「それじゃあヒルダ、それとジークフリートもお休み」
「はい。お休みなさいクライオスさん」
「……」
俺の言葉に元気の良い返事を返したヒルダとは違い、ジークは呻くように言葉を濁している。恐らく、念話を使って伝えた内容が原因なのだろう。
しかし、俺がジークに告げた内容は大したモノではない。
精々がヒルダが襲われた時の事と、恐らく近いうちに……最低でも数日中に再びヒルダに危機が迫るだろうこと。そして、ヒルダが襲われた迄の経過(プロセス)――と言った内容だ。
それ以上のことは告げては居ないが、しかしジークは直情的とは言っても馬鹿と言うわけではない。俺が伝えた内容だけでも、恐らくはその答えに到達することだろう。
その際にもしかすれば苦悩に苛まれるかもしれないが、しかしジークのヒルダへの忠誠心はそれらを補って余りあるはずである。
何らかの異変が起きた時には俺の思い通りの行動を取ってくれるはずだ。
後はそれらが、上手く良い方向に向いてくれれば良いのだが……。
ジークは背中にフレアを背負い、そしてヒルダを途中まで護衛していくらしい。
俺は去っていくヒルダたちを見つめながら、明日には既に居るだろうハーゲンとも話をしておくべきだな――と、『ノンビリ』したことを考えていた。
第26話 アスガルド編 06話
side:ヒルダ
ジークと別れ、私は一人で自身の部屋に戻ってきた。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、部屋の前に戻ってくると悲しいくらいの静けさを感じてしまう。あのように、自分をだして時間を過ごすというのはいつ以来だろうか?
残念ながら、今の私には思い出すことができそうにない。
気づいた時には、私は既にオーディンの地上代行者だったから。
それらしい振る舞いと行いを求められ、私はそれに答えようと必死になってきた。
でも、クライオスさんはそうしなくても良い――と、私の我儘に付き合ってくれる。ううん、違う。もしかしたらジークたちでも、私が言えばそうしてくれたかも知れない。けれど、きっとそれは無理をさせてしまうことだろう。
それは、クライオスさんのそれとはきっと違う。
「駄目……ですね。何だか色々と考えすぎてしまうわ」
私は軽めに頭を左右に振ると、目の前にある部屋の扉を開けた。
ガチャっと音がして開いた部屋に入り込むと、私は其処に居る人物に驚いてしまう。
「邪魔しているぞ、ヒルダよ」
「叔父さま?」
部屋に入ると、其処にはドルバル叔父さまが椅子に座っていた。
どうしたのだろうか?
いえ、それよりも何も出来ない私に変わって多忙な日々を過ごされている叔父さまを、私は結果的にとはいえ随分とお待たせしてしまったようです。
私はとても申し訳ない気持ちで一杯に成り、そそくさと叔父さまの目の前にまで移動をする。
「このような時間にどうしたのですか?」
「なに、お前にちと用があってな」
「私に?」
あぁ、やはり私に御用があってのことでした。益々申し訳ない気持ちが広がっていきます。叔父様は私がそんな風に思っているのを知ってか知らずか、尚も優しい笑みを向けてきています。
「それにしてもヒルダ、今まで何処に居ったのだ?」
「申し訳ありません。叔父さまが来られると知っていれば、もっと早く戻ったのですが」
「ふむ……あのクライオスとかいう聖闘士の元に居ったのか?」
「は、はい」
「いや、その様に畏まる必要はない。何もそれを咎めようと言うわけではないのでな」
「そう、なのですか?」
「うむ。そもそも、儂はお前の様子を確認しに参ったに過ぎんのでな」
ジークフリードなどは、アレほどにクライオスさんとぶつかっていたものだから、もしかしたら聖域とアスガルドは仲が悪いのかも――と、心配していたのです。
ですが、叔父様がこう仰るのでしたら問題はないのでしょう。
「叔父さまにも御心配をお掛けしました」
「よいよい。気にするでない」
「ですが……」
「今日はまだ疲れも完全には取れておらぬだろう? もう休むと良い」
「……はい」
優しげな口調で私の肩を撫でると、叔父様は用は済んだとばかりに部屋からでて行こうとする。私はそんな叔父様の後ろ姿をジッと見つめていると、不意に
「そうそう、ヒルダ。実は儂には夢があってな」
「夢、ですか?」
叔父様はドアへと視線を向けたまま、何故かそのようなことを聞いてきた。
どういう意味なのだろうか? 私は理解ができずに首を傾げてみせる。
「そう、夢じゃ。近頃はどうしてもその夢を叶えたくて仕方が無い」
クルリと向き直り、私の表情を……いいえ、私の反応を期待して、叔父様は様子を伺っている。ゆっくりと、再び私に迫りながら。
「どう思うかね?」
私は一瞬、叔父様の雰囲気に言い知れない不安感を覚えました。でもそれは気のせい、勘違いだろうと思い、少しの間を開けてから問いかけに答えたのです。
「私にはその夢の内容が解りませんが、ですがそれが叔父さまにとって大切なことで、そして人を不幸にしないことであるならば叶えるべきではないかと」
「フフフ、そうか。叶えるべきか」
「はい」
コクリと頷き、叔父様の問に私は答えた。
夢を持ち、その為に努力をするのは人ならば当然のこと。私はそう思うのです。
例えそれが、私や叔父様のように立場ある人間であったとしても、夢を叶えたいと思う心を否定することなど出来ません。
叔父様は私の言葉を真っ直ぐに受け止めると、深く目を瞑って何やら思案に耽るような表情をみせる。私は叔父様の反応を待つべく、ジッとそのまま待っていた。
カッ!
突然見開くように目を開けた叔父様は、それは私の知るドルバル叔父様では無い別の何かに思えた。
思わず一歩、脚を下げようとするけれど、不思議なことに私の脚は凍りついたように動かなくなっていて――
「ヒルダよ、儂の夢は唯一つ。このアスガルドを完全に我が物とし、そしてゆくゆくは地上界の全てを我が物とすることよ」
「あ、アスガルドと、地上を? 叔父さま、その様な戯れ言は――」
「戯れか……確かにそうかも知れぬな。……だが戯れかどうか、事がなった後で考えるがよい!」
瞬間、叔父様を中心に得体のしれない圧力が周囲に解き放たれる。私はその感覚に背筋がざわめくのを感じ、辺りに視線を彷徨わせた。
色彩が、色が、感覚が、次々と私の持つ感覚が狂わされていく。
「コレはっ!?」
「この部屋は既に儂の小宇宙が支配しておる、さぁ受けよ! オーディーンシールド!」
「――ッ!?」
その瞬間、叔父様から放たれた小宇宙が私の身体を貫き、そして意識と感覚を別々に分けられるような違和感を私は感じた。
いけない
このままではいけない
私は何とかその場から走りだそうと力を込める、
でも、その意志が私の身体に伝わることはありませんでした。
身体は私の頭と別に、そのまま力なく倒れていってしまったのです。
「自らの意思を完全に封じられ、このアスガルドが儂のものと成るさまを見届けるがいい。……もっとも、それまでお前の命が続けばだがな。フフ、フハハハハ!!」
動かない身体、それでも意識だけは残る私は、頭上から告げられるその声をただ聞いていることしか出来ないのでした。
※
「開けろ! ここをさっさと開けるんだ!」
ドンドン
無遠慮に叩かれる扉の音。
久しぶりに熟睡をしていた俺は、その耳障りな音で目を覚ます事になった。
「なんだよ……いったい」
文句を口にしながらも、俺は部屋に在る唯一のドアを開けるべく移動をする。
その間もドンドンと喧しく、ドアを叩く音は鳴り止まない。
「まったく、朝からなんだって。……今開けるよ!」
そう声を上げて簡素な鍵を開けると、その瞬間
ドガッ!
「なっ!?」
バタバタバタ
と音を立てて、アスガルドの兵士(雑兵)が雪崩れ込んでくる。俺はその連中の鬼気迫る雰囲気に驚き、ピョンっと後方に飛び下がっていた。
「……え~っと、何の騒ぎで?」
俺は、目の前で剣呑な表情を浮かべている兵士に問いかけた。切っ先鋭い槍をコチラに向けており、非常に危なっかしい。
刃物を人へ向けてはいけません……そう習わなかったのだろうか?
すると、兵士の中の一人がズイッと前に踏み出してくる。
俺は思わず、眉間に皺を寄せて「む」と唸っていた。
「何の騒ぎ……だと? しらばっくれるな! この大罪人めがっ!」
「大罪人……?」
「人の姿をした悪魔め!」
「え?」
「我々のヒルダ様を返せ!」
「は?」
「貴様を牢屋へとぶち込んでくれるわ!」
「なんでだよ!」
思わず声を上げて突っ込んでしまったが、一体何だというのか?
朝からサッパリ訳が解らない。
困惑の表情を浮かべながら、俺が兵士たちから事情を聞こうかと考えていると
「貴様には、誘拐犯の容疑が掛かっているのだ」
声がすると、兵士たちはザァっと左右に分かれてその声の主が歩く道を確保する。俺に対してそんな碌でもないことを言ってきたのは
「ロキ……?」
神闘士の一人である、ロキであった。
相も変わらず他人を値踏みするような、イヤラシイ視線を俺に向けてくる。
ロキは俺が名前を呼ぶと、首を左右に振って自身の髪の毛を揺らしてみせた。
「フンっ、気安く私の名前を呼ばないでもらおうか? ……下賎な犯罪者風情が」
「下賎!?」
思わず言い直すように反応してしまったが、もしかしたらロキにとっては随分と気持ちのいいリアクションだったのかもしれない。
何故なら、先程以上にロキの雰囲気が良い方向へ鰻登りだからだ。
しかし本人は何の気なしに使ってるのかもしれないが、『下賎』とか言うのは結構心に来る言葉である。
ロキはそんな俺の考えなど知らずに、再び首を左右に振ると、続けて肩を竦めてみせた。
何とも苛立たしい態度である。
俺は眉間に皺を寄せて、ムッとした表情を造る。
「良く解らないんだけど、俺は昨日ヒルダを連れてきた人間だぞ? なんでそんな俺が、誘拐犯なんてことに成るんだ?」
「確かに貴様は昨日、お隠れになっていたヒルダ様をこのワルハラ宮へとお連れした」
(……お隠れって言うよりも、アレは家出だけど)
ロキのその言いように、俺は思わず苦笑を漏らしてしまった。だが、ロキはそんな俺の反応には気が付かなかったようである。
しかし、その後に続いて口を開いたのは俺でも、そしてロキでもなかった。
「お戻りに成られたヒルダ様のお姿に、我々は歓喜に打ち震えたほどだ!」
「そうだ!」
「ヒルダ様は我らの太陽!」
「女神だ!」
槍を片手に大きな声で主張をする兵士達。その所作は大仰で、寸劇か何かのようでもある。
(……うぅ、すごい熱気だ。コイツ等、まるでジークの予備軍みたいだぞ)
もっとも、俺にはそれを微笑ましく見ることなどできそうにはないが。
しかし問題は、何故そんなジーク予備軍が俺のもとに大挙しているのか? と言うことだろう。
寝起きの俺に迫ってきた兵士達、そしてその時に発せられた言葉。更にフラリと現れたロキの台詞……。
正直なところ、楽観視出来る要素が何処にも無いように思える。
(嫌な予感しかしないな)
頭を抱えたく成るような雰囲気ではあるが、しかしそういう訳にも行かないのであろう。
「それで、結局何だって俺のところに? それに誘拐容疑って」
「ヒルダ様を、貴様はこともあろうに昨夜連れ去ったのではないか!」
「連れ去った?」
「そのとおりだ!」
「……え? 昨夜?」
「…………何度も言わせるな」
「……はぁ、もうなんなんだよ」
ジロッと睨むような視線を向けたまま、なんら表情を崩そうとしないロキ。
それに対して先に折れたのはコチラの方だった。
幾らなんでも早すぎる。ヒルダが戻ってきて昨日の今日だというのに、こんなにも早く行動を起こすのか?
もう少しくらいは余裕があると踏んでいたのは……どうやら間違いであったようだ。
ガクッと力を抜くようにして項垂れると、ロキはそんな俺のことを『観念した』とでも思ったらしく「フフ」なんて笑っている。
とは言え、確かに『相手側』に優勢な状況であ在るらしい。
しかしだ、ここに居る神闘士はロキ一人だけ。不意を付けば、逃げるくらいのことは出来るだろう。まぁ、その場合の兵士達の生命は保証しかねるが、其処までを気にする義理が俺には無い。
しかしそうなった場合、恐らく俺はアスガルドだけではなく聖域をも敵に回すことに成るだろう。そうなった場合、神闘士は兎も角として黄金聖闘士にも生命を狙われるようになる。
「それは流石に生きた心地がしないな」
思わず口に出た言葉に、ロキを始め周囲の兵士達が首を傾げる。
俺はそんな彼等に苦笑を浮かべた。
「……どうぞ」
俺は両腕を前に差し出してみせ、要は手錠を掛けられる犯人の姿勢をしてみせるのだった。
「観念したか? オイ、この小僧に枷を嵌めろ!」
「ハイッ! 只今!」
ロキの声に従い、キビキビと動く兵士達。
ガゴ、ガゴ
なんて、あっと言う間に俺の身体は首と両腕を木の枷で押さえつけられてしまった。サイズ的にはまるで専用に作ったかのように、俺の手首や首周りにフィットしている。
「よ~ッシ! それじゃあ早速地下牢に連れて行って拷問だ! ヒルダ様の居場所を吐かせるんだ!」
「オォーっ!!」
「キリキリしっかりゲロってもらうぞ!」
「オォーっ!」
ある種珍妙とも取れるような掛け声を上げる兵士達。
俺はそんな彼等に鎖で引かれながら、ワルハラ宮の地下に作られている牢獄へと連れて行かれるのであった。
正直、ここ最近になって牢獄というものに縁が深いなぁ――なんて思えてしまう。
流石にスニオン岬ほど酷くはないと思うのだが、とはいえ余り楽観視して良いものでもなかろう。とは言え、俺が大人しく縛についたからか、ロキは俺の連行自体には同行しないらしい。ドルバルにでも報告に行くのか? 「フッ」なんて笑みを浮かべると、さっさと何処かへと行ってしまった。
もっとも、俺からすればそんな事は好都合以外の何物でもない。
今後の俺がするべき事は、意味があるのかどうか解らないが、尋問を受けながらの情報収集。コレしかないだろうな。
あとは
「ジークフリートが上手く動いてくれるかどうか……だな」
昨夜のうちにジークへの種まきは終わっている。
その種が上手く芽吹いてくれれば良いのだが、場合によっては全部を独りですることにも成りかねない。
『誘拐された』らしいヒルダが、今現在どのような状況下にあるのかは解らないが、恐らくは保って1日。子供だということも考えれば、半日といったところだろうか。
「なぁ、聞いていいか?」
「なんだ! この大罪人が!」
相変わらずもキツイ口調を向けてくる兵士。
俺は確かに容疑者で聖域からきた聖闘士かも知れないが、それと同時に10歳そこそこの子供だということは理解しているのだろうか?
思わず苦笑いを浮かべてしまいそうになるが、口元をギュッと結んでそれを堪える。
「いや、どうしてこんな風なスピード解決に至ったのかなーってさ」
「白々しい事を。まぁ、いいだろう。ならば牢に着くまでの間に、我々が如何にして貴様が犯人だと断定するに至ったのかを事細かに説明してやろうではないか!」
「……よろしくお願いします」
相変わらずの妙なテンションで喋る兵士に辟易しながらも、俺も軽く頭を下げて御願いをする。兵士はそれで機嫌を良くしたのか、饒舌にことのあらましを語り出した。
「昨晩、ヒルダ様のお部屋の周りを、怪しい黒ずくめの人物が彷徨いていたのが目撃されている」
「黒ずくめ?」
「そう、……まさに今のお前のような、な」
「これ?」
ツイっと持ち上げるようにして、俺は現在も着込んでいる黒いローブを見た。
コレは一応は聖域から支給品であるのだが、とはいえ何らかの特別な品という訳でもない。極一般的な材料を使い、極一般的な製法で編み上げただけの、何処にでも有るような唯のローブだ。
俺は一瞬「え?」と首を傾げてしまった。
まさかコレが決め手だという訳ではないだろうな? ――と。
「朝方になって、侍女がヒルダ様のお部屋をお尋ねになったさい、ヒルダ様からのお返事がなかったそうだ。不思議に思った侍女は近くを通った神闘士であるルング様に相談をしたらしい」
「ルング? ……あの大男か」
「……昨日の今日だ、ルング様は即座に中の様子を確認すべきだと押し入ったそうだが、其処にはヒルダ様の御姿はなかった」
「一晩で、消えた?」
「その後直ぐに、ワルハラ宮の中に戒厳令が敷かれ捜索が開始されたのだが、その際に兵士の一人がこう証言したのだ」
「どんな証言だ?」
「先程も言ったであろう? 昨夜、怪しい黒ずくめの人物が彷徨っていた……とな」
「……」
「…………」
一瞬……いや、たっぷり10秒ほどはそのまま沈黙を続けただろうか?
しかし一向に次の言葉が出てこないことに、俺は表情を曇らせる。
「え? それだけ?」
「それだけとは何だ! 十分過ぎる証拠だろうが!!」
まるで鬼の首をとったが如き言い様をする兵士。
俺は何度か口をパクパクと動かすと、
「それで良いのか、アスガルド?」
と、小さな声でボヤくように言うのであった。
そして、
「本当に頼むぜ、ジーク」
そう続けて口にしていた。