大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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20.猶予期間-モラトリアム-

 ユニオン領の、煌びやかな街の中で。

 

 

「ねえ、2人とも。どこかおかしい所はないかな?」

 

 

 白いタキシードに身を包んだビリーが、心配そうに問いかけてくる。

 ビリーとクーゴたちがこのやり取りをしてから、もう10分近く時間が経過していた。

 

 

「自信を持て、カタギリ」

 

「そうそう。今のお前なら、意中のリーサ嬢も一撃だ」

 

 

 クーゴとグラハムはうんうん頷いて見せる。しかし、ビリーは色々気になるらしい。本当に? とでも言いたげな視線をこちらに向けてきた。

 

 彼は自分の一張羅を信用できないのだろうか。ならば買い換えればいいのにとクーゴは思う。だが、ビリーのファッションセンスでは似たようなものを購入する可能性がはるかに高いので、貯蓄が無駄に飛んでいくだけになりがちであった。

 何度かこのやり取りを繰り返して、ようやくビリーは決心がついたらしい。意気揚々と夜の街へ消えていった。浮足立ちすぎて転びそうになっていたのが気になる。今日のビリーは浮つきすぎではないのか。何やらとんでもないことをしそうで怖い。

 クーゴとグラハムは、白いタキシードが人ごみに消えていくのを確認してため息をついた。翼が刻まれた、銀の懐中時計を見る。彼のファッションチェックを始めた時間から、既に時計の長針は半周していた。

 

 

「ビリー、本当に大丈夫かな」

 

 

 クーゴは思わず呟いていた。

 グラハムもなんとなく察したのだろう。難しそうな顔をした。

 

 

「話を盛り上げようとして、余計なことを言ってしまいそうな気がする」

 

「やっぱり。お前もそう思うよな、グラハム」

 

 

 グラハムの言葉に、クーゴも頷く。夜の街は人々でごった返しており、窓に灯った明りが眩く輝いていた。ビリーが消えていった方向に背を向け、2人は大通りを歩く。

 

 月や星のない夜でも負けることのない、煌びやかな通りだった。この街は、富裕層の住民や観光客が多いためか、タキシードやパーティドレスを着た男女が目立つ。

 複数人で談笑している人々、艶めかしい雰囲気を漂わせながら寄り添う男女、薄暗い笑みを浮かべて話をするスーツ姿の男性たちおよび女性たち。様々な光と闇が混在する。

 昔から、この通りはどろどろした空気が漂っているように思っていた。時折、本当の意味で呼吸が詰まってしまいそうになる。できれば近づきたくないというのが本音だ。

 

 軍や社交界の付き合いで来る以外、この場所に立ち寄ることは稀だ。軍の寄宿舎や基地と反対方向にあるというのも理由の一つである。

 クーゴとグラハムは夜の街を歩いていた。タクシーや公共交通機関を使えば早く帰れるけれど、どうもそんな気分になれない。グラハムも同じ気持ちのようだった。

 

 

「…………」

 

 

 両名とも、無言。煌びやかな街並みを横目に、男2人は歩みを進める。

 クーゴはおもむろに端末を開いた。先日、『エトワール』から届いたメッセージを開く。

 

 

『すべてを話すことはできません。ですが、私は、『私を信じる』と言ってくれた貴方に応えたい。そう言ってくれた、貴方を信じます』

 

 

 それが『エトワール』の精一杯なのだろう。文面を何度も読み返す。『エトワール』の葛藤と苦悩、そして強い決意が伝わってきた。彼女を困らせたり、追いつめたかったわけではなかったのに。クーゴは静かに息を吐く。

 隣に視線を向ければ、グラハムも端末を見つめているところだった。狂気的なまでに澄み渡った翠緑の瞳は、ただまっすぐに画面へと注がれている。どこまでも真摯な眼差しに、クーゴは気圧されていた。仕事と同じくらい、いいや、それ以上にに真剣な横顔だった。

 決戦間近。彼の顔を見て、クーゴの頭に浮かんだのはこの熟語であった。何故こんな単語が浮かんだのか、なんとなく見当がついてしまった。見られていることに気づいたグラハムが、端末を閉じてクーゴを見返す。お守りについていた鈴が、優しい音色を響かせた。

 

 キミも、同じなんだろう?

 

 エメラルドの双瞼が、問いかけるようにクーゴを映し出していた。

 相棒は伊達じゃない。クーゴは苦笑いを浮かべて端末を閉じる。

 

 

「俺は、彼女を信じるよ。……お前はどうする?」

 

 

 視線で問いかける。グラハムはいつも通りの不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「言うまでもない。……それが、私の務めだ」

 

 

 グラハムの言葉にも、眼差しにも迷いはない。ならば安心だ。クーゴは表情を緩ませた後、前へと向き直った。

 闇夜に浮かぶ街並みは、いつ見ても地上の星を思わせる。綺麗ではあるが、どこか冷たい輝きを宿していた。

 

 そのとき、クーゴの視界の端に何かが見えた。そこは人々が集まる広場であった。黒に近い緑の葉を茂らせた植込みの陰に、一際淡く明るい色彩がちらつく。ペールグリーン。『エトワール』の髪の色と同じ色だ。よく見ると、植込みの近くに人がうずくまっている。

 思わず駆け寄ってみると、鼻を突くようなアルコール臭が漂ってきた。振り返った人物は、顔を真っ赤にして泣き腫らしている。紫の瞳がクーゴを捉えた。この青年は既に酔っぱらっているらしい。何か、嫌なことでもあったのだろうか。

 ただならぬ様子に気づいたグラハムも、クーゴに続いて駆け寄る。大丈夫かと声をかけて伸ばした手は、しかし、本人によって振り払われた。自分に構わないでくれ、ということだろう。だが、酔っ払いを放置するとロクなことにならない。

 

 場合によっては、『1人で大丈夫だろうと放置したら、吐瀉物を詰まらせて窒息死してしまった。誰かが傍にいて救急車を呼ぶ、または適切な処置をすれば助かったかもしれない』なんてこともあり得る。

 

 

「大丈夫か?」

 

「うるさいな。僕のことは放っておいてくれないか」

 

「いや、無理だよ。どこからどう見ても危ない。落ち着けって」

 

 

 クーゴの言葉に、青年は嫌々と首を振った。紫の瞳には涙が浮かんでいる。アルコールの影響か、酷く感情的になっているらしい。酒は飲んでも飲まれるな。身内に酒乱を抱えるクーゴからしてみれば、アルコールは必要最低限『たしなむ』程度が丁度いいと思っている。

 ヤケ酒なんてもってのほかだ。ヘタすれば急性アルコール中毒、もしくは飲みすぎが原因で肝臓がやられる危険性が跳ね上がる。命に別条がなくても、社会的な意味での死を迎える可能性だってあるのだ。「酒の席で醜態をさらしてとんでもないことになった」例はいくらでもある。

 青年の場合、アルコール中毒もそうだが、社会的な意味での死を迎える危険性が高かった。ぐずる子どものように首を振る彼の姿を見ると、ますますそんな予感がする。感情的になると、後先考えずに行動してしまいがちだ。気持ちが大きくなり、理性がなくなっているのが原因だ。

 

 

「離せよ。キミに何がわかるっていうんだ」

 

「わからないよ。でも、このまま放置したら余計にマズイってことだけはわかってる」

 

 

 尚も暴れる青年をあやすように、クーゴは言葉を続けた。クーゴ同様、しゃがんで青年の様子を気に掛けるグラハムにアイコンタクトする。

 グラハムはクーゴの意図を読み取ってくれたようで、即座に立ち上がり、端末を開いて検索を始めた。この近隣にある安価なホテルを探すためだ。

 

 

「落ち着け。大丈夫だから」

 

 

 背中をさすってやった途端、青年はクーゴを睨んだ。敵を射抜くような鋭い眼差し。紫苑の瞳からはボロボロと涙が零れ落ちていた。

 クーゴがぎょっとして息をのんだとき、青年の目が大きく見開かれた。その瞳はもう、クーゴを捉えていない。クーゴの向う側に浮かび上がった何かを『視て』いた。

 瞳の焦点が合わない――虚憶(きょおく)を『視ている』人間の特徴だ。どうやらこの青年も、クーゴと同じ虚憶(きょおく)持ちらしい。

 

 

「ふざけるな! 何様のつもりだ!?」

 

 

 青年が激高する。

 彼は立ち上がり、虚空に向かって吼えた。

 

 その声は怒りに満ち溢れている。

 

 

「キミがそうやって立っていられたのは、同志たちやヴェーダの力があってこそだったじゃないか!」

 

 

 見上げる先に、青年が怒りをぶつける相手がいる。クーゴはすぐにそれを察した。

 

 

「何が『純粋種』だ! 何が『救世主』だ! いい加減にしなよ、この大馬鹿野郎! ……ああ、何度でも言ってやるさ。キミは馬鹿だ、大馬鹿野郎だ! この親不孝者め!!」

 

 

 青年の怒りが、悲しみに転じる。

 

 

「『“そう”でなければ、存在する意味がない』? 『自分(キミ)が創られた意味がない』? 『踏み台になるために生み出された』? ……違う。そうじゃない、そうじゃないだろう。使い潰されるために生み出された命なんてないんだ。計画の遂行だけがすべてだったわけじゃない。確かに僕は、僕たちは、“来たるべき(とき)”のために生み出された。でも――」

 

 

 そこまで叫んで、青年は止まった。零れた吐息には、驚愕。

 紫の瞳から、また涙が零れ落ちる。悲しみに満ちた眼差し。

 

 

「…………僕とキミを“分けた”のは、“それ”なのかい? だとしたら……そんなの、悲しすぎる――」

 

 

 次の瞬間、青年は口元を抑えた。アルコールで上気した頬とは対照的に、顔色は真っ青だ。

 まずい。クーゴがそう直感したときにはもう、何もかもが遅かった。青年は呻き声をあげて、派手に吐瀉物をまき散らかす!

 彼の背をさすっていたときのまま――しゃがんだ体制のままだったクーゴに、青年の吐瀉物は容赦なく降り注いだ。

 

 

「げぼら」

 

「おわああああああああああ!?」

 

「く、クーゴォォォォォ!?」

 

 

 3者3様。男どもの悲鳴が、真夜中の広場に響き渡った。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

「……本当に、なんとお詫びすればいいのかわかりません」

 

 

 すみませんでした、と、青年は頭を下げた。今にも自害してしまいそうな空気が漂っている。

 広場にあった水飲み場と持っていたハンカチ等で吐瀉物を処理し終えたクーゴは、曖昧な笑みを浮かべておいた。

 

 

「今後、こういうことのないように気を付ければいいさ」

 

「ミスや醜態は、生きている限り挽回可能だからな」

 

 

 クーゴとグラハムの言葉に安堵したのか、青年は安堵したように頬を緩めた。それでもきちんと頭を下げるあたり、真面目できちんとした性格なのだろう。もしくは、プライドが高く些細なミスも許せないタイプなのか。

 どちらにしろ、彼にとって先程の「吐瀉物ばらまき事件」は黒歴史に相当するものであることは明らかだ。今にも死にそうな顔だったのが、今にも自害および殺される覚悟を決めた顔になったときは、正直ハラハラしたのは内緒である。

 上着とハンカチ類は彼の持っていたビニール袋の中に入れられている。クーゴ自らクリーニングに出すつもりでいたのだが、本人の強い希望とミス挽回チャンスがてら、「洗って返してもらう」ということで託したものだ。

 

 しかし、この青年はどうして吐くほど飲んでいたのだろう。

 聡明な様子からして、羽目を外すようには見えない。

 

 

「……嫌な虚憶(きょおく)を見たんです」

 

 

 青年は、ぽつぽつと囁くように言葉を紡ぐ。

 

 

「自分と同じ姿と名前を持った人物が、僕の家族と同じ姿と名前を持つ人々を犠牲にして、挙句の果てには、ぐうの音も出ないほどの完全敗北に泣いた虚憶(きょおく)でした」

 

 

 青年の顔は蒼白だ。余程、虚憶(きょおく)に出てきた『自分そっくりで自分と同じ名前の人物』が取った行動が恐ろしかったのだろう。

 家族を犠牲にした挙句、完全敗北した様子も、青年にとってはショッキングな光景だった。それを振り払うために、アルコールに頼ったに違いない。

 結果は、「吐瀉物ばらまき事件」が示していた。本人も、自分がそうなるまで飲んだくれたことに驚きと失望を隠せていないらしい。

 

 酔っている最中も虚憶(きょおく)を『視て』いたらしい。本人曰く、『虚憶(きょおく)とアルコールが原因で店内で大騒ぎし、店から追い出された後、行く当てなくさまよった挙句に広場にたどり着いた』そうだ。クーゴたちが通りかかったのはその直後だったという。

 青年は、ジンやウォッカを中心にした、度の高い酒やカクテルを飲み漁っていたそうだ。そこまで強いものを水同然に飲み干し続ければ、誰だってグロッキーになるだろう。そうまでして忘れたかった光景とは、どんなものだったのだろうか。

 

 

(まあ、俺もショッキングな虚憶(きょおく)を見たことがあるけど)

 

 

 心の中でそう呟いて、クーゴは遠い目をした。

 

 端的に言う。『クーゴが駆るフラッグが、白と青基調のガンダムとグラハムが駆るフラッグの攻撃によって()とされる』光景だった。愛を憎しみへと転化させたグラハムの歪んだ表情も、ガンダムのパイロットが浮かべた泣きそうな顔も、クーゴを()としたとき2人が浮かべた悲痛な表情も、データを読むたび鮮明に浮かんでくる。

 この虚憶(きょおく)は、警告するかのようにフラッシュバックするのだ。おまけにこの虚憶(きょおく)、調査隊の活動では一度も出てきたことがない。調査隊メンバーは『そういう虚憶(きょおく)があるということは知っているが、実際、ヴィジョン共有を通して『視た』ことはなかった』りする。

 『視えた』ものがものだけに、詳しいことを仲間たちへ言う気にならなかった。特に、自他共に相棒と認め合う仲であるグラハム・エーカー中尉や、フラッグの開発に携わっている年上の友人ビリー・カタギリ技術顧問には。ビリーが開発した機体を操るグラハムが、クーゴを撃墜する光景なんて信じられない。というより、想像できない。

 

 『想像しろ』や『想像力がない奴の末路は死である』と加藤機関が常日頃言っていたけれど、人の想像力を超えるのもまた、人である。

 想像を超えた光景を、人は『悪夢』や『奇跡』と呼ぶのだろう。あるいは『幸運』か。クーゴはぼんやりと考える。

 

 

荒ぶる青(タイプ・ブルー)……?」

 

 

 青年はクーゴとグラハムを見て、何かに気づいたようにそう呟いた。

 クーゴたちが首を傾げたとき、彼は取り繕うように首を振る。

 なんでもない、触れないでほしい――紫の瞳は拒絶するように閉じられた。

 

 

「……本当に、すみませんでした」

 

 

 吐瀉物もろとも嫌なことを吐きだして、青年はようやく精神的に落ち着きを取り戻したようだ。

 クーゴは時計を確認する。時刻はそろそろ深夜に突入しようという所であった。戻って休まないと、明日の仕事に響く。

 

 

「その様子ならもう大丈夫だな」

 

「一晩眠れば、気持ちも楽になるだろう。今日は早めに休んだ方がいい」

 

 

 クーゴとグラハムの言葉を聞いた青年は、かすかな笑みを浮かべて頷き返した。送っていこうかと申し出れば、「これ以上迷惑はかけられないし1人で帰れる」と丁重に断られた。

 

 そのまま青年と別れ、クーゴとグラハムは家路を急ぐ。

 夜空には、星も月も見えない。どこか冷たい街の明りが、絢爛豪華に輝くだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふざけるな! 何様のつもりだ!?」

 

 

 青年は叫びながら、男の胸倉をつかんだ。いきなりのことに驚いたようで、男は茫然とこちらを見返す。眼鏡が落ちる音が響いた。

 

 

「僕がいるから、計画が進行してるんじゃないか! GNドライヴも、ガンダムも、僕が一番うまく使えるんだ! そのために僕は創られたんだ! そうだろう!?」

 

 

 青年の言葉に、男は答えない。青年の言葉を否定/肯定するかのように、彼は静かに目を伏せた。

 黒い瞳に宿る感情は、読み取ることなどできそうにない。凪いだ水面のように澄み渡っている。

 だからこそ、青年は苛立ちを募らせた。怒りを募らせた。それを、男性にぶつける。

 

 

「なのに僕は、『純粋種を生み出すための踏み台でしかない』っていうのか!?」

 

 

 それだけの価値しかないというのか!? そのためだけに生み出されたっていうのか!?

 青年の問いに、男の瞳が揺れる。悲しみと、寂しさと、諦め。彼の感情が、かえって青年の心を傷つける。

 

 悔しかった。惨めだった。認めたくなかった。

 

 

「僕は今まで、何のために生きてきたんだ!? 僕はこれから、何のために生きていくんだ!? 教えてくれよ、イオリア・シュヘンベルク!!」

 

 

 視界がにじむ。男性――イオリア・シュヘンベルクの顔が、よく見えない。彼の胸倉をがくがく揺さぶりながら、青年は何度も問いかけた。何度も、何度も、何度も。

 叫んで、叫んで、叫び散らして、青年はイオリアの胸倉を叩いた。憤り、怒り、悲しみ――ごちゃごちゃになった剥き出しの感情を、彼にぶつけるかのように。

 イオリアは黙して語らない。いや、語れないのだ。理由はわからないけれど、青年にはなんとなくそんな気がした。だからこそ、青年にとっては許しがたいことだった。

 

 この場にいた人間たちも、困惑したように青年を見つめている。

 “彼ら”も同じなのだ。向けられる眼差しからそれを感じ取り、余計に腹立たしくなった。

 

 そう考えた途端、青年の体から力が抜けた。立っていられなくなって、床にへたり込む。

 

 滲んだ視界に映りこんだのは、隙間なく敷き詰められたタイル張りの床だった。ぽたぽたと何かが流れ落ちる。小さな水たまりができていた。

 それを見て、青年は『自分が泣いていた』ことに気づく。なんて情けないのだろう。自分は創り出された存在なのに。革新者(イノベイター)なのに。

 

 

「リボンズ」

 

 

 不意に、女性の声がした。棒立ちし続けるイオリアの代わりに、黒髪をお団子に束ねた女性が飛び出してくる。大きく手を広げて、彼女は青年――リボンズを抱きしめた。

 

 思わずリボンズは目を見開く。女性は、静かにリボンズの背中を撫でた。

 子どもをあやすかのような、優しい手つきだった。母、という単語が頭によぎる。

 女性もまた、母親にこうやってあやされていたのだろう。何となく、そう思った。

 

 

「ごめんね」

 

 

 女性が、謝罪した。その声がひどく震えている。

 「ごめんねぇ」と、女性が謝罪した。嗚咽混じりの声だった。

 

 

「……すまなかった。お前の気持ちに気づいてやれなくて」

 

 

 イオリアも、女性に続いて謝罪した。弾かれたように見上げれば、黒曜石を思わせる瞳が涙で滲んでいる。

 

 

「他でもない私が、お前を追いつめてしまっていたんだな」

 

 

 彼もしゃがんで、女性共々リボンズを抱きしめる。彼の声は震えていた。憤り、悲しみ、無力さに打ちひしがれた感情が滲んだ声。

 自分と女性を包み込む腕は、技術職のせいか、少し筋力が足りないように思う。けれども、それに込められた力は、何よりも強く、優しく、温かかった。

 

 

「でも、ひとつだけ言っておきたいことがある」

 

 

 祈りをこめるかのように力強い声で、イオリアは言葉を続けた。

 

 

「私はお前を、『純粋種の模倣品』だとか、『計画のための駒』だとか、『純粋種が誕生したら用済み』だとか……そんな風に思ったことは一度もない」

 

 

 彼の言葉に嘘はない。リボンズは直感した。

 そうだよ、と、女性がイオリアの言葉を引き継ぐ。

 

 

「貴方は、『私たちが望んだ子どもたち』なの。貴方が生まれてきてくれて、私はとっても嬉しかった。嬉しかったんだよ、リボンズ。貴方は私たちの、自慢の『息子』なんだよ……!」

 

 

 女性の言葉に、リボンズは思わず息をのむ。

 

 

「息子……僕が? ……僕は、望まれて生まれてきた……?」

 

「そうだよ」

 

 

 リボンズの問いに、女性は即答した。

 涙にぬれた青い瞳が、リボンズの紫の瞳とかち合う。

 

 

「使い潰されるために生まれた命なんてない。あっちゃいけないんだよ」

 

「じゃあ、何故僕は生まれたんだ? その意味がわからない。わからないんだ」

 

「なら、その意味を探せばいい」

 

 

 女性はまっすぐにリボンズを見返す。その眼差しは慈愛と肯定に満ち溢れていた。なんて綺麗な輝きなのだろう。

 リボンズはそれに魅せられたかのように、女性から目を逸らせなかった。彼女は自信を持って、言葉を続ける。

 その頼もしさといったら! 自分の元となった存在を束ねる指導者(ソルジャー)に相応しい風格だった。

 

 

「大丈夫だよ。私たちも一緒に探すから。貴方独りで抱え込まなくていいよ。皆ここにいて、貴方の背中を支えるから。――私たちは、大切な家族だもの」

 

 

 家族。

 

 その言葉が、リボンズの心を強く穿った。傷口から滲んだのは、痛みだけではない。胸を占めるような、ほろ苦い幸福感。

 リボンズが孤独に抱え込んできた苦しみや悲しみに、じんわりと染み込んでくる。同時に込み上げてきた衝動に駆られたかのように、また視界が滲んだ。

 喉の奥から嗚咽が漏れる。耐えようとしたが、もう無理だった。無様だとわかっていたけれど、格好悪いとわかっていたけれど、叫ばずにはいられなかった。

 

 子どものようにわんわん泣き叫ぶリボンズを、女性は抱きしめてあやしてくれた。

 そんな女性と自分共々、イオリアは抱きしめてくれた。それだけで救われたような気がした。

 

 

 

*

 

 

 

 

 優位性の証明を諦めたわけではないけれど。

 

 『望まれた子どもの1人』という価値があるのなら、多分自分は立ち上がれる。

 何度だって立ち上がって、歩いて行ける。

 

 リボンズは、ふと、大きなカプセルに入った人々に視線を向けた。

 自分と同じ同胞(イノベイド)であり、先程のイオリアや女性の言葉を借りて言えば『望まれた子どもたち』。

 リボンズの、新しい家族。じっとカプセルを見上げていたが、ゆっくりと彼らの元へと歩みよる。

 

 眠っている同胞たちに、静かに語り掛けた。

 

 

「はじめまして、僕の『同胞』。僕の、新しい家族。……はやく、キミたちに会いたいな」

 

 

 気のせい、だろうか。

 カプセルの中で眠る同胞たちが、嬉しそうに笑い返してくれたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしい光景を思い出した。リボンズは静かに目を細める。

 

 

(そういえば、近々リジェネの誕生日だっけ。何で祝おうかな)

 

 

 去年は『ブルーベリーを連想させるような紫色の着ぐるみを被って、彼を追い回す』というドッキリサプライズを敢行した。共犯者は家族たち+α。企画はリボンズであるが、成功したのは家族の皆――アニュー、ヒリング、リヴァイヴ、ブリング、ディヴァインのおかげである。

 結果、リボンズの誕生日では『本部へ戻ると「家族は預かった」という脅迫状と地図が残されており、彼らを助けるために本格的なお化け屋敷に挑むことになった。恐怖体験を乗り越えて家族を助けようとしたところ、最後の最後に、某梨の妖精の着ぐるみを着た家族全員(しゅうだん)に追い回された』。

 散々な目にあったけれど、とても嬉しい誕生日だった。リボンズは回想に耽りながら、橋の欄干に身を乗り出す。普段は無機質な光を放つ街灯であるが、思い出した光景のせいか、人の営みが見えてきた気がして、温かさを感じ取る。リボンズは静かに目を細めた。

 

 家の明りの中には、誰かの誕生日を祝っている家族もいるのだろうか。そう考えると、なんだか微笑ましい気分になる。

 

 ふと、リボンズは袋に入った衣服を見る。吐瀉物まみれにしてしまった、男性のものだ。

 荒ぶる青の潜在能力を宿す、女性の『同胞』。リボンズもルーツは違えど、『同胞』にカテゴライズされている。

 

 黒髪黒目の東洋人男性も、金髪碧眼の白人男性も、己の持つ能力がどんなものかを理解していないようだった。

 

 

「目覚めの日は近い、か」

 

 

 特に、東洋人の男性――リボンズが吐瀉物まみれにしてしまった人物の力は、近々花開くだろう。芽生えてから蕾になるまでの時間が長いが、美しく咲き誇る。彼の能力は大器晩成型だ。目覚めれば、歴代の荒ぶる青保持者の中でも最高ランクの力を有することは間違いない。

 昔のリボンズだったら、きっと、彼の才能に嫉妬しただろう。己の優位性を脅かす存在として、全力で排除していたかもしれない。最近見るようになった虚憶(きょおく)で、自分とよく似た『自分(かれ)』が“彼女”と同じ名を持つ青年を排除しようとしたように。

 

 金髪碧眼の白人男性の場合は、何と言っていいのかわからない。目覚めが近いようでもあるし、でも、目覚めるにはまだ未熟な気もする。

 例えるならそれは、『弾の装填が終わり、安全装置が外された銃』。引き金を引けばいつでも発射できるのに、手をかけたまま引かないでいるような。

 いや、彼にとっては「今はまだ、引く必要がない」のだ。もし、引き金を引く瞬間が来るとするなら――『愛のため』だろう。なんとなく、そんな気がした。

 

 フラッシュバックするのは、寄り添う2人の姿だ。金髪碧眼の白人男性と、黒髪に赤い瞳を持つ中東系の女性。女性には、“彼女”の面影が伺える。

 そこへ、別の男女が加わった。黒髪黒目の東洋人と、ペールグリーンの髪に紫の瞳を持つ女性。彼女には見覚えがある。『同胞』だ。

 

 男性は、先程リボンズが起こした「吐瀉物(以下中略)事件」の被害者である。再び、彼から預かった上着類へ視線を向けた。

 

 

「……刃金(ハガネ)?」

 

 

 『クーゴ・ハガネ/刃金 空護』。上着とハンカチに刺繍されている名前を見て、リボンズは目を留めた。

 言葉にすることが憚られるくらい、嫌な予感がする。連想したのは、アレハンドロが連れてきた、着物を着た東洋人女性。

 女性が纏っていたどす黒い感情を思い出した途端、背中に悪寒が走った。わずかに残っていた酔いが吹っ飛んでしまう程の寒さである。

 

 そのとき、端末が鳴り響いた。アレハンドロからの連絡である。内容を一読したリボンズは、月も星も出ていない天を仰ぐ。せっかくの自由時間は、もう終わりのようだ。

 アレハンドロから離れて休めると思ったのに。遠のいてしまった自由時間を惜しみながら、のろのろとした足取りで、リボンズは繁華街へと歩き出す。

 

 夜は長くなりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。クジョウくんと……」

 

 

 先日、『ビリーがリーサ・クジョウと飲みに行った』話を聞いたエイフマンが、懐かしそうに呟いた。

 

 リーサ・クジョウはビリーにとっての高嶺の花であり、エイフマンの教え子の1人だと聞いている。AEU軍の戦術予報士として優秀な人物であったが、情報共有が不完全のために起こった同士討ち事故で恋人を亡くして以来、軍を辞めてアルコール依存症になっているそうだ。

 クーゴは件のクジョウ氏と面識はない。しょっちゅうビリーが語るため、気づいたら空で暗唱できるようになってしまっただけである。あまり嬉しくない副産物だ。ビリーはクジョウ氏と会った際、思い出話と現状報告をしたという。現状報告という言葉に嫌な予感を感じたのは気のせいだと思いたい。

 ふと見れば、グラハムが神妙な面持ちでエイフマンとビリーの話に耳を傾けていた。彼もクジョウ氏に興味があるのだろうか。それは微妙だとクーゴは思う。グラハムには件の少女とガンダムがいるためだ。ビリーを泣かせる展開はない、はずである。多分。

 

 

「ところで、キミたち2人の方はどうだい?」

 

「えっ」

「えっ」

 

 

 ビリーの問いに、クーゴとグラハムは弾かれたように彼を見た。順風満帆幸せです、と、ビリーの表情は語っている。ただし、彼の尺度はささやかすぎるもので、あまり参考にならない。奥手な彼のことだ。高嶺の花に対して、手を握ることも肩に手を置くこともできなかっただろう。

 もしビリーに彼女ができたら、嬉しすぎたショックでぽっくり逝ってしまうのではなかろうか。そんな理由で葬式に参加するのは御免被る。クーゴの考えを呼んだのか、ビリーがむっとしたように眉をひそめた。話を逸らすな、というところだろう。

 

 話、と言われても。

 

 件の『エトワール』に関する疑惑について決着をつける約束をしたばかりだ。ビリーが望むような展開など何一つない。むしろ、この場どころか上層部に報告すべき案件であることは明らかである。

 けれど、クーゴだって人の子だ。今の自分は、『エトワール』の事情をくみたいと思う気持ちが勝っている。ソレスタルビーイングと彼女の関係性について下手に発言し、周囲を混乱させたり彼女の信頼を裏切ったりしたくない。

 ふと感じた視線に気づく。ビリーだけでなく、エイフマンも、ハワードとダリルも、興味深そうに自分たちを見つめていた。彼らが期待するようなものなど、クーゴは何も持っていないのに。それはグラハム限定ではなかろうか。

 

 

「俺はそういうのじゃない。それはグラハムの方だから、そっちに訊いてくれよ」

 

 

 お前のせいで俺まで巻き添え食ってるじゃないか、どうしてくれる――。

 

 その言葉は、クーゴの口から紡がれることはなかった。先日と同じように、彼は静かな眼差しで端末を見つめている。少女から貰った青い健康祈願のお守りと、つがいの片割れである金のハートと、グラハムが彼女に手渡したつがいの片割れである青いお守りが揺れる。ついていた鈴が、澄んだ音色を奏でた。

 戦況を分析するかのような面持ちである。もしくは出撃前の横顔だ。狂気的なまでに真剣なその様子に、全員が言葉を失ってしまう。何か発言しようにも、誰一人言葉を発せなかった。グラハムから発せられる何かが、それを押さえつけているかのようだった。

 なんだか居心地が悪くなってきた。ハワードとダリルが困った様子で顔を見合わせ、エイフマンが悩ましげにため息をつく。ビリーは困惑した眼差しをクーゴに向けてきた。クーゴは首を振る。グラハムに何があったかなんて、言えるような状況じゃない。

 

 見当はついている。グラハムも、クーゴと同じなのだと。

 けれど、それを言うのは、自分のことを話すこと以上に憚られた。

 

 ややあって、グラハムがこちらに向き直った。普段と変わらない笑みを浮かべている。不気味なくらい、いつも通りだった。

 

 

「特筆すべきことはないよ。近々、彼女と顔を合わせる予定があるだけさ」

 

「そうなんですか。頑張ってくださいね!」

「報告、期待してますよ!」

 

 

 それを聞いて安心したのか、ハワードとダリルが表情を緩めた。

 エイフマンとビリーも安心したように微笑む。

 

 対してクーゴは、全然安心できなかった。

 

 何とも言えない寒気がする。

 それは多分、自分も同じなのだろう。

 

 

「映像、出ます」

 

 

 丁度いいタイミングで、情報担当者が声をかけてきた。

 モニターが開き、映像が映し出される。

 

 

「なんだ? あの装備は」

 

「資料に()ぇぞ」

 

 

 驚きの声を上げたのはハワードだった。それに触発されたかのように、ダリルが鋭い眼差しで資料と映像を見比べる。

 

 

「もしかして、新武装か?」

 

「おそらくはな」

 

 

 クーゴの予想を肯定したのはエイフマンである。彼は食い入るようにしてモニターを睨みつけていた。

 

 ガンダムたちには新たな武装が追加されていた。白と青基調のガンダムには長短のブレード、白と緑基調のガンダムにはスナイパーライフル、純白のガンダムにはアームに装着されたチャクラムが目につく。

 そういえば、純白のガンダムが背負う大きな輪のデザインが少し変わったように思う。前に対峙したときは、輪に宝石のようなものはついていなかったはずだ。もしかして、あれも新しい武装の1つなのか。

 

 

「このタイミングで追加したとなると……」

 

「ソレスタルビーイング。本気と見た」

 

 

 クーゴの言葉を引き継ぐようにして、グラハムが小さく呟いた。彼の眼差しは、白と青基調のガンダムに注がれている。

 無意識か否か、彼の右手は、端末についていたお守りたちを強く握りしめていた。翠緑の瞳は、白と青基調のガンダムから一切目を逸らそうとしない。

 グラハムの口が動いた。言葉は吐息に紛れて聞こえなかったけれど、彼は確かに意中の少女を呼んでいた。矛盾を孕んだ祈りがこめられている。

 

 クーゴは純白のガンダムに視線を移した。あのガンダムに、もしかしたら『エトワール』が搭乗しているのかもしれない――そう考えると、目を離せなくなる。

 

 もしも『エトワール』があの機体に乗っているとするならば。この戦いであの機体に何かが起きたら、ヘタをしたら二度と『エトワール』と顔を合わせることもなくなるのだ。

 クーゴは思わず端末を握り締める。彼女から手渡されたつがいのお守り――金色のハートについた鈴が、澄んだ音を鳴らした。音を耳にするたびに、酷く焦燥を感じる。

 

 

(『エトワール』……)

 

 

 決着をつける、約束の日を思い出す。

 

 日付から推察するに、おそらく、ソレスタルビーイングの作戦が終了してしばらくした後を想定したものだろう。あくまでもそれは、『エトワール』がソレスタルビーイングの関係者だった場合の話である。

 もしかしたら、ただ単に、丁度その日が大丈夫だからなのかもしれない。クーゴの杞憂だったのかもしれない。あくまでもそれは、『エトワール』がソレスタルビーイングと関係のない一般人だった場合の話だ。

 

 顔が見たい。

 声が聞きたい。

 話がしたい。

 

 『エトワール』に、会いたい。

 

 胸を焼き焦がすような不安に駆られて、クーゴはモニターを凝視する。ガンダムたちはそれぞれ、武力介入を開始した。

 ソレスタルビーイングの介入行動はまさしく正確無比。まるで機械のようだ。ガンダムとパイロットたちが歯車として、介入行動を形成している。

 

 焦燥を持て余すように、クーゴはじっと純白のガンダムを見つめていた。舞うように戦うガンダムを、『エトワール』を連想させるようなステップを踏む純白の機体を、ただただ見つめ続けることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。


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