大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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45.未来に託した祈り

「エピオンシステム?」

 

 

 ゼクスの言葉を反芻しながら、クーゴは首を傾げた。彼も、静かな面持ちで頷く。

 出自が元王族ということもあるのか、微笑み方ひとつにも気品が漂う。トレーズとは違う方向で、だ。

 

 そういえば、クーゴとグラハム以外の2人――ゼクスとシャアは、元々高貴な身分の出自だった。詳しい話は知らないが、現状を鑑みるに、波乱万丈な人生だったことは明らかである。

 

 

「トレーズとカタギリ技術顧問曰く、『今後開発されるシステム』……ということらしい。詳しいことはわからないが、そのシステムのテストに参加することが決まったのでな」

 

「そうか。凄いなぁ」

 

 

 年下の友人が才能を認められ、頑張っている――そのことが、我がことのように嬉しい。ゼクスの才能が周囲から認められ、とんとん拍子に出世していくことを、クーゴとグラハムは喜ばしく思っていた。同時に、「自分も負けていられない」と対抗心を燃やしたものだ。

 

 当時、自分たちは連邦軍に所属していた。所属不明の機体――後に『ガンダム』と呼ばれるものたちと戦いを繰り広げていたときの日々を思い出し、クーゴは深く息を吐く。古巣を離れて早数年。自分たちが行方不明になっている間、更なる陰謀に飲み込まれていた。

 クーゴが連邦を離れる原因になったのも、グラハムが『あんなこと』になってしまった原因の根底も、悪意と陰謀である。先で中核を担っていた/今後も中核を担うであろう『あの人』は、異種生命体――ミューカスの襲来でてんやわんやになった現状など気にしていない。

 人類同士の戦いを誘発させながら、『あの人』は、今日も世界を眺めているのだろう。自分の思うがままに世界を動かすことを目標にしているらしいが、『あの人』がそんなバカげたことに走った理由の一端を、クーゴは担ってしまっている。そのため、文句は言えそうになかった。

 

 

「おめでとう。いい成果が出ることを願ってるよ。……もっとも、ゼクスなら大丈夫だろうけど」

 

「貴方もトレーズも、過度な期待をかけるのがうまい。そこまで信頼されているとなると、どんな無理難題にでも応えたくなってしまう」

 

 

 彼はくつりと笑った。クーゴも「その気持ちはよくわかる」と言う代わりに目を細める。ゼクスの言葉は、クーゴにもそっくりそのまま当てはまるからだ。

 頼まれ事はなんとなく断りづらい、褒められたり認められると深く突き詰めていく、相方の無茶ぶりに「しょうがない」と苦笑しながらも応えようとする――。

 グラハムとゼクスは似た者同士だと思っていたが、どうやらクーゴとゼクスも似た者同士であったらしい。それを噛みしめていたら、何やら微笑ましい気持ちになってきた。

 

 年下の友人と別れ、クーゴは自分の機体の様子を確認するため格納庫に向かった。扉が開き、足を踏み入れる。

 

 クーゴの機体には、ジオンの技術者では手に負えないものがいくつか搭載されていた。『悪の組織』に所属する技術者が、ジオン――主にオルトロス隊の動向確認および技術協力のために常駐している。

 自分の愛機を確認する。深い群青(あお)の機体は、空へ飛びあがる瞬間を待ち続けていた。その隣には、グラハムが搭乗している機体もいる。般若を思わせるような仮面で顔を覆った彼の愛機は、侍という言葉が相応しい。

 

 どうやらこの機体、フラッグを大改造して作ったものだという。作り上げた張本人であるビリーも、グラハムに引きずられるような形でジオンに身を置いていた。クーゴが表舞台から姿を消した直後、陰謀に巻き込まれたためだ。

 連邦から文字通り脱出した2人だが、余波というか、後遺症(らしきもの?)は残ったままだ。ビリーはトレーズと一緒にエピオンシステム――ゼクスがテスト役に任命されたものだ――開発とグラハム機の整備時々チューンナップに明け暮れている。

 グラハムに至っては、妙な仮面を纏い、言動も大変なことになっていた。なんちゃって武士道を極めた結果、という言葉がよく似合う。愛機のデザインも、グラハムの現状を反映したかのような外見になっていた。

 

 

「うえぇぇぇ~んッ! 実戦形式の機体テストなんて、しかも私がパイロットだなんて聞いてなぁぁぁぁぁい!!」

 

 

 インカムをした青い髪の女性が、半べそをかきながら抵抗していた。それも虚しく、プラチナブロンドの髪を持つ男性技術者と、金髪の女性技術者に引っ立てられていく。

 あれよあれよという間に、女性は機体に乗せられて出撃させられていった。彼女が泣き叫ぶ声がビリビリと響いてくる。男性技術者は、いい笑顔でその背中を見送った。

 

 確か、彼女の本業はオペレーターだと聞いた。雑務と兼業している、という話を聞いたことがある。雑務という単語で嫌な予感を覚えたが、クーゴの予想通りだったらしい。

 いい笑顔を浮かべた男性技術者が、クーゴの存在に気づいたように手を挙げた。こちらも手を上げ返す。彼は、クーゴが間借りしていた組織に所属する技術者であり、パイロットであり、クーゴの『同胞』でもあった。

 この技術者も、ジオンと地球連邦の橋渡し役と平和工作の協力者である。彼の部下にして弟子である3兄妹は、別部隊で別の任務に就いているらしい。最近では「有名なアイドル歌手とお近づきになれてハイになった」という話を聞いた。

 

 銀河の妖精、超時空シンデレラ。通信から漏れた単語から想像するに、3兄妹はマクロス・クォーターと行動を共にしているのだろう。

 技術者は羨ましそうにしていたのが頭から離れない。「可変式の戦艦」の話を聞いた技術関係者どもが燃え上っていたのは、記憶に新しかった。

 

 閑話休題。

 

 機体の確認を終えて、自分たちは格納庫を後にした。今何時だろうと時計を確認すれば、会議の時間に近づいている。穏健派と改革派、腐った奴と暴走気味な奴、様々な人々の感情が渦巻く戦いの場所。考えるだけで、気が重くなった。

 

 

「会議は今日も踊りそうですね」

 

「まったくだ」

 

 

 男性技術者の言葉にクーゴも頷く。外部組織代表として、この技術者は会議に出席していた。オルトロス隊の代表として、クーゴたちも会議に出席する。

 程なくして、目的地の会議室が見えてきた。扉の前で何かを話し合っているのは、仮面の男3人組――シャア、ゼクス、グラハム。彼らは自分たちの存在に気づくと、小さく合図した。

 

 今日もまた、踊り狂うだけの会議が始まる。そう考えると、何とも憂鬱な気分になった。

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 決闘場は、大変困惑していた。

 それもこれも、グラハム・エーカー/ミスター・ブシ□ーのせいである。

 

 グラハムとの関係を暴露された刹那は、羞恥心からか顔を真っ赤にしていた。彼女の怒りを反映させたかのように、2つのゼロを冠する機体がグラハム/□シドーの機体に攻撃を仕掛ける。対するブシ□ーは「羞恥に悶えるキミも魅力的だ」なんて問題発言をしながら、彼女の機体と鍔迫り合いを演じていた。

 クーゴ含んだ大半のギャラリーは、ただただ驚きに声を上げることしかできない。「お前らいつの間にそんなことになってたんだ」と、言葉にするので精一杯だった。コネクト・フォースに所属する少女が目を輝かせ、言葉の意味を理解できなかった青年が首を傾げる。隊長は何を思ったのか、妻に連絡を取り始めた。

 審判役を買って出ていたドモンは顔を真っ赤にしてうろたえ、ボビーが「見かけによらず熱いじゃない!」と口笛を吹き、「ブシ□ーが言った言葉の意味について教えてほしい」という子ども組の質問に大人組が真っ青になり/頭を抱え、技術者の弟子で技術者に想いを寄せる少女が「そこのところ詳しく!」と身を乗り出す。相当なカオスだ。

 

 その中で、にこにこ笑っているイデアは強者と言えよう。

 

 

「は、『犯罪だけには走るな』って言ったのに……。いや、厳密的に、法律的に考えれば問題はないのかもしれないけど……でも……」

 

 

 彼女の隣にいたビリーが崩れ落ちた。余程ショックだったようで、変なオーラを背負い、「ははははは」と力なく笑っている。

 ビリーの瞳は酷く濁っていた。ブシド□と彼の愛機の勇士を見に来ていただけだというのに、とんだとばっちりである。

 

 騒然となったのはギャラリーだけではない。代表者として戦っていたアムロ、シャア、ヒイロ、ゼクスたちも度肝を抜かれた様子だった。

 

 

「な、なんて恥ずかしい奴!! シャア、お前まさか知っていたのか!? 知っていて、刹那さんとブシド□を!? だとしたら卑怯だぞ!!」

 

「知らん! 今初めて知ったぞ!! 知っていたら絶対に、こんな組み合わせなど考えなかった!! 我が同僚ながら、なんてうらやま――けしからん奴だ!!」

 

「本当にうらやま――けしからん奴だな、ミスター・□シドー!」

 

 

 思春期の少年(アムロ)と、何かを拗らせ気味だった青年(シャア)の心が同じ方向を向いていた。同志になるならないで戦っていた彼らであるが、今このとき、確かに彼らは同類(どうし)であった。

 

 

「エピオンシステムのテスト中に見えたので、まさかとは思っていたのだが……」

 

 

 額に手を当てて、ゼクスが深々と息を吐く。未来の可能性を見せることでパイロットを勝利に導く――ゼロシステムと同等の力を持つ演算システム、それがエピオンシステムだ。 

 ゼクスはそのテスト中に、刹那とグラハムの関係を垣間見ていたらしい。彼が困惑していたのは、この場でそんなことを悪意なく言い放ってしまったブシ□ーの行動だろう。

 

 しかし、あらかじめ知っていたことが幸運だったのか、彼は立ち直りが早かった。

 

 

「と、とにかく! 今はそんなことをしている場合ではない! 我々は我々で、決着をつけるぞ、ヒイロ!」

 

「……にんむ……りょうかい……」

 

 

 ライバルに促され、ヒイロは半ば呆然とした表情で頷いた。驚きすぎたせいで、何か間の抜けたような響きの声。流石のヒイロにもショックが大きかったらしい。

 茫然とするしかない周囲の状況など何のその、刹那とブシ□ーは派手な剣裁を繰り広げている。2人の周囲だけが闘技場に見えてきた。クーゴは相当疲れているらしい。

 周囲は相変わらずざわめいたまま。おかしな方向に転がり始めた『コネクト・フォース代表VSジオン軍オルトロス隊代表のガンダムファイト』の決着は、まだつきそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クーゴさん、大丈夫ですか?」

 

「――……はッ!?」

 

 

 イデアの声に現実へと引きもどされる。なんだかとっても頭が痛くなるような光景を『見ていた』ような気がした。

 詳細を思い出そうと努力したが、その光景を拒絶しようとする自分の意志の方が強すぎて、逆に何も思い出せなかった。

 心配そうにこちらを見つめるイデアの眼差しに、クーゴは苦笑した。「何でもない」と言えば、彼女は安堵したように微笑む。

 

 現在、クーゴはイデアと休暇を過ごしている真っ最中であった。

 

 おそらくこれが、2人が揃う最後の休暇になるだろう。その覚悟を固めて来たクーゴであったが、イデアに「行きたい場所がある」と連れてこられたのが、ドレスコードのある超高級レストランだった。

 何も知らされていなかったクーゴが度肝を抜かれていたとき、店員にあれよあれよと引っ立てられ、高級なタキシードに着替えさせられてしまった。社交界には何度も顔を出してはいるが、正直、そういう場はあまり好きではない。

 

 クーゴがレストラン入口に戻ってきたときには、イデアはそこにいなかった。どうすべきか悩んでいたところに、いなくなっていた彼女が戻ってきた。どこへ行っていたのか問おうとして振り返って――クーゴは一瞬、呼吸をすることを忘れてしまった。それくらい、彼女の姿は美しかったのだ。

 

 佇んでいたのは、見目麗しい淑女。ビスチェ形態の上着にスカートを付けたパーティドレス。色合いは、上半身が早朝を思わせるような淡い空色で、スカート部分は夜の海のようにどこまでも深い群青色であった。胸元と肩がざっくりと開いていたものの、完全に見せている訳ではなく、肩の端と背中にかけてはきちんと繋がってる。

 丁度、腰より少し高い位置には、可憐な花飾りのベルトがついていた。スカート部分には、海の波を思わせるような質感と光沢がある。気合が入っていたのはドレスだけでない。首元で華やぐのは、緑のビジューで花を模したペンダントだ。緑と言っても、どちらかというとペールブルーに近い色合いだった。

 耳元ではビジューを使ったイヤリングが輝く。色合いはペンダントと同じものだ。爆ぜるような光を思わせるフォルムが特徴的であった。だが、彼女の髪を束ねるアクセサリーだけは普段と変わらない。クーゴが彼女の誕生日に贈った、桜を象った銀細工の簪であった。それだけは譲れなかったらしい。

 

 

『どうでしょう? 似合ってますか?』

 

『ああ、綺麗だ。……っ、そうだ! この服は――』

 

『その服のことは心配しなくて結構です。私からの気持ちですから』

 

 

 最初はイデアに見惚れていたクーゴだったが、自分の洋服のことを思い至った。高級ブランドの名前には疎いクーゴであるが、自分が身に纏っているものがどれ程高価なのかはすぐに察せた。慌てたクーゴを見たイデアは、見るものすべてを和ませるような柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 

 

『……でも、クーゴさんに贈るより、クーゴさんに贈られる方が、個人的には嬉しいですね』

 

 

 悪戯っぽく笑うイデアの横顔から、獲物に狙いを定めた肉食動物の姿を見たような気がした。同時に、彼女が誰かから何か話を聞きだしている光景が『見えた』。

 その相手は根掘り葉掘りされることを嫌がって口をつぐんでいたが、イデアには『分かって』いたらしい。普段のように、詳細を根掘り葉掘りはしなかったようだ。

 

 自分たちの様子を見守っていた青い髪の女性と金髪の女性が、何かをひそひそ話している姿が視界にちらつく。

 そういえば、彼女たちの姿にも見覚えがあった。しかし、詳細が出てこない。そのことについて思案しかけていたところ、当人たちに窓際の席へと案内された。

 丁度、夜の帳が降りてくる時間帯だったので、夜景と談笑を楽しみながら現在に至るという訳だ。

 

 翼が描かれた銀の懐中時計を確認する。時間は夜の半ばであり、「まだまだこれから」と言えそうな時間であった。

 

 

「……あの、やっぱり、こういう場所は嫌でしたか?」

 

 

 どこか不安そうに、イデアがクーゴの表情を伺ってきた。普段のハーフトップとは違い、髪を盛るような形で上にまとめた髪型のせいか、普段とは違う印象を受ける。陶器のように白い首筋が目についた。

 

 

「確かに、社交界の場として訪れる“こういう場所”は……正直、苦手かな。でも、今はとても楽しいと思うよ」

 

 

 クーゴは慌てて首を振る。自分のたどたどしい言葉が、どれ程イデアに伝わったのかはわからない。しかし、彼女はどこか安心した様子で口元を緩めた。その様子に、クーゴも安堵する。

 自分と彼女が過ごすであろう、最後の時間を噛みしめる。少しでも長く、言葉を交わしていたい。なのに、言葉が出てこなくなってしまう。最初はそれがもどかしくてたまらなかったけれど、今は、その時間すら心地よいと思う。

 

 酷く穏やかな時間が過ぎ去っていく。楽しい(とき)は、あっという間に流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星が綺麗な夜だった。

 

 

「一度でいいから、私のことを『お父さん』と呼んでみてくれないかな?」

 

 

 頭の黒髪が寂しくなってきた男は、藪から棒にそう言った。あまりの言葉に、緑の髪の青年は煽っていたワインを盛大に噴き出してむせる。

 お前は何を言っているんだ――言葉を紡げない代わりに、青年は男を睨みつけることでそう伝える。睨まれても尚、彼はゆるりと目を細めた。

 

 

「いや、なに。キミは『彼女』のことを『マザー』と呼んで慕っているだろう? 私は『彼女』の夫だ。関係図から考えると、私は『父親』と呼ばれてもおかしくないはずだ」

 

「驚いた。天才科学者も、バカみたいな三段論法を駆使するんだね」

 

「キミは冷たいな」

 

 

 ため息をついて肩をすくめた男に背を向けて、青年は己が噴き出してぶちまけた赤ワインを処理する。

 雑巾で床を拭き取る作業をしている青年を見ても尚、男は話を止めることはなかった。内容は一緒だったが。

 「父と呼んでくれないか」、「そんなの言えるわけがない」――その応酬を繰り返す。なんだか、無駄に疲れてきた。

 

 青年は深々とため息をつく。対して、男は寂しそうに苦笑していた。

 

 正直な話、青年も男を『父親』のような存在だと思っている。色々理由はあるが、一番は『自分が『母』と慕う人物が、愛してやまない人だから』に尽きた。

 しかし、一度、青年はこの男に対して醜態を晒していた。盛大に勘違いし、盛大に八つ当たりし、盛大な誤解をしていたことを思い知らされ、愛されていたことを感じた。

 そのやり取りがあってから、青年は「いろいろめんどくさい性格になりつつ」あった。人間に近づいたということはなんとなくわかったが、こんなにも難儀するとは思わなんだ。

 

 

「……貴方が偉大だということは、身に沁みてわかっている」

 

 

 青年は、血反吐を吐くような感覚に逆らうようにして、言葉を絞り出した。

 

 

「だから、今はダメなんだ。……貴方が子どもたち(ぼくら)に託した理想(おもい)を、きちんと形にしたときじゃなきゃ。……今の僕では、貴方の『息子』として、貴方を『父』と呼ぶ資格がない」

 

 

 青年の言葉に、男は目を丸くする。そうして、何度も目を瞬かせた。

 男の瞳に浮かんだのは、驚きの眼差し。青年は男を見ずに、言葉を紡いだ。

 

 

「……貴方を『父と(そう)』呼ぶのは、すべてが終わって、貴方の理想が形になった世界を、貴方に見せたときだ」

 

 

 すべてを言いきって、青年は口元を抑えた。何故だろう、無駄に体が熱い。何というか、落ち着かない。

 ごちゃまぜになった感情に振り回される自分が許せなくて、青年はひっそりとため息をつく。

 これではますます、負けたような気がしてならない。本人のいる前は、居心地が悪い。悪すぎた。

 

 今すぐここから、脱兎のごとく逃げ出してしまいたい。しかし、青年の足は縫い付けられてしまったかのように動かなかった。

 背後から笑い声が聞こえる。自分の決意表明を馬鹿にされたような気がして、青年は振り返った。眦を吊り上げかけたところで、怒りは一瞬で萎んだ。

 

 男は笑っている。しかし、それは、茶目っ気たっぷりな笑みでもなければ嬉しそうな笑い方でもない。何かを諦めてしまったかのような、寂しそうな微笑み。

 

 どうしてだか、彼の笑い方は――青年の目に焼き付いて離れなかった。

 

 

「そうだな。……楽しみに、待っているよ」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 アレハンドロ・コーナー曰く、『この瞬間のために、コーナー家の人間は200年以上の時間をかけた』らしい。何世代も受け継がれてきた野望が、ようやく成就する。一族の悲願を成す者が自分であることに、アレハンドロは喜びを隠さなかった。

 コーナー一族は執念深い奴らであった。しかし、アレハンドロは執念よりも意地汚さと欲望の方が強かったようで、一族の悲願成就の集大成を、他の誰でもない『アレハンドロ・コーナー(自分自身)』がなし得ることを目指していた。見栄っ張りとも言えよう。

 そんな男に天使と呼ばれ、行動を共にしているリボンズ自身も「世も末」レベルである。久しぶりに会った人間が自分の様子を見たら、『沈黙後に大爆笑』か『沈黙後に後ずさりする』かの2択しか思い浮かばない。自分の『父』に当たる人なら前者だし、遺伝子提供者は後者だろう。

 

 どうでもいいことから思考を引きもどし、リボンズは最後のロックを解除した。これで、最深部にいる『彼』と対面する道が開いた。

 『彼』自身の予想よりはるかに早い段階で、目覚めの瞬間が訪れようとしている。元々賭けに近いものだったから、仕方がないのかもしれない。

 

 リボンズは息を吐き、ヴェーダを眺めていたアレハンドロを呼んだ。アレハンドロは満足気に微笑みながら、リボンズと並んで最深部へと踏み込む。

 

 

「――やはりいたか、イオリア・シュヘンベルク」

 

 

 アレハンドロは、イオリアが眠るコールドスリープ用の機材に歩み寄った。

 

 

「世界の変革見たさに、よみがえる保証もないコールドスリープで眠りにつくとは……」

 

 

 男の背中から迸ったのは、悪意。アレハンドロの目的はただ1つ――イオリア・シュヘンベルクの抹殺だ。

 リボンズは最初からそれを把握していたし、それを踏まえた行動をとるつもりでいた。

 

 アレハンドロは銃を構える。口元には歪んだ微笑。

 

 

「しかし、残念ながら、貴方は世界の変革を目にすることはできない」

 

 

 そのタイミングに合わせて、リボンズも静かに男の背中に狙いを定める。銃はいらない。この『力』を使えば、銃器を使わず人を心停止に追い込むことなど可能だ。

 

 

「貴方の求めた統一世界も、その抑止力となるソレスタルビーイングも、この私が引き継がせてもらおう」

 

 

 アレハンドロは高笑いする。世界を変えるのは、他らなぬ自分なのだと。

 リボンズは集中する。自分がこの場に留まり続けた意味を果たすために。

 

 

―― リボンズ ――

 

 

 不意に、懐かしい声がした。それを引き金に、世界は一変する。ヴェーダの内部にいたはずなのに、リボンズは違う場所に立っていた。

 見覚えのある室内。窓から見える景色は夜闇に飲まれてよく見えない。けれど、空には満天の星が瞬いていた。その光景は、いつかと同じ夜を思わせる。

 目の前にいたのは、1人の男だった。他の誰でもない、イオリア・シュヘンベルクその人だった。何が起きたかわからずに、リボンズは目を瞬かせる。

 

 彼は『人間』だったはずだ。だから、“こんな芸当などできるはずがない”。理由が分からずにいると、イオリアは笑った。

 

 

―― いいんだ ――

 

 

 いいって、何がだ――リボンズの口から、その言葉は出てこなかった。まるで喉に何かが詰まったかのように、何も言えなくなる。

 イオリアは笑う。いいんだよ、と、曖昧なことを言って。覚悟を決めたように清々しい笑みを浮かべた彼は、慈しむように目を細めた。

 

 

―― 希望が花を咲かせ、実を結ぶのならば……私は喜んで、その礎となろう。あるいは、引き金か ――

 

 

 何を言っているのだ、この男は。

 

 背中を冷たいものが撫でる。どうしてだか、男の存在が、酷く遠い。動かなければと思っても、拘束されてしまったかのように動けなかった。

 振り払えるほどお粗末なのに、抗えないほどの力に組み伏せられている気分になる。「どうして」――やっと紡げた言葉は、弱々しく、お粗末なものだった。

 イオリアは、リボンズの問いに答えない。応えようとすらしない。彼の眼差しは、未来よりもはるか遠くを見つめている。自分たちでは到底届かない、遠くの場所を。

 

 リボンズ、と。また、名前を呼ばれた。

 イオリアは静かに目を細める。

 

 

―― “備えあれば患いなし”、というだろう? ――

 

 

 茶目っ気たっぷりに笑った男は、後ろを振り返った。机の上にパソコンがある。画面は明るく光っており、プログラムの羅列が点滅していた。

 イオリア・シュヘンベルクがチェスの名手だったことを知っているのは、彼の妻や友人たちと、古参のイノベイドであるリボンズぐらいだ。

 彼は読んでいた。自分の計画を阻害しようとする人間が現れることも、その対手に対しての対抗手段(カウンター)も、予め準備していたのだ。

 

 

―― さて。……これからは、死後の世界(あの世)の研究でもしてみようかな。それもまた、一興だろう ――

 

 

 次の瞬間、一際激しい銃声が世界を壊す。リボンズが息を飲んだとき、イオリア・シュヘンベルクが眠るカプセルは銃弾がぶち込まれていた。何発も、何発も、コーナー家の執念を示すかのように。

 心臓を、脳を、顔を、肺を――ありとあらゆる場所を蜂の巣にされた男の躯。冷凍睡眠のカプセルは、彼の棺へと姿を変えた。リボンズは何もできなかった。自分なら、この結末を回避する力があったはずなのに。

 

 アレハンドロが笑うのを待っていたかのように、けたたましい警報音が鳴り響いた! 何が起こったのかわからず、奴は周囲を見回す。大きな画面が展開して映像が映し出された。

 画面に映し出されたものの意味を、リボンズは一瞬で理解した。つい先程、イオリアが『見せた』もの――カウンタートラップ。息を飲み、リボンズは画面に見入る。

 つい先程命を摘み取られた男は、愛用の椅子に腰かけていた。普段のような仏頂面に、どうしてだか涙が出そうになる。もう、イオリアはそんな表情を浮かべることもなければ、お茶目に笑うこともないのだ。

 

 彼は粛々と言葉を紡ぐ。この映像は、ソレスタルビーイングのクルーたちにも配信されていた。

 

 

『この映像が流れているということは、残念ながら……私の求めている世界にはならなかったようだ』

 

 

 イオリアは深々とため息をつく。

 

 

『人間は愚かで戦いを好み、世界を破滅に導こうとしている。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、お構いなしという訳か』

 

 

 『ああでも、もしかしたら、多元世界などなっていなければ、クレディオが来襲してすらいないのかな? だから暢気に内輪もめをやっていられるというわけか。お気楽なことだ』――イオリアは重々しく呟いて、目を閉じる。

 彼の言葉の意味を理解していないアレハンドロは目を点にして首を傾げる。大方、馬鹿なことを言っていると思っているに違いない。イオリアの発言は、虚憶(きょおく)関係の情報がベースになっていた。

 

 

『……だが、私はまだ人類を信じ、力を託してみようと思う』

 

 

 イオリアは静かに目を細める。

 

 彼が語り掛ける相手は、遠い未来で、オリジナルの太陽炉/GNドライブを有する機体(ガンダム)に搭乗するパイロットと、天上人を構成する人々。

 GNドライブの全能力を開放する――イオリアの言葉を引き金にして、GNドライブのブラックボックスが解除された。トランザムシステムが、正式に使えるようになったのだ。

 同時に、マイスターたちやプトレマイオスクルーに関するデータが一括削除される。どさくさに紛れて、リボンズも友人とその弟子たちに関するデータを消去した。

 

 

『君達が真の平和を勝ち取る為、戦争根絶の為に戦い続ける事を祈る。ソレスタルビーイングの為ではなく、君達の意志で、ガンダムと共に』

 

 

 頼まれごとを終えたとき、別画面に映し出されていた映像が切り替わる。スローネツヴァイの偽物を駆るサーシェスと、エクシアを駆る刹那が戦っていた。有利なのはサーシェスである。

 次の瞬間、2人の戦力がオセロのようにひっくり返った。トランザムを解放したエクシアが、スローネツヴァイの偽物を撃退したのだ。撃墜までには至らなかったものの、トランザムの試金石としては充分な結果だ。

 

 ソレスタルビーイングに伝えるべき内容のメッセージは、ここで終わっていた。しかし、映像はまだ続いている。

 

 

『さて、ここからは私信だ。……まずは――』

 

『イオリアー、ヤボ用はまだ終わらないのー?』

 

 

 イオリアが何かを言おうとしたとき、部屋の外と思しき所から声が聞こえた。リボンズにとって、馴染み深い女性の声だった。

 まさかの展開に、イオリアは何とも言えない表情を浮かべて振り返る。彼女の乱入は予想外の珍事だったらしい。

 カメラが回っていることなどすっかり意識の外に追いやってしまったのか、彼は画面から姿を消した。扉が開く音がする。人は映らない。

 

 

『すなまい、ベル。あともう少し待ってくれないか』

 

『えー!? なんでー!? 夜戦の準備は万端なのにィ!! 用具類は今日のうちに天日干ししたし、お風呂で体中念入りに洗ったし、“ピー(規制)”とか“ピー(規制)”とかのグッズだって用意して、Yes枕片手にずっと待ってたのにー!!』

 

『本当にすまない。今すぐにでも夜戦に突入して、“ピー(規制)”とか“ピー(規制)”とかしたいのは山々なのだが、大切な映像記録を残している最中なんだ』

 

 

 あまりの状況に、アレハンドロが大きく口を開けて茫然としていた。対して、リボンズはあわや吹き出す一歩手前である。

 遠い昔、当たり前のように聞いていた騒音だ。と言っても、このやり取りはまだ「序章」と言うべきものであったが。

 

 一歩間違えれば何かに引っかかってしまいそうな単語のやり取りを続けた後、イオリアはどうにか妻を宥めることに成功したようだ。彼女は一端立ち去ったようで、暫くの間をおいて、イオリアは部屋へ戻って来て椅子に腰かけ直す。

 

 

『話が脱線してしまったな。まずは――』

 

 

 イオリアは言葉を続けた。最初にメッセージを送った相手は、エルガン・ローディックである。『この映像が流れたとき、自分は確実に死んでいるだろう。自分亡きあと、妻のことをよろしく頼む』というものだった。

 2番目は、親友の意志を継ぐ者へのメッセージである。彼の系譜はソレスタルビーイングに所属することが決まっていた。『あの2人の想いを受け継いで、天上人の守護者として、来るべき(とき)のために彼らを守ってくれ』というものだった。――そうやって、イオリアは沢山の人々に言葉を残す。

 

 

『そして、最後に……愛する家族たちへ』

 

 

 彼は静かに目を細めた。その眼差しの先に、女性とリボンズがいる。

 映像を見ていたリボンズは直感した。

 

 

『まずは謝らなくてはいけないことがある。私は、自分の結末を知っていたんだ』

 

 

 その覚悟も決めていたのだ、と、彼は笑った。

 

 

『尤も、この映像を見るときには、既に“キミ”は気づいているのだと思う。力があろうとなかろうと、他人のことに対して聡明な“キミ”のことだ。私から聞き出していることだろう。……流石は私の妻だ。そこにますます惚れ直してしまったよ』

 

 

 そして、と、付け加える。

 

 

『この映像が流れているということは……私はキミに、『お父さん』と呼んでもらえなかったらしい』

 

 

 リボンズは大きく目を見開いた。映像の中のイオリアは、寂しそうに笑っている。星の綺麗な夜に見た横顔と同じ表情だ。

 何かを諦めてしまったかのような、けれども決意と覚悟に満ちた微笑。あの日、リボンズの脳裏に焼き付いた表情がよぎる。

 

 

『生きているうちに、一度でいいから、呼ばれてみたかったよ。……いや、無理だろうな。キミを不安のどん底に追いやった私が、キミの『父』を名乗るに相応しい人間になれるはずがなかったんだ。何分、父親としては不適合者だったからな』

 

(そんなことはない。そんなことはなかったんだ)

 

 

 彼の言葉を否定しても、イオリア本人にリボンズの声が届くはずがない。何より、今は、それを口走ってはいけないとわかっていた。

 申し訳なさそうに苦笑するイオリアの姿は、遠い。数百年隔てた画面の向う側にいる彼に答える術は、何もなかった。その現実が、酷く、胸を痛める。

 後悔しなくていいと『父』は言った。自慢の息子だと『父』は言った。『母』を頼むと『父』は言った。――出会えてよかったと、『父』は言った。

 

 リボンズは画面を見つめていた。

 目を話してなるものかと、目を逸らしてなるものかと、必死になってその光景を焼き付ける。

 

 

『イオリアァァァァッ!!』

 

 

 次の瞬間、扉が吹き飛ぶ音がした。間髪入れず響いたのは、先ほどの女性の声。

 イオリアが慌てて立ち上がり、また画面から消えた。男女の声が響く。

 

 

『何度もすなまい、ベル。あともう少し待ってくれないか』

 

『私は我慢弱い! ってか、さっきからもうずーっと待ってるのよ!? こんなの苦行だわ!!』

 

『私だって苦行だ。はやくキミと“ピー(規制)”や“ピー(規制)”がしたい。“ピー(規制)”や“ピー(規制)”だってしたい。だが、あと少しなんだ。辛抱してくれないか』

 

『……わかった。“ピー(規制)”しながら待ってる』

 

『そうしてくれ。早めに終わらせて、すぐに行くから』

 

『…………その代わり、今夜は絶対に眠らせないからね!!』

 

『心得た』

 

 

 会話は終わり、イオリアが戻ってきた。椅子に座り直し、咳ばらいする。

 

 

『それじゃあ、最後に。……月並みな言葉で申し訳ないが、受け取ってほしい。――愛しているよ、2人とも』

 

 

 慈しみに満ちた黒い瞳が、まっすぐにリボンズを映す。彼の眼差しの先に、リボンズと“彼女”がいるのだろう。痛む胸に染み入るように、不思議な熱が滲んだ。

 そのまま映像が終わっていれば最高だったのだが、現実は綺麗なものではない。画面が真っ暗になる。映像が切れる直前、カメラはイオリアの言葉を拾い上げていた。

 

 

『…………ええと、精力剤はどこにやったかな?』

 

 

 ちょっと待て。

 

 リボンズとアレハンドロは、同じことを考えたらしい。同じタイミングで、眉の端をぴくぴく動かした。そのツッコミを切り捨てるように映像が途切れる。幾何の沈黙の後、アレハンドロが勢いよくテーブルを殴りつけた。

 神を気取る理想主義者め、と、奴は吐き捨てるように言い放つ。その両目から血涙が流れていたように見えるのは気のせいだろうか。そういえば、アレハンドロは名門家の当主であるのに、30代過ぎても未婚だったか。

 『父』らしい映像だ。リボンズはちょっとだけ口元を震わせた。自分は今、情けない顔をしているに違いない。今は泣くときではないと自分自身に言い聞かせ、リボンズは前を向いた。アレハンドロが項垂れている。

 

 いつか、遠い場所で『彼』に会ったとき、胸を張って『父』と呼び、『息子』と呼ばれるに相応しい存在になりたい。

 新しい目標を抱える。『父』から託された想いを抱いて、リボンズは改めて未来へ向かって歩き出すのであった。

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。




【参考および参照】
『ウェディングドレス専門サイト,オーダーウェディングドレス、パーティードレス、タキシード、ウェディング小物など結婚式用品販売-GoldenDown』より、『ショートドレス ビスチェ ニーレングス ブラック』(デザインのみ)
『パーティドレス通販 GIAL』より、『フラワービジューネックレス グリーン』、『スパークルピアス ミルキーグリーン』(デザインのみ。作中ではイヤリングに改編)

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