大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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24.流れる星

「新しいシミュレーターの配信、凄かったよな」

「今までのヤツにもストーリー性が追加されたから、俄然やる気が出るよ」

「でも、虫の女王戦は切なすぎんだろ。最期に、女王を乗っ取っていた女性がなぁ……」

「どうしてマネージャーでいられなかったんだろう。でも、最後に戻れてよかったのかもしれないな」

 

「この前、『頭に響くんだよォ! 叫んでばかりでぇ!!』って言ってシミュレーター殴って壊した奴がいたんだ。おかげで、しばらく金属生命体関係は配信停止だってさ」

「以前は違う奴が『ズール皇帝は正義だ!』って喚き出した挙句にボヤ騒ぎ起こしたらしくて、それ関係のやつも配信停止されたんだよな」

 

「心を読む力を持った敵に、どう対応すればいいんだろうな」

「俺、嫁への愛を語ったら倒せたぞ」

「僕は恋人のことを」

「独身喪男でも勝てる方法はないのかーッ!!」

「俺、自分がいかにモテないかを延々と語り続けたら撤退されたぞ。シミュレーター内外含んで、周囲の奴らもいなくなってた」

 

 

 兵士たちの雑談が響く。この場は、シミュレーターの話題で持ち切りだ。その様子を、クーゴは椅子に座って眺めていた。

 つい最近アップデートされたのが原因だろう。これもまた、“多元世界技術解析および実験チーム”の功績だ。

 内容を聞いていると正直反応に困るが、とりあえず、クーゴは曖昧な笑みを浮かべるに留めておく。

 

 ユニオン軍基地には、特に目立った変化はない。AEUも、特に目立った動きはない。モラリア紛争以後、三大国家のうち2つがソレスタルビーイングを静観している。

 唯一公式に徹底抗戦を掲げているのは人類革命連合だ。セイロンでの紛争介入でコテンパンに伸されたことが尾を引いているらしい。

 

 そういえば、親戚が『セイロンへの武力介入の際、基地にロシアの荒熊を着任させたのは、あわよくばガンダムを鹵獲しようとしていたためだ』なんてことを言っていたか。

 

 軍事関係を追いかけているジャーナリストだ、情報の信憑性は高い。他にも、『亡くなった同僚の娘でジャーナリストの後輩が、頼れる仲間たちと一緒にソレスタルビーイングを追いかけている』という話もしてくれた。

 いざというときの情報提供役になってくれと頼まれたが、正直、一介の軍人にすぎないクーゴでは役として力不足ではなかろうか。それに、『友人の恋人(?)がソレスタルビーイングの構成員です』だの『俺の友達がソレスタルビーイングの構成員です』なんて言えるはずがない。

 不意に、ゼクスの妹である少女――リリーナ・ドーリアンの後ろ姿が浮かんだ。養父は外務次官、実の兄は軍人(後に王から秘密組織のMSパイロット)、信頼するパートナーはテロリスト(後に秘密組織のMSパイロット)。こちらもこちらで、気が遠くなる構成であった。

 

 

「どうしたんだ、ぼうっとして」

 

「いや、なんでもないよ」

 

 

 紙コップを両手に持ったグラハムが、クーゴの表情を覗き込んだ。クーゴは静かに首を振る。

 グラハムから紙コップを受け取った。ブラックコーヒーの水面に自分の顔がぼやけて映る。見事な間抜け面だった。

 

 これではいけない。クーゴは半ば呷るようにしてコーヒーを啜る。

 胃に重たい一撃が入ったような錯覚に見舞われた。

 鋭い苦みに気圧されるようにして、思考回路を切り替える。

 

 それを確認したグラハムが、真剣な眼差しを向けてきた。

 

 

「人革連の様子が不穏なのは知っているか?」

 

 

 グラハムの言葉に、クーゴは頷く。

 

 

「あそこは唯一、ソレスタルビーイングに対して徹底抗戦の構えを示しているからな」

 

「諜報部曰く、近々大規模な作戦が行われるという。……キミは、どう見る?」

 

 

 グラハムの翠緑の瞳がじっとクーゴを見つめる。クーゴはコーヒーを飲み干し、自分の考えを述べてみた。

 

 

「ユニオンで言うガンダム調査隊の人革連版が『頂武』部隊。その指揮官は、ロシアの荒熊と名高いセルゲイ・スミノルフ中佐。指揮官としてもMSパイロットとしても優秀だ。物量的な面や投じられた予算的な意味合いから見ても、本気の布陣だろうよ。……あわよくば、鹵獲も狙ってるんじゃないか?」

 

「そうか」

 

 

 彼はそれきり言って、ふいっと視線を外した。眼差しの先には、分厚い曇天で阻まれた空が広がっている。

 グラハムは、あの曇天の向う側に広がる空の、そのまた向う側にある宇宙(そら)を見ているのだ。

 その先にはきっと、いいや確実に、白と青基調のガンダムと意中の少女がいるのだろう。

 

 クーゴは、そんな親友の姿に深々と息を吐いた。翠緑の瞳に滲むのは、明らかな嫉妬の色だ。

 西洋圏やアメリカでは、緑は嫉妬深い色だと言われている。今のグラハムにはお似合いだった。

 

 

「緑の目を持つ者は嫉妬深い、ねぇ」

 

「どんな意図を持ってそんなことを言うんだ、キミは」

 

 

 グラハムが非難めいた視線を向けてきた。眉間に皺を寄せて、口がへの字に曲がっている。不機嫌そうな表情は、どこか子どもっぽさを醸し出していた。

 その顔のどこが嫉妬じゃないんだよ、と、クーゴは内心苦笑していた。本当にわかりやすい。我慢弱く感情の起伏が激しめな彼らしかった。

 普段は冷静沈着なのに、どうして戦闘時や恋愛関係のことになると振り切れてしまうのか。ストッパー役も楽ではない。だからといって、辞めるつもりもないが。

 

 グラハムはどこかそわそわした様子で、また曇天へと視線を向ける。

 

 何かを察したように、険しい眼差し。その横顔に燻るのは、焦燥。

 結局は嫉妬じゃないか。クーゴは生温かく微笑んだ。

 

 

「……キミは何か勘違いしているようだが」

 

 

 クーゴの視線に思うところがあるらしく、グラハムはクーゴを咎めるかのように弁明した。

 

 

「私の天使たち(ガンダムと刹那)が、他の男に口説かれているのを見ていることしかできない……それが歯がゆいだけだ。彼女は私の、愛しの君なのだからな」

 

「…………素直に嫉妬してると認めろよ」

 

「私はそこまで女々しくない!」

 

「はいはい」

 

 

 食って掛かってきたグラハムをいなし、クーゴは端末を開いた。人革連の宇宙領域に、大量のレーダー衛星がばら撒かれている。

 網羅されたのはその8割強。彼らは、あの粒子が通信障害を引き起こすことを逆手に取ったのだろう。物量も作戦も大規模であった。

 

 魚は網にかかるのか。クーゴは固唾を飲んで画面を見守っていた。グラハムは空を見上げてる。その横顔は、やはり険しい。自分が口説き落すのだと憚らない相手を、他人がかすめ取るような形で口説いているのだ、我慢弱い男が耐えきれるはずがない。

 次の瞬間、端末画面に動きがあった。電波障害が発生した宇宙領域に向かって、戦艦やMSの反応が動き出している。詳しい反応を探ることはできないが、指揮官同士が激しい読み合いを行っていることだけは伝わってきた。グラハムが空から視線を戻し、クーゴの端末を覗き込む。

 戦闘画面が表示された。見たことのないデザインの輸送船が映し出される。もしかして、あれがソレスタルビーイングの母艦なのだろうか。たった1隻の輸送船とガンダムで、彼等は世界を変えようとしているのだ。そう考えると、どれ程無謀かがよくわかる。

 

 可変機と重装甲の機体が飛び出していく。何機かが2機のガンダムに追随したが、本体は輸送船の攻撃のために残った。ソレスタルビーイングの指揮官に、セルゲイ・スミノルフが僅差で競り勝ったのだ。

 

 

「成程な。あの2機は陽動用か」

 

「形勢逆転。これで、裏をかかれたソレスタルビーイングが不利だな」

 

 

 護り手のいなくなった空母は、ほぼ無防備状態だった。白と青基調のガンダムと、白と緑基調のガンダムと、純白のガンダムが迎撃に回る。

 その一方で、白とオレンジ基調のガンダムと白と紫基調のガンダムはじりじりと追い詰められていく。ついに、人革連の手が2機のガンダムに伸びた。

 

 あとはそのまま、2機の天使を連れ去るのみだ。

 ついに天使が地に落ちたのか――と、クーゴが思ったときだった。

 

 

「――え」

 

 

 次の瞬間、モニター画面に青い光が爆ぜる。

 

 一拍おいて、人革軍の反応を示すマークがごっそり消えた。ガンダムを鹵獲しようとしていた戦艦も、MSも、綺麗さっぱり反応がなくなってしまう。神隠しの類にもよく似ていたが、実際はそれより恐ろしい事態である。

 戦艦とMSがコンマ一瞬で殲滅されたのだ。クーゴとグラハムは目を剥いた。一体全体、この宇宙領域で何が起きているのだろう。しかし、更に、端末画面には信じられないものが映し出された。

 

 

「白い、鯨……? いや、違う。戦艦か!?」

 

「なんだあのデカさ!? 1000メートル近い超大型じゃないか!」

 

 

 クーゴとグラハムは戦慄した。戦艦や輸送艦は、大抵200m~500m級が普通である。

 しかし、画面に映った白い戦艦は、人革連の戦艦やソレスタルビーイングの母艦よりはるかに大きかった。

 人革軍のMSや戦艦、ソレスタルビーイングの母艦など歯牙にもかけず。白い鯨は我が物顔で、宇宙という海をゆったりと泳いでいた。

 

 鯨の尾っぽには、何かの紋章が描かれていた。金色の双翼が宝玉を抱き、それらに寄り添うような形で桃色の花が咲いている。釣り鐘状の花だった。

 白い鯨は悠々と宇宙を泳ぐ。ソレスタルビーイングや人革軍など、鰯の群れにしか見えないのだろう。気にすらしていなかった。

 

 その混乱に乗じるようにして、ソレスタルビーイングとガンダムの反応が消失した。入れ替わるようにして、白い鯨は宇宙に溶けるようにして消え去る。

 

 獲物を失ってしまった人革軍は撤退する以外にない。彼らの反応は疎らになり、ついに撤退を終えた様子だった。宇宙領域から、全ての反応が消え去る。

 クーゴは端末を切る。入れ替わるようにして、今度はグラハムが深々と息を吐いた。どこか複雑な感情が揺らめいているように思う。

 

 

「お前さ」

 

「何だ?」

 

「喜びたいのかガッカリしたいのか、どっちなの?」

 

「どうかな」

 

 

 グラハムはくつくつ笑った後、再び窓の空へと視線を向ける。曇天の切れ目から、優しい陽光が降り注いでいた。

 

 

「……また会うときまで、誰の手にも落ちるなよ。我が愛しの君」

 

 

 天使(刹那とガンダム)を落とすのは他ならぬ自分なのだ――そう信じて疑わない、澄み渡った翠緑。

 狂気的なまでに綺麗な宝玉に、クーゴは面食らう。

 

 

「公私ともに落とすつもりか」

 

「落としてみせるさ、必ずな」

 

(こう)では落とされそうになったところを見逃してもらい、()では真っ先に撃墜されたじゃないか」

 

「キミは的確に地雷を踏みぬいてくれるよ」

 

 

 グラハムはムッとした表情でクーゴを睨んだ。クーゴはさっと視線を逸らす。

 

 暫くしたら、イデアにメッセージでも送ってみよう。

 現実逃避がてら、クーゴはそんなことを考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えるならそれは、流星のようだった。

 

 青く透き通った光が縦横無尽に駆け巡る。その軌跡に触れたMSが、反応をする前に爆発してしまった。

 いや、MSだけではない。その光は戦艦すらぶち抜き、ときには派手な爆発を引き起こさせて消し飛ばしていく。

 爆発。爆発、爆発。爆発、爆発、爆発――爆発。パイロットたちの、断末魔の悲鳴が聞こえてきそうだ。

 

 鹵獲用の罠も、あっという間に宇宙の藻屑に変わった。

 残されたのは、怖いくらいの静寂。

 

 

「一体、あれは……」

 

 

 今、目の前で繰り広げられた光景は、わずか数十秒の出来事である。追い込まれていたヴァーチェとキュリオスは、鹵獲寸前の危機から脱したのであった。

 流星は光を放ちながら、宇宙の底へと消えていく。それを、ティエリアとアレルヤは見送ることしかできなかった。

 

 

「やっと通信が繋がった……! 2人とも、大丈夫!?」

 

 

 戦術予報士であるスメラギの、焦ったような声がした。無事を返答すれば、安堵のため息が聞こえる。

 帰投の意を伝えようとしたとき、ティエリアとアレルヤは思わず息を飲んだ。

 自分は今夢を見ているのではないか――そう錯覚してしまいそうな光景が、眼前に広がったのである。

 

 例えるならそれは、白い鯨だった。

 

 ガンダムを大きさを比較すると、鯨と鰯並みの差がある。

 プトレマイオスと比較すると、鯨とシャチ並みの差がある。

 

 

「なんだあれ……!?」

 

「こんな艦、ヴェーダにはない……!」

 

 

 鯨は2人の驚きもなんのその、ゆったりと宇宙を泳いでいた。自分たちが何をやっても、あの艦にとっては虫刺されにもなりはしないだろう。

 自分たちの生殺与奪を握っているのは、あの艦だ。ティエリアとアレルヤはそう直感し、ごくりと生唾を飲む。鯨は、そんなガンダムマイスターの心境など無関心だった。

 ゆっくり、ゆったり、悠々自適に、鯨は宇宙の闇の中へと消えていく。その姿が完全に消えた後で、ティエリアとアレルヤは脱力した。

 

 そこへ、暗号回線を使った通信が入る。

 

 画面には『貴方たちは今、死ぬべき人間じゃない。命を粗末にするな。次やったら、どんな手段を使ってでもぶっ生き返す』という文字が点滅していた。

 2人の口元は盛大にひきつったが、他の面々からの通信が入ってくる。

 

 

「ぶっ生き返すって、どういうことだよ……」

 

「ぶっ殺すの反対なんじゃないかな」

 

「意味が分からない」

 

 

 ロックオンが深々と息を吐き、アレルヤは苦笑した。ティエリアはそれを切り捨てる。

 

 

「あの艦、いったい何なの……?」

 

「兎にも角にもラッキーですね。あの艦が現れなかったら、現状はもっと悪化していたはずだし」

 

「不思議っすよね。流れ星の次は白鯨みたいな艦か。ファンタジー小説を読んでいる気分だなぁ」

 

 

 スメラギが考え込み、クリスティナがほっと安堵の息を吐いた。リヒテンダールは余韻覚めあらぬと言いたげに声を震わせている。

 後ろの方では、イアンが勝手に盛り上がっている声が聞こえた。彼の研究者魂に、あの艦は火をつけて油とグリセリンを撒いたらしい。

 近くにいた乗組員とその場を転がっていたハロたちが、彼の説明の巻き添えを喰らってゲッソリしていた。

 

 ソレスタルビーイングのメンバーたちは、どうにか危機を乗り越えたらしい。

 

 

「エクシア、これより帰還する」

 

「スターゲイザー、今から帰ります」

 

 

 刹那とイデアの声を皮切りに、ガンダムマイスターはプトレマイオスへと帰投したのであった。

 

 

 

*

 

 

 

 

「あれ? イデア、焦げ臭くない?」

 

 

 クリスティナの指摘に、イデアはびくんと肩をすくめた。

 

 

「……き、気のせいじゃないかな」

 

「そうかなー。とりあえず、シャワー浴びてきた方がいいよ。イデア、汗まみれじゃない」

 

 

 クリスティナはそう言って、イデアの肩を叩いて去っていく。それを見送った後、イデアはそそくさとシャワールームに直行した。

 もう一度匂いを嗅いでみる。やはり、うっすらとだが焦げ臭い。ちょっと無理しただけだったのに、と、イデアはがっくり肩を落とした。

 パイロットスーツも新調しなくてはならない。『悪の組織』に専用の生地を融通してもらわなくては。摩擦熱とイデアの能力に耐えうるくらいの。

 

 よく確認すれば、煤けている部分があった。

 原因はもちろん、摩擦熱とイデアの能力である。

 

 

「そう考えると、『同胞』が着ている制服の凄さがよくわかるなー。宇宙圏を飛び回っても、摩擦熱で燃え尽きたりしないもの」

 

 

 イデアは小声で呟きながら、シャワーの蛇口をひねった。

 

 大量のお湯が流れていく。頭からお湯を被った後、イデアはシャンプーを泡立てて頭を洗った。泡を流し、もう一度シャンプーで頭を洗い、お湯で流す。次にトリートメントで髪の毛を整え、10分ほど待ってから洗い流した。〆はリンスである。全てが終わったとき、甘い蜂蜜の香りがふわっと漂った。

 髪を洗い終えた次は、体だ。頭をタオルで包み、ボディーソープを泡立てる。爽やかな柑橘系の香りが鼻を満たした。イデアはそれを楽しみながら、体を清める。シャワーで泡を流してしまえば、摩擦熱で焦げた臭いなど残らなかった。これでもう大丈夫だろう。体を拭いて、普段着の1つである青いワンピースを身に纏った。

 風呂上りは本当に気持ちがいい。イデアが鼻歌混じりで踏み出したとき、イデアの端末が鳴り響いた。開いてみると、メッセージの送り主はクーゴである。『キミは白い鯨を見たことがあるか? 宇宙を泳ぐ鯨だ。今しがた、俺はそれを目撃したよ。とても綺麗だった』――イデアはゆるりと目を細めた。それが何を意味しているか知っていて、尚。

 

 次のメッセージには、『グラハムは本気で、公私ともに刹那を落とすつもりだ。彼女に(いろんな意味で)気を付けるようにと言ってほしい』とある。

 もう遅い。イデアは直感した。廊下をしばらく歩くと、件の刹那が壁に背を預けてへたり込んでいる。口元を手で覆っているが、耳や頬は真っ赤だった。

 

 

「あんたは、本当に、もう……」

 

 

 ゆっくりと、刹那の口元から手が離れた。口元には、少し震えた微笑。ちょっとだけ泣き笑いに近い横顔だった。

 イデアは悟る。どうやら、グラハムが何か言ったらしい。真摯な想いが、刹那の心に少しづつ光を見せてくれている。

 

 とても喜ばしいことだ。この調子で、刹那が『自分の手でも何かを守ったり、作り出したり、幸せにすることができる』と認められるようになってくれたらいい。

 

 

「せーつなっ!」

 

「!!!?」

 

 

 驚かすようにして声をかければ、刹那はびくっと肩をすくめてイデアを見上げる。威嚇する猫みたいに体中の毛を逆立たせた刹那の様子に、イデアはゆるやかに目を細めた。瞬間、刹那の顔が一気に顔面蒼白になった。

 「自分が獲物(ターゲット)として狙いを定められた」、「逃げられない」――絶望に満ちた感情に触れる。これは根掘り葉掘りしすぎたか、と、イデアは苦笑した。今回は大人しく引き下がるとしよう。

 イデアが追及してこないことを察した途端、刹那は露骨に安堵の表情を浮かべた。それはそれでちょっと寂しい。ついでに悔しいので、鎌をかけてみることにした。

 

 

「グラハムさん関係で、何かいいことあったの?」

 

「…………何もない」

 

「本当に?」

 

「何もない!」

 

 

 刹那は顔を真っ赤にして、端末を片手に駆け出してしまった。お守りについた鈴の音色が聞こえる。その音は、刹那の背中と共に遠くなっていった。

 イデアはニマニマと笑みを浮かべた。恋と愛は本当にいいものだ、と、心の中で唱える。尊敬するグラン・マがよく言っていたことであった。

 

 そうして、イデアはゆっくりと首を動かした。振り返った先には、デバガメよろしくな男3人組――ロックオン、アレルヤ、ティエリアが、廊下の角からこちらを覗き込んでいたところだった。

 イデアの視線を待っ正面から受け止めた3人がぎょっと肩をすくめる。「気配はきちんと消していたはずなのに」と言わんばかりの表情だ。イデアがゆるりと笑みを浮かべれば、今度は彼らが絶望に満ちた表情を浮かべる。

 真っ先に戦線離脱を図ったティエリアの手を、ロックオンとハレルヤが掴んだ。後者はいつの間に人格を交代(チェンジ)していたのだろう。2人とも、どこか悪い笑みを浮かべている。逃げるな、逃がさない――スナイパーと反射代表の目がぎらついた。

 

 『ハレルヤ、ティエリアだけでも逃がしてあげて! ロックオンもやめたげてよぉ!!』と叫ぶアレルヤの悲鳴が聞こえる。しかし、その悲鳴はすぐに途切れた。

 

 死を覚悟したような、どこか虚ろな瞳を向ける3人組。ついに、ティエリアとアレルヤも観念したらしい。

 イデアは更に笑みを深くした後、男3人組へと歩み寄った。彼らのことも、しっかり根掘り葉掘りするために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちわ、エイミー。久しぶりですね」

 

 

 病院の207号室。久々に手にした休暇で、テオはその部屋を訪れた。

 

 エイミーは相変わらず眠り続けている。ベットサイド脇の花瓶には、純白のユリの花と釣り鐘状に咲いたピンクの花が活けてあった。

 後者はこの近隣で見かけないものだ。そういえば、友人の妹分が「近々、恋人の家族に挨拶しに行く」と言って、ピンクの花束を手にしていたことを思い出す。

 テオには、それが花瓶に活けられた花だとすぐに見当がついた。どちらの花も瑞々しく、前者は花屋で購入、後者は社内の花壇から採ってきたばかりだろう。

 

 

「その様子だと、お兄さんたちが来たんですね?」

 

 

 意識不明の少女が答えられるはずがない。けれどテオは、エイミーの発言を待っているかのように黙っていた。

 幾何かの時間が過ぎて、テオは表情を緩める。そして、ぱあっと表情を輝かせた。

 

 

「未来のお義姉さんたちを紹介してもらったんですか! 2人とも、美人だったんですね」

 

 

 しかし、テオの表情はすぐに曇った。

 

 何とも言い難そうに視線を彷徨わせる。誰かの感情をなぞる様に、テオは花瓶の花へと視線を向けた。

 花瓶の色もまた、ユリと同じ純白である。アクセントとして、くびれた部分に銀色のラインが引かれていた。

 まるで、花嫁が持つブーケを思わせるような花瓶である。しばらくテオはそれを眺めていたが、エイミーへ視線を戻した。

 

 

「……いつか、貴女もなれますよ。綺麗な花嫁さんに」

 

 

 どこか悲しそうに、テオは微笑む。

 ややあって、また彼は口を開いた。

 

 

「お兄さんたちも、おんなじことを? ……でしょうねぇ。お2人とも、エイミーのことが大切ですからねー」

 

 

 次の瞬間、テオの表情が引きつった。こめかみに青筋が走り、かすかに肩が震える。

 少し悩むように視線を右往左往させて、テオは大きくため息をついた。

 知り合いたちが今のテオを見たら、「哀愁漂う表情」だの「ゲッソリしてる」だのと言いそうだ。

 

 テオはしばし黙り続けた。

 そうして、弁明するかのように口を開く。

 

 

「僕の場合は、相手待ちなんです。あくまでも相手待ちなんです。……そもそも相手がいない? 知ってます。知ってますから。――……やめてください、それ以上僕の傷をえぐらないで!!」

 

 

 「お願いだから、婚活婚活連呼しないでくださいよ!」と、テオは悲痛な声を上げた。琥珀色の瞳に涙が浮かんでいるように見えるのは、きっと気のせいではない。

 

 しかし、テオの発言が止まった。

 ややあって、テオは再び口を開いた。

 

 

「……だと、いいんですけどねぇ」

 

 

 涙を拭い、テオはようやく本題に入ることにした。持ってきていたタブレットを引っ張り出して、図面をエイミーに示す。

 もちろん意識不明の患者が反応するはずがない。テオは気にする様子もなく、彼女に説明を始めた。

 説明し続けた後、テオはじっと返答を待つように口を閉じた。白い部屋には静寂が訪れる。

 

 時計の針が動く音がした。それと同時に、テオはふっと表情を緩める。

 「満足して頂けたようで何よりです」と言って、端末を鞄にしまう。

 

 

「心配して頂けるのは嬉しいです、エイミー。でも、僕は大丈夫なので。他にも、やるべきことは山積みですからね」

 

 

 「それにしても」と、テオは言葉を続ける。

 

 

「『ホワイトベースを建造してくれ』と頼まれたときは、正直びっくりしましたよ。動力源は4連装熱核ハイブリッド・エンジン・システム2機とミノフスキー・クラフト・システムの代用品として、GN粒子とS.Dから引っ張り出した技術で専用ドライヴを1から作らなきゃいけないし、武装の再現および供給目途も立たないし、死ぬかと思っちゃいました。突貫工事でしたが、間に合いそうです」

 

 

 テオは苦笑した。そうして、時計を見て立ち上がる。

 そろそろ戻らないと面倒なことになる。ぺこりと頭を下げた。

 

 

「それじゃあ、また来ます」

 

 

 テオは207号室から出て、病院の階段を駆け下りる。少しだけ慌ただしく、病院を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて」

 

 

 ノブレスは、どこまでも悪い笑みを浮かべながら図面を見ていた。

 リボンズも、悪戯を企てる子どものような微笑を浮かべている。

 

 

「これが、アルヴァアロンとアルヴァトーレの図面か」

 

「そうだね。開発は着々と進んでるよ」

 

 

 ぷーくすくす。

 

 2人の笑い方に擬音を付けるとするなら、そんな笑い方がよく似合っていた。

 

 2人は図面を拡大させた。実は、この図面には所々欠陥があるのだが、アレハンドロ本人は全く気付いていない様子だった。

 嘗てユニオン軍のパイロットとしてリアルドを駆っていたアレハンドロ・コーナーであるが、凄腕という訳ではなかった。

 そのくせ、ソレスタルビーイングの最年少パイロットを目の敵にし、自分こそがガンダムに乗るのに相応しい思っている。

 

 機体の外観は、本人の強すぎる希望のおかげで金ぴかになった。放出されるGN粒子やビームの色まで金ぴかに統一されている。黄金趣味に気が遠くなった。

 おかげで、もうしばらく金色は見たくない。見るだけで、ちょっと吐き気を催すようになった。リボンズに至っては飽き飽きしてしまったという。

 

 

(本来なら、毒々しい金色じゃなかったのに)

 

 

 ノブレスは深々と息を吐く。

 その図面を初めて見たときのことを回想しながら。

 

 

「で、どうするんだい?」

 

 

 リボンズはゆるりと目を細めた。

 ノブレスも、にやっと笑う。

 

 

「まずは、『モニター画面を叩いたら爆発する』仕掛けでも作ろうか」

 

「それはいいね!」

 

 

 そこにいたのは、どこからどう見てもクソガキ2人組。

 

 ノブレスとリボンズは楽しそうに笑いながら、くだらない嫌がらせを機体に施していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆ぜる。

 

 蒼が爆ぜる。

 

 すべてを破壊する勢いで、星が流れていく。

 

 戦艦が吹き飛んだ。

 戦闘機が吹き飛んだ。

 戦艦と戦闘機が吹き飛んだ。

 藻屑だけが、宇宙に残った。

 

 爆ぜる。

 

 蒼が爆ぜる。

 

 すべてを破壊する勢いで、星が流れていく。

 

 戦艦が吹き飛んだ。

 戦闘機が吹き飛んだ。

 戦艦と戦闘機が吹き飛んだ。

 藻屑だけが、宇宙に残った。

 

 そうやって、何度『牙』として戦ってきただろう。

 女性は今までの軌跡を思い出して、大きく息を吐いた。

 

 

「もうすぐ、青い星(テラ)につく」

 

 

 女性は、宇宙(そら)を見上げていた。宇宙(そら)に散った命を想い、そこまで自分たちを導いた指導者(ソルジャー)を想う。

 長かった。ここまでたどり着くために、沢山の命が宇宙(そら)に散った。父も、母も、友も。『同胞』たちの多くが命を落としたのだ。

 

 

「そうしたら、きっと、グラン・パも笑ってくれる」

 

 

 祈るような気持ちで、女性は手を組んだ。

 

 青い星(テラ)へ向かう旅路に疲れ果てた『同胞』たちは、逃れの星にたどり着いた。その星は、人類が植民惑星化に失敗して、打ち捨てられた星だった。

 『同胞』たちはその星にナスカと名付け、開拓を進めた。ナスカの大地でトマトが育ち、花が咲き、穏やかに暮らしてきた。そこで、女性や友人たちも生を受けた。

 開拓が進む度に、グラン・パは嬉しそうに笑っていた。皆が喜んでくれると嬉しいのだと、彼は笑っていたのだ。女性は彼の、太陽のような笑顔が大好きだった。

 

 その笑顔が消えてしまったのは、ナスカが消滅した直後だった。

 名実ともに、彼が指導者(ソルジャー)となった瞬間からだった。

 

 笑ってくれなかった。いくら話しかけても、敵を倒しても、グラン・パは笑ってくれなかった。

 

 

「昔みたいに、笑ってくれる。……そのために、頑張ってきたんだから」

 

 

 女性は宇宙(そら)を見上げていた。宇宙(そら)に散った命を想い、そこまで自分たちを導いた指導者(ソルジャー)を想う。

 ナスカが滅んだあと、青い星(テラ)を目指して自分たちは突き進んできた。グラン・パも、わき目も振らず突き進んでいた。

 戦闘員をしている『同胞』も、ナスカで生まれた子どもたち――女性の幼馴染3人組――アルテラ、タージオン、コブも、犠牲になった。

 

 閃光系の爆弾に飲み込まれたタージオン、機関銃でぶち抜かれたコブ、奇襲に失敗して逆に返り討ちにされたアルテラ。

 思い出すだけで、胸が苦しくなる。もうこれ以上、誰かが死んでしまうのは嫌だ。女性は手を強く握りしめる。

 

 

「もう誰も、死なないで」

 

 

 女性は祈る。ただただ、祈り続ける。

 

 旅の終わりはもうすぐだ。もうすぐ、青い星(テラ)へとたどり着く。

 『同胞』たちが楽園と信じ、返りたいと願った惑星(ばしょ)

 

 どうか、何事もなく青い星(テラ)に辿り着けるように。

 どうか、その先に皆の笑顔があるように。

 どうか、その笑顔が欠けることのないように。

 

 

 

*

 

 

 

 その祈りは、散々打ち砕かれるのだ。

 知っていて、でも、祈らずにはいられない。

 たとえそれが、愚かなことであろうとも。

 

 

「最っっっ悪」

 

 

 いつの間にか、ふて寝してしまったらしい。手鏡で顔を確認すれば、顔面にはきっちりと手の跡が残っていた。

 せめてもの抵抗に、と、肌を引っ張ってみたが、気休めにもなりはしなかった。本当に酷い顔である。

 

 

「畜生。こんな醜態を晒す羽目になったのは、すべてアレハンドロ・コーナーのせいだッ!」

 

 

 女性は醜悪な顔で吐き捨てて、拳を平手に打ち付けた。

 

 現在、女性はアザディスタンにいる。先日の技術提供の件で、マリナ・イスマイールと話し合うためだった。

 しかし、先約として入っていたアレハンドロ・コーナーとの会談が長引いてしまっているため、ずっと放置されているような状態である。

 民間会社の代表取締役と、国連大使。どっちが優先されるかなんて明らかだ。頭では分かっている。だから、自分はずっと待っていた。

 

 応接室で放置されること、3時間。時計の針は進み続ける。

 もしかしたら4時間目に突入するかもしれない。

 

 

「ああもう。今日は昔の夢を見ちゃうし、アレハンドロのせいで3時間放置プレイだし、マリナ様には会えないし! とんだ厄日じゃない」

 

 

 女性は深々と息を吐いた。アザディスタンを救うために強い力を持ち得るのは、民間企業よりも国連大使であることも明らかだ。だから、慣れないながらも必死になって外交をするマリナの気持ちはよくわかる。

 だが、女性は知っていた。アレハンドロ・コーナーには、その気など一切ないことを。奴の底から漂う悪意は、本当に反吐が出る。今すぐバーストして吹き飛ばしてしまいたいほどだった。

 その気持ちが漏れてしまったせいか、自分の脇に置かれていたコップが派手な音を立てて破裂する。昔から、よくこういうことを起こしては、グラン・パや両親を心配させていたか。懐かしい。

 

 落ち着け、と、女性は己に言い聞かせた。

 ここでことを荒立てたら、マリナに会えなくなる。

 

 彼女の笑顔を思い浮かべた。それだけで、何時間でも待ちぼうけていられる。

 

 たとえ数世紀放置されることになっても、マリナ・イスマイールの笑顔を見られるなら安いものだ。それこそ、『牙』時代よろしく戦艦を殲滅したり、人間を消し飛ばすことだってやってみせよう。

 しかしながら、それを本気でやってしまったが最後、彼女は二度と女性に会ってくれなくなるだろう。それも嫌だ。女性はぶんぶん首を振る。今は、静かに待ち続けるほかない。女性はマリナの横顔を思い浮かべながら、待ちぼうけを続けたのだった。

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。


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