大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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39.ワールドブレイク

「――なんだとッ!?」

 

 

 端末で話をしていたグラハムが、血相を変えて声を荒げた。酷く焦っているように見える。

 彼は荒々しい語気で一言二言会話したのち、乱暴に端末を切った。

 

 クーゴたちが何があったかを尋ねるより、グラハムがその答えを述べるほうが早かった。

 

 

「所属不明の機体が、ユニオンのMSWAD基地へ接近中! 出撃準備を!」

 

「なんだって!?」

 

 

 仲間たちにそれだけ促して、グラハムは疾風のように部屋を飛び出した。クーゴや他のフラッグファイターたちもそれに続いた。

 基地に謎の機体が接近しているという異常事態故に、パイロットスーツに着替える手間すら惜しい。煩わしさや、逸る気持ちとの戦いであった。

 手早く着替えを終わらせ(それでも、自分がもたついているような気がして腹立たしかった)、即座に格納庫へと走る。コックピットに乗り込み、出撃準備は完了である。

 

 ハッチが開き、ようやくオーバーフラッグス隊は空へと飛び出した。曇天を切り裂くようにして、全速旋回で基地へ向かう。

 体に凄まじいGがかかってきたが、今の自分にとっては「だからどうした」の一言で切り捨てられるような気がした。

 

 あの基地には、自分たちの僚友がいる。自分たちと同じ軍人、MS開発に関わる技術者、軍に関わっているものの正式な所属が民間人である者等様々だ。戦闘員も非戦闘員も、同じ場所で仕事をしている。軍の基地が襲撃されるということは、彼らの命も危ないということだ。

 

 

(ビリー! エイフマン教授!)

 

 

 クーゴの脳裏に浮かんだのは、年上の友人とその師匠の笑顔だった。

 三国軍事演習に行く前のやり取りがフラッシュバックする。

 

 ドーナッツの差し入れをしたら「売り物のドーナッツじゃ満足できなくなってきたら責任取ってね」と茶化してきたビリー。紅茶のパウンドケーキが気に入ったようで、「今度はわしがブレンドした紅茶で作ったパウンドケーキを持って来よう。キミにばかり作らせていては申し訳が立たんからな」と朗らかに笑ったエイフマン。

 

 間に合え。間に合え。間に合ってくれ!

 祈るような気持ちで操縦桿を動かす。

 程なくして、MSWAD基地が見えてきた。

 

 黒煙が漂っている。通信も混乱しているらしい。それもそうか、管制塔がなくなっている。何もかもが吹き飛んで、更地になっている。

 広がっていたのは惨状だった。吹き飛ばされた施設、黒煙が漂う滑走路、担架で担がれていく者やぴくりとも動かない人間たち。

 

 

「我々の基地が……!」

 

「酷い……酷すぎる。こんなの、ただの虐殺じゃないか!!」

 

 

 グラハムとクーゴは、思わず叫んでいた。生存者を探すことが絶望的な光景だ。何人の人間が、ここで死に絶えてしまったのだろう。

 

 惨状のど真ん中にいたのは、4機の機体だった。先程テレビで見た、新型ガンダム――ではない。外見のディティールは非常によく似ているが、全くの別物だ。

 その証拠に、機体のカラーリングが本物より少しだけ暗い色合いになっている。おまけに、指揮官機らしき機体は『連邦の白い悪魔』ではない。

 機体の色は黒ずんでおり、背中に背負った自律兵器のフォルムも違う。『連邦の白い悪魔』が折りたたまれた片翼なら、こちらは広げられた片翼だ。大きさも、こちらの方が大きい。

 

 偽物だ。クーゴはそう直感する。

 間髪入れず、ハワードやダリルが反応した。

 

 

「違う……。こいつら、身なりは新型とよく似ていますけど、全然違います!」

 

「隊長、こいつ違います! 『ソレスタルビーイング』じゃありません!」

 

「見ればわかる!」

 

 

 グラハムの声は、酷く感情的だった。燃え盛る炎に油とアルコールとニトログリセリンを注ぎ、ダイナマイトを投げ入れたくらいの勢いがある。

 不意に、鬼のような形相を浮かべるグラハムの横顔が『視えた』。いつか見た、何かに取り憑かれてしまったかのような歪んだ表情とよく似ていた。

 

 

「――グラ……ハム、……クー……ゴ」

 

 

 不意に、ノイズまみれの通信が開いた。かすれた声であるが、声の主はすぐにわかった。

 我らが誇る技術班のビリー・カタギリである。どうやら彼は無事だったらしい。

 クーゴが安堵し、彼の無事を喜ぼうとしたときだった。それが帳消しになる爆弾が落とされたのだ。

 

 

「……教授が……、……エイフマン、教授が……!」

 

 

 『視えた』のは、エイフマンがいたはずの建物だ。最上階の部屋でデータのまとめをしていたエイフマンとビリーが談笑している。

 部屋を出たビリーに対し、エイフマンは「もう少し残る」と言い残し、部屋に残っていた。彼がいた建物を見やる。原型など留めていなかった。

 

 瓦礫の山。たなびく黒煙。それが意味することは、ただひとつ。

 

 レイフ・エイフマンは、この襲撃によって犠牲になったのだ。

 無事でいて欲しいと願った人物の訃報に、クーゴは思わず歯噛みする。

 

 

『赦さない』

 

 

 声が『聞こえる』。

 グラハムの声だった。

 

 

『奴らは我々の仲間たちを傷つけ、恩師や仲間の命を奪った!』

 

 

 声が『聞こえる』。

 グラハムの声だった。

 

 

『それだけでなく、あの機体は……私の天使たち(刹那とガンダム)の誇りまで汚した!!』

 

 

 不意に、何かがフラッシュバックする。アザディスタンの宮殿、非武装で歩みを進める白と青基調のガンダムの背中、『今度こそ、ガンダムに』と響いた少女の声。

 酷く大人びた少女が背負ったのは、小さな背中にはあまりにも重すぎる正義だった。誰よりも優しい少女が挑むには、あまりにも過酷な道だった。

 男の腕の中で、声を殺して泣く少女の姿が『視える』。男性はグラハムだ。ならば、彼の腕の中で泣きじゃくっているのは、刹那以外考えられない。

 

 彼が烈火の如く怒る理由は2つ。『仲間を傷つけられ、恩師や仲間たちの命を奪われたこと』と、『追いかけるべき好敵手であり、愛する天使たちを汚されたこと』に起因している。

 

 

「――もう我慢ならん! 堪忍袋の緒が切れた!! 赦さんぞ、貴様らァァァァッ!!」

 

 

 綺麗に組まれた隊列から飛び出した隊長機が一気に加速した。

 クーゴも彼に続く。グラハムは即座に、仲間たちへと指示を飛ばした。

 

 

「全機、援護を! フォーメーションD!」

 

「了解!」

 

 

 空を切り裂くようにして、フラッグは一気に急降下した。それを見たガンダムたちも動き出す。黒基調の機体、橙基調の機体、黒い片翼を持つ機体がフラッグを迎え撃つように飛び出した。ワンテンポ遅れて、ワインレッド基調のガンダムが3機に随伴する。

 橙基調の機体の手元から、大量の自立型兵器が飛び出してきた。それがどうした、と言わんばかりの勢いで、隊長機は難なく兵器の群れを回避すると、ガンダム目がけてライフルを撃ち放った。敵は、真正面から被弾する。それでも、傷つけるには至らない。

 攻撃の手は緩めなかった。クーゴもライフルの照準を合わせ、ガンダム目がけて撃ち放つ! 他の面々も、すれ違いざまに橙色の機体へ集中放火を行った。そのまま方向を切り替え、黒基調の機体や黒い片翼を持つ機体にも同じように攻撃を喰らわせる。

 

 相手も黙ってやられていた訳ではない。自律型兵器が縦横無尽に飛び回る。突き刺さって爆発するタイプのものだけでなく、複数の端末からレーザー攻撃を行うものもあった。

 爪のような武器を回避し、降り注ぐレーザー攻撃やキャノン砲を縫うようにして、フラッグたちはライフルを喰らわせた。何発もガンダムの機体に直撃させる。

 

 機体は全く揺るがないが、何度も被弾しているのだ。パイロットの精神に負荷をかけることはできているだろう。次第に、ガンダムのパイロットたちは自分たちに翻弄され始めた。メンタル面は未熟らしい。

 

 

(あの機体、回避と威嚇射撃しかしてこないな……)

 

 

 視界の端にちらつくワインレッドは、こちらの攻撃を紙一重で避けている。

 他のガンダムが被弾し翻弄されている中で、妙に異質な印象を受けた。

 

 

『こんなのおかしい!』

 

 

 不意に、子どもの声が聞こえてきた。

 

 

『おれたちの機体の方が強いのに! なんだよ、なんだよっ! あいつらはヤラレ役のはずなのにぃ!!』

 

『オーバーフラッグったって、ただのザコだろ!? それなのに……!』

 

『この計算でいくと、作戦時間が予定より3分オーバー。……『母さん』に怒られる……!』

 

 

 癇癪を起したような、甲高い声。余程追いつめられているのか、焦りの色が見える。子どもたちの怒り方は、姉とよく似ていた。

 

 

「くっそ、好き勝手に撃ってきやがって……やりづらいったらありゃしねえ! 兵器(それ)は子どものおもちゃじゃないってのに!!」

 

 

 レーザーを縦横無尽に撃ち放つ自立型兵器の攻撃を回避しながら、ジョシュアがギリギリと歯を食いしばる。

 三国合同軍事演習のとき以上に、飛び出したくても飛び出せない状況下だ。苛立たしくなる気持ちもわかる。

 

 しかし、その感情のままに攻撃すれば、目の前で蹂躙するガンダムやそのパイロットたちと同レベルになってしまう。

 

 

「子どもの躾も大人の役目だ!」

 

「本気になった大人の怖さを思い知れっ!」

 

 

 ダリルとアキラを中心とした面々が、ライフルで連続攻撃を繰り出した。彼らと合流するように、ジョシュアのフラッグもライフルを撃ち放つ。

 怒涛の勢いで弾丸を叩きこまれても尚、ガンダムには傷1つつかない。だが、黒基調、橙基調、黒い片翼のガンダムの動きに乱れが出てきた。

 対して、ワインレッドは紙一重だが的確な回避を行っている。「反射神経がいい」という言葉で片付けるには、些か疑問が残る。

 

 どちらかといえば、「敵の手を読む」と言った方がよさそうだ。

 

 件のワインレッドは、接近戦を仕掛けようとしたフラッグを回避し、威嚇射撃を行う。

 狙って『当てる』のではなく、狙って『かすめ』ようとしているのだ。そんな芸当、どの軍のトップガンでも難しい。

 

 

(なんてパイロットだ……)

 

 

 黒基調のガンダムの攻撃を回避しながら、クーゴはワインレッドの機体を操る相手に注目した。不意に、子どもの声が聞こえてくる。

 

 

『死にたくない。でも、相手の人にも死んでほしくない……! だから、戦わなきゃ。戦わなきゃ、他のみんなに殺される……!!』

 

 

 悲鳴だ。あのパイロットは、泣いている。

 戦いたくないと言いながらも、戦わなければもっと酷い光景が待っていることを『知っている』。

 

 

『こんなはずじゃなかったのに! おれが一番強いのにっ! なんでフラッグごときに勝てないんだぁっ!?』

 

『ドロフォヌス! お前が『遊んでから帰ろう』なんて言うから、作戦時間が……』

 

『うるさい! だまれよディミオス! おまえが弱っちいのが悪いんだろ!? ちゃんとしないから、ザコのフラッグに勝てないんだよ!』

 

『またそうやってぼくの悪口ばかり……! 言うならフラッグの悪口だけにしておけ!』

 

 

 黒基調のガンダムと橙基調のガンダムのパイロット同士が喧嘩を始めた声が『聞こえた』。責任の擦り付け合いに夢中になっている。

 その感情を反映するかのように、2機の動きが雑になった。次の瞬間、それを待っていたかのようにしてフラッグが飛び出す!

 

 飛び出したフラッグに搭乗していたのは、ハワードだ。彼の向かう先には、ドロフォヌスと呼ばれた橙基調のガンダム。

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

 飛行形態で急接近し、そのまま空中可変。プラズマソードを引き抜いて、ハワードのフラッグはドロフォヌスに肉薄した。

 ビームサーベルとプラズマソードがぶつかり合う。2つの刃が激しく火花を散らしていた。鍔迫り合いを繰り広げる!

 

 

『な、なんだよ! ユニオンのくせにぃ! よわっちいフラッグのくせにぃぃ!!』

 

「――これ以上、我が軍とフラッグを愚弄するなぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 パイロットの言葉に火がついたのだろう。激高したハワードの気迫が、フラッグにそのまま宿ったかのようだった。その想いが、機体性能をひっくり返す。

 普段の彼だったら、大人げないと笑い飛ばす案件だ。だが、この子どもはその理論を振りかざして、ユニオンの基地を吹き飛ばし、沢山の人を殺したのだ。

 いくら子どもだからと言っても、赦せないことがある。この状況で黙っていられるわけがない。いや、大人であるからこそ、この状況に怒りを爆発させたのだ。

 

 鍔迫り合いに勝利したのは、ハワードのフラッグだ。

 フラッグのプラズマソードに弾き飛ばされた、敵のビームサーベルが宙を舞う!

 

 無防備になったドロフォヌスへ向かい、ハワードのフラッグがプラズマソードを振り上げた!

 

 

「これが、ユニオンの……フラッグの力だ!!」

 

 

 刹那、あらぬ方向へ飛んでいた自立型兵器が向きを変えた。それは迷うことなく、ハワードのフラッグへと牙を向く!

 背中を向け、感情のままに刃を振り下ろすハワードは、まだ気づいていない。

 

 寒気がした。

 

 脳裏に『視えた』のは、爪の名を冠する武器によって磔刑に処されたフラッグ。光が消えた機体が、そのまま爆散した光景だった。

 フラッグという機体に対する誇り・情熱・希望を託し、息絶えたのは誰だった? ――その答えを、クーゴは『知っている』。

 クーゴが操縦桿を動かした。飛行形態のまま、一気に加速する。このままだと、自分が『知っている』光景が広がるだろう。

 

 

「ハワード、後ろだ! 逃げろぉぉ!!」

 

「!?」

 

 

 クーゴの声に、ハワードが気づいた。しかし、牙はまっすぐにフラッグを捉える。

 フラッグ同士の距離では間に合わない。それでも、クーゴは翔ける。

 

 戦友を失いたくない。その想いが、今の自分とフラッグを突き動かす。

 

 

「ぐわあああっ!」

 

 

 ハワードの悲鳴と爆発音が響く。撃ったのは、ワインレッドの機体。ハワードのフラッグが煙を上げて落下していく。

 煙が出ていた場所は、フラッグの推進力を司る背中。ほんの一瞬、自律兵器の動きが止まった。子どもの驚きに呼応したかのようだ。

 

 しかしそれも束の間。体勢を崩し落ちていくフラッグへ、自律兵器が容赦なく襲い掛かる!!

 

 

「ハワードォォォォォォォ!!」

 

 

 不意に、フラッグのコックピット席で目を見開くハワードの姿が『視えた』。クーゴは思い切り手を伸ばす。こちらを見上げた彼が、酷く驚いたように間抜けな声を漏らした。

 だが、クーゴの必死な表情を見て何かを察したのだろう。ハワードも、こちらに対して手を伸ばしてきた。クーゴの手がハワードの手を掴む。そのまま、全力で引っ張り上げた。

 

 次の瞬間、世界が一変する。クーゴは自分のフラッグの操縦席に座っていた。手を伸ばし、ハワードの手を掴んだはずなのに、その手には何もない。間髪入れず、フラッグが磔刑に処された。

 

 四方八方から飛来した爪が、フラッグを貫く!

 命の燈火が消えるかのように、頭部のカメラアイから光が消えた。

 

 数秒の間をおいて、ハワードのフラッグが爆発する。

 

 

「ハワード!」

「ハワード・メイスゥゥゥゥン!!」

 

 

 仲間たちの悲痛な叫びが響く。特に、グラハムの声が一番激しく響いていた。

 クーゴは愕然とした。確かにこの手は、ハワードの手を掴んだはずだったのに。

 

 

『なんだ。おまえ、ちゃんとやれるじゃないか』

 

『見直したぞ、イリスィオス。評価を改めなくてはな』

 

『……うん』

 

 

 ドロフォヌスのパイロットとディミオスのパイロットに褒められているにも関わらず、イリスィオスと呼ばれた機体のパイロットは嬉しくなさそうだった。

 

 

『なあ、帰ろうぜ。随分遅れたから、『母さん』きっと怒ってるよ』

 

『そうだな。寄り道なんてしなければよかった』

 

 

 黒い片翼のガンダムに促され、ディミオスとドロフォヌスが空へと向かう。イリスィオスと呼ばれたパイロットはちらりとこちらを見た後、カメラアイを下の方に向ける。

 しかし、イリスィオスはすぐに顔を上げ、他の兄弟たちの後を追いかけるようにして空へ上った。赤い粒子をまき散らしながら、4機のガンダムは消えていく。

 

 他の仲間たちがガンダムらに攻撃を仕掛けようとしたが、グラハムがそれを制止した。無策に突っ込めば、ハワードの二の舞になると踏んだためである。

 

 誰も、何も言えなかった。失ったものの大きさに打ちひしがれ、クーゴは操縦桿を握り締める。

 踏みにじられ、汚されたものの数を数えた。エイフマン、ハワード、基地で知り合った人たち、好敵手の誇り……考えるだけで、胸が痛い。

 ガンダムたちは空へと消える。クーゴたちは、それをただ見送ることしかできなかったのだ。何もできなかった。

 

 

「――聞こえますか? 返事をしてください! オーバーフラッグス部隊の皆さん、誰か、誰か!!」

 

 

 幾何の沈黙の後、ノイズまみれの通信が入った。声の主は少年のものだ。聞き覚えのある声。

 その声の主に思い当たったグラハムが、クーゴよりも先に、ぽかんとした表情で彼の名を呼んだ。

 

 

「ベルジュくん……?」

 

「ああ、グラハム()()!」

「ばかアーニー! ()()上級大尉だって何度言ったらわかるんだ!」

「ご、ごめん……」

 

「しっかりしてください! もうちょっとですから……!」

「死んじゃダメです!」

 

 

 通信の主は、『悪の組織』から派遣されてきた技術者のものだ。アニエスの隣には、同じ技術者のジンもいるらしい。

 後ろの方から少女の声が聞こえてくる。声は、サヤとアユルのものだ。2人は誰かの手当てをしているらしい。背後から呻き声が聞こえた。

 

 

「うぅ……ぉ、俺は、生きてるのか……?」

 

 

 誰かの声に似ている。つい数秒前まで、もう二度と聞けないと思っていた人間の声だ。フラッグの爆発とともに、命を散らしたとばかり思っていた人物の声だ。

 

 呻き声の主の様子を見たであろうアニエスとジンは、「ちょっと待っててください」と言った。

 ざりざりとノイズが入る。絞り出すような声が、通信機越しから響いた。

 

 

「た、たい、ちょ……、ふく、たいちょ……」

 

「っ!? ハワード・メイスン!」

 

 

 グラハムの表情に光が差したのが『視えた』。他の仲間たちにも、光が次々と広がっていく。

 

 生きていたのだ。ハワードは、寸前のところで脱出していた。呻き声の具合やサヤとアユルの会話から、重傷ではあるが命に別条はないことを聞き取る。

 後からやってきた女性――ノーヴルも手当に加わった。彼女の話も総合すると、『一端離脱はやむを得ないが、治療やリハビリをすれば復帰可能』ということらしい。

 

 

「も……しわけ、……りま、せ……」

 

「謝る必要はない。生きていてくれて、よかった……!」

 

 

 痛みを堪えて謝ろうとするハワードを制し、グラハムは噛みしめるように言った。

 クーゴも頬を緩ませる。曇天の切れ間から、温かな光が差し込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワイドショーは今日も大騒ぎである。『ソレスタルビーイングの新型ガンダムの介入により、ユニオンのMSWAD基地が壊滅した』というニュースだ。

 内容は『新型ガンダムたちはPMCトラストのMDを殲滅した後、ユニオンのMSWAD基地を襲撃した』というものらしい。

 

 客間のテレビは、淡々とその映像を映し出していた。

 

 部屋の持ち主の裕福さを示すかのように、ブランド家具で統一された部屋。

 絢爛豪華とは言わないものの、格調高い雰囲気が漂ってくる。

 

 

『……成程。そう来たか』

 

 

 眉間に険しい皺をよせて、リボンズがテレビを眺める。彼の隣に座っていた青年も、似たような表情を浮かべていた。

 黙認および静観の立場を取るしかなかった三大国家陣営の中で、ユニオンがソレスタルビーイングに厳しい舵取りをするのは明白である。

 あそこまで派手に基地を潰されて、憎しみの芽が発芽しないはずがない。いずれそれは大きく育ち、天使を穿つことになるだろう。

 

 『本当のこと』を見据える者たちも、実を結んだ憎しみの前に飲み込まれてしまうのだ。世界の流れは、天使を()とす方向へと変わっていく。

 

 

『初っ端からテコ入れする可能性も考慮に入れていましたが、やられると辛いものがありますね。で、あっちの方は?』

 

『この情報を信じ切っている可能性が高いよ。何せ、彼らが一番信頼しているモノからもたらされたものだからね』

 

『『星を見る者』や『他の皆』に救援を頼むのは、文字通りの“最終手段”なんですけど……手札を切るしかなさそう、か』

 

 

 青年は深々とため息をついた。まずは手始めに、と、リボンズへ眼差しを送る。

 リボンズは肩をすくめた。「自分たちだけでは厳しい」とでも言いたげな表情だった。

 

 青年は端末を取り出し、『他の皆』へ連絡を送る。すぐに返事が帰ってきた。

 アプロディア、フェニックス、アメリアスらを筆頭にして、『是』の返答である。

 これでどうだと眼差しを向ければ、リボンズは満足げに微笑んだ。

 

 

『この面々が協力してくれるのに、僕たちが何もしないわけにはいかないね。……それに、この布陣で負ける姿なんて考え付かないよ』

 

 

 自信満々で言いきったリボンズに、青年は釘を刺す。

 

 

『ダメですよ、リボンズ。想像してください。でなければ、その末路は死ですよ?』

 

『……キミ、昔からその台詞好きだね。虚憶(きょおく)の加藤機関は、そんなに素晴らしいところだったの?』

 

『素晴らしいかどうかのコメントは控えますが、ソレスタルビーイングと似たような組織でしたよ。その意図に気づいていた者は少なかったでしょうがね』

 

 

 青年は懐かしむように目を細めた。虚憶(きょおく)の中で出会った人々のことを辿るように、ゆるりと目を閉じる。その世界で、青年は加藤久嵩と親交があった。

 ある世界では教え子と共に加藤機関の6番隊として力を振るい、ある世界では彼の協力者として共に戦った。またある世界では、同じ部隊で戦う仲間として交友を深めた。

 どの虚憶(きょおく)も、青年にとっては大切なものだ。バレンタインで動乱が起こったり、加藤が匙を投げたくなるような出来事が頻発したり、様々なものがある。

 

 回想に浸りかけていた青年の思考回路を遮ったのは、客間の扉が開く音だった。金色を纏った栗色の髪の女性と、鳶色の髪の男性がやって来る。

 彼ら――特に男性は、青年とは旧知の仲であり、ある意味、青年が恋のキューピット役になったカップルたちでもあった。根掘り葉掘りしていただけだったのだが。

 

 

「活動を休止したと聞いたから、出席して頂けないのかと思っていました。しかも、サプライズまでしていただけるなんて……」

 

「いえいえ。キミたちの恋路は、ずっと気にしていましたから」

 

 

 青年の言葉に、男性ははにかんだ笑みを浮かべた。隣に寄り添う女性も、幸せそうに目を細める。

 

 幸せそうなカップルを見ると、心がほっこりする。

 だが、その裏で、血涙を流す自分がいることもまた事実なのだ。

 

 青年は意地悪く微笑み、からかうように言葉を紡いだ。

 

 

「しかし、こういうのを逆玉の輿って言うんですよね。AEUの財閥――ハレヴィ家と関わりのあるご息女と、芸能関係の仕事に就いていたキミが結婚するってのは」

 

 

 それを聞いた男性と女性は照れたように笑っていた。数日後、彼らはタキシードとウエディングドレスに身を包むのだ。そうして、幸せへと一歩踏み出す。

 彼らの姿を思い浮かべて、青年は緩やかに目を細めた。そのとき、男性が何かに気づいたように鼻をひくつかせた。違和感を察知した彼は、こてんと首を傾げる。

 

 

「気のせいかな。……テオさん、焦げ臭くないですか?」

 

 

 青年――テオはぎくりと体をすくませた。思わず「そうですかね?」と取り繕う。話題をそらすため、テオは打ち合わせを始めるよう、2人に進言するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハワードのお見舞いに来たら、惨劇が広がっていた。

 何を言っているかわからないと思うが、クーゴも状況についていけない。

 

 病室の床に散乱するのは、毒々しい鉛色の粒と液体だった。鼻を衝く臭いは妙に甘ったるい。チョコレートや練乳、蜂蜜等の甘味を派手にぶち込んで、これでもかと言わんばかりにじっくりコトコト煮込んだのだろうか? 体に悪そうなラインナップである。

 真っ白のシーツやベッドは所々鉛色の斑点が飛び散っている。そのど真ん中で、ハワード・メイスンは本気(マジ)泣きしていた。正直、例えはかなり悪いが、その様は『恋人の前で屈辱的な目に合った』かのような泣きっぷりであった。

 ベッドの脇では、ダリル・ダッジとアキラ・タケイが共闘し、ジョシュア・エドワーズとやや暴力的な口論を繰り広げている。テロだお見舞いだうんたらかんたら、叫び散らす3人の声が派手に響いていた。本当に、この病室で一体何が起こったのだろう。

 

 

「見苦しいぞ、お前たち。一体何があったんだ?」

 

 

 ややドン引きしながらも、グラハムが屹然とした様子で4人に問いかけた。そのうち3人――アキラ、ダリル、ジョシュアが口々に言葉を紡いだ。

 

 

「隊長、こいつが!」

 

「ジョシュアがテロ行為を!」

 

「だからテロじゃないって言ってるだろ!?」

 

 

 うん、知ってる。

 それは見てすぐに分かった。

 

 クーゴは喉元に引っかかった言葉を飲み下す。

 

 

「な、なんだかすごく鼻に衝く臭いが……。鉛色の液体って、何かあったっけ?」

 

 

 ビリーが表情を引きつらせた。彼は頭に包帯を巻き、頬にガーゼを張っているものの、ハワードと比べれば軽症である。そのため、ビリーは休暇もそこそこに、エイフマンが抜けた分をカバーするため頑張っていた。

 結局、エイフマンの遺体は見つからず仕舞いだったという。彼の葬儀で使われた棺や墓は空っぽのままだ。ただ、彼が亡くなったという決定的な事実だけが目の前にある。多忙に多忙を極めるため、遺品整理も行えていないらしい。

 ばたばたしていたビリーではあったけど、他の人や彼の叔父であるホーマー司令から「そろそろ、本当の意味できちんと休みなさい」と命令された。叔父に従い、その休暇で仲間たちのお見舞いに来た結果がこれである。

 

 確かに、病室の光景を見ただけでは、バイオテロでもあったのかと問いかけたくなるような光景ではあった。鉛色の液体や物体なんて、何の化学薬品を使ったのだと詰問されてもおかしくない。

 

 周囲からの視線に耐えきれなくなったのか、ジョシュアが蚊の鳴くような声で何かを言った。

 なんだ、と言う代わりに視線が再び彼に集中する。ジョシュアはバツが悪そうに、深々とため息をつく。

 

 

「この前、副隊長が作ってた料理に、豆のポタージュがあっただろ? ……それを、自己流で再現しただけだよ」

 

「嘘をつけ! 副隊長が作った豆のポタージュは鉛色なんかじゃない!」

 

 

 涙目でジョシュアを断じるハワードだが、彼の瞳には強い否定の意志が宿っていた。そのまま、ハワードはジョシュアを詰問する。

 

 

「お前、材料に何を使ったんだ!?」

 

「豆だよ、豆。赤茶色のやつ。煮た後にすり潰して、牛乳と練乳と砂糖と蜂蜜と黒砂糖とトレハロースとプロテインとガムシロップ入れて、弱火でじっくり煮込んだんだ」

 

 

 一瞬の沈黙。

 しかし、即座にダリルとアキラが声を荒げた。

 

 

「もはやテロだ! 完璧にテロだ!!」

 

「食材が可哀想っす! しかも材料間違ってるし!!」

 

「な、なんだよ! 豆なんてどれも一緒だろ!?」

 

 

 ジョシュアの「豆なんてどれも一緒」という発言に、アキラは眦を吊り上げる。

 

 

「豆は豆でも、アンタが使った豆は小豆(あずき)っす! 砂糖を入れて煮詰めれば餡子(あんこ)になる、日本の伝統菓子には欠かせない方の豆! 副隊長が使った豆は枝豆と言って、緑色のヤツ! ビールのおつまみに欠かせない方っすよ!!」

 

 

 いや、それでも、鉛色の小豆なんて見たことないよ。

 

 クーゴは、自分の喉元に引っかかった言葉を飲み下した。どうやらジョシュアは、先日クーゴが作った料理を参考にしたらしい。

 しかし、彼がレシピをアレンジして、こんなバイオテロまがいのことをやってのけるとは思いもしなかった。本人にその気はなさそうであるが。

 おまけに投入した調味料の種類もおかしい。クーゴはそこまで甘い味付けにしていない。ついでにプロテインも投入していなかった。

 

 仲間たちは再び言い争いを始める。相手に対し、掴みかからん勢いだ。

 クーゴとグラハムは顔を見合わせた。無言のまま頷き、放り投げられていたナースコールのボタンに手を伸ばす。

 

 

「すみません、ちょっといいですか?」

 

「部屋で暴動が起こっているんです」

 

 

 強面のナース長がやって来てこの場を鎮圧し、散乱した鉛色の物体が拭き取られ、ハワードのシーツ類がまっさらなものに交換されたのは、それから間もなくのことだった。

 

 

 

*

 

 

 

 

「テロだ……完璧にテロだ……」

 

 

 涙目になりながら、ハワードは一心不乱に箸を進めた。クーゴが差し入れで作ってきたうな重が、あっという間にハワードの口の中へと消えていく。

 早く元気になってほしいということで、うな重を持ってきたのは正解だったらしい。先程の『小豆ポタージュテロ(辛うじて)未遂』事件も、彼がうな重を食べ進める理由なのだろう。

 

 

「こんな大きなウナギがぎっちり詰まってるうな重、初めて見たっす……! この大きさと味は、日本じゃ5千円相当っすよ!」

 

 

 アキラはそう言って、うな重を食べる箸を止めて力説した。日本人によってウナギの完全養殖が実現したとはいえ、相場は21世紀末とあまり変わらない。

 小さな重箱には、白米が隠れる程大きなウナギが敷き詰められていた。ひと箱に、大きな切り身が3匹分。アキラが興奮する理由もよくわかる。

 

 

「日本人って、食い物に関する執念は凄いよな。ウナギの件もそうだけど、21世紀初頭にマグロが絶滅危惧種にされそうになったときは凄まじいロビー活動をして反対派の数を増やしたり、大学がマグロの完全養殖を成功させた挙句ブランド化を成し遂げたりしてるし」

 

 

 他の面々が箸でうな重を食べている中、箸に不慣れなジョシュアはスプーンを口に運んでいた。

 誰だっておいしいものを食べたいと思うのが普通である。そうして、食べるなら楽しい方がいいと思うのも普通である。

 しかし、どうやら、仲間たちの大半はそれが珍しいことらしい。食事は栄養補給と空腹を潰すものだと思っていることが多いようだ。

 

 そのためか、クーゴの料理に胃袋を掴まれたことがきっかけで、料理に挑戦するようになったり、料理の腕が上がったり、味覚が肥えたりした者もいた。

 

 「戦友が入院したので早く元気になってほしい。彼に差し入れがしたいので、そちらの店から直接ウナギを買い付けたいんだが大丈夫か?」という突然の申し出に文句も言わず、ウナギを提供してくれた親戚には頭が上がらない。ついでに、ウナギ料理店をしていた親戚も彼らからそれを聞きつけ、秘伝のタレをおすそ分けしてくれた。

 幸せそうにうな重を頬張る仲間たちを見て、クーゴも表情を緩めた。おいしいという言葉は、料理を作った人間としてはとても嬉しいものだ。こんなテロなら毎日起きてくれても嫌じゃない、と、ハワードやダリルが力説していた。ジョシュアもまんざらではなさそうで、うな重をぺろりと平らげていた。

 

 

「こんなにおいしいもの差し入れてもらったんだ。必ず、前線復帰します!」

 

「その意気だ、ハワード。我々は、空で待っているぞ」

 

 

 うな重を食べ終えたグラハムは、部下の心意気に満足そうな笑みを浮かべた。

 

 遠い昔、虚憶(きょおく)で出会った彼も、クーゴにそう言った。『空を目指せば必ず会える』、『空で待っている』――その言葉を忘れたことはない。

 彼らと交わした約束が、クーゴにとっての始まりだった。彼らがそう言わなければ、自分は空を目指すことはなかっただろう。クーゴは静かに目を細めた。

 

 少年時代の背中を思い出していたときだった。会話を楽しみながら、ハワードが何の気なしにテレビをつける。やっていたのはワイドショーだ。

 丁度放映していたのは『ソレスタルビーイングの新型ガンダムの介入により、ユニオンのMSWAD基地が壊滅した』というニュース。

 内容は『新型ガンダムたちはPMCトラストのMDを殲滅した後、ユニオンのMSWAD基地を襲撃した』というものらしい。

 

 仲間たちは大きく目を見開いた。眉間に皺を寄せ、映像を睨みつけるように凝視する。

 

 

(嘘だろ、おい)

 

 

 自分たちを襲撃したのは、PMCのMDを殲滅したガンダムたちではない。外見がよく似通っているだけで、まったく違う機体だ。パイロットの年齢や性格だって違う。

 『連邦の白い悪魔』や黒い新型を駆っていたのは20代半ばの男性だし、橙の新型やワインレッドの新型を操っていたのは10代半ばの青年と少女だ。

 そう主張したくても、証拠は何も残っていない。自分たちの目撃情報以外、彼らの無実を証明できるものがないのだ。先の襲撃で、基地が壊滅したためである。

 

 それが余計に「『連邦の白い悪魔』たちがユニオン基地を破壊した張本人である」という空気を醸し出していた。

 ニュースに同調するように、四方八方から声が『聞こえて』くる。ソレスタルビーイングに対する、怨嗟の念だ。

 

 

「こんな報道のされ方では、市民に誤解を招きかねん……! しかもこれは、悪質な冤罪だ!」

 

 

 グラハムが戦慄くように呟いた。

 

 

「確かにな。世論操作にしては、相ッッ当、タチが悪いぞ」

 

 

 クーゴもそれに同意した。一体だれが、そんなことを考えついたのだろう。

 不意に、背中に悪寒が走る。自分の体に絡みつくような、どす黒い感情。クーゴは思わず身を丸めた。

 

 誰かが嗤っている姿が『視える』。私利私欲のために、天使を堕天使へと仕立て上げようと画策する悪意が『視える』。

 

 脳裏を掠めたのはMSの機影。毒々しい金色を身に纏った機体と、大鎌を携える漆黒の羽が生えた機体と、すらりとした体躯の赤い機体。3機の後ろに潜むのは、禍々しい紫の機体だった。

 3機の背後にいる存在から感じる気配は、クーゴがよく知る人物の気配とよく似ている。どこの世の中でも、彼女と同じことを考えるような輩がいるらしい。クーゴは静かにニュースを凝視した。

 悪意の種が蒔かれる。その芽は着実に成長し、花を咲かせるのだろう。不意にフラッシュバックしたのは、人を殺すために咲いた殺戮の花。触手を伸ばしてロボットたちに襲い掛かるあの兵器の名前は、何といったか。

 

 悪意の種から咲く花は、きっとあの兵器のように禍々しさに満ちているのだろう。

 そんな予感は、クーゴの頭の片隅にこびりついて離れなかった。

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。


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