月明かりの下、2人の人外が静かに対峙していた。だが、その不気味なまでの静けさとは裏腹に、両者のその心の内は熱く凶暴なまでに強く、目の前の敵を屠ることの身を考えていた。
1秒、2秒と静かに時が流れていくが、それでも両者は未だ動かない。1人はにやけたまま、もう1人は険しく眉根を寄せて相手の事を見据えている。
そんな状況がどれくらい続いただろうか。やがて、これ以上は待ちきれないと空気の方が悟ったのか、不意に一枚の大きな木の葉がゆらりゆらりと落ちてきた。
その木の葉は表裏が回転しながら地面へ向けて落ちていき、やがてカサッという音を立てて地面に落下した。その瞬間だった。
「オラいくぜェエエエエエエ!!」
睨み合いが木の葉の落下を合図に終わり、ほぼ同時に一歩を踏み出したヴィルヘルムと美鈴。だが、同時に動いたにも関わらず、先に相手へと肉薄していたのは彼の方だった。
「これはッ!!」
思わず美鈴が呼吸するのも忘れて驚愕を示す。恐ろしい速度と、恐ろしい威力の籠った突き。彼女は彼がただの人間ではないと気付いてはいたものの、予想していた相手の力より遥かに上だという事を初激を見ただけで見抜いた。
その攻撃を直撃はマズイと、培った観察眼と鍛え上げた肉体によってギリギリ回避を成功とする。
とはいえ、完全にその攻撃を躱せたというわけではなかった。ヴィルヘルムの空間を抉る様にして突き出された掌は、美鈴の身体にこそ当たってはいないものの、その拳圧によって引き裂かれた空気が、鋭い刃となって美鈴の肩口の服と皮膚を浅く裂いていたのだ。
それを目視で認識してコンマ5秒程経ってから、遅れてやってきた痛みに彼女は歯を食い縛って耐える。今のは危なかった。ほんの少しでも回避が遅れていれば、ヴィルヘルムの一撃は美鈴の右肩から胸のあたりまでをそのまま抉っていたことだろう。
幾ら彼女が丈夫な肉体を持ち、生存能力に優れていようと絶命は避けられなかったはずだ。それを想像したからなのか、美鈴はゾッとした表情を浮かべヴィルヘルムに視線を投げるが、向けられた方はというと攻撃を避けられたというのに、犬歯を剥き出しにして笑っていた。
「カハッ、やる、やるねぇお嬢ちゃん。あれを見て避けるなんてよぉ。素直に褒めてやるよ、大したもんだ」
「ッ、随分凶暴じゃないですか?ウォーミングアップにしてはやり過ぎだと思いますけど」
「そいつぁすまねぇな。だがよぉ、こちとら意味不明な現象に巻き込まれてからくだらねぇ雑魚ばっかの相手をしてたんだ。デキる相手を見つけてテンション上がっちまっても仕様がねぇだろ?」
「お褒めに預かり光栄ですが、随分と余裕そうじゃないですか?いらぬ油断は命取りになりますよ」
ニッと笑って、美鈴は見た目だけでも取り繕った表情を浮かべて再び構える。そして、先の一撃を冷静に思い出して相手の異常さに目を向かざるを得なかった。
先の一撃、美鈴は決して油断などしていなかったし、ましてや相手に先手を取られるような低速で間合いを詰めたわけではない。
加えて、同時に駆け出したとは言ってもヴィルヘルムは当初構えても居なかったのだ。体は妙に脱力しきって、動き出しはコンマ数秒は自分に遅れることだろうと思っていた。だが、その予想こそが間違いだったのだ。
否、間違いではなくその時まで美鈴は彼を侮っていたのかもしれない。どちらにせよ、その心の緩みが彼女が完全に回避できなかった理由であるだろう。
ヴィルヘルムの脱力した姿勢、それは決してスロースタートを意味しない。何故なら、彼にとってはそれが常に臨戦態勢の姿であり、武道等を学んでいないが故に決まった型はないものの、一番動き出しが速い姿勢なのだ。
それは彼の筋肉が脱力していたのではなく、ギリギリまで押し込められたばねの様に、身体を弛緩させていただけなのだ。常人なら決して真似できないその動きに加え、野生のケモノのような本能が、彼には想像できないほどに備わっている。
優れた格闘家である美鈴は、そんな彼の本質を先の一撃で把握することができた。
「あなたから感じる気といい、その暴力的な殺気といい。ケモノ・・・いえ、ケダモノとでも言うべきですかね。」
「はっ、随分ハッキリ言ってくれるじゃねぇか。嫌いじゃないぜ?そういうのは。だからこれは褒美だよ。遠慮すんなよ、俺は武器は出さねぇ。だからお前は銃でもナイフでも念力でも呪いでも、何でもいいから使ってみろや」
「あなたに好かれても、こっちは全然嬉しくないですけど・・・ねっ!!」
言い終えると同時にダンッと、そのの踏み込みで地面が砕け陥没し、先ほどのヴィルヘルムに匹敵するのではないかという速度で美鈴は一気に接近した。それに対して、何の反応も見せることはないヴィルヘルム。先ほどまでの美鈴だったら、それは速すぎて見えていない等と思っていたことだろうが今は違う。
サングラス越しでもわかる。彼の眼はしっかりと美鈴を補足している。それを見て、彼女は一瞬でヴィルヘルムの思考を読み取って、カッと血を頭に上らせた。彼の目はこう言っていた。お前の一撃を受けてやるから、とりあえず全力を見せてみろと。故に、彼女はその挑発に乗ってしまった。
それは、当然といえば当然なのかもしれない。何せ、美鈴の目の前にいるヴィルヘルムは防御の構えすらとっていない。先ほどと同じく、弛緩した態勢を保ったままで狙いやすいように腹部の周辺をわざとらしく開けている。
それは、武道家にとっては侮辱も過ぎる侮辱だった。
「ァアアアアアアアアッ!!」
甞め切った態度をとるヴィルヘルムの腹部の中心目がけて、気を込めた右掌の掌底を一気に叩き込む。最高のスピードと、最高のタイミングと、最高の打撃音が夜の闇に響き渡る。あまりの掌底の威力に、とてつもない風圧が発生して地面の砂が巻き上がり砂のカーテンとなる。
後から吹いてくる風により、それもだんだんと散らされていき、砂煙に包まれた人影を晴らしていく。立っている人影は1人で、もう1人の人影は態勢を崩して膝をついているようにも見える。やがて、一際強い風が吹きその場の砂煙を完全に晴らしたその時。
明確に月の光に照らされ2人の姿がさらされるが、態勢を崩して膝をついているのは美鈴で、微動だにせず立っているのはヴィルヘルムの方だった。
「よォ、どうしたよ?まさかとは思うけどよ、今のが最強な一撃とかじゃねぇよな?」
「ぐっ・・・まさか!!違うに決まってるじゃないですか。あなたが余りにも隙を晒し過ぎていたので、咄嗟に手加減してしまったんですよ」
「ククッ、アハハッ、アハハハハハハハハッ!!ああ、そうだなぁ、そうだったよなぁ!!ククッ、いやぁ、そいつぁすまねぇことしちまったぜ」
美鈴の言葉を聞いて、戦闘中にもかかわらず腹を抱えて爆笑するヴィルヘルム。そんな彼を横目で見る美鈴は、スッと音もなく一瞬で20メートル程間合いを離し、そして彼に一撃を加えた際に関節が外れた右手首を無理矢理はめ直した。その間も、ヴィルヘルムは攻撃しようとすればできたにもかかわらずしなかった。
その間を使って、美鈴は今自分が攻撃したときに起きた出来事を冷静に思い出していた。
「(さっきの一撃。あれは確かにこれ以上ない位綺麗に決まった筈。なのに、インパクトした瞬間にダメージを負ったのは私の方の手首、それも咄嗟に力を逃がしてなければ外れただけじゃすまなかった。お腹に何か仕込んでいたわけでもなさそうだし、一体どんなからくりが)」
心中穏やかでない彼女の疑問に答える者はいない。幾ら自分で考えたところで、答えが出るわけでもないし出たとしても解決できなければ意味がない。彼女としては、理由が思いついて対抗できる方に賭けたい気持であったが、実際はそうはいかないだろうと冷静に自分の敗北を受け止めていた。
そんな彼女の判断は、あらゆる意味で正しかった。一つは、腹部に何かを仕込んでいるわけではないという点。もう一つは、決して答えが出るわけはないだろうという点。最後の一つは、もしも攻撃が聞かない理由を理解できたとしても解決はできないという点だ。
そしてその答えは結局のところ、彼が持っていて彼女が持っていないという事にある。ヴィルヘルムとて、元を正せばただただ暴力的で人間離れしたただの人間である。少なくとも、人間であった頃であれば美鈴の一撃を素で受けた場合、腹を突き破ってそのままショック死させることができたかもしれない。
だが、それは彼が人間だった場合の話だ。今の彼は真実、人間などというか弱い生き物ではない。聖遺物という、大魔術の秘の粋を尽くしているとされるそれを体内に同化させたその時から、彼は人間離れした怪物から、正真正銘人外のバケモノにと変貌したのだ。
聖遺物の齎す恩恵というのは、それぞれ多々ある。それは肉体的強度であったり、超人的な能力であ
ったり、超速度の回復力にあったりと理由を上げればキリがない。ただ、そんな中でも一貫して言えることが、聖遺物の使い手を倒せるのは特殊な例外を除けば同じ聖遺物の使い手だけということだ。
その例で挙げれば、紅美鈴は聖遺物など持ってはいないし、かといって特殊な例外にも入らない。勿論、彼女も人間にしか見えないが妖怪というだけあり、その肉体的強度と持つ膂力は半端ではない。
その気になれば、拳で城壁を崩すこともできるだろうし、人間を殴れば冗談のようにその肉体を衝撃で爆散すらさせられるかもしれない。しかしそれでも、彼女はあくまで妖怪止まり。特殊な例外というには、あまりにも力が足りていない。つまりそれは、彼女には彼にダメージを負わせることはできないという事実に他ならない。
美鈴が知りたがっている答えというのは、知ってしまった瞬間にチェックメイトが同時にかかってしまうのだ。とある人間が、知ることは死ぬことだという言葉を残しているが、今の美鈴の状況は正にそれと言ってもよいだろう。
知ってしまえば、常人であれば心が折れてしまっても可笑しくはない。唯一救いなのは、美鈴がその事実に辿り着いていないという事だ。ただしそれは、絶望的な答えを完璧に知ることがないというだけであって、彼女自身は自身の勝機が万が一にもないかもしれないというのは悟っていた。自分と彼では勝負にならない。
例えこのまま戦いを続けたとしても、死ぬのは自分だと彼女の戦術眼が告げている。だが、それでも退かない、退くわけにはいかない。何故なら彼女は、幻想郷でも有数の最強候補の一角である紅魔館の門番、紅美鈴なのだから。
相手に敵う筈がないと分かっていても、彼女が門番である限り退くことは許されない。何より、彼女の今の居場所であるこの紅魔館の門を、目の前のバケモノに一撃も報いないで通すなどありえない。
美鈴は心より先に震えだした体の方を誤魔化すために、口元に不敵な笑みを浮かべてくいくいと指でおちょくり、ヴィルヘルムを挑発する。
彼我の実力差は最早覆しようがなく、かといって何か策があるわけでもない。普通の相手ならいざ知らず、目の前の相手に弾幕やスペルカードで攻撃しようものなら、視界を遮られて返って邪魔になりかねない。
一瞬でも視線を逸らせない相手だけに、美鈴はスペルカードではなく肉体による格闘戦を選んだ。と言っても、最後までスペルカードを使わないという気は彼女にはなかった。近接戦闘でダメージを与えられないまでも、零距離射程に限りなく近い距離で顔面目がけて最高出力のスペルを喰らわせる。
近接戦ではダメージを露程も与えられなかったが、スペルカードを零距離でならという考えは、本当に低いながらも捨てていなかった。余り期待をし過ぎるのは戦闘ではよくないことだが、初めから効かないと思っているのでは何をやっても同じだ。
だから、効かなかった時のことは考えない。美鈴は今はただ、目の前の敵にあてる事だけを考えた。
そんな彼女を見て、常ならそんなバカげた意味のない行動に嘲笑を浮かべても可笑しくないヴィルヘルムは、決してそのような表情は表にも裏にも出さず、ただただその凶悪な笑みを深く、鋭くさせていった。
そう、彼は認めていたのだ。目の前の敵がどうしようと自分に傷をつけられはしないと確信を持ってはいるものの、ただ愚直なまでに門番という仕事の誇りを全うしようという彼女の姿勢を。
意味は違えど、美鈴が今その命を懸けて護ろうとしているソレは、彼の持つ異常なまでの誇りと比較しても決して見劣りするものではないと。だからこそ、彼もまた無粋な真似をしてまで汚そうとは思わなかった。
元より、彼は小細工や策など弄さない。ただ真っ向からぶつかり、相手の存在を踏み潰し磨り潰し吸い尽くす。つまり、美鈴はヴィルヘルム・エーレンブルグという騎士団の中でも1,2を争う誇り高き爪牙をその気にさせてしまったという事。
「ククッ、ハッハッハ、フハッ、ハハハハハハハハハハ!!」
突如、狂ったように身を捩って哄笑する白貌の鬼。段々と大きくなっていくその笑声は、最終的には音の暴力どころか質量すら持って美鈴に降りかかった。近距離でそれを浴びた彼女は、自然と後ろに一歩下がってしまった足に喝を入れてそれよりは一歩も引かないように気を練った。それだけでも彼女は立派で、その笑声には戦闘のプロでも即死し兼ねない殺気が込められていた。
思わずゴクリと唾をのんで必要以上に警戒をする彼女に対し、ヴィルヘルムは笑声こそ止めた者のこれ以上なさそうに笑みを口元に浮かべ、サングラスの下の赤光を更に強く暗く輝かせた。それと同時に瞬間的に跳ね上がった圧力が、彼のブランド物のサングラスを粉々に吹き飛ばし、ゆっくりと一歩前に出た。それから右手を胸の辺りで水平に構え、拳を握るように掌を強く強く引き絞る。
「いいぞ、お前。悪くねぇ。最初はどうかと思ったが、その魂、俺が吸うに値すると認めてやる」
「魂・・・ですって?」
「おうよ、どうせ説明してもてめぇにゃ理解できねぇだろうし、せっかく盛り上がってるのに無粋な言葉で白けさせたくないんでな。だからお前は、せいぜい抗えるだけ抗って・・・死ね」
「・・・・・・」
そんな彼の一言に、息をするのさえ忘れた様に美鈴の心は冷えて固まり、そして選択を誤ったことを悟った。もしも本当に彼に少しでも報いたかったのなら、先のタイミングで今考えている行動をとるべきだった。
初撃で相手の力を把握したときに、直ぐに使うべきだったのだ。しかし、今更それを悔いてもどうしようもならない。彼女は相手の力量を正確に測れてしまうが故に、今の状況がどれほど絶望的なのか理解させられてしまう。
そして最悪なことに、それは誤りなどではなかった。彼、ヴィルヘルム・エーレンブルグという男をその気にさせた者は、例外なく死よりも惨たらしい最期を遂げることになるからだ。
「冥土の土産だ、もってけガキ」
「ッ!!!」
『Yetzirah―― 』
ヴィルヘルムが想像もつかないほどの美声で呟いた直後、彼の身体が変貌した。言葉に数舜遅れる形で身体から生えてきた赤黒いソレは、まるで鬼の角や杭のような形状をしてヴィルヘルムの身体を突き破って発芽した。背中、型、肘、掌、あらゆるところから発芽したソレは、見るだけでも悍ましい何かを感じさせた。
普通なら、いや、普通でなくともそれでチェックメイト。相対した相手は、少なくとも同格でなければそれを見ただけで諦め、膝を屈することだろう。だが、美鈴は決して諦めようとはしなかった。諦めない限り、決して可能性はゼロではない、諦めた時に初めてゼロになるのだと、意味のない叱咤を心中で繰り返す。
しかし、それでも美鈴の身体は心より正直だった。ヴィルヘルムの鬼気に当てられたせいで、身体全体が痙攣を起こしたかのようにピクピクと震え、今の状態から動けない。そんな彼女の進退窮まった状態に、しかしヴィルヘルムは嘲笑わなかった。寧ろ立っているだけで、戦意を失っていないだけ見事と言葉には出さずに褒め称えた。
だからこそ、決着は一瞬で付ける。何せ、美鈴を殺せばいよいよヴィルヘルムの本命に辿り着けるのだから、あまり時間はとっていられない。いつまた、己の呪いが降りかかって邪魔をするのかわからないのだ。故に、彼は今度こそ手加減容赦一切なしの力をもって彼女を葬る。力を込めた足でドカンと地面を蹴り、足裏が爆発したかのような衝撃を発してダッシュするヴィルヘルム。
「逝けやヴァルハラァアアアアアアアアアアア!!!」
「ッ!!」
直撃する直前、悲鳴だけは漏らさんと、強く強く眼光を光らせてヴィルヘルムの眼を射殺さんとばかりに見続ける美鈴。最後まで崩れなかった心に敬意を込め、ヴィルヘルムは掌の杭を真っ直ぐ彼女の顔面目がけて突き出した。
序盤はゲームと変わらずみんな大好き中尉無双。
作者も美鈴好きなだけに、この展開はやり過ぎかなと思いましたがやっちゃいました。
不快にさせてしまったらすいません。
だが反省はしていないww
それ以上に、戦闘回だというのに文字数の少なさと会話文にちょっとやらかした気がしてしまったり・・・