大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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13.ジェネレーション・ブレイク

 ユニオンのMSWAD本部についたとき、空は曇天に覆われていた。地上の光が眩く見える。

 

 クーゴ、グラハム、ビリーの3人は廊下を突き進み、上司の部屋で立ち止まった。ノックをして部屋に入り、上司に何があったかを報告する。

 上司は自分たちの話を聞いていた。その傍ら、さらさらと書類に何かを書きこんでいく。

 

 

「AEU新兵器の視察のはずが、とんでもないことになってしまったな」

 

 

 そう言って、上司はふとクーゴに視線を向けた。

 何か、クーゴの調子を伺うかのような眼差しである。

 クーゴには何も覚えがない。思わず首を傾げた。

 

 

「どうかしましたか?」

 

「いいや。……あのとき、キミは徹夜明けだったから、心配でな」

 

「大丈夫です。あの後、休む時間は確保できました」

 

「そうか。……それは、本当に良かった」

 

 

 クーゴの返答を聞いた上司は、あからさまにホッとした。心の底から安堵した顔をしている。何か恐怖体験をしたかのように、彼は天井へと視線を向けた。

 出発前に自分たちは上司と話したが、徹夜明けの影響か、内容をよく覚えていない。ただ、遠くから悲鳴みたいな声が響いていたような気がしたが、何だったのだろう。

 

 やたらとゾンビゾンビ言ってた気がする。すれ違う人間が怯えていたような気もする。中には逃げ惑った挙句、階段から転がり落ちていった奴がいたような、いなかったような。ふと見れば、上司のこめかみにテーピングがされていた。

 思い返すと、AEUの軍事演習場でガンダムが来襲した直後のことは鮮明に覚えているが、来襲以前のことはよく覚えていない。空が青かったことや、グラハムとビリーが何かを話し込んでいたことや、技術者が浪漫あふれる存在であることや、炭酸飲料が飲みたかったことくらいだ。

 帰りは狭い空間でがたがた揺られていた気がする。遠くから、悲鳴を上げる男2人の声がひっきりなしに響いていた。聞き覚えのある声だったが、誰の声だろう。思い出せそうな気がしたのだが、霞がかかってしまったように記憶はぼやけていた。

 

 上司の言葉に何かを連想したビリーとグラハムが視線を逸らす。前者は天を仰ぎ、後者は俯いて額に手を当てていた。こめかみに青筋と冷や汗が浮かんだように見えたのは気のせいだろうか?

 

 

 

「あのような機体が存在するとは、想像もしていませんでした」

 

 

 閑話休題と言わんばかりに、グラハムが上司の言葉を引き継いだ。

 

 ガンダムという機体のスペックの高さを考えると、奴と対峙して自分たちが帰還できたことは奇跡だと言えよう。

 現在、ユニオン――および世界各国の軍の技術では、あのスペックを再現する方法は皆無に等しい。

 

 

「研究する価値があると思いますが」

 

「上もそう思っているようだ」

 

 

 ビリーの言葉に、上司はファイルを取り出した。クーゴたちは手を伸ばしてファイルを開く。

 

 

「ガンダムを目撃したキミたち3人に、転属命令が出た」

 

「対、ガンダム、調査隊……ですか?」

 

 

 ファイルにかかれた言葉を、グラハムがたどたどしく読み上げる。やっぱり、と、クーゴは思った。

 

 どこの国も、あの機体のことを調べようと躍起になっている。敵として恐ろしいということは、こちらにその技術が手に入れば優位に立つことは明らかだ。3国のどこかがあの技術を手にしたら、世界のパワーバランスはひっくり返るだろう。

 この『ガンダム調査隊』、ガンダムの出現によって新設された部隊のようだ。正式名称はまだ決まっていないが、決まり次第、司令部が報告してくれるだろう。その人事で異動になった人間たちの名前を確認する。クーゴ、グラハム、ビリーの名前があった。

 

 しかし、それだけではない。自分たち以外に挙がった名前には、見覚えがあった。

 

 

「レイフ・エイフマン教授……技術主任を担当するんですか?」

 

「技術界の重鎮を持ちだしてくるとは……」

 

 

 クーゴとビリーが息をのむ。

 

 

「上はそれだけ、事態を重く見ているということだ。早急に対応しろ」

 

「はっ」

 

 

 上司の言葉を受けて、3人はファイルを閉じて敬礼した。

 ぴりぴりとした空気に、自然と背筋が伸びる。

 

 

「クーゴ・ハガネ中尉、グラハム・エーカー中尉、ビリー・カタギリ技術顧問」

 

「対ガンダム調査隊への転属、受領いたしました」

 

 

 クーゴの言葉を引き継ぐような形で、グラハムが宣言した。自分たちの宣言を聞いた上司は厳かに頷く。

 それから少し軽い話し合いを終えたのち、自分たちは部屋を後にした。全員、足取りが意気揚々としているように思う。

 廊下を歩きながら、クーゴたちは雑談を始める。火蓋を切ったのはビリーだった。

 

 

「驚いたな。キミはこうなると予見していたのかい?」

 

「私もそこまで万能ではないよ」

 

 

 ビリーの言葉に、グラハムは首を振った。

 そこで何を思ったのか、グラハムはクーゴに視線を向ける。

 

 

「クーゴ、キミの場合はどうだ?」

 

「まさか。俺だって、こんなことになるだなんて予想できるか」

 

「でも、因縁めいたものを感じてはいるんだろう?」

 

「……あー」

 

 

 グラハムがゆるりと目を細めた。否定する要素はないが、肯定するには些か自信がない。クーゴは困ったように苦い笑みを浮かべて、答えを濁した。日本人独特のアルカイックスマイルをどう受け取ったかは知らないが、グラハムはプラス的な意味だと取ったようだ。満足げに頷く。

 運命かと問われれば、正直疑問だ。クーゴは意図してガンダムと出会ったつもりはないし、関わることを選んだのは自分自身の判断だと思っている。誰かに言われたのではなく、クーゴ自らが選択したことなのだ。その結末はまだわからない。ただ、選んだことを誰かの責任にするつもりはなかった。

 クーゴはちらりとグラハムの横顔を伺い見る。自信と強さに満ち溢れた不敵な笑み。いつもと変わらない表情の1つだ。そして、クーゴが見慣れた日常光景の1つでもある。これからも続いていく、いつもの光景。しかし、どうしてだろう。何故か、険しい顔をして歩く金髪の男がダブって見えるのだ。

 

 どこかで見たような仮面では隠しきれないほど、大きな傷。火傷の跡だろうか。孤高で誇り高い佇まいは、まるで武士のようだ。

 いや、違う。彼は武士ではない。彼の剣は、彼の望む場所へ到達することは不可能である。私怨で振るわれているためだ。

 

 言い表せない苛立ちを、悲しみを、怒りを、そして――歪みを。ただひとつ/ひとりに対して、強く激しく向けている。

 

 

『そうしたのはキミだ! ガンダムという存在だ!』

 

 

 私怨に満ちた空の戦士が叫ぶ。

 

 

『一方的と笑うか? だが、最初に武力介入を行ったのはガンダムだということを忘れるな!!』

 

 

 激情を宿した似非侍が吼える。

 

 そうじゃないだろう。確かに最初に介入したのはガンダムだったかもしれない。でも、選んだのは他ならぬ『彼』じゃないか。『彼女』らの元へと飛び込んだのは、『彼』じゃないか。『彼』はそれを忘れてしまったのだ。

 失ったものは沢山あった。しかし、手にしたものがあっただろう。それを、『彼』は大切にしていたではないか。愛していたではないか。見ているこちらが辟易してしまうくらい愛して、見ているこちらが微笑ましいと思うくらい愛されていたではないか。

 どうしてだ、と問う。それに気づいた『彼』がこちらを向いた。どこか困ったように苦笑しながら、ぽつりと呟く。『これが最善だと思ったのだよ』――どこをどう見ても最善ではないのだが、今にも泣き出してしまいそうな顔をされると、どうすればいいのかわからなくなる。

 

 迷って、迷って、それでも『彼』は『彼』でありたかったんだろう。でも、歪んでいることも自覚していた。

 歪みの原因をガンダムに求め、ガンダムを責め/憎み続けなければ、自分を保っていられなかったなんて。

 

 その奥底にある想いは、何も変わっていないのに。どうしてそれを、見ようとしないのだろう。

 

 

『そうじゃない』

「そうじゃない」

 

 

 クーゴは、思わずそう言った。

 虚憶(きょおく)の中で、似非武士の言葉に対して異を唱えた男性と同じように。

 

 

『そうじゃないだろう』

「そうじゃないだろう」

 

「……クーゴ?」

 

 

 グラハムの声がした。彼の方を見る。いつもと変わらない、グラハム・エーカー中尉が首を傾げている。

 

 

「因縁とか、運命とか、宿命とか。……他者依存のものじゃないだろう、これは」

 

 

 クーゴは噛みしめるように言葉を紡ぐ。

 

 

「俺たちが、俺たち自身の意志で、そうすることを選んだんじゃないか」

 

 

 確認するようにグラハムを見返せば、奴は面食らったように瞬きした。

 翠緑の瞳は大きく見開かれる。そこに映り込んだクーゴの表情は、やけに切迫していた。

 

 自分たちは人間だ。他者や己自身を責めたいと感じたり、責めてしまったりすることもある。でも、忘れてはいけない。その選択で失ったものを。それ以上に、その選択で得たものを。その選択をした人間が、他ならぬ自分であったことを。

 選択した先に、何もなかったわけではないだろう。辛く悲しいことだけが、いがみ憎むことだけが、選択した道の全てだったわけではないだろう。クーゴは無意識に、『エトワール』から貰った懐中時計を握り締めていた。

 彼女がどんな意図でクーゴのコンタクトに乗ってきたのかはわからない。でも、この先何があったって、一緒に過ごした日々が無に帰すわけではない。空の色が褪せないのと同じように、鮮明に残り続ける。

 

 つい数時間前、グラハムとビリーが『クーゴが何になっても親友だ』と言いきったのと同じなのだ。

 

 クーゴはじっと親友たちを見つめた。自分の考えが伝わったかどうかはわからない。

 けれど、グラハムとビリーは力強く笑い、頷いてくれた。ただ、それだけで充分だった。

 

 

「そうだな。己の意志で選び取り、つかみ取ったものだ」

 

 

 自分たちは前を向く。長い道の向う側に、何があるかはわからない。けれど、突き進む。

 隣を見れば、大切な仲間がいる。だから怖くなんかない。

 

 混迷する世界でも、道しるべを失わず、飛んでいける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アレハンドロ・コーナーと王留美が楽しそうに談笑している。それを横目に見ながら、テオはウォッカを呷った。痺れるような感覚が喉を伝う。

 しかし、それだけだ。普通なら酩酊状態になってもおかしくない。しかもこのウォッカは辛口のものだ。酒初心者や飲めないし、中級および上級者でも辟易するレベルである。

 

 

『いつみても心配になる飲みっぷりだね。大丈夫かい?』

 

『ええ、大丈夫です。僕にとってはこんなもの、味もその諸々も水と同レベルです』

 

 

 脳量子派および能力を駆使して、テオはリボンズと会話をしていた。傍から見れば、2人は無言のまま酒を呷っているようにしか見えないだろう。無言のまま酒を飲む中世的な青年と、彼の隣でウォッカを水のように飲み進めるアイドル(変装済み)。客観的に考えると、些か珍妙な構図である。

 

 

『むしろ、バーは飲み物メインで助かります。キミがいないときに高級レストランへ連れ込まれてステーキなんて出されたときは、嫌がらせにも程があると思いましたね』

 

 

 先日の会食は酷かった、と、テオは苦々しい顔で息を吐いた。出されたステーキは何とか食べきったけれど、もう二度とあんなもの食べたくない。

 テオにとって、食事は苦行であった。特に、分厚く弾力性のある食べ物――主にステーキ等――は最難関である。

 普段はリボンズのサポートがあって食事をこなすテオにとって、『リボンズの不在』は本当に痛い。

 

 

『……ご愁傷様』

 

『リボンズは悪くないです。アレハンドロの味覚を乗っ取ってコピーすればよかったんですけど。……よかったんですけど』

 

『二度も言わなくていいさ。嫌いな奴の味覚をコピーするくらいなら、苦行に挑むことを選ぶような性格だったね。キミは』

 

 

 リボンズの言葉に、テオは苦笑いして肩をすくめた。

 

 

『ところで、味覚なしでステーキを食べるとどんな感じになるんだい?』

 

『ゴム』

 

 

 嫌な沈黙が周囲を支配した。

 ややあって、リボンズが首を傾げる。

 

 

『え?』

 

『ひったすら、ゴム食べてるような感じになります』

 

 

 想像してみたのだろう。リボンズの表情が引きつった。彼にそれを体感させることも可能だが、せっかくいい気分でワインを呷っているのだ。邪魔はしたくない。

 邪な嫌がらせを考えたお詫びに、テオはリボンズへつまみを奢ることにした。バーテンは了承し、カウンター奥の棚をあさり始める。

 

 ふと見ると、留美の従者・紅龍がじっと彼女とアレハンドロを見つめているところだった。誰も知らないが、この男、王家の長男坊である。つまり留美の兄だ。一般的に考えると、普段は長子――特に長兄が跡取りとして選ばれるのが普通である。しかし、紅龍は無能の烙印を押されてしまい、跡取りから追われてしまった。

 その代わりに白羽の矢が立ったのは、妹の留美だった。本来だったらお嬢様として、でも、どこにでもいる普通の少女としての幸せを謳歌するはずだった彼女は、跡取りとしての厳しい教育を受けた。普通の幸せなど望めず、すべてが先代当主の意のままになるよう教育されたらしい。だから、彼女は恨む。世界のすべてを。

 だから、留美は変えようとする。自分の幸せを踏みにじりながらも、平穏に進むこの世界を憎んでいるから。大きな本流によって歪められ、打ち砕かれてしまった青春時代を取り戻そう/作り出そうとするかのように、留美は世界の変革を望む。そのために力を使う。そして紅龍は、そんな妹の傍に居続けるのだ。彼女の未来を歪めた贖罪のために。

 

 

「覗きかい?」

 

「え」

 

 

 リボンズが、紅龍に話しかける。いつものようなアルカイックスマイルだ。突然話題を振られた紅龍は、驚いたように目を瞬かせていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰が殺した? 駒鳥を。

 

 イデアの脳裏に浮かんだのは、有名な童謡であった。

 現状を言い表すとしたら、『誰が殺した? 護り手を』になる。

 

 

「あ……!」

「あぁ……!」

 

 

 愕然とした声が、通信機越しから響いた。刹那と『彼』のものが、掠れた二重奏を奏でる。華を添えるかのように、紫電の爆ぜる音が断続的に聞こえてきた。

 刹那のエクシアと『彼』のフラッグの間に割って入ったのは、クーゴのフラッグだった。右肩はエクシアのブレードが、左肩はフラッグのビームサーベルが貫通している。

 この場にいた誰もが、状況を理解できずにいる。遊撃隊の面々からしてみれば、刹那と『彼』の戦いに、クーゴが特攻に等しい割り込みをしてきたようにしか見えないだろう。

 

 イデアは思わず顔の前で手を組んだ。ヘルメット着用でなければ、両手で口元を覆っていたところだ。

 雑音交じりの回線からうめき声が響いた。動力源からは黒煙が上がる。

 

 

「……ったく。ようやく止まったか」

 

 

 弱々しい声がした。普段のやり取りを繰り広げる刹那と『彼』を見て、苦笑いしているときと同じ顔をしている。平時との違いを挙げるとするなら、パイロットスーツやヘルメットの損傷が激しく、クーゴ自身も吐血していることだろうか。

 

 

「何故、キミが……」

 

「知るかよ」

 

 

 『彼』の言葉を切って捨てるクーゴだが、その表情は優しい。

 

 

「どうして俺が……こんな、面倒なことを」

 

 

 紡がれる言葉は疑問の意味である。けれど、クーゴは既に理由を自覚しているようだった。それでも、どうしても言葉にせずにはいられなかったらしい。

 彼は被害者筆頭でありながら、この2人の行く末を放っておけなかった。イデアと同じ、所謂お人よしの部類に入る。

 

 

「……しょうがない、よな。ずっと、近くで、……見てきた、から」

 

 

 クーゴの心に触れる。彼が巻き込まれた出来事――刹那と『彼』が繰り広げたやり取り――が、浮かんでは消えてを繰り返していた。どうやら、『彼』はクーゴだけではなく、他の人々にも相当の迷惑をかけていたらしい。

 OZのゼクスとノ□ン、AEUのマ□キンとコーラ□ワー、人革の□ルゲイやピ□リス、□レーズやシュナ□ゼル等々。クーゴの回想を辿るだけでも、軍人から政府要人の重鎮クラスまで、幅広い方々に余波を喰らわせていた。

 その都度尻拭い的な方向に駆け回っていたのはクーゴである。何度も頭を下げながら、それでも生温かい眼差しで友人を見守るその姿を、誰もが苦い笑みを浮かべつつ見守っていた。敵味方問わず、皆が。

 

 クーゴはゆっくりと、ノイズだらけの通信画面へと手を伸ばす。砂嵐と歪んだ友人の顔が点滅するそこへ向かって、まるで『彼』本人が目の前にいるかのように。

 いや、実際、クーゴの心は『彼』の心と対面している状況にあった。本人は無自覚であるが、確かに能力を発動させている。

 

 クーゴは『彼』の肩を叩いた。『彼』が困惑したような眼差しを向ける。クーゴはそれを見返して、気さくに笑いかけていた。

 

 

「大切、だったんだろ? ……『自分のすべてを、賭けていい』……そう、思えるくらいに」

 

「――っ」

 

 

 『彼』はひゅっと息をのんだ。自分の心を言い当てられて、反応に困っているようにも見える。

 クーゴにとって、『彼』の反応はとても珍しいものだったようだ。「お前も、そんな反応するんだな」と、楽しそうに笑った。

 

 しかし、すぐにそれは苦笑いへと変わる。『彼』を諭すように、クーゴは言葉を続けていた。

 

 イデアはそれを見守ることしかできなかった。クーゴ自身は自覚していないだろうが、彼の発言した力によって、他者が介入できない状態が作り出されてしまっている。

 ニュータイプの能力を持つ人々は、クーゴが何か力を使っていることに気づいている様子だった。しかし、それはニュータイプの持つ能力と方向性は違う。

 古の『同胞』が有していた力そのものだ。イデアやイデアの『同胞』たちが選んだ進化と同じであるが、どちらかというと、原初の『同胞』が有していたものに近い。

 

 クーゴが『彼』をまっすぐ見つめ、言葉をつづける。

 

 

「今だって。大切で、愛しくて、でも辛くて、悲しくて……苦しくて。どうしたらいいのか、わからないんだろ?」

 

「それは……」

 

「その根底にあるものは、何だ?」

 

 

 空の護り手の問いに、空の貴公子は言葉を詰まらせる。『彼』は先程、「愛が憎しみに変わった」と言った。それが、『彼』の持ちうる答えなのだろう。

 

 頑なな『彼』の心の底から、クーゴは余計なものを取り払っていく。『彼』やクーゴ以外の人間が写った部分にひびが入った写真立て、見るも無残に破壊されたフラッグのミニチュア、靴跡だらけのユニオン国旗、ズタズタに引き裂かれたユニオン軍の制服およびMSWADの精鋭であることを示す証明書等々。

 クーゴの整理整頓は少々手間取っていたが、目当ての品を見つけることができたようだった。傷つけられたもの、壊されてしまったものが無くなったとき、残っていたのは――縦に細長い布袋――扇子とペンダントブローチだった。前者は『彼』の誕生日に刹那が贈ったものであり、後者は『彼』が刹那の誕生日に贈ったものだ。

 『彼』は心の奥底にそれをしまい込んでいたらしい。驚いたままの『彼』の手に、クーゴは2つを握らせた。大丈夫だと示すように、彼は空の貴公子へと笑いかける。恐る恐る顔を上げた『彼』を見返して、クーゴは力強く頷いて見せた。濡れ羽色の瞳は優しく細められる。いつも通りでいい、と、彼の眼差しは告げていた。

 

 ふと、何かに気づいたクーゴが振り返る。視線の先には、茫然と佇む刹那の心があった。

 困惑する刹那を呼んで、彼は空の貴公子を指示した。右手で刹那の手を、左手で『彼』の手を引いて、重ね合わせる。

 

 

「忘れないでくれ。積み重ねてきた日々に……想いの根底に、『何』があったのかを」

 

 

 クーゴの言葉に呼応するかのように、『彼』の左手には青い扇とつがいのお守りが握られていた。

 

 

「忘れないでくれ。その運命を選び取ったのは……『自分自身』だったことを」

 

 

 クーゴの言葉に呼応するかのように、刹那の左手には天使が刻まれたシェルカメオとつがいのお守りが握られていた。

 

 

「忘れないでくれ。失ったものだけじゃなく……『手にしたもの』が、あったことを」

 

 

 クーゴは念を押すように「忘れるなよ、絶対に」と付け加えた。そうして満足げに笑うと、2人の手から自分の手を離す。がくん、と、彼の体が水底へ沈むように落ちていく。

 それと同じタイミングで、彼が発動させていた能力は終わりを迎えた。コンマ数秒後、クーゴのフラッグに積まれていたGNドライブが、爆発音と共に黒煙を上げる。

 フラッグが傾き、そのまま、まっさかさまに()ちていく。イデアは慌てて彼の名前を呼んだが、零れ落ちていくクーゴの心を救い上げることは叶わなかった。

 

 ZEX■Sの面々は茫然とそれを見つめることしかできなかった。

 『彼』が悲鳴に近い声を上げて、クーゴの名前を呼ぶ。返事は返ってこなかった。

 

 ややあって。

 

 

「……クーゴ。私は……」

 

 

 抜け殻になってしまったかのように弱々しい声を残し、『彼』のGNフラッグは撤退していく。

 戦意だけでなく、それ以上に大切なものを失ってしまったかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 誰が殺した? 護り手を。

 

 それは、私。

 震える声で、貴公子が答えた。

 

 それは、俺。

 震える声で、天使が答えた。

 

 

 ――それらに『こたえる』声は、まだ聞こえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうした? イデア」

 

 

 名前を呼ばれ、イデアは顔を上げた。通信画面には、いつもの仲間たちが映し出されている。

 

 ロックオンが真面目な眼差しでこちらを見つめ、刹那は異常を感じ取ったのか神妙な顔つきをしている。アレルヤは心配そうに眉をひそめ、ティエリアは恐ろしい光景を目の当たりにしたような顔をしていた。

 しばし瞬きをした後、気づく。今は、サードミッションの開始直前だ。『遊撃隊の一員として、少年と少女の護衛をしている』最中ではない。クーゴ・ハガネはここにいないし、刹那と『彼』の攻撃を喰らって撃墜されてもいない。

 先程見ていた光景は虚憶(きょおく)のものだ。それに気づいたとき、イデアは安堵の息を吐いていた。誰が好き好んで、想いを寄せる相手の死にざまを見なくてはならないのか。……いや、実際にはちょっと違うのだが、同じようなものか。

 

 

「ちょっと、虚憶(きょおく)を視ちゃったものだから」

 

「またかい? ここのところ、頻繁だね」

 

 

 「大丈夫かい?」と、アレルヤは声をかけてきた。イデアは微笑み、頷く。

 ティエリアがこれ見よがしにため息をつく音を、通信機ははっきりと拾い上げていた。

 

 普段は数倍にして言い返してやろうと思うのだが、先程見てしまったものがアレなので、返答する気にもならず苦笑する。そのまま俯き、イデアは先程の虚憶(きょおく)を保存した。もちろん映像で、だ。

 

 正直、残しておくことすら辛い。でも、もしかしたら、この虚憶(きょおく)の中に、未来(これから)の役に立つヒントが紛れ込んでいるかもしれないのだ。

 泣きたくなるのを堪えて、なんとか虚憶(きょおく)を保存する。その引き金となった曲は、つい先程まで聴いていた『夜鷹』の『歌ってみた』動画のものだった。

 クーゴ本人は、おそらくこのことに気づいている。自分が歌った歌で、自分がとんでもない目に合う虚憶(きょおく)を見ているはずだ。その周囲にいる面々だって見たと思う。

 

 それを、彼らはどう思ったのだろう。『虚憶(きょおく)の中の出来事だから』と流したのか、それとも気に留めているのか。

 イデアは後者であってほしいと思うのだが、果たして。

 

 

「…………」

 

「? どうしたの、ティエリア」

 

 

 通信機越しから唸るような息遣いが聞こえた気がした。出どころはティエリアのものである。

 普段は端正な顔立ちが、不安要素を見つけたかのように歪んでいる。何があったのだろう。

 

 

「……いや。貴様は普段、僕が何かを言うと、すぐに言い返してくるだろう。それがないから、気になった」

 

「もしかして、心配してくれてる?」

 

「別に。問題がないのならそれでいい」

 

 

 ティエリアはそっぽを向く。

 

 あら、とイデアが微笑めば、ロックオンも楽しそうに目を細める。刹那もわずかに口元を緩め、アレルヤも苦笑した。

 そのタイミングで、サードミッション開始を告げるアラーム音が鳴り響いた。マイスターたちは全員、思考回路を切り替える。

 

 世界の変革は、まだ始まったばかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 満身創痍状態のフラッグを分析していたビリーの話を総合すると、ガンダムの推進力はフラッグの6倍あるという。それを可能にしているのが、あの緑の光なのだそうだ。

 「よく生きていられたね」とビリーは朗らかに笑っているが、正直笑いごとではない。一歩間違っていれば、クーゴとグラハムは今、ここに存在していなかった可能性もある。

 気まぐれで生かされたというのは正直癪なのだが、命あっての物種だ。死んでしまったらリターンマッチどころではない。この雪辱は次で晴らす。クーゴは己に言い聞かせた。

 

 ガンダムの推進力になっているエネルギーは、現在の技術よりも遠い場所にあるようだ。エイフマンが太鼓判を押し、「恐ろしい男」と称したイオリア・シュヘンベルクとはどういう人物だったのだろうか。エピソードが何1つ残されていないというのも、ミステリアスさを助長している。

 

 

「できれば捕獲してみたいものだな。ガンダムという機体を」

 

「同感です」

 

 

 エイフマンがしみじみと言い、グラハムが頷く。彼の眼差しはフラッグに注がれていた。

 

 

「そのためにも、この機体をチューンして頂きたい」

 

「パイロットへの負担は?」

 

「無視して頂いて結構。但し、期限は1週間でお願いしたい」

 

「ほう、無茶を言う男じゃ」

 

 

 グラハムの言葉に、クーゴは思わず目を剥いた。彼の言葉を簡略化すると、技術班に対して『過労死しろ』と言っているようなものだ。

 慌ててエイフマンを見れば、彼は不敵な笑みを浮かべていた。青緑の瞳は熱意に満ちている。戦場に出る戦士の眼差しだ。最も、技術屋の戦場はここだろうが。

 

 

「多少強引でなければ、ガンダムは口説けません」

 

「彼、メロメロなんですよ」

 

 

 グラハムの強気な笑みを見て、ビリーが楽しそうに茶化す。彼の言葉に、グラハムは照れたように苦笑いした。

 クーゴは大きくため息をつく。グラハムのそれは、完全に、少女を口説き倒している戦術と同じだ。

 正攻法が好きなのはわかるけれど、どちらも同じ戦法で戦い抜けるとは思えない。

 

 

「あの子の次はガンダムか。お前は意外と恋多き男なんだな、グラハム」

 

「む。キミは私が不誠実な男だと言いたいのか」

 

「いや。前も言ったけど、二兎追う者は」

 

「ガンダムも少女のことも諦めるつもりはないよ。前にも言っただろう? 『道理が通らないなら、押し通す』までだ」

 

 

 クーゴは額に手を当てた。これはもう、梃子でも自分の発言を覆すつもりはない。

 

 グラハムは妥協しない人間だ。長年の付き合いで知っていたけれど、愛や恋に対してその傾向が顕著であることを思い知ったのはここ最近である。しかも、件の少女だけでなく、MSにも適用されるなんて知らなかった。

 そんなことを考えていたら、グラハムはむっとしたように眉をひそめる。「今、キミは失礼なことを考えていないか?」とでも言いたげな眼差しだ。確かにクーゴが今考えていることは、ある意味『失礼なこと』に当たるだろう。クーゴは肩をすくめ、それ以上の言及をやめることにした。

 

 

「さて、副官殿はどうする?」

 

 

 エイフマンはクーゴに視線を向ける。「キミも同じだろう?」と、目をキラキラさせていた。その眼差しにはどうしても弱い。

 それに、クーゴにだって意地があった。負けっぱなしのまま、何もしないでなどいられない。黙っていいときと、黙ってはいけないときの違いはわかっているつもりだ。

 思い浮かべるのは、自分たちを見逃した2機のガンダム/天女と天使。気のせいでなければ、天女に乗っていたパイロットが笑っていたような気がした。

 

 嘲笑ではない。もっと違う笑い方。

 それが何を意味しているのかは、わからないけれど。

 

 だったらそれを知るために、あの天女を追いかければいい。空で対峙し続ければ、おそらく掴めるかもしれない。

 

 

「……お願いします。ただ、相棒のフラッグと技術班の体調を優先してやってください」

 

「キミは優しいな。そこがキミのいい所であり、悪い所だ。もう少し我儘になっていいんじゃがね」

 

「技術者や職人は宝ですから」

 

 

 クーゴの言葉に、エイフマンは嬉しそうに目を細めた。

 

 

「最高の褒め言葉だな。そうまで言われているにもかかわらず、キミの愛機に妥協したら、信頼を踏みにじることになるじゃろうて。……全力でやらせてもらうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 クーゴがエイフマンに深々と頭を下げたときだった。グラハムの端末が鳴り響く。告げられたのは、ガンダムの出現であった。

 場所は2か所。南アフリカとタリビアだ。タリビアならば、ここからでも充分間に合う。そうクーゴが思ったとき、グラハムがヘルメットを片手にフラッグへ向かっていた。

 

 

「やめておけ」

 

 

 意外なことを言ったのはエイフマン教授だった。驚いたのはクーゴやビリーもだ。

 

 勿論グラハムは食い掛かった。

 しかし、エイフマンは更に予想外のことを告げる。

 

 

「ワシは麻薬というものが心底嫌いでな。焼き払ってくれるというなら、ガンダムを支持したい」

 

 

 エイフマンは憎々しげに言った。彼の過去に何があったかは知らないし、知ることもできない。

 ただ、エイフマンにとって麻薬は憎むべき敵のようだ。それを撲滅するためなら、なりふり構っていられないほどの。

 彼の瞳は、どこか遠くを見つめている。その先に、どんな光景が広がっているのだろう。察することは不可能だった。

 

 

「奴らは、紛争の原因を断ち切る気じゃ」

 

 

 彼の言葉が、やけに重々しく響く。

 

 クーゴたち3人は、それを受け止めることしかできなかった。

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。




【参考および参照】
『誰が殺したクックロビン(誰がこまどりを殺したの?) 歌詞・日本語訳』より、『マザーグース・誰が駒鳥殺したの?』

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