前回のあらすじ
クライオスの献身的な介護により、体調不良から復活したヒルダ。現在の状況(崖下)から脱しようとしたクライオスとヒルダは、その足で長い道のりを進むことを決意する。
漸くのこと開けた場所へと抜け出ることに成功した二人だったが、其処で何者かの小宇宙のざわめきを感じ現場へと急いだ。その先に居たのは数年後にγ星の神闘士となるであろう巨漢、トールである。
野生の熊と格闘中であったトールに『後ほど』道を尋ねようとしたクライオスであったのだが、ヒルダの行動はそんなクライオスの考えを粉微塵に粉砕するものなのであった。
「……とまぁ、こんな感じな訳ですよ」
「そうか」
「はぅ……」
蹴りを入れることで打ち倒したクマの上に腰を降ろし、俺は目の前に居るトールにコレまでの出来事をザッと説明した。因みにヒルダは反省をしているのか、俺の横側で正座(?)をして項垂れている。
あーしかし……トールってば大きいな!
本当にでかい! アニメ設定だと、身長160台の星矢と比べても、大人と子供くらいの差があった。今現在トールの年齢がどれほどかは解らないが、俺やヒルダからすれば大人と子供どころか『巨人と小人』くらいの身長差である。
……首が痛い。
「話は解った。だがヒルダ様といえば、ワルハラ宮に居られるオーディン様の地上代行者の筈。その方が、何故このような場所に?」
「うーん……一言で言うのなら、不幸な事故? かな」
「事故?」
内容を暈すようにして言う俺の言葉に、やはりトールは不可思議そうに首を傾げた。
まぁそうだろう。
この国ではヒルダは有名人である。姿を見たことがなくともその名前や年格好、それに見た目の雰囲気程度は伝え聞いたりするはずだ。トールからすれば、恐らく目の前の少女がヒルダなのだろう――との合点は行くものの、何故そのヒルダがこんな場所に? との疑問を持つのは仕方が無い。
俺は顎先に手を当てて考える素振りをすると、
「えーっと、トールさん。ちょっと」
そう言って、軽く手招きするようにしてトールを呼び寄せる。
するとトールの巨体がユックリと俺の前で膝を曲げ、近く声を聞くようにして耳を近づけてきた。
「(あのですね、正直なところ細かいこと言い難いんですよ。大雑把に言えば、困ってるヒルダを俺が救けたってだけの事なんですが、どうにも『そうなった理由』がきな臭いもので……)」
「む……」
トールは眉間に皺を寄せると、チラリとヒルダを横目で確認する。視線の先に居るヒルダは先ほどの反省から未だ立ち直っていないのか、両手をついて項垂れている。
……しかし、ヒルダ。そうやって手を付いているのは俺が蹴り飛ばしたクマの上だってこと。ちゃんと理解しているのだろうか?
「(こうしてヒルダ様を見ていると、とてもそんな大変なことに巻き込まれているようには見えないのだが?)」
「(まぁ……それは俺も同感なんですがね)」
「(それに君はその……もしかして神闘士なのか?)」
「へ?」
思わずキョトンとした反応を俺はしてしまう。とは言え直ぐに再起動を果たし
「いやいやいや! 全然違いますよ!」
「そう……なのか? しかし、その格好は」
「格好? ……あぁ」
言われて俺は自身の格好を眺めてみる。外套を羽織っているものの、その下からチラチラと覗くのは紛れもなく何らかの鎧。この国の人間からしてみれば、神闘衣(ゴットローブ)に見えても仕方がにだろう。
とは言え、正直に『いえ、俺は聖闘士です』などと答えてしまっても良いものだろうか? 逆にヒルダを連れ去ろうとしている悪漢――などと思われてしまうのでは?
「いや、これは――」
「クライオスさんは神闘士ではなく、聖域から来られた聖闘士です」
「ヒっ、ヒルダ!? なにを……」
「せいんと?」
「はい!」
首を傾げるトールに対し、ヒルダはニコッと微笑んでピョンっとクマの上から飛び降りた。そしてその小柄な体をムンっと逸らして、何故か自慢げに聖闘士についての説明をし始める。
「ギリシア……聖域?」
「そうです。クライオスさんはその様な遠路から、はるばるこのアスガルドへやって来た方なのです」
「えぇ、まぁ。そういう事になりますかね」
内心では『余計なことをしてくれたなヒルダ!』なんて思いながら、苦笑いを浮かべてトールを見る。トールはそんな俺を眉根をしかめながら見ていると、
「ふー……」
と、大きく息を吐いた。
そしてスッと立ち上がると、
「解った。ワルハラ宮までの道を教えよう」
そう言ってきた。
ヒルダなんかはトールのその言葉に「うわぁ、ありがとうございます!」なんてコロコロと笑みを浮かべながら言っていたが、しかし俺は「え、どうして?」なんて口にしていた。
例えば逆の立場で、見知らぬ聖衣のような格好をした人間が良く解らない人間を連れてきて『こちらは教皇の親族の方だ。教皇の間まで案内して欲しい』なんてのが現れたら、問答無用で連れて行くぞ……シャカの所に。
なのでどうにも、トールがこうもアッサリと道を教えてくれると言うのが信じられないのだ。訝しげに表情を歪める俺とは裏腹に、ヒルダなんかは
「良かったですね、クライオスさん!」
と、本当にいい笑顔で言っている。
これが普通の子供と、中身がドロドロな俺との違いなのだろうか?
……まぁ、ヒルダは普通とは言いがたいと思うが。
「安心しろ。クライオス……と言ったか? 何もお前をどうにかしようとは思わん。悪人には見えんからな」
「あ、その……顔に出しすぎました?」
「あぁ」
苦笑いをするようなトールの言葉に、俺は「あら」と言って苦笑いを返す。そしてグニグニと頬を揉むようにすると「すいません」と謝ってみせた。
「まぁ……君がそう警戒するのも理解できる。逆に言えば、他所の国から来たであろう君のことを無警戒に案内しようと言う私の方こそ変だということもな」
「いや、変だとまでは言いませんが……不可思議だなくらいには」
「クライオスさん、多分同じ意味ですよ」
そうなのか?
「フフフ。まぁなんだ、私が君のことを悪人には見えないと言ったことは本当だ。だからこそワルハラ宮への道案内をするのも吝かではないし、それに――」
「それに?」
「……正直に言えば、私はワルハラ宮での問題には関わりたくはないのだ。だから早々に居なくなってくれるならソレが一番いい」
「ハッキリ言いますね」
成る程。
確かトールは、禁猟区で狩りを行なっている。それは自分の食い扶持を稼ぐためではなく、貧しい者達に与えるためにやっていることだが、しかしだからと言ってこの国の法的には見過ごせるものではないのだろう。
此処が禁猟区の森なのかどうかは解らないのだが、トールは仮にヒルダを捜索しに来た者達と顔を合わせた場合に、何らかの面倒に巻き込まれることを危惧しているのかもしれない。
「でもまぁ、そういう事ならお言葉に甘えます」
「あぁ、そうしてくれ」
トールの考えが少しだけ理解出来た俺は、ピョンとクマの上から飛び降りて「じゃあ行きましょうか?」と声をかける。しかしトールはそんな俺の言葉を手を翳して遮ると
「ちょっと待て」
そう言って「ゴホンっ!」と軽く咳払いをした。
なんだろうか? と、俺とヒルダは互いに首を傾げる。するとトールは少しだけ気恥ずかしそうに
「そのクマ……私が獲物としてもらってしまっても構わんだろうか?」
その巨体に似つかわしくないような照れを見せて、そういうのであった。
第25話 アスガルド編04話
トールに案内をされて雪道をザクザクと歩く俺達一行。
現在はトールを先頭にして、その後ろを俺が付いて行くようになっている。
因みにヒルダはトールの肩の上、クマは紐で縛って俺がズルズルと引っ張っている。本来ならばトールがクマを担げば良いのだろうが、ヒルダを余り長い時間雪の中で歩かせるのは良くはないだろうと判断してこうなった。
「見えてきたぞ」
今の隊列に変更してから20分ほど。森を抜けて山を超え、俺達は眼前に巨大な石造りの建築物を目の当たりにしていた。
「あれが、ワルハラ宮」
小さな声で呟いた俺は、その視線の先にある宮殿を見つめて背筋がゾクリと成るのを感じていた。成る程、これがボスダンジョンの雰囲気か。
これから先に、恐らく俺が巻き込まれるだろう出来事を考えると苦笑いしか浮かばない。正直なところトールが手伝ってくれれば嬉しいのだが、恐らく今の段階のトールでは神闘士とは戦えないだろう。
「トールさんはこの後?」
「む? 私はコイツを持って帰って処理する」
コイツ――とは、当然クマの事である。此処までズルズルと引っ張ってきたクマだが、歩いてきた場所に綺麗な一本の引き摺られた後が出来ていた。
「そうですか。此処でお別れしてしまうのは少々残念なのですが……よろしければ、お茶をご馳走しますけれど?」
「いや、流石に宮殿の中にクマを運び込んでは皆が驚くだろう? 私は遠慮するよ」
「残念です」
本気で残念そうに言うヒルダである。
これくらい邪気が無い人間というのも珍しいものだ。……本当、このまま成長する訳ではないのだろうが、こんな人間が急に地上支配を宣言するとか……近くにいる奴ら変だと思えよ。
ビフォア・アフター並に解りやすいだろうが。
「ではな、クライオス。私が言うのもなんだが、ヒルダ様を宜しく頼む」
「ソレは勿論。俺はヒルダを護ってやるって決めたかな」
トールは俺の言葉に満足したのか「フっ」と軽く笑みを浮かべると、俺の引き摺ってきたクマをヒョイっと持ち上げて肩に担ぐ。
……アレ、俺が持ち上げようとすると身長的な問題で難しいんだよな。
「それではトールさん、縁がありましたら、またお会いしましょうね」
「縁があるのなら」
ペコッと頭を下げて感謝を口にするヒルダ。トールはそんなヒルダに返事を返すと、元きた道を今度は一人で帰っていった。世話になったトールが見えなくなるまで、その後ろ姿を見つめていた。
「さて、それじゃあ行こうかヒルダ。ワルハラ宮に」
「はい」
頷いて返すヒルダ。
俺はこの先に待ち受けるだろう出来事に内心ビクビクとしながら、一歩一歩重い足を前へと進めるのであった。
side:フレア
お姉さまが行方不明になってから一晩が過ぎました。
ドルバル叔父さまが捜索隊を出したと言ってはいたけれど、その捜索隊からの連絡は未だにない。ジークは心配で夜も眠れなかったらしく、目の周りに隈をつくりながら今朝方私に挨拶をしてきた。
かくいう私も、正直なところ眠れてなどいない。
眠れるわけがない。
私にとって、たった一人の大切なお姉さまが居なくなってしまったのだから。
侍従の一人が淹れてくれた紅茶が私の目の前に置かれているけれど、どうにも体が動いてくれない。アスガルドでは珍しい種類の紅茶だと、今の私のことを気にかけてわざわざ淹れてくれたというのに。
「ヒルダ……お姉さま」
ボソッと小さく呟くように言うと、私の頭の中に笑顔を向けてくるお姉さまの顔が思い浮かべられた。その瞬間、胸が締め付けられるような感覚に襲われ、私は思わず
「う……うぅ」
声を押し殺して胸元で手を握りしめていた。
「――フレア様!」
バンッ!
力強く扉が開けられ、外からハーゲンが部屋の中へと入ってくる。
「ハ、ハーゲン!」
私は直ぐに自身の頬を拭って体裁を保とうとしたけれど、……見られてしまっただろうか?
「も、申し訳ありませんフレア様。ですが捜索に出ていたルング様が戻られました!」
「ッ!! 本当ですか! ……それで、ルングは何処に!?」
「は、はい。現在はドルバル様の元に――フレア様っ!」
聞いた瞬間、私は部屋の外に向かって駈け出して行った。
叔父さまは言っていたのだ、『手ぶらで帰るということはなかろう』……と。
大丈夫。ルングは、彼もオーディンに仕える神闘士の一人なのだから。きっと、きっとお姉さまを探し出してきてくれたはずなのだから。
廊下を走る私に侍従の者達が慌てて声を掛けてくるけれど、ごめんなさい。
お叱りな後で幾らでも受けます。今はソレよりも、少しでも早く――
「叔父さま!」
走るなんて言う慣れないことをした所為で、私の肩は自分でも解るくらいに上下している。その場所はドルバル叔父さまの執務室。丁度叔父さまと向かい合うようにして、大柄な体をしたルングが跪くようにして伏せている。
「ん? フレアか……。どうしたのだ? その様に慌てて」
「どうした? ではありません! 捜索に行っていたルングが帰ってきたのでしょう?」
「うむ……だが」
「ルング! お姉さまは何処に居るの!?」
少しだけ大きな声を出したからだろうか? ルングは表情を歪めてバツの悪そうな顔をすると叔父さまの方をチラリと見た。
「まぁ良かろう」
「はい。……フレア様、私は一晩かかってワルハラ宮の周辺を捜索しましたが、その際に発見できたのは」
「発見できたのは?」
「コレだけです」
そう言って、ルングが私の目の前に見せてきたのは小さな布切れだった。
でも、でも私にはソレが何であるのか解ってしまった。
それはお姉さまがいつも身に着けている、白い法衣の一部。
「そ、んな……お姉さま……。嘘でしょ、ルング?」
「……残念ながら」
冗談だと言って欲しかった。けれどもルングが口にした言葉は私にとってショック以外の何でもない言葉で、私は自身の目の前が急激に色あせ始めてように思えてくる。
「フレア。突然のことでお前も辛いとは思うが、今は部屋に戻って休んでいないさい」
「叔父……さま」
「もし、もしもお前にまで何かがあっては、私は其れこそどうにかなってしまうよ」
あぁ、なんてことだろう。そうなのだ。
私だけではない。叔父様だって、そしてこんな哀しいことを伝えなくてはならなかったルングだって、きっと私と同じく苦しいに決まってる。それを私は、自分だけが辛いかの様な態度をとって……。
こうして見れば、叔父様は何かに耐えるように辛そうな表情を浮かべているように見える。
「申し……訳、ありません……叔父さま。……私、部屋に戻ります」
何とか。そう、何とか震える声でそう言った私だったけど、溢れ出す涙を堪えることは出来ずにポロポロと頬を伝ってしまう。
それでも叔父さまは、そんな私にただ
「あぁ、ゆっくりと休みなさい。フレア」
そう優しく声を掛けてくれた。
部屋に戻っても休めるとは思えない。でも、それでも今は部屋に戻ろう。
そう、私が思った時
「ドルバル様ーッ!」
私の部屋に飛び込んできたハーゲン以上の勢いで、ジークが飛び込んできた。
その肩は息せき切ったようになっていて、ここまで急いでやってきたことが良く分かる。きっとジークは、私と同じくルングが帰ってきたことを誰かに聞いたのだろう。
そして先ほどの私と同じく、捜索内容を確かめるためにこうして……
叔父さまはそんなジークに眉根を顰めて、ゆっくりとした雰囲気で口を開いた。
けど――
「ジークフリートか。お前にも伝えなければならなかったな。ヒルダは――」
「そのヒルダ様のことで御座いますッ!」
「ん? どうしたのだ、そのように慌てて?」
ジークは声を張り上げて、叔父さまの言葉を遮った。
よく見ればジークの表情は、今朝方に見た時とは何かが違う。
一体何があったのだろうか? 私は大きく息を吐いているジークが何を口にするのかを気にしながらその言葉を待った。
「お歓びくださいドルバル様! ヒルダ様が、ヒルダ様がお戻りになられました!」
「なっ……なんだとッ!?」
満面の笑みを持って報告をしたジーク。そしてその言葉に心底驚いたような表情を浮かべた叔父さまとルング。
でもその言葉を聞いた時の私は、きっとジークと同じく満面の笑みを浮かべていたと思う。きっと間違いない。
side:クライオス
ワルハラ宮に到着した俺達は、直ぐ様に付近を警邏していた兵士に声をかけた。用は「ヒルダが戻ったぞ」と伝えるためである。
流石に一晩だけだったとはいえ、ヒルダが行方を眩ませたのは大きな騒ぎになっていたらしい。事実そう告げられ、ヒルダが「只今戻りました」と、告げたところでその兵士はパニックを起こして、大慌てで責任者を呼びに言ってしまった。
もっともそうやって呼ばれてきた責任者が
「ヒルダ様ーーっ!」
ジークフリートだと知った事で、俺は思わず口元を釣り上げて
「ははは……何だかなぁ」
なんて言葉を漏らしてしまったが。
「あぁ……ヒルダ様。よくお戻りになって下さいました」
「ジーク、心配をかけましたね?」
「いえ。ヒルダ様の実を安じればこその悩みです。……本当に、ご無事でよかった」
ジークフリートはヒルダの前で跪き、そしてヒルダも俺と一緒にいる時とは違って何やら『威厳』のような雰囲気を身に纏ってジークフリートに接している。
……あぁ、成程。確かにこれは疲れそうだ。
一頻りヒルダの無事を喜び、オーディンへの感謝の言葉ツラツラと述べたジークだったが、此処に来てようやく俺の存在に気がついたようである。
ヒルダの隣に当然のように立っている俺をチラリと見ると、
「……ヒルダ様、この者はいったい?」
なんて、眉をを吊り上げながら――より正確に言うと、俺のことを睨みつけながらそんな事を口にする。
……俺も相当だとは思うが、ジークフリートってわかり易い奴だな?
「ジーク、その方は私が危険なときに身を呈して救って下さった方で、クライオスさんと言う方です」
「クライオス? ……このあたりでは珍しい響きの名前ですね?」
ヒルダは笑顔で俺の事を紹介するが、そんなヒルダとは対照的にジークの表情はさらに険しいものになる。其れが証拠に、首を傾げるようにしながらもその視線から俺が外れることはないからだ。
どうやらヒルダもそんなジークの反応は面白いらしく、僅かに笑みを浮べている。
「クスっ……クライオスさんのお名前が珍しいのは仕方がないわ。だってクライオスさんは――」
「待った、ヒルダ。今は其れよりも先に、他の連中にも帰ってきたことを伝えるべきじゃ――」
「貴様! ヒルダ様を呼び捨てにするとは! 一体どういうつもりだ!」
ギリシア出身だと知られれば、また説明が面倒だと思った俺はヒルダに待ったをかけたのだが、しかしギリシア出身だと知られなくとも、どうやら面倒な事になったらしい。
もう本当に何なんだよ。ジークフリートは!
「何処の誰かは知らないが、ヒルダ様を救ったことに関しては礼を言おう。だが! 一体誰の許しを得てヒルダ様のお名前を軽々しく――」
「私が許可をしたのですよ、ジーク」
「ヒ、ヒルダ様!?」
「クライオスさんは私の命の恩人なのです。ですから特別に許可をしました。いけませんか? ジーク」
「……いえ、ヒルダ様がそう仰るのでしたら」
『ぐぬぬぬ』とでも言いたげな表情を浮かべて居るジークフリート。俺がヒルダの事を呼び捨てにしていることが羨ましいのだろうか? しかし、正直ヒルダを呼び捨てにしているジークフリートなんて、違和感がありすぎて全く想像することが出来ない。
「なぁヒルダ、さっきも言ったけど」
「あ、そうでしたわね。……ねぇジーク、お願いがあります。私が戻ってきたことを、叔父さま達に知らせてきてくれないかしら?」
「わ、私がですか?」
「えぇ」
「ですが……」
ヒルダの頼みならば、普段は二つ返事で熟しそうなジークが口ごもるようにして俺を見てくる。きっと俺のことが信用出来ないため、ヒルダと俺を残して行く事に抵抗が有るのだろう。
「ジーク、俺はヒルダに危害なんか加えないから、パッと行ってこいよ」
「貴様にジークなどと、愛称で呼ばれる筋合いはないわっ!」
「ジーク! 今はそのようなことを!」
「そうだぞジーク!」
「ぐ……ヒルダ様、しかし」
ヒルダがこう言っても動こうとしないとは、余程に俺は警戒されているのだろうか? しかし、俺としてもいつまでもこんな寒空の下に居たいとも思わない。
俺はヒルダにそっと顔を近づけると耳打ちをする。当然のようにその瞬間、ジークフリートが「んなっ!?」と絶句したようになったのだがそれはあえて無視をする。
「あのな……」
「……え」
耳打ちが終わると、ヒルダは「そんな事で良いのですか?」と、俺に聞き直すように言ってきたのだが、まぁ恐らくはジークフリートはそれで問題なく動き出すだろう。
ヒルダの問いかけに軽く頷いて返すと、ヒルダは真っ直ぐにジークフリートを見つめだした。
「ジーク、お願い。叔父さまに一刻も早く、クライオスさんを紹介したいのです。それに他の者に頼むより、ジークのほうが早く伝えに行けるでしょう?」
俺がヒルダに言ったことは、至極単純な内容である。それは優しい口調でジークフリートにお願いするように言ってみろ――と伝えただけだ。まぁプラス、ジークフリートの手を取りながら言うようにも言ったが。
酷く単純な手ではあるが、しかし
「も、勿論です! お任せくださいヒルダ様!」
ジークフリートには凄まじい効果を発揮したらしい。
「それではヒルダ様! このジークフリートめがドルバル様への報告の任、しかとお受けいたします」
「えぇ、宜しくお願いね。ジーク」
「ハッ!」
深々と一礼をし、ジークはそれこそ煙を吐き出すかのように駈け出して行った。あの様子では、マトモにノック一つ出来ずに突入しそうである。
「いつもジークは元気ね」
走り去っていったジークフリートを眺めながら、ヒルダはそんな感想を口にした。
いや、十中八九、舞い上がってるだけだと俺は思う。
そしてこの予想は、ほぼ確実に的中していることだろう。
まぁ、あの速度ならば本当にあっという間にドルバルへの報告は直ぐにでも終わりそうである。もっとも、だからと言ってジークフリートが駆けていったのと同じようにドルバルが駆けてくるとは思えないので、まだ暫く時間は掛かるだろう。
何分くらいかな?
「――クシュンっ!」
不意に、ヒルダから聞こえたクシャミに俺は慌てて顔を向けた。
ヒルダはクシャミをしたことが恥ずかしかったのか、若干照れたような表情を浮かべている。
「す、すいません。驚かせてしまいましたか?」
「驚いたっていうか――」
「はい?」
病み上がりなんだよな、ヒルダってば。
昨晩に熱を出して、そして今日は熱が下がったとはいえ完全じゃないんだった。
「ヒルダ、こっちおいで」
「ふぇ?」
「そんなんじゃ寒いだろ? ジークフリートが戻ってくるまでだってまだ時間がかかるだろうし」
「こっち……って?」
「外套の中に入れてやる」
「外套の中!?」
ヒラヒラと外套をはためかせながら、俺はヒルダに手招きをする。
しかしヒルダはそんな俺の言葉に頬を赤くして「うぁ……うぅ」と、何やら躊躇するように呻いてみせた。……あぁ、どうやら今朝の出来事を思い出したらしい。
「いや、何もしないから」
「うぅ……」
「外は寒いんだから、待ってる間にまた体調が悪くなるかもしれないだろ?」
また体調が――との言葉が効いたのか、ヒルダの肩が一瞬ビクッと動いた。
卑怯な言い方だっただろうか? しかし、また熱を出して倒れられても困るのも事実である。ヒルダは暫く悩むように「うー、でも……」なんて口にしながら悩んでいたが、タイミングよく再び
「クシュンっ!」
とクシャミを漏らした。
「……」
「……」
ほんの少しだけバツの悪そうな表情を浮かべるヒルダであったが、わざとらしく「コホン」と咳払いをしてみせる。
恐らく照れ隠しなのだろうが、残念ながら子供がやっても余り効果はないように俺は思う。
「そ、それでは、ジークが戻ってくるまでの間だけお邪魔させてもらいます」
「はいはい、いらっしゃい」
プイッとソッポを向くようにしながら外套の中に入り込んでくるヒルダ。
今朝とは違って抱きかかえている訳ではないが、それでも俺が後ろから覆いかぶさるような格好になっていることには変わりない。多少は居心地が悪く感じるのかもしれないな。
「……あ」
「ん? どうしたヒルダ?」
「いえ、暖かいなと思いまして」
温かいのは当然である。
外套一枚だけでもそれなりに断熱効果は有るだろうし、俺自身が寒くはないように小宇宙を燃やしているのだから。
本当、小宇宙って便利だよ。
上手く使えれば、それこそ色々なことが出来そうだしな。
暫くそうして、特に何も話すこともなくジークフリートの帰りを待っていた俺達だったが、互いに何も口を開かずにただボーっとしていた俺達であるが、不意にヒルダが笑みを浮かべた。
「ふふふ」
「なんだヒルダ?」
「いえ」
「うん?」
此処で笑みを浮かべる意味が解らない。思わず首を傾げる俺ではあるが、ヒルダは緊張が解けてきたのか少しばかり俺の方へと体重を預けてきた。
俺はそれを、上手く抱き止めるようにして両手で支えている。
「クライオスさん。何だか、いいですね」
「うん? ……そうだな」
相変わらず言っている意味が理解不能であるが、しかしここは同意しておいたほうが無難であろう。
しかしこうしているヒルダは、ジークフリートの相手をしていたさっき迄のヒルダとは随分と違うように思える。これが本来のヒルダなのだろうか?
自分の意思でそれらを使い分ける――なんて、この年齢の子供に出来るわけがない。それを考えると、やはりヒルダは普段から無理をして生活していたのだろう。
ヒルダを護る……か。
「なぁ、ヒルダ」
「はい? なんですかクライオスさん」
「俺は、お前のこと――」
「――ぁあああッ!?」
「「!?」」
ジッと見つめるようにしてヒルダと向かい合っていた俺だったが、劈くような大きな声にビクッと身体を震わせた。
見ると其処にはいつの間に戻ったのか? 先ほど駆けて行ったジークフリートがフレアを背負って睨みつけている。
因みにその後ろには、トールに負けず劣らずに巨大な大男と、紫色の法衣を身に纏った怪しげな男。
一瞬、射抜くような視線をぶつけて来たことを考えると、どうやらあまり友好的な人物では無さそうであ――
「な、なななな、何をしているのだ! 貴様は!」
「おぉう!?」
素早い歩法で詰め寄ってくるジークに、俺の考えは中断を余儀なくされる。
ジークフリートって、こんなに面白いキャラクターだったのか?
「おかえりなさい、ジーク」
「はっ! 只今戻りましてございます! ……ではなくて! ヒルダ様! これは一体!?」
「寒かったものですから、つい」
「つい!?」
「ヒルダが風邪を引いたら大変だろ? ……ねぇ?」
なにやら激しく反応をするジークを他所に、俺はその視線を奥にいる法衣を纏った男へと向けていた。
その男――ドルバルは一瞬だけだが眉をピクリと動かすと、何くわぬ顔を浮かべる。
「おぉ、確かに。昨日の今日でヒルダも大変であっただろう。体を壊すようなことがあっては大問題であるからな」
奥底に、何やら単純ではないドス黒い小宇宙を渦巻かせながら、ドルバルは笑顔でそう返すのであった。