大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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幕間.女たちは考える

 国連が、アザディスタンへの支援再開を発表した。

 画面には、握手を交わすマリナ・イスマイールとアレハンドロ・コーナーの姿が映し出されている。

 その様子を確認した女性は、ふっと笑みを浮かべた。国連代表――エルガン・ローディックもなかなかやる。

 

 

「よっし!」

 

 

 アザディスタンのホテルにある一室で、女性は盛大にガッツポーズした。

 

 アレハンドロは、先の内戦でさっさと撤退させた後、技術支援の再開に消極的であった。保守派と改革派の争いが残っており、小規模の内戦が起きているためである。

 アザディスタンは保守派重鎮と改革派のシンボルが会談を成功させ、今までのような大きなテロ活動が収まり、事実上の小康状態だ。派遣前の状態とほぼ変わりない。

 

 「でもでもだって(要約)」を繰り返すアレハンドロに対し、国連代表のエルガンが動いたのだ。奴の鶴の一声で、国連はアザディスタンへの技術支援を再開したのである。

 

 

「エルガンにしては、いい采配じゃない」

 

 

 てっきり、アレハンドロを詰めるための布石として、アザディスタンを放置すると思っていたのだが。

 

 女性は鼻歌を歌いながら端末画面をスライドする。映し出されたのは、『悪の組織』の技術支援で完成した太陽光発電用の小型エネルギー変換器。

 この技術は元々、女性が嘗て暮らしていた『母艦』の動力源に使われた技術を応用したものだ。

 『母艦』に使われたドライブと太陽炉は事実上の親子関係であるが、使い手に想定された対象が違う。

 

 前者が女性たちのような『同胞』専用のものなら、後者はソレスタルビーイングクルーと、いずれ現れる『革新者』たちのものだ。

 

 『母艦』は長きにわたる逃亡生活に対応するため、半永久的なエネルギー動力と『同胞』たちの能力を使って動いていた。機械関連のOSも、『同胞』たちの能力を生かした作りになっていた。

 といっても、1度に生産できるエネルギー量は、GNドライブと比較するとかなり少ない。その代わり、『同胞』たちの持つ能力で出力を補っている。だが、力を酷使すると『同胞』の命に係わる。

 

 出力不足を『同胞』の能力で補いつつ、『同胞』が命を落とさなくて済むよう、出力の底上げとエネルギー変換効率を上げる。そうして改良が重ねられ、誕生したのが、『悪の組織』関連のMSに搭載されている特殊なドライブ――ESP-Psyon。特に、荒ぶる青(タイプ・ブルー)が搭乗することを想定された機体は、それ用に組まれた強化系ドライブを搭載していた。

 

 閑話休題。

 

 

「今のところは富裕層や電力供給会社を中心に配ってるけど、評判は上々、か」

 

 

 あとは、保守派との兼ね合いや、変換器が一般市民に出回るようにするだけだ。

 現地の作業員に技術を伝え、叩きこみ、修理方法を伝え、量産型を作り出すこと。

 

 

「マリナさま、喜んでくれるかな。……笑ってくれるかな」

 

 

 女性はゆっくりと目を細める。

 

 今度こそ、その笑顔が絶えないようにしたい。

 今度こそ、修羅の道を歩ませないようにしたい。

 

 武力を用いた戦いではなく、対話により歩み寄るための戦いを選んだ気高き王女。嘗て、その理想を抱いて、人々にコンタクトを取っていたグラン・パ。

 グラン・パの願いに対し、人々は、『同胞』たちが暮らしていた惑星(ほし)を崩壊させることで答えた。昔、『同胞』たちが生まれた惑星ガニメデと同じように、抹殺の姿勢を露わにした。

 優しかったグラン・パ。『同胞』の未来と幸せを祈っていた彼は、人々との“対話への扉”をこじ開けるため、『同胞』たちが帰りたいと願った青い星(テラ)へたどり着くため、戦うことを決意した。決意せざるを得なかった。

 

 そして、やっとの思いで、彼は扉を開いた。

 それきり、彼は帰ってこなかった。

 

 命を代償にして未来を切り開いた彼らの意志と想いは、後継者たちによって成し遂げられた。そうして初めて、彼らの人生と戦いは報われたのだ。

 

 

(死によって報われるなんて、嫌だよ。生きてそれを見届けなきゃ、意味ないよ)

 

 

 女性は静かに目を伏せた。

 

 グラン・パの背中を見続けて、彼の遺志を継いで3代目となったトオニィと一緒に奔走して、トオニィたち『同胞』と別れてこの地球に降り立って、愛する人と生きて、彼の後継者たちの姿を見守っている。

 だけれど未だに、グラン・パが死を選んだことが納得いかない。彼が選んだ理由も抱いた想いもわかっているからこそ、女性は思うのだ。グラン・パにも生きてほしかった、と。彼には時間が、まだまだ沢山あったのだから。

 初代指導者(ソルジャー)だって、最期の時間を穏やかに過ごすことくらい許されたはずだ。彼の勇気と行動は敬意に価するし、女性も初代指導者(ソルジャー)を尊敬している。でも、どうして、生きてくれなかったのだろう。

 

 

『僕が目覚めた意味が分かったんだ。……今まで生き永らえてきた意味が』

 

『いつかキミも、キミが生まれた意味を知る。そうすれば……きっと、わかるよ』

 

 

 それが、先代の肉声を聞いた最後だった。

 儚くも力強い笑みを浮かべた、優しい人だった。

 

 

(私が生まれた意味……)

 

 

 もやもやする気持ちを抱え込んだ女性は、深々と息を吐いた。もう少しで掴めそうな気がするが、その全貌は分からない。

 いずれ、そのすべてが明らかになる。どうやら、今はまだ、そのときではないらしい。女性は諦めることにした。

 ならば別なことを考えよう。女性は端末をいじり、別な画像データを取り出した。映し出されていたのは、1人の女性。

 

 襟元までで切りそろえられた栗色の髪に、端正な顔立ちの女性。緑のジャケットを羽織り、ネイビーのインナーを着て、白いズボンを穿いたアクティブなキャリアウーマン。彼女は日本の報道局に勤務し、JNN特派員の取材班をやっている。

 家族構成は弟1人。幼い頃に母親を亡くし、数年後に、フリージャーナリストだった父親が取材中の事故に巻き込まれて亡くなったという。現在取材していることは、イオリア・シュヘンベルクとソレスタルビーイングについてだ。

 

 

「この女性に見合うドレスを」

 

 

 女性は端末を操作する。次に表示された画像は、煌びやかなパーティドレスとアクセサリーたちだ。

 

 

「似合いそうなドレスは……これかな。あとは、サイズは目測でこれだから――よし。購入完了」

 

 

 パパッと手続きを終える。その旨を『同胞』の先輩後輩コンビ(女性から見れば、2人とも「目下の子どもたち」だが)を送信すれば、了承の返事が返ってきた。

 女性は端末を閉じ、車椅子の向きを変えた。次の瞬間、アザディスタンのホテルから別の場所へと世界が一変する。そこは、『悪の組織』の格納庫だった。

 

 

「……それで、ハロルドとキムが回り込んで、ユウイがこう……。さて、私の布陣に対し、皆だったらどう動かす? はい、まずはハーレイから」

 

「いきなり俺に振るのか!?」

 

「頑張れよ副艦長。お前も戦術指揮やってるんだろ?」

 

「頑張って、ハーレイ」

 

「ゼ、ゼルとブラウの裏切り者ー! お前らだって戦術指揮の勉強やってるじゃないかー!」

 

 

 最近完成したばかりの戦艦、ホワイトベース。新米の船員と艦長たちが、今日も元気にシミュレーターの復習をしていた。

 クルーの中には修行中のMSパイロットもおり、彼らもまた、ホワイトベースのクルーたちとシミュレーターの復習に参加している。

 ホワイトベースのクルーやMSパイロットの中には、数か月前に人革連の超兵機関から救出されたのち、『同胞』として覚醒した者たちも含まれていた。

 

 ちなみに、『同胞』に覚醒していない人々も、自分たちが匿っている。人並みに生活するための知識や技術を学んでもらっている最中だ。中には頭角を現し、機械技術や農業関係、芸術関係などの才能を開花させている子もいる。

 

 女性は格納庫に納められたMSたちを仰ぎ見る。

 そこに収められていたのは、灰色の機体と紫と黒を基調にした機体たち。

 両者ともガンダムタイプの量産機であるが、性能は専用機たちに勝るとも劣らない。

 

 

「今日のシミュレーターで、アスルの機体がオーバーロード引き起こしてたよな」

 

「やっぱり、通常タイプのESP-Psyonじゃダメだ。νガンダムやスターゲイザーに使われている、荒ぶる青(タイプ・ブルー)用の強化ドライブを搭載しないと……」

 

「それをやったら、あの量産機のスペックじゃ辛いです。試作中の新型機のロールアウトを急いだ方が……」

 

 

 技術者たちが話し合いながら、図面と睨めっこを繰り広げていた。皆、真剣な面持ちでいる。

 

 女性は件の少年へと視線を向けた。銀色に輝く髪と、緋色の瞳。初代指導者(ソルジャー)の面影を色濃く残す彼――アスル・インディゴは、超兵機関の出身者だ。

 彼は『被検体B-001』と呼ばれており、実験の後遺症で、自分の名前を思い出すことすらできなかったという。スペイン語で、アスルは青を、インディゴが藍を意味する。

 名付け親は女性だ。彼の顔を見た瞬間、初代指導者(ソルジャー)を連想した。そこから名前を思いついたのである。そのことを話したら、アスルは静かに笑っていた。

 

 笑い方まで、先代指導者(ソルジャー)と瓜二つだ。

 彼が帰ってきたかのような親近感に見舞われる。

 

 いいや、彼だけではない。ハーレイも、ゼルも、ブラウも、初代指導者(ソルジャー)の同年代であり、青い星(テラ)の大地の下に沈んだ命たちでもある。他にも、友人の親と同じ名前の人たちもいたし、女性の両親と同じ名前の人もいた。崩壊する故郷で命を落とした『同胞』や、戦いの中で命を散らした『同胞』たちもいた。

 

 

(まるで、皆が帰ってきたみたいだ)

 

 

 女性は彼らのやり取りを見つめた後、近くで話し合っている技術者たちの元へと歩み寄った。

 片付けなければならないことは山ほどある。次の案件に向けての下準備や、今後の事業内容についても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絹江・クロスロードは、戦友――セキ・レイ・シロエやジョナ・マツカたちと打ち上げをしていた。

 と言っても、打ち上げを言い出したのはシロエとマツカである。場所を指定したのもシロエとマツカである。

 

 

(でも、ドレスコード有りの高級レストランに連れて行かれるなんて思わないわよ!!)

 

 

 絹江は正直、頭を抱えたくて仕方がなかった。打ち上げ会をするから来ないかとシロエたちから誘われ、取材続行の知らせと重大な話をしたかった絹江は2つ返事で了承した。打ち上げ会と聞いていたので、近くの居酒屋かファミリーレストランあたりでやると思っていたのだ。

 そうして連れてこられた場所は、高層ビルの屋上付近にあるレストラン。普段通りの服装で来ていた絹江は真っ青になったが、シロエたちがコンシェルジュたちと何か会話をしていた。直後、絹江は女性たちに連行されるような形で試着室らしき場所へと連れてこられた。

 訳が分からず唖然としている間に、あれよあれよと絹江はドレスアップを施され、レストラン入口へと引っ立てられた。文字通り、3世紀前に使われた「ポルナレフ状態」であった。数分前までバリバリのキャリアウーマンだったはずの絹江は、美しい淑女へと姿を変えていたのである。

 

 今の絹江は、パニエが付いた緑色のサテンレースドレスを身に纏い、同じサテン生地だがベージュのジャケットボレロを羽織っている。ドレスはふんわりとしたシルエットで、着丈が少し短めなものだ。ジャケットボレロは襟がついており、かっちりとしたデザインとなっていた。おまけにアクセサリーとして、愛を祝福する極楽鳥のつがいを象ったデザインのネックレスまでついてきた。鳥は左右に配置され、中央には2羽が咥えるような形で宝石がちりばめられている。

 

 パーティ用のドレスを身に纏うことになったのも、ドレスコード必須の店に通されることになったのも、すべてが人生初のことだ。

 おまけに、このドレスのお値段も相当だろう。一般庶民の絹江に、手が出せるような代物ではない。お値段にハラハラしていたら、シロエが

 

 

『僕の恩師が、今回のイオリア・シュヘンベルク特集に感銘を受けましてね。取材したのは誰だと詰め寄られたので教えたら、絹江さんにこれらを贈ってほしいと頼まれました』

 

 

 ……と、いうことらしい。

 

 別な意味で危機感を感じていたら、マツカから「その人は女性です。趣味や特技がオッサン臭いですけど」と注釈を頂いた。

 なんでも、2人の恩師である女性の特技が「女性のスリーサイズを(実物、写真問わず)目視で確認できる」というものらしいのだ。

 他にも色々特技があるらしいが、シロエとマツカが遠い目をしたので黙っておくことにした。問い詰めたら、2人の精神衛生が危ない。

 

 現在、絹江たちは夜景の良く見える席で打ち上げをやっている真っ最中だ。しかし、場の空気の影響を強く受けてしまい、打ち上げというよりは晩餐会に近い。

 一般庶民の絹江には、拷問のような居心地の悪さを感じる。打ち上げとは、もう少し気楽なものではなかったのか。というか、何故シロエとマツカはこの店を選んだんだ。

 

 

(しかも2人とも、この店の常連っぽいし! おまけにフォーマルスーツも、ものすごく様になってるし!!)

 

 

 この場が高級レストランでなければ、思い切りテーブルを叩いていただろう。

 寸でのところで絹江は自重した。向かい側に座るシロエとマツカに目をやった。

 

 シロエは黒い無地のタキシードを着ていた。柄襟元の蝶ネクタイと中に着ているベストの色は、やや青みがかった黒た。夜の礼装として格調高いタキシードのおかげか、いつもよりキザに見える。姿勢もいいから尚更だ。

 マツカは灰色にうっすらとストライプが入ったスーツを着ていた。スーツの型はダブルで、少々ゆったりめのシルエットだ。ネクタイの色は無地のピンクゴールド。服の影響か、普段は猫背気味の背中がしゃんと伸びている。穏やかそうな好青年にしか見えない。

 礼服の破壊力は恐ろしい。目の前に、絹江とは縁遠いと思っていた『イケメン』が2人もいる。はしゃぐな落ち着け、と、絹江は自分自身に言い聞かせた。少しでも粗相をすれば、たちまちここから放り出される。そんな予感がしてならない。

 

 

「さて」

 

 

 シロエが悪戯っぽく笑い、グラスを掲げる。それに続いて、マツカもグラスを掲げた。

 

 現実に戻ってきた絹江は、彼らと一歩遅れてグラスを掲げた。

 グラスの中に注がれていた飲み物の水面が揺れる。

 

 

「今回の取材企画が成功したことに、祝杯を挙げまして。乾杯」

 

 

 「乾杯」と、絹江とマツカも音頭に続いた。グラス同士が触れ合い、軽やかな音を立てる。そして、グラスの飲み物に口を付けた。

 シロエとマツカは成人しているが、今日は車を運転する予定があるらしくソフトドリンクである。絹江の飲み物は白ワインだ。

 普段は缶チューハイを嗜む程度の飲みっぷりであるが、こういうのも悪くない。最も、クロスロード家の財力では難しい案件だが。

 

 絹江が考え込んでいたとき、乾杯のタイミングを待ち構えていたかのように、テーブルへ料理が運び込まれてきた。

 正直、緊張しすぎて途方に暮れかけている。絹江の心境を察したのか、シロエとマツカがリードしてくれた。

 

 

「こういう場所、先輩はお嫌いですか?」

 

「ちょっとね。あまり経験がないから」

 

 

 シロエはゆるりと目を細めた。マツカも穏やかに微笑む。

 

 

「絹江さん、そんなに緊張しなくとも大丈夫ですよ。気楽にしてください」

 

「それが難しいのよ。周りの人間が皆セレブだから、気後れしちゃって」

 

「僕やシロエ先輩だって一般庶民ですよ。シロエ先輩は取材でこういうところに潜り込んでたから慣れているけど、僕は、こういう所に来る機会はないし……」

 

「珍しいくらい涼しい顔してるのに?」

 

「え!?」

 

 

 そんな感じで、自分たちは談笑を楽しんだ。前菜を食べ終わり、次はスープがやって来る。

 食べ進めていくうちに、緊張もほどけた。絹江は会話のタイミングを計っていた。

 

 いつ、イオリア・シュヘンベルクの取材続行を切り出そう。

 

 

「絹江さん? どうかしたんですか?」

 

 

 マツカがこてんと首を傾げる。シロエも絹江の様子から何かを察したらしく、真剣な眼差しをこちらに向けてきた。

 いつの間にか、ツーカーに近い仲になっていたらしい。流石は戦友だ。絹江は小さく頷き、口火を切るようにして話を始めた。

 

 

「この前、上層部にイオリア・シュヘンベルクの取材を続行したいと頼んだの。その場で、正式に許可が下りたわ」

 

「凄いじゃないですか、先輩」

 

「おめでとうございます、絹江さん」

 

 

 シロエが表情を輝かせ、マツカが嬉しそうに手を組んだ。絹江は礼を述べ、話を続ける。

 

 

「……私はこれからも、ソレスタルビーイングを追いかけるつもり。そのためなら、多少危険な橋でも渡る覚悟でいるわ」

 

 

 絹江はじっと2人を見つめた。

 

 

「シロエは私の同業者だけど、貴方は貴方で追いかけたいものがある。マツカに至っては、本業は危険と無縁のはずだもの。これ以上関われば、大変なことになるかもしれないわ」

 

 

 絹江は言葉を切った。「でも」と付け加え、言葉を続ける。

 心臓が、早鐘のように鳴り響いていた。

 

 

「私1人じゃ、きっと、特番のための取材は上手くいかなかった。2人が助けてくれたから、私は取材の続行を勝ち取れたの。……だから――」

 

「――水臭いですね、先輩」

 

 

 絹江の言葉を遮って、シロエが微笑んだ。

 

 

「ここまで一緒にやって来たんです。今更、仲間外れは嫌ですよ」

 

「取材を続けるんですよね? だったら尚更、1人じゃダメです」

 

 

 マツカも頷く。

 

 2人とも、絹江の取材に協力し続けてくれる。尋ねたかったことを答えられ、しかもそれがいい返事だったのだ。こんなに嬉しいことはない。

 感極まった絹江の頬が、だんだんと緩んできた。断られることを覚悟していたけれど、快く引き受けてもらえる覚悟なんてしていなかった。

 不意打ちを食らったような気持ちになる。絹江は微笑み、「ありがとう」と告げた。シロエとマツカも微笑む。――気持ちは、同じだ。

 

 絹江はウェイターを呼び、全員分の飲み物を頼む。

 程なくして、ドリンクやワインがグラスに継ぎ足された。

 

 グラスを掲げた絹江に従い、シロエやマツカもグラスを掲げた。

 

 

「それじゃあ、改めて。これからも宜しくね、2人とも」

 

「ええ、宜しくお願いします。先輩」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。絹江さん」

 

 

 改めて、3人は乾杯する。夜はまだ、続きそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お隣さんのお嫁さんのお母さんが、本国へと帰国した。その結果、開かれたのが『ルイス・ハレヴィを励ます会』である。

 招かれたのはイデア・クピディターズと刹那・F・セイエイ、左隣のお隣さんである南雲一鷹とAL-3/愛称アリスに悠凪・グライフとHL-0/愛称ハルノ、沙慈・クロスロードとルイスの先輩である八重垣ひまりや草薙征士郎だった。

 

 

(どうしよう。大半の人たちが『同胞』なんだけど)

 

 

 イデアはちょっとだけ居心地が悪かった。特にこの面々は、イデアにとって馴染み深すぎる『同胞』たちである。本当は懐かしさに任せて語り合いたいのだが、刹那や沙慈たちに聞かれていい会話ではない。

 脳内会話でなんとか抑えているけれど、それだけじゃ込み上げてくる感情をどうにかできるとは限らない。このメンバー――特に、一鷹、悠凪、征士郎らと顔を合わせるのは、本当に久しぶりである。最後に顔を合わせたのは、イデアがソレスタルビーイングへ行く直前だった。

 自分たちに託された使命を背負い、それぞれがぞれぞれの道を行く。イデアはソレスタルビーイングへ、一鷹、悠凪、征士郎らが『悪の組織』へ。歩く道が違えども、見上げる月は同じだと信じていた。そうやって、頑張ってきたのだ。

 

 

『お願いよ、――』

 

『“来るべき日”のために。どうか、希望を守り抜いて――!』

 

 

 忘れられない。最期に、大切な人から告げられた言葉が。

 痛みと闇で失われた視界。『視えた』のは、“何か”に飲まれる人の姿。

 

 「剣術は誰が教えてくれるの?」――少年の問いかけが響いた。それに答えたのは男性だ。「これからお前は、1人で稽古をするんだ」――それが意味するのは、永遠の別れ。

 「嫌だ! 父さんと母さんを置いていけない」――少年の叫びが響いた。それに答えたのは夫婦だ。「逃げなさい。後から必ず、自分たちも行くから」――その約束は、永遠に果たされることなく。

 「お父さん、お母さん! 死なないでっ!!」――少年の悲鳴が響いた。それに答えたのは別の夫婦だ。「生きなさい。お前が生きることには、必ず意味がある」――その言葉は、人々の心に刻まれる。

 

 最後に、彼/彼女らは言った。『“来るべき日”のために、“希望”を守り抜いて欲しい』と。

 

 

「ううー……」

 

 

 ルイスの目は真っ赤だった。相当泣き腫らしていたのだろう。寂しい、寂しい――剥き出しの感情が、イデアの心をぐりぐりとえぐっている。

 彼女を励ますための人数合わせとはいえ、ほいほい引き受けた自分たちは、確実に周囲から「どうかしている」と言われるだろう。

 

 

「ルイス、大丈夫?」

 

「全然大丈夫なわけないじゃないですかァ、先輩ー……」

 

 

 ルイスは拗ねた表情を浮かべてひまりを見上げた。八つ当たりするように、ルイスは顔を顰める。

 彼女の行為は、周囲の人々に対し、八つ当たりをしているようにしか見えない。

 それに、ルイスの悩みは贅沢な部類に入るだろう。彼女の両親は生きているのだ。

 

 会うためには、物理的な距離があるだけで。

 ルイスと彼女の両親は、言葉を交わすことができる。

 

 

「……贅沢な悩みだな」

 

 

 刹那はぽつりと呟いた。

 

 

「母親が帰ったくらいで、何故泣くんだ」

 

 

 その言葉に、ルイスがキッと目を剥く。

 

 

「寂しいからよ! 皆がいてくれるのは嬉しいけど、でも、やっぱり寂しいっ!」

 

「なら、会いに行けばいいだろう。死んだわけでもないんだし、いつでも会える」

 

 

 刹那の言葉は、ルイスの琴線に触れたらしい。しかも、悪い方面に。

 

 ルイスは癇癪を起こし、わんわんと泣き出した。収拾がつかなくなってきている。

 何のためにイデアたちはここにいるのだろう。本来の目的を忘れてしまいそうだ。

 

 

「……でも、本当にルイスは贅沢だよね。死に別れたわけじゃないのに、今生の別れみたいに泣くんだもの」

 

「それとこれとは違うのーっ! どーしてイデアまで刹那みたいなこと言うの!? 酷い!」

 

「私もね、両親に会えないの。声も聞けないし、顔も見れないわ。……随分前に、死んじゃったから」

 

 

 イデアが淡々と紡げば、ルイスはぴたりと泣き止んだ。刹那が驚いたように目を瞬かせる。

 赤の他人であるルイスやソレスタルビーイングの仲間である刹那に、昔話をするのは初めてだ。

 

 

「私の母は事故で亡くなったの。しかも、私の目の前でね。……母を亡くした事故で、私は視力を失った。しかも、母が死ぬ前に。父も、母の後を追うようにして亡くなった。……だから、両親の最期の顔を見れなかったわ」

 

「…………ご、ごめんなさい…………」

 

 

 ルイスは完全に萎れてしまった。どうやら、癇癪は収まったらしい。

 

 隣に座っていた刹那が、心配そうにイデアを見上げてきた。イデアの過去は他人事ではないと思ったのだろう。イデアの様子から、この話が本当のことだと察したためでもある。

 一鷹が、悠凪が、征士郎が、「自分も親を亡くした」と零す。イデアのカミングアウトに突き動かされるような形だった。一鷹と悠凪が両親を、征士郎が父親を、それぞれ目の前で亡くしている。

 空気が一変したクロスロード家のリビングは、重々しくなっていた。『ルイス・ハレヴィを励ます会』は、いつの間にか『ルイス・ハレヴィを諌める会』、および『自分の過去を零す会』に変貌していた。

 

 家主の沙慈はおろおろしていて役に立たない。ルイスも、何とかしようと必死な様子だった。

 ひまりは事の詳細すべてを聞いているから、どうしようもないと知っている。

 

 そのとき、丁度いいタイミングで端末が鳴り響いた。ソレスタルビーイングからの連絡である。

 

 

「用事が入った」

 

「私も。それじゃ、またね」

 

 

 イデアと刹那は立ち上がる。何とも言えない表情で、ルイスと沙慈が自分たちを見送った。一鷹たちや征士郎らはいつもより少し静かな様子で、自分たちを見送る。彼らもまた、戦いに赴く。なんとなく予感があった。

 クロスロード家の部屋を出て、端末を開く。3大国家に大きな動きがあり、3大国家陣営は共同で軍事演習を行おうとしているらしい。今まで反目していた者たちが、手を組むことにしたのだ。

 軍事演習には、空軍エースパイロットであるクーゴやグラハムも参加するだろう。いや、これは軍事演習ではない。ガンダムを鹵獲するために、三大国家やその他諸々が動き出している。

 

 世界は加速する。統合に向かって。

 

 イデアは端末を握り締めた。

 世界は、佳境を迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「教官ー、ヨハン兄ー、ミハ兄ー。差し入れ持ってきたよー!」

 

 

 スポーツドリンクとタオルを片手に、ネーナ・トリニティは大声で3人を呼んだ。畑で収穫作業に勤しんでいたヨハン・トリニティとミハエル・トリニティが遠くから顔をのぞかせる。

 自分たちの教官であるノブレス・アムは、丁度収穫を終えたらしい。籠の中には、ナス、ピーマン、トマト、キュウリ、オクラなどの野菜が沢山入っていた。どれも採れたての新鮮だ。おいしそうである。

 ネーナはノブレスにスポーツドリンクを手渡した。農作業の最中であっても、ノブレスは決して人前で素顔をさらそうとしない。汗だくなのに、大丈夫なのだろうか。熱中症で倒れてしまいそうで、ちょっと不安だ。

 

 本人曰く、仮面をしているのは、顔に大きなやけどの跡があるためだという。昔、火災で家族を亡くし、自身も大けがを負ったと言っていた。

 

 他人を不快にさせたくない、とはノブレスの談である。そんなことはないとネーナは思うのだが、ミーハーで面食いな自身の正確を鑑みると、彼の不安もわかる気がした。

 もし、ノブレスが自分たちを信用して、いつか仮面を外す日が来たら。その下の顔を見て、ネーナは何を思うのだろうか。

 

 

(昔の私だったら、平然と「気持ち悪い」って言ったんだろうなぁ。……いや、もしかしたら、もっと残酷なことを平然と言ったかもしれない)

 

 

 火傷の後の具合にもよるだろうが、確実に、自分は教官のことをバカにしていただろう。

 考えるだけで、自己嫌悪に襲われる。昔の自分は子どもだった。子ども過ぎたのだ。悪い意味で。

 

 

「どうした?」

 

「あ、なんでもない! タオルどうぞっ!」

 

 

 ネーナは慌ててタオルを突き出し、そそくさと向きを変えた。兄たちの方に向き直る。

 

 

「ネーナぁ、パス!」

 

 

 遠くで、出荷用の花を収穫していたミハエルが大きく手を振った。横着はダメだと言いたげに、ヨハンはミハエルを見た。

 でも、結局は弟妹に優しい兄である。しょうがないと苦笑するに留めていた。そんな風に笑う兄たちを見ると、今が幸せだとつくづく思う。

 ネーナはミハエルに向かい、飲み物を投げた。大きく弧を描いて飛んだスポーツドリンクは、そのままミハエルの手に、吸い込まれるように落下していく。

 

 が、次の瞬間。

 

 ばちん、と、何か音がした。ミハエルがキャッチするはずだった飲み物は、ミハエルの手に届く直前で、何かに阻まれたかのようにバウンドした。そのまま、彼の手を超えて花畑の奥へと落ちていく。

 突如起きた超現象に、ミハエルは首を傾げながらも飲み物を拾いに行く。ネーナとヨハンも首を傾げたが、どうしてあんなことが起きたのかわからない。とりあえず、ネーナの元にやって来たヨハンに、飲み物とタオルを手渡した。

 

 籠の中には、収穫したばかりの野菜たちが顔をのぞかせている。

 

 

「どれもおいしそうな野菜だね!」

 

 

 ネーナの言葉に、ヨハンが少し遠い目をした。

 

 

「ミハエルがつまみ食いしようとするのを止めるのが大変だったのでな。花の収穫に回らせた」

 

「兄貴だってちょっと揺れ動いてたじゃねーか」

 

「大丈夫だ。この野菜、今晩の夕食の材料になる」

 

 

 ミハエルがむっとしたようにヨハンに突っかかれば、ノブレスが穏やかに笑った。彼の言葉に、兄2人は表情を輝かせる。

 ネーナには兄の気持ちがよく分かった。どの野菜も、太陽の光を浴びてつやつやと輝いている。かぶりついたらおいしいに違いない。

 新鮮な野菜を使った料理というのも魅力的だ。今日の食事当番はトリニティ兄妹である。

 

 

(『ガンダムマイスターたるもの、教養を持て』……だっけ)

 

 

 己の意志で判断を下し、己の力で道を切り開く。そのためのスキルと知識を磨けば、戦場を駆け抜け生き残る術に直結する。

 ノブレスがいつも言っていた言葉を思い出しながら、ネーナは端末を引っ張り出した。料理サイトにアクセスし、冷蔵庫の残りを思い出しながら献立を練る。

 

 そのとき、ノブレスの端末が唸るように着信を告げた。彼は端末画面を睨めっこし、深々とため息をつく。ヨハンがノブレスに問いかけた。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「近々、キミたちの初任務が行われることになるという話は知っているな。……予定より、前倒しになるかもしれん」

 

 

 仮面の下には、険しい顔があるのだろう。ただならぬ空気を感じ取り、ネーナは思わず息を飲む。

 花と野菜が植えられた長閑な畑に、ぴりぴりと尖った気配が漂い始めた。皆、緊張している。

 

 ノブレスはふっと表情を緩めた。

 

 

「たとえ前倒しになっても、変わらない。キミたちなら、やり遂げられる。僕はそう信じているよ」

 

「教官……」

 

「始まる前のことで悩んでいても仕方ないだろう。今日は、おいしい野菜を使ったおいしい料理をたくさん食べて、英気を養っておかなきゃな」

 

 

 ノブレスに促され、ネーナたちも彼に続く。

 蠢く世界とは裏腹に、自分たちの世界は穏やかだった。

 永遠に続くのではと思ってしまうくらい、平和だった。




【参照および参考】
『きちんと上質ドレスのレンタルドレス|キャリアンブティック 東京・渋谷店』より、『パニエ付きビジューサテンレースアップドレス(グリーン)』、『サテンジャケットボレロ(ベージュ)』
『ヴァン クリーフ&アーペル - Van Cleef & Arpels』より、『オワゾー ド パラディ ネックレス』

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