大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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33.憧憬-あこがれ-

 MD暴走事件から1週間が経過したが、ユニオン政府はMDを導入しようとしている様子だった。AEUや人革連がMD導入計画を本格的に進めているためである。

 ユニオンだけ導入を見送るなんてことになれば、他国に大きく出遅れてしまうと踏んだのだろう。MDに殺されかけたクーゴにしてみれば、腹立たしいことこの上ない。

 

 

「結局、PMC側からの回答は『原因不明』のままみたいだね」

 

「まったくだ」

 

 

 ビリーの言葉に、グラハムがうんうん頷いた。彼らもまた、MDによって危うく殺されかけた人間の1人である。

 

 PMC曰く、『起動テスト直前では何の異常もなかった』という。では、どうして、MDたちはクーゴや観客席にいた面々に襲い掛かってきたのだろう。タチの悪い誤作動でなければ、あんなとんでもない事件など起きないはずだ。

 一応原因究明はしてくれるらしい。正直、クーゴは期待していない。異常がないと言い張り、奴らはまた同じMDをユニオン軍に届ける予感がしてならないのだ。異常が発生して使えなくなればいいと願ったが、後者は叶わなさそうだった。

 クーゴは深々と息を吐き、端末のニュースを眺めていた。丁度、ニュースではMDの暴走事故が取り沙汰されている。セキ・レイ・シロエが、MDの異常に関する話をしていた。危ない橋を渡りすぎていないだろうかと不安になる程、今日は苛烈にシロエ節を利かせている。

 

 

『しかも、事故発生時に演習場に居合わせた人間の大半が、共有者(コーヴァレンター)もしくは虚憶(きょおく)保持者なんです。この能力を持つ人間に対して、MDが襲い掛かったと考えられるのではないでしょうか?』

 

 

 熱弁を振るうシロエの言葉に、クーゴはふと目を瞬かせた。彼の発言が正しいなら、あの演習場にはクーゴとグラハム以外のコーヴァレンター能力や虚憶(きょおく)持ちがいたということになる。

 もしかして、あの場に居合わせた共有者(コーヴァレンター)虚憶(きょおく)持ちは、『悪の組織』の技術者であるノーヴルやアニエスたちなのだろうか。だとしたら、アニエスたちがしきりにクーゴを()()と呼ぶ理由として充分だ。

 

 正直、クーゴもアニエスたちを見ると懐かしい気持ちになる。実際に、虚憶(きょおく)の中で交友を重ねる光景があるのだ。共に戦いながら、若者たちの成長を見守っていた。

 虚憶(きょおく)の中の自分は30代になっており、もうすぐアラフォーと言っても差支えないオッサンになっていた。アニエスとよく似た青年の成長に、微笑ましさを感じたものである。

 アニエス、ジン、サヤ、アユルが仲良く並んでいる背中を見ると、時折だが、泣きたくなることがあった。“今度こそ、一緒に並んでいられるんだな”と。まるで、前回はバラバラになってしまった光景を『知っている』かのように。

 

 滅びの運命に挑み続けた、気高き挑戦者たち。2つの側面から命を補完し、世界の均衡を守るため、すべてを消そうとした神に挑んだ勇敢な若者たちの姿が『視える』。

 

 

(滅びの可能性を超えた、究極の混成部隊(アルティメット・クロス))

 

 

 可能性が集った先に、仲間たちと笑いあう未来があった。

 クーゴはそれを『知っている』。

 

 

「そういえば、近々大規模な人事が行われるらしいな」

 

 

 クーゴが思考回路を張り巡らせようとしたとき、思い出したようにグラハムが言った。クーゴは首を傾げる。

 

 

「なんで伝聞調なんだ?」

 

「正式に下されたものではないからな。先程、上層部が話をしているのを小耳に挟んだだけだ」

 

 

 グラハムはコーヒーの入った紙コップを片手に、近くにあった休憩所のソファへと腰かけた。クーゴとビリーもそれに続くような形で、ソファへと体を沈めた。

 窓から見上げた空は快晴。目に痛くなるような青と、辟易したくなるほど明るい太陽光だ。窓越しから見てもちょっと辛い。サングラスでも購入しようか、なんて考えた。

 

 端末が鳴り響く。何事かと確認すれば、差出人は『エトワール』――もとい、イデアからのものだった。

 

 何の注意もせず、何の気もなしに、データを開いたのがまずかった。端末画面いっぱいに表示された画像データを目にしたとき、頭の奥が焼けつくような痛みを感じた。

 青く輝く、渚の太陽。何て眩しいのだろう。グラデーションで分けられた地平線が栄える。言っている意味が分からないと思うが、クーゴの頭の中もパニック中である。

 

 

(『只今、バカンス中』……)

 

 

 水着だった。いつぞや送られてきた画像と同じ、青と水色のグラデーションが綺麗な水着。

 網膜が焼き切れるのではないかという勢いで、クーゴの平静を破壊してきた格好である。

 手から端末がずり落ちかけたが、反射でそれを掴んだ。その影響か、画面が勢いよくスクロールした。

 

 

『今度のオフ会の日取りが、丁度、近所で夏祭りが行われるんです。日本では、夏祭りは浴衣で参加するものだと聞きました。是非とも着てみたいのですが、私たちではちょっとわからなくて……』

 

 

 イデアの水着姿が焼き付いて離れてくれない。どうにかそれを振り払った後、クーゴはメールの文面を確認する。

 水着の画像の下には、浴衣の話についてのメッセージが添えられていた。桜の木の下には死体が埋まっていた的なノリである。

 

 思考回路がショート寸前のクーゴの耳は、グラハムの端末が鳴り響いた音を拾い上げていた。メッセージを見て、「夏祭りか」と零した声も。

 

 

「いいなあ。キミたちは、絶好調なんだね」

 

 

 羨むような声がした。見れば、ビリーがどこか遠いところを眺めている。

 彼の持っていた端末に表示されているのは、ガンダムのデータだけだ。

 

 意中の相手であるリーサ・クジョウからは何も来ていない。相変わらず、高嶺の花は多忙で捕まえられない様子だった。

 彼の心が『視える』。人の幸せを喜びたいが、自分の不運さを呪わずにはいられないのだろう。

 今のビリーには、なんて言葉をかけてやればいいだろうか。いい言葉はまったく思い浮かばない。むしろ、悪い方向に進みそうな気がした。

 

 

(今度、ドーナッツでも作って差し入れるか)

 

 

 彼がしょっちゅう食べているような、油でテカリ輝くようなものでは体に悪い。材料に米粉や豆乳、おからなどを使ったり、味付けに野菜や果物のジャム、きな粉や黒胡麻等を使ったり、調理法で油を使わず焼き上げる方法を取ったり、工夫する方法はいくらでもある。

 そういうものなら、ビリーがやけ食いしても問題ないだろう。以前、野菜のジャムを振る舞ったとき、「美味しいジャムだね。色も綺麗だ。何を使ったんだい?」と尋ねられたことがある。野菜を使ったと言ったら、目を白黒させていた。

 

 確か、パプリカやトマト、人参を使ったジャムが好評だったか。それを中心にして作ってみよう――なんてことを考える。

 

 そちらはいいとして、問題はイデアたちとのオフ会だ。浴衣、という言葉を小声で呟く。

 

 確か、京都で着物専門店を営む親戚(グラハムが陣羽織を購入した店だ)の伯母に当たる人が東京に出店していた。

 そこなら種類も豊富だし、レンタルや着付けもやっているはずだ。早速交渉してみれば、伯母は快くOKしてくれた。

 クーゴは早速端末を操作し、イデアにメッセージを送る。どうしてかは知らないけれど、ニマニマ笑う彼女の顔が見えたような気がした。

 

 

「そういえばクーゴ。キミの親戚に――」

 

「問題ないぞグラハム。許可は得た」

 

「おお! 仕事が早いな、キミは!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イデアはニマニマ笑いながら、端末を眺めていた。メールに添付されていたのは、ユニオンの軍服に身を包んだクーゴ・ハガネの写真画像である。

 メールの下には、メッセージが添付されている。先程、イデアが送信した『オフ会という名の夏祭り漫遊(デート)』のお誘いに対する答えだ。

 

 

『親戚が経営している専門店があり、その支店が東京にある。そこなら種類も豊富だし、レンタルや着付けもやっているから、多分大丈夫だ』

 

 

 言質は取ったも同然。これで、実質的なデートである。相手に対しては、それをおくびにも見せるつもりはないのだが。

 刹那のほうも同じようなことになるだろう。帰ってきた彼女が、グラハムからの返信を見た反応が楽しみである。

 イデアは鼻歌を歌いながら端末を片付けた。嬉しすぎて、足が勝手にステップを踏み始める。

 

 画像のお返しに何を送ればいいかわからないから、と、クーゴは自分の制服姿の写真を送ってきた。

 「軍服に着られている感がある」と本人は語っているが、充分に似合っている。凛とした佇まいが印象的であった。

 

 

(この人には、青や空色が似合うなあ)

 

 

 クーゴの軍服画像を端末で確認しながら、イデアはプールサイドに腰かけた。

 

 現在、イデアたちソレスタルビーイングは、(ワン)留美(リューミン)の所有する別荘で休暇を取っている最中だ。

 いつぞやスメラギたちがバカンスを楽しんだ別荘とはまた違う。流石は世界有数の資産家、(ワン)家。保有する別荘の数も桁違いである。

 同じ国にある別荘であっても、地域が違えば気候も違うのだ。(ワン)家はそこまでこだわって、各地に別荘を構えていた。

 

 金持ちのスケールは総じて大きいようだ。

 一般庶民のイデアからは、あまり考えられない。

 

 

「ナノマシンの普及によって、宇宙生活における人類の悪影響は激減した。……なのに、精神衛生上の観点から、地上へ降りる必要があるなんて」

 

 

 留美(リューミン)は、隣で日光浴をするスメラギに話しかけた。

 人間という種の未熟さ/限界に対して、何か思うところがあるらしい。

 スメラギは青空を見つめながら、彼女の言葉に応える。

 

 

「人間がコロニー以外の宇宙で暮らすには、まだまだ時間がかかるわ」

 

「スメラギさんは、人類が宇宙に進出するのがお嫌い?」

 

「私たちはまだまだ未成熟な生命体よ。……でも、それも悪くないわ。重力下で飲むお酒は格別ですもの」

 

 

 スメラギはそう言いながら、ワイングラスを手に取った。示すようにしてワイングラスを揺らせば、赤ワインがゆるく渦を巻いた。

 

 

「そうですね。地球は、人を含んだすべての命が生まれた場所。母なる惑星(ほし)ですから」

 

 

 イデアはくるりと振り返り、スメラギと留美(リューミン)に向き直る。

 まさかイデアが話に乗っかってくるとは思っていなかった2人は、目を瞬かせながらこちらを見返す。

 

 イデアは思い出すように目を閉じる。青い星(テラ)へ帰りたいと願った、『同胞』たちの長い旅路。

 

 『「見たこともなければ行ったことのない惑星(ばしょ)なのに、どうしてそこへ帰りたいと強く願ったのだろう」と、初代の指導者(ソルジャー)が零していた』とは、グラン・マが言っていた話である。

 青い星(テラ)が楽園であると思っていたのは、彼が見出した女神が持つ青い星(テラ)のイメージを『視た』からだ。だから、『同胞』たちにとって、青い星(テラ)という存在は重要な意味を持っていたのだろう。

 命が生まれた青い星。人間と『同胞』、すべての命が生まれた場所。たとえ宇宙に進出し放浪せざるを得なくとも、宇宙のコロニーで一生を終えることになろうとも、誰もが青い星(テラ)へ行くことを夢見ていた。夢見ながら、死んでいった。

 

 それと同じなのだ。

 誰もが、人類の生まれ故郷である地球に憧れ、魅せられ続ける。

 

 

「たとえ宇宙に進出しても、地球への愛着と憧憬は無くならないと思いますよ。……地球を知らぬまま生まれ育ち、死に絶えることが『当たり前』の時代になっても」

 

 

 噛みしめるように呟いたイデアの言葉に、スメラギは考え込むように俯いた。

 懐かしい相手を思い出すように、彼女はゆるりと目を閉じる。

 

 

「昔、誰かが言っていたの。『人類は、地球と重力に縛られたがっているのかもしれない』って」

 

 

 そうして、スメラギはワインを呷った。1杯目を優雅に飲み干し、2杯目をグラスに注ぐ。

 

 

「昼酒は体に毒でしてよ?」

 

 

 言葉は咎めるものであるが、留美(リューミン)の表情は微笑を浮かべている。

 スメラギは苦笑いを浮かべながら、弁明するように肩をすくめた。

 

 

「止めたくても止められない。まさに未成熟」

 

 

 スメラギはまた、ワインを呷り始めた。これ以上触れないでほしいと言うかのような気配を感じ取り、イデアはゆるりと微笑んで、スメラギたちから離れる。

 次に腰かけた場所は、クリスティナとリヒテンダールが話している方のプールサイドだ。他にもラッセやフェルトもいるが、2人はそれぞれ自分のことに没頭している。

 ラッセは筋トレに勤しんでいた。フェルトは地上で本物の花を見たのが初めてのため、ハロを解説役にして、花をまじまじと観察していた。

 

 

「バラは赤や白以外にもあるんだ……。前にロックオンがくれた花束は白いバラだったし、この前のやつは赤いバラだったから、わからなかった」

 

『イロイロアル、イロイロアル』

 

「でも、ロックオン、顔が真っ赤だったなぁ。どうしてだろう?」

 

『ハナコトバ、ハナコトバ』

 

「花言葉?」

 

 

 フェルトはこてんと首を傾げる。フェルトとハロの会話を聞いて、イデアの頬が緩んだ。

 ロックオンも、じりじりとフェルトとの距離を縮めているらしい。後で根掘り葉掘りしよう。

 

 故郷の街にいるであろうロックオンが、悪寒を感じて首をきょろきょろさせている姿が『視えた』ような気がした。寒気が止まらなくて悩んでいる様子だった。

 

 イデアはゆっくりと、クリスティナとリヒテンダールに視線を向ける。「四六始終べたべたしてたら――」の先の言葉を、リヒテンダールは飲み込んでしまった。

 「四六始終ベタベタしていたら気持ち悪い」という言葉とは裏腹に、クリスティナとキャッキャウフフしたいという願望をひっそり抱えながら生きているリヒテンダール。いい獲物だ。

 ちょっと泣き出してしまいそうな顔。イデアに根掘り葉掘りされることに対して、恐怖を抱いている。そんなリヒテンダールの変化に、クリスティナが首を傾げた。何も知らないというのは罪深い。

 

 

「ところで、クリスティナは? いい人見つかった?」

 

 

 敢えて、リヒテンダール本人ではなく、彼が恋してやまないクリスティナに話題を振る。

 

 挙動不審になったリヒテンダールに対し、何も知らないクリスティナはうーむと考え込む動作をした。そうして、深々と息を吐いた。

 「これがいないんだよなぁ」と噛みしめるようにして語る彼女に、リヒテンダールは打ちのめされたかのように肩を落とす。

 

 

「もしかして、荒れてる?」

 

「そうなんだよねー。お気に入りの歌手が、突然、次のイベントを最後に、無期限の活動停止を宣言したから」

 

 

 クリスティナはげんなりした表情で端末を示した。今をときめく人気歌手、テオ・マイヤーの歌手活動停止に関するニュースが報じられている。

 理由は不明。先日のライブでいきなり発表されたことだった。あまりにも突然だったために、ファンの1人が卒倒して病院に運び込まれたという。

 画面には、赤い髪を束ねた少女が愕然とした表情を浮かべて崩れ落ちた映像が映し出されていた。彼女の関係者らしい2人の男性が慌てた様子も。

 

 蛇足だが、その事件が終わった後、テオ・マイヤーは倒れたファンの少女のお見舞いに行ったらしい。熱愛かと噂されているが、本人が表舞台から雲隠れしたため詳細は不明だ。

 

 

「で、イデアは?」

 

「そうっスよ! 他人の恋愛に介入するんスもん。自分の恋愛についてはどうなんスか?」

 

 

 クリスティナが、好奇心を滲ませた瞳でイデアを見てきた。それに乗っかるような形で、リヒテンダールも興味津々にこちらを見返す。

 これなら自分も優位に立てるかもしれない――リヒテンダールは確信したようで、珍しく強気な表情を浮かべていた。

 

 イデアは満面の笑みを浮かべて端末を操作する。正直、先程添付されてきた画像を自慢したいのだが、それをやったら、今の空気がぶち壊しになってしまうだろう。

 

 機密漏洩だ何だと大騒ぎになることは間違いない。それ以外の画像データは、待ち受け画面に設定されている1枚のみだ。

 待ち受け画像を見て、イデアはますます笑みを深める。以前日本で再放送されていた300年前の時代劇宜しく、イデアは端末を示した。

 

 とても誇らしい気分だった。

 誰かに自慢したいと常々思っていた。

 やっとその機会が来たのだ。

 

 

「――」

 

 

 クリスティナとリヒテンダールが凍り付く。そうして、次の瞬間、

 

 

「う、うわあああああああああああああああああああああ!!」

「きゃあああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 2人は悲鳴を上げて、プールの中へと真っ逆さま。

 派手な水しぶきが上がった。何事かと、仲間たちが振り返る。

 

 

「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

「――ひっ!!」

『ゾンビ! ゾンビ!』

「何!? ゾンビ!? バイオハザード!?」

「嫌ああああああああああああああああ!」

 

 

 端末に映った画像を見たラッセ、フェルト、ハロ、留美(リューミン)が、悲鳴を上げてひっくり返った。

 アルコールの入っていたスメラギは、酔いのせいか、周囲をきょろきょろ確認している。

 椅子の陰に隠れながら、留美(リューミン)はイデアを睨みつけた。涙目のため、迫力はいまいちだが。

 

 

「貴女、あの画像、本当に待ち受けにしたの!?」

 

「えへへ」

 

「そこは照れるべき場面ではありませんわよ!? って、そんな恐怖画像をまじまじと見せつけないで!!」

 

 

 周囲は阿鼻叫喚と化している。そんなに逃げるほど、恐ろしい画像だろうか?

 

 イデアは口元を尖らせ、端末へと視線を向けた。待ち受け画面に映し出されていたのは、4徹明けのクーゴ・ハガネだ。

 刹那が悲鳴を上げて端末を放り投げ、ロックオン、紅龍(ホンロン)留美(リューミン)が端末を放り投げ合う原因を作った画像である。

 4人が口をそろえて「恐怖画像」と称するそれが、イデアの端末の待ち受け画面であった。皆は怯えるけれど、イデアは何時間でも見ていられる。

 

 プールに沈んだクリスティナとリヒテンダールが仰向けで浮かんできた。両名とも、顔を覆い隠して体を震わせている。

 ラッセは腰を抜かしたままだし、フェルトはへたり込んで頭を抱えている。突如フェルトに放り投げられたハロは、プールの水面に浮かんでいた。

 

 何もなかったことに気づいたスメラギは、安堵のため息をついて酒を呷った。留美(リューミン)はがっくりと肩を落としていた。

 

 

(……まあ、いいか)

 

 

 イデアは端末を閉じて、オフ会へと思いを馳せたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネーナ・トリニティの様子がおかしい。

 

 先月、彼女はテオ・マイヤーのコンサートに参加していた。彼の生歌を聴いた彼女は、次のコンサートのチケットを購入していた。

 ネーナが萎れてしまう原因は、先週のコンサートにあった。そこで、突如、テオ・マイヤーが「次のイベント活動以後、無期限の活動停止」を発表したのだ。

 それを聞いた彼女はそのまま卒倒してしまった。後でテオ・マイヤー本人が謝罪したのだが、そのときは顔を赤らめてあわあわしていた。

 

 シュミレーターの戦果および成績には異常なし。ただ、なんだか元気がなくなってしまったように思う。

 周囲に人がいるときは、比較的明るく振る舞っている様子だった。しかし、本当に時折、心ここにあらずとでも言うように虚空を眺めていることある。

 

 

(一体、何がどうしたんでしょうか……)

 

 

 思い当たる理由が何もなくて、ノブレスは首を傾げる。件の教え子は、自由時間にCDを聴いていた。

 アーティストはテオ・マイヤー、曲名は『Terra -還るべき青き惑星(ほし)-』だ。

 外の音すべてをシャットダウンするかのように、ネーナは目を閉じていた。表情は頬が緩んでいる。

 

 初めて彼女たち――トリニティ兄妹と顔を合わせたとき、苛烈で攻撃的な子たちだと思っていた。

 

 他者が幸せそうにしていることが許せない。でも、それ以上に、自分が幸せを知らないことと、幸せになれないことが嫌で仕方がない。

 幸せになりたいという欲求が、他社への攻撃性、もとい八つ当たりでしか表現できない『獣』だ。意図的に生み出された、悪意の被害者たち。

 

 

「教官」

 

 

 名前を呼ばれた。

 

 振り返れば、子どもたちと遊び終えたヨハンとミハエル。2人とも沢山走り回っていたためか、汗をびっしょりかいていた。

 タオルと飲み物を手渡してやれば、2人は礼を言って受け取る。汗を拭き、水分を補給した後、彼らはノブレスを神妙な眼差しで見つめてきた。

 

 

「どうした?」

 

「教官の好きな女性のタイプって、どんなんだ?」

 

 

 口火を切ったのはミハエルであった。

 ノブレスの思考回路がフリーズする。

 慌てた様子で、ヨハンがミハエルを嗜めた。

 

 

「いや、教官も適齢期ですから……そういう話もあるのかな、と……」

 

 

 ヨハンがあわあわしながら何か弁明を繰り返しているが、ノブレスにはその言葉を聞き取ることができなかった。

 

 思い出すのは友人の言葉だ。婚活という単語を連呼してきた1人の少女が浮かんでは消える。

 隣に住んでいた少年に至っては、「結婚相手どころか恋人すらいない人が云々」とカウンターしてきた。

 

 つまり、彼らは。

 彼女や彼と同じようなことを。

 ノブレスに問いかけてきたということか。

 

 

(ついに、この子たちまでそう言うようになったのか――)

 

 

 ノブレスは笑ってしまった。

 

 面白いから笑ったのではない。哀しすぎて笑ってしまったのだ。むしろ、それしかできそうになかった。

 

 

「きょ、教官!?」

 

「大丈夫ですか!?」

 

「何!? 泣いてるの!? 泣かせたの!?」

 

 

 後からよく考えれば、この3兄妹は一言もノブレスの傷をえぐるような発言をしていなかったのだが。

 些細な言葉から勝手にトラウマを引き起こした今のノブレスは、平静でいられなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏祭り会場は、人でにぎわっている。露店が並び、様々な出店や催し物が行われていた。

 

 ステージの方では歌手が舞台で歌ったり、漫才師や手品師が芸を披露したり、夏祭りの実行委員が主役となって様々なゲームが行われるという。

 現在、ステージではテオ・マイヤーが自分の持ち歌を披露していた。この歌手は、今回のイベント参加を最後に無期限の活動休止宣言をしている。

 そのため、彼の活躍を拝むために、多くのファンでごった返していた。皆浴衣に身を包んでいる。特に、最前列にいる赤い髪の少女が、一際気合を入れて声援を送っていた。

 

 

(そういえばあの女の子、ニュースで映ってたな)

 

 

 彼女の脇を固める青年2人も、浴衣に身を包んでテオ・マイヤーの活躍を見守っている。

 テオ・マイヤーは、男女からも人気だ。男性ファンがここにいることは何らおかしくない。

 

 

「クーゴさん、どこ見ているんですか」

 

 

 少し不機嫌な声が聞こえてきた。振り返れば、年甲斐もなく頬を膨らませるイデアの姿があった。ペールグリーンの髪を簪でお団子にまとめ、濃淡の綺麗な青い生地に白でアネモネの花が描かれた浴衣を身に纏っている。簪は、以前クーゴが贈った桜の簪である。

 格好からして涼しげな装いだ。昼間、親戚が見繕ってくれたレンタル浴衣は伊達じゃない。流石はプロだ、と、クーゴは親戚に喝采を送った。心の中で。やたらと「くーちゃんが女子を連れてきた! これは本気を出さざるを得まい!!」とはしゃいでいたのが気になるが。

 ちなみに、クーゴは作務衣(さむい)と呼ばれる服を着ている。甚平とよく似た洋服であるが、甚平よりも生地が丈夫だ。甚平は半ズボンであるが、作務衣は長ズボンを穿く。主な使用用途は、部屋着や職人が着るような作業着だ。色は、どこまでも深い紺色である。

 

 

「催し物をな。今年の夏祭りは、例年と比べて派手だし」

 

「京都のお祭りも見てみたいですねぇ」

 

「祇園祭とか、風祭りとか、長岡天神の夏祭りとか、宇治川や嵐山の鵜飼とかか」

 

「見たことあるんですか?」

 

「まあな。休暇を取ると、丁度その時期に当たるから。あまり家にいたくないから、わざとそっち方面見て回ってる」

 

「クーゴさん……」

 

 

 イデアの表情が曇る。

 彼女にそんな顔をさせるのは、本意ではない。

 

 

「家はあまり好きじゃないけど、故郷は好きだよ。帰るとほっとする」

 

「やっぱり、故郷っていいものですよねー」

 

 

 クーゴがしみじみと呟けば、イデアがのほほんと笑った。彼女の手には、先程屋台で購入したリンゴ飴が握りしめられている。

 

 小さいリンゴでも、赤い飴でコーティングされた丸々1個は手ごわい。ソースはクーゴの実体験だ。唇がコーティングされた飴の色に変色してしまったり、飴で口の中を切ったり、食べている間に顎が辛くなったりしたものである。

 イデアはリンゴ飴を少しづつ咀嚼しては、「食べづらい」と難しそうな顔をした。彼女の唇は飴のせいで真っ赤に染まっている。口紅よりも鮮烈なシグナルレッドを見て、何とも言えない気持ちになった。逃げるように視線を逸らす。

 

 視線を逸らした先には、浴衣に身を包んだ刹那と、作務衣を着たグラハムが輪投げに挑戦している姿が目に入った。

 前者の浴衣は白地に青や青紫のなでしこや萩が描かれている。後者の作務衣は何も描かれていないシンプルな濃緑の生地である。

 

 

『キミは甚平を持っていただろう。着ないのか?』

 

『あー……。もうすぐ30代のオッサンが、人前で半ズボンを穿くのは……なんだかなぁ、と』

 

『……把握した。言われなければ気づかなかったのだが……』

 

 

 自前で持ってきた作務衣を着てきたクーゴを見たグラハムと、店で交わした会話を思い出した。

 甚平を着るつもりだった彼の心境変化がどのようなものだったか、察するに余りある。

 

 それでも、作務衣は彼のお気に召したらしい。今着ている作務衣と一緒に、冬用のものもカードで購入していた。空軍エースの経済力を舐めてはいけない。

 

 

「クーゴさんの親戚の力も舐めちゃいけませんよね」

 

「ああ。よく言われる」

 

 

 イデアはくすくす笑っていた。クーゴもそれにつられて笑う。

 

 

「ところで、キミの故郷はどんなところなんだ?」

 

「宇宙生まれなんです。民間団体が所有するコロニーで、地球に来たのは3歳の頃でした」

 

 

 イデアは懐かしむように目を細めた。

 記憶を紐解くように、過去を辿るように、イデアはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 

「両親や弟や妹たちと初めて見た地球はとても綺麗で……あのときの光景は、今でも鮮明に覚えています」

 

「地球は青かった、ってやつかい?」

 

「ええ。あまりの美しさに、心が震えました。同時に思ったんです。ヒトがヒトである限り、誰もがこの星に愛着を持ち、憧憬を抱くんだと。そういう遺伝子が刻み込まれているのだと」

 

 

 そう言って微笑んだイデアの姿に、クーゴはどうしても目を離せなかった。目を逸らしたくてたまらないのに、ずっと彼女の姿を見ていたいとさえ思ってしまう。釘付け、とはこういうことを言うのだろう。

 地球への憧憬。どこかで聞いたことのあるようなフレーズだ。そういえば、クーゴが読み進めている『Toward the Terra』の『ミュウ』篇で、『ミュウ』たちが青い星(テラ)に対する想いを語るシーンがあったか。

 すべての命が生まれた場所。母なる青い星(テラ)。人類と『ミュウ』の生まれ故郷。宇宙へ飛び出した者たちであっても、そこで生まれ育ち死んでいくことが当たり前であっても、誰もが憧れを抱く場所だった。

 

 イデアの言葉が指すのは、多分、それと同じような想いだ。

 漠然と、けれどはっきりと、クーゴは確信した。

 

 

「遺伝子に刻まれた想い、か」

 

 

 思いを馳せるように、クーゴは空に視線を向けた。

 

 どこからか、花火大会開始時間のお知らせが聞こえる。

 それを聞いた人々が移動を始めた。グラハムと刹那も反応し、こちらを見返す。

 

 

「クーゴ」

 

「大丈夫だよ。穴場スポット、知ってるだろ?」

 

 

 こっちだ、と、面々に手で合図した。4人揃って移動を始める。石段を登ってしばらく歩いた後、わき道にそれる。少しきつめの獣道を歩けば、小高い丘があった。

 開けた視界。街並みと空がしっかりと見える。花火大会開始の合図が遠くから響いた直後、色鮮やかな花火が夜空を彩った。赤、青、緑、紫――様々な色が瞬いては消えていく。

 刹那とイデアは花火初体験らしく、きらきら目を輝かせながら空を見上げていた。炎が持つのは、人を焼き払う残忍さだけではない。誰かの心を照らし、震わせる優しさや美しさがあるのだ。

 

 穏やかな気分で花火を見たのは久々である。

 つい最近は、『花より団子』宜しく『花火よりも喧騒』みたいなことになっていたか。

 

 虚憶(きょおく)の中のバカンスも、〆は花火大会だった。クーゴの知り合いは、花火より大乱闘がお好きな様子だった。『刹那』の災難、フリーダムな『グラハム』、『グラハム』対『刹那』の家族たち――思い出すだけで気が遠くなる。

 

 

(でも、とても愛おしい)

 

 

 クーゴはひっそりと頬を緩めた。

 

 花火は鮮烈なまでに輝き、儚く消えていく。いつか、自分たちの過ごした時間も、この花火のように消える瞬間(とき)が来るのだろう。

 それでも、今日見た景色の美しさは、心にしっかりと刻みつけられている。決して、忘れることはない。――何が起きても、決して。

 

 空では美しい花が咲く。そうして、何も残さず消えていく。何度も、何度も、それを繰り返し続ける。

 この場にいる誰もが、それを静かに見守っていた。その美しさを瞳に焼き付けていた。

 もう一度見たいと呟いたのは、誰だったか。それは確かに、この場にいる全員の気持ちだった。

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。




【参考および参照】
『COOKPAD』より、『焼きドーナツ(MKYAHCさま)』、『ビタントニオできなこ豆乳ドーナツ(yukky51さま)』、『米粉でもっちりドーナツ♪(まごさくスタッフさま)』、『パプリカジャム~やさいでジャム~(ブラックウルフさま)』
『【楽天市場】理想の浴衣(ゆかた)の専門店utatane。正統派から個性派まで豊富な品揃え:utatane』より、『有松絞り3点セット 薄青にアネモネ』『高級変わり織り浴衣3点セット リネン麻混・涼しげなでしこと萩』

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