大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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46.明日へ託す約束

 ノイズまみれの通信から、爆発音が響き渡った。画面に表示されたパーセンテージが、あっという間に上昇していく。

 

 

「なんてことだ……!」

 

 

 女性の隣でその映像を見ていた、若葉色の髪の男性が戦慄する。薄い液晶を隔てた先に、大切な妻と娘がいるのだ。今にも命が費えてしまいそうな、大切な人たちが。父親でもあり夫でもある男性には、耐えがたい状態であろう。

 それは、女性だって同じだった。画面の向こう側には、長い旅路を共にした親友や仲間たち、および、この惑星にやって来て出会った人たちがいる。手を伸ばせば届くはずなのに、どうしてこんなにも遠いのか。女性はぎりりと歯を食いしばる。

 イオリアも、エルガンも、他の面々も、その光景を愕然と見つめることしかできない。いつかの焼き直しだ。女性が敬愛した人が、大地に沈むことを選んだときと同じ無力感が纏わりつく。崩壊を止める手立てを持たない自分たちに許されたこと。

 

 次の瞬間、『何か』が自分たちの乗る船に転移してきた。彼ら/彼女たちの想いを受け継ぐであろう少年少女だった。

 なんとか五体満足の少年たちは、目を抑えて泣きじゃくる少女を気遣っている。小さな手の隙間から、血が伝って流れ落ちていた。

 

 目が、潰れている。おそらく、少女の瞳には二度と光が戻ることはないだろう。『同胞』としての能力を駆使すれば、常人と変わらぬ生活を送ることは可能だ。しかし、それとこれとは別問題である。

 

 子どもたちが画面を見て悲鳴を上げた。大人たちはまだ“あの場所”にいる。しかし彼らは転移しようとしない。己の死を覚悟したかのように。

 画面の向こうから響くのは、次世代の『同胞』に託す、命がけのメッセージだ。己の命を削るようにして届いた言葉に、それを受け取った少年少女は涙を流す。

 

 目を抑えて泣きじゃくっていた少女も、母親から託されたものを受け止めたのだろう。見えぬ目で、画面の向う側を『視て』いた。

 それを確認した銀髪の女性は、安堵したように表情を緩めた。女性たちの故郷を思わせるような紅蓮の瞳は、静かに細められている。

 彼女の眼差しは、親友である自分に向けられていた。女性の青い瞳をまっすぐに見つめて、彼女は口を動かした。

 

 

「あとは任せたわ、ベル」

 

「っ、イニー!!」

 

 

 女性は親友の仇名を叫んだ。

 自分の顔を見た親友は、困ったように微笑む。

 

 

「ひどい顔ね。ベルもアランも、他の皆も、顔面崩壊しているわよ」

 

「ひどいことを言っているのはキミの方だろう! 僕がしわくちゃになるまで面倒見て、最期はきちんと見送ってやるって言っていたくせに!! ……は、話が違うじゃないかぁ……ッ!!」

 

 

 彼女に名を呼ばれた男性――アランは、顔をぐちゃぐちゃにしたまま声を荒げた。

 嘘つき、と、夫は妻を罵る。対して、妻は慈しみの眼差しで夫と娘を見つめていた。

 これから死ぬとは思えないほど、綺麗な笑みだった。

 

 女性の脳裏に浮かんだのは、大地の奥底に散ったグラン・パの笑顔。すべてをやり遂げたと言わんばかりの、安らいだ横顔。――親友の浮かべるそれは、グラン・パが浮かべた表情そのものだった。

 

 紫電が爆ぜる。銀の物体が蠢き、親友の体の半分が『飲まれた』。皮膚に裂傷が走り、銀の突起と鮮血が飛び散る。親友は痛みに呻き、それを見た親友の夫と娘が悲鳴を上げた。

 激痛に身を苛まれているというのに、親友は微笑んだ。額に脂汗を浮かべ、口から血反吐を吐きながら、『同胞』たちに想いを託す。最期の命を、燃やしながら。

 

 

「“来るべき日”のために、“希望”を守り抜いて。――お願いよ」

 

 

 親友はそう言って、目を細めた。

 

 

「アラン、レティシア、ミラベル、ヒスキ、エリク、ジノヴィ、アステリア。そして、私の親友……ベル、エルガン。……貴方たちに出会えてよかった。――愛しているわ」

 

 

 最後に、愛する/大切な人々への想いを残して。

 その映像は、断線した。

 

 

「イニス、イニス! う、うわああああああああああああッ!!」

 

 

 妻――イニスの死を悟ったアランの慟哭が響いた。それを皮切りにして、悲しみはどんどん広がっていく。

 女性はモニターを見つめることしかできなかった。もう二度と、親友たちが帰ってくることがない。

 その事実を受け止めることは、今はまだ、できそうにない。

 

 

 

***

 

 

 

 

『……ジョミー、皆を頼む』

 

 

 未来のために、命を散らした戦士がいた。

 

 世界で最初に生まれた『同胞』荒ぶる青(タイプ・ブルー)にして、『同胞』の初代指導者(ソルジャー)を務めた男――ブルー。

 彼は、崩壊する赤い星(ナスカ)から逃れる『同胞』たちを守るため、惑星破壊兵器に特攻を仕掛けた。結果は相打ちとなり、彼は仲間たちを逃がすことに成功する。

 

 

『トオニィ、ベル、イニー。……お前たちは強い子だ、僕の自慢の……。……だから、皆を頼む』

 

 

 未来のために、命を散らした人がいた。

 

 ソルジャー・ブルーが見出した後継者であり、女性が心から敬愛したグラン・パ――ジョミー・マーキス・シン。

 世界のシステムによって、家族を、親友を、『同胞』の仲間を失い、それでも諦めずに歩み続けた2代目指導者(ソルジャー)だった。

 彼と、彼を受け入れた人類側の指導者によって、『同胞』と人類の共存の道が開かれたのだ。彼らがいなければ、世界を変えられなかっただろう。

 

 過去をなぞる様にして目を閉じていた女性は、ゆっくりと目を開けた。小奇麗に片づけられた私室は、回想に耽る前から何一つとして変わっていない。

 沢山の書類やファイルが、書斎や本棚を占領している。机の上には、点灯したままのタブレットと、随分前にぬるくなったコーヒーが水面を震わせている。

 

 

「『死が“土へ還る”』ことだと言うのなら、土に還ることすらできなかった命はどうなるんだろう」

 

 

 女性はふと、とある詩の一節を諳んじた。歌詞の意味を吟味してみる。宇宙で命を散らした者たちがいたことを、女性は知っていた。

 土になれないのなら塵になり、次の星を形作る大地になっているのだろうか。「死んだ者は星になる」という話が脳裏によぎる。

 力尽きて星になっても、星にすらなれずに散ったとしても、人は歩みを止めることができない。生まれ落ちたときから、死した者の声に縛られて生きる。

 

 現に、女性もその1人だ。『同胞』の命と希望を受け継いで、ここに立っている。

 

 長い長い旅時の後もまた、命は散っては咲いてを繰り返した。たくさんの出会いや別れがあった。同じ道を行く者、違う道を行く者、様々だった。

 その一瞬一瞬を、女性は忘れていない。この軌跡こそが、女性のすべてだった。今の女性を形作り、今の女性を突き動かす理由。

 

 

「大丈夫だよ。託されたものは、今でもここにあるから」

 

 

 星の瞬く宇宙(そら)を見上げ、女性は微笑んだ。

 

 

「だから、見守っていてね。――イニス、イオリア」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レティシアって言うんです。レティシア・カノン」

 

 

 藪から棒に、イデアはそう言った。クーゴは目を瞬いた。今、途方もなく重大な情報をさらっと言われたような気がする。気がするのではなく、言われたのだ。

 

 イデアの名前は本名ではない。ソレスタルビーイングで名づけられた(と思しき)コードネームである。イデアはラテン語で「理想」、クピディターズもラテン語で「憧れ」という身だ。

 今、彼女が告げたものは己の真名だ。そんな重大な秘密をクーゴに話したところで、デメリット以外の何物も存在しない。イデアの真意を測りかねたクーゴは首を傾げる。

 イデアは微笑んだ。普段と変わらぬ可憐な微笑み。身構えていたこちらが呆気にとられ、終いには見惚れるほどの笑顔だった。邪気も悪意も感じない。

 

 今のイデアの表情は、恋する乙女と言っても過言ではなかった。

 誰に対して、彼女はそんな表情(かお)を向けるのだろう。

 

 

「……どうして」

 

 

 クーゴの問いかけに対して、イデアは照れたようにはにかむ。やはり、どうみても悪意は感じない。

 悪意ではないけれど、言葉にできない温かな感情を向けられていることは察せた。

 

 

「焦らさないで下さいよ。照れるじゃないですか」

 

 

 前髪をいじりながら、イデアは顔を赤らめた。眉はハの字に曲がってはいたけれど、困惑している訳ではないらしい。

 

 彼女は窓の夜景とクーゴを交互に比べた後、くすくす微笑んだ。鈴を思わせるような楽し気な声色に、クーゴの心も弾むような心地になる。

 イデアの口がゆっくりと動く。彼女の声が耳を震わす。彼女の紡ぐ言葉が、クーゴの心に触れてくる。その感覚が、酷く愛おしい。

 

 

「以前、仰ってましたよね。『古来の日本文化では、己の名前を告げることが』――」

 

 

 そこまで言いかけて、彼女は言葉を止めた。ほわほわしたような笑顔は、あっという間に沈痛な面持ちへ変わってしまう。

 タイミングを計ったように端末が鳴り響いた。イデアは何とも言えぬ予感を覚えていたようで、覚悟を決めたらしい。端末を確認し、深々と息を吐いた。

 端末画面には、彼女が予想した通りの言葉が表示されていたのであろう。夢の時間に終わりを告げるような内容だったに違いない。クーゴは何となく察した。

 

 

「……すみません。本当はもっとお話ししていたかったし、とっても名残惜しいのですが、もう時間が来ちゃったみたいです」

 

 

 こちらから誘っておいてごめんなさい、と、彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。

 彼女の顔を覆う影が一際濃く見えたのは、照明や俯き加減の関係だけではない。

 

 

「っ、()()()()()

 

 

 寂しそうに立ち上がろうとする彼女の腕を、クーゴは反射的に掴んでいた。

 咄嗟に口から出たのは、先程イデアが告げた己の真名である。

 いきなり真名を呼ばれるとは思っていなかったようで、イデア――レティシアの動きがぴたりと止まった。

 

 紫苑の瞳が大きく見開かれる。クーゴ自身、自分に何が起こっているのかわからないまま、反射的に言葉を口走っていた。

 

 

「その話の続き、聞かせてくれないか。……“()()()()()()()()”でいいから」

 

 

 突拍子のないことを言った、と、クーゴは思った。自分の言っていることが途方もない夢物語であると重々承知していた。にも関わらず、どうしてそんなことを口走ってしまったのだろう。

 

 自分たちは知っている。この先に待ち受ける運命が、再会など望めない程過酷なものであることを。

 自分たちは知っている。次に互いが対峙する場所は、宇宙(そら)の戦場であることを。

 自分たちは知っている。おそらくこの戦いで決着がついたら、どちらかが命を落とす可能性が高いことを。

 

 “次”、なんて、馬鹿げたことを言っている自覚はあった。これから戦場で殺し合う者同士が、戦場を切り抜けた後で再び出会い、言葉を交わす可能性は低い。

 万一再会できたとしても、この関係のままでいられるとは限らない。普通に考えれば、殺し合いの後も言葉を交わし、笑いあうことができるとも思えなかった。

 

 

(……そうだったとしても、俺自身が、その希望を抱くことを選んだんだ。その未来を信じることを)

 

 

 クーゴの脳裏に浮かんだのは、『モラリア戦役におけるソレスタルビーイングの介入行動』の動向を観察していたときのことだった。白い不気味なオブジェと対峙するレティシア/イデアと、彼女が抱いていた優しい光。

 

 あの輝きは、クーゴが慣れ親しんできた虚憶(きょおく)で見た『人の心の光』そのものだった。一歩間違えれば道を踏み外していたであろうクーゴを救い、支え、空まで導いてくれた、かけがえのないものだった。

 根拠が薄いと他人(ひと)は言うのかもしれない。馬鹿な奴らだと他人(ひと)は言うのかもしれない。それでも、クーゴは選ぶ。その光を宿し、その光を抱きながら戦うレティシア/イデアと共に笑う未来を願うことを。

 たとえ、異なる志を抱いて戦場で対峙しようとも、これまでの日々や絆を『なかった』ことにしたくなかった。痛みを抱えながらも、全力で生きることを選んだ。本当の意味で、今、その覚悟が問われている。

 

 今更かもしれないが、薄っぺらいかもしれないが、それでも、本当の意味で覚悟を決めた。

 ただまっすぐにレティシアを見返せば、彼女は更に大きく目を見開く。一瞬の沈黙。

 

 自分が何か間違ったことを言ってしまったのかと不安になったが、クーゴの懸念はただの杞憂に過ぎなかったらしい。次の瞬間、レティシアが嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「――はい。レティシア・カノン(わたし)クーゴ・ハガネ(あなた)の、約束です」

 

 

 レティシアの言葉に、クーゴも迷うことなく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 満身創痍のノブレスおよびチームトリニティが転がり込んだのは、『悪の組織』が所有にしている小綺麗な別荘地であった。別荘地と言っても、入れる人間は『悪の組織』関係者だけに限られている。実際は、地下にラボがある秘密基地であった。

 ゆくゆくは戦争幇助企業として武力介入の対象になる予定だった相手の隠れ家に転がり込む――トリニティ兄妹にとって、こんなにも不安になる案件はないだろう。満身創痍の体を引きずるようにしつつも、周囲の警戒を怠らない。

 

 

「教官。何故、彼らに助けを求めたのですか?」

 

 

 ヨハンが不安そうな眼差しを向けてきた。ミハエルとネーナも同じ気持ちらしく、言葉にはしないが神妙な表情でノブレスを見つめる。

 

 普段、こういう状況で、ソレスタルビーイングが真っ先に頼るスポンサーがいた。国内や宇宙に別荘や隠れ家、プライベート機を有する資産家が。しかし今となっては、その人間が『トリニティたちにとっての敵』になってしまった。隠れ家の提供先を失った自分たちには、頼れる相手が殆どいない。

 大破寸前のスローネたちでは、プトレマイオスの面々と合流してもお荷物だ。それに、彼らは彼らで、国連軍との最終決戦で忙しい。そちらを何とかするので手一杯だろう。リボンズはヴェーダの掌握およびアレハンドロの監視で忙しいし、他のイノベイドたちも別件で飛び回っている。

 他にも様々な消去法やら考察を経て、『悪の組織』の秘密ラボに向かったのである。予め面々には連絡しておいたため、別荘地/ラボにいた面々は快くノブレスたちを受け入れてくれた。感謝してもしきれない。

 

 

「『彼女』に関連するすべてのものが敵になったんだ。おいそれと助けを求めれば、かえって敵に筒抜けになる危険性がある」

 

「でも、それは『悪の組織』にも言えることじゃないの?」

 

 

 ノブレスの答えに対し、ネーナが表情を曇らせる。

 こちらを見上げる金の瞳は、不安と怯えが入り混じっていた。

 

 ガンダムマイスターであれども、ガンダムが動かせない今、ネーナたちはか弱い『人間』だ。戦闘訓練も多少積んではいるけれど、完全包囲されてしまえば無力である。

 信頼できるものがなくなり、自分たちの拠り所であるガンダムも使えない。力を失ったが故に、『力を持っていたが故に感じなかった恐怖』に苛まれているのだ。

 そこまで考えて、ノブレスはひっそり自嘲する。どうやらノブレス・アムという男は、トリニティ兄妹に信頼されていないらしい。いや、彼らの信頼に応えられなかったというべきか。

 

 アリー・アル・サーシェスの駆るスローネツヴァイの偽物から奇襲を受け、完全にノックアウトされたわけだから、仕方がないのかもしれない。

 

 

(つーか、アイツ何なんですか!? 無数に展開していた“質量のある残像(デコイ)”には目もくれず、ピンポイントで本体を狙ってくるなんて!)

 

 

 サーシェスが戦争を生業とする傭兵であることは知っていた。故に、告死天使を操る『彼女』のような、「機体性能でごり押し」を得意とした戦いをする人間ではないこともわかっていた。むしろ、己の経験と勘で戦うタイプであろうことは明らかである。

 

 奴には小細工が通用しない。機体のOSやレーダー、自分の肉眼だけを判断材料にしているわけではないためだ。『彼女』が“質量のある残像”に振り回されていたのは、「まだ経験が浅く、OSやレーダーに頼っていたから」だと思われる。

 対して、サーシェスはほぼ「勘」で本物を見分け、νガンダムにピンポイント攻撃を仕掛けてきたのだ。おまけに、トランザム解禁前のエクシアを圧倒している。パイロットが元・教え子ということもあってか、その動きを見切っていたから恐ろしい。

 面倒な奴が敵になったものだ。ノブレスは心の中で深々とため息をついた。どうやってサーシェスを無害化させるかも考えておかねばなるまい。奴を味方に引き入れるのは、色々な意味で無茶が過ぎる。傭兵は、金を積まれればころりと裏返る可能性が高い。

 

 ついでに、奴は平和より戦争を愛している。自分たちと話が合う可能性は、万に一つもなかった。似たような人間はもう1人(フェレシュテのフォン・スパーク)がいるが、それについては割愛する。

 これからのことに頭を悩ませつつ、ノブレスはネーナの問いへの答えを考えていた。しかし、ネーナが何かに気づいたように慌てはじめた。

 

 

「あ、でも、教官を信じていないわけじゃないの! その……」

 

 

 妹の慌て様子に感化されたのか、兄2人もおろおろし始める。その様子が滑稽で、張りつめていた何かが和らいだような気がした。

 ノブレスが守れた、数少ないもの。踏みにじられかけた命たち。ネーナが、ヨハンが、ミハエルが無事でいてくれることが、何よりも嬉しい。

 炎に飲まれた家族の死体を、ノブレスは忘れてはいない。ハーヴェイとコーナーの祖先が嗤う姿を忘れたこともなかった。

 

 

「大丈夫だ。僕は彼らと親交があってね。マイスターに推挙されたのも、そこからなんだ。信頼できないというならそれでもいいし、もし万が一何かあったら、見せしめ及びその責任として、()()()()()()()()()()()

 

「すっ――!?」

 

 

 ノブレスが自信満々に言い放った瞬間、ネーナが口を戦慄かせた。満身創痍で真っ白だった顔つきが、あっという間に真っ赤に変わる。気のせいか、どこからかヤカンが沸騰するような音が聞こえてきた。

 ヨハンとミハエルが大きく目を見開く。兄2人は妹の様子に戸惑っていたが、妹がくるりと振り返った。そのまま3人はそそくさと通路の片隅に集まり、何やら話し込み始める。彼女らの背中を眺めていたら、端末が鳴り響いた。

 

 連絡の主は、最近完成した戦艦――ホワイトベースの艦長からだ。新人でありながらも、その才能と腕を買われて就任した女性である。といっても、外見の年齢は少女と呼んで差支えないものであったが。

 

 そういえば、彼女のデビューは次の作戦からだったか。宇宙で展開される戦いであり、ソレスタルビーイングの救援活動に等しいものだと聞いている。派遣されるMSたちの外見はガンダムタイプだ。おそらく、敵はソレスタルビーイングの協力者と思うだろう。

 彼女本人は「ザクかジオング系がいい」と不満そうにしていた。……この発言を彼女の兄が聞いたら、高確率で嘆くような気がしてならない。彼女の兄もまた、ガンダムに搭乗するパイロットなのだから。くだらない想像を片付け、ノブレスはメッセージを読み進める。

 本来だったらスローネたちもどさくさに紛れて宇宙に上がり、プトレマイオスの援護に向かう筈だった。しかし残念ながら機体の損壊が激しく、改修したとしても、彼らの援護に向かえるかは難しい。突貫工事を施したとしても、間に合うかどうかの瀬戸際だろう。

 

 ノブレスは顎に手を当てた。体はまだふらついているが、このまま休んでもいられない。やるべきことは沢山ある。

 廊下の隅で何かを相談しているトリニティ兄妹の背中に視線を向けた。彼らには、ゆっくりと休息してもらいたかった。

 

 

「済まない、急用ができた。キミたちは部屋に行って休んでいてくれ」

 

「え、ちょ、教官!」

 

「そんな体で大丈夫なのか!?」

 

 

 踵を返した際、よろめいたのが良くなかったらしい。ネーナとミハエルが心配そうに駆け寄ってきた。少し遅れてヨハンも続く。

 

 ノブレスはくるりと振り返り、微笑んだ。

 

 

「まだまだ死ぬつもりはないよ。――僕にはまだ、やるべきことが残っている」

 

 

 脳裏に浮かんだのは、金色の機体。それに搭乗する男は、金のパイロットスーツを身に纏っているのだろう。奴の野望は、ソレスタルビーイングによって滅ぼされる。

 これからノブレスがしようとしていることは、無意味なことなのかもしれない。けれど、一族から託された使命を果たさなければ、ノブレスは前に進めない。

 思えば、最後に家族とした喧嘩もそれが原因だった。糾弾と断罪のタイミングを待とうとした家族に対し、ノブレスは早急に奴を糾弾し断罪すべきだと主張した。

 

 自分の行動が軽率だったのか、家族が考えていた以上に“奴ら”が狡猾だったのか、今となってはもうわからない。けれど、相手は自分たちの動きをいち早く掴んで、ノブレスの家族を――ライヒヴァイン一族を手にかけた。

 復讐と人は言うのだろう。それもある、とノブレスは自嘲する。けれどそれ以上に、“監視者の使命を果たし、家族が果たせなかった責務を全うする”ために、ノブレスは戦ってきたのだ。もうすぐ、その集大成が実を結ぶ。

 

 

(――ああ、長かった)

 

 

 費やされた60年間を思い返す。

 

 しかし、当然のことながら、上には上がいた。数百年の時間をかけて、いずれ訪れるであろう“対話の(とき)”のために準備を進めてきたイオリア・シュヘンベルグとその妻や協力者たちがいる。

 彼らと比べれば、ノブレスの60年なんてあっという間なのだろう。それでもノブレスは、自分が歩んできた60年間は「長かった」と思うのだ。しみじみと回想に浸るノブレスを見たトリニティ兄妹も何か感じ取ったらしい。

 3兄妹は言いたいことすべてを飲み込んだような、渋いものを食べたときのような表情を浮かべた。ノブレスを引き留めることを断念したらしく、渋々と言った様子で踵を返した。足取り重く、3人の背中は宛がわれた部屋へと向かっていった。

 

 その背中を見送って、ノブレスは廊下を歩く。

 自分が囚われてきた過去と向き合い、決別し、未来へ向かうために。

 

 

 

 

 

(『()()()()()()()()()()()』……――言質取ったりィ! 希望はまだある!!)

 

 

 ノブレスに背を向けて歩くネーナが、未来に希望を繋いでいたことを、彼は知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アオミの『知識』通り、太陽炉に搭載されていたブラックボックスは解除され、トランザムが解放された。イオリアのメッセージ内容には多少変化があったけれど、総合的に見れば、『知識』との誤差は殆どない。

 真面目な男が愛妻家になった挙句はっちゃけていたのにはこめかみが痛くなったが、その程度なら充分目を覆っていられた。『彼女』はトリニティの処分に失敗したが、暫く不安定要素――ノブレスを退場させることができる。

 保険としてサーシェスを同行させていたことが功を制したようだ。彼の能力は買っているけれど、いずれ、サーシェスは邪魔になる。『知識』から総合するに、奴を『退場』させるタイミングはこのあたりが丁度良さそうだ。

 

 理想のプランとしては、デュナメスのガンダムマイスター――ロックオン・ストラトスが家族の仇討を成功させるのが一番だろう。『知識』において、彼の死はマイスターたちに影響を与えた。特に、刹那とティエリアはその影響が顕著であった。

 弟のライル・ディランディ――2代目ロックオンの動向も気にする必要もあるが、初代――ニール・ディランディが生き残れば、弟がソレスタルビーイングに関わる可能性はぐっと低くなる。彼の実力は兄に劣るものの、至近距離での銃撃戦もこなせるため注意が必要だ。

 

 

「もし関わったとしても、兄弟の確執が残ったままだから、暫く思ったような戦い方はできないでしょうね」

 

 

 しかし、ニール・ディランディが生き残ることによって生じるデメリットがあることは事実だ。『知識』曰く、彼は2307年のガンダムマイスターの中で最強の実力を持っている。ニールが無傷で生き残ったなら、今度は障害として浮上してくるのが彼の存在だった。

 

 

「……峰討ちが妥当ね。疑似太陽炉のGN粒子をぶちまけるなり、『知識』におけるサーシェス並みの重傷を負わせて再生手術させることで時間稼ぎするなりしなくちゃ。確か、右目で3週間だったかしら。……でも、時間稼ぎばっかりしててもしょうがないし、前者よね。うん」

 

 

 丁度良さそうなものもいるし、問題ないだろう。最悪の場合は、サーシェスを『退場』させるときのドサクサに紛れればいいのだから。

 『知識』と違って生き残っているエイミー・ディランディは意識不明の重体である。そんな人間が何をできるのか。そちらは放置していても問題なさそうだ。

 『彼女』の愛機である告死天使が再び戦えるようになるためには、それ相応の時間がかかる。『彼女』が不在の間は、無垢なる子たちや『彼』に頑張ってもらうしかない。

 

 『彼』は『彼女』に遠く及ばぬ愚鈍であるが、『彼女』に対しての忠誠心が強い。元々が罪悪感から同行しているため、裏切る可能性が低いという点では、本当に頼れる相手である。

 『彼女』がアオミの“運命共同体”なら、さしずめ『彼』は自分たちの忠実な“手駒”か。例え駒が愚鈍であろうとも、駒を動かす人間が優秀であれば、活路を開くことができる。自分たちなら、『彼』を使える人間にすることができた。

 

 

「そのための力は与えたし、どうすればいいかの指示出しを行う人間だっている。……機体が暫く使えなくなった分、『彼女』も張り切ってるしね」

 

 

 アオミは端末を操作した。最後の問題は、まだ横たわっている。

 

 消去すべきイレギュラー、引き入れるべき相手、その他諸々。気にすべきことが沢山あり、正直疲れてしまう。

 けれど、これからだ。自分を蔑ろにした世界を見返し、その世界を己の想うがままに動かす。理想郷まで、あと少し。

 

 

「楽しみだわ、私の――私たちのための“理想郷”」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一夜の夢と呼ぶに相応しい短い時間。終わった後に待っていたのは、どこまでも厳しい現実であった。

 ソレスタルビーイング殲滅作戦――『夜明けの鐘(オペレーション・デイブレイク)』は最終段階に突入しつつあるらしい。

 イデアが寂しそうな顔をした理由は、この非常事態が「一夜の夢」すら赦せない程切迫していたからだったのだろう。

 

 

()()の休暇はどうだった?」

 

 

 背後から駆けられた声に振り返れば、普段と変わらぬ晴れやかな笑みを浮かべたグラハムが立っていた。

 

 

「最後とか言うな。彼女の話が途中で終わったから、()()()()()()その続きを聞かせてもらう予定でいる」

 

 

 クーゴがムッとして食い下がれば、グラハムは大きく目を見開いた。

 緑の瞳は真ん丸になり、しぱしぱと瞬く。ややあって、彼は静かに微笑んだ。

 

 

「……そうか。そうだな。()()ではない。あの逢瀬を()()で終わりにしていいはずがないんだ」

 

 

 休暇の最中に、グラハムと刹那に何があったのかはわからない。しかし、彼らは彼らで、休暇を過ごしてきたのだろう。彼らの決意を壊すような、ヤボな真似はしたくなかった。

 今日もグラハムは、GNフラッグを催促しに行くらしい。と言っても、9割がた終わっているから、GNフラッグは最終調整に入っているのだが。

 

 この調子でいけば、あと2、3週間弱で突貫工事が終わるだろう。突貫工事と言っているが、何か問題が起きたらまずいので、調整はギリギリまで行うつもりでいるらしい。ビリーや『悪の組織』の技術者たちも頑張っている。

 格納庫がてんやわんやしている様子が目に浮かぶ。今から向かうつもりだったクーゴの手には、ビリーやノーヴルたちへの差し入れが入った重箱が入った紙袋が抱え込まれていた。それを見たグラハムが感嘆の息を零す。

 一応、グラハムの分も用意している。目でそれを伝えれば、奴は嬉しそうに目を細めた。楽しみにしている、と、翠緑の瞳が瞬いた。期待に答えようという代わりに、クーゴも不敵な笑みを浮べた。

 

 自分たちは、あと少ししたら、ソレスタルビーイングの最終決戦に赴く。グラハムは刹那と、クーゴはイデアと、それぞれ決着をつけなくてはならない。

 

 宇宙(そら)では、どんな運命が自分たちを待っているのだろう。不安に思わないことはないけれど、それでも自分たちは、彼女たちと向き合う道を選んだ。

 積み重ねてきた絆や想いを踏みにじるような真似はしたくないし、彼女たちを追いかけてきた人間として、彼女たちと対をなすであろう存在として、相応しくありたいと思った。

 

 

(ああ、そういえば、彼女に確認してなかったな。……俺は、そんな存在に相応しかったのかどうか)

 

 

 そこまで考えて、いいや、とクーゴは首を振った。

 

 

(そうだな。()()()()()()、訊いてみればいいか)

 

 

 新しく抱いた希望を胸に、クーゴは一歩踏み出した。

 いつか訪れるであろう、“レティシア/イデアと笑いあう”明日のために。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。


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