大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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27.帰ってくれ蒼い海

 吐き気を催す邪悪がこの世にあるとするならば、それは、エゴまみれの人間だ。

 自分たちの都合の悪いことはすべてスケープゴートに押し付け、その対象者を『絶対悪』に仕立て上げる。

 

 そいつらのせいで犠牲になる命の、なんと多いことか。たとえ命が無事だったとしても、被る不利益も計り知れない。

 

 立ち止まってしまえば、前回起こってしまった過ちの再来を招くだろう。治安部隊という名を借りた、一方的な統一支配。それが招いた悲劇と犠牲を、人類の有識者たちは忘れてしまったわけではない。だからこそ、彼らは彼らで、必死になって戦っているのだ。

 アンノウン・エクストライカーズ――通称UXは、そのような支配を許さない。黒幕はわかっているのに、状況が状況のため、そいつを殴りに行けないというのが現状である。殴りに行けば大混戦になることは明白だ。どこから見ても挟み撃ち。いくら自分たちでも不利である。

 それでも、決意を固めたア□エスの意志は変わらない。たとえ世界の敵として糾弾されようとも、自分たちにだって守りたいものがある。世界の危機を目の前にして、何もしない訳にはいかないだろう。人の命を守るために軍人になったと語った、□ニエスの横顔を思い出した。

 

 

(マトモな理由だなって、笑ったのが昨日のことみたいだ)

 

 

 吐き気を催す邪悪の影響――もとい、悪意の塊が原因で発生する悪寒と戦いながら、クーゴはしみじみと部下の成長を喜んだ。

 最近は輪をかけてオッサン臭くなったものである。若者たちに囲まれていると、自分も年を取ったものだと感じるのだ。

 

 

「……慣れている。世界の敵になることにはな」

 

 

 アニ□スの決意を引き継ぐようにして、刹那が静かに言葉を紡いだ。明鏡止水の中に、凛とした強さが垣間見える。

 彼女はそうやって、傷だらけになりながらも歩みを止めなかった。どんなに打ちのめされても、叩きのめされても、戦いから逃げなかった。

 対話のために戦い続けることこそが自分にできることだという答えを、己の一生を賭けて証明しようとする姿を見てきた。その強さを、ずっと。

 

 この場にグラハムがいたら、きっと沈痛な表情を浮かべるだろう。「だからといって、キミが傷つかねばならない道理はない」と訴えそうだ。

 刹那の言葉に触発された面々が、次々と名乗りを上げていく。特に地獄公務員は通常運転であった。自分を貫けるという点では、地獄公務員が一番だろう。

 

 JUDAのレストルームが熱気に満ちていく。いつの間にか、吐き気を催す邪悪が齎した悪寒もなくなっていた。『人の心』によって生じた絶望を覆すのも、『人の心』によって生じた希望なのだ。

 

 

「どうやら、止めても無駄なようだね……」

 

 

 石□はやれやれと肩をすくめた。そこへ、宗美が屹然とした面持ちで進言する。

 

 

「□神社長。これはもはや、UXやJUDAだけの問題ではないんですよ」

 

「地球がピンチなのに、じっとなんてしてられないよね」

 

「故郷を失う悲しみは、他の誰にも味わってほしくありません」

 

 

 彼の言葉に、フェ□とロミ□も同意した。

 イデアも頷く。

 

 

「この惑星(ほし)こそが、私たちの還るべき場所だもの。滅茶苦茶にされてたまるもんですか」

 

 

 紫の瞳は、仲間たちをしっかりと映し出している。たとえ視力がなくとも、彼女にははっきりと、面々の表情が見えているに違いない。

 UXに間借りしている状態の面々も、協力を申し出てくれた。並行世界の戦乱とはいえ、この惑星(ほし)に住む人々に世話になったのだから――と。

 

 

「そうだな。俺たちが飛ばなきゃ、誰が飛ぶんだよ」

 

 

 クーゴも、立派に成長した部下を真正面から見つめる。

 

 

「俺たちを信じて、俺たちを助けようとして頑張っている人たちがいるんだ。……おそらく、中には、連邦の様子がおかしいって気づいてはいるけど、正しいことをしたいと願っているけど、奴らのせいで身動きが取れなくなってる人たちだっていると思う。その人たちの想いを背負って戦えるのは、俺たちしかいない」

 

「わかった。なら、もう何も言うまい……。UXの指揮官として、この戦いを最後まで見届けよう」

 

 

 リ□ャードは微笑を浮かべて頷いた。それを見た仲間たちも、顔を見合わせて頷き返す。

 寄せ集めの兵団が、よくもここまで団結できたものだ。前回の戦いのときも、今回の戦いのときも。

 『人の心』を垣間見たような気持ちになり、クーゴは強く拳を握りしめた。

 

 

「行こう、皆! 加□機関に、俺たちの力を見せてやるんだ!」

 

「待ってください! どうしても行くなら……ひとつだけ約束をしてください」

 

 

 浩一が音頭を取ったときだった。□美が慌てて止めに入る。何事かと思ったが、彼女はゆっくり口を開いた。

 

 

「必ず……必ず生きて帰って来て!」

 

「うん、約束する!」

 

 

 切実なその言葉に、浩一は躊躇うことなく頷いた。他の仲間たちも頷く。ささやかだけれど、今の自分たちには何よりも重い約束だ。

 誰1人欠けることなく、ここに帰ってくる。今まで犠牲になった命を想い、その難しさを痛感する。帰ってきた命を想い、その決意を胸に抱く。

 仲間たちは出撃準備のため、JUDAのレストルームを後にした。そうして、各空母に格納されていた自分たちのMSに乗り込む。整備はバッチリだ。

 

 出撃前に、恒例となった生存報告をする。目を閉じて集中すれば、目の前の光景は、愛機のコックピットから地球連邦本部へと早変わりだ。

 見慣れたグラハムと仲間たちの後ろ姿を見つけたが、人がいるために近づけない。人が去るまで待ってみるか。ついでに聞き耳も立ててみる。

 

 

「なぜですか!? 今は、世界の危機です! こんなときに出撃できないとは、何のための軍ですか!? 何のための軍人ですか!」

 

「命令だ。黙って従え」

 

「その命令がおかしいって言っているんです!」

「そうです! 世界を救うために戦っている奴らを見殺しにするつもりですか!?」

「人を守るための軍人ではないのですか!? この命令は、軍人の本分を踏みにじっています!」

「アンタはそれでいいんですか!? アンタの頭、おかしいんじゃないんですか!?」

「あそこには、副隊長がいるんです! あの人が戦っているんです!」

「出撃許可を出してください! お願いします!!」

 

「命令は絶対だ!」

 

 

 揉めていた。出撃許可を出してくれと直訴するグラハムと、それを足蹴りにする上官。上官に食って掛かる仲間たちと、彼らの訴えを踏みにじる上官。話し合いは決裂した様子だった。

 

 上官からは、吐き気を催す邪悪と同じ悪意で満ち溢れている。“あん畜生”の息の根がかかった奴に違いない。“あん畜生”は着実に軍閥を作り出しつつある。

 クーゴの嫌な予感が、よりにもよって、こんな形で的中してしまうなんて。しかも、グラハムや仲間たちもその被害にあってしまうだなんて。

 自分で言ったことであるが、それが友人たちに適用されてしまうなんて思ってもみなかった。“あん畜生”、絶対許さない。そんな奴に負けてたまるものか。

 

 

「く……!」

「隊長……!」

 

 

 グラハムが、悔しそうに歯噛みした。

 握り締められた拳からは、薄らと血が滲んでいる。

 

 

「世界の敵だと言われようと、アンノウン・エクストライカーズ(かれら)が世界のために戦っているというのに……! あそこには、クーゴやベルジュ少尉、それに彼女たちだって……」

 

 

 血反吐を吐き出すような、悲痛な面持ち。人を守るために帰ってきた男からしてみれば、こんなにも悔しい状況はないだろう。だが、グラハム・エーカーは根っからの軍人だ。いつぞやのライセンサー時代でなければ、むやみやたらな行動はできない。

 何て皮肉だ。あのみょうちきりんな仮面と刹那が選んでくれた陣羽織を羽織っていた時期でなければ――一番歪んでいたときでなければ、正しいことをしようとして孤軍奮闘する人々を助けることができないとは。

 最も、当時の彼は、このような事態になっても動かないだろうが。ガンダムと決着をつけるためでなければ動かなかった/身勝手な行動を繰り返した傍迷惑な男(某准将談)である。一番、ライセンサーという権限を与えてはいけなかった存在であった。

 

 今の彼なら、ライセンサーという肩書に相応しい存在でろう。

 しかし残念ながら、連邦軍にはそんな権限自体が存在しない。

 

 

(……生存報告できるような空気じゃないな、これ)

 

 

 クーゴがそう思ったとき、思念が漏れたのを感じ取ったのだろう。グラハムたちが一斉に振り返った。

 

 こちらの姿を目に留めて、面々は悔しそうに目を伏せる。

 援軍に駆けつけられそうになくて申し訳ない、と、彼らの瞳が言っていた。

 クーゴは静かに首を振る。その気持ちだけで充分だ、と。

 

 

「今から、□藤機関との決戦に赴く」

 

「……クーゴ」

 

「刹那、言ってたよ。世界の敵になることには慣れてる、って」

 

「!」

 

 

 途端に、グラハムは眉間に皺を寄せる。泣き出してしまいそうに歪んだ顔を見て、クーゴは思わず苦笑した。

 予想通りだ。彼の瞳は、「だからといって、刹那が傷つかねばならない道理はない」と訴えている。

 

 

「おそらく、連邦軍もテロリスト掃討のために出撃してくるだろう。完全に四面楚歌になる」

 

 

 だけど、と、クーゴは言葉を続けた。

 

 

「それでも俺たちは、諦めずに飛ぶよ。俺たちのために頑張ってる人や、俺たちを信じてくれる人、俺たちに想いを託してくれた人のために。……その人たちの想いを背負って戦えるのは、俺たちしかいないから」

 

「副隊長……」

 

 

 ハワードが悲痛な表情を浮かべて、クーゴの役職を呼んだ。

 他の部下たちも、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。

 

 

「だから……なんていうと、相当な自惚れになるんだけどさ。うん。……お前たちの想いも背負って、お前たちの分まで、戦ってくるよ」

 

 

 クーゴの言葉を聞いた面々が、大きく目を見開く。対照的に、クーゴはゆるりと目を細めた。

 ちっぽけな自分にできることは限られているけれど、諦めたくはない。だから自分は、加□機関との戦いに赴くのだ。

 自分たちの還るべき場所を守るために、宇宙(そら)へと向かう。長い戦いになるだろう。覚悟はもう、決まっている。

 

 そんなクーゴに影響されたのか、仲間たちは顔を見合わせた。

 

 たった1回、断られただけじゃないか。出撃許可が下りるまで、何度だって食い下がればいい。もっと他にも、いい方法があるはずだ。良識派の上官に掛け合って、許可が下りるよう便宜を図ってもらうやり方だってある――。

 彼らも諦めていなかった。絶対に援軍として駆けつける、と、グラハムたちの眼差しが叫んでいる。やっと、いつもの仲間たち『らしさ』がもどってきた。これで安心して戦える。クーゴは頷き、瞳を閉じた。

 

 目を閉じてもう一度瞳を開けば、目の前の光景は、地球連邦本部から愛機のコックピットへと早変わりだ。

 出撃準備は万全。目的地はすぐそこだ。作戦内容も、しっかり頭の中に入っている。

 さあ行こう。たとえ世界中から敵として非難を受けようとも、胸を張って戦い抜く。

 

 

「ブ■■ヴ・E■P-■s■onバ■■ト搭載型。クーゴ・ハガネ、出る!」

 

 

 操縦桿を握り締め、クーゴは空母のカタパルトから飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この場で場違いな人間を挙げるとするなら、クーゴは迷わず己の名を挙げる。

 

 只今、ガンダム調査隊の面々は太平洋上空を移動中だ。アザディスタンは、ユニオン軍の援助隊を秘密裏に採択したという。その援助隊の中に、ガンダム調査隊の面々は組み込まれていた。

 といっても、ユニオンの目的は、内戦中のアザディスタンに訪れるであろうガンダムである。本音は、救援なんてどうでもいいに違いない。勿論、お題目である『停戦援助』はするけれど、大したことはやらないだろう。

 政治家たちは皆こうなのか。作為の駆け引きに振り回されるのは、いつだって現場や弱い立場の全員である。もちろん、クーゴが所属する組織もそういう仕事だ。仕事はきちんと割り切ってはいる。割り切ってはいるのだが。

 

 

(本当に、いいんだろうか)

 

 

 頭の中に、何とも言えない引っ掛かりがある。

 クーゴは深々と息を吐いた。

 

 

(……それにしても、寒い)

 

 

 背中を駆け抜けた悪寒に、クーゴは身を震わせる。空調の温度は過ごしやすいものになっているはずなのに、寒気が止まらないのだ。

 風邪ではない。先程ヘルスチェックをしてみたが、異常はどこにも見受けられなかった。正直あまり納得はしていない。

 していないのだが、何度やっても大丈夫だと太鼓判を押されてしまったのだ。大丈夫だと認める以外ないだろう。

 

 クーゴは体を丸めて寒気をやり過ごす。

 

 おかげで、ガンダム調査隊の中でかなり場違いな存在と化してしまった。

 面々がガンダムとの退治に闘志を燃やす中で、クーゴ1人が寒気と疑念に身を丸めている。

 

 

(この感じ……蒼海(あおみ)姉さんと対峙したときみたいだ)

 

 

 その悪寒は、クーゴの姉・刃金(はがね) 蒼海(あおみ)と対峙した時に感じるものとよく似ている。

 

 何故、日本から離れたこの太平洋――正確に言えば、中東に近づく輸送船の中――で、彼女のことを連想したのだろう。

 彼女が中東を訪れるような用事はないはずだ。母である櫻華(おうか)が、何か変なことを言いだしたりしない限りは。

 

 

「大丈夫ですか? 副隊長」

 

「……検査結果で大丈夫だったから、大丈夫のはずなんだがなー……」

 

 

 ダリルの問いに、クーゴは首をひねりながら答えた。ハワードも、心配そうにこちらを見返している。

 

 

「とりあえず、温かな飲み物はどうだい?」

 

「サンキュ、ビリー」

 

 

 ビリーから蜂蜜レモンを受け取る。クーゴは、湯気が漂う飲み物をちびりちびりと啜った。気遣ってくれる人たちの温かさも相まって、体にじんわりと染み渡ってくる。

 悪寒もだいぶ楽になった。礼を述べれば、面々も安堵したように微笑んだ。完全回復とはいかないけれど、仲間たちの足を引っ張るような醜態は晒さずに済みそうだ。

 

 

「向うに到着したら、ゆっくり休んだ方がいいのではないか?」

 

「まさか。今ので、充分元気になったよ。……心配してくれる人がいるって、やっぱいいよなぁ」

 

「……そうだな」

 

 

 グラハムの問いに、クーゴは明るく笑ってみせる。グラハムもふっと笑みを浮かべて頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何の前触れもなく唐突な話になるが、日本には『帰ってくれウルトラマン』というネタがある。

 ウルトラマンと言えば、20世紀から日本で始まった特撮ヒーローものだ。彼らは地球の平和を守るために、日夜怪獣と戦っている。

 普段、彼らが姿を現すと人々から応援されるものだ。しかしレアケースとして、ウルトラマンが非難されたり、劇中で本当に「帰れ」と言われることもある。

 

 一番メジャーなのは、初代におけるウルトラマン対ガヴァドンが挙げられるだろう。

 

 ガヴァドンは、少年が描いた絵が、宇宙線によって実体化してしまった怪獣だ。白い体躯に魚をモチーフにした可愛らしいフォルムと、つぶらな瞳が特徴である。奴は人類に敵意を持ったわけでも、街を破壊するでもなく、ただ眠り続けていた。彼はその後行方不明になったが、子どもたちは懲りずにガヴァドンを描き実体化させる。

 怪獣らしい見た目に進化したものの、相変わらずガヴァドンは何もしなかった。いびきによる経済被害以外、目立った害が見当たらない。そんなガヴァドンを退治しようと試みた特捜隊とウルトラマンであるが、その場に居合わせた子どもたちから「帰ってくれ!」、「そっとしといてやれよ!」と非難されてしまったのである。

 

 ウルトラマン本人にしては、いつも通り地球を守ろうとしただけだ。

 いつも通りに仕事をしようとしたら、いつもは応援してくれる人たちから盛大なヤジを貰うのだ。

 きっと、ウルトラマンは涙目だったに違いない。その心境を考えると、彼の気持ちがなんとなくわかるような気がする。

 

 話の大部分が無関係なので、閑話休題といこう。

 

 

「久しぶりねえ、空護(クーゴ)

 

「……遠路はるばるご苦労様です、蒼海姉さん」

 

 

 『帰ってくれ姉さん、本当に帰ってくれ』という言葉を必死に飲み下しながら、クーゴは努めて無表情を装った。

 何故ここに、蒼海がいるのだろう。正直、クーゴには何が起こっているのか理解できないし、したくないと頭が悲鳴を上げている。

 

 そっとしておいてくれ。頼むから、何も言わずに早く帰ってくれ。

 

 クーゴは心の中で延々と唱え続けた。

 効果は微塵もなかった。当たり前であったが。

 

 

「お久しぶりです、ミス・ハガネ」

 

 

 グラハムは居心地悪そうにしつつも、儀礼はきちんと守って蒼海に挨拶した。ハワードやダリル、ビリーたちもそれに続く。

 

 

「初めまして。ハワード・メイスンです」

 

「ダリル・ダッジです」

 

「ビリー・カタギリと言います」

 

 

 蒼海から何かを感じ取ったのか、他の3人も、表情が硬い。警戒している。彼らの判断は間違っていないし、むしろ鋭いと言えた。

 大多数の人間が、蒼海を「いい人」認定する。てっきり、クーゴはビリーたちも大多数と同じだと思っていたが、グラハムと同じような反応を示した。

 意外だ。クーゴはひっそり、仲間たちに対して失礼なことを考えた。心の中でそっと謝罪しておく。仲間たちは何も知らない様子だった。

 

 蒼海はどうして、アザディスタンにいるのだろう。クーゴが疑問を口にする前に、蒼海が後ろを振り返った。コンシェルジュらしき男が、細長い桐箱を抱えてやって来る。

 彼女の目くばせを確認した男が、クーゴに桐箱を手渡した。訳の分からぬまま、クーゴはその桐箱を受け取る。蒼海はハッキリ聞こえるくらいの舌打ちをかました。

 

 

「ったく。あの老害(ははおや)は、アタシを何だと思っているのよ」

 

 

 地獄の底から轟くような、低い声だった。

 

 

「軍人に守り刀なんて、いつの時代のことかしらね。軍人なんて常に死と隣り合わせ。生きる覚悟を決めるより、死ぬ覚悟でもしてほしいわ。……いいえ、明日にでもすぐ『いなくな』ればいいのに」

 

「――!!」

 

「ああ、何なら、その刀で自害してくれてもいいのよ? その方が、アタシは嬉しいわ」

 

 

 蒼海の言葉に、仲間たち全員が反応した。戦慄、後に湧き上がったのは怒り。

 ハワードとダリルが身を乗り出し、ビリーが「ちょっと」と声を上げる。彼らを制したのはグラハムだった。

 

 一般人相手に問題を起こしたくない――当然の対応である。クーゴとグラハムは顔を見合わせた。面々を制した彼だって、本当は納得できていない。でも、クーゴのために皆を止めてくれた。ありがとう、と目で伝える。複雑そうに、グラハムは俯いてしまった。

 蒼海は言うだけ言うと、コンシェルジュらしき男性を伴って空港から出て行ってしまった。結局、彼女が何故アザディスタンにやって来たかは全然掴めないままである。『母から守り刀を届けることを頼まれた』というだけではないらしい。

 彼女の服装は日本にいたときと同じ着物姿だった。中東の街では相当目立つ。異教徒を嫌うアザディスタンでは、格好の的になるだろう。いささか不用心すぎやしないだろうか。我が姉ながら、よくわからない。

 

 蒼海の背中を見送り、ハワードとダリルが眉間に皺を寄せる。

 

 

「何ですか、あれ!」

「実の弟に向かって、なんてことを!」

 

「2人とも落ち着け。いつものことだし、俺は気にしてないから」

 

「しかし……!」

「ですが……!」

 

 

 自分のために怒ってくれる人間がいる。

 それは、とても貴重なことなのではないだろうか。

 クーゴはひっそり、そんなことを考える。

 

 

「でも、憤ってくれたことは嬉しいよ。ありがとう」

 

 

 心の底から感謝を述べれば、面々は複雑そうに視線を彷徨わせた。

 燻り続ける憤りを弄ぶようにして、彼らは苦い表情を浮かべている。

 

 

「クーゴが『寒い』って言った理由が、なんとなくだけど、今なら分かる気がするなぁ」

 

「ああ……」

 

 

 ビリーはそう言って、そっと肘をさすった。グラハムも、険しい表情のまま頷く。ハワードとダリルも、クーゴを気遣うようにこちらを見た。

 大丈夫だと示すように、クーゴはゆるりと微笑んだ。蒼海が去った後、悪寒は嘘のようになくなってしまった。文字通りの完全回復である。

 体調不良の原因はストレスだったのだろうか。まるでレーダーみたいだ。クーゴは1人、勝手に考えて納得してみた。しっくりくるようでしっくりしない。

 

 

「うひゃあっ!」

 

 

 蒼海が去っていった方向から、女性の悲鳴が響いた。何かがひっくり返るような音が響く。カラカラと、音が聞こえてきた。

 

 クーゴは嫌な予感を感じて、慌ててその方向へと駆けだす。案の定そこには、去っていく蒼海の後ろ姿と、車椅子から転げ落ちてしまった女性の姿があった。

 ひっくり返った車椅子の車輪が空転している。女性は蒼海の後ろ姿を睨みつけながらも、自力で立ち上がろうと奮闘していた。

 

 獣だ。獣がいる。

 鋭い牙を連想させるような、青い瞳。

 女性の手は、車椅子に向かって伸ばされていた。

 

 一瞬躊躇ったが、蒼海のしたことを放置してはおけない。

 クーゴは怯えを振り払い、女性に手を差し伸べた。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 問えば、女性はゆっくり顔を上げる。そうして、はっと息を飲んだ。

 

 

「――――?」

 

 

 女性の口が、かすかに動いた。

 読み取ることはできなかった。

 

 

「え」

 

「……な訳、ないか。あの人は……」

 

 

 首を傾げるクーゴを横目に、女性は深々とため息をついた。とりあえず、クーゴは女性を助け起こし、車椅子に乗せてやる。

 女性は「ありがとう」と頭を下げた。後ろの方から足音が聞こえてくる。振り返れば、グラハムたちがやって来たところだった。

 何があったのかと訊ねてきた面々に、蒼海がやらかしたことを伝える。途端に、彼らの表情は不機嫌一直線となった。

 

 逆に、女性は目をぱちくりさせて、蒼海が去っていった方向とクーゴに何度も視線を向けた。

 似ているけれども似ても似つかない――女性の表情は、そう叫んでいる。クーゴは苦笑した。

 

 

「姉がすみません」

 

「いや、いいよ。貴方が気にすることじゃないし、いいこともあったし」

 

「え?」

 

「――そっくりなのよ。旦那の若い頃に」

 

 

 女性はそう言って、悪戯っぽく笑った。

 

 

「はぁ……」

 

「ふふ。貴方はきっと、旦那と同じイイ男になるわ。間違いないっ!」

 

 

 クーゴは曖昧に返事をする。女性はやけに上機嫌だった。

 ふと、女性は何かに気づいたようにクーゴを見つめてきた。

 何事か、とクーゴが首を傾げる。女性はぽんと手を叩いた。

 

 

「もしかして、AEUの軍事演習場で、エルガンと……エルガン代表と何か話してたわよね?」

 

「あ」

 

 

 女性の言葉に、クーゴは合点がいった。

 

 初めてガンダムと遭遇したAEUの新型発表会で、エルガンを呼んでいた女性だった。そういえば、彼女の声は、誰かを相手に熱弁を振るっていた女性技術者の声とよく似ていた。いや、本人だ。今ならはっきりとわかる。

 偶然の再開。意外と世界は狭いらしい。その言葉を聞いたグラハムとビリーは、女性に対してシンパシーを感じたらしい。あのとき起こった出来事からガンダムの機体性能、果てには恋愛関係の雑談まで始めてしまった。

 

 いつの間にやら、ハワードとダリルも会話に加わる。見ていて微笑ましい。

 時が流れるのも忘れて、ガンダム調査隊の面々は、女性と心行くまで語り合った。

 どれくらいの時間が経過しただろう。青空は、いつの間にか日が傾いていた。

 

 

「――あ、そうだ」

 

 

 女性は懐の中から何かを取り出した。

 

 差し出されたのは1枚の名刺。「いつか、お礼をさせてもらうわ」と言い、女性は時計に視線を向けた。「げ」と、女性は苦い表情を浮かべて舌打ちする。

 どうやら急ぎの用事があったらしい。礼を述べて、彼女は慌ただしく車椅子を漕いで去っていった。女性の背中を見送ったのち、クーゴは名刺に目を剥ける。

 

 『悪の組織』代表取締役。名刺にはそう書かれてあった。

 もう一度読み返す。『悪の組織』代表取締役と書かれてあった。

 何度も読み返す。『悪の組織』代表取締役と書かれてあった。

 

 覗き込んでいたビリーやハワードたちが絶句する。グラハムとクーゴは呆気にとられていた。

 

 

「ちょ、え、嘘。え、え、えええ」

 

 

 ややあって、ビリーが判別不能の言葉を漏らし始めた。

 気持ちはわからないわけではないが、落ち着いてほしい。

 

 

(なんだろう。前途が多難すぎる予感しかしない)

 

 

 ぶっ壊れる寸前のオートマトンよろしくな状態のビリーを正常に戻す。

 

 アザディスタンに到着して早々、ガンダム調査隊に与えられた任務に、クーゴは遠い目をしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 破壊と殺戮を呼ぶ機体は、格納庫で静かに眠っている。

 

 女はうっとりとMSを見上げていた。これは他の誰でもない、女の機体。

 ガンダムを超え、世界をひっくり返す力を持つ最強の機体。

 

 それだけではない。女の背後には、太陽の塔を思わせるようなデザインの、巨大な機械が鎮座していた。

 星とそこに暮らす人類を管理し、正しい未来に導くための役割を持っていた機械。星を導くべき存在の決定権を有した存在。

 

 女性は不気味な笑みを浮かべながら、端末を開いた。そこに記されていたのは、女性が手にした知識のすべて。

 西暦2307年から始まった知識のデータには、ソレスタルビーイングの活動を中心とした年表が記されていた。

 ソレスタルビーイングは1度滅び、4年後に再び姿を現す。世界の歪みを破壊した彼らは、以降は世界の敵として存在し続ける――。

 

 年表のデータは2312年で止まっているが、女にとっては充分であった。

 

 

「そうだ。この力が、あれば――!」

 

 

 女は高揚した気分を隠さなかった。

 ずっと欲しかったものを手にした喜びで満ち溢れていた。

 

 この力さえあれば、全てを思うがままに動かせる。女を認めなかったすべての存在が、女を認め、讃え、ひれ伏すのだ。その中にはもちろん、憎い半身も含まれる。

 

 女は双子の弟を思い浮かべた。何事もそつなくこなすことができる、才能に満ち溢れた男。

 病弱だったくせに、いつの間にか健康優良児となった、ユニオン軍のフラッグファイター。

 女が持つ情報には『存在していない』はずの人間であり、『存在してはいけない』異分子(イレギュラー)の1人。

 

 

「異分子共々、消してあげる。世界のすべてを、変えてみせる」

 

 

 まるで、歌を歌うかのように。女は朗々と言葉を紡ぐ。

 

 女は端末を動かした。

 浮かび上がってきた情報は、女性の知りうる知識との相違点だ。

 

 

 刹那・F・セイエイが女であること。

 ソレスタルビーイングに、5人目のガンダムマイスターがいること。

 5人目のマイスターの名前はイデア・クピディターズであること。

 5機目ガンダムの機体名はスターゲイザーであること。

 ソレスタルビーイングの仲が比較的和やかであること。

 

 刹那・F・セイエイとグラハム・エーカーが事実上の恋人関係であること。

 刹那・F・セイエイのご近所関係が比較的良好であること。

 

 絹江・クロスロードにセキ・レイ・シロエやジョナ・マツカという調査仲間がいること。

 沙慈・クロスロードとルイス・ハレヴィが結婚を前提とした恋人関係であること。

 『悪の組織』という名前の技術提供会社が存在していること。

 ソレスタルビーイングと対を成す組織、スターダスト・トレイマーが存在していること。

 

 テオ・マイヤーという名の売れっ子歌手が存在していること。

 アレハンドロ・コーナーの部下の人数が、1人多いこと。

 チーム・トリニティに教官がいること。

 リボンズ・アルマークとイノベイドたちの仲が良好であること。

 青年はノブレス・アムという名前であること。

 

 グラハム・エーカーに、年上の友人であり副官がいること。

 そのフラッグファイターの名前は、クーゴ・ハガネであること。

 

 

 

「世界は私の、掌の上」

 

 

 女は歌うようにして言葉を続けた。女の言葉に反応するかのように、背後の機械が不気味な光を放つ。

 

 破壊と殺戮を呼ぶ機体は、格納庫で静かに眠っている。

 女はうっとりとMSを見上げていた。

 

 

 

*

 

 

 

「キミは何をしに、ここに訪れたんだい?」

 

 

 アレハンドロの問いに、女は淡々と答えた。

 

 

「機体のテストをしに。……ここには、いい的があるもの」

 

「的が何を指しているかは知らないが、あまり派手なことはしないでくれよ。計画に支障が出る」

 

 

 アレハンドロが咎めるように諌めれば、女性は鼻を鳴らした。

 

 

「それは、誰の計画に?」

 

 

 部屋を満たしたのは、沈黙。

 アレハンドロは窓の外へと視線を向ける。

 

 

「『我々』の計画だよ、ミス・ハガネ」

 

 

 アレハンドロの言葉に、着物を着た東洋人女性――刃金(はがね) 蒼海(あおみ)/アオミ・ハガネは、うろんげな笑みを浮かべてみせた。

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。




【参考および参照】
『ニコニコ百科事典』より、『帰ってくれウルトラマン』、『ガヴァドン』

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