大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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30.軍人と天上人と監視者と、星屑の夢を見る者たち

 セキ・レイ・シロエは歩いていた。ピーターパンの呼びかけに応えるようにして、ふらふらと歩いていた。

 どこへ向かっているのかはわからないけれど、どこを歩けばいいかは分かっていた。だから、迷うことなく足を進める。

 

 体が鉛のように重い。一歩踏み出すだけでも呼吸が乱れる。でも、足を止めることはしない。

 

 キーを入力する端末は、何もしていないのに吹き飛んだ。

 閉ざされていた扉は、シロエが近づいただけで破壊された。

 道は開けた。遮るものは何もない。今なら、どこへだって行けそうな気がする。

 

 

「僕も行きたいよ。ネバーランド」

 

 

 自分が唯一持ってきた『ピーターパン』の絵本を抱えて、シロエは呟いた。

 

 

『ネバーランドよりも、もっといいところがあるぞ』

 

『どこ?』

 

『――青い星(テラ)だよ』

 

 

 子どもの頃、父が言った。彼の顔を思い出すことは叶わない。

 父はいつも、青い星(テラ)の話をしてくれた。

 緑と水に満たされ、生命(いのち)を育んだ、母なる星。

 

 いつか、お前もそこへ行けるだろう――。

 

 父の言葉を思い出して、シロエは足を進めた。

 

 ふと、周囲を見渡す。

 そこには、練習用に乗り込むシャトルがあった。

 

 

(これに乗れば、ネバーランドへ行ける……!)

 

 

 シロエはふらふらとした足取りで、シャトルを目指す。

 

 重い体を引きずりながら、シロエはどうにかそこへとたどり着いた。シャトルの扉が開き、メインシステムが勝手に動き出す。

 これならすぐに飛べるだろう。シロエはほっとしたように息を吐き、椅子に腰かけた。エンジンが起動し、シャトルが宇宙(そら)へと飛び出した。

 ピーターパンの本はどこに行ったのか。背後の席に視線を向ければ、絵本は後部座席に置かれていた。シロエは天井を仰ぐ。

 

 

(ピーターパン……青い星(テラ)に行きたいよ)

 

 

 シロエは願い続ける。彼の願いに呼応するかのように、シャトルは宇宙(そら)を突き進んだ。

 シロエの望んだネバーランド――青い星(テラ)へ向かって。

 

 

「『ああ』……『見て、葉っぱが落ちてる』……。『ピーターよ。ピーターパンが来たんだわ』……」

 

 

 両親がいつも読み聞かせてくれた絵本を諳んじながら、シロエはぼんやりと宇宙(そら)を見上げる。

 後部座席に置かれた本が、シロエの朗読に合わせて勝手にページをめくり始めた。

 

 物語を読み進めるうち、シロエは気づいた。――パパとママが、いない。

 

 

「パパ、ママ、どこにいるの!?」

 

 

 後部座席を振り返れば、探し人はそこにいた。シロエはほっとして表情を緩めた。

 

 

「ああ、そこにいたんだ。よかった……」

 

 

 シロエは両親に笑いかける。そこに誰もいないことに、気づかないまま。

 彼の世界は、成人検査以前のままで止まっている。大人になることを拒否したかのように。

 

 

「安心してね。ピーターパンが、パパとママも一緒だって……」

 

 

 シロエはゆっくりと宇宙(そら)へ視線を向ける。

 

 

「一緒にネバーランドに……青い星(テラ)に連れてってくれるって。ね、ピーターパン?」

 

 

 

***

 

 

 

「前方を飛行中の練習船、停船せよ。停船せよ。――シロエ!」

 

 

 必死になって呼びかける。でも、船は停止する様子を見せない。むしろ、どんどん加速していく。

 

 

「シロエ……」

 

 

 操縦桿を握り締めて、青年はぽつりと呟いた。

 

 初めて会ったときから、シロエはいつも青年に対して挑戦的だった。でも、青年は相手にしなかった。無意味なことだと思っていたからだ。

 しかし、彼はやめなかった。無視されても、呆れるほどしつこく、必死になって、どこまでも食い下がってきた。友人を侮辱し、挑発を続けた。

 そして青年は、感情のままにシロエを殴り飛ばした。何故あんなことをしたのか、今でも青年はよくわからない。

 

 けれどあのとき、青年の中で何かが起きた。何かが生まれた。

 混乱……いいや、高揚した。熱く、苦しく、――痛い。

 

 

「お前を思い出すと、イライラした」

 

 

 どろどろした感情を吐き出すように、青年は呟く。

 青年にはわからなかった。自分の中に蠢く、この感覚の正体が。

 

 

「……しかし、何故マザーに逆らうのかと訊いた。命が惜しくないのか、と」

 

 

 だが、違う。

 

 

「多分、本当は――」

 

『――嫌だ!』

 

 

 不意に、声がした。シロエの声だ。

 

 

『大人になんかなるもんか! 大人になったら学校に行って、もっと大きくなったら働きに行かされて……! 大好きなママも、大切なものも、みんな無くしてしまう! そんなの絶対にゴメンだ!!』

 

 

 その叫びこそが、彼の全て。

 マザー・イライザに逆らう、絶対の理由だった。

 

 

(シロエ……お前は……)

 

『撃ちなさい』

 

 

 青年の感情を遮るように、マザー・イライザの命令が下された。

 

 

 

―――

 

 

 

 

 読み進めてはいけない。読み進めれば、セキ・レイ・シロエの運命が進む。

 

 しかし、読み進めなければ、ユニオンは『悪の組織』の技術協力を受けられないのだ。気が進まないが、読まねばならないだろう。

 真実から目を逸らすな。運命から目を逸らすな。そう叫ぶかのような文章に責め立てられる。クーゴは大きく息を吐いて、ページを進めた。

 

 人類サイドの主人公はマザー・イライザの命令を受けて行動を始める。彼に与えられた任務は、反逆者の処刑であった。

 処刑対象は逃走を続けるセキ・レイ・シロエ。初めて、主人公はマザー・イライザの命令に疑問を抱く。その命令は、本当に正しいのか、と。

 主人公は躊躇い、迷いながらも、マザー・イライザの命令を忠実にこなそうと試みる。しかし、彼は引き金を引かなかった。引けなかった。

 

 

(葛藤、か)

 

 

 序盤の彼から考えると、随分人間らしくなったものだ。

 機械の申し子と呼ばれた青年が、初めて感情をあらわにしている。

 

 悲劇は止まらない。ページを止めれば、物語は止まったままだ。止めることができるだろう。

 

 止まっていて欲しい。けれど、時間は誰にだって等しく流れる。物語だって同じだ。進まなければ、進めなければ。

 長い躊躇いを経て、クーゴはページをめくった。彼らの時間が流れる。――悲劇へのカウントダウンが、進む。

 

 

 

 

 

―――

 

 

 

 

 シロエはふと顔を上げた。そこに、ピーターパンがいた。

 

 彼のシャトルに人がいたら、「そこには誰もいない」と言うだろう。

 しかし、子どものまま時を止めたシロエには、ピーターパンの姿がはっきりと『視えて』いた。

 

 

「ピーター、迎えに来てくれたんだね! 約束通り、迎えに来てくれたんだね!」

 

 

 ここだよ、とシロエは叫ぶ。僕はここだよ、とシロエは叫ぶ。

 そうして、シロエはゆっくりと手を伸ばす。祈るように、願うように。

 大きく手を広げて、円を描く。彼の瞳には、青い星(テラ)がはっきりと『視えて』いた。

 

 

「皆で行こう。青い星(テラ)へ」

 

 

 ピーターパンが微笑む。両親も頷く。

 シロエが心配することは、何もない。

 

 

「僕は自由だ。自由なんだ!」

 

 

 それを噛みしめながら、シロエは微笑んだ。

 

 

「いつまでも、どこまでも、この空を自由に飛び続けるんだ!」

 

 

 

***

 

 

 

 青年は、スイッチを押した。

 

 充填されたエネルギー砲が、無防備な練習船を撃ち抜く。

 美しい光を残し、練習船は木端微塵に吹き飛んだ。

 

 あたりに漂う残骸を見つめて、青年は息を吐く。生命反応はない。

 

 

「シロエ……」

 

 

 青年は、己が手にかけた少年の名前を呼ぶ。その声は、ひどく震えていた。

 視界が歪み、頬を熱いものが流れる。その現象の正体を、青年はまだ、知らない。

 

 

 

―――

 

 

 

 

 クーゴは本を閉じた。ほぼ反射的な行動だった。

 

 そのまま、壁にもたれかかる。大きく息を吐いて口元を抑えた。視界がわずかに滲んだような気がして、ゆるりと瞼を閉じる。

 何故、ページを進めたくなかったのか、理由が分かった気がする。クーゴもまた、大人になることを拒んだシロエと同じだったのだ。

 命が亡くなってしまうことに、耐えられなかった。その予感から、先に進むことができなかった。それが大人になることなのだと、認めるのが嫌だった。

 

 

「重い」

 

 

 たかがSF。たかが創作。そう侮っていた時期もあった。

 クーゴの甘い認識を、『Toward the Terra』は見事に打ち砕いたのである。

 

 大人には身につまされる話だ。大人になればなる程、身動きが取れなくなる。責任の重さに押しつぶされたり、己の意に反することをやらされたり、仕事に忙殺されてしまったりと様々だ。

 子どもの頃は信じていた。「大人になれば、もっと色々なことができるようになる」と。大人になるにつれて、その気持ちすら忘れてしまった。シロエは気づいてしまったのだろう。大人になることの残酷さを。

 作中で登場した『ピーターパン』の一節にも、大人になることを説いた部分があった。その空虚さを、やるせなさを強調するかのように。世界の残酷さに順応していかざるを得ないという事実に対する悲しみ――その権化が、セキ・レイ・シロエだった。

 

 クーゴはどうだろう。病弱で無力だった幼少時代、大人になることすら叶わないと言われていた。でも、今、自分は大人になっている。

 

 ユニオン軍の軍人となり、仲間たちと空を翔けている。ガンダム調査隊に所属する者として、日夜仕事に追われている。そんな自分を見た少年時代の自分は、何を言うだろうか。

 気が進まない任務を受けたこともあった。人を守るためだと言い、何人もの人を殺してきた。本当にこれでいいのかと自問自答を繰り返したことだってある。それでも、クーゴは前へ進んできた。進まなければならなかった。

 

 

「大人になったら、忘れてしまう……」

 

 

 セキ・レイ・シロエの台詞を思い出しながら、クーゴは目を伏せた。

 

 28歳。どこからどう見ても、クーゴ・ハガネは大人である。自分がここに至るまで、手に入れたものばかりを見てきた。

 もしかしたら、ここに至るために、無意識に捨ててしまった『大切なもの』があったのかもしれない。

 思い出すことが困難になるくらい、自然に諦めたこともあったのかもしれない。そんな気がする。

 

 少年時代の空護(クーゴ)に思いを馳せる。

 星空ばかりを見上げていた少年の後ろ姿が見えた。

 

 

(昔は、星空が好きだった。宇宙の果てに行きたいって、ずっと思ってた)

 

 

 でも、クーゴはその夢を諦めた。いや、それ以上に追いかけたいものができた。

 虚憶(きょおく)で出会った人たちが言っていた。「空で待っている」と。

 

 約束をしたのだ。彼らと出会うために、空を目指す。その決意を抱いて、クーゴはここまで来たのである。

 

 

(そうだ、昔は――)

 

 

 過去を紐解いていたとき、不意に、何かが『視えた』気がした。

 

 誰かが少年に笑いかけている。少年もまた、誰かに笑い返した。

 2人はとても仲がいい。病弱な少年と活発で明るい誰かは、生まれた頃からずっと一緒だった。

 中々外に出れない少年に代わり、誰かがいつもいろんな話を聞かせてくれて――。

 

 ずきりと頭が痛んだ。

 もう何も、思い出せない。

 

 

「……己を破滅させてしまう程、愛していたんだな」

 

 

 隣にいたグラハムが、鉛を吐き出すような声で呟いた。見れば、『Toward the Terra』『ミュウ』篇の下巻は閉じられている。

 そういえば、ちらりと覗き込んだページでは、「母になりたい」と願っていた女性が愛する男性と結ばれ、子宝にも恵まれていたところで事故が起きた場面だったか。

 事故によって夫が亡くなり、悲しみに暮れていた母を励ましていた子どもの話が出ていたように思う。父が育てていた花を、墓に供えていた。

 

 内容を読んだというよりは、挿絵を拝見しただけにすぎないのだが。

 

 

「愛する者、愛する者と育んだ結晶――あるいは忘れ形見であり、もう1つの愛する者……。そのすべてを失ったがために――」

 

 

 グラハムは言葉を切った。大きく息を吐きだし、本を片付ける。

 クーゴもそれに続いた。今日はもう、これ以上読み進められそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、どうなってる!? 護衛用のMDたちはどうした!?」

 

「コントロールが効かないんだ! どいつもこいつも、勝手に白いガンダムの方に突っ込んで行きやがる!」

 

「こんなときに限って……!」

 

 

 MDを伴って、マスード・ラフマディーを別の場所に拉致しようとした傭兵どもの悲鳴が聞こえる。

 そのドサクサに紛れて、女性は彼らの背後へと移動した。音も立てず、何の前触れもない襲撃に、『人間』が対応できるはずがない。

 

 

「破ァ!」

 

「がふっ!」

 

 

 手をかざして力を行使する。青い光が爆ぜる。横っ面から一撃を叩きこまれた傭兵が、錐揉み回転しながら宙を舞った。奴は別の男も巻き込み、車の荷台から落下していく。

 

 つい先程、女性は別の場所にいる傭兵たちの拠点を壊滅させた。保守派に脅迫されてマリナ襲撃を企てざるを得なかった婦人の家族を救出し、自宅まで送り返してきたばかりである。

 3日後は丸一日寝て過ごすことになりそうだ。年を取るのは本当に嫌なことである。女性はのんびり考えながら、逃げようとする車を吹き飛ばした。先程の人間同様、トラックが錐揉み回転しながら地面に叩き付けられた。

 人間は全員無事である。力の微調整もお手の物だ。昔はしょっちゅう幼馴染(主にエルガン)を巻き添えで吹っ飛ばしていたけれど、何度も練習したことは無駄ではなかった。女性はそんなことを考えながら、次はMDに攻撃を仕掛ける。

 

 青い光を纏い、飛び上がって急降下。MDのカメラには、仁王立ちで手を組んだ女が突っ込んでくる様子が映し出されていることだろう。

 その突撃を喰らっただけで、MDは地面に叩き付けられて大破した。なかなかシュールな光景だ、なんて女性は考えた。

 

 

(おや、ソレビの協力者もなかなかやるわね)

 

 

 視界の端に映ったのは、中国の民族衣装を身に纏った男性である。目元には仮面を装着し、腰まである黒髪を束ねていた。

 

 彼はその出で立ちと同じく、中国武術で次々と相手を圧倒していく。何人の傭兵が宙を舞い、ねじ伏せられたであろうか。

 最後の1人が倒れ伏す。最後のMDも、スターゲイザーの攻撃によって爆散した。

 

 

(MDのAIに搭載されたアレを、悪い意味で利用した形になったか……)

 

 

 パイロットである『同胞』には、かなりの負担を強いてしまった。大丈夫かと問いかければ、平気だと答えが返ってくる。最近は無茶ばかりさせてしまっているように思う。

 さて。女性はマントを翻しながら振り返る。ぴりぴりした空気を纏った男性と目があった。奥に控えるデュナメスのパイロットも、同じような眼差しを向けてくる。

 女性は深々と息を吐いた。拘束されたままのマスードの元へ歩み寄り、手早くロープをほどいてやる。今回は、彼らに花を持たせた方が得策だ。

 

 今後のことも考えると、彼らにはもっともっと活躍してもらわねばならない。

 そして、生き延びてもらわなければならないのだ。

 

 

「そこのソレスタルビーイング。ぼさっと突っ立ってないで、任務を果たしたらどうなの?」

 

 

 ほら、と。女性はマスードを姫抱きにして、男性へと手渡す。状況が状況なだけに、どちらも困惑した表情を浮かべた。

 

 男性は「はあ」と間抜けな声を漏らしながら、姫抱き状態のマスードを受け取る。

 青い流星。デュナメスのパイロットが何か思い至ったように、訝し気な感情を向けてきた。

 いつぞやの鹵獲作戦で、彼らは青い流星を目撃している。その正体が女性なのでは、と思ったらしい。

 

 

(違うんだな、これが。……でも、しばらくはそう思ってもらっても問題ないか)

 

 

 女性は楽観的に頷き、大きく背伸びした。

 そこへ、エクシアがゆっくりと降りてくる。

 

 

「アンタは一体、何者なんだ? そもそもアンタは『人間』なのか? ソレスタルビーイングとは別組織のようだが……何のために?」

 

 

 中国人仮面に立たせてもらったマスードが、訝しげに問いかけてくる。女性は振り返り、もったいぶったように目を閉じた。

 

 

「――ファンです」

 

「ファン?」

 

「マリナ・イスマイール様の、熱狂的なファンです」

 

 

 どや顔で何を言いだすんだ、と、周囲の連中が眼差しで突っ込みを入れてきた。

 その気持ちは分からなくもないが、女性は嘘を言ったつもりもない。

 仮面から覗いた表情からそれを察したのだろう。余計に微妙な空気が漂ってきた。

 

 女性はえっへんと胸を張った。

 

 

「彼女はアザディスタンの太陽です。もしくは、アザディスタンの民の光を受けて輝く月。空にありて、民を照らすべき存在。そんな彼女に、憂い顔や涙は似合いません。……特に、私は女性の泣き顔を見ることが堪えられない。彼女の笑顔を取り戻すためなら、『人間』なんてモノ、喜んで辞めてやります」

 

 

 それを聞いたマスードは、静かに目を伏せた。マリナの味方であるということで、一応納得してくれたらしい。

 もっとも、周囲の人間が納得してくれるよう、ちょっとばかり力を行使したのだが。誰もそのことに気づいていないだろう。

 

 

「……そうか。だが、マリナ様は、そのために貴殿が『人間』を辞めることなど望まないだろう」

 

「知ってますよ。だから、このことはどうかご内密に。彼女を泣かせてしまうことは本意ではないし、完全に本末転倒だ」

 

 

 女性はそれだけ言って、マントを翻した。力を行使し、夜空へと浮かび上がる。青い光が淡く輝いた。

 周囲の『人間』が息を飲む。彼らから戦慄と畏怖の感情を向けられることには、昔から慣れていた。

 そのまま、夜空の向うへと飛んでいく。雲を突き破り、大気圏すら超えて、宇宙(そら)へと浮かび上がった。

 

 こうしているときが、一番懐かしい。敬愛するグラン・パと一緒に、青い星(テラ)を目指していた旅路を思い出す。有事のとき、彼はいつも宇宙(そら)を翔けていた。

 初代指導者(ソルジャー)の瞳である赤いマントを翻しながら、青い燐光を纏って流星のように翔け抜ける。太陽を思わせるような金髪と、夏の緑を思わせるような深緑の瞳を持つ青年。

 

 眼下に広がる青い星――地球を見下ろす。グラン・パが目指した場所とは違うけれど、本当に良く似ている。当然だ。何故ならば――

 

 

(……綺麗だなあ)

 

 

 過去を紐解くように、女性は地球を見つめた。

 群青(あお)。懐かしくも苦しい、愛しくも哀しい色だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アザディスタンの王宮は、護衛用のMSと周囲に集まる人々でごったがえしている。ソレスタルビーイングが王宮に向かっているという情報が入ってきたのは、数時間前のことだ。しかも、人質を連れているという噂もあるらしい。

 ユニオン軍はこれ幸いと、ガンダム調査隊に王宮付近での待機を命じた。ガンダムと交戦することを前提にして、グラハムやクーゴらをここに配置したのだろう。戦闘データの収集、あわよくば鹵獲を狙っている魂胆が見え見えだ。

 

 

「この情報が本当ならば、絶好のチャンスです!」

 

「そうだな。……括目させてもらおう、ガンダム」

 

 

 ダリルが息巻く。ハワードも、何も語らないが、目には炎が燃えていた。

 グラハムは真剣な面持ちで頷いた。そうして、静かに空を仰ぐ。好敵手の到来を待つかのように。

 命令が下されたときから、クーゴは妙な寒気を覚えていた。べっとりと纏わりつくような寒気だった。

 

 違う。刹那やイデアたちが、人質を取るだなんて卑怯な真似はしない。

 クーゴには、漠然とはしていたけれど、確信があった。

 

 本能的なものだったため、うまく説明することはできないけれど。

 

 

「人質、ね。随分と御大層な名分だ」

 

 

 闘志に燃える面々とは違い、クーゴは憂いを滲ませたまま天井を見上げた。

 

 

(「大人は汚い」と嘆いた子どもも、いつかは汚い大人になる。そうやって、大切なものを亡くしていく……)

 

 

 数時間前に読んだ『Toward the Terra』人類篇を思い出す。大人になることを拒んだシロエの叫びが聞こえてきた気がして、クーゴは目を伏せた。

 自分たちへ命令を下した上層部も、自国の優位を確立しようと権謀術策を張り巡らせる政治家も、最初はただ純粋に『人々のため』に努力していたのだと思う。

 理想を掲げ、邁進を続け、壁にぶち当たってしまった。どうしようもないことに打ちひしがれて、それでも必死に突き進む。でも、やっぱり無理で。

 

 そうしていくうちに、いつしか理想を忘れてしまった。忘れなければ、今の地位に立ち続けることができなかったからだ。

 

 最終的には、今の地位を守り続けることや出世すること、自分が栄えることが、最初の頃に抱いていた理想とすり替わっていたのだろう。それが野望と呼ぶべきものだと気づかぬまま。……今の自分は、どうだろう。

 クーゴはぼんやりと考える。このまま、軍の命令に従って戦うべきなのだろうか。それとも、何も知らぬときに出会い、わかり合えた女性と少女――イデア・クピディターズと刹那・F・セイエイを信じるべきか。

 

 不意に、何かが近づいてくる感覚を覚えた。いつぞや感じた寒気ではなく、どこか温かささえ感じる気配。

 緑の光が瞬く。レーダー画面にノイズが走った。それが意味することは、ガンダムの来訪。

 クーゴは顔を上げた。空での戦いが近づいている。心臓が軋んだ音を立て、早鐘を鳴らし始めた。

 

 

「隊長、副隊長!」

 

 

 ハワードの声に、クーゴは操縦桿を握り締める。手が汗ばんできたような気がした。

 

 

「わかっている」

 

「そっちこそ、準備はいいな?」

 

 

 グラハムが頷き、クーゴが問い返す。

 ハワードとダリルは、間髪入れず頷き返した。

 

 ガンダムが近づいてくる。白と青を基調にしたガンダムと、純白のガンダムだ。誰もが固唾を飲んで、天使と天女の降臨を見守っている。

 AEUの新型兵器披露会を思い出し、クーゴは感嘆の息を吐いた。あの日も、こんな風に晴れていた。それ以前に、初めて2人に出会ったときの天気も晴れだった。

 モニターに表示されたガンダムの姿を確認する。その結果に、思わずクーゴは目を見開いた。2機とも、武装を解いている。完全に無防備だ。

 

 撃ちたければ撃てばいい。それでも、自分たちは自分たちの理想を貫き通す――。

 

 そんな声が聞こえた気がして、クーゴは知らず知らずのうちに力を抜いた。愚直なまでに高潔な姿に、どうしようもなく心が震える。

 春を思わせるように笑うイデアの姿が『視える』。時折見せた、凛とした佇まいを思い出した。その強さが伝わってきて、クーゴは表情を緩める。

 

 

(それが、キミたちが掲げる想いなんだな)

 

 

 残酷な世界に挑み続けること。そうし続けることで、他者や世界を動かすこと。それもまた、『人の心の光』が成しえることだ。

 

 

『今度こそ』

 

 

 そんなことを考えていたとき、ガンダムが動き始めた。刹那の声が耳をかすめる。

 動いたのは白と青基調のガンダムである。純白のガンダムは、天使の行進を静かに見守っていた。

 

 

「隊長!」

 

「黙って見ていろ」

 

 

 グラハムが指示を飛ばす。ガンダム調査隊は、この状況を静観することにしたようだ。

 現地住民が銃弾で攻撃を始め、MS部隊が攻撃の構えをする。しかし、天使は歩みを止めることはない。

 

 次の瞬間、MS部隊が攻撃を仕掛けた。銃口をガンダムに向けて、容赦なく撃ち放つ!

 

 銃弾はガンダムに降り注いだ。着弾した攻撃が爆発を起こす。

 流石のガンダムでも、至近距離からの攻撃には足を止めざるを得ない。

 

 

「――っ!?」

 

 

 グラハムが目を見開く。クーゴも息を飲んだ。無防備の相手に対して攻撃を行うことは、軍人として――人として、許されない行為だ。

 マリナ・イスマイールの指示か――いや、それはない。彼女の路線からして、無防備状態の相手への攻撃を許しはしないだろう。じゃあ、誰が?

 

 思案している間に煙が晴れる。ガンダムには傷一つついていない。両腕で、防御態勢を取ったためだ。

 

 幾何かの間をおいて、ガンダムは防御姿勢を解いた。そうしてまた、歩き始める。

 一歩、一歩、一歩。ガンダムは着実に、王宮へと近づいていくではないか。

 

 

『今度こそ、ガンダムに……!』

 

 

 刹那の声が聞こえる。彼女の心が『視える』。

 

 夕焼け、転がった死体、駆け抜ける戦場。神のため、祖国のためと信じて戦った、小さな少女。

 体躯に不釣り合いな銃を抱えて、彼女は戦い続けた。今だって、戦争を終わらせるために戦っている。

 

 夕焼けに降臨した美しい機体。その機体の名前こそがガンダムだった。それが降り立ったとき、圧倒的な力で戦場を蹂躙し、戦いを終わらせた。

 だから少女は、その機体に憧れた。その存在に憧れた。自分もそうやって、争いを終わらせられるような存在になりたいと願ったのだ。

 フラッシュバックしたのは、緑の髪と紫の瞳を持つ青年。どこかで見たことのある青年が、少女に告げる。

 

 

『キミの世界が変わるのは、こんなにも簡単だ』

 

『それと同じように、誰かの世界を変えるのも簡単なことなんだよ。□□□』

 

 

 その言葉を信じて、彼女は戦っている。どれ程傷ついても、尚。

 

 彼女と同じように戦っていた人を、クーゴは『知っている』。

 今この場に彼が存在していなくとも、その姿を間近で『視た』ことがある。

 

 

『強くなければ、人は生きていけない。優しくなければ、生きている資格がない』

 

 

 ゼクス・マーキスが、噛みしめるように紡いだ言葉を思い出す。その言葉に、心動かされた若者たちがいた。

 もうやめよう、と叫んだ青年の名前は誰だったか。畜生、と言いながら、核を放棄して泣きじゃくった若者は誰だったか。

 そんな友人たちの姿を見て、安堵した金髪碧眼のアメリカ系日本人青年の名前は、なんといっただろう。

 

 宇宙(そら)に咲いた花は2つ。1つは、人を殺すために咲いた花。もう1つは、異種族とわかり合った証に咲いた花。

 その奇跡を目の当たりにしたカイルスは、愛する星へと帰還する。次の戦いに向けての、短い休息のために。

 

 

「誰よりも強くなければ、世界は変えられない。誰よりも優しくなければ、世界を変える資格がない」

 

 

 ゼクスの言葉を借りれば、そうなるだろう。それは、ソレスタルビーイング全体に言えることではなかろうか。

 

 

「世界は彼らを犯罪者と言うけれど、その強さと優しさには敬意を表したい」

 

 

 クーゴは、ガンダムの背中を見つめる。

 凛々しさと強さに満ち溢れた、美しい機体を。

 

 

「俺は、そんな彼らと対峙するに相応しい存在でありたい」

 

 

 ぽつりと呟いた言葉に対して、誰かが息を飲む声を聞いた。見れば、通信回線がフルオープン状態だったらしい。全員に聞かれてしまった。大変居心地悪くなり、クーゴは視線を逸らして咳払いする。

 なんだろう、この空気。火消しのウィンドが火を消そうとして、逆に煽って大炎上させてしまったときのような痛々しさを感じる。女心に疎い男が、女心を語ってはいけなかった。

 しかも、「火消しのはずが(以下略)」と言ったご本人様も、女性関係が見事に大炎上一歩手前であった。「そっちもきちんと火を消すように」と釘を刺しておいたが、どうなったことやら。

 

 そんなことを考えていたとき、MS部隊が武器を下した。ガンダムの進む道を開ける。

 刹那の決意、およびソレスタルビーイングの在り方が、人の心を動かしたのだ。

 

 ガンダムは王宮の応接間付近で跪き、ゆっくりと手を差し伸べた。ハッチが開き、ガンダムの手を伝ってパイロットが姿を現す。

 

 青いパイロットスーツとヘルメット。表情は見えない。刹那は手を差し伸べる。奥から、民族衣装に身を纏った壮年の男性が降りてきた。

 マスード・ラフマディー。彼は目立った外傷もなく、むしろピンピンしていた。五体満足。これなら、暴徒と化した保守派も安心するだろう。

 

 

(やっぱり、人質はガセだったんだ。誰だよそんな情報流したの)

 

 

 クーゴはくつくつ笑いながら、心の中で独り言ちる。

 

 マスード・ラフマディーの輸送が終わった刹那は、マリナと何かを話していた様子だった。幾何の間をおいて、彼女はコックピットへと戻っていく。

 背中から、緑の光が溢れだす。それを確認したかのように、少し離れた場所で状況を見守っていた純白のガンダムも、空へと浮かび上がるために準備を始める。

 

 間もなく2機は空へと浮かび上がった。

 

 

「隊長、追いかけましょう!」

 

「今ならガンダムを!」

 

「できるものか!」

 

 

 ハワードたちの言葉に、グラハムは操縦桿を握り締めながら叫んだ。

 

 

「そんなことをしてみろ。我々は、世界の鼻つまみ者だ!」

 

「鼻つまみどころか、世界からバッシングを喰らうぞ。ユニオン軍だけじゃなく、ユニオンという国そのものの沽券に関わる」

 

 

 今の状態のガンダムに攻撃を仕掛けるということは、内外からの批判にさらされることを意味する。AEUと人革連をやりこめたエルガン代表のアレが、今度はユニオンの代表者相手に行われるのだ。精神的ダメージは計り知れないだろう。

 内側からの批判だって相当のものになる。アザディスタンで行われたユニオン軍の反対デモ並みの――いや、それの比じゃないレベルの、大規模なデモが起きることは間違いない。ヘタすれば、ユニオンという括りが瓦解する可能性だってあり得る。

 そしてなにより――責任は、ガンダムを攻撃した人間や、それを止められなかった人間を中心に取らされる。今ここで自分たちがガンダムを攻撃すれば、ガンダム調査隊の人間たちは、ユニオンの体裁を保つための生贄として首を切られてしまう。

 

 だけど、それ以前に。

 だけど、それ以上に。

 

 

「人として、そんな非道な真似は、許されるはずがない。そんな真似をした己自身を、許せるはずがない。……お前らは、許せるか?」

 

 

 クーゴの問いかけに、ハワードとダリルは押し黙った。ここで彼らが尚「撃つ」と言ったなら、多分クーゴは彼らと縁を切っていただろう。

 人としての道を踏み外さずに済んだことに安堵しつつ、ガンダムの背中を見送ろうとした――そのときだった。

 

 寒い。

 

 ぞっとするような悪寒に駆られて、クーゴは反射的に別方向を見上げた。

 寒気が発せられる方向は、ガンダムたちの真後ろに位置する斜め上空。狙われているのは、この場周辺だ。

 「副隊長!?」と、誰かが叫んだ声がする。ハワードか、ダリルか、クーゴにはわからなかった。

 

 何かに気づいた純白のガンダムが後ろを向いた。

 白と青基調のガンダムが、それにつられて僅かながら振り返った。

 

 

(だめだ、間に合わない――!)

 

 

 間髪入れず、禍々しい紫色の砲撃が、王宮一帯に向けて降り注いだ!

 

 

「何っ!?」

 

「嘘だろう!?」

 

 

 グラハムが絶句する。ハワードも、ダリルも、愕然とその光を眺めていた。眺めることしかできなかった。

 

 民衆も、マリナ・イスマイール王女も、MS部隊も、ガンダムも、ガンダム調査隊も、関係ない。

 王宮を中心として、その場にいるすべてのものを巻き込み、破壊するための一撃だ。

 コンマ数秒間の出来事に、誰も対応できない――!

 

 

「やめろぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 クーゴに許されたことは、ただ叫ぶことのみ。

 次の瞬間、青い光が爆ぜたような気がした。

 

 

「させるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

 女性の声がした。聞き覚えのある、凛々しくも雄々しい声だった。

 

 緑色のマントが翻る。薄青の礼服を身に纏った女性が、手を伸ばしているのが『視えた』。目の前には、王宮一帯を包み込むような、青い膜。光が爆ぜる。女性の顔が苦悶に歪んだ。彼女だけでは、抑えきれない。

 そこへイデアが加わり、手を伸ばした姿が『視えた』。再び青が爆ぜる。それでも尚、砲撃の方が威力が高い。彼女たちに続くように、クーゴも手を伸ばす。そうしなければならないと、本能が叫んでいた。

 

 また、青が爆ぜる。気づけば、クーゴの隣にはイデアがいた。いいや、彼女だけではない。たくさんの人々が手を伸ばしている。

 いつぞやの「吐瀉物(略)」事件の加害者である緑の髪と紫の瞳を持つ青年、仮面をつけた青年、AEUの軍事演習場で出会ったエルガン代表。

 眩い青だけではない。黄色、緑、赤の光も混じっている。不退転の意志を宿す瞳が、表情が、心が、降り注ぐ悪意をも凌駕する――!!

 

 

「砲撃が、弾かれた……!?」

 

 

 グラハムの声が聞こえる。王宮は、なんともない。はっとして周囲を見回した。いつの間にかコクピット席に戻っていた。

 弾かれた砲撃の余波が多少着弾しただけで、被害は大きくなかった。大部分は荒野の方へと飛んだらしい。

 

 青い膜はもうない。ガンダムたちはしばし空を見上げていたが、くるりと踵を返して飛び立っていった。その姿を、人々は静かに見送る。

 

 

(今のは一体、何だったんだ……!?)

 

 

 砲撃の主も、光を弾いた膜の正体も、先程クーゴが見た光景も、分からないことが多すぎる。

 そのとき、通信が入った。保守派の重鎮と改革派の王女の会談が開かれるということだった。

 手際がいい。ソレスタルビーイングの連絡があった時点で、マリナは準備をしていたのだろう。

 

 

「今のは、一体……」

 

「誰が、何のためにこんなことを……」

 

 

 ハワードとダリルが憤る。無防備なMSだけでなく、この場に居合わせた民間人や王族などの非戦闘員すら吹き飛ばそうとした相手だ。

 軍人として、人として、許しておくべきではない。その存在を放置していいはずもない。しかし、その犯人の姿はわからないままである。

 

 「それはわからん」と、グラハムが重々しく言葉を続けた。

 

 

「……だが、世界の鼻つまみ者になってまでも、ガンダムを討ちたいと考える人間がいるということは確かだ」

 

 

 グラハムは険しい表情で空を睨む。

 悪意なんてなかったとでも言うかのように、悠々とした青が広がっていた。

 

 

「一歩間違えれば、俺たちに対して向けられた感情だな。これ」

 

 

 クーゴが呟けば、バツが悪そうにハワードとダリルが視線を逸らす。反省してくれたらしい。

 ガンダムと戦えないとなれば、もう自分たちに用はないだろう。案の定、上層部から撤退命令が出された。

 内戦がひと段落すれば、ユニオン軍も本格的に撤退する。ガンダム調査隊は、それよりも先に本国へ呼び戻されるに違いない。

 

 人知れず、4機のフラッグは王宮を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、的当てはどうだったんだい?」

 

「全然。邪魔が入った」

 

「姿は見られていないだろうね?」

 

「問題ないわ」

 

 

 アレハンドロの言葉に、刃金蒼海は淡々と答えた。

 

 おかげでこちらは、力を結構使う羽目になってしまった。正直、立っているのすら辛いレベルである。

 ノブレスはリボンズに視線を向けた。彼も相当疲れているようで、だるそうに俯いている。座りたいのに座れない。

 

 

『機体の姿、見ましたか?』

 

『いや、まったく。あの一撃を防ぎきるので手一杯だった』

 

 

 ノブレスの問いに、リボンズは首を振った。これでは三国志通り越して世界戦争レベルである。

 ユニオン、AEU、人革連、ソレスタルビーイング、監視者。それらすべてのにらみ合いだ。スターダスト・トレイマーは例外枠であろう。

 世界はどこまで混迷の道を辿るのか。そこに紛れ込む悪意を、どこまで抑え込むことができるのか。ノブレスは空を見上げる。

 

 

『今頃、マザーは爆睡中だろうね。ご老体だって言ってるくせに、本当に無茶ばっかりするんだから……』

 

 

 リボンズは苦笑する。それはまさしく、母親を心配する息子の姿だった。

 ノブレスにはもう、親を心配したくてもできない。相手はいないからだ。

 

 しかも、派手な喧嘩をしたのが最期の会話だった。今となっては、謝ることもできない。

 

 過去を紐解くように、ノブレスは目を閉じる。炎に包まれた家と研究資料、動かなくなった家族たち、それを見下して嗤う2人の男。

 奴らは研究資料を持ち出した。主に、MSに関する資料が目当てだったらしい。共有者(コーヴァレンター)に関する資料には目もくれなかった。

 目があった。殺し損ねた相手がいたと笑いながら、奴らは近づいてくる。銃撃音。崩れ落ちる体。満足げに笑い、男たちは去っていく。

 

 

(許せない)

 

 

 手を伸ばす。届かない。

 

 

(許さない)

 

 

 手を伸ばす。届かない。

 

 

(僕は――)

 

 

 ノブレスはゆっくりと目を開けた。アレハンドロの後ろ姿がそこにあった。

 溢れそうになる感情をぐっと堪える。今はまだ。牙を鋭く砥ぎながら、そのときを待ち続ける。

 フランス語で『気高き魂』のコードネームを背負う男には、相応しくない感情であると理解しながら。

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。


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