あの化け物を後始末した後に近くの診療所にて治療を受けにいくと、ディオは鎖骨を砕かれ、私は内臓を幾つか痛めていると診断された。
指が掠った程度だというのに骨を砕くとは、つくづく恐ろしい化物だった。
ディオの話では仮面に関するジョジョの研究ノートに、人間の脳には未知の器官があり人間が知らない能力が眠っている可能性が充分ありうるとのこと。
化物が見せた獰猛な能力。 それは古代人が脳に隠された能力を発見し、使用する為に石仮面を制作したのが原因であり、仮面から飛び出る骨針は人間の隠された力を呼び覚ますものであるという見解が私達の中で纏められた。
後半はディオの仮説だが、私も納得せざるをえなかった。
たかが仮面で超人染みた力を手に入れれるなど今だに信じられないが、目の前で見ていたのだから信じざるを得ないだろう。
私達が港町にて治療を受けた後に屋敷へ戻る頃には夜も更け、雷雲が辺りを覆っていた。
「ディオ。 嫌な予感がするわ、もう海外へ逃げましょう。 こんな時のためにいくつかの場所で準備をしてきたの」
「ふざけるな! あんな奴に俺に背を向けろというのか! 俺はあいつと戦うために戻るのだ、怖いのなら一人で逃げていろ」
ポツポツと降りだした雨から逃れるかのように、屋敷の中へ入ると様子がおかしい事に気がついた。
なぜ照明道具の一切が消され、こんなにも暗闇が広がっているのか。
「どうした執事!? なぜ邸内の明かりを消しているッ!」
ディオも屋敷の異変に何事かと声を荒げる。 不意にエントランスの奥で燭台に火が灯され、それを手に持つ人物が映し出された。
「「ジョジョ!」」
こちらを静かに睨みつけるジョジョの姿に怒りが込み上がる。
まだ2日しか経っていない、まだ、まだ大丈夫なはずだ。
そんな一縷の望みを賭け、さも友人のように接するフリをする。
「あ、あら。 ロンドンから帰ってたの、早いわね」
「そうだね。 解毒剤を手に入れ、父さんに飲ませたよ。 つまり、証拠を掴んだということだよティア、ディオ」
静かに威圧するように語るジョジョの言葉により目の前が真っ暗になる。
この7年間の苦労もそうだ、もう全て水の泡。 これから先はここを切りぬけたとしても犯罪者、下手をすれば一生陽の当らない生活になる。
私の胸中を嘲笑うかのように、続いて兄弟同然の生活だったのにだとか僕も辛いのだの綺麗事を言うジョジョに殺意が沸いてくる。
「ふぅ。 ジョジョ、勝手だが君に最後の頼みがある。 ……僕たちに自首する時間をくれないか?」
「えっ?」
近くにあった椅子に腰かけ、悲しげに目を伏せるディオが弱々しく呟いた。
普段ではありえない姿にうろたえるジョジョ。
なるほど、その手でいくのね。
「私達、あれから考えたのよ。 貧しい環境に生まれたせいで、くだらない野心を持ってしまった。 幼い頃に家族同然に育てて貰いながら、毒を盛って財産を奪おうだなんて……うぅっ」
「その証に僕たちはジョースター邸に戻ってきたんだよ。 逃亡しようと思えば外国でもどこへでも行けたはずさ!」
静かに私もディオも涙を流して罪の懺悔を行う。
本音をいえば全てアドリブなのだが、ディオも私も場所が違えば名役者となろう。
ほぅら、役に騙されたマヌケが近寄ってくる。 そう私が内心で確信した時、別の場所で燭台が灯された。
誰なのかと目を凝らしてみると、この屋敷の住人にしては妙に場馴れしているような雰囲気を感じる。 帽子を被り、顔に大きな傷がある男だ。
「おっと、『誰だ?』って顔をしているな。 おれぁ、おせっかい焼きのスピードワゴン! ロンドンの貧民街からジョースターさんにくっついて来たぜ!」
知らぬ顔のはずだ。 しかし、なぜ貧民街出身の男がこんな所にいるのだろうか。
余計なことは言わないで欲しいものだが。
「ジョースターさんッ! 俺ぁ暗黒街で生き、色んな悪党を見て来た。 だから悪い人間と良い人間の区別は『におい』で分かる」
まずい、こいつ余計なことをッ!
私が止めようとした時、私達の方へ男が燭台を蹴り飛ばしてきた。
「こいつはくせぇ――ッ! ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッ―――ッ! こんな悪党には出会ったことがねぇほどになぁ! 環境で悪党になっただぁ? ちがうねッ! こいつらは『生まれついての悪』だッ!」
燭台はディオの顔のすぐ横を通り抜け、砕け散った。
ポッと出のカスにここまで言われるのは屈辱以外でもない。 だが、ディオもそれは耐えていることだろう、私が台無しにする訳にはいかない。
続いて証拠の提示だとばかりに連れてきた人物に目を見開いた。
東洋の秘薬を私達に売ってくれた、あのアジア人だ。 もはやこれで私達が無実を勝ち取るのは不可能だ。
そして逃げるのも不可能だろう。 奥のカーテンが開かれ多くの警官達。 そしてジョースター卿と傍で顔を青ざめさせるメアリー。
「ディオ、ティア。 話は全て聞いたよ。 残念でならない……君達には息子と同じぐらいの愛情を注いできたつもりだったが……すまない、寝室へ戻るよ。 息子と娘が捕まるのを見たくはない」
「ジョースター卿……申し訳、ありません」
「ティ、ア様。 なぜ、このようなことを……私が至らなかったせいなのですか」
ジョースター卿の言葉に思わず言葉を詰まらせてしまう。
怒りでだ。 どいつもこいつも好き放題言ってくれる、だがそれも終わりだ。
自嘲するような笑みを浮かべ、ディオが椅子からゆっくりと立ち上がるとジョジョへと近づいていく。
「これで終わりか……最後の幕引きはジョジョ、君にやって欲しいんだ。 わがままを言わせて貰えれば肩を怪我していてね、手錠を少し緩めてつけて欲しい」
「わかった……ぼくが手錠をかけよう」
肩を固定する為にディオの左腕には大きく包帯を巻いている。
実際、ディオは肩を骨折しているがあそこまで多く包帯を巻く必要はない。
例えば、そう。 何かを隠したい時に多く巻くならば必要だろうが。
「ジョジョ、人間ってのは能力に限界があるなぁ。 俺が短い人生の中で学んだこと、策を弄すれば弄する程に予期せぬ事態で簡単に崩れるってことさ。 人間を超えるものにならねばな」
「なんのことだ? なにを言っているッ!」
穏やかに話しながらもゆっくりとジョジョとの間合いを詰めるディオ。
それでいい、雰囲気が変わったディオをジョジョが警戒しだしたがもう遅い。 射程圏内だ。
「俺は人間をやめるぞッ! ジョジョ―――ッ!!」
間合いに入ったとディオも感じたのか、左腕の包帯から隠していた石仮面を右手に持つ。
ジョジョはなぜここに石仮面があるのかと右手に注意がいき、左手に隠し持ったナイフが包帯を切り裂いていることに注意がいっていない。 これは確実に殺れる!
ジョジョが左手に持つナイフに気がついた時にはすでに遅く、刃先はジョジョへと向けて突き進んでいた。
「俺は人間を超越するッ! ジョジョ、お前の血でだァ――ッ!」
「うおあああ!」
「と、とうさん!?」
無様な悲鳴が響き渡る。
だが、その声の主は私が望む者ではなかった。
ジョージ・ジョースター。 ジョジョの父親、その人であった。 刺されそうになったジョジョの間に立ち、背中でナイフを受け止めたのだ。 ……だが、あの刺された位置からして間違いなく致命傷、いずれ死ぬだろう。
(ちっ、まぁいい。 もっと凄まじい恐怖の時間がやって来る。 そこで生き延びたことを後悔すればいいわ)
「奴を射殺しろ―――ッ!」
鮮血を撒き散らすジョースター卿の血を顔に着けた仮面に塗りたくるディオ。
以前見たことがある光がディオの仮面から放たれたと同時に警官達から一斉射撃を受け、衝撃で窓ガラスを割りながら外へと体が投げ出される。
腕に2発、胴体に5発、まず即死間違い無しの弾丸を受けていたが私の内心は大変穏やかだ。
目の前で父親が自分の身代りになり、もうすぐ死ぬであろう父を悲哀に満ちた表情で見つめているジョジョに愉悦を感じるからだ。
「仮面に気を取られて動けなかったマヌケの代わりに父親が死ぬ! 何て美談なのかしら、あははは!」
「こ、この外道めが! 何がおかしいッ! この小娘を捕えろ!」
余りに陳腐なシーンに思わず笑い声をあげていると、警官の中でも上等そうな服を着る眼鏡をかけた壮年の男性が部下達に命じ、私を床に押し倒すようにして拘束した。
かなり屈辱に感じる体勢だが、これもすぐに愉悦に変わる、それまで我慢だ。
「ティアの言う通りだ……僕が注意していれば避けられたはずのナイフをッ!」
「良いんだ、ジョジョ。 そんな顔をしないでくれ」
ナイフは深く背中に突き刺さっている。 故にかなりの激痛を感じるはずなのだが泣きそうな顔のジョジョを宥めるような温和な笑みを浮かべるジョースター卿。
その丈夫さは評価するが、あの紳士面した顔が恐怖と痛みで崩れるのを最後に見たかったものだ。
「あ、ちょっと。 そんなに女性の体を弄るなんて、マナー違反じゃなくて?」
「わ、わしの責任だ! わしが20年前に奴らの父親を! こいつらの父親を流島の刑にしていれば!」
「……私達の父親? ちょっと、そこの髪の薄いジジイ。 何の話か説明なさい」
拘束された私の体を弄り、次々と隠してあった武器達が若い警官に取り上げられる。
中には高価な武器もあった為、少し惜しい気持ちだがそれよりも窓際で頭を抱えている男の言葉が気になった。
先程、私を捕まえるよう周りの警官達に指示を出した眼鏡の男。 私の言葉に対して親の仇を見るような目で睨みながらも、20年前の出来事の話を語った。
事の発端はこの眼鏡の男が若かりし巡査の頃、質に流れた高価な指輪の出所を掴んだ時のことだ。
持ち主はジョージ・ジョースター、それもジョースター卿が妻と婚約した際に作られた、この世に2つとないプラチナと宝石で彩られた高価な指輪だった。
よりにもよって貴族の『婚約指輪』を盗んだのだ、犯人はすぐに掴まり、流島の刑へと処されることは確定だ。
人の大事な物を見つけた巡査は気を良くし、自分が捕まえた手柄を誇るように犯人の前へジョースター卿を連れていく。
すると犯人は我が父【ダリオ・ブランドー】だった。 ジョースター卿が馬車の落下の際に助けられた命の恩人と思っていた人物は卑しい盗人だったのだ。
ここまで話を聞いた時、私はここで一つの事実に気がついた。
こんな時、聡い自分が恨めしい。
(つまり命の恩人の子ではなく、下劣な悪党の子供だと知っていながら私達を養子にしたというのか?)
そんな事はありえないと私は首を振った。
一体それに何の得があるのかというのか。 困惑する私を余所に眼鏡の男の話は続けられた。
結果としてジョースター卿は大事な思いでであるはずの『婚約指輪』をダリオに差し出したのだ。
これは彼の者であると、貧困に苦しんでいるならば私も窃盗をするかもしれないと、最後に悪の人ではなく善の人になるようにと願って。
だが現実とは酷いものだ。
ダリオは更生せず悪党のまま、ジョースター卿がその子供達を養子に迎え入れれば、迎え入れた子供達に殺される。
滑稽だ、自分のくだらない
「あらあら、人を助けて良い気分になる代わりに死ぬなんて、何て悲しい事なのかしらねぇ?」
「ティアッ! 君って奴は!」
「……良いんだ、ジョジョ。 すまないがティアを私の傍に優しく連れてきて欲しい」
私が挑発するように周囲へ向けて、ほくそ笑んでいると激昂するジョジョとは対照的に穏やかにジョースター卿が止める。
父の言うことには逆らえないのか、厳しい目で私を睨みながらも手を取って立ちあがらせるとゆっくりと血に塗れ、倒れるジョースター卿の元へと連れていかれた。
恨みごとだろうか。 それとも騙し討ちで武器を隠し持っており、私を道連れにしようとでも考えているのか。
私が警戒するのを余所に、ジョースター卿は穏やかな微笑みで私を見つめていた。
「ジョジョ、2人を恨まないでくれ。 私がしっかりと愛情を伝えきれなかったのが原因だったのだ。 ……ティア、もう少し傍に座ってくれないか」
「はっ! 体のどこかに隠してある武器で私を殺すつもりかしら? それとも他の手でも考えて?」
上等だ、重傷を負った老いぼれに遅れを取る程に私は甘くない。
体のどこからであろうと武器を出した瞬間、それを奪い取って貴様に使ってやろう。
そう私が身構えながら傍へ座ることなど気にしないかのように、ゆっくりとその年老いた手が私の頭を撫でた。
「ティア、もう少し、もう少しだけ人を信じる『勇気』を持って欲しい。」
ゆっくりと頭に乗せられた手が赤子をあやすように動く。
優しく、温かな感触だ。 酷く心地良く感じる。
だが、これも嘘だろう。 人は死の間際こそ本性を曝け出す。 そのはずなんだ。
撫でていた手は降ろされ、私の手を優しく包み込む。 もう片方はジョジョの方へ置かれていた。
「悪くないぞ、ジョジョ、ティア。 息子と娘の腕の中で死んで……いくと……いうのは」
穏やかな表情のまま、ゆっくりと目を閉じるジョースター卿。
(恨みの言葉はどうしたの? 私を殺す手があるのではないの? ほら、早くしなさいよ!)
気づけば私は強く望んでいた。 私に危害を加える何かを。
だが私に触れている温もりを感じる手が急速に冷たくなっていく。
それが意味することはつまり、死亡したということだ。
元より致命傷の傷、ここまで生き長らえたこと自体が可笑しいのだ。
その時、私の心の中に強烈な亀裂が入ったのを感じる。
まるで傷などつくはずがない強固な城壁が傷ついたかのように。
しかし、代わりとばかりに冷たいはずの手から暖かなナニカが入ってくる。
それが私を安堵させ、私を作り変えてゆく。 そう感じた時、私は慌てて手を振り払いながら立ちあがった。
ジョジョが私を睨みつけている、君は何も理解しなかったのかと。
私は貴方のように受け入れる訳にはいかない、だが認めよう。
「……最後まで己のしたことを後悔せず、貫き通した信念に私は敬意を表する。 だけどね、ジョジョ。 私は受けいれる訳にはいかないの、もう変える訳にはいかないのよ」
「ティア、君は……」
私は心に大きな喪失感を覚えていた。
きっと、もう2度と現れないであろう私を愛してくれる他人を失ったからだ。
涙は見せない、私のような道を進みすぎた人間にはもう戻る道が無いのだ。
「ティア、罪を悔いる気持ちがあるならば僕はいつまでも待っている。 ディオの事は残念だけど」
「あら? その言い方だとがまるで
不敵に笑う私の言葉を察したのか、ジョジョがハッとした様子で窓の外を見つめる。
割れた窓、散らばった硝子、残された石仮面、そしてあるはずだったモノがないのだ。
「死体が……ディオ・ブランドーの死体が、無いッ!」
「警察の旦那ァ――ッ! 窓から離れろ!」
そう、石仮面を身に着けたディオがいないのだ。
過去の話をした眼鏡の男。 彼は居た位置が悪かったというしかない。
窓際にいた、それだけで窓の外から伸ばされた腕に狙われたのだ。
軽く叩くように手を男の頭へと当てる、それだけで男の頭がズリ落ちるかのように弾け飛んだ。
そして窓際の上から滑空するかのように、唐突に現れる我が弟。
「あ、あんなに弾丸をくらったのに生きているッ! それに警部の頭、どうやったらあんなグチャグチャに!?」
「ディオ! 止まれッ!」
動揺する警官達を嘲笑うかのように、何事もなかったかのように緩やかに歩を進めるディオ。
ジョジョだけはいち早く反応し、動揺する警官達から銃を奪うとディオへと構える。
だがそれだけだ。 ジョジョはゆるりと近づくディオに対して銃を構えるのみ。 何を躊躇することがあるのか? と、私が内心で嘲笑っていると発砲音が聞こえ、ディオの頭に小さな穴が空いた。
ジョジョの後ろで即座に銃を構えていたスピードワゴンが発砲したのだ。 しかし……。
「し、死なねえ! 頭を撃たれたのに……俺には分からねえ、なにが起こってるのかさっぱり分からねえ」
「ジョジョ……ジョジョ! 俺はこんなに素晴らしい力を手に入れた! 石仮面からッ! お前の父親の血からッ!」
頭部に空いた穴など気にしないとばかりに足を止めないディオは、動揺する者達を尻目に天井近くまで飛びあがると一人の警官の頭を鷲掴みにする。
警官の断末魔の叫びと共に頭に突き付けられた指から血液を吸われ、ミイラのように干からびていく。
「う、うわああああ!」
誰かが恐怖から叫び声をあげた。
ならば、ここはもうディオに任せていいだろう。 私はお役御免だ。
あらかじめ見つけておいたジョースター卿を刺したナイフを拾い、エントランスに続く扉へと走る。
皆がディオに注目する中、ジョジョだけが私が走る光景を目の当たりにしたがどうすることもできまい。
体当たりをするように扉を開けると続いて2階へ続く階段を駆け上がる。
だが登り切った所で一人の若い警官が私に気づき、その腰に下げている銃を抜こうとしている事に舌打ちをする。
駆ける勢いのままナイフの柄を鼻先に叩きつけて骨ごと砕くと、抜こうとした銃を奪い取る。
「……失せなさい、5秒以内よ、4、3、2!」
「ひぃぃぃ!」
悶えている無様な男に銃を突き付け、脅すとあっさりと階段を転げ落ちるように逃げ出す。
私が殺さなかったのは気分の問題だ、何よりこのナイフを誰かの血で汚したくなかった。
そのまま2階にある私の自室へと飛び込むと急いで隠していた金品、母のドレス、そして私のドレスで丁寧にジョースター卿を刺したナイフを包むと鞄に詰め込む。
私のドレスが血に塗れるが、そんなものよりこのナイフの方が私にとって価値がある。
(……全く、絶ち切るならば捨てればいいのに、私は何をこんなにモノに執着しているのかしら)
自分の甘さに反吐が出る。
それでも私は未練がましく、『父親』の遺品を手放すことを躊躇した。
他に必要なものはないかと部屋の中を見渡した時、私の鼻に焦げくさい臭いが入ってきた。
どこかで燃えるものがあったのだろうか。 ならば惜しい気持ちもあるがすぐに立ち去らねば。
私が入った時と同じく、勢いよく扉を開けるとすでに天井付近に黒い煙が漂う程に臭いが凄まじい。
エントランスへと向かうと私が先程いた部屋から凄まじい炎が出ていた。
「ンッン~? これはこれは麗しい姉、ティアではないか。 なるほど、部屋で必要な物を取りにいっていたのか」
「あら、まさか壁に立つ人から声を掛けられるなんて、私の人生で初めての体験ですわ」
声を掛けられた方向へ顔を向ければ、上機嫌なディオがその凄まじい脚力で壁に足を減り込ませ、垂直に立っている姿が目に入った。
それはいい、問題なのは私を呼び捨てにしたこと。 もはや私など眼中にない、敵などになりはしないと自信と力強さに満ち溢れている。
まさか、ここで私を用済みだといって始末しないか。 私は優雅な表情を浮かべながらも内心ではひどく焦っていた。
「ジョジョが鼠のように上へ逃げたもので追いかけているのよ。 ティア、貴様は外にいるであろうスピードワゴンとかいうカスを殺してこい」
「……はぁ、分かったわ。 もう姉さんとは言ってくれないのね」
私が渋々承諾したようにしていると、当然だとばかりに鼻を鳴らして上へと登っていくディオ。
私に利用価値があると見出したのだろうか、とりあえず役に立つ間は私を殺さないようだ。
火の勢いは予想以上に強く、すでにエントランスが火の海になりつつある為、私は裏手の窓から外へと逃げ出すことにした。
私が屋敷の周りにある林を通り、表へ周り込むと2つの影が燃え盛る屋敷の前で佇んでいる。
召し使いのメアリーとスピードワゴンとかいう奴だ。 私に気づいていない2人に対してほくそ笑み、警官から奪った銃の撃鉄を引き起こすと両手で構え、引金をひいた。
「うげぁぁぁ―――ッ! て、てめぇはティア・ブランドー!」
「テ、ティア様!?」
「うふふ。 貴方には会いたかったわ。 私のことをそう……えーと、何の臭いと言ってましたっけ?」
スピードワゴンの右足をまずは撃ち抜く。 よく見れば、左腕が変な方向に曲がっている。 確実に折れているような不自然さ、これは好都合だ。
無様な悲鳴をあげる奴の姿に少し胸がスッとする。
だがただでは殺さん、貴様が余計なことを言わなければジョジョが死んだのだ! 何もジョースター卿が死ぬことなんてなかった!
「へ、へへ。 何て言ったかって? ……てめえを育ててくれた父親を殺した奴だ。 こいつはくせぇ―――ッ! ゲロ以下の臭いがプンプンするぜッ! てめえは『生まれついての悪』だってなぁ!」
「こ、このカスがッ! 良いだろう、貴様はとことん苦しめてから殺してやるッ!!」
撃たれたというのに気丈に言い返すカスに激昂し、銃の撃鉄を引き起こす。
次は左足だ。 そう私が再び銃を構えると立ち塞がる者がいた。
「……あら? 私に撃たれたいのかしら? とは言っても、貴方も始末する予定でしたけど」
「ティア様! これ以上、罪を重ねないでください! お願いでございます!」
陳腐な台詞だ。 そんな台詞を吐き、スピードワゴンを守るように両腕を広げ、私との間に立ち塞がるメアリーを冷たい感情で見据える。
余りの陳腐さに激昂した感情が萎えた程にだ。
「あら、私にこのまま刑務所に入れと? そんな惨めな生活なんて真っ平だわ」
「私が、私がティア様を逃がします。 この身に代えても私はティア様の味方ッ!」
銃声が鳴り響き、メアリーが蹲る。
最後の言葉ぐらい聞こうとは思ったが余りにも幼稚で愚かな台詞だ。
聞くに値しない、そう判断した私はメアリーの左耳を打ち抜いた。
「私の銃の腕前もなかなかね。 狙った通りに当たったわ、それで……何か申しました?」
「っ、私、は、ティア様のお味方でございます。 私が不甲斐ないばかりに、こんな状況まで私は気付けなかった」
「お嬢ちゃん! そいつの相手は俺に任せて退いてなッ!」
痛み故に……いや、これは恐らく違う。
そう感じる程に、無くなった左耳から血を流しながらも私の前にメアリーは立ち塞がった。
その目に強い光を宿しながら。
気づけば、私の持つ銃が震えていた。 何を恐れているというのか。
「ど、退けッ! 退けと言っている! 私の味方ぁ? それなら邪魔をするな!!」
「私は、ティア様のお味方。 敵がいるならば私が守ります、そして悪からも私は……貴方を守りたい」
なぜだ。 こんなことをして何の利があるというのだ。
なぜ恐れない、なぜ自分を優先しない、なぜ一切の迷いなく立てるのだ。
(引金、そう引金を引けば終わるッ! 引け、引くんだ、引けティア・ブランド――ッ)
「……」
歯がギリギリと軋む、私が強く噛みしめながら震える銃をメアリーに照準を定める。
だがメアリーの目に迷いはなく、一切の恐れなく私を見据える。
その視線は覚悟を決めた者の目だが、目は私に対する悪意はなく、慈悲を与えるかのように穏やかな目だ。
何もメアリーは答えない。 もはや、言葉など不要とばかりに体で表している。
「はぁーッ、はあッ、ゴホッ! ひ、引け、引けば、何を迷う、必要がある」
他者から見れば可笑しな光景だろう。 何も持たぬ者が銃を持つ相手を追い詰めてるかのような光景なのだから。
気づけば無様に嗚咽を漏らし、心に強烈な亀裂が入るのを感じる。
そこで私は引き金を引く意思を固めた。 これ以上、私の心を傷つける者は許さないと。
だが―――。
『ティア、もう少し、もう少しだけ人を信じる『勇気』を持って欲しい。』
『悪くないぞ、ジョジョ、ティア。 息子と娘の腕の中で死んで……いくと……いうのは』
私のような人間を最後まで娘と呼んでくれた方の声が聞こえた気がした。
私が、認めたくはないが臆病な人間だと見透かされた気がした。
私に対して、本当に温かな温もりを手から与えてくれた。
私の、そう呼んでいいのか、父親の言葉を思い出した時、私は銃を降ろしていた。
「貴方達の血で手を汚すなんて、そんな汚らわしい思いはしたくないわ」
「ティア様……」
舞台の幕は降りていない、最後まで私は私すらも騙し、演じよう。
そんな時、燃え盛る屋敷から聞き覚えのある声が響いた。
「ギャヤアアア!!!」
「ああッ! こ、これはジョースターさん! 燃え盛る館からッ!」
もはや焼け落ちる寸前の館の窓を突き破り、ジョジョが体を燃やしながらも外へと飛び出してきた。 ディオの絶叫をその背に受けながら―――。
「そんな、う、嘘よ。 ディオッ!」
直感。 それが警報を鳴らし、私を動かした。
胸中に言いようのない不安が鳴り響き、私を近くの井戸まで全力で走らせ、あらかじめ置いてある水の入った木桶を頭から被った。
そのまま他に置いてある2つの木桶を手に取り、急いで気絶したジョジョが割った窓の中へと入っていく。
後ろで私を呼びとめる声が聞こえるが、そんなことで止まる私ではなかった。
燃え盛る炎と黒煙に視界を遮られながらも、私は細く燃えていない道を駆けて行く。
すぐに目の前にディオが現れた。 全身を炎で焼かれ、女神像に腹部を大きく貫かれた姿で。
「ぬ……抜いているひまがッ! 炎がァ炎が俺を焼いていくゥ!!」
「ディオッ! 今、水をかけるわ!」
木桶に入った水を迷わずディオにかける。 私に気づいたディオが驚きに目を見開きつつも、体に纏わりついた炎が鎮火し、激しく焼かれた後の無残な黒い肌を晒した。
続いてディオが大きく自分を貫いた女神像を引き抜こうと、力を込めるのだがボロボロに焼けた全身では力が入らないのか悶えるだけだ。
ディオが私の方へ必死な思いで目を向けてくる。
「ね、姉さんッ! 助けてくれ、抜けないんだ! 力を貸してくれ!」
涙ながらに訴えてくる我が弟。
私は薄くほほ笑んだ。
この弟と十数年過ごしてきた。 だからこそ、その言葉の意味が理解できるからだ。
私は静かに歩み寄り、女神像の傍へと座り込んだ。
「……おい、何をしている。 俺は助けてくれと言ったんだぞ?」
「はぁ、そうね。 だから来たんじゃない」
「俺が言ってるのはそんなことじゃない! なぜ、俺に対して
そう叫びながら私の首筋を強い力で掴む。
何を言っているのだろう、怪物となった貴方でも引き抜けないモノを私が抜ける訳がない。
そして怪物は人の血を糧とし、力とする。 それを私達は知っている、ならば答えは明白だ。
「……ふん、馬鹿めが。 何を考えてるのかは知らんが、姉さんも甘いんじゃないかぁ? えぇ?」
そんなことは言われずとも分かっている。 さっさと済ませればいい。
私はもう、少し疲れたのだ。 演じ続ける自分に、いや、演じる私も私だ。 そして弱い私も。
だが、私の首を掴む手は強まるものの、一向に血を吸われる気配がない。 どうしたのだろうと内心で思っていると、後ろからディオの低い声が聞こえる。
「最後に聞かせろ、あの橋で俺が怪物に襲われた時、あれは俺を思ってのことか?」
「そんな訳ないじゃない。 貴方に利用価値があると思ったからよ。 少しばかり私の血を吸えば大丈夫でしょう?」
そう言って、私は首筋を手で撫でた。
ふん、全く。 ディオがいなければ私は外に出ても危険だ、少しばかり血を分けるぐらい何ともない。
そんな私の考えとは裏腹に、不意にディオが首筋を撫でる私の手を掴んだ。
「……そうか。 知っているか? 姉さんは強い思いがあるモノに対してのみ嘘を吐く時、首筋を『撫でる』癖があるんだ」
「ッ! へぇ、知らなかったわね。 それがどうしたのかしら?」
大きく心臓が跳ねあがる。 正直知らなかったのだ、確かに考えてみればどうしても欲しい物や強く思うモノに対しては首筋を撫でながら嘘を吐いていた。
しかし、それがどうしたというのだ。 私がそう思った時、私の首を掴む手が離れた。
何事かと振り向くと、天井の方へ顔を向けながら偉そうに腕を組むディオ。
「ふんっ! 興が冷めたわ! 貴様の血などに頼らずともこの程度、脱出できる。 気が変わらん内にさっさと行けッ!」
全身が真っ黒に焼けながら傲慢に振る舞う我が弟。
今まで見てきたが、ここまで下手な嘘など聞いたことがない。
そう思った時、後ろで崩れる音が聞こえ、振り向くと私が通ってきた道が天井から降ってきた瓦礫で塞がった。
周りの猛火による高温と黒煙により、意識が朦朧としている私はたまらず床に身を投げ出した。
「うふふ、どうやら私を逃がしてはくれないらしいわ。 ……終わりね」
体を仰向けにして見上げる弟は私を見ようとせず、天井を見つめていた。
必死に、何かを我慢するかのように。 ……何を躊躇しているというのか。
「おい、まだ生きているか? 人は死んだらあの世へ行くというが、俺達は地獄行きだろう。 どうする?」
「そう、ね。 地獄、なら、あのクズもいるでしょうし、殺して、周りを支配しましょう」
「ふははッ! それは良い、なかなか面白い提案をするじゃないか」
全身から汗が噴き出る。
まるで日常にいるかのように気さくに話しかけてくるディオに対して、私は息も絶え絶えに返事をする。
どこか、穏やかな雰囲気だ。 私はそう感じた。
「……なぁ、もしも母さんのいる『天国』へ行ったらどうする?」
珍しい。 母さんの話もそうだが、こんなにも弱気に感じるディオの声もそうだ。
だがその質問なら、答えは決まっている。 私の口元が厭らしく弧を描く。
「『善人のフリ』をして母さんに会いにいくわ」
思わずといった様子で、驚いた顔のディオが私の方へと振り向く。
その顔もそうだが、何をそんなに驚くことがあるのか。
「「ぷっ、あはははは!」」
たまらず、顔を見合わせて笑ってしまう。 まるで子供の頃に笑い合った頃のように無邪気な笑い声を響かせる。
私達はそう、悪人なのだ。 不敵に最後まで笑おう。
そして、最後だけは自由に過ごそう。
天井から軋む音が聞こえ、私達の時間が残り少ないことを知らせる。
もはや体の自由が利かなくなってきた私が体を起こそうと腕の力を込めるも起き上がれない。
だが私の体を優しく、両手で力強く支える腕が私を持ち上げた。
私の可愛い弟だ。 やっと顔が間近で見れた。
私は震える両手を弟の顔に添えると、そっとその額にキスをした。
「おやすみなさい、ディオ。 愛しているわ」
そういえば、子供の頃はこうして寝る間際にしたものだ。
いつからしなくなったのだろうか、私達が互いに信頼をしなくなった時からだろうか。
私を見つめる弟の瞳がひどく優しげに揺らいでいる。 あぁ、こんな表情は小さい頃以来だ。
今、私は間違いなく心が『幸福』で満ち溢れている。 こんな近くに私が望む者はいたのだ。
己を愛し、愛せる他人を。
「おやすみ、ティア姉さん。 俺も姉さんのことを―――」
世界や運命、神様というものは非情なものだ。
最後の言葉を聞けないまま、私は上から降ってきたナニカに押しつぶされ、視界が暗闇に染まった。