大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

10 / 82
7.確執-きょうだい-

「だーかーらー! どうしてお前は無駄撃ちばかりするんだ!? もう少し考えて攻撃しろよ!」

 

「兄さんこそ! 俺は大丈夫だって言ってるのに、どうしていつも庇おうとするんだよ!?」

 

 

 隣の部隊に所属する初代と2代目ストラト□兄弟は、今日も喧嘩で忙しい。

 同部隊に所属するトリニ□ィ3兄妹や□ロスト兄弟とはえらい違いである。

 

 傍から見れば、□トラトス兄弟はミラーコントをしているように見えるだろう。さもありなん、2人は一卵性双生児(双子)である。彼らは両名とも射撃を得意とするパイロットだが、戦術の方向性は全く違っていた。

 兄の初代ス□ラトスが一撃必中の精密射撃を得意とするなら、弟の2代目ストラ□スは手数で翻弄する早打ちやバラ撃ちを主体にした戦いを得意としている。指揮官の□□□がときたま乗せ換え企画で2人の乗る機体を入れ替えるのだが、お互いの機体の違いに戸惑う姿を見かけた。

 性格の違いも大きい。兄が□ロとピンクの髪の少女が大好きで立派な兄貴分なら、弟は薄紫の髪の女性が大好きで煙草を嗜む色男だ。両名に共通しているのは、ブラザーコンプレックスをいい感じにこじらせているという点だろう。現在進行形で、だ。

 

 なんてことはない、単純なことだ。

 

 兄は弟が心配だから口出しするし、弟は兄に認めてほしいと思っているから反発する。

 弟は兄が心配だから口出しするし、兄は弟を守れるような存在であろうとするから無理をする。

 

 スト□トス兄弟のミラーコントを眺めていたクーゴは、互いを思いあうが故にすれ違う双子を見つめていた。

 グラハムと『彼女』の色恋沙汰から逃げてきた先でこんな光景を見ることになるとは。クーゴにとっては、複雑な光景である。

 そこへ近づいてくる足音。振り返れば、そこにいたのはフロス□兄弟だった。

 

 

「お互いにとってお互いが、大切な存在なのにね。こんなにも簡単なことなのに、どうして彼らは仲が悪いのかな? 兄さん」

 

「それがなかなか難しいところなんだろうよ、オル□。あの2人は素直になれないだけなのさ」

 

 

 そう言いながら、彼らは生温かい眼差しでス□ラトス兄弟を見つめていた。フロ□ト兄弟は□トラトス兄弟とは違い、素直に互いへの思いを表現している。

 

 

「……いいな」

 

 

 彼らの後ろ姿を見つめながら、クーゴはぽつりと呟いた。

 

 自分もストラト□兄弟のように、感情をぶつけられたらよかったのに。自分も□ロスト兄弟のように、仲良くできたらよかったのに。

 もしかしたら、存在したかもしれない可能性へと思いを馳せる。どこにでもある家族の、どこにでもいるような『きょうだい』の姿を。

 無意味だと知っていながらも尚、想像せずにはいられない。考えれば考えるほど、心に陰りが出てきそうだ。

 

 

「俺もあんな風に、喧嘩したり、仲良くしてみたかったな」

 

 

 自分の傷に触れると知っていても、呟かずにはいられなかった。

 兄弟たちの背中がやけに遠い。元々別の部隊に所属しているというのもあるけれど。

 

 ここにいると、かえって気分が重くなってきそうだ。グラハムと『彼女』の色恋を見ている方が、よっぽど元気になれそうな気がする。

 

 2人が繰り広げるバイオレンスなやり取りを思い出し、ひどく恋しくなる。大人しく自分の部隊に戻った方がよさそうだ。別部隊の人々とシミュレーションや模擬戦をやってみたかったのだが、今はそんな気分になれなかった。

 踵を返して元来た道を戻る。仲間たちの行き来は活発で、どこかで誰かが何らかの問題を引き起こしていた。似たような特性を持つ人々が遊びを通して腹の探り合いをしていたり、先の乗り換え企画の感想を述べ合っていたり、艦長に自分の機体をせびっていたりしている。

 自分たちの部隊がよく使う休憩室へ戻れば、相変わらずの光景が繰り広げられていた。グラハムが『彼女』にちょっかいをかけ、『彼女』がその手を振り払う。『彼女』の顔は真っ赤だ。それを見たグラハムは、ますます嬉しそうにする。奴は意外と悪趣味なのかもしれない、とクーゴは思った。

 

 グラハム曰く「これが我々の愛」らしい。あながち間違っていないところが怖い。

 周囲の面々も、中心となる2人に対して生温かい視線を向けていた。

 

 

「羨ましいですか?」

 

 

 不意に声を掛けられ、振り返る。我らが指揮官が、悪戯っぽさそうに笑っていた。

 

 

「難しいな。割を食うのがいつも俺だと考えると」

 

「それを差し引いたら?」

 

「ちょっとだけ」

 

 

 クーゴは苦笑し、付け加える。

 

 

「でも、いいんだ。俺にだって、そういう相手がいることは知ってるから」

 

 

 自分にも心配したいと思う相手がいる。自分のことを心配してくれる相手がいる。思いの丈をぶつけ合える相手がいる。

 そう、心の底から言える相手がいる。だから大丈夫だ、とクーゴは笑った。指揮官はしばらく目を瞬かせた後、嬉しそうに頷く。

 彼女は「あ」と間抜けな声を出し、急な思い付きを口走るように言った。

 

 

「その相手の中に、私はいますか?」

 

「…………そんなの、訊くまでもないだろ」

 

 

 いい言葉が見つかりそうにないので、そうやってごまかした。

 

 もっとも、彼女はすべて察しているのだろうが。ばつが悪くなって目をそらせば、指揮官がくすくす笑う声が聞こえてきた。

 自分たちにはこれくらいがお似合いだろう。クーゴはグラハムたちのほうへ視線を戻す。『彼女』に足を踏まれたグラハムが、くぐもった悲鳴を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴの実家は京都にある。しかし、今回のオフ会では実家の近くには行かないからと安心していた。

 というより、慢心していたのだと思う。まさかむこうがそれを察して手を打って来るだなんて、誰が予想できたか。自分もまだまだ甘いらしい。

 

 クーゴの目の前にいるのは、黒髪黒目の東洋人女性。彼女は、艶やかな花が描かれた薄桃色の着物を着ていた。買い物帰りなのか、手には大量の食材が入ったエコバックが握られている。しかし、あれはカモフラージュだとクーゴは直感した。彼女はずっとここで、クーゴを待ち構えていたに違いない。

 女性は品の良い笑みを浮かべている。しかし、その仮面(ひょうじょう)の下には、クーゴに対する憎悪で満ち溢れていた。あの頃から何も変わっていない。彼女がクーゴに向ける感情も、眼差しも、クーゴが家を出る前と同じであった。その気持ちは、わからなくもない。彼女もある意味では“被害者”なのだから。

 晴れ渡った京都の空とは裏腹に、この場に暗雲が立ち込めてきそうだ。いや、クーゴと女性の間はもう雷を伴うレベルの暗雲で覆われている。薄く細められた黒の瞳は、相変わらずクーゴを責め続けていた。否定する要素もないので、クーゴは甘んじて受け止めるにとどめる。

 

 グラハムや『エトワール』たちは、自分たちに漂う物々しい空気を感じ取っているようだ。

 

 自分と彼女の因縁に巻き込んでしまって、申し訳ないと思う。おまけに、彼女のあの様子では、オフ会の予定も大きく変更しなくてはならないだろう。

 災難だ。クーゴはほとほと困り果てていた。グラハムや『エトワール』たちに心配かけたくないので、表面上はポーカーフェイスで通しているものの、限界である。

 

 嫌な汗がこめかみを伝った。先手を打つべきか、彼女の手を待つべきか。無言の駆け引きが続く。

 

 

「……久しぶりですね、蒼海(あおみ)姉さん」

 

 

 手を打ったのは、クーゴだった。正確には、打たざるを得なかったといった方がいい。

 姉――刃金(はがね) 蒼海(あおみ)は、相変わらず薄ら寒くなるような微笑を浮かべている。

 

 

「ええ、久しぶり。叔母さまの命日以来かしら? 空護(クーゴ)

 

 

 蒼海の目がより一層細くなった。正直、目を逸らして逃げ出してしまいたいというのが本音である。それをしないのは、友や『エトワール』らの手前だからだと思う。要は意地の問題だ。昔は何事も諦めてばかりだったのにな、と、心の中で自嘲した。

 また嫌な沈黙が周囲を覆い尽くす。蒼海の目は「なんでまだ生きてるの」と雄弁に語っていた。刃金の男児は20代になる前に亡くなるケースが多い。20代後半、しかも30代近くまで生きるケースは少ないという。クーゴはそういう意味でも注目されている。

 そのため、刃金の家は女性が婿を迎えて続いてきた。跡取りになるのは、大半が長女である。クーゴと蒼海は双子の姉弟であり、現在進行形で跡目争いをしている真っ最中だ。正直な話、クーゴ自身は跡目を継ぐ気もないし、継いだとしても意味はないと思っていた。

 

 ここまでこじれたのは、ひとえに「クーゴがまだ生きている」ということが原因だ。本来なら蒼海が跡取りと決まっているはずなのだが、クーゴがまだ生きているため、未だ彼女は跡取り候補となっている。

 

 「空へ行かねばならない」という思いに突き動かされ、クーゴは家を出てユニオンの軍人になった。だからもう、刃金の家に戻るつもりもなければ後を継げるとも思っていない。自分は刃金の血を引く男であり、軍人だ。職業上いつ死んでもおかしくないし、刃金の男の宿命がいつ発動してもおかしくない。

 しかし、家の人間たちはクーゴに跡目を継いでほしがっていた。曰く、『クーゴは蒼海よりも優秀で、当主としての器に相応しい』ためらしい。買い被りすぎだとクーゴは思う。「その気はない」と何度も言っているのに、彼らは一切話を聞こうとしなかった。

 

 

(ただ単に、アラサーまで生きた男が珍しいだけじゃないか)

 

 

 関係者連中のクーゴに対する扱いは、文字通り崇拝レベルだった。昔は「神童だけど、刃金の男児は早逝する。もったいない」「長くはもたないだろう」なんて言ってたくせに。今じゃ丁寧な扱いを受けている。

 幼い頃、クーゴはとても病弱な子どもだった。風が吹けば吹き飛んでしまいそうなほど細い体で、いつ死んでもおかしくないような状態だった。しかし、何をどう間違ったのか、クーゴは現在、病気とは無縁の生活を送っている。

 身長はどうにもならなかった代わりに、軍人として空を翔ることには何の不自由もしない身体能力を得て、クーゴは今ここにいた。クーゴにとってそれは喜ばしいことなのだが、蒼海にしてみれば最悪極まりない。

 

 

「何度顔を合わせても驚くわね。アンタ、ちっちゃい頃はいつ死んでもおかしくない子どもだったのに。今じゃあ立派な軍人さんだもんねぇ」

 

「ええ、まあ」

 

「階級は、確か中尉だっけ? 出世したのねー」

 

「出撃して生きて帰ってを繰り返してたら、勝手に階級が上がっただけです」

 

 

 グラハムの発言を引用する。

 後で彼に謝罪しよう、と、クーゴはひっそり心に決めた。

 

 

「でも、死と隣り合わせの職業に就いたわけだし、どのみちいつ死んでもおかしくないのは変わらないわよね」

 

「そうですね。仰る通りです」

 

 

 蒼海の言いたいことはわかる。彼女の気持ちも、よくわかる。

 

 どのみち死ぬから、もう当たるのはやめてくれ。友人の目の前なんだぞ。クーゴはその言葉を飲み込み、代わりに目で訴えた。

 それが蒼海に届いたのかどうかはわからない。むしろ、わかっていて握りつぶされた気がしてならなかった。こういうところが苦手である。

 蒼海はふと、何かに気づいたように顔を上げた。彼女の視線は、グラハムや『エトワール』たちを捉えている。まずい、と思ったが、もう遅かった。

 

 

「貴方たちは、空護(クーゴ)のお友達ですか?」

 

 

 クーゴは頭を抱えた。いや、本当は、もう少し早いタイミングから頭を抱えたくて仕方なかった。今まで、『エトワール』に情報を漏らさぬようにと必死になっていたのに。その努力と苦労が水の泡である。蒼海は何も知らないから、仕方ないのかもしれないが。

 

 

「グラハム・エーカーです。貴女の話は、クーゴ中尉から伺っております」

 

「あら。お噂はかねがね伺っておりますわ。ウチの愚弟がご迷惑を……」

 

 

 今までのやり取りから薄暗いものを察していたグラハムであるが、何とか取り繕ったようだった。笑みを浮かべて見せた口元が、微妙にひきつっている。

 家族と言う単語に何やら特別な思い入れを持つ彼に、ドロドロした家族関係など見せたくなかったのに。なんだか申し訳なくなった。

 蒼海はかねてからグラハムに興味を持っていたようで、彼へ近寄り何やら雑談を始めた。彼女の目を見て悟る。あの目は、社交界でよく見かけた。

 

 グラハムに近寄ろうとする女の眼差し。蒼海の瞳は、獲物に狙いを定めた鷹のような鋭さを秘めていた。

 もっとも、そんなもので捕まえられるほど、グラハムは弱くない。言い寄ろうとする蒼海を、それとなくいなしている。

 

 さりげなく手を振り払うところは称賛に価した。少女と手を組んで「恋人がいます。彼女がそうです」アピールをしようとする部分さえなければ完璧だったのに。

 

 少女はそれから逃れようとしていたようだが、蒼海の露骨な接近に思うところがあるらしい。普段は容赦なくグラハムを迎撃するのだが、何やら反応が鈍かった。そういえば『エトワール』曰く、「あの子はグラハムさんに絆されかけてきている」ようだ。

 『エトワール』は蒼海の悪意にやや引きつつも、少女が嫉妬の色を見せていることが嬉しいようだ。素直じゃないのは仕様なのだという。甘酸っぱい恋愛とはこういうことを指すのか、と、クーゴは現実逃避がてら考えていた。もっとも、すぐに現実へと引きもどされたが。

 

 

「そちらの方は?」

 

「…………」

 

「名前も名乗れないの? あらいやだ。お里が知れるわね」

 

 

 少女は沈黙を守り続ける。蒼海は冷ややかな眼差しを彼女へ向けた。

 

 「貴方のような小娘が、彼のような人物に相応しいと思っているの?」と、蒼海の目は語っている。少女はその圧力に屈することなく、まっすぐに彼女の目を見返した。少女も戦場から引くつもりはないらしい。

 少女は長らく沈黙していたが、ゆっくりと口を開く。何かの決意を口に出すように。そしてその決意を、己自身に課そうとしているかのように。噛みしめるような響きを持って、少女は短く言葉を紡いだ。

 

 

「死ぬのが怖くて、恋ができるものか」

 

 

 突拍子もない言葉に、蒼海が眉をひそめる。少女の言葉は蒼海の発言を受けたうえでの返答だとしたら、何かずれていた。脈絡がおかしい。

 けれど、クーゴにはわかった。正直になれない少女が、精いっぱいの想いをこめた言葉だ。それが、彼女の出した答えなのだと。

 誰かが言っていた台詞の引用だったけれど、彼女が言うと並々ならぬ迫力を感じる。『エトワール』が後ろで笑った気配がした。

 

 対して、グラハムは呆気にとられている。急停止した思考回路をフルに働かせ、必死になって少女の言葉の意味を考えているようだった。

 

 蒼海の顔から表情が消える。目がつ、と細められた。クーゴの経験則が「いかん」と答えを出したコンマ数秒で、蒼海が動く。本当にさりげない動作で、蒼海が少女を突き飛ばしたのだ。

 よろける少女を支えるものは何もない。彼女の丁度後ろには、先日まで降っていた雨のせいでできた水たまりがあった。蒼海は少女が白いワンピースを着ていることを知っていて、そんな暴挙に出た。

 

 次の瞬間、何よりも早く動いた男がいた。思考回路が止まっていたグラハムだった。彼は間一髪で少女を支えると、まるで王子が姫にやるような動作で彼女を立ち上がらせる。流石は空の貴公子。その立ち振る舞いは様になっていた。

 

 

「大丈夫か?」

 

「あ、ああ……」

 

 

 ひどく切羽詰った顔でグラハムは少女に問うた。

 少女は驚いたように目を瞬かせ、顔を伏せた。耳が真っ赤だ。

 

 

「あら、ごめんなさい」

 

 

 悪びれる様子もなく、蒼海は言ってのけた。

 気のせいでなければ、小さな舌打ちの音も聞こえた気がする。

 

 グラハムは蒼海なんて眼中になかった。「先程の言葉の意味を詳しく教えてほしいのだが」、「というより、もう一度言ってくれないか!?」と少女に問いかけている。少女は顔を真っ赤にしてそっぽを向いていた。嬉しいのはわかるが、もう少し落ち着いてほしい。

 思い通りにならない光景に、蒼海は鼻を鳴らした。次のターゲットとして目を付けたのは『エトワール』。それをいち早く察したクーゴは、『エトワール』を庇うようにして割り込んだ。これ以上、クーゴの関係者を蒼海の毒牙にさらすわけにはいかない。先程動けなかった分、汚名返上といきたいところだ。

 クーゴの行動を見た蒼海は何やら面白そうに目を細める。瞳の奥に宿る悪意から、クーゴは決して目を逸らさなかった。少女の強さに倣った形ではあるものの、蒼海に屈するつもりは微塵もない。昔から、蒼海は他人――特にクーゴの関係者を見下す節があった。自分は蔑まれても構わないが、友人にまで手を伸ばすのは許せない。

 

 

「そこの貴女は?」

 

「彼女は友人だよ。インターネットで歌ってみたを投稿してる歌い手で、俺に色々アドバイスしてくれるんだ」

 

「歌い手? 軍人のアンタが? ……ああ、虚憶(きょおく)調査で、歌ばかり歌ってるんだっけ? 歌で軍人やってるような奴が、よくもまあ中尉まで出世できたこと」

 

 

 相変わらず、嫌味がチクチク降ってくる。幼い頃からこんな感じだったから、もう慣れた。

 

 

「彼はそんな人じゃありませんよ」

 

「彼女の言う通りです。クーゴ中尉は、我がユニオンに必要不可欠な人材です。そして何より、私の大切な戦友だ」

 

 

 幼い頃と違うのは、庇ってくれる存在が身近にいるということだ。『エトワール』とグラハムが蒼海と対峙する。少女は何も言わないが、彼女もクーゴを庇おうとしているようだった。庇われ慣れていないおかげで、逆に彼らの行動に面食らってしまった。

 自分の情けなさに嘆きたくなる。いい友人を持ったと、クーゴは心の中でそう思った。蒼海とにらみ合って、どれほどの時間が過ぎただろう。現状をどうすべきか、クーゴが考えあぐねていたときだった。

 

 

「何をしているの蒼海。買い物が終わったなら、早く……――あら、空護(クーゴ)じゃない。こんなところで会うなんて奇遇ね」

 

「……母さん」

 

「帰ってくるなら、一言連絡してくれればよかったのに。まったく、蒼海ときたら……」

 

 

 救いの女神か、地獄からの使者か。

 

 白髪交じりの灰銀の髪の女性はクーゴの母、刃金(はがね) 櫻華(おうか)。彼女が身に纏う薄紫の着物には、つがいの鶴が羽ばたいていた。

 櫻華の姿を見た蒼海は苦々しい表情を浮かべた。入れ替わるように、グラハムや『エトワール』たちが、やや慌てた様子で櫻華へ挨拶する。緊張している雰囲気が伝わってきた。

 相変わらず、櫻華は蒼海をこき下ろすような発言ばかり繰り返している。クーゴを上げて彼女を下すその語り草が、自分たちの溝をより深くすることに気づいていないのか。

 

 蒼海の眼差しがクーゴに突き刺さってくる。クーゴはそれを淡々と受け止めた。

 どうやら櫻華は地獄からの使者だったらしい。彼女は朗らかな笑みを浮かべて、言った。

 

 

空護(クーゴ)。せっかくだから、蒼海を鍛えなおしてちょうだい。胴着と竹刀、用意するから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胴着を来た男女が、コート内で向かい合う。男の身長は169cm、女性の身長は162cmのため、身長ではそうそう戦力差は見えにくい。

 

 『エトワール』――もといイデアたちは、コート外から試合を見守っていた。日本武術の1つである剣道を、しかもこんな間近で見たことはない。

 『夜鷹』の親友であるグラハムも、場の空気につられているのだろう。真剣な面持ちで、『夜鷹』と彼の双子の姉を見つめていた。

 2人は一礼し、竹刀を構える。姉の竹刀には激情が乗っていた。対して、『夜鷹』はぴんと背を伸ばし、静かに竹刀を構える。明鏡止水という言葉がよく似合っていた。

 

 姉の方は一刀流。対して、『夜鷹』の場合は二刀流だ。今回彼が使っているのは、通常の竹刀と脇差程度の長さの竹刀である。

 右手に脇差、左手に通常の長さの竹刀を持ち、独特の構えをしている。惚れ惚れする出で立ちだ。イデアは素直にそう思う。

 

 刹那も興味深そうに2人を眺めていた。文字通りの真剣勝負。自然と、自分の背中もしゃんとしてくる。

 

 

「彼が二刀流で戦っている姿を見たことはあるが、試合現場を見るのは初めてだ。……少女、キミは剣道を見たことがあるか?」

 

「ない。初めてだ。……変わった構えだな」

 

「剣道で二刀流使いと言うのは、相当の腕前を持っていることを意味しているらしいぞ」

 

「成程な。確かに、あれ程の佇まいならば、熟練の戦士であることは間違いない」

 

 

 いつの間に、刹那はグラハムと会話を成立できるようになっていたのだろう。妹分の変化に、イデアは頬が緩む。

 しかし、それはすぐに真剣なものに戻った。竹刀と竹刀がぶつかり合う音が響く。音が頬を打つ感覚に、イデアは思わず身構えた。

 

 攻めの手を打つのは姉の方だった。溢れんばかりの激情を込めて、『夜鷹』へ挑みかかる。まるで八つ当たりみたいだった。

 対して、『夜鷹』は防御に回る。勢いと感情任せに挑みかかる姉の剣を、迷うことなく打ち払っていた。そこに余計な雑念はない。

 グラハムが感嘆の息を吐き、拳を握りしめる。刹那も険しい表情で戦局を見守っていた。イデアもごくりと唾を飲み込む。

 

 2人は竹刀で戦っているはずなのに、イデアには金属同士がぶつかり合う音が聞こえてきたように思う。いつの間にか、2人が振るっている竹刀が本物の日本刀に見えた。

 

 姉と『夜鷹』は派手な鍔迫り合いを演じている。日本の時代劇でよく見る殺陣(たて)のようだ。ひっきりなしに竹刀同士/刀同士がぶつかる音が聞こえてくる。

 隙が少なく連続攻撃に走る姉に対し、『夜鷹』は鍔迫り合いが終わる度に距離を取って構えを直していた。しかし、姉はやや攻めにくさを感じているようで、あと1手が決まらないらしい。

 

 

「剣道では、一刀流の方が間合いや攻撃時に有利だと聞く。二刀流の場合、カウンター前提の戦略が定番だから攻めにくいと聞いたな」

 

「しかし、攻めにくいのは一刀流も同じか。反撃前提の戦術だとわかっていると尚更だ。……ふむ、いけるか」

 

「何がだ? 少女」

 

「なんでもない」

 

 

 あやうく『戦う者』の一面が出かけてしまったようで、刹那は慌てて取り繕った。グラハムはそれ以上追及しない。ラッキーである。刹那は拠点に戻り次第、エクシアで新しいコンバットパターンを試すつもりでいるようだ。

 彼女は食い入るように『夜鷹』とその姉のぶつかり合いを眺める。接近および格闘戦を得意としている彼女だからこそ、この動きは見逃せないものだと思ったらしい。イデアもじっくりその動きを見ることにした。

 

 

「アタシは、絶対にアンタを許さない」

 

 

 不意に、そんな声が聞こえた気がして、イデアは弾かれたように『夜鷹』の姉を見た。

 声の主は間違いなく彼女だが、一心不乱に攻撃を仕掛ける彼女が何かを言う余裕はない。

 

 

「アンタが大人しく死んでいれば、アタシはこんな人生を歩まなくて済んだのに!」

 

 

 でも、聞こえる。これは確かに『夜鷹』の姉の声だ。

 

 強い憎悪に満ち溢れた声に、思わずイデアは身を震わせた。その叫びと共に、『夜鷹』の姉が思い切り竹刀を振り下ろした。『夜鷹』の隙を突く、鋭い一撃。

 姉が嗤う。グラハムが「お」と声を上げ、刹那がはっと息をのむ。次の瞬間、『夜鷹』が目を見開いて踏み込んだ。獲物に襲い掛かる捕食者のように鋭い瞳は、己の勝利を見据えていたのだろう。

 この場を震撼させるような大きな音が響いた。一歩遅れてグラハムの「おっ!?」という声が聞こえた。何かが吹き飛んだような激しい音と一緒に、『夜鷹』の姉が転倒する。姉の一撃を止めたのは、小太刀ではなく太刀の方だった。

 

 『夜鷹』は小太刀で突きを放ったらしい。その一撃は、姉を吹き飛ばして叩き付ける程の圧倒的な打ち込みだった。審判役をしていた『夜鷹』の母親が、彼の勝利を告げた。

 グラハムがぱっと表情を輝かせ、刹那が感嘆の息を吐き、イデアは『夜鷹』へ惜しみない拍手を贈る。姉弟は向かい合って竹刀を戻し、厳かに一礼した。

 

 防具を外した『夜鷹』は汗だくだった。艶やかな黒髪が揺れる。防具類を外した彼の元へ、イデアたちは駆け寄った。真っ先にグラハムが『夜鷹』の元にたどり着き、先程の戦いを絶賛する。『夜鷹』はふっと笑みを浮かべ、照れくさそうに肩をすくめた。

 イデアも同じような言葉しか出てこなくて、それがもどかしかった。彼を讃える言葉が見つからない。ただすごいとしか言いようがない。次に会うときまではボキャブラリーを増やしておこう、と、イデアはひっそりと決意した。

 次の瞬間、竹刀を叩き付ける音が響いた。振り返れば、『夜鷹』の姉がこちらに背を向けている。防具越しから見てもすぐにわかるくらい、彼女の手は震えていた。憎しみに歪んだ顔をはっきりと見てしまい、イデアはびくりと身をすくめる。

 

 

「姉さん。道具に当たっても、どうしようもないだろ」

 

 

 『夜鷹』は静かにそう言った。

 

 

「私怨で剣を振るう者は、決して極みに達せない」

 

 

 その言葉が引き金となったのか、『夜鷹』の姉が崩れ落ちる。そんな彼女を、母親は激しく叱咤した。

 姉の背中を寂しそうに見つめていた『夜鷹』であったが、すぐに自分たちの方に向き直った。

 

 「着替えてから行く。待っててくれ」と言い、母親に「もう家を出る」旨を告げる。母親は『夜鷹』を引き留めたが、彼は首を振った。

 母親は残念そうな顔をしたが、2つ返事で頷いた。『夜鷹』も頷き、胴着から普段着に着替えるために道場を後にする。『夜鷹』はもう、姉へと振り返らなかった。

 静かになった道場で、姉の嗚咽が響いてきた。この場にいてはいけない。それを察し、イデアたちも外へ出た。もうそろそろ、夕方へ移り行こうとする時間である。

 

 

「彼はいつも、家族の話題を避けていたんだ」

 

 

 ぽつり、と、グラハムは呟いた。

 

 

「私は一度、彼に言ったことがある。『キミは、どこにいってもキミと血のつながる人間がいるんだな』と」

 

 

 その瞳は、空へと向けられている。

 空の向う側にある「何か」を見ているかのようだった。

 

 

「私は孤児だったからな。クー……『夜鷹』が羨ましかった」

 

 

 グラハムの言葉に、刹那が大きく目を見開く。何かを言おうとしたのだが、言葉が出てこない様子だった。

 

 

「思えば、家族の話題に触れないことが、彼なりの気遣いだったのだろう」

 

 

 孤児であるなら、家族という言葉に対する憧れは強いだろう。その想いを、『夜鷹』は知っていた。だから、壊したくなかったのだと思う。『夜鷹』自身もまた、家族という言葉は温かいものであってほしいと願っていたのではないだろうか。

 イデアは目を伏せる。自分の手でそれを壊してしまった刹那もまた、やるせなさそうにしていた。嫌な沈黙が場を支配する。グラハムは小さく咳ばらいすると、「私も女々しいな。そういうのを見ると、ほとほと呆れてしまう性質(たち)なのだが」と苦笑した。

 

 そこへ、着替えを終えた『夜鷹』がやってくる。時間を確認した後、彼は憂鬱そうにため息をついた。

 この時間帯だと、今日はもう、どこも回れそうにない。まっすぐ旅館にチェックインする以外なさそうだった。

 すまん、と彼は頭を下げる。グラハムはぶんぶん首を振り、満面の笑みを浮かべて見せた。剣道の試合で充分帳消しにできる、と。

 

 刹那もうんうん頷いていた。イデアも、首が吹き飛ぶんではなかろうかという勢いで頷いた。

 

 それを見た『夜鷹』は安心したのだろう。ふっと表情を緩め、歩き始める。彼の背に続いて、自分たちも歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このときのクーゴ・ハガネはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「そちらのクルーの中に、アニュー・リターナーを泣かせたライル・ディランディはいらっしゃいませんか!?」

 

「僕らの妹分を恋人にしておきながら、不貞行為を働いたライル・ディランディはいらっしゃいませんか!?」

 

「『悪の組織』第1幹部とその配下の者たちが、処刑準備を万端にしてお待ちしております」

 

「ライル・ディランディ、そこにいるなら今すぐ出て来い。一瞬で済ませる」

 

「安心していいよ。塵どころか、DNAの一遍すら残さず消してあげるから」

 

 

「完全に殺す気満々じゃないですか! 誤解だって説明したのに、ああもう……!」

 

「は、はは。アニューは愛されてるんだなぁ……」

 

 

(今にも死にそうな顔をしてる……)

 

 

 この世には、とても仲が良い『家族』が存在していることを。

 

 

 

 

 

 

「あの後俺たちはアロウズに招集されて、皆バラバラになっちまったんです」

 

「今の軍はまともではない! 非人道的な行為を繰り返している! しかも、その事実を国民たちに黙っているんだ!」

 

「俺、嫌です。こんなの嫌ですよ! 隊長はおかしくなっちゃうし、技術顧問のカタギリさんもおかしくなっちゃうし、アロウズの動きもおかしいし、下される命令は虐殺まがいのことばっかりだし!」

 

「アンタ、あの『グラハム・エーカー』上級大尉殿の副官なんだろ!? だったら早く仕事しろよ! 上級大尉殿(あのひと)の暴走を止めるのがアンタの役目だろうが!!」

 

 

「俺たちじゃ、どうしようもないんでさぁ……」

 

「もう、飛べないんです。自由に飛べないんです」

 

「お願いします。あの人たちを助けてください!」

 

「頼むから、帰ってきてくださいよ……!」

 

 

 

 愛すべき仲間たちの翼が、渦巻く陰謀によってがんじがらめになってしまうことを。

 

 

 

 

 

 

 

「前にも言いましたよね。『私怨で剣を振るう者は、決して極みに達せない』って」

 

「それが貴女の至った極みだというなら、俺がその妄執を断ち切る。私怨を糧にした暴力(ちから)なんて超えてやる!」

 

 

「俺たちが生きた過去(きのう)、俺たちが生きるであろう未来(あした)!」

 

「それらにつながる『今』この瞬間を、俺は全力で駆け抜ける! そのために剣を振るうんだ!!」

 

 

 クーゴの剣が、世界の明日を切り開く刃の1つとなることを。

 

 

 

 

 

「『彼ら』はどうなるんだろうな」

 

「さあ、わからん。だが、また何かあったら顔を合わせることになるだろう。対立するにしろ、共闘するにしろ」

 

 

「少なくとも、同じ空を飛んでいるんだ。それでいいじゃないか」

 

 

 

「歩いている道が違っても、今このとき見てるものが違っても。……辿り着きたいと願うべき場所は、同じだからな」

 

 

 

 そう言って、戦友たちに思いを馳せる日が来ることを。

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。