君は目を丸くして驚いた。
「食事にしましょ!」
わたしは近くの席に座って言った。
わたしはコーとは違う。わたしはわたしなりにキリト君との距離を縮めたい。
そう考えて、わたしはテーブルの反対側に座ったキリト君ににっこりと笑いかけた。
アスナさん……。もっと怒っていいですよ?
「ワレ! 攻略もせずに何やっとんじゃあ!」ぐらい叫んでもバチは当たらないと思います。
今回はアスナさん視点。
原作の『心の温度』の前日のストーリーです。
コートニーとジークリードとは違ったニヨニヨを味わっていただければ幸いです。
けれど、ニヨニヨタイムはこれでおしまい。
ゲームクリアまであと5か月。こんな風に書いていると宇宙戦艦ヤマトみたいですねw