大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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大丈夫だ、1stシーズンの終盤に突入したから
幕間.ノブレス・アムとイデア・クピディターズ、あるいは混沌地帯プトレマイオス


 監視者は、アレハンドロ・コーナーの独壇場になっている。ある意味、奴は『ソレスタルビーイングを操作できる』という立場に立っているのだ。

 本来、監視者たちに与えられた権限は「ソレスタルビーイングの行動に対して、全権一致による否決権を持つ」だけに留まっているはずだった。

 今でもその権限はそのままである。では、何故、奴が『ソレスタルビーイングを操作できる』のか。答えは、ノブレス・アムの教え子たち――チーム・トリニティの存在にある。

 

 ガンダムスローネシリーズは、コーナー一族が極秘に開発を進めていた機体である。劣化版太陽炉、もとい疑似太陽炉を搭載していた。

 

 作戦時間は本家本元の太陽炉には劣るが、性能は太陽炉とほぼ互角。太陽炉は製造に2年弱の時間が必要だが、疑似太陽炉は短期間での大量生産が可能だ。

 しかし、太陽炉におけるシステム解析が不十分だったため、粒子の色が毒々しい赤色となっている。本家本元とは違い、強い毒性も持っていた。

 

 

(この機体だって、元々は――)

 

 

 ノブレスは図面を眺めながら、心の中で歯噛みしていた。『ノブレス』の仮面の下で、全てを奪われた青年が怨嗟の声を上げている。

 

 人を散々利用して、踏み台にして、奴らは己の野望を成就させようとしていた。昔も、今も、これからも、きっと変わらないのだろう。

 コーナー一族は、野望成就の総決算に入っている。そのために、スローネシリーズとチーム・トリニティを投入したのだ。

 

 スローネシリーズのガンダムマイスターに選ばれた兄妹――ヨハン・トリニティ、ミハエル・トリニティ、ネーナ・トリニティたちの性格も、当初は極めて過激であった。

 感情のままに破壊と殺戮をまき散らすだけの獣。これが一番的確な表現である。「熟練パイロットを殺せば介入行動がやりやすい」という発言には、頭が痛くなったほどだ。

 アレハンドロからは戦闘技術の向上を命令されていたけれど、独断で方向転換した。むやみに戦闘技術を向上させれば、彼らはただの殺戮兵器になってしまう。

 

 力を振るう者には、それ相応の責任が伴う。力を振るうためには、それ相応の心構えが必要だ。心構えなしに力を振るえば、それに飲まれて破滅するのは目に見えている。

 

 

(『ライオンや象のような獣でさえ、力に相応しい立ち振る舞いを心得ているというのに』と言って、ミハエルとネーナを怒らせたこともありましたね。あとは、『強くなければ人は生きていけない。優しくなければ生きる資格がない。キミたちはガンダムマイスターどころか、人間として生きる資格がない』と言いながら、年甲斐もなく3人を叩きのめしたこともありました)

 

 

 あれは大盤振る舞いしすぎたな、と、ノブレスはひっそり反省する。トリニティたちのプライドを粉々に粉砕するところから、ノブレスの戦いは始まっていた。

 身内意識が強いトリニティは、相手を格下だと思って食って掛かっていく傾向があった。実際、当初もシュミレーター訓練で喧嘩を売られた。もちろん完勝したが。

 

 閑話休題。

 

 アレハンドロはもともと、ガンダムに『同情の余地のない悪役』としての側面を追加しようとしてトリニティを作り出した。それ故に、彼らは獣のような思考回路を抱くよう調整されていたのだろう。実験や環境的な意味で、だ。

 イオリアの計画上、ソレスタルビーイングは世界の表舞台から消滅する必要がある。世界から『悪』と断罪された彼らは、世界の手によって討たれることが宿命づけられていた。本人たちも知っているかもしれないし、知らなくともその覚悟はしているだろう。

 それがいつかはわからない。だが、少なくとも、『今』や『これからすぐ先』のことではないことだけは確かだ。だからこそ、アレハンドロはチーム・トリニティを作り出し、ガンダムスローネシリーズを開発した。ソレスタルビーイングが裁かれるタイミングを早めるために。

 

 世界の代弁者として、奴は自らの手でソレスタルビーイングを討つつもりでいる。テロリストを討ち取った英雄となれば、その人物が世界を動かす中心に座ることは明らかだ。

 そうやって、アレハンドロは世界の覇権を握ろうと画策していた。奴にとって、上司であり国連代表のエルガン・ローディックは目の上のたん瘤的な存在である。

 

 何とかして奴はエルガン代表を失脚および暗殺しようと手を打っているようだが、アレハンドロ如きにどうにかできるような相手ではない。エルガン代表は、権謀術策を張り巡らせるのが得意な参謀役であり、古の『同胞』の中でも『牙』の一角を担った男でもある。

 

 

「教官、どうかしたのか?」

 

 

 ミハエルが心配そうに話しかけてきた。ヨハンとネーナも、ノブレスの顔を覗き込むように眼差しを向けてきた。

 話をそらすために、ノブレスはゆるりと口元をほころばせてみせた。

 

 

「キミたちと初めて会ったときのことを思い出していた。そのうちに感慨深くなってね」

 

「う」

 

 

 途端に、兄妹たちは居心地悪そうに視線を逸らした。当時の過激っぷりは、彼らの黒歴史に相当しているのだろう。

 現在でもその名残は多々見られるものの、当初に比べればかなり改善されてきた方だ。この調子で、人としてもマイスターとしても成長していってほしい。

 AEU領の孤児院で過ごしていたときの表情を思い出す度に、思うのだ。悪意としての存在意義ではなく、もっと別な意義を見出してほしいと。

 

 ヨハンもミハエルもネーナも、本当は優しい子たちである。彼らを道具にして使い潰そうとする人間なんかに、奪わせたりしない。

 

 ノブレスは静かに決意を固めながら、宇宙を見上げた。

 そろそろ、ランデブーポイントに近づいている。

 

 

「さて、あいつらは来るかな?」

 

「来るさ。ガンダムマイスターなら、必ず我々の存在と機体に興味を示すはずだからな」

 

 

 ミハエルの問いに、ヨハンは薄く微笑みながら答える。

 

 ランデブーポイントには、一足先に到着していたファーストチームの宇宙船――プトレマイオスの姿があった。ほら、と、ヨハンが弟妹たちにその光景を指し示す。

 HAROが船をスキャンされていることを告げる。そのままにしておくようにと言えば、HAROはノブレスの方を向いて耳をパタパタさせた。

 トリニティたちに準備をしておくようにと言えば、彼らは2つ返事で頷いた。その前に、ノブレスは彼らを呼び止める。

 

 スローネシリーズに追加する武装を作る傍ら、こっそり作っていたものがあった。といっても、多少、デザインに関わった程度である。『悪の組織』の友人に頼んでいたものだ。取り出したのは、新しいデザインの制服である。

 アレハンドロがトリニティ兄妹に提供したものより、ノブレスがデザインに関わった方が幾分かマシになったと自負している。アレハンドロの趣味の悪さは、アルヴァアロンおよびアルヴァトーレで実証済みだ。

 

 男物は長袖で、上下とも体にフィットした作りになっている。女物はノースリーブの上着に肘より少し長い手袋と、膝丈よりやや短めなプリーツスカートに膝くらいのロングブーツだ。スカートにはワンポイントとして刺繍を施している。色は3人とも、ゴールデンイエローと琥珀色を基調にしており、襟元には金の翼に抱かれた青い宝玉が輝いていた。

 

 ネーナがぱあっと表情を輝かせる。

 

 

「わあ、可愛い!」

 

 

 彼女は目をキラキラさせながら制服を手に取った。ヨハンとミハエルも感嘆の声を上げて、服を手に取る。3人とも嬉しそうだ。

 その様子を見て、ノブレスは安堵の息を吐いた。ベースにしたのは『悪の組織』および『スターダスト・トレイマー』の制服である。

 

 

「ありがとうございます、教官」

 

「これ、絶対大事にする!」

 

「じゃ、早速着替えてくるね!」

 

 

 兄弟はぱたぱたと部屋に戻っていく。それを確認したノブレスは、プトレマイオスに視線を向けた。

 あそこには、久しぶりに顔を合わせる『同胞』――イデア・クピディターズがいる。

 

 

(……恋愛話でおちょくられるのは嫌ですねぇ)

 

『人を恋愛話でおちょくろうとしていた人の言う台詞? ……おにーさん、因果応報って知ってる?』

 

「ぐぎ」

 

 

 嘗ての『お隣さんの少年』の声がフラッシュバックする。ノブレスはそれを振り払った。

 

 その少年は、現在MS開発の権威となっている。他の分野にも詳しいようで、教え子たちはMS開発だけでなく、軍関連の要職に就く者や官僚になった者など様々だ。

 ユニオン軍の技術顧問に就任したという話を聞いた。彼が生み出し育ててきた機体の集大成(暫定)――オーバーフラッグの造形美と機能性は、感嘆に価する。

 あれがもし、GNドライブを搭載する想定で作り直されたとしたら、彼はもっと素晴らしいMSを作り出すことだろう。ノブレスは口元を緩ませた。

 

 しかし、そうは言っていられない事態もある。ノブレスは笑みを消し、深々とため息をついた。

 少年は大人になった後も、頭の良さと探究心で、真実へと至ろうとしている。いや、彼なら至ってもおかしくない。

 

 もしも彼が、アレハンドロにマークされてしまったら。

 

 

「また、僕から奪うのか」

 

 

 ノブレスは、ぽつりと呟いた。

 仮面の下にある眦を吊り上げ、拳を握りしめる。

 

 

「今に見ていろ。月夜ばかりと思うなよ」

 

 

 研ぎ澄ました爪と牙を、振り下ろす瞬間を待ち焦がれる。そのために、ノブレスはここにいるのだ。

 

 

「教官、着替え終わりました」

 

 

 ヨハンの声に、ノブレスは現実へと引き戻された。振り返れば、新しい制服に身を包んだ教え子たちの姿があった。

 皆、似合っている。素直に褒めれば、トリニティ兄妹は嬉しそうに頬を緩めた。互いに制服を見せ合い、楽しそうに談笑する。

 しかし、彼らはすぐに真剣な面持ちに変わった。もうすぐ、ファーストチームたちとの顔合わせが始まるのだ。気を引き締めなくては。

 

 

『着替えて早々、パイロットスーツに着替えるのかー。勿体ないなぁ』

 

 

 ネーナのちょっとだけ残念そうな声が『聞こえた』。

 平和な空気に、ノブレスは表情を緩めて背を向ける。

 

 格納庫へ向かい、自分の機体に乗り込むためだ。

 

 

『でも、これって脈アリなのかも。服を贈るっていうのは、つまり――』

 

 

 そこから先は、ノブレスは『聞き取る』ことはできなかった。ネーナが心を閉ざし/隠してしまったためである。

 いくら能力を駆使しても、読まれる側が『聞き取られたくない』と心を閉じ/隠してしまえば『聞こえない』。

 能力が優れていれば、無理矢理心をこじ開けて『聞き取る』ことはできる。しかし、教え子相手にそこまでしたいとは思わなかった。

 

 ノブレスはνガンダムを起動させる。手を掬い上げるような形にし、トリニティ兄妹が乗れるように体制を整えた。

 パイロットスーツに身を包んだ3人は手の上に飛び乗る。ネーナがHAROを抱えていた。これで全員である。

 

 ハッチが開き、νガンダムが宇宙へと飛び出した。ノブレスは教え子たちに注意を促す。

 

 

「ヨハン、ミハエル、ネーナ。3人とも、しっかり掴っていなさい」

 

「了解!」

 

『トバスナヨ、トバスナヨ』

 

 

 HAROの発言に、ノブレスは苦笑した。

 

 

「わかっている。安全運転で行くぞ」

 

『シュショーダナ、シュショーダナ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴェーダのデータにないガンダム。ヴェーダに登録されていないガンダムマイスター。

 仲間たちは、新たな存在たちについての報告を行っていた。

 

 

(ティエリア、余程認めたくないんだなぁ。ご丁寧に『ガンダムらしきMS』って言ってるし)

 

 

 イデア・クピディターズは遠い目をした。初めて彼――ティエリア・アーデと顔を合わせたとき、イデアのスターゲイザーを『ガンダムらしきMS』呼ばわりしたことを思い出したためである。尤も、後にヴェーダからデータが提示され、機体名で呼んでくれるようになったのだが。

 赤い粒子を放出するガンダムの中に混じり、自分たちの太陽炉と同じ色の粒子を放つ機体がいた。その機体を、イデアはよく知っている。ソレスタルビーイングに向かう直前に見た、『同胞』の駆るガンダム――νガンダム。元になった機体は、伝説の男が搭乗し、『人の心の光』を示したものだ。

 伝説の男に代わってその機体を駆るのは、ノブレス・アム。自分と同じ荒ぶる青(タイプ・ブルー)の能力を持つMSパイロットであり、MS開発を担当する技術者でもある。連絡は取っていたが、顔を合わせるのは随分と久しぶりであった。

 

 周囲を見回す。この場にいるのは、スメラギ・李・ノリエガ、ラッセ・アイオン、リヒテンダール・ツエーリ、クリスティナ・シエラ、フェルト・グレイス、ハロ、ロックオン・ストラトス、アレルヤ・ハプティズム、ティエリアの8人と1機だ。イデアを含めば9人と1機になる。

 

 刹那・F・セイエイがいない。イデアは能力を使い、彼女の行方を探してみた。

 エクシアのコックピット席から、刹那の気配を感じ取る。どうやら、思案にふけっているらしい。

 

 

「去り際に、ここのポイントを指定してきた」

「彼らの目的は何だろう?」

「挨拶じゃないかな? だってほら、こっち先輩だし」

「でも、罠ってことは?」

「大丈夫じゃないのか? だって、刹那たちを助けたんだろう?」

 

(……それにしても、皆、必要以上に警戒してるなぁ)

 

 

 仲間たちの話を聞きながら、イデアは再び遠い目をした。

 

 ソレスタルビーイングは『外から来るもの』に対し、かなり厳しい。その分、仲間だと認めた相手のことはどこまでも信用する。

 機密保持や規約云々の縛りが強すぎるという部分も影響しているのだろう。状況は違うが、『同胞』たちのコミュニティとよく似ている。

 尤も、『同胞』たちの場合は、「『同胞』以外に仲間や味方、支援者もいない、物資もジリ貧な、完全なる孤立無援」という超極限状態からの結束だったのだが。

 

 

「会ってみればわかるわ。出迎えましょう、新しいガンダムマイスターたちを」

 

 

 スメラギが意を決したように言った。そこへ、プトレマイオスに近づく物体を発見したという報告が届く。

 新たなガンダムマイスターたちがやって来たのだ。自分たちと会談するために。

 

 

(さて、ノブレスくんの『可愛い教え子』の顔を拝みに行きますか)

 

 

 ついでに、彼の恋愛についても根掘り葉掘りしてやろう。イデアは悪い笑みを浮かべながら、彼らを迎える準備を始めるのであった。

 

 

 

*

 

 

 

 

「着艦許可を出して頂き、感謝します」

 

 

 ノブレスはそう言って、静かにヘルメットを外した。といっても、仮面の形もヘルメットに近い形状のため、「ヘルメットを取ったらヘルメットを被ってた」というマトリョーシカ状態である。

 

 

『マトリョーシカ状態』

 

『イデアさん、草。草まみれです。草刈機貸しましょうか?』

 

『むしろ除草剤を頂戴、ノブレスくん』

 

『ありがとうございます!』

 

 

 イデアとノブレスは会話を弾ませながら談笑した。これも一種の形式美。平時の姿を互いに知っているため、畏まっている態度が新鮮で面白くて仕方がないのである。

 しかし、能力を使っての会話のため、自分たちがくだらない話題で盛り上がっていることを知る者はいない。ついでに、笑っていることもわからないだろう。

 

 

『……幻聴か? もう勘弁してくれよ。タクマラカン砂漠の一件でも似たようなことがあったばかりだってのに……!』

 

『……笑い声? しかし、笑っている人間はこの場にいないようだが……』

 

 

 前言撤回。ロックオンと、ノブレスの教え子の青年がきょろきょろと周囲を見回している。

 特にロックオンは、色男の称号が霞むくらい剣呑な顔つきであった。眉間にはくっきり皺が刻まれている。

 彼らの思念を察知し、2人は慌てて能力を調整した。これで、2人には聞き取れない。一安心である。

 

 

「νガンダムのガンダムマイスター、ノブレス・アムといいます」

 

 

 自己紹介をし、ノブレスは一礼した。厳かな空気を纏いながらも、その動作1つ1つが洗練されている。

 ノブレス曰く「両親からスパルタ教育を受けた賜物であり、自分が持つ数少ない『受け継いだもの』」だという。

 

 彼の自己紹介に続いて、他の3人――ノブレスの教え子たちがヘルメットを外し、自己紹介を行う。

 

 

「ガンダムスローネアインのマイスター、ヨハン・トリニティです」

 

「スローネツヴァイのマイスター、ミハエル・トリニティだ」

 

「スローネドライのマイスター、ネーナ・トリニティよ!」

 

 

 茶髪に浅黒い肌で、右目付近に3つのほくろがある青年――ヨハン・トリニティ(彼がきょろきょろしていた青年である)、青い髪に白い肌で、右目付近に1つだけほくろのある青年――ミハエル・トリニティ、赤い髪に白い肌で、そばかすが目につく少女――ネーナ・トリニティ。

 最年長のヨハンが20代、ミハエルが10代後半、ネーナが10代前半だろう。誰も彼も若い。兄妹の姿を見たスメラギも、彼らの若さに目を付けた様子だった。同時に、名前から彼らが兄妹であることを察したらしい。しかし、3人とも外見が違う。

 

 

「私たちは血は繋がっていませんが、実の兄妹です」

 

 

 それを指摘されたヨハンは、穏やかに笑いながら答えた。その眼差しは、弟と妹を大切に想うお兄さんそのものだ。

 彼の言葉を聞いたミハエルとネーナが、その言葉を誇るように笑った。この兄弟は、血縁以上の絆で結ばれている。

 トリニティ兄妹の様子にほのぼのしていたときだった。ノブレスの少し後ろにいたネーナが、ぴょこんと顔を出す。

 

 

「ねっ、エクシアのパイロットちゃんは誰?」

 

「俺だ」

 

 

 ネーナの問いに答えたのは、刹那である。慣性を利用し、彼女はすべるようにして仲間たちの元へとたどり着く。

 刹那は淡々と自己紹介をした。それに対し、ネーナはパアアと表情を輝かせる。何の前触れもなく、彼女は床を蹴って飛び出した。

 大きく両手を広げて、じゃれつくようにハグしようとする。が、刹那は慣性を使い、ひょいっとそれを躱した。

 

 が、ネーナが慣性の影響で廊下の突き当りに激突しないように、配慮はしたらしい。手を掴んで引き戻し、刹那自身も慣性を利用して体勢を立て直す。

 ネーナはぽかんとした表情で刹那を見上げていた。大丈夫か、と刹那が問う。ネーナはすぐに笑顔を浮かべて、刹那に積極的にスキンシップをした。

 

 昔の刹那だったら振り払ったのだろうが、似たような感じでちょっかいを出してくる相手を思い出したのだろう。妙な親近感を抱いたようで――でも、ネーナが女の子なので、対応を思案しながら――相槌を打っていた。

 

 刹那の想い人である金髪碧眼の男性――グラハム・エーカーは、今日も元気に相棒兼親友の副官――クーゴ・ハガネや部下たちと一緒に話をしているのだろうか。

 イデアはクーゴを助けようとして、逆に彼に助けられた。そのお礼も、まだ彼に伝えていない。会合が終わり次第、連絡を取ってみることにしよう。イデアはひっそりそう決めた。

 

 

「成程。キミが、刹那・F・セイエイか。是非一度、キミと会って話がしたかったんだ」

 

 

 ネーナとのやり取りを見ていたノブレスが、旧友に会ったかのように表情を綻ばせた。

 

 対して、いきなり名指しされた刹那が眉をひそめる。当然だ、刹那はノブレスと初対面である。

 にも関わらず、ノブレスは刹那のことを知っているような口ぶりであった。

 その理由を、イデアは知っている。自分と彼に共通する相手が、刹那のことに詳しい人間だったからだ。

 

 

「友人が言っていたんだ。『刹那・F・セイエイを見出したのは僕なんだ』、『あの子が、僕が蒔いた種をどう育てて、どんな花を咲かせてくれるのか楽しみにしてる』って」

 

 

 その言葉に、刹那は大きく目を見開いた。彼女の脳裏に浮かんだのは、緑の髪と紫の瞳を持つ青年――リボンズ・アルマーク。

 刹那が見たガンダムに搭乗していたパイロットであり、彼女の恩人であり、彼女をガンダムマイスターに推挙した張本人でもある。

 

 尤も、刹那はその人物の名前を知らない。

 

 正式な血縁関係ではないものの、イデアはリボンズと遺伝子的な関係があった。自分と彼が並べば、よく似た姉弟、もしくは双子に見えるだろう。リボンズと同じ塩基配列を持つイノベイド――ヒリング・ケアと並んでも、似たようなことが言える。

 最近、彼女は仲間たちと一緒に妹分――アニュー・リターナーの恋路を応援するのに忙しい。アニューの恋愛が成就したら、次は仲間たちと一緒に婿をいじり/いびり倒すのだろう。イデアにはそんな予感がした。AEU大手商社の営業マンが大きなくしゃみをした姿が『視えた』のは、気のせいではない。

 

 ノブレスは刹那と話しながら、能力を使ってイデアと会話を続ける。

 

 

『リボンズが言ってたんですよ。自分が見出した逸材だって、自慢げに語って聞かせてくれました』

 

『あー。あの人、刹那に相当惚れ込んでたなー。元気?』

 

『ストレスフルの職場で頑張ってます』

 

 

 動向を監視している相手のことを思い出したのか、ノブレスの感情が煤けてしまった。イデアにはどうすることもできない。

 やっとの思いで紡いだ言葉は「ご愁傷様」というものである。励ましどころか悲しみを助長するだけであった。

 

 

『でも、最近は複数のサブボディを遠隔操作できるようになったみたいで、色々やってましたよ。サブに仕事と運転手役を押し付けて、僕のコンサートを見に来たりとかしてましたし』

 

『あの人ならやるんじゃないかと思ってた』

 

『ちょ、草まみれ』

 

『除草剤』

 

『ありがとうございます!』

 

 

 ノブレスと刹那が普通に他愛のない会話を続け、ノブレスとイデアが能力を使って楽しく雑談をしていたときだった。

 どこからか視線を感じる。刺々しい感情がちくちくと刺さってきた。その方向を見れば、ふくれっ面のネーナがイデアと刹那を睨みつけている。

 敵意というには無邪気な感情だ。ネーナの心に名前を付けるとしたら、嫉妬という言葉が相応しい。刹那よりも幼い少女であるが、彼女もまた乙女であった。

 

 彼女が狙う相手は、自分の教官――ノブレスなのだ。

 ノブレスは気づいていないようだが、彼にも春が近いらしい。

 

 恋愛の話になっても、彼がストレスフルで精神崩壊一歩手前にならず、むしろ常世の春を語るようになる日は近い。そのためにも、ネーナには頑張ってもらわなければ。

 

 イデアは敢えてネーナの方を向いた。どうしたの、と声をかけても、ネーナはふくれっ面を崩さない。

 刹那とノブレスが彼女を見て、きょとんと首を傾げた。ネーナはノブレスに目もくれず、イデアと刹那の腕を掴む。

 そのまま、ノブレスに背を向けるような体勢を取らされる。訝しげな刹那と察したイデアに対し、ネーナは蚊の鳴くような声で告げた。

 

 

「あげない」

 

 

 その言葉に秘められた意味を理解できないような人間ではない。刹那も――昔の彼女だったら首を傾げていただろうが――ようやく察したようで、途端に真顔になった。

 

 

「要らない。…………間に合っている」

 

 

 前半をはっきりと言い返した刹那も、後半は蚊の鳴くような声で呟いた。耳元がわずかに赤い。目を丸くしたネーナを手招きし、端末の待ち受け画面を開いて見せる。

 刹那の端末待ち受け画像が『幸せそうに頬を緩ませながら、刹那が作ったライスプディングを味わうグラハム』の写真であることに、ネーナは感嘆の声を上げた。

 

 問題の1つ目が解決し、ネーナは安堵の表情を浮かべた。しかし、ネーナは即座にイデアを睨む。

 

 能力を使った会話を『聞かれた』訳ではないが、イデアとノブレスが親しげだということは『察した』のだろう。

 もしかしたら恋敵なのではないか、と、ネーナはぴりぴりしているわけだ。誤解はきちんと解いておきたい。

 イデアは端末を取り出し、満面の笑みを浮かべて答えた。

 

 

「私も要らない。意中の人がいるから」

 

 

 端末の待ち受け画面を見た刹那とネーナが沈黙した。表情が戦慄く。

 

 

「きゃあああああああああああああああああああああああああ!」

「うわあああああああああああああああああああああああああ!」

 

 

 絶叫。

 

 

「何だ!? どうしたネーナ……うわああああああああああああああああああああああ!」

 

「ミハエル、何が…………あああああああああああああああああああああああ!?」

 

 

 妹の悲鳴に気づいたミハエルとヨハンが端末を見た。一拍おいて絶叫する。

 

 

『ほぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!』

 

 

 ノブレスに至っては、能力をフルスロットルにした状態で大絶叫し、思念だけで逃走してしまった。体はその場に置き去りにしてである。

 『同胞』の持つ能力は、『体をその場に置き去りにし、思念(こころ)だけを別の場所へ転移させる』という使い方もできた。

 傍目から見れば、ノブレスは冷静沈着なまま。イデアの端末待ち受け画像を見ても、ノーリアクション状態である。

 

 

『リアルログアウト状態』

 

『茶化さないでください! 何なんですか、あの恐怖画像!!』

 

 

 大笑いしたイデアに対し、思念体になったノブレスが涙目で訴えてきた。

 

 絶叫したのはトリニティたちやノブレスだけではない。

 その場に居合わせた全員が悲鳴を上げた。文字通りの阿鼻叫喚図である。

 

 

「おい! 今、誰か凄い絶叫して逃げて行かなかったか!? 『ほぎゃあ』みたいな感じの……」

「ああ。確実に聞こえたぞ! ……だが、今聞こえた声、聞き覚えがあるような……」

 

「聞こえなかったよ! そんな凄い声は!」

 

 

 それでもノブレスの悲鳴が印象に残っていた面々がいたらしい。ロックオンとヨハンである。

 

 しかし、彼らの問いかけはネーナの答えによって切って捨てられた。

 ロックオンとヨハンは「そんなはずはない」と言いたげに、互いの顔を見合わせている。

 そんな2人を尻目に、ティエリアが鬼のような形相でイデアに突っかかってきた。

 

 

「イデア! お前は何故、この画像を待ち受けにした!? 言え、言うんだ!!」

 

 

 彼が指示したのは、4徹明けのクーゴ・ハガネの画像である。トレミークルーの面々を恐怖のどん底に陥れた画像として名高いものだ。

 ゾンビとジャパニーズホラーを足して掛けて乗算したような恐怖画像と言われるが、イデアからすれば、どこが恐怖画像なのかさっぱりわからない。

 

 

「スゲェ、教官! あの恐怖画像を見てもクールなままだ……!」

「か、カッコいい……」

 

『心が痛いです』

 

「ああ、まただ! 声が、声が!!」

「誰かが泣いているのか……!?」

 

 

 抜け殻状態のノブレス(体のみ)を見て、ミハエルとネーナが賞賛の眼差しを送る。後者に至ってはますます惚れ直したらしい。

 居たたまれなくなったノブレス(思念体)が目元を抑えて鼻を鳴らせば、ロックオンとヨハンが周囲を見渡す。思念体となったノブレスの声を『聞き取った』のだ。

 完全ではないものの、この2名も順調に『目覚めの日』を迎えようとしているらしい。彼らが恐怖体験の意味を知るのも、人間卒業も目前だ。

 

 

「2人とも、『つかれて』るんだよ」

 

「アレルヤ、どっちのつかれてるだ!? 疲れか!? 憑かれか!?」

 

 

 アレルヤの言葉に、『つかれ』気味のロックオンが声を荒げた。

 

 あっちもこっちも大騒ぎ。

 こんな調子で、チーム・プトレマイオスとトーム・トリニティの会談が始まろうとしていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ニイサン、ニイサン!』

 

 

 イデアたちがブリーフィングルームに到着して早々、オレンジ色のハロが飛び出してきた。ハロが向かった先にいたのは、ネーナが連れてきた紫色のHARO。

 

 

「兄さんだぁ?」

 

 

 相棒の様子に、ロックオンが首を傾げる。

 ハロからそんな話を聞いたことがないためだろう。

 

 会いたかったと語るハロに対し、HAROは怪訝そうにハロを眺める。

 

 

『ダレダテメー、ダレダテメー』

 

『ハロ! ハロ!』

 

 

 ハロの声は合成音声のはずなのに、感情に満ち溢れているように感じるのは何故だろう。とても人間味がある。

 そこが、ハロたちが“トレミー、およびソレスタルビーイングのマスコット”と言われる所以なのだ。見ているだけでほのぼのする。

 人間味あふれるロボットたちと言えば、クラール・グライフ博士が作ったAL-3――愛称アリスとHL-0――愛称ハルノは元気だろうか?

 

 最後に会ったのは、合同演習が始まる前である。

 日本は平和な国だから、いつも通りの日常を過ごしているに違いない。

 

 

『シンネーヨ、シンネーヨ!』

 

 

 イデアが思考を飛ばしていたとき、HAROがハロに体当たりを喰らわせた。ハロは弾き飛ばされ、部屋中の壁という壁に当たって、イデアの腕に収まった。

 

 『ニイサン……』と、ハロが寂しそうな声を出す。ぺたんと垂れ下がった耳と尻尾という幻覚が視えたような気がしたのは、きっと気のせいではない。

 ロックオンがHAROに何か言うより先に、ノブレスが動いた。浮かんでいるHAROを鷲掴みにし、ノブレスは厳しい声で言った。

 

 

「HARO、謝りなさい」

 

『ナンデダヨ、ナンデダヨ』

 

「いいから、謝りなさい」

 

『シンネーヨ、シンネーヨ!』

 

 

 次の瞬間、ノブレスはHAROを手に持ったまま、ダンクシュート宜しくHAROを壁に叩き付けた!

 

 口元は真一文字に結ばれている。傍からでは、ノブレスは無表情に見えていることだろう。仮面の奥底でぎらつく琥珀を『視て』いるのはイデアだけだ。

 勢いが良すぎたせいか、HAROは壁にめり込んでいる。ぱらぱらと破片が落ちてきた。この破損はクルー全体も察知したようで、艦内放送が鳴り響く。

 

 

『艦内で破損! 被害状況は軽微……何が起こったんですかスメラギさん!?』

「ちょっと内輪揉めが……」

 

「謝 れ 。 工 具 持 っ て き て 、 壁 に 埋 め る ぞ ?」

 

 

 地の底から轟くような声で、ノブレスはHAROに言い放った。彼の言葉に、ノブレスは技術職をやっていたな、と、イデアはのんびり思い返す。

 周囲の空気が冷え切ったような感覚。艦内放送を担当していたクリスティナと状況を説明しようとしたスメラギが凍り付き、この場にいる全員が沈黙する。

 ノブレスの中に渦巻くのは後悔だ。彼が家族を失う数時間前、家族と喧嘩をして家を飛び出していたらしい。その数時間が、彼と家族の生死を分けた。

 

 家族と仲直りしようとして、品物を選んだ数時間後。家に帰れば、自宅は炎に包まれていた。唖然とした青年が周囲の制止を振り切って家に入り、家族の死体と対面した光景が『視えた』。

 

 仲直りの機会を失ったノブレスだからこそ、ハロとHAROを放っておけなかったのだろう。例え彼らが、人間とほぼ近い情緒を持つだけの端末だったとしても。

 ノブレスとHAROが沈黙している。派手に睨みあっていると言っても過言ではない。ややあって、HAROがくるりと顔の向きを変えた。カメラアイの先には、イデアの腕に収まるハロ。

 

 

『……シャーネーナ、シャーネーナ』

 

 

 その言葉を待っていたノブレスは、鷲掴みにしていた手を離した。自由を得たHAROは、迷うことなくハロの元へと飛んでいく。

 

 

『オイオマエ、オイオマエ』

 

『ニイサン?』

 

『テメーナンテ、シンネーヨ。シンネーヨ』

 

 

 HAROは耳をぱたつかせる。無重力空間でくるりと一回転した。

 

 

『オマエ、オマエ。イマカラ、シャテイ、シャテイ』

 

『ニイサン!』

 

 

 イデアの腕の中から、ハロが飛び出す。カメラアイが点滅を繰り返した。合成音声も嬉々迫る響きを宿している。

 ハロとHAROがパタパタと耳を動かした。どうにか仲直り(?)はしてくれたらしい。この場にいる全員が、ほっと息を吐いた。

 ノブレスも表情を緩ませた後、スメラギに謝罪して壁の修理を始めた。流石は本業、技術職。手早く修理を終わらせる。

 

 壁は何事もなかったかのようにピカピカになっていた。この場にイアンがいたら、ノブレスを見てどんな反応を示すだろうか。

 一仕事終えたノブレスは満足げに微笑んだ後、取り繕うようにスメラギに声をかけた。

 

 

「では、始めましょうか」

 

「ええ、そうね」

 

 

 そうして、チーム・プトレマイオスとチーム・トリニティの会談が始まった。




【参考および参照】
『ニコニコ動画』より、『アメリカ人が零を実況プレイするとどうなるか』、『這う女、襲来。 【4PlayerPodcast】』

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