「ぐえっ!?」
短い浮遊感の後、地面に背中から叩きつけられ、エドワードは苦痛の声を上げた。
背中を打った痛みよりも、全身の傷に衝撃が響いて、少年は顔を歪めて苦しげに息を吐く。
特に骨折した左腕と肋の痛みが酷い。
全身の痛みが僅かに引くのを待って、エドワードは必死に首を動かして辺りを探る。
そして目当ての人物を見つけると、とりあえず安堵の息と共に名前を呼んだ。
「リン。…無事か」
名を呼ばれ、傍で蹲っている少年は、エドワードの声に顔を上げた。
痛みに顔を顰めているのは、エドワードと同じ理由だろう。彼も肋骨を折っている。
「あア…。なんとかナ」
傷に響かないように、そろりと起き上がるリンを横目に、エドワードも上体を起こす。
改めて周囲を見回し――エドワードは、やっと自分達が見知らぬ場所にいることに気付いた。
「…ここ、どこだ?」
ぽつり、と呟いたエドワードの視線は、傍にあった木に釘付けになった。
そこにあったのは、途方もなく巨大な、一本の大樹だった。
どんなことがあってもびくともしなさそうな、太く逞しい幹と、それに支えられて空を覆わんばかりに広がる枝と葉。
その木陰の向こうに広がるのは、満天の星空。
「でけえ…。アメストリスに、こんな場所あったか?」
こんな、樹齢何千年にもなりそうな巨大な木なら、有名な観光スポットになっていてもおかしくないはずなのに、三年以上国内を旅してきたエドワードでも、こんな場所は聞いたことすらない。
改めて辺りを見回してみると、白い壁の建物がいくつも並んでいるのが分かった。
街だろうか? 今は何時だか分からないが、灯りは一つも見つからない。
エドワード達のいる場所は、恐らくは街の中心――この巨木のために作られたかのような広場の中だった。
「なあリン、まさかここ、シンとかじゃねえよな?」
思わず砂漠を挟んだ隣国から来た少年を見遣ると、彼は難しそうな顔をして、首を横に振った。
「いヤ。そもそも建物の様式からしテ、俺の国じゃなイ」
「じゃあ…どこなんだよ、ここ」
仮にアメストリス国内だとしても、どの位置にいるのかすら分からない。
頭を抱えるエドワードに、
「おイ、それより大変なことになってるゾ」
と、リンが眉間に皺を寄せて声をかけた。
「――エンヴィーがいなイ」
「あっ!?」
慌ててあの怪物の姿、もしくは通常時の人間の姿を探すが、ここにいるのはエドワードとリンの二人だけ。
それに気付き、エドワードの顔から血の気が引いていく。
エンヴィー――つい先程まで死闘を繰り広げた相手であり、何かとんでもない事をやらかそうとしているらしい、『お父様』と呼ばれる謎の人物の元で暗躍する人造人間。
そんな危険人物を、見失ってしまった。
「あの空間に取り残されたのカ?」
「いや、あの時確実に、あいつは俺達と一緒に来た。…くそっ、リン、あいつの気配はあるか!?」
「あいつらの気は特徴的ですぐ分かるガ…、少なくともこの辺りにはいなイ。どこか遠くにいるようダ」
焦燥に駆られてリンに問うも、彼もまた焦りを滲ませた表情で、首を振る。
見失ったエンヴィー。
見たことも聞いたこともない場所。
無人の街。
思わずエドワードは、声の限りに叫んだ。
「だ――ッ! どうなってんだああああ!」
「おイ、もう少し静かにしろヨ。近所迷惑だロ」
「まったくだ、少しは今の時間を考えろ」
「「……ッ!?」」
何気なく、自然に混ざった、第三者の声。
反射的に、二人は声のした方を振り向く。
――そして視界に入ってきたものに、二人は固まった。
「やれやれ、随分と騒がしい侵入者がいたものだな?」
そこにいたのは、一人の少女だった。
歳は、大体十かそこらか。
月の光を紡いだような、癖一つない長い金の髪。
大きな吊り目に収まる瞳は、深海を思わせる深い青色。
そしてあどけない容貌は気高く、世界中の芸術家たちがこぞって題材にしたがるような、神秘的な美しさに溢れていた。
身に纏うノースリーブのミニワンピースから伸びるしなやかな白い四肢も、少女の美しさを一層引き立てていた。
そんな美しい少女が、
空中に浮いていたのだ。
「「…へ?」」
間抜けな声を漏らしてしまったエドワードとリンを、誰が責められようか。
彼らの知る空を飛ぶ手段といえば、気球くらいのものだ。
なのに目の前の少女は、その身一つで夜空を背景に、遙かな高みからこちらを見下ろしているのだ。
もちろん、ロープのような現実的な物なんてない。
呆然と見上げるばかりの少年二人の前で、少女はまるで劇の開幕を告げる壇上の演者のように、優雅に両手を広げ、笑う。
「さあ、侵入者どもよ。捕まるついでに私の暇つぶしに付き合うがいい」
その笑顔は、可憐な容姿に似つかわしくない、獰猛で好戦的なものだった。