ここにいたのか、マイ・エンジェル!   作:ジベた

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第2話 アルミ缶の上に――

 IS学園の初日が終わり、一夏は寮の自室で一息ついていた。

 

「熱いお茶をずずっと啜ってると、心がホッと(ホット)して落ち着けるな」

 

 対面に座っていた箒が無言でハリセンを取り出して一夏の頭をひっぱたく。

 一夏は湯飲みの中身を右手にこぼしてしまった。

 

「あちっ!」

 

 あまりの熱さに一夏は湯飲みを放り投げてしまう。湯飲みは中身が入ったまま正面の箒へ。

 箒には湯飲みの軌道が正確に見えている。すかさずハリセンで打ち返した。中身を箒は一切被っていない。

 

「ぎゃああああ!」

 

 打ち返された湯飲みは一夏の頭に命中。熱いお茶を頭から浴びた一夏は床に転がって悶えた。

 箒はハリセンを胸の前に抱えたまま、倒れた一夏の顔を覗きこむ。

 

「大丈夫かー?」

「とりあえず。後でシャワー浴びなおす」

 

 一夏は簡潔に無事を伝える。箒はそれを鵜呑みにして言葉をかけることをやめた。

 一夏と箒には同じ部屋が与えられた。裏で何かしらの企みがあるという可能性を考えもしないで一夏はこの状況を受け入れている。男女の云々に疎いというわけでなく、相手が箒ならば間違いも問題もないと思ってのことだった。

 一夏は体に付いたお茶を軽く拭きながら再び椅子に座る。またもや箒と向かい合う形でだ。こうして向き合っているのは一夏が箒に相談をしようと思っていたからである。

 まだタオルで顔を拭いている一夏ではなく箒から本題に入る。

 

「それで、私に相談とは何だ?」

「実は天使が実在することがわかったんだ」

 

 箒は即座に一夏の額に右手を当て、左手は自らの額に触れる。

 

「熱はないようだな。そして、ダジャレでもない。つまり、病院に行った方が良いということか」

「流れるような作業で119するのはやめろ! 救急隊員が迷惑するだろ!」

「残念だ。IS学園は日本として扱われないから救急車が来られない。私は一夏を救えないのか?」

「どうしてそう悲痛な表情ができるんですかねぇ! わかったよ。俺の言い方が間違ってた」

 

 一夏は舞い上がっている。その喜びを“天使”という単語で表したのであるが箒には伝わらなかっただけのこと。

 

「やっと俺の理解者が現れたんだ」

「すまない。私は腕のいい精神科医を知らないんだ」

「まだ引きずってんの!? 幻覚でもなんでもないからな! ってかここを否定されると相談にならねえ!」

 

 ちゃんと言い直しても結果が同じだったことに一夏は涙する。ようやく箒はからかうのをやめた。

 

「理解者。つまりはお前のダジャレを心の底から笑う人が現れたということか。まあ、いないわけではないとは思っているが、一過性のことだと思うぞ?」

「どういうことだ?」

「人は慣れる。お前のダジャレ癖はそこらの親父さん方とは比べものにならない。3日と経たずに他の者と同じくスルーするだろうな」

「スルーする……そういうのもあるのか」

「何が言いたいのかはわかったが意図的なものではない」

 

 すかさずハリセンがお見舞いされる。別に痛くはない。

 

「俺が言ったわけじゃないのに……」

「私を同類扱いしたお前が悪い」

「ダジャレに罪はない!」

「そうだな。だが一夏は悪い」

「俺にどんな罪があるって言うんだ!?」

「ダジャレの使いすぎにより、ダジャレの名誉を傷つけている」

「そんな……!? 他ならぬ俺自身がダジャレの地位を引き下げているのか」

「そうだ」

 

 箒の指摘を受けた一夏はがっくしと膝をつく。視線は床に向いたまま独白する。

 

「俺の罪……か。でも俺からダジャレを取ってしまって他に何が残る? 人生が詰み()じゃないか」

「無理がある。ツッコミを入れる価値もない」

 

 箒の辛口評価に一夏は今度こそ大ダメージを受けた。

 だが彼は立ち直るのが早かった。

 

「話が逸れちまった。それで、相談なんだけどよ」

「え? 話が逸れてたのか?」

「俺としては理解者……天使が誰なのか探してみようと思うんだ」

「あくまで天使としたいのだな、一夏は」

「いや、彼女は天使100%だ!」

「別に悪魔と言ったつもりはない」

 

 ハリセンが一夏の脳天を襲う。やはり痛くはない。

 

「一夏の相談内容は理解できた。いずれ無駄となり、天使が堕天使となる未来も見えているが協力はしてやろう」

「ありがとう、箒! やっぱ優しいよな、お前!」

「ふん。幼馴染みだから見過ごせないだけだ。あと、姉さんのハリセンが無かったら一夏は今頃病院送りになっているということも忘れるな」

「マジでありがとう、束さん……」

 

 一夏は天井を見上げて、しばらく会っていない箒の姉に感謝の涙を流した。

 箒が趣旨を理解したところで相談が始まる。

 

「それで一夏はどうやって探すつもりなんだ? 何か案の1つでもないのか?」

「教室内でダジャレを言ってればそのうちわかるだろって思ってたんだが……」

「自己紹介でわからなかったのだ。喧騒に紛れて気がつかないうちに天使の方に耐性ができる可能性が高い」

「それは箒の杞憂だって」

「どちらにせよ賢い方法とは言えないな。一夏がダジャレを言うときはドヤ顔を披露するまでがワンセットだから他者を観察する余裕などないというのも理由だ」

「え? 俺、そんな顔してるの?」

「無自覚だったか……」

 

 思ったよりも重傷だった。直すのは面倒くさいと判断した箒は構わず話を進める。

 

「では私が一夏のために良い方法を伝授しよう」

「お、さすがは箒。頼りになるぜ」

 

 箒の頭には具体的な方法などない。しかし、ヒントだけは与えられる。

 

「罠を使えばいい」

「罠? どういうこと? 網で捕まえたところでダジャレを聞かせるのか?」

「だからお前は馬鹿なのだ。直接的に害を加えるような罠を仕掛けてしまえば織斑先生からきついお仕置きがされると予想できるだろう?」

「たしかにそうだ」

「だからターゲットの視界に入るだけでダジャレ好きだと判別できるような罠を教室の目立つところに仕掛けておくんだ」

「そういうことか。俺の意図を汲み取った上で笑いだした人こそが俺の天使であるというわけだな」

 

 一夏は箒の言いたいことを理解した。そうと決まれば行動に移るのは早い。

 

「ちょっと道具を調達してくる」

 

 一夏が部屋を出ていき、箒が1人残された。

 彼女は野球の素振りのようにハリセンを振るう。

 

「ふっふっふ……明日は何発いけるだろうか」

 

 一夏だけでなく、箒も明日が楽しみで仕方がない様子だった。

 

 

  ***

 

 

 翌日の朝。一夏と箒は持ち前の早起きスキルで誰よりも早く教室にやってきていた。

 一夏の手にはミカンと白い紙の巻かれた空き缶がある。紙にはご丁寧に『アルミ』と書かれていた。

 2人が教卓までやってくる。一夏はまず『アルミ』と書かれた面を生徒側に向けてアルミ缶を置き、その上にミカンを乗せた。なお、アルミ缶の中には簡単に倒れないように重りまで仕込んである徹底ぶりである。

 

「一夏……その熱意は買うが、いくらなんでもこれで笑いを取ろうというのは無茶じゃないか?」

「俺もこんなトラップを仕掛けたことがないから反応が全然予想できない」

「いや、今まで笑いを取れたことなんてないからな? 笑う人がいる時点で未知の領域だからな?」

 

 罠は仕掛けた。あとは箒の席辺りからクラスメイトたちの反応を見ていればいいだけである。一夏は箒の後ろの席に勝手に座ってクラスメイトたちを待っていた。

 

 まず1人目のクラスメイトが入ってくる。たった一日でしっかり者だとクラスに認識された鷹月静寐だ。彼女の席は一夏の席の2つ後ろ。

 

「おはようございます、織斑くん、篠ノ之さん」

「おはよう」

 

 鷹月は先に来ていた一夏たちに挨拶をすると自分の席につく。この機会に一夏に近づこうという野心も持たず、教科書を取り出して予習を始めてしまった。

 一夏は箒に耳打ちをする。

 

「気づいてないのかな?」

「もしかしたら一夏がいるから緊張しているのかもしれない」

「じゃあ、ここは俺の出ば――」

「落ち着け。強硬手段に出るのはまだ早い」

 

 だが箒のハリセンが出るのは早い。頭を叩かれた一夏は抗議の目を向けるが箒はどこ吹く風である。

 

 2人目が入ってくる。ブロンドの長い髪が目立つ外国人だ。髪の一部が縦ロールになっていて、青いヘアバンドをしているのが特徴的である。

 教室後ろ側の入り口から入ってきた彼女は教室前側の奥にいる一夏を軽く睨んだ後、そっぽを向いて自分の席につく。やはり教卓に意識が向いていない。

 

「教卓の異変よりも一夏にばかり気を取られているのではないか?」

「よし、俺は教室から出てくから観察は箒に丸投げする」

「嫌だ、面倒くさい」

 

 提案はバッサリと斬り捨てられた。

 

 次のクラスメイトが前側の入り口から入ってくる。今度は1人ではなくまとめて3人だった。運動部系の相川清香と鏡ナギ、あとは無駄にテンションの高いメガネっ娘である。ちなみに一夏はここまで5人の生徒全ての名前を把握していない。

 まず入り口に一番近い相川が手荷物を机に下ろしたときだった。彼女の視線が教卓にセッティングされたトラップに向く。

 当然一夏も彼女に見入っている。

 

「あの子、見つけてくれたぞ」

「だが首を傾げて終わりだな。わざわざ紙が貼ってあるのが災いしている」

「そうか! あの位置からじゃ文字が読めない!」

 

 己の失策に気づく一夏。案の定、相川は首を傾げるだけに終わる。

 他の人はどうか。鏡は気づく様子がない。むしろチラチラと一夏を見るばかりで教卓に意識は向かないようだ。一夏がそれとなく教卓を見てみても、彼女の意識は前に向かない。

 もう1人はというと――

 

「お、気づいたぞ?」

 

 箒に言われて一夏は最後のメガネっ娘に目を向ける。元の一夏の席の真後ろの席に座る岸原理子は持ってきた教科書を全部机に突っ込んで一息ついた瞬間に教卓の仕掛けに気がついた。

 彼女は3回ほどうんうんと頷くと一夏に顔を向ける。何事かと一夏が岸原の行動を見守っていると、彼女は胸の前で腕を交差し、無言で×を示してきた。

 

「どうやらダメ出しのようだな。あれが一夏の言う天使の行動か?」

「違うんだい! 彼女はもっと癒しの存在なんだい!」

 

 一夏は子供っぽく拗ねてしまった。

 

 これ以降も教室に次々と人が入ってくるが多くにスルーされ、気づかれてもほぼ無反応。片づけようとする人がいなかったことだけは幸いだった。

 借りていた席の子が来てしまい、一夏は箒の席の前で立つことにする。立ってみて改めてわかることは、ジロジロと見られているということである。一夏としては自分の外見などよりも見てほしいものがあるのだが、理解などされない。

 もう時間がない。箒が宣告する。

 

「やはり一夏の気のせいだったのだ。お前の天使などこの世に存在しない。織斑先生が来る前に片づけることだ」

「……そうだな」

 

 箒の言葉を否定できなかった。一夏はトボトボと自分の席へと戻り始める。ちょうどそのときに最後のクラスメイト2人が後ろ側の入り口から教室に入ってくるところだった。

 

「かんちゃん~、ねむい~」

「本音……織斑先生の出席簿」

「痛いのはもっとやだー」

 

 一夏は足を止めた。これで本当に最後。実際は気づいていない生徒もいるから天使がいないと決まったわけではないが、今回はこれで手を引くつもりだった。

 入ってきた2人のうち、今にも眠りそうなくらいにのほほんとしている布仏本音が隣のメガネの女子の肩をツンツンとつく。

 

「ねえ、かんちゃん。アレ何かなー?」

「アレ……?」

 

 その子が教卓の上にあるものを認識した数秒後のことだった。

 彼女はお腹を抱えてうずくまってしまった。

 

「かんちゃん、どうしたのー?」

「な……なんでもな……プックク」

 

 ――見つけた。あの子が俺の……

 一夏の目に火が点る。次にやることも見えた。安心したら腹が減った。

 役割を終えたアルミ缶の上にあるミカン(アルミ缶)を手にとって皮をむき、むしゃむしゃと食べ始める。

 

「朝食は食堂ですませてこい」

 

 もう教室に来ていた織斑先生の出席簿が一夏に振り下ろされた。


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