大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season> 作:白鷺 葵
「よし、これで整備は完了だ!」
ビリーはやり遂げた笑みを浮かべて振り返った。彼の後ろには、ピカピカに輝くクーゴとグラハムのフラッグ。
巣立ち前の鳥のように、2機は静かな面持ちでいた。飛び立つ瞬間を、今か今かと待ち焦がれているように見える。
心なしか、フラッグも嬉しそうだ。そんな愛機を見つめていると、クーゴも心が明るくなる。
普段ならばビリーに差し入れを持っていくのだが、今回は突発的に同行したため、何も持ってきていなかった。そのことを謝罪すれば、彼は朗らかに笑って首を振る。
「いつもいつも、差し入れ貰ってるから」とビリーは肩をすくめる。今までのおいしいご飯に対するお礼だと彼は言うけど、クーゴにはそんな自覚はない。
「今度、お礼にドーナッツ持ってくる」
「わあ、嬉しいなぁ! 今度は何味のジャムか、楽しみにしてるよ!」
「任せろ。期待に応えよう!」
子どものように諸手を挙げて喜ぶビリーに、クーゴは満面の笑みを浮かべて親指を立てた。
今度もまた、ジャムを添えたドーナッツを作ろう。そういえば、最近は親戚からルバーブが、コーラサワーからはカルヴァドスが大量に贈られてきたか。後者は「『不死身』の名付け親になった」ということからえらく懐かれた結果である。
丁度いい。この2つを使ったジャムを作ろう。ビリーのドーナッツだけでなく、贈り主であるコーラサワーにも、お返しとしてそれを送ってあげよう。味覚が肥えている(であろう)フランス人のお眼鏡に適うといいのだが。
カルヴァドスが届いた時期と前後して、コーラサワーから「サルミアッキが倒せない」とメールが来ていた。フィンランド出身のカティが食べていたお菓子に手を出したら、あまりのマズさに醜態を晒したらしい。
サルミアッキを食べれなかったコーラサワー曰く、「大佐がこちらを見る目が冷めていた」らしい。彼は彼なりに、カティ・マネキンを攻略しようと頑張っているようだ。
その様子が、嘗て『刹那を攻略しようと奮戦するグラハム』の姿にダブって見えて、なんだか放っておけない。方向性の斜め度合とか、本当によく似ている。
不意に視線を感じて振り向けば、グラハムが慈しむように目を細めているところだった。手には、相変わらず空色の扇子。宝物に触れるかのような手つきも変わらない。
「なんだよ」
「いいや。ここは平和だと思ってな」
グラハムはくつくつと笑っていた。何の含みもない、子どもみたいな笑い方。
そう、ここは平和だ。世界が混迷していようと、確かに変わらないものがある。
自分たちが世界と呼ぶには、とてもちっぽけなものだ。それでも大切なものだった。
外はとっぷりと日が暮れてしまっている。2機のフラッグをフルタイムで整備していたのだから、時間もあっという間に過ぎ去るだろう。
整備を終えたビリーがこちらを向いたとき、丁度いいタイミングで彼の腹が鳴いた。クーゴとグラハムは思わず吹き出し、ビリーが気まずそうに苦笑する。
「お礼の予定を変更だ。夕飯は何をご所望で?」
「おいしいご飯がいい! キミのおまかせで頼むよ、シェフ・ハガネ!」
「私も是非、それにあやかりたいなあ!」
クーゴの提案に、グラハムとビリーが諸手を挙げて賛成したときだった。基地内に、大音量のサイレンが鳴り響いた!
何事かと耳を立てれば、新型ガンダム4機がユニオン領に出現したという内容だった。ガンダムの飛来予測値であるポイントにある施設は、アイリス社の軍事工場。クーゴとグラハムのカスタムフラッグとオーバーフラッグス部隊が搭乗するオーバーフラッグのライフルを生産していた会社だ。
奴らの狙いである軍事工場は、確かに兵器を生産している。兵器は戦争を加速させるのも事実だ。ソレスタルビーイングの理念からしても、存在を赦せるものではないだろう。だが、働いているのは民間人である。そこまで考えて、偽物たちが何を考えているのかを理解してしまった。
また、罪を重ねる。そうして、罪を背負わせる。クーゴは思わず歯噛みした。手袋がざりりと嫌な音を立てる。隣にいたグラハムも、怒髪天を突く勢いで表情を歪ませている。緑の瞳には、激しく揺らめく焔が燃えていた。
グラハムは、何か言いたげにこちらを見た。クーゴはそれを一瞬で理解する。
偽物たちの好きにさせてはいけない。民間人の命も、好敵手の誇りも、踏みにじられてたまるものか。
クーゴも頷き返した。そうして、今度はビリーの方へと向き直る。伊達に数年来の付き合いをしてきたのだ、「つう」と言えば「かあ」と返す仲である。
「まさか、キミたちだけで出撃するつもりかい!? 無茶だよそれは!」
まだ何も言っていないのに、ビリーは顔を真っ青にして右往左往した。彼の心配はもっともだが、自分たちにだって譲れないものがある。
「そんな道理、私の無理でこじ開ける!」
「今までも無茶ばかりしてきたんだ。これから先も変わらんよ」
緑の瞳が強く叫ぶ。それを受けて、クーゴもまた頷き返す。困惑気味な鳶色の瞳がたじろいだ。
しばしの沈黙。先に値を上げたのは、ビリー・カタギリ技術顧問である。彼はため息をついて、肩をすくめた。
「さっきも言った通り、フラッグの整備は万全だ。いつでも出撃できるよ」
「サンキュ、ビリー。お礼の予定だが」
「わかってる。ドーナッツ、楽しみにしてるから。……だから絶対帰ってきてくれよ、2人とも!」
「了解!」
「心得た!」
ビリーの言葉に、クーゴとグラハムは真剣な面持ちで頷いた。慌ただしく更衣室へ向かい、パイロットスーツに着替える。
どの道、後から他の部隊が向うのだ。先行するという形でなら、出撃許可は下りるだろう。自分たちが出撃する大義名分もそこそこに、クーゴとグラハムのフラッグは夜空を飛んだ。
雲に覆われた夜空を翔る。程なくして、戦うべき相手が見えてきた。ソレスタルビーイングや自分たちの顔に泥を塗りたくる偽物たちだ。4機の偽ガンダムも、自分たちの接近に気付いた様子だった。
アイリス社の軍事工場は、真っ赤な炎に包まれている。逃げ惑う人々の悲鳴が『聞こえた』。そんな声などお構いなしに、いや、むしろ踏みにじるかのように、奴らは攻撃を続けていた。
故に、尚更、彼らの行動を止めなくては。
空を切り裂くようにして、クーゴとグラハムのフラッグが急降下する!
「やはり貴様らかぁぁぁぁッ!!」
阿修羅を思わせるようなグラハムの横顔が『視えた』気がした。コンマ数秒で、グラハムのフラッグは隣にいたクーゴのフラッグを追い抜く。
彼の黒い機体が、青い燐光を纏っているように見えたのは、気のせいだったのだろうか。考える間もなく、クーゴもグラハムに続いた。
「おおおおおおおおおおおおおおッ!!」
(――ッ、いつにも増して恐ろしいな!?)
怒りに満ちているためか、グラハム機のライフルから撃ち放たれる攻撃は、雨あられを通り越して滝のようだった。
クーゴのフラッグも、牽制としてライフルを撃ち放った。それを、4機の偽物たちは簡単に回避する。それくらい予測済みだ。
急降下の勢いを利用し、偽物たちの反撃を回避する。追尾する自立兵器を振り切り、ビーム攻撃の雨あられを縫うようにして躱した。
勢いを相殺するようにして、隊長機が空中可変する。先ほど整備したばかりだというのに、フラッグの関節から火花が散った。それでも、グラハムのフラッグは、彼に応えるように空を翔る!
彼のフラッグは、『連邦の白い悪魔』を模した黒い機体へと肉薄した。青い燐光がきらりと爆ぜる。
プラズマソードを鞘から引き抜き、振り下ろす。刹那、偽物がビームサーベルを引き抜き、寸での所でそれを受け止めた。
「どれ程の性能差があろうとも……!」
刃同士が鍔迫り合いを演じる。
「今日の私は!」
隊長機のカメラアイが、グラハムの気迫をフィードバックさせたかのように輝いた。
その気迫のせいか、他の3機は身動きが取れずにいる。
「阿修羅すら凌駕する存在だぁッ!!」
青が爆ぜた。それに呼応するかのように、フラッグの動力部が白く火を噴く。
機体性能共々、状況がオセロのようにひっくり返る。
鍔迫り合いに勝利したのはフラッグだった。体勢を崩した『連邦の白い悪魔』の偽物へ再び肉薄した。彼の左手にも、プラズマソードが握られている。
二刀流。見よう見まねではあるけれど、グラハムが何を参考にしたかは一瞬で合点がいった。ガーベラストレートとタイガー・ピアスを使って戦う、クーゴの戦術である。
『連邦の白い悪魔』の偽物はグラハムの気迫に押されている。双剣とビームサーベルが再び火花を散らした。青い燐光が瞬く。再び、隊長機は鍔迫り合いに勝利した。
赤いビームサーベルがくるくると宙を舞う。グラハムのフラッグは手に持っていた双剣を手放し、跳躍するように加速する。
『ザコのくせに、ちょこまかと!』
『連邦の白い悪魔』の偽物は、背中に搭載された自立兵器を一気に展開しようとした。
「させるかぁ!」
クーゴは即座にフラッグを空中可変させると、グラハム機が投げ捨てた双剣をキャッチした。即座に、投擲の要領で投げつける!
用途外の使い方だが、投げつけたプラズマソードは青い光を纏い、吸い込まれるかのようにして自立兵器に突き刺さった。
迸る紫電に、子どもが驚いたような声を上げる。そのコンマ数秒間で、グラハムのフラッグはビームサーベルをキャッチした。
先ほどの跳躍で偽物より高い位置にいたグラハム機は、ビームサーベルを振り上げた。迎え撃つ『連邦の白い悪魔』の偽物は、使い物にならなくなった自立兵器を諦め、ビームガンを構えようとした。
敵の動きを上回る勢いで、グラハムのフラッグはビームガンを一刀両断する! 子どもが愕然とした表情で、真っ二つになったビームガンを見つめている姿が『視えた』。心なしか、涙目になっているような気がする。
「まだだ!」
動きが止まった指揮官機へ、隊長機が追撃へ移る。フラッグは軋んだ音を響かせながら、再びビームサーベルを振りかぶった。
次の瞬間、子どもがニヤリと嗤ったのが『視えた』気がした。それを皮切りに、グラハム機の背後に他の2機が迫る。
殺気に気づいたグラハムのフラッグが振り返った。クーゴの背中に、一際激しい悪寒が走る。反射的に、操縦桿を動かした。
『目標視認。“とっておきの呪文”で、嬲りものにする』
『よーし、墜とすぞー! 『母さん』に褒めてもらうんだ!』
『お前なんて、死んじゃえばいいよ!』
子どもの声がした。どこまでも無邪気な声だった。
『兄さん、ダメだよ! 隊長機は墜としちゃいけないって、『母さん』が……』
『黙れよ! フラッグなんだから、みーんな同じだ!』
子どもが咎める声がした。けれど、その意見は切って捨てられる。
クーゴはフラッグを加速させた。悪寒はどんどん酷くなっていく。凄まじいGが体を襲う。悲鳴を上げてしまいそうになったが、必死に歯を食いしばった。
先程の隊長機がやらかした動きに比べれば、クーゴの動きはそこまで派手ではない。距離も直線。こんなので弱音を吐いていたら、副官を名乗ってなんかいられない。
あまり飛ばしすぎたせいなのか、走馬灯が見えかけた。青い空、そこで待っていると微笑んだ、沢山の人たち。自分が歩いてきた道が、浮かんでは消えていく。
そのすべてを振り払うように、更にフラッグを加速させた。
気のせいか、視界の端に青い燐光が見えた。
『ト』
3機の機体が赤い光に包まれた。
『ラ』
青い光が煌めいたのが、視界の端に見えた。
『ン』
距離が詰まる。
『ザ』
距離を詰める。
『ム!』
フラッグの攻撃圏内に、届いた。
3機が動き出し、グラハムに攻撃を仕掛けようとする!
それよりも早く、クーゴはガーベラストレートを引き抜いた!
「ウチの隊長を、墜とさせてたまるかァァァァァァァッッ!!」
その咆哮と同時に、視界一杯に青い光が爆ぜた。
◆
イデアは見ていた。見えるはずのない紫の瞳で、その光景をはっきりと『視て』いた。
青い光が、夜闇を切り裂くように輝いていたのを。
カスタムフラッグが、鮮やかな青い光を身に纏っている姿を。
動き出した偽物3機に対し、一撃を叩きこんだガーベラストレートの軌跡を。
偽物たちが構えていたビームガン/サーベルが吹き飛ぶ。斬り飛ばされた部分は、空中で爆散してしまった。
子どもたちの悲鳴が『聞こえる』。その直前、相手を確実に屠るために繰り出された銃弾は、隊長機の推進部分を掠った。
悲鳴を上げていた隊長機には辛かったのだろう。ぐらりと体勢が傾いた。パイロットであるグラハムは呻きながらも、どうにか体制を整える。
(『目覚めの日』)
クーゴ・ハガネの翔るフラッグに起こった現象が何か、イデアは知っていた。
(目覚めたんだ。私たちと同じ、
空よりも青く、雄大で鮮烈な
おそらく、この光景を見ているノブレスも、イデアと同じ気持ちでいるのだろう。
(おめでとう。歓迎するわ、我が『同胞』。……貴方が目覚めるのを、ずっと待っていた)
場違いだとは知りつつも、賞賛の言葉を贈らずにはいられない。
イデアは心の中でそう呟いた。美しく輝く
偽物たちは機体の動きを止めた。どうしようかと迷っているらしい。
青い光を纏うフラッグは追撃とばかりに刀を構える。赤い光を纏う機体を翻弄するかのように、青い光が軌跡を描く。まるでそれは流星のようだ。
相手よりも早く、クーゴのフラッグは刀を振るった。縦横無尽に空を駆け抜け、敵の攻撃を躱し、自らの攻撃を的確に叩きこんでいく!
剣の軌跡が閃くと同時に、偽物の脚/手が斬り飛ばされた。それらは空中で爆発を起こす。爆風すらをも切り裂いて、クーゴのフラッグが偽物たちに迫った。
「おおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
しかし次の瞬間、フラッグの推進部が爆発を引き起こした! がくん、と、フラッグが傾く。
「嘘だろ!? よりにもよって、こんなときに……!!」
「クーゴ!」
傾いた相棒を助けようとして、満身創痍の隊長機が動こうとした。次の瞬間、何かを察知した隊長機が無理矢理急加速する。助けるべき相手を追い抜く勢いで、だ。
新手を告げるレーダーが鳴り響いた。間髪入れず、上空から毒々しい光が雨あられとなって降り注ぐ。そのうちの一発が、隊長機の推進部に着弾した。
それが致命傷になったらしい。推進部が爆発し、火を噴いた。
「ちぃ……!!」
衝撃に、グラハムが呻いた。傾いた2機が高度を落とす。それを狙い、脚や腕を斬り落とされた偽物たちが攻撃を仕掛けようとしていた。
『よくも、よくも! 俺たちをバカにしやがって!!』
『ザコのくせに! お前らみんな死んじゃえばいいんだ!!』
『今度こそ、確実に墜とす!!』
子どもの感情は、フラッグへの憎悪に満ち溢れている。
これ以上、偽物たちの好きにはさせられない。イデアは即座に操縦桿を動かす。スターゲイザーが、クーゴの翔るフラッグの元へ飛び出した。
スターゲイザーと並んで飛び出したのは、刹那とエクシアである。彼女が向かう先は、グラハム・エーカーが翔る隊長機だ。
伸ばした手がフラッグの手を掴む。そのまま思い切り引っ張って、態勢を整えてやった。ぽかんとこちらを見返すクーゴの顔が『視える』。
視界の端で、エクシアに引き上げられたグラハムのフラッグが見えた。彼も、顔を顰めながらこの状況に茫然としている。
この場にいるのはエクシアとスターゲイザーだけではない。デュナメスが、ヴァーチェが、スローネ3機が、偽物たちを取り囲む。
「なんと……! ガンダムがこんなにも……壮観だな」
「壮観通り越して、もうどうしたらいいか分からないレベルだって」
満身創痍でも軽口をたたき合う2人に、これなら大丈夫だなと安堵する。
通信越しから、イデアは刹那にアイコンタクトを送った。それを理解した刹那も頷き返す。
2人は他の面々に「フラッグを基地まで送ってくる」と伝え、戦場から離脱しようとした。
逃さないと言わんばかりに、再びレーダーがけたたましく鳴り響いた。ぞっとする悪寒に、イデアは顔を上げる。
クーゴはこの殺気に覚えがあるようで、その答えを手繰り寄せようと必死になっていた。
発信源を辿れば、先程フラッグに攻撃を仕掛けた場所と同じである。
「超強大なエネルギー反応!?」
「しかも、反応は上空からか!」
ロックオンとヨハンが、禍々しい赤と紫の光を捉える。
「やべえ……あんなの喰らったら、ひとたまりも!」
「こんな、こんなことが……!!」
ミハエルとティエリアが愕然とした表情を浮かべた。
「あんなの、反則すぎるでしょ……!」
ネーナは顔を真っ青にしている。
「く……!」
刹那が険しい表情を浮かべた。心なしか、エクシアはフラッグを庇おうとしているかのような体勢を取る。
砲撃は充填された。迷いも躊躇いもなく、その一撃はこちらへと降り注いだ。禍々しい色の、極太のビーム攻撃。イデアは即座に操縦桿を動かす。
タクマラカン砂漠で解放した『力』を、もう一度使うのだ。出し惜しみをすれば、この場にいる全員が命を落とすことになるだろう。
それでも止められるという保証はない。下手をすれば、力を打ち破られる危険性もあり得る。それでも、なにもしないという選択肢は存在しなかった。
「皆、一か所に集まって! あのときみたいになんとかするからっ!!」
イデアの言葉に、チーム・プトレマイオスの面々は即座に頷いた。意味を理解していないトリニティ兄妹や、抱えられたままの隊長および副隊長が首を傾げる。
いいから、とイデアは一喝した。それに渋々従うような形で、他の面々も一か所に集まる。全員、効果の範囲内。確認したイデアは、即座にシールドを展開した。
青い光が爆ぜる。タクマラカン砂漠でイデアが使った防壁が、この場で再び展開した。宝石を思わせるような壁が出現する。それを取り巻くように、強い風が舞い上がった。
巨大なレーザー砲がシールドとぶつかる。それは派手に火花を散らした。壁はみしみしと軋んだ音を立てる。イデアは歯噛みしながら、力を行使した。引いたら負ける。
しかし、レーザーの出力が予想以上に強い。防壁の一部をレーザーが貫通し、小さな穴をあける。そこから漏れた光が大地を焼いた。
仲間たちの不安げな声が『聞こえる』。その気持ちは尤もだ。防壁の一部が壊され、その穴からレーザーが漏れだしているのだから。
イデアは必死になって防ごうとする。自分の気持ちとは正反対に、防壁はみしみしと軋んだ。穴の数はどんどん増えていく。自分たちがいる場所に穴が開かないことが、数少ない幸いだった。嫌な汗がこめかみを伝って流れ落ちる。
不意に、誰かの手が操縦桿を握り締めていた右手の上に重なった。見れば、クーゴがイデアの手に手を重ねて、降り注ぐ禍々しい光を見据えていた。本人はまったくもって自覚がないけど、覚醒した力を使って、イデアを助けてくれているのだ。
『くそっ。俺には、見てることしかできないってのか……!?』
クーゴが苦い表情を浮かべているのが『視えた』。そんなことはない、と、イデアは微笑む。
彼が力を貸してくれるおかげで、防壁は修復されていく。穴もふさがれ、軋んだ音もしなくなった。
肩に手を置かれたことに気づいて振り返れば、ノブレスとリボンズの姿が『視えた』。彼らも力を貸してくれたらしい。
イデアは前を向いて、降り注ぐ砲撃を睨みつける。負けて、たまるか!
「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
防壁が眩いばかりに輝く。美しい宝石のようなそれは、ビームの一撃を完全に防ぎ切った。大きく息を吐きだして、イデアはそのまま座席にもたれかかる。
イデアたちが防御で手一杯だった隙をついて、偽物が撤退していく。彼らは薄墨色の雲の中へと消えていった。逃げられた、と、誰かが悔しそうに呟く。
周囲に静寂が広がった。ガンダムたちも、スターゲイザーやエクシアが抱えたフラッグも、あの攻撃に被弾しなくて済んだらしい。偽物たちには逃げられたが、皆無事だったことに安堵する。
今度こそ、エクシアとスターゲイザーはユニオン基地へ向かう。他の面々にその旨を伝えて、天使と天女は空を翔けた。他の面々はそれぞれ帰投していく。プトレマイオスとトリニティの面々は、なんとか互いの認識を改めた様子だった。
顔を出さず、通信回線を開く。
「クーゴさん、大丈夫でしたか?」
「あ、ああ。……また、キミに助けられたな」
クーゴが苦笑した気配が漂う。いや、実際に苦笑している姿が『視えた』。イデアはゆるゆる首を振る。
「そんなことないです。私も、貴方に助けられました」
自覚が一切ないクーゴは首を傾げる。
イデアは微笑んだ。そうして、言葉を続けた。
「いいんですよ。私は知っているから、それでいいんです」
◇
「ぐぅ……ッ!」
ヘルメットの保護用バイザーを外して早々、グラハムは苦悶に顔を歪めて口元を覆った。ごほ、と、何度か咳込む。見れば、手袋にはべったりと赤が付着していた。
体が悲鳴を上げている。情けないことだが、最大旋回の戦闘で生じたGに耐えられなかったらしい。口から伝い落ちる血を乱暴に拭う。半ば強引に、鉛の味を飲み下した。
ふと見上げれば、不安そうな表情を浮かべた刹那の姿が『視えた』。まるで、グラハムの思考回路が彼女に『伝わった』かのようだ。
そういえば、以前にも――初めて彼女が翔るガンダムと戦ったときも、似たようなことがあったように思う。何者だと問われた気がして、グラハムが己の名を名乗った。
場違いなことを思い出したせいか、グラハムは懐かしくなった。そのまま、刹那の不安を拭おうとして目を細める。浅い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……すまない。私では、一矢報いるので手一杯だった」
できれば、あの偽物たちはこの手で討ち取りたかった。刹那とガンダムとはまた違う意味で、だ。
奴らは尊敬する相手の命を奪った。フラッグファイターの仲間を傷つけ、矜持に泥を塗った。それだけではない。最愛の
偽物を翔るパイロットは子どもばかりだった。それこそ、機体を玩具のように扱い、人の命を玩具のように弄ぶ。無邪気さゆえの残虐さが強調されたような、殺戮兵器と呼んでも過言ではない。
あの戦い方には、刹那のような誇りもなければ矜持もない。だからこそ、グラハムは偽物たちを赦すことができなかった。刹那とガンダムに惚れ込み、彼女たちを墜とすのは己だと自負しているが故に。
「
グラハムは苦笑しつつ、続ける。
「だが、今回の一件で、私はますますキミに惚れ直したよ。それでこそ我が好敵手だ。……尤も、私の方が、キミの好敵手を名乗るに値しないのかもしれないが」
不意に、刹那の手が頬に『触れた』ような気がした。労わるような手つきに、グラハムはゆるりと目を細める。
先程の無茶な戦闘による反動がフィードバックされたように、体が軋む。それでも、グラハムは刹那へと手を伸ばした。
グラハムの手が刹那の頬に『触れる』。慈しむようにして彼女の頬を撫でれば、刹那は困ったように口元を歪ませた。
『あんた、馬鹿だろ』
「そうだな。ことに、キミとガンダムのことに関しては」
グラハムがくつくつ笑えば、刹那は深々とため息をつく。『視』間違いでなければ、彼女の口元がわずかに緩んだような気がした。
未だに彼女が笑う姿を見たことがない。今みたいに柔らかな顔を見せるようになったものの、笑顔はまだまだ遠そうだ。
『……でも、あんたの気持ちは、嫌じゃなかった。――ありがとう、グラハム』
今、間違っていなければ、刹那が微笑んだような気がした。おまけに、滅多に呼ばない名前を呼ばれたような気がする。
不意に差し込んだ光に、思わずグラハムは目を覆う。再び目を開けたとき、『視えていた』はずの刹那の姿はなくなっていた。
その代わりに、広がったのは夜明けの光だ。薄闇は晴れ、地平線の向うから、眩く輝く朝日が顔を出す。紺色の空は、鮮やかな蒼へと色を変えつつあった。一歩遅れて、ユニオン基地が見えてくる。
グラハムは通信を開き、帰投とガンダムは敵ではないという旨を告げた。クーゴも同じことを通信から伝えたらしい。基地から攻撃部隊が発信する様子はなかった。そのことに、グラハムは内心安堵する。
ユニオン基地の面々がガンダム/ソレスタルビーイング憎しの感情を漂わせていたことは知っている。ガンダム/ソレスタルビーイングと言う存在に対し、世界がナーバスになっているのも知っていた。
ややあって、翼が折れたフラッグたちは大地に降り立った。自分たちを送り届けたことを確認し、天使たちは空へ戻る。
間髪入れず整備班が駆けつける。コックピットから降り立ったグラハムは振り返り、天使たちの姿を見送った。
その隣に並ぶようにして、クーゴが立った。彼もまた、ガンダムたちを見送るためにやってきたのだろう。
「なんとか五体満足で帰ってこれたな。あの2機のおかげで」
クーゴは眩しいものを見るような眼差しを空に向けた。
「そうだな。感謝しなくてはならないだろう」
グラハムも頷き、空を見上げる。
天使たちは、水平線の向う側へと消えていった。
◆
「用事は終わったのですか?」
不意に声をかけられ、アオミはヘルメットを外した。コンソールに表示されたキーボードを叩いて、帰投用のプログラムを起動させる。
「ええ。まったく、あの子たちったら……」
アオミは肩をすくめる。子どもたち――海月、厚陽、星輝は、自分の忠告を守ろうとしなかった。宙継に至っては、戦おうとすらしないから論外である。皮肉にも、論外の宙継がアオミの言いつけを守ったということになった。
端末に戦闘データを取り、確認する。端末画面には、トランザムを上回ってガンダムたちを追いつめたフラッグの様子が映し出されていた。そのフラッグの異変は、青い燐光を身に纏っているという点に尽きた。
こんなのは、アオミの『知識』にはない。疑問に思って端末を操作すれば、その答えは別なところから示される。表示されたのは、『Mu』という項目。それを確認し、アオミは忌々しそうに眉をひそめた。
この世界がアオミの『知識』と違う方向に動く理由であり、危惧すべき『存在』である。
ただでさえ忌むべきだった『イレギュラー』は『Mu』に『目覚めた』のだ。本人は自覚していないだろうが。
本格的に、『イレギュラー』の抹殺に動かねばならないだろう。アオミにとって都合の悪い『変化』は、きっちり『修正』しておかねばなるまい。今までの状況を分析し、整理する。
「ルイス・ハレヴィにはアロウズに行ってもらわなきゃいけないから、もうちょっとテコ入れは必要よね。絹江・クロスロードは『知識』通りに死んでもらって、沙慈・クロスロードの憎しみの起爆剤になってもらわなくちゃ。それから、それから――」
「私“たち”も、そろそろ準備をしなきゃいけませんわね」
アオミは歌を歌うようにして諳んじる。それを聞いた少女は割り込むように言った。
それを聞いたアオミは、諳んじるのをやめて振り返った。その横顔には、深い微笑が浮かんでいる。
「ヴェーダに記録されていた
「本当!? 図面で拝見したときから、ずっと楽しみだったの!」
少女はパァッと表情を輝かせた。アオミも促すように手招きした。少女とその執事も、アオミに続いて地下に下りた。
地下ドックには、開発中の機体が眠っている。女性を思わせるようなフォルムの機体が、静かに起動する
その隣に並ぶのは、すらりとした体躯の赤い機体。黒い機体の隣に控えるかのような佇まいは、搭乗するであろうパイロットの姿を連想させる。
そこへ、帰投の連絡を告げるブザーが鳴り響いた。海月たちである。もう少ししたら、援軍として送り込んだ
満身創痍のνガンダム・プロヴィデンス、スローネ・ディミオス、スローネ・ドロフォヌスが、転がるようにして格納庫へ帰ってきた。その脇に、静かに降り立ったのはスローネ・イリスィオスである。
子どもたちがコックピットのハッチから這い出てきたのと同じタイミングで、援護に向かわせたMAが帰ってきた。羽を広げた鳥を連想させるようなMAは、ゆっくりと格納庫へ降り立った。高貴な紫色が光を反射し輝く。
「『母さん』、ごめんなさい」
「でも、おれたち負けてないよ! 負けてないよ!!」
「なんだよあのフラッグ! あいつ、絶対落としてやる……!」
厚陽、星輝、海月がそれぞれ意思を表す。それを聞いたアオミは微笑みながらも、3人を叱責した。
「あれ程『隊長機を狙うな』って言ったでしょう? 今度から気を付けなさい」
「はーい」
3人は申し訳なさそうに頭を下げた。彼らはこれで充分である。
残る問題は、宙継だ。アオミは眦を吊り上げる。
「宙継。貴方はどうして戦おうとしないの」
「…………ごめんなさい」
宙継は視線を落とした。悲しそうな眼差しは、アオミの大嫌いな弟を連想させる。
ああ、なんて腹立たしいのだろうか。アオミは忌々しくなって、宙継の元へと歩み寄った。
己の感情をぶつけるように、アオミは宙継の頬に平手打ちを喰らわせる。宙継は、抵抗すらしなかった。
その様すら弟に似ていて、余計に苛立ちが募った。
「ちゃんとしなさい。……これ以上、私を失望させないで」
これではきりがないので、アオミは激励の言葉を投げつけながら、宙継を突き飛ばすようにして送り出した。
よろめきながらも、宙継は兄たちの背中を追っていく。こんな性格のため、彼は跡取り候補の中で一番序列が低かった。
しかし、世の中何が起こるかわからない。跡目争いが起こったとしても、複数の子どもたちがいれば、万が一の事態に備えられる。嘗て母もそうやって、アオミに跡取りとしての教育を叩きこんできた。
アオミはそれをきちんとこなした。だけれど、評価されるのはいつも弟の方だけだ。衝撃を与えれば折れてしまいそうなほどひ弱な上、跡取りとしての教育に耐えられるような体ではないからと甘やかされてきた。
弟は優秀だった。何事もそつなくこなすことができたし、何をやらせてもうまくいく。努力をすれば倍近くの成果が得られるような存在だった。奴のせいで、アオミは陰に追いやられた。何をやっても蔑まれ、認められなかったのだ。
奴さえいなくなれば、アオミは認めてもらえる。正当な評価をしてもらえる。
――そう。弟/『イレギュラー』さえ、いなくなれば。
「でも、これで、偽物たちを表に出せなくなってしまいましたわね。……まあ、貴女のことだから、他に手は打っているのでしょうけど」
少女は機体を眺めながら呟いた。彼女の言葉通り、子どもたちの機体はイリスィオスを除いて満身創痍である。
機体の武装は、『イレギュラー』の翔るフラッグによってほぼ叩きのめされていた。あの機体全てを修理することにこだわれば、第1幕は終わってしまうだろう。
アオミは頷いた。そうして、端末でデータを示して見せる。『無垢なる子』たちが搭乗する、“本当の機体”の図面だ。少女は感嘆の声を上げる。
「この子たちを、後に設立される国連軍に入れるよう手配する予定よ」
「アレハンドロ・コーナーですね」
滅多に言葉を発しない執事が、呟くような声色で言った。アオミは頷く。
「そして、もう1人。彼専用のガンダムとして、ドロフォヌスを改修して提供する」
アオミは端末を動かした。映し出されたデータは人物のものである。
茶髪の髪を無造作に伸ばした男の写真。伸ばされた顎髭も特徴的であった。
「他にも、きちんと根回しはしておくわ。世界は未だに、トリニティやソレスタルビーイングを悪だと信じ切っている。真実が出回ることはないもの」
「『運命』は、私たちの味方ですものね」
アオミと少女は微笑みながら、顔を見合わせた。秘密を語る2人の面持ちは、まるで乙女のようであった。
クーゴ・ハガネの災難は続く。
【参考および参照】
『COOKPAD』より、『野菜ソムリエのルバーブとカルバドスジャム(kr。さま)』