ここにいたのか、マイ・エンジェル!   作:ジベた

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最終話 俺はメガネの似合う女の子に――

 クラス対抗戦の当日。一夏は簪のいる地下にまでやってきた。

 日中の教室や食堂などであってもいつも通りに接してきた。しかし、地下にいるときの簪を前にすると何を言えばいいのかわからなくなる。

 この日、地下にいる簪に会いに来ることができた理由は言えることができたからに他ならない。

 

「簪。今日はクラス対抗戦だ」

「知ってる……本音が応援に行くから」

 

 地下には簪が一人だけ。他に手伝っていたメンバーはクラス対抗戦を見にいっている。あののほほんさんですらいないのは簪が指示したからのようだ。

 

「簪は来てくれないのか?」

「私は……弐式の作業を進めたい……許可は得てる」

「そっか。わかった」

 

 これ以上、話せることが見つからない。一夏は俯いて踵を返す。

 そこへ――

 

「私も……ここで応援してる」

 

 振り向かなかったが、一夏に伝わる声量で簪は言った。

 一夏は自分の顔が下を向いていることに気づく。簪に前を見ろと言ったのは自分だったはずだ。一夏は自分の両頬をビタンと叩き、自分に喝を入れる。

 

「初戦の相手は鈴だ。正直、勝てるか不安だったけど、今の俺なら勝てる気がする」

「がんばって……」

「簪もな」

 

 一夏は地下を後にする。ただ話にきただけで戦うだけの元気を分けてもらえていた。

 

 地上に出てきたところで箒と出くわす。腕を組んで壁に寄りかかっている彼女は一夏の顔を見るなりフッと鼻で笑った。

 

「何がおかしいんだ?」

「いや。私が叱咤激励する必要がなくなったと安心しただけだ」

「お前は俺の保護者か何かか?」

「私は千冬さんにはなれん」

「いや、近いものがあると思うぞ。色々と」

 

 なんだかんだでこの幼馴染みは一夏の不安を感じ取っていた。クラス対抗戦は負けて死ぬわけではない競技である。しかし、1組の名を背負っての出場となれば、いくら面倒くさがりの一夏とて『わざと負ければいい』だなどと考えたりはしない。

 

「ちょっくら勝ってくる」

「行ってこい」

 

 一夏と箒はすれ違いざまに右手同士を打ち鳴らした。

 

 

  ***

 

 

 アリーナ。一夏と鈴が空中で対峙する。クラス対抗戦(リーグマッチ)の初戦であり、会場は男性操縦者の登場で歓声が上がっている。

 試合開始まで少しだけ時間がある。鈴は世間話を始めた。

 

「知ってる、一夏? 今日の試合って企業とか軍の視察が入ってたりとかしてるって」

「セシリアにさんざん聞かされた。試合で俺がポカを1つやらかすたびにお仕置きされる予定だ」

「なるほどー、そういうプレイかー」

「勘弁してくれ。アイツには冗談が通じない。で、何か? 鈴は手加減でもしてくれるのか?」

「そんなはずないじゃない。アンタに言っておきたかったのは、今日はアンタのデビュー試合みたいなもんだからっていろんな国のTV局まで出張ってきてるってことよ」

「弾たちも見てるから気を引き締めろってことだな?」

 

 鈴は首を横に振る。言いたいことは別にある。

 

「弾たちとかはどうでもいいの。問題はアンタがバカやらかしたとき、それが全世界に放送される可能性があるってこと」

「何だ、そんなことか」

 

 鈴の言いたいことに一夏は理解を示した。鈴は直接見ているわけではないが、セシリア戦のときのようなダジャレのための悪ふざけを止めろと言っているのだと。

 鈴の心配は杞憂。今日の一夏は負けるための試合をしにきたわけではない。

 

「今日の俺は勝ちに来てる。心配無用だ」

 

 一夏が鈴をまっすぐに見た。その視線だけで鈴はたじろぐ。

 普段は見せていない一夏の真剣な目。鈴は過去に見た覚えがある。

 鈴は過去にいじめられていた。その場にダジャレを言って入ってきたのが一夏だった。これらは全て事実。だが、いじめていた子供たちは一夏のダジャレを聞いていじめをやめたわけではない。

 ――その目に畏怖の念を抱いたからなのだ。

 

「こうでなくちゃ面白くないわ。わざわざ転入なんて面倒なことをした甲斐があるってものよ!」

 

 鈴は双天牙月を連結させ、頭上でぶんぶんと振り回す。観客へのパフォーマンスであると同時に自分を鼓舞することで一夏からのプレッシャーを強引に振り払う。

 一夏は目を閉じていた。雪片弐型を正眼に構えて微動だにしない。鈴がどれだけ派手に動いていようが柳に風。

 

 試合開始。

 

 鈴は容赦なく一夏の知らないであろうメイン武器を披露する。

 肩の後ろに浮遊しているユニットの名前は“龍咆”。衝撃砲と呼ばれる肉眼では捉えられない射撃攻撃を行う兵器だ。

 鈴は龍咆を左右同時に発射する。狙いはそれぞれ直撃ではなくやや左とやや右に散らせている。直感で多少動いたところで高確率で命中する算段だ。

 しかし鈴の思惑どおりにはいかない。一夏はその場で自由落下を始めて高度を下げる。衝撃砲は完全に回避されていた。

 

「龍咆が見えてる!? そんなバカなはず――」

 

 鈴は一夏の顔を確認する。むしろ目を閉じていて普通の攻撃すら見えないはず。

 心眼でも使っているとでもいうのか。そこまで考えたところで思い違いに気がついた。

 ISは目で見ていない方向の景色が見える。つまり、必ずしも肉眼を通す必要はないことを意味する。

 牽制の龍咆を単発で放つ。一夏は右に最小限移動するだけで攻撃範囲から脱する。

 次に明後日の方向に龍咆を放つ。しかし一夏は避けようとする素振りを見せない。

 結論が出た。一夏が意識を割いているのは可視光の情報ではない。鈴は連結されたままの双天牙月をぶんぶんと振り回し、回転速度が足りたところで一夏に向けて投げた。

 

 一夏の目が開かれる。前に出て双天牙月を受け流し、さらに前へと進み出る。その先には双天牙月を手放した鈴。

 だが丸腰ではない。近づかれると龍咆が使用しづらくなるが鈴にはまだ攻撃手段が残っている。両手の籠手がガシャンと開き、内部には龍咆のメイン部分を小型化したような装置が入っていた。“崩拳”という仕込み武器の衝撃砲。射程は龍咆ほどなくほぼ近距離武器であるが威力は同程度確保されている。

 

「吹っ飛べ!」

 

 雪片弐型ごと吹き飛ばそうとした鈴。しかしその一瞬、雪片弐型の刀身が青白く光るのが見えた。

 一夏と鈴が交差する。鈴の右の崩拳が一夏の左肩に命中した。しかし左の崩拳は一夏に届いていない。

 雪片弐型の青白い刀身が崩拳による不可視の砲撃ごと鈴の左腕装甲を斬り裂いていた。

 一夏が鈴の脇を通り過ぎていく。ついでと言わんばかりに一夏は鈴の左の龍咆を斬り裂いていく。鈴はお返しに一夏の背中に右の龍咆を撃ち込んだ。今度は直撃する。

 

 鈴は戻ってきた双天牙月をキャッチする。この時点で鈴の左半分の装備が壊されていた。

 一夏は最後の衝撃砲でウイング・スラスターに支障が出ている。だが使用不能にまでは至っていない。

 パワーで押し切るつもりでいた鈴がパワーで押し負けた。その結果、鈴側が大ダメージを負うという結果となっている。

 

「侮ってたつもりじゃないけど、単一仕様能力があるとは考えてなかった」

 

 鈴が劣勢に立たされる。優勢である一夏には微塵も油断はなく鈴の目に雪片弐型の切っ先を向けて構えた。

 このまま続ければ鈴は負ける。しかし、鈴はこの逆境で燃えていた。

 本国では同年代に敵は皆無。故に互角以上の同年代と戦うのは初めての経験。負けた際の言い訳が一切存在しない、真剣勝負に値する大一番だ。

 

「行くわよ、一夏ァ!」

 

 鈴が激昂する。一夏は冷静なまま。

 このまま次の激突が始まるのだと誰もが思っていた。

 一夏が刀を下ろすまでは……

 

「何か妙な音が聞こえなかったか、鈴?」

 

 試合が始まってから一夏が声を発したのはこれが最初である。既に一夏には鈴を痺れさせるほどの威圧感は存在していなく、いつもの一夏に戻っていた。

 拍子抜けした鈴は一夏に合わせて話をする。

 

「何も聞こえてない。折角の真剣勝負に水を差すなんてどういうつもり? 見てる人も困惑して――」

「やっぱり胸騒ぎがする。このままだとマズい」

「え? ちょっと、どこ行くつもりよ!?」

 

 一夏は唐突にピットへと帰っていった。場外に出たことにより、試合は鈴の勝利となる。

 

 

  ***

 

 

 突然帰ってきた一夏をのほほんさんと谷本が出迎える。2人とも一夏の行動に動揺を隠せていない。 

 

「おりむー、どうしたのー?」

「折角勝てる試合だったのに――」

「2人とも。簪に連絡はつくか?」

 

 一夏の口から出てきた名前は簪だった。のほほんさんは首を横に振る。一夏のただならぬ様子に簪が関わっているからかいつもののんびりさが欠片もなくなる。

 

「かんちゃんは地下にいるはずだから携帯はダメ。織斑先生ならできるかも」

「千冬姉か」

 

 一夏が携帯を取り出す。するとちょうど織斑先生から白式に通信が入ってきた。

 

『どうした、織斑。何があった? 会場が混乱してるぞ』

「ごめん、千冬姉。地下にいる簪に連絡を取ってほしい」

『更識妹? 今は専用機の開発途中だったな……』

 

 一夏が千冬姉と呼んでも叱りつけず、一夏の要望通りに地下へと連絡を入れる。

 だが誰も出ない。

 その事実が知らされた時点で一夏は白式を装着したまま飛び出した。

 

 ISの展開が許されていない通路を白式で飛行する。狭い道といえど、走るよりは断然速かった。朝も通った階段を下りていったところで一夏は異変に気づく。

 

「隔壁が降りてる?」

『織斑、こちらでも確認した。何者かが地下区画に潜入している可能性が高い』

 

 千冬との通信はつながっている。千冬によれば降りている隔壁は侵入者の仕業だという。

 閉じた隔壁こそが一夏が試合中に聞こえた妙な音の正体である。施設内部のセンサー類は騙してあったが独立しているISに対しては何も対策が立てられなかったのだ。

 侵入者は何のために隔壁を降ろしたのか。それは後から入ってくる者に対しての時間稼ぎに決まっている。最初から内部にいたはずの簪がどうなっているのかが気になって仕方がなかった。

 

「簪は無事なのか?」

『今はまだ何とも言えん。山田先生と3年生にそちらへの対処に向かわせた。敵の勢力が不明である以上、機体が損傷している織斑では荷が重い。引き返してこい』

 

 一夏とて今のまま危険に飛び込むのは無謀だと心得ている。いくらISがあるとはいえ、IS学園に侵入するようなテロリストがいるとすれば十中八九ISを所持しているとみていい。

 先生や先輩の実力は一夏も知っている。たとえ専用機でなくとも今の一夏より頼れる存在のはずだ。

 

「俺は行くよ、千冬姉」

 

 しかし一夏は進むことを選んだ。雪片弐型で隔壁を破壊し、強引に突破する。

 その一夏の行動を千冬は予想していた。

 

『無理だと判断したらすぐに逃げろ。侵入者を倒せなくても時間を稼げばいい。そして――』

「最優先は簪の身柄の確保」

『ハァ……それでいい。行ってこい』

 

 音声として認識できるわざとらしいため息とともに一夏は送り出された。

 何枚も立ちはだかる隔壁を雪片弐型の攻撃力頼りで突き破っていく。

 目的地に辿りつく寸前の通路で一夏の足は止まる。

 そこには2機のISがいた。

 ラファール・リヴァイヴが2機。IS学園所属の機体ではないと千冬は告げる。

 白式は万全ではない。実力のわからない2機を同時に相手にすることはできそうになかった。

 リヴァイヴは警告もなしに一夏に銃を向ける。完全な敵対行動。狭い通路で一夏はこの銃撃をかいくぐれそうにない。

 

 引くか否か。その判断で迷いが生じた。どちらもできずに滞空しているだけだった。

 

 ……撃たれれば間違いなく攻撃を食らっていた。にもかかわらず一夏には一発の銃弾も当たっていない。

 それもそのはず。敵を見れば、どちらの機体も銃が真っ二つに叩き斬られていた。

 

『織斑。()()が到着した。その2機は無視して先に進め』

「わかった!」

 

 一夏は千冬の指示通りリヴァイヴたちの間を突っ切る。当然、妨害をしようとしてきていたが()()が防いでくれていた。

 これで簪のいる場所に行ける。一夏はさらに加速する。

 

 

  ***

 

 

 一夏の通過を許してしまったリヴァイヴ2機は一夏を追うような真似はせず、遠距離から攻撃を仕掛けてきている援軍の方に注意を向けていた。元よりこの2機は時間稼ぎが仕事である。一夏1人を追って大軍を連れ込むよりはここで数を抑えるべきと判断してのことだった。

 2機の視界にISの存在はない。認識できるのはIS学園の制服を着たポニーテールの少女のみである。専用機を展開でもしない限り、ISの驚異となる存在ではないはずだった。

 

「なぜこのような場所で銃撃戦などやっているのだ? やはり分からず屋にはツッコミを入れるほかあるまい」

 

 少女、篠ノ之箒はニヤリと笑む。危険地帯に生身でやってきた自分のことは棚に上げてツッコミどころだと語る。

 箒は腰に刀が指してあるかのように居合いの構えをとる。

 

「篠ノ之流の奥義が一つ、その目に刻むがいい」

 

 その声と共に、箒は何もない場所から刀を抜きはなった。

 

 普段、一夏に対して使われるハリセンの真名は“緋宵(あけよい)”。元々は篠ノ之柳韻から箒に与えられた真剣であり、篠ノ之束の手によって魔改造を受けた代物だ。箒のツッコミを入れたい衝動によって出現するが状況によって形状が異なる。

 一夏のダジャレに対してはハリセン。

 セクハラに対しては竹刀。

 命の危険に対しては刀となる。

 

 刀といえどただの刀に非ず。ハリセンの時点で長さも強度も自在に変化していた。それは刀の形状でも適用される。

 何よりも、この刀はISの守りを突破することができる。

 

 箒は奥義を放つ。篠ノ之流抜刀術の奥義“五六八(いろは)散らし”。一言でまとめると抜刀からの高速連撃を行う技である。

 五、六、八に込められた意味は『五臓六腑を八つ裂きにする』というもの。一夏に向けられたときはハリセンであったためお腹を優しく包む結果となっていたが、刀ではまるで違う結果となる。

 

 箒が刀を抜き放ち、その場で振り回す。次に刀をしまった瞬間、2機のリヴァイヴは同時に機能を停止した。

 

「所詮は飛んでいるだけの巻藁だったか」

 

 役割を終えた箒はその場を後にする。一夏を追う必要はもうないと言わんばかりであった。

 

 

  ***

 

 

 最後の隔壁を斬り裂く。まだ白式が通過できるほどの穴とはならないが中の音が拾えるようになる。

 

「離して!」

「大人しくしろ!」

 

 聞こえてきたのは簪の声。他に男の声が聞こえ、人を殴りつける音がする。

 一夏の中の何かが切れた。

 まだ小さい隔壁の亀裂に突進し、強引にこじ開ける。

 

「何!? もう追っ手が来たのか!? IS部隊は何をやってる!」

 

 弐式のある開発室に到着した。

 中には簪と弐式の他に武装した見慣れぬ男たちがいる。

 数人が弐式のコアを外そうと躍起になっていて、リーダーらしき男が簪の髪の毛を掴んでいた。

 

「男? 織斑一夏か!」

 

 一夏は何も答えない。床に降りて無言で男たちの元へと歩いていく。

 男たちは一夏に銃撃を浴びせるが、見えない壁に阻まれて一夏に届くことはない。

 

「おっと。そこで止まってもらおうか。この娘が死ぬこととなるぞ」

 

 ISに銃は通じない。ならばISを持たぬ者に矛先を変えればいい。侵入者のリーダーは簪の頭に銃口を押しつけた。

 一夏は歩みを止める。人質が効果を発揮していると判断したのか、リーダーの男は要求を付け加えていく。

 

「折角だ。君には我々の逃走を手伝ってもらおうか。この状況になってしまえばIS抜きに突破することは難しい。我々が撤退できない場合、この娘がどうなってしまうか想像はできるだろう?」

 

 一夏はギリッと奥歯を噛みしめた。雪片弐型を拡張領域に回収する。

 目に見えた武装を解除したことにより、リーダーの男は上機嫌に一夏に次の命令を下す。

 

「ではまずは我々がコアを回収するまで誰も中に入れないでくれないか?」

 

 一夏は男たちに背を向ける。リーダーの男は一夏が素直に言うことを聞いているためか、簪に向けていた銃の引き金から指を少しだけ離してしまった。

 その細かい変化を、一夏が見ているとも知らないで――

 ISは後ろも見えるのだということを侵入者たちは失念していた。

 

 イグニッションブーストによる後方への全力移動。

 一夏は瞬時にリーダーの男に接近を果たし、突き飛ばした。男は簪から離れ、壁まで吹き飛ぶ。

 

「っき、貴様!」

 

 周囲の男たちは一斉に一夏に銃口を向ける。発砲に躊躇いはない。白式には一切銃弾は効かないが一夏は焦る。簪は生身なのだ。

 

「頼む、白式っ!」

「あ――」

 

 咄嗟に一夏は簪を抱きしめる。あらゆる方向から飛んできた銃弾は、簪ごと包み込むほどに拡大したシールドバリアによって全て弾かれた。

 侵入者たちの行動は半分に分かれる。一方は一夏と簪に攻撃を続ける。これによって一夏は動きを封じられる。もう一方は一夏に吹き飛ばされて壁に激突し、気を失っているリーダーに銃を向けることだった。

 一夏は簪の目を自分の胸で塞ぐ。

 一夏たちへの銃撃が続く中、侵入者たちは撤退を開始した。一夏には彼らを追うつもりはない。あとは千冬に任せればいいのだから。

 

 最後の1人が逃げていき、銃弾の雨は止む。危機は去った。一夏は腕の中で丸まって震えている簪に優しく声をかける。

 

「怪我はないか?」

 

 一夏の落ち着いた声を聞いた簪は強く瞑っていた目を徐々に開いていく。銃撃の音も、侵入者たちの声もしない一夏と2人だけの空間。簪は一夏の胸を両手で押して距離を取った。

 

「う、うん……ありがとう、一夏」

 

 簪は一夏の元を離れて弐式へと向かっていく。弐式は一夏の目から見てもあちこち壊されていた。完成していないISは戻るべき姿がわかっていないために自己修復はしない。これまでの簪の努力を無にされたようなものであった。

 

「簪……その、何て言ったらいいのか……」

「一夏が気にすることない……これは私の問題だから」

 

 自分の問題だから気にするなと簪は言う。一夏には関係ないと突き放す。

 これまでも簪は一夏に一定以上踏み込ませてはこなかった。一夏もそれでいいと思っていた。だがここまで来て知らないことをよしとすることはできなかった。

 

「更識に関係があるのか?」

「お姉ちゃんに会ったの?」

「ああ」

「そう……ここに来たのも……お姉ちゃんに頼まれたからなんだ……」

 

 普段よりも語尾が弱々しく萎む。

 一夏は簪の言葉を否定する。

 

「違う。たしかに俺は楯無先輩に簪のことを守ってくれとは頼まれた」

「やっぱり……」

「でも、今の今まですっかり忘れてた!」

 

 簪の目が点になった。

 

「だってセシリアとの試合の前の話だし、簪たちと過ごす時間が楽しいしで、一度だけ会った人のきな臭い意味深発言なんて忘れるに決まってるだろ」

「お姉ちゃん……どんな言い方したの?」

 

 楯無には更識については簪に直接聞けと言われていた。しかし一夏はこれまでその話を簪に振ったことはない。

 わざわざ楽しくないとわかっている話を自分からする必要などなかったのだ。

 

「じゃあ……どうしてここに来たの?」

「虫の報せってやつだ。強烈な嫌な予感とでも言えばいいのか。会場の方は厳重すぎる警備だったから、他の場所にいる大切な人が気になった。それだけ」

「クラス対抗戦はどうなったの?」

「たぶん、棄権したことになってる。きっと明日の新聞で『唯一の男性操縦者、敵前逃亡』とでも見出しがつくんじゃないか?」

「私の……せい?」

 

 簪の足から力が抜け、落ちるようにその場に座り込む。顔は恐怖でひきつり、両手は自分の体を抱きしめる。

 

「私が弱かったから……また迷惑をかけた……私のせいで……」

 

 ()()迷惑をかけた。今は一夏のことで、以前にも同じように簪のために自らを盾とした人がいる。

 その負い目が彼女の根元にある。自分には守られる必要がないだけの力があるのだと思うために代表候補生となり、専用機を自分の力で組み上げたかった。まだ自信がないから自分のことを表に出せなかった。

 今、また彼女の顔は下を向く。

 

 一夏は簪の全てを理解したわけではない。だがこれまでの生活で知ったことがある。それを改めて簪に教えるべきだということだけは間違いなかった。

 

「迷惑なんかじゃない。俺のために必要なことだっただけなんだ」

「嘘……一夏に私の何が必要なの? 鈴みたいな子の方が……一緒にいて楽しいはず」

「勘違いだ。簪は自分のことを愛想が悪い暗い人間だと思ってるかもしれないけど、俺はお前と一番気が合いそう(愛想)だと思ってるぞ」

 

 簪は一瞬だけ笑顔になりそうだったが堪える。今は笑っている場合などではないと言い聞かせた。

 一夏は簪の方向音痴ながんばりを見て苦笑する。そんな努力は要らない。彼女の気を引くために一夏の知る簪が好きなものを引き合いに出す。

 

「簪はヒーローが好きだったよな?」

「うん……」

「そして、ヒーローの戦う意味が何かを俺に聞いてきた。今の俺はその答えを持っている」

 

 俯いていた簪が一夏の顔を見上げた。黙って一夏の答えを待つ。

 一夏は照れくさそうに言ってのける。

 

「定番だけど“愛”なんだと思う。『欲しい』じゃなくて『与えたい』という衝動が、ヒーローを見返りがあるとは思えない行動へと駆り立てるんだ」

 

 ……少なくとも、さっきの俺はそうだった。

 そう告げる一夏の顔は簪の目には冗談を言っているようには映らなかった。

 簪は再び目を伏せる。

 

「でも……一夏はヒーローじゃない」

「何でだ? 愛があるからこそ俺は簪のヒーローになれる」

「セシリアにやられて……凹んでた……」

「ヒーローだって人間だ。落ち込むこともあれば疲労(ヒーロー)困憊にもなる」

 

 簪の鼻から笑いの息がこぼれる。口も少しずつ横に広がっていた。

 

「どうして私なの……? 箒みたいに……スタイルが良くないのに」

「ずっと言い忘れてたな」

 

 白式を解除する。

 ISスーツ姿となった一夏は座り込む簪の前に跪いて目線の高さを合わせた。

 

「俺はメガネの似合う女の子に目が無(メガネ)えんだよ」

 

 実際のところ、理由はなんでも良かった。

 スタイルだろうがメガネだろうが、細かいところはあとの話。

 一夏はただ――

 

「アッハッハッハ――一夏、台無しだよ」

 

 “俺の天使”の笑う顔が好きなだけなのだ。

 

 

  ***

 

 

 クラス対抗戦は中止することなく最後まで行われた。

 鈴が全勝して優勝は2組。

 1組の残りの試合はセシリアが代役で出場し、全て勝利。1組は2位に終わる。

 心配されていた翌日の新聞には『唯一の男性操縦者、大健闘!』と書かれていた。女尊男卑に関わる思想に関係なく、クラス対抗戦の裏側であったことを隠す圧力が働いたのだと一夏は見ている。

 簪を狙っていた襲撃者の正体は一夏には知らされていない。一夏は千冬に確認したが『逃げられた』とだけ答えが返ってきていた。状況的に千冬が逃がすのはありえないと思っていた一夏だが、彼らが立ち去る直前に仲間を射殺していたことを思い出す。逃げられたとはそういうことなのかもしれない。

 そのような危険な者たちに狙われる理由が簪にはある。更識という家にも関わること。まだ一夏は詳しい話を聞かされていないが関係はなかった。聞いても聞かなくても一夏がするべきことに変わりはないのだから。

 

 6月の第1週。クラス対抗戦から2週間が経った平日の放課後のアリーナに一夏と簪の姿がある。

 一夏は白式で先に飛び上がっていた。

 地上には簪が打鉄やリヴァイヴとは違う機体に乗っている。彼女は先に飛んでいる一夏に向けて手を伸ばしながら飛翔。思った通りのコースを飛んだ彼女の手を上にいた一夏が掴み取る。

 アリーナを使用できる時間目一杯の間、2人で飛び回る。

 故障はない。支障もない。

 簪の専用機、打鉄弐式が完成した瞬間だった。

 

 着替え終わってアリーナを出てきた2人を友人たちが待っていた。簪の専用機が完成し、皆で喜び合いながら食堂へと歩いていく。

 その中心を歩いていた一夏が急に足を止めていた。この時点で箒は嬉しそうに一夏の左斜め後ろにスペースを確保する。

 一夏が事情を説明する。

 

「やべっ! ガムか何か踏んだ!」

 

 一夏が靴の裏を確認して一言。

 

「くっそー、靴にくっつ()いて離れない!」

 

 今日もハリセンの小気味よい音と笑い声が聞こえてくる。

 

 危険が迫ることはあるかもしれない。

 だがこの日常を壊させはしない。

 これからも続いていくことを一夏は願い、努力する。

 

 今の生活こそが彼の理想なのだ。

 一夏の天使はIS学園(ここ)にいる。




この作品を書こうと思い立ったのは9巻を読み終わった直後のことでした。メインの楯無を差し置いて「簪メインの短編を書こう」と思うくらいには創作意欲が刺激されましたね。
まず最初にプロットを組むわけですが、この作品のプロットは少し手順が違います。通常は発生するイベントやそれに伴うキャラクターの変化を時系列順に書きだすものだと思いますが、この作品では思いつくままにダジャレを書きだすところから始めました。最初はダジャレの羅列だったわけです。
最終話はクラス対抗戦、原作でいうと1巻のラストまでとなっています。なぜシャルやラウラを出さずにそこで区切ったのかと言えば、単純にダジャレのネタ切れです。一発ネタとしてもこの辺りが潮時だろうという判断でもあります。一応あと1話分くらいはダジャレのストックがあったりしますけどね。
実は原作でセシリアも簪のようにダジャレで笑う性質があることが示されています。しかしこの作品ではダジャレが分からないキャラとさせてもらいました。簪をメインヒロインとした作品としての改変ということで納得していただけたらと思います。

以上でダジャレ好きと笑い上戸とツッコミ中毒者によるIS再構成を完結とさせていただきます。
応援ありがとうございました。




【おまけ・最終話NGシーン】


 最後の隔壁を斬り裂く。まだ白式が通過できるほどの穴とはならないが中の音が拾えるようになる。

「離して!」
「大人しくしろ!」

 聞こえてきたのは簪の声。他に男の声が聞こえ、人を殴りつける音がする。
 一夏の中の何かが切れた。
 まだ小さい隔壁の亀裂に突進し、強引にこじ開ける。

「やめて! やめて! 俺たちが悪かった!」
「ふん……」

 そこには倒れ伏す武装集団と、彼らを足蹴にする簪の姿があった。

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