大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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14.休暇と言う名の戦場

 ユニオンの昼下がり。

 

 

「こんにちわ」

 

「邪魔するぞ」

 

 

 扉を開ければ、ビリーとエイフマンが何やら話し合いをしている真っ最中だった。彼らは図面を指示し、あれやこれやと討論を続けている。おそらく図面はフラッグ。チューンナップ作業の最中である。

 廊下からバタバタと誰かが走る音が聞こえてくる。技術班の中でも機体整備に関わっている人々のものだろう。グラハムが示した期限まで時間がない。技術者たちは不眠不休で戦い続けていた。

 見ていて申し訳なさが込み上げてくる。持ってきた差し入れは、ビリーとエイフマンの分しかない。今度は技術者陣でも食べれるようなお菓子などを持って来よう。クーゴは心の中でそう決めた。

 

 

「ああ、2人とも。どうかしたのかい?」

 

 

 クーゴとグラハムに気づいたビリーが顔を上げる。エイフマンも作業の手を止めてこちらを見た。

 

 

「新型が待ちきれなくて。つい、来てしまったよ」

 

「俺は2人へ差し入れ。期限通りにチューンナップを終えるのも大事だけど、休息も大事だし」

 

 

 照れたように笑うグラハムは、まるで子どものようだ。彼の様子を見たビリーとエイフマンがゆるりと目を細める。

 クーゴが差し入れの包み――重箱クラスの大きさのものを示せば、今度はビリーとエイフマンが表情をほころばせる番だった。

 

 

「味は私が保証しよう。つい先程、味見役を任されてね」

 

「ずるいよグラハム!」

 

「そう言うなカタギリ。味見役で食べた分、私の分はもうないのだよ……」

 

 

 ビリーに責められたグラハムは、至極残念そうに差し入れの入った包みを見つめる。許可が出たらすぐにでも、自前の箸でかっ浚ってしまいたそうだった。彼が持っていた黒柿・孔雀杢の箸箱が、出番を今か今かと待ちわびているように見える。

 「それは妥当な判断だね」なんて言いながら、ビリーは包みの結び目を解いていった。心なしか、ビリーとエイフマンの表情が『宝箱を目の前にした探究者』を連想させるような表情をしているように思う。目がきらきら輝いていた。

 黒塗りの重箱がお目見えし、ビリーはゆっくりと蓋に手をかける。どこか重い響きを持って、蓋が開いた。ごくりと鳴った喉はビリーやエイフマンのものだったのか、それともグラハムのものだったか、はたまたクーゴのものだったのかはわからない。

 

 お目見えしたのは、カリカリの衣を纏った若鳥の唐揚げ、ふんわりと焼き上げられたオムレツ、ズッキーニとじゃがいものシンプルな炒め物、ゆでたブロッコリーと味噌ドレッシングの和え物、雑穀米のおにぎりだ。弁当箱の保温性が優れているため、まだうっすらと湯気が漂っている。

 

 

「うわー、今回のお弁当もおいしそうだね!」

 

「キミはパイロットよりも料理人の方が向いているのかもしれんのぅ」

 

 

 そう言いながら、2人はいそいそとテーブルを片付けた。少し遅めの昼食準備に取り掛かる。クーゴとグラハムもそれを手伝った。

 ビリーとエイフマンは割り箸を割り、早速おかずへと箸を伸ばす。グラハムはじっとそれを眺めていた。

 

 若鳥の唐揚げは塩麹を使っているため、鶏肉はジューシーな味わいになっている。オムレツの中身はチーズだけでなくナツメグも入っており、味にアクセントをつけていた。ズッキーニとじゃがいもは親戚からの貰い物であり、どちらも鮮度がいい。ブロッコリーも同様だ。

 先程グラハムに味見を頼んだとき、彼は絶賛しながら食べ進めていた。しかも、あわやビリーとエイフマンの分がなくなるかという勢いでだ。慌てて止めなかったら、また材料をそろえて作り直しになっていたことだろう。お昼に間に合わない危険性もあった。

 今回作った料理は写真撮影し、『エトワール』に送信している。話題提供も親しくなるために必要なことだ。最近、互いに忙しくてコラボ企画の時間が取れそうにないという部分もある。こういう所で地道に積み重ねておかないと、自然消滅と可能性も無きにしも非ずだ。

 

 丁度いいタイミングで端末が鳴る。見れば、『エトワール』からの連絡だった。

 

 『お料理、おいしそうですね。是非食べてみたいです。普通は、女性が男性に作るものなのかもしれませんけど……』――あ、なんか困ってる。クーゴはなんとなくそう直感した。

 一般論として、料理は女性が作るものだというのが浸透している。料理上手な男性と付き合う女性は肩身が狭いという話も聞いたことがあった。1人身が当たり前のクーゴには、何と言えばいいのかわからない。

 

 『おいしいごはんは心と体を元気にしてくれる』――クーゴがひっそりと座右の銘にしている格言のひとつだ。といっても、誰がそう言っていたかは覚えていない。大方、テレビ番組等で聞きかじったことを真面目に実行していたんだろう。料理を始めたのは家を出てからだが、その頃にはもう、色々とこだわっていたように思う。

 

 

(こういうとき、どうフォローすればいいんだろう)

 

 

 端末の文面と睨めっこしながら、クーゴは考える。

 『エトワール』は目が見えないから、料理を作るのにも不自由するはずだ。

 

 こんな状態で「『エトワール』の料理が食べたい」なんて言ってみろ。彼女には辛い言葉であることは間違いない。傷口に塩を塗りこめるようなものだ。

 でも、自分の料理の腕を自慢するのも何か違う気がする。それだって、料理ができないことを気に病む文面を送ってきた『エトワール』の傷に塩を塗ることだ。

 何かいい案はないかと悩んでいたときだった。それは唐突に、まるで天啓がひらめいたかのように頭に浮かんだ。思い浮かびさえすれば、単純なことだった。

 

 

「そうだ。一緒に作ればいいんだ」

 

 

 なんて名案。その想いに突き動かされるように、クーゴは端末にメッセージを打ち込んだ。そのまま送信ボタンを押す。

 

 しかし、送信した後で、何とも言えない緊張感が漂ってくる。「対応を間違ってしまった」感が否めない。今更心臓がばくばく激しい音を立てはじめた。

 背後から食べ物の咀嚼音が聞こえていたはずなのに、いつの間にか静かになった気がする。談笑の声もなくなった。心臓の音だけが、クーゴの耳を打つ。

 

 端末が鳴った。端末を開く。『エトワール』からのメッセージだ。文面を目で読み上げる。『それは楽しそうですね。今度のオフ会はその方向にしましょうか』――緊張から解放され、クーゴは大きく息を吐いた。どうやら、彼女の地雷をぶち抜かずに済んだらしい。

 しかし、文面はそれだけではなかった。『やっと休暇が取れそうです。それも短い間ですけど。『夜鷹』さんの都合が合えば、どうでしょうか? コラボ企画をする時間は取れないかもしれませんが、それでも宜しければ……』という文面に、思わず内容をもう一度読み直してしまったほどだ。

 ふと違和感を感じて振り返る。ビリーとエイフマンが獲物を見つけたかのようにクーゴを見ていた。グラハムに至っては、周囲に花が舞っているのではと思う勢いで笑っている。何とも言えない予感に、クーゴは視線を逸らしたくてたまらなくなった。

 

 

「クーゴ。キミはグラハムの行動力に物申すことが多いけど、キミも相当斜め上の行動力を持ってると思うよ」

 

「そうだな。普通だったら、一緒に料理を作る前に、お弁当の持ちよりとかが最初ではないのかな?」

 

 

 ビリーの指摘に何か思うところがあったグラハムが、ニヤリと笑う。クーゴは言葉に詰まった。

 

 こんなときこそ何とかしないと。しかし、先程と違って名案が出てこない。

 クーゴの脳内が崖っぷちに陥っていたときだった。

 

 

『ラジオネーム・『となりのレイフ』さんのリクエスト、テオ・マイヤーの『恋愛少年団』。リリースされたばかりの最新曲ですね。どうぞお聴きください』

 

 

 脇に置いてたラジオがそう告げたとき、エイフマンが驚いたようにラジオへと視線を向ける。曲が流れ始めたのを確認し、彼は嬉しそうに口元を緩めた。

 意外な光景に、思わず自分たち3人は目を点にした。エイフマンが現役歌手に興味を持つだなんて、行動も理由も想像できなかったためだ。

 目を瞬かせるクーゴたち3人の様子がおかしかったのだろう。エイフマンは笑みをこぼしながら、遠い日の憧憬を追いかけるように目を細める。

 

 

「以前、亡くなったお兄さん的存在の話をしただろう? ……この歌手を見ていると、彼が帰ってきたような気がしてのぉ」

 

 

 「思い切ってその話を本人にしてみたら、大変喜んでくれてな。それ以来、よくメールのやり取りをしているんじゃ」と、エイフマンは笑った。彼の口ぶりから見るに、テオ・マイヤーという歌手/エイフマンのいう『兄のような人』は聡明な人物だったのだろう。

 

 明るく力強い、爽やかでみずみずしい歌詞と音楽が流れる。恋する少年少女を応援する歌だ。聞いているだけで、元気が湧いてくるような曲だった。作詞作曲もテオ・マイヤーがやったものらしい。

 エイフマンは頬杖をつきながら聞き入っていた。思わずクーゴたちは顔を見合わせる。幼い頃、エイフマンはこんな表情を浮かべて、お兄さん的存在の歌に聞き入っていたのだろうか。タイムスリップしないとわからないけれど。

 

 

(でも、所々オーバーな部分があるよな。この歌詞)

 

 

 例えば、『世界中の人に僕のココロが筒抜けならば、声に出して宣言するのもまた一興。とくと聞け、僕の想いを』とか。

 例えば、『僕は君を守り抜こう。月光の下、そう誓った。だから何度だって声に出すんだ。僕が君を守ってやるから、って』とか。

 例えば、『そうさ。キミと、この想いと。2つを乗せてどこまでも飛ぼう。僕とキミの名前を書いた相合傘を、月に刻みつけるような勢いで』とか。

 

 何か視えそうな気がするけれど、霞がかかったようにぼやけてしまう。もう少し、あと少しなのに。そうやって、眉をひそめていたとき。

 

 

「……ところで、『エトワール』からのメッセージに何て返答するの?」

 

「あ」

 

 

 ビリーの指摘に、クーゴは現実に引き戻され、慌てて端末を見た。結構な時間放置してしまった気がする。

 クーゴはちらりとグラハムを見た。彼は不敵な笑みを浮かべている。行く気満々だ。

 

 

「丁度休みなんだし、行ってみたらいいんじゃない?」

 

「それなら、作業のペースを少し緩めても問題なさそうじゃのぅ」

 

 

 茶化すようにしてビリーとエイフマンが言った。思わず自分たちも苦笑する。

 

 ここの所忙しかったわけだし、しばらく休むのも悪くはない。クーゴは端末を取り出し、メッセージを送る。

 待ち合わせ場所に、日本の東京都内にあるとある公園の名前が提示されたのは、それから数時間後のことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? 新しくここに引っ越してきた人?」

 

 

 不意にかけられた声に顔を上げれば、どこか見覚えのある少年が部屋に入ろうとしているところだった。

 

 

「あ」「あ」

 

「え?」

 

 

 この少年は、京都で石破ラブラブ天驚拳を撃っていた恋人の片割れだ。

 向うは、それを見ていた自分たちのことに気づいていなかったらしい。

 

 

「貴方、石破ラブラブ天驚拳を撃ってましたよね? 京都で」

 

「京都……あのとき!? み、見てたんですか!? ……あ、その、ルイスと僕は……」

 

 

 イデアが指摘してやれば、少年はかあっと顔を真っ赤にした。照れ照れした少年は、しどろもどろになりながら恋人の話を始める。それを見た刹那は「ああ……ご愁傷様」と言わんばかりの表情を浮かべた。

 恋愛話は大好きだ。話を聞いているだけでウズウズしてくる。介入せずにはいられない。イデアはもっともっと根掘り葉掘りしようと、少年の話に耳を傾けては促した。彼は自ら話題を提供してくれる。

 しかし、それも長くは続かなかった。この少年は素直で謙虚な性格らしく、自分が「自己紹介もせず、相手を長話につき合せている」ということに気づいてしまった。すみません、と彼はぺこぺこ頭を下げる。正直惜しかった。

 

 彼の名前は沙慈・クロスロード。姉と一緒に、刹那とイデアの隣の部屋に住んでいる学生だ。こちらも自己紹介をし返す。

 

 沙慈は挨拶と一緒にぺこりと頭を下げた。しかし、刹那は無感動な目で彼を見返すのみ。

 あまりにも不愛想な態度に、沙慈は困ったように眉をひそめる。イデアは慌てて刹那をフォローした。

 

 

「ごめんなさい。刹那は不愛想だけど、根はとても優しい子なんです」

 

 

 そう言って、イデアは紙袋からクナーファを取り出した。こんなこともあろうかと、彼女に頼んで多めに作ってもらったものだ。ここでクナーファが出てくるとは思っていなかったらしく、刹那はぎょっと目を剥く。

 

 

「よかったら、これどうぞ。クナーファといって、中東のお菓子なんです」

 

「あ、わざわざご丁寧にありがとうございます」

 

「このお菓子、刹那が作ったんですよ」

 

「へぇ! 凄いな……」

 

 

 イデアの言葉に、沙慈は感嘆の声を上げた。早速沙慈は切り分けられたクナーファを一口、齧る。彼の表情がぱぁっと輝いた。おいしい、と、沙慈はクナーファを絶賛する。あまりにもべた褒めされるので、刹那は照れたようにそっぽを向いた。

 沙慈は不愛想な刹那がおいしいお菓子を作る図を想像したのだろう。人はギャップというものに弱い。沙慈が刹那に対する評価を上方修正したのを感じ取り、イデアはほっと息を吐いた。リカバリとフォローは得意分野である。

 

 

「……姉が、いるんだろう。一緒に食べればいい」

 

「うん、ありがとう! お礼に、今度は何かおすそ分けするよ」

 

 

 刹那がぶっきらぼうに言うと、沙慈は嬉しそうに笑って頷いた。それじゃあ、と挨拶を交わし、彼が部屋へ入ろうとしたときだった。

 エレベーターが同じフロアに着いたベルが鳴る。ぱたぱたと足音が近づいてきた。久しく聞いていなかったが、懐かしい友人のものだとすぐにわかった。

 おそらく、『同胞』同士のコネクションを通じて、彼らの元にも連絡はされているはずだ。あとは、刹那や沙慈らにばれないよう、初対面を演じるのみ。

 

 

「こんばんわ、沙慈さん! 今帰ってきたんですか?」

 

 

 帰ってきたのは少年だった。夏の木々を思わせるような深緑の髪と瞳が特徴で、空へ羽ばたく鷹を思わせるような鋭さとしなやかさを秘めている。相変わらず、元気そうでなによりだ。

 

 

「ああ、一鷹(いちたか)くん。今帰ってきたの?」

 

「はい。図書館での調べ物も終わったんで」

 

 

 沙慈の問いに、少年――南雲(なぐも) 一鷹(いちたか)は元気よく答えた。一鷹は挨拶もそこそこに、部屋へ戻ろうとして足を止める。

 一鷹の部屋はイデアたちの左隣だ。必然的に、イデアと刹那の部屋の前を通ることになる。だから、見慣れぬ新参者に気づくのも当然であった。

 

 もっとも、一鷹とイデアは初対面ではない。彼もまた、イデアの『同胞』の1人だ。ソレスタルビーイングとは無関係であるため、刹那は何も知らないが。一般人の沙慈はもっと何も知らないと言えよう。

 

 表面では初対面のフリをしつつ、脳内では『久しぶり、一鷹くん。元気だった?』『はい! イデアさんも元気そうで何よりです』等々、和やかに会話を繰り広げる。イデアと一鷹の――『同胞』同士が持つ能力が成せる技だ。思い出話が始まってしまいそうな勢いである。

 そのとき、一鷹が住んでいる部屋の扉が開いた。出てきたのは、水色の髪と瞳を持つ少女。彼女は一鷹を見つけると、「おかえりなさい!」と笑いかけた。そこまでは問題ない。だが、彼女はイデアを見て「あっ!」と声を上げた。慌てて能力を使い、『それ以上突っ込まないで!』と頼む。

 彼女はしばらく目を瞬かせておろおろしていたが、沙慈に指摘されて即座に「問題ありません!」と宣言した。危うかった。あと一歩間違えば、「問題ありません」どころか「問題しかありません」になっていただろう。まあ、彼女にとっては「問題ありません」が口癖のようなものだが。

 

 

「初めまして! 私はAL-3。家政婦用アンドロイドです。気軽にアリスとお呼びください」

 

 

 少女――AL-3、愛称アリスの自己紹介に、刹那は驚いたように目を瞬かせた。どうやら、沙慈も初見でアリスと対面したとき、あまりの人間らしさに驚いたらしい。「グライフ教授はすごいよね」と、うんうん納得している。

 アリスの開発者であるクラール・グライフ氏は、沙慈の通う学校で教鞭を振るう教授の1人であり、一鷹の養父でもあった。ちなみに、グライフ氏にはもう1人孫がいるが、彼も若くして技術者として活躍していた。今日はまだ家にいないあたり、頑張っているらしい。

 

 

「む、新参者か?」

 

 

 アリスの後ろから現れたのは、赤い髪の女性だった。アリスの二の舞になるのを防ぐため、今回は彼女に『表面上は他人のフリをしてくれ』と、能力を使って先回りする。女性はすぐに把握できたようで、初対面の相手に対する態度を取ってくれた。

 

 

「はじめましてだなぁ、新しいお隣さん! 迎撃する!!」

 

「ダメー! そんな挨拶の仕方じゃ怖がられますし、何より迎撃しちゃダメですよ!!」

 

 

 明らかに機能不全気味な女性は、突如スタンガン片手に迎撃宣言を出した。もちろん、アリスからダメ出しが飛んできた。このやり取りも変わっていない。

 女性の行動に、刹那は反射的に拳銃を抜こうとしていた。イデアは慌ててそれを制した。周囲を伺うが、刹那が拳銃を所持していることは露呈しなかったようだ。

 

 

『はは、ハルノも元気そうでなにより』

 

 

 イデアが能力越しに再開を祝えば、女性――HL-0、愛称ハルノも軽く会釈した。相変わらず家政婦AIが機能不全を引き起こしているようだ。以前よりも悪化したような気がするのは何故だろう。グライフ博士は適宜改良中と言っていたのに。

 『僕のときは『ここに引っ越してきた者だ。迎撃する』って言われたなぁ』という沙慈の思考が流れ込んできた。やっぱり変わっていない。いや、まだこっちのほうがよかったんじゃないだろうか。声の質量とノリ的な方面は落ち着いていたのに、どうしてこうなった。

 とりあえずこの場を収集させ、3人にも刹那作のクナーファをおすそ分けする。一鷹たちは大喜びで部屋へ引き上げていった。沙慈も自分の部屋に戻る。彼らはこれから、家族同士で団欒を楽しむのだろう。イデアは目を細めて彼らを見送った。

 

 

「さて、軽く話し合ったらゆっくり休もうか」

 

「そうだな」

 

 

 刹那を促し、共に家へ入る。ここに来たばかりのため、部屋の中はまだ殺風景だ。いつか部屋を引き払うときまで、ここはイデアと刹那の拠点であり、生活スペースになる。

 明日は必要な家具類を買い揃えに行かなければ。そのことを刹那と軽く話し合った後、テレビをつける。北アイルランドの民族紛争が、事実上停戦状態になったという話題だった。

 

 世界はゆっくりと、けれど確実に変わり始めている。

 

 劇薬による急激な変化を望んでいるかと言われれば、イデアはNoと答える方だ。人類が変革するのには長い時間が必要である。それを生きているうちに見届けられれば御の字だろう。イオリア・シュヘンベルクやその協力者たちも、同じようにして構えていたのかもしれない。

 誰も彼もが結論を急ぎすぎるのだ。世界も、ソレスタルビーイングのクルーたちも、ガンダムマイスターたちも。それは、『人類の寿命が著しく短い』という点もあるのだと思う。自分が生きている間に答えを見たいと焦るから、余計に迷走してしまう。なんて悪循環。

 そんなことを言うと、イデアとその『同胞』たちは「暢気すぎる」と言われるだろうか。そこが自分たちの難しいところだ。いくら寿命が長いとはいえ、『同胞』たちにだって「堪忍袋の緒が切れる」ことはある。古の『同胞』を束ねた2代目の戦士がいい例であった。

 

 

(安住の地となるはずだった惑星(ほし)を破壊され、仲間やかけがえのない恩師の死を目の当たりにして、戦士は決意した。優しさだけでは運命に抗えないと)

 

 

 人が死ぬ。昨日まで笑っていた仲間が、次の瞬間には息絶えている。生存者を探す。惑星(ほし)の命と共に殉じることを選んだ者がいた。戦士の慟哭が脳裏に響いた。

 

 何やら寂しくなって、イデアはふと歌を口ずさんだ。『同胞』たちの中で伝わる、『同胞』の辿った歴史を語り継ぐ歌だ。イデアが1番好きな歌でもある。

 受け継がれてきたバトンを手にとって、自分たちはここにいる。イデアはゆっくり瞳を閉じた。刹那が動く気配はない。イデアが歌うのを容認しているらしかった。

 

 

「あ」

 

 

 イデアの歌が止まったのは、端末が鳴り響いたからだ。ソレスタルビーイングの定期連絡や緊急ミッションではない。見れば、クーゴ・ハガネ――『夜鷹』からのメッセージである。おいしそうなお弁当の写真が添付されてきた。

 カリカリの衣を纏った若鳥の唐揚げ、ふんわりと焼き上げられたオムレツ、ズッキーニとじゃがいものシンプルな炒め物、ゆでたブロッコリーと味噌ドレッシングの和え物、雑穀米のおにぎり。思わずイデアは喉を鳴らす。刹那も興味深そうに端末を覗き込んでいた。

 写真越しだというのに、出来立ての料理の香りが漂ってきそうだ。今日の晩御飯をホットドックで済ませたのがいけなかったようで、イデアのお腹が悲鳴を上げる。しかし、響いたのはイデアのものだけではない。音の出どころを辿れば、刹那は反射的に目を逸らした。

 

 イデアはニマニマ笑いながらメッセージを返信する。男性でここまでおいしそうな料理を作るなんて――そこまで考えたら、何やら気が重くなった。絶対、イデアの作る料理よりもおいしそうだ。いや、実際においしいのだと思う。おいしくないはずがあろうか。

 その気持ちがメールの文面にも反映されていたことに気づいたのは、メッセージを送信した直後だった。流石にこれはまずい。オロオロしている間に、また端末が鳴った。『夜鷹』からのメッセージである。イデアは慌ててそれを開いてみた。

 

 『なら、一緒に作りませんか?』――開いた瞬間、反射的に立ち上がったイデアは悪くないはずだ。その反動で、刹那がベッドの上にひっくり返る。

 

 

「……ねぇ、刹那」

 

「な、何だ?」

 

「次のミッション開始まで、まだ時間あるわよね」

 

 

 「事実上の休暇よね」と言えば、刹那が何かを察したようで目を剥いた。ちょっと待て、と彼女が鬼気迫る顔でイデアの腕をつかむ。

 さあ、彼女をどうやって籠絡しようか。ついでに、ソレスタルビーイングのクルーたちも論破しないといけないだろう。特にティエリアは強敵だ。

 

 俄然やる気が出てきた。そうと決まれば、と、イデアは大急ぎで頭の中にプランを立てていく。

 

 あまたの敵や困難を打ち破り、今度のオフ会に『『夜鷹』の手作り晩御飯による晩餐』を勝ち取ったのは、その数時間後のことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日も今日とて、アレハンドロの腰巾着ごっこが幕を開ける。正直、こいつにつき合わされるのは面倒極まりない。

 それをアレハンドロに言ったら、「キミのアイドルごっこにつき合わされているのはこちらの方だ」と文句を吐き捨てるのだろう。テオは心の中で盛大に舌打ちした。

 

 

『ソレスタルビーイング、およびイオリア・シュヘンベルクについて調べ回っているジャーナリストの話、聞いたかい?』

 

 

 アレハンドロの長話につき合わされていたリボンズが、能力を駆使してテオに語り掛けてきた。テオも同じようにして、2つ返事で頷く。

 

 

『流石、グラン・マが気に入った逸材ですよね。食いついたらすっぽんの如く逃がさない。そうやって、スクープを追い続ける』

 

『マザーは、彼女が真相にたどり着くと踏んでいるらしい。そして、来るべき(とき)、真実を語り継ぐに相応しい存在であるとも睨んでいる』

 

 

 リボンズがちらりとこちらを見た。端末を見ろ、と目で合図する。それに従い、テオは端末を開いて情報を確認してみた。

 対象者の名前と、対象が今まで手掛けてきた番組や記事についてのデータが添付されている。どれも鋭い切り口で、大胆に書きだされていた。

 最近のジャーナリストは気骨がないと思っていたけれど、女だてらによくやる人だ。『強い女性像』の典型的な性格をしているのだろう。

 

 しかし、真相に触れるということは、粛清対象者にされるということもさしている。いずれ、彼女はアレハンドロ・コーナーやそれに関係する一派に近づくだろう。自分の野望のために監視者一族を全滅させたアレハンドロだ。ぱっとあらわれた女性ジャーナリストの口を封じるなんて容易に想像できた。

 ジャーナリストだけならまだ御の字かもしれない。ヘタすれば、彼女の関係者――主に家族や恋人――も粛清対象にされる危険性もある。奴らの一族は、実際、そうやって監視者一族を潰してきた。その証拠も、闇に葬り去ってきた。葬り去られた真実を白日の下にさらすのは容易ではない。

 

 一応、アレハンドロ本人には自分たちが張り付いているものの、奴はいくらでも手駒を有している。

 

 

『彼女の家族やその周辺は、グライフ一家が見守ってるみたいだけどね』

 

『ああ、ラッシュバードとストレイバードを開発した。あんなに優秀な発明家なのに、どうして世界に認められないんでしょうね』

 

『認められるために発明をしているわけじゃないからね。それに、そういう所が『悪の組織』や『同胞』たちにとって都合がいいんだろう。本人も理解しているというところが、また……』

 

 

 難儀なものだ。世界に人を見る目がないのか、『悪の組織』が彼の功績の大半を隠ぺいしているからか、本人に『一山当てる』という気がないからか。あるいは、全てが複雑に絡み合った結果なのか。惜しいことだとテオは思う。

 逆に、今をときめくレイフ・エイフマンのように、功績が認められるのを繰り返すという方が奇跡なのかもしれない。彼は技術者としての腕前も確かであるが、それ以上に、チャンスをつかむ才能も秘めていたのだろう。

 

 

『……先輩後輩コンビは、件のジャーナリストに接触できたのかな』

 

 

 リボンズは、ぽつりと呟いた。勿論脳内で、だ。

 

 

『先輩は少々意地悪なところがありますからね。後輩くん――ぶっちゃけ僕から見れば2人とも先輩なわけですが――も、気苦労絶えないでしょう』

 

『そうだね。僕から見ても、後輩くんは先輩だけどね』

 

 

 そう言いながら、テオはくすりと笑みを浮かべた。横目でリボンズの様子を盗み見る。彼は相変わらず、アレハンドロの長話につき合わされている様子だった。

 どうしてこの場に留美と紅龍がいないのだろう。彼女がいるだけでも、アレハンドロの長話で被る被害は大幅に減るというのに。

 愛想笑いを浮かべるリボンズの口元が引きつっている。流石の彼も限界が近いようだ。テオは成す術がないので、「ご愁傷様」としか言えそうにない。

 

 そんな状況を打破するかのように、部屋の扉が控えめにノックされた。「入りたまえ」と、アレハンドロが優雅な声で許可を出す。

 

 がちゃり、と扉が開いた。入ってきたのは、綺麗な着物に身を包んだ東洋人女性。そういえば、アレハンドロがいつぞや言っていた気がする。新しいスポンサーが増えたらしいが、この来訪者――彼女のことを指しているのだろうか。

 見る限り『腹に一物抱えていそう』な女だ。表面上は何ともないが、深層心理を探ろうとすると、どす黒い悪意に飲み込まれそうになる。アレハンドロ以上の大物だろう。愛想笑いするので手一杯になりそうだ。

 

 アレハンドロが女性の隣に立つ。彼女を自分たちに紹介するためだろう。

 正直、彼女とはあまり近づきたくない。それは、リボンズも同じ気持ちのようだった。

 顔の筋肉をフルに使った愛想笑いをするなんて久しぶりである。明日は顔面筋肉痛か。

 

 そんなテオの心など知ったこっちゃないアレハンドロは、胡散臭い笑みを浮かべながら、言った。

 

 

「ああ、キミたちにはまだ紹介していなかったね。彼女は我々の同士だ。名前は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

「ゴチソウサマでした」

 

 

 ぽん、と、手を合わせて挨拶する。少女や『エトワール』もクーゴとグラハムの見様見真似ではあるが、日本の食文化およびマナーを守ってくれた。ちょっとだけ、なんだか嬉しい。和やかな雰囲気のまま、クーゴたちは片づけを始める。

 2人が住んでいるマンションに呼ばれて、そこで夕飯をふるまうことになるとは思わなかった。よくもまあ、クーゴの斜めに舞い上がった発言を許してくれたものだ。クーゴはしみじみ考えながら、皿洗いに精を出す。グラハムが皿を拭き、『エトワール』と少女が手渡された皿を棚に戻していった。

 

 言いだしっぺとしての役割は、これできちんと果たした。内心、ほっと息を吐く。

 

 

「『夜鷹』さんのつくったご飯、おいしかったです!」

 

「よかった。それは何よりだ。『おいしいごはんは心と体を元気にしてくれる』からな」

 

 

 嬉しそうに語る『エトワール』の笑顔に、自然と頬が緩んだ。クーゴの格言に何か思うところがあった『エトワール』は、首振り人形のようにぶんぶん首を縦に振る。

 「そうですよね。やっぱり、おいしい料理が一番ですよね」と、噛みしめるようにして頷いていた。それを聞いた少女が居心地悪そうに目を逸らす。

 確か、少女は『手早く食べられる方がいい』派だったか。屋台のホットドックや固形および液体タイプの栄養食品を中心に食べている、と自己申告してくれた。

 

 ちらりと少女に視線を向ける。どうだった? と尋ねれば、彼女はふいっと目を逸らしながら、蚊の鳴くような声で呟く。「おいしかった」と、口が動いていた。クーゴはふっと頬を緩める。刹那、グラハムが頷きながら少女へ近づいていく。

 

 次の瞬間には、いつも通りのやり取りが繰り広げられていた。グラハムがちょっかいを出し、少女が思いっきり手を振り払う。彼女の顔は真っ赤だ。

 それが、グラハムにとって嬉しいことらしい。好きになった相手の、いろんな表情が見たいということだろうか。

 

 

(食事をしているときは、グラハムもあの子も穏やかな雰囲気だったんだけどなぁ)

 

 

 むしろ、穏やかな顔をしているときの方がいいと思うのだが。少女も、そういうグラハムを見ているときは素直にしていたような印象を受ける。

 彼女は『強くぶつかられると頑なになってしまう』タイプらしい。駆け引きよりも真っ向勝負が好きな男だ、これからも難儀なことになりそうである。

 

 クーゴの思考回路を引きもどしたのは、『エトワール』の言葉であった。

 

 

「『おいしいごはんは心と体を元気にしてくれる』かぁ。素敵な格言ですよね」

 

「ああ。誰から聞いたのかは覚えてないけど」

 

「でも、ちゃんと覚えていたってことは、とても大切な人が教えてくれたことだったんですよね?」

 

「……そうだな」

 

 

 『エトワール』の問いに、クーゴは頷く。彼女の言葉通り、この格言はとても大切な人が教えてくれたものだった。

 今となっては、その相手が誰だったのかすら思い出せないけれど――どうして、思い出せないのだろう。ずきり、と、クーゴの頭が鈍く痛んだ。

 何か忘れている。とても、とても大切なことだったはずだ。思い出さないと。いや、だめだ。思い出してはいけない。思い出す価値なんてない。

 

 クーゴが首をひねったとき、クーゴとグラハムの端末が鳴り響いた。

 

 連絡の主はエイフマンだった。

 後ろからビリーの声がするため、ビリーはグラハムに連絡しているのだろう。

 

 

『フラッグのチューンが終わった。至急、戻ってきてもらいたい』

 

「はい、わかりました。今すぐ戻ります」

 

 

 端末を服のポケットに戻す。丁度、グラハムもビリーと話し終わったらしい。目と目で合図を送りあい、『エトワール』と少女に礼を言い、慌ただしく帰還の準備を始める。

 

 

「おい」

 

 

 そのとき、少女がグラハムの服の袖を引いた。グラハムは目を瞬かせながら首を傾げる。少し待て、と手で合図をした少女は、冷蔵庫を開けて何かを取り出した。

 紙製の箱の中には、淡いきつね色のライスプディングが、可愛らしい陶器の中に入っていた。ほんのりと甘い香りが鼻をくすぐる。少女はその箱を、グラハムへ突き出した。

 いつぞや、グラハムが「あの子の料理だ」と言って端末の画像を見せつけてきたことがあった。是非とも味わってみたいと言っていたが、もしかして、彼女はそれを覚えていたのだろうか。

 

 くれる、らしい。グラハムはしばし呆気にとられていたけれど、差し出された紙箱をおずおず受け取った。少女はどこか申し訳なさそうに目を伏せる。

 

 

「……口に合うかどうかは、わからないが」

 

「いいや、そんなことはないよ。ありがとう」

 

 

 グラハムは満面の笑みを浮かべた。手放してなるものかと言わんばかりに、ライスプディングが入った箱を抱え込む。足取りも軽やかだ。

 「それじゃあ、また、次のオフ会で」「楽しみにしてます」と、クーゴと『エトワール』は挨拶を交わした。そのまま解散し、帰路を急ぐ。

 空を見上げる。綺麗な満月が浮かんでいた。そこに、うっすらと暗雲が漂い始めている。今にも覆い隠されてしまいそうだった。

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。




【参考および参照】
『COOKPAD』より、『唐揚げ好きのカリカリジューシー鶏の唐揚げ(まゆちょこりんさま)』、『ふんわり♪チーズオムレツ(ブランディさま)』、『お弁当に✿新じゃがとズッキーニの炒め物(しゅーくりんぐ大好きさま)』、『ブロッコリー♪味噌ドレ和え*お弁当に(なゆほさま)』、『ストラッチ ライスプディング(トルコ)/(女郎蜘蛛さま)』

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