これがトニオさん効果か……定期的に見て拝んでモチベーション上げていこうかな。
空気中にパラパラと舞う氷の破片が月明かりに反射し、幻想的な輝きを醸し出している。
とても心躍る光景だ。 その氷の破片が奴の砕け散った左腕だということが更に私の心を喜ばせてくれる。
「GUU、MUOO……!! こ、これは一体どういうことだ? 貴様、まさか俺を」
「ンンンー? 良いぞぉ。 悲鳴ではないがその苦悶の声、実に心地良い。 正々堂々ぅ? 決闘の作法ぅ? くだらんなァー! そんなものに付き合う奴など愚か者の極みよ、フフハハハハハ!」
一瞬の静寂の後に苦しげに顔を歪め、粉々に砕かれた左腕の先からは間欠泉のように血液が噴出している。
私を恐怖に陥れる存在が今、苦しんでいるのだ。 この胸から迸る喜びをどう言葉で表現したものか。
そうして、段々と奴も事態を理解したのだろう。 奴の表情が険しくなるのが何よりの証拠。
怒りが沸点に到達する前に私は身を翻してその場から逃げ出す。 ここまでは良い、全て順調だ。 程なく奴は怒りのままに私を追いかけてくるだろう。
敵を騙すには味方から、という言葉を私は聞いたことがある。
思うに騙す側が真実だと信じきっている時、例えそれが嘘の言葉だとしてもその場においてその言葉は語り手、聞き手にとって真実と化す。
何せ、本人が全く騙す気がなく心の底から信じているのだ。 聞き手はどうやってもその場に留まる限り、語り手が嘘を吐いているようには見えないだろう。
そう、私が真に騙したのは私自身だ。 決闘の作法だとか、戦いの美学だとかそんなものの魅力は私には全く理解できない。
だからこそ、鏡の中の暗示で戦いに誇りを見出す
暗示が解ける条件は攻撃を受けた時、奴の身体に触れたときの2つ。
リスクも非情に高いがそれに見合う価値がある。 それほどまでに奴の片腕を奪ったことは大きな戦果だ。
「以前、柱を削りきる程の威力を持つ暴風……『神砂嵐』という技名だったかしら? ジョセフから聞いた話では両腕を使用する技だそうだけれど、おや? 左肘から先の腕が無いではないか、それでお得意の技が出せるのかな?」
「……」
柱の間を縫うように走り抜け、先程いた場所と同じように月明かりが差し込む場所へ出ると足を止める。
ここで良い、振り返れば予想通りワムウが追ってきている。
返事は無いがその理由は一目瞭然だ。 男の全身の筋肉が異常な程に膨張し、血管は浮き出るばかりか皮膚を突き破り、破裂して所々出血までしている。
全てはそう、怒りの感情が極限まで高まっているからだろう、言葉すら失う程に。
その怒気を一身に受ける私は平静を装っているが、内心で死の錯覚を覚え、肌に纏わりつく空気は実体を伴っているかのように重く感じる。
我が内なる恐怖の化身が目前に現れた所で、私の心は決まった。
挑発するかのように服の裾から大袈裟に手榴弾を取り出し、ピンを抜くと無造作に相手の方へ投げる。
気の弱い者ならば、心臓が止まるのではないかと思える程に眼光だけが異様に光っている。 そうして、私への視線を一切外さぬまま目前にて弾けた。
閃光と爆音、煙が巻き起こり晴れた先には仁王立ちのまま全身から血を流すワムウがいる。
避けない理由は良く分からんが、それで良い。 奴には怒りで周りが見えまい。 背後の柱の頂点、頭上から降り注ぐ2つの影が。
「食らうがいい、柱の男よ! 空中から繰り出す
頭上から現れたシーザー、そしてダイアーの2人。 手榴弾の爆発は奇襲を許可する合図。
奇襲だというのに馬鹿が叫ぶ時よりも前、ワムウの体がピクリと痙攣したかと思えば流れるように両腕を地面につけ、まるで知っていたかのように海老反りの体勢で右足を打ち上げた。
迎撃されるとは思わなかったのか、吸い込まれるようにダイアーの胸部へと蹴りが叩き込まれ、重なるようにシーザーも突き上げられたダイアーと共に吹き飛ばされる。
「影に入った貴様等が悪い。 俺は自分の影に入るものを無意識の内に反射的に攻撃してしまう癖がある。 月明かりで俺の影が出来、その影に入った己の不運を恨め」
「がふっ、ば、馬鹿な。 ハッ!? ダ、ダイアーーッ!!」
宙を舞う木の葉のように2人が吹き飛ばされたもののダイアーが緩和剤となり、吐血はしているものの無事な様子のシーザーとは別にまともに喰らったダイアーは心臓部分が陥没し、ピクリとも動かない姿が目に入る。
恐らく悲鳴をあげる暇もなく一瞬の内に死亡したのだろう。 先程まで無様に叫んでいた姿が嘘のようだ。
(マヌケ共が、最大のチャンスをみすみす逃すとは所詮捨て石程の価値しかないか。 ここは様子を見る為にも少し下がるべきか)
奴の攻撃力の源である神砂嵐、それを封じた今がチャンスだが奇襲が失敗した今、正面から戦うのは片腕を失っているとはいえまだ私の方が分が悪い。
シーザーに注意が向いている内に後ろへ下がろうとした時、それを見透かすかのように憤怒の顔を浮かべるワムウが私を睨む。
「どこまでも姑息な奴等よ。 あえてだ、そうあえて貴様の言葉で返そう、このワムウの力と技で全力で叩き潰す!!」
ボコリ、と鈍い音と共にワムウの胸部から管のような細長い突起が幾つも浮き出てくる。
一体何をするのかと注視していると、耳に空気を吐き出すかのような風が流れる音が聞こえる。 白い霧のようなものがその管から吐き出し、身に纏うかのようにワムウの体を包み込んでいくとその変化は目に見えて起こった。
視界から消えうせたのだ。 向こう側の景色、柱が見えるがどうにもその光景は一部が不自然に揺らぎ、その揺らぎは人型を模っている。
そして合点がいく、奴はあろうことか限りなく透明に近い肉体を得たのだ。
「馬鹿な!? よ、よく見れば肉体の輪郭がぼやけて見えるがここまで透明になれる技など存在するものなのか? シーザー、貴様ならあの技の原理が分かるか?」
どのような原理か全く見当もつかない。 そうして視界に映る揺らぎが遺跡の奥、暗闇の中へと紛れ込むと視認することはもはや不可能に近い。
これでこの月明かりから抜け出し、暗闇の中を逃げるのは自殺行為に等しくなった。
それはシーザーも感じたのだろう、即座に起き上がり互いに背中を合わせるように中央へ立ち位置を変える。
「ま、待て。 少し考えさせろ! 奴の技の根本にはそう、『風』だ。 消える前に胸から妙な管を出していたが、あれから確か空気が――」
動揺しながらも思考は進められ、シーザーが何かを掴みそうな雰囲気だ。 ならば、私は時間稼ぎをするまで。
「姿を消すとは、この卑怯者め! 貴様も戦士であるならば姿を現して堂々と戦え!」
「……貴様が、貴様がそれを言うか! もはや語る言葉など無し、その煩わしい口を永遠に閉ざしてくれる!」
声がする方向へ視線を向けても、そこには暗闇が広がるばかり。
まずい、完全に奴は私を躊躇なく殺す気だ。 奴の技の原理、それさえ分かれば対処方も――。
「分かったぞ、ワムウは自分の体の周りに肺から管を通して水蒸気の渦をまとわせているんだ! 目的はその光の屈折現象! 奴は水蒸気をスーツのように纏っている、だからこそ透明のように見える!」
暗闇に光明が差し込むように、背後からとても喜ばしい声が聞こえる。
常人ならばパニックに陥り、ついつい辺りを警戒することに集中するか、錯乱するかのどちらかだろう。 良くぞ冷静に思考を続けたものだ。
「だがどうする? この視界の悪さでは奴の先手を許さざるを得ない今の状況は明らかに不利! せめて奴の居場所を―――」
「うろたえるなシーザー・ツェペリ。 奴の技の性質が分かった今、対処『可』能よ! WRYYYAAAAA!!」
両手首を爪で切りつけ、一瞬の内に全身の筋肉を震わせることでその流れる血液を沸騰させる。
円を描くように周囲へ血をばら撒き、空気に触れ冷えた沸騰血からは大量の湯気が発生する。
先の光景すら覆う程に濃い蒸気が辺りに満ち、むしろ更に状況を悪化させたかのように見えるがこの
辺りに満ちた白い蒸気が吸い寄せられるように、ある方向へと導かれていく。
「「上だ!!」」
奴が透明になる為に空気の渦を纏うならば空気中に漂う湯気も同じく取り込まれる。
蒸気が一斉に上に向けて吸い込まれるように動く様子を捉え、見上げれば白い光景の中にぽっかりと穴が空いたように人型のナニカが映し出されていた。
そう、とても間近に。
気づくのが遅かった、奴は既に飛びあがり空中から自身の射程距離内まで近づいていた。 回避行動を取るも間に合うかどうか。
「あっ、ぐぅっ!?」 「うぉぉ―――ッ!?」
豪腕が振るわれ、身を投げ出すかのように横へ跳んだ私の体に衝撃が走った。
吹き飛ばされるように地面へ接触する際には激痛に顔を顰め、触れられた箇所が腹部だということを痛い程に主張している。
(っ、腕、足は動く。 背骨はやられてはいない、だが内臓をしこたま持っていかれた。 これでは動きに支障が出てしまう)
傷の具合を確認し、手足が動くために背骨を損傷するという最悪の事態は防げた。 間一髪、避けなければ胴体そのものとおさらばしている所だろう。
だが、私の横腹にはまるでボウリングの球のように大きな穴がポッカリと空いている。 吸血鬼である私には致命傷ではないが、今この状況においては非情にまずい。
まだ残っている湯気の流れは先程、私達がいた場所に向かっている。 ワムウもこの視界の悪さを警戒して立ち止まっているか、またはシーザーが何かをしているのだろうか。
(ど、どうする? 退こうにも出血による臭いと痕跡でまず逃げ切れん、かといって立ち向かうにもこの傷では……! い、いや、待て。 そうだ、アレがあるはずだ。 こんな所で死ぬ訳にはいかない)
地面を這う虫にように、私は両腕を動かして辺りを必死に探した。
内側から止め処なく、いや相対した時から狂おしい程の恐怖を感じる。 それを悪意に変え続け、とうとう我慢の限界まで達しようとしていた。
もはや、躊躇はしない。
場所は覚えている、だからこそ付近を捜した時に目的のモノはすぐに見つかった。
ソレを掴み、指を突き刺し、今だ内に残る生命力を私の傷の修復へと回す。
そしてようやく湯気が晴れ、今だ半透明になったワムウと相対するシーザーの視線が私へ注がれる。
「―――き、さま。 な、何をしている? 自分が何をしているのか分かっているのか吸血鬼!!」
私も一部しか見えなったがようやく見えた。
空高く掲げた脈打つ指の先、血液を吸い取られミイラのように干からびていくダイアーの死体の全てが。
腹に空いた穴は既に塞がっている。 死後間もないダイアーの体に残った生命力によってこの傷を癒せたのだ、喜ばしいことだというのにこの心のざわめきは何だ。
「私は、間違ってなどいない。 無価値の死体に、ただの物に私の糧となる役目を与えたのだ。 こいつを見ろ! 死ねば内に秘めるあらゆる幸福を奪い去られ、無様な骸を晒すのみ! 故に死は生において恐怖でしかない、私は恐怖を無くす為ならどんな手段でもとる!」
「その死体の男と貴様の関係は知らんが仮にも肩を並べ戦った者を餌とするか。 下衆な奴め、恥を晒してまで生き延びたいか! 貴様は最後にゆっくりと必ず殺してやろう。 まずはそう、シャボン玉を使うシーザーとか言ったな。 貴様からだ」
汚れたモノを見るような蔑みの視線を私に向け、最後に苦しめてから殺すと暗に含んだ言葉と共にワムウが背中越しに振り返った時、不自然にその動きを止めた。
振り返った先には先程まで怒りをぶつけていた男、シーザーがまるで幽鬼のように立ち上がり、静かに前を見据えていた。
「人間は『受け継ぐ』生物だ」
涼しげな表情と共に言葉が紡がれ、左右に掲げた両手からは薄い透明の円盤状のものが浮かびあがる。
「貴様ら化物共にとって無価値に見える人間の死は残された者達が未来に受け継ぐ限り、決して無駄にはならない! 人の魂を、記憶を、そして技を未来に受け継ぐ人間の強さを見せてやる! まずは貴様からだワムウ、爺さんツェペリが使った波紋カッターの応用編『シャボン・カッターッ!!』」
風切り音と共に薄い円盤状の物体がワムウに吸い寄せられるように放たれ、その身に纏う風を切り裂いてゆく。
「ワムウ、貴様の風のプロテクターはまるで換気扇よ! 身を守るどころか逆に俺のシャボンを吸い込んでいくぜッ!」
「SHHHHHYYYAAAA! こ、こいつの波紋の強さ、予想以上にッ!!」
私の目の前で恐怖に屈さぬ化物
その光景を目の当たりにすると私の全身は震えだし、手に持つ剣も小刻みに揺れている。
(なぜあの人間は恐怖の片鱗すら見せずに立ち向かえるのだ、超人的な力を持つ化物を前にして。 しかもそれを追い詰めるとなれば奴もまた人間ではない、化物だ。 あんな恐ろしい奴等が存在するのを許せない)
切り裂かれた全身から波紋に焼かれた煙が噴出し、明らかに致命傷に近い傷を帯びたワムウは放っておいてもシーザーが容易くトドメを刺すであろうこの状況。
だというのに震えたまま剣を握る私の力はより一層強くなり、足が膝を突いたワムウの元へと歩み出す。
「もはやその傷ではまともに動けまい、このまま遠距離から再度シャボンを放てば俺の勝ちだ! 喰らえ『シャボンカッターッ!』」
「ヌゥゥ……このワムウが、こんな醜態を晒すとは。 認めよう、シーザーとやら貴様はこのワムウが全力を尽くすべき相手と見た!」
シーザーの手元から再度放たれた円盤状の物体が迫る中、ワムウの胸部に生える突起物から再び風の流れる音が聞こえだす。
再び風の鎧を身に纏うかと思えば音が先程と違う。 吐き出すというよりも『吸い込む』ような音だと感じた時、身に迫るシャボンカッターが瞬く間に切り裂かれた。
「我が風の
見れば頭部の角より空気が歪む一筋の線が延び、それを頭部を揺らすことによって調整し、線の内に入るカッターを全て切り落とした。
その異常な切れ味はほんの少し触れた石の柱をもバターのように切り裂き、そのまま顔を青ざめさせたシーザーへと振り下ろされる。
咄嗟に後ろへ全力で跳んだシーザーに迫る風の刃が庇うように差し出された腕を吹き飛ばし、肉体をも切り刻む。
驚愕の声も、悲鳴をあげる間もなく2人の優劣は私が数歩進んだ時には逆転していた。
「……っ、空気を吐き出すではなく、取り込み圧縮したことによって生み出される切れ味。 俺のカッターをも上回る威力……もはやか、勝てないのか」
ボトリと言葉の後に落ちたシーザの右腕、腕を代償にしてまで体を庇ったお陰か体が真っ二つになる即死だけは免れたようだが肘から先が無い右腕から噴出する血液、そして自分の技が破られた事によりシーザーの戦意がみるみる失われていく。
そうして後はトドメを刺すだけといった時、私はワムウの元へと走り出す。
そんなことをすれば当然の事ながら私が走り寄ってくることに気づき、無造作に手で蝿を払うかのように風の刃が横薙ぎに迫る。
哀れ私は叩き落される虫ケラの如く、胴体を真っ二つにされるだろうと誰もが予想しただろう。
だが風の刃は私の体の手前で停止し、無理やり引き戻されるように離れていく。
「貴様『赤石』を盾にッ! そのような卑怯な手が何度もこのワムウに通じるとでも思うたか!」
そう、私の体を守るかのように手に持つ赤石を風の刃へと差し出し、自ら退かせたが故に私は無事だった。
それは風を操る術者からすれば余りにも怒りを誘う手だろう。 何せ、己の主が求めて止まないモノを人質にされたも同然なのだから。
されど相手は強者、このような小賢しい手など無駄だとばかりに風の刃を操り、上下左右に死の刃が我が身に迫りくる。
地面すら無いも同然とばかりに切り裂き、下から迫る攻撃。 少し弛みを持たせて後頭部をまるで槍のようにピンポイントで狙うなど驚愕の技を繰り出すもその先に敵ではなく赤石が先回りをするかのように差し出されている。
「なぜだ、なぜ俺の攻撃の先に赤石を置けるのだ? 卑怯者にこのワムウの技が見切られることなどあってなるものか!」
私は常に術者の頭部を見つめ続けている。 この技の性質は線である刃を見るのではない、『鞭』として見るべきなのだ。
風の鞭、それがこの技の性質であり、鞭の軌道は全て術者の手元……この場合は風が噴き出す頭部の動きを見れば攻撃を読むのは非情に容易い。
シーザーの技と腕を切り落とす際の動きを見てすぐさま理解できたこの技の性質。 私が武器に長けているが故に理解できたことだが奴には理解できないようだ。
何せ、動きを見ていれば分かる。 こいつはこの武器を頻繁に使用していない、上手く使ってはいるが扱ってはいない。 ならば怖くない、強力な武器に
そうして懐から道具を取り出し、赤石を盾にしながらも『細工』を施し、我が恐怖の存在へと歩を進める。
「こ、こいつ信じられんことだが見切っている! この俺の技をこんな怯え切った奴が!! ならば仕方がない、このワムウが直接殺してくれる」
管を内に収め、傷ついた体ながらも迎撃の態勢を取る聡明さに私の心が跳ね上がる。
だが私は歩みを止めない。
それは勇気故にか? 私は違うと答えよう。
それでは自暴自棄になったからか? 私は違うと答えよう。
(こいつはやはり私よりも強い。 えぇ、知っているわ。 だから怖い、だから消さないといけない、私を脅かす強い存在が何よりも許しがたい)
それは悪意故にか? 私はYESと答えよう。
私を脅かす優れた者の存在が何よりも許せない、ただそれだけだ。
そうして眼前に許されざる者が間近に迫った時、私はピンを抜き、赤石を真上へ放り投げる。
奴の体が動揺により大きく揺れる、ここへ迫る前に赤石に糸で巻きつけた手榴弾のピンが目の前で抜かれたのだから当然だろう。
「選べ、相手をするのは『私』か『赤石』か? 答えは出ているでしょうがねぇ、フフハハハハッ!」
「ムウウ、おのれ最後まで小癪な奴!」
奴にとって赤石に万が一ヒビでも入れば無価値も同然。 血相を変えて真上へと手を伸ばし、私への迎撃準備を怠らざるを得ない。
それも当然だろう、気が遠くなるほどの年月を賭けて求め続けたであろう物が目の前で壊されようとしているのだ。 誰だって阻止しようとするだろう、それが本物ならばだが。
ワムウは真上にある赤石へと右腕を伸ばした。 赤石を腕の中へ納めて爆発より守ろうとしているのだろう。
私は剣をあえて右側より首元へと伸ばし、体ごと迫る勢いで突き刺さんとする。 当然の事ながら、ワムウは残った右手で剣を弾き、そのまま私を弾き飛ばさんと腹部へ拳を突き出す。
私は剣を突き出した勢いそのまま左腕の中に仕込んで置いたナイフを鮮血を撒き散らしながら取り出し、互いが互いの攻撃を喰らいながらも同時に当てた。
刹那の内に閃光と熱風が吹き荒れ、爆発の時間が訪れる。 全身を焼き尽くす痛みと手榴弾の破片が刺さり続ける地獄、それでも尚喰らい着いた牙を離さないとばかりに踏みとどまり、煙が晴れた時には勝負はついていた。
首に深々とナイフを突き立てられ、大木のような太い首が凍り付き、全身を小刻みに震えさせながらも体を動かせないでいるワムウ。
対して私は手榴弾による全身の火傷、破片の裂傷を負い、そして視線を下に逸らせば一体化するように私の横腹へと奴の巨腕が刺さっている。
てっきり同化などせず、吹き飛ばすつもりだと思ったというのにどういうことなのか。
いや、そんなことはもうどうでもいい。 互いに傷を負ったが奴はもはや指一本も禄に動かせない致命傷。 後は赤子の首を折るかのように頭部を凍らせ、砕け散らすのみ!
「か、勝った! マヌケめ、貴様がご大層に守ろうとした赤石はただの『贋作』よ! えぇ? 死を間際にした気分はど――」
勝利を確信し、死を間際の絶望しきった顔を拝んでやろうと視線を上げた時、声が凍り付く。
私は再び、心の底から恐怖する感覚を味わうこととなった。 その表情には怒りや苦しみといった感情などなく、ただ一点の意思だけが強烈な眼光となって宿る。
「このワムウ、敵を楽に勝たせる趣味はない。 受けた傷も、我が肉体と能力の全てを利用して勝利を掴む!」
純粋なる殺意。 その一点が私を射抜き、ピシリと何かが砕ける音が聞こえる。
あろうことか自ら氷ついた首に力を込め砕くと頭だけとなった状態で私の元へ降ってくる。 何事かと目を見開いた瞬間、頭部に生える角が伸び、高速回転までする始末。
罪人に死を与えるべく、ギロチンのように文字通り頭のみで降ってくるのだ。
奴が私の体を拳で突き飛ばさず腕ごと一体化した意味がようやく理解できた。 奴は自身の体を楔とすることで私の動きを封じ確実に殺す布石を撒いていたのだと。
そうして目前まで迫る死を退ける為に反射的に右腕で弾き飛ばしにかかる。 だが、そんなちんけな反撃などお見通しとばかりに角を横薙ぎに払うと私の腕をまるで挽き肉のように削り取り、右腕を削り飛ばした。
「この死にぞこないがァァァァァ! 私の前から消え失せろォ!!」
私は最後の手段に出る。 僅かだが、腕を犠牲にしたことにより瞬き程の猶予が出来た。 その間に準備をしていた私の目から体液の弾丸が弾け跳び、奴の額を貫き吹っ飛ばす。
助かった。 そんな束の間の安堵もそのままに私は息苦しさを覚えた。
緊張のせいではない、文字通り呼吸が出来ずたまらず首元に目を向けると少し離れた死に繋がる糸に気がついた。
「言ったはずだ、貴様は『必ず殺す』と。 もはや逃れる術などあるまい、ここで仕留める!」
その糸……いや、ワムウの髪が首にツタのように絡みついているのだということに気がついた時、視界が崩れた。
死は逃れられない。 伸ばした髪に力を込め、再び私に迫らんとする死を前にして絶望が意思と肉体を支配する。
氷ついたままの左腕は使えず、楔として打ち込まれたワムウの肉体を外す時間もない、絡みついた髪を外す時間も同様だ。
(身を削ってまで勝利を求めたというのにこの様。 私は正しい、強いティアのはずだというのにこんな馬鹿なことが起こるなんて……私が間違っていたというのか?)
肉体が敗北を認め脱力し、心は絶望に犯され一つの表情を模ってゆく。
エシディシに敗れ、軟弱だと蔑んだ以前の私の最後と同じ力のない笑みだ。 全てを諦めた者の笑顔。
この『私』でも駄目だった。 だったら正しい私は誰だ? あぁ、私のはずだったというのに。
そうしてどこか遠くで劇を見ているかのような気分で見ていた私の視界に変化が訪れた。
切欠はそう、ワムウが視線を私から横にずらした所からだ。
一切視線を逸らさず、私を殺すことだけを考えていた死の意思が揺らいだ。 ゆっくりと目が見開かれ、その表情が段々と険しく、怒りに満ちてくる。
(一体、何が―――)
そう感じた時、私の視界の端から光輝く靴が飛んできた。 いや、靴には足がついている。 そうして伸びた足の先には胴体もついている。
そして顔を見た時、全てを理解できた。
シーザー・ツェペリ、あの瀕死のはずの男が矢の如く飛来してきたのだ。
「これが俺が出せる最後の波紋。 じっくり味わいやがれ『波紋蹴り!!』」
「き、貴様。 その体でまだ動けるか! MUUUOOOOOO!!」
ワムウに波紋を纏った蹴りが触れた瞬間、一際大きく火花を散らせ、私に纏わりついていた髪を千切りながら吹き飛ばした。
頭が柱の一つに激突し、少しめり込んだ為か時間を置いて落下した際には波紋の傷の証である煙が幾つも噴き出す。
「あう……うう……み、見事だ。 我が肉体を犠牲にし、尚勝利を求めても敗北するとは。 フフフ、そうか戦いとは元は『生きる』為に行うもの。 いつしかそれを忘れ戦いを楽しみだした俺がお前に負けるのは必然だったということか」
「まだ喋る元気があるのか。 ならば尚のこと、一族の仇を取る為にもここでトドメを刺す」
波紋を受けて尚不敵に笑うワムウに余力があると判断し、体をふらつかせながらも仕留めるべく歩み寄った時、シーザーの動きが唐突に止まった。
「どうした? なぜトドメを刺さない。 何ら躊躇することなどあるまい、俺は貴様の敵であり仇なのだろう」
「……ふん、その大量の煙。 明らかに波紋傷による煙だ。 量からして致命傷、いくら貴様とて耐えられるはずがない」
「そうか。 以前なら俺はそれを甘さだと感じ、弱みだと思っただろう。 だがそれこそがシーザー、貴様の強さの一つなのだろうな。 俺は心からお前の成長を喜ばしく思うよ」
どこか父と子の間柄に見える雰囲気だ。 先程まで殺し合っていたというのに、ワムウのシーザーに向けられる視線には誇らしげな敬意が垣間見える。
そうした折、シーザーが無き右腕を支えるようにして置いていた左手を放すと血液が噴き出し、ワムウの元へ降り注ぐ。 恐らくは波紋によって止血していたのだろう、それを止めてまで何をしているのかとワムウも戸惑っている。
「変に格好つけるな化物め。 ……いや、どの道最後だ。 俺はカーズやエシディシは心底憎いままだが不思議なことにワムウ、あんたに対して今は何も感じちゃいない。 友を、家族を殺された恨みは殺してでも収まらない、そう思っていた。 だが違う、俺の心に『ケジメ』をつけた時に晴れるものだと今理解した。 これはその礼だ、せいぜい長く苦しみながら死にな」
「フフ、なるほど完敗だよ。 お前は精神的にも戦士として俺よりも高みに立ったのだな、血の礼という訳ではないが1つ忠告しておこう。 急ぎここより離れ、傷を癒せ」
既に私の左腕の氷は溶けており自由に動かせる。 横腹に突き刺さったままのワムウの腕は繋がっている体から切り落とし、動けるようにだけする。 腕が体から生えているようで不恰好だが完全に取り去るのは事が終わってからだ。
「戦いが始まった際に奴の雰囲気が変わってからそう、終始怯えた様子で俺に向かってきていた。 卑怯者の考えることなど俺には分からん、臆病者も同じこと。 だが一つ分かったのは奴が恐怖を覚える対象を排除しようとする性質だけは理解できた」
ワムウの言葉に思い当たることがあるのだろう、ゆっくりとシーザーがこちらへ向く時には既に私は剣を放り投げている。
剣はワムウの額を貫き、ミシリと壁に音を立てて減り込み磔にされた。
「うぐ、シー……ザー、奴は既に俺よりも
「吸血鬼! 貴様、本気で俺とやる気か? 何がお前をそんなにしてまで駆り立てる!」
ふるふると体が震え、視線を下に向ければポタポタと水滴が流れ落ちる。
その理由は単純に怯え、涙を流している他に変わりない。 ただ恐ろしいまでの恐怖が内に抑えきれず、外に表れているだけのこと。
「シーザー・ツェペリ。 ぐすっ、命を助けてくれたのには感謝している。 だから、礼と言っては何だが私の心の内を明かそう。 私はな、怖いのだよ。 とても私を超える力を持つものが怖い。 とてもとても恐怖に打ち勝つ勇気とやらを持つ者が怖い。 私にはない強さを持つ者がとてもとてもとても恐ろしい!!」
私の失った右腕から大量の血液が流れ落ちる。 吸血鬼といえども重い傷、だが私はその傷を癒すことよりも先にやらねばならないことがある。
残った左腕でナイフを拾い、ゆっくりと距離を詰めていく。 相対するシーザーの顔色が出血多量とは別に更に青ざめたものとなってくる。
「お前、オカシイぞ。 何だ、お前は一体何だ? 寄るな!! それ以上近寄れば攻撃―――」
「今、目の前に化物を越える力を持ち、恐怖に屈さぬ勇気を持つ勇者……そんな私にとって夜も眠れぬ程の恐怖を与える存在がいる。 ……
互いに今だ距離はある。 だがこの距離はもはや引き返すには余りにも詰めすぎた。 もはや言葉などなく、シーザーも覚悟を決めたのか全身から血を流す瀕死の体に鞭打ち、身構える。
そうして私は手に持つナイフ、ではなく目に力を込める。
確実に、殺せる距離まで詰めた。 多量の血を流し、禄に動けぬ相手ならばまず確実に当たる。
私の正しさが今、証明されるのだ。 パックリと視界が割れ、それが私が最後に見るシーザーの姿―――となるはずだった。
「……せ、あれは、あれは『敵』だ! メアリー、私を離せ!! 呪いを止めろ、なぜだ、なぜ私に恐怖が存在する苦しみを与える!?」
苦しげに佇むシーザ、それが最後の姿になるはずだった。 だというのに、私の瞳は体液を発射せず、あろうことか体を幾重にも縛られたかのように指一本動かせない。
私に害を成す者には何の制約も与えないはずの呪いが作動し、私は見えない誰かに半狂乱になりながら訴えかけるように叫ぶ。
(そうだ、攻撃されれば呪いは外れる。 シーザー、腕を千切っても肉を抉っても良いし何だったら自ら心臓を捧げても良い!! 私を攻撃しろ、お前は私を恨―――)
ふと我に返り、私は縋るように恐怖へと目を向ければあろうことか背中を見せながら遠ざかっていく。
嘘だろう、お前は、お前は私にとって恐怖以外の何者でもない存在だ。 その存在がどうして怯えた風にこちらを見ながら逃げ出す? そんなことはあってはならない。
縋るように追いかけようとした時、私の耳に瓦礫が崩れるような音が小さく聞こえる。
音のする方向へ向けば、柱に串刺しとなったワムウが髪の毛を伸ばし、剣を引き抜こうとしているではないか。
「どうした、シーザーを追うのではないのか? 俺はこの通り無様な姿よ、この剣を引き抜き残った体に戻る力など無いように見えるだろう、が貴様にはどう見えるかな?」
顔に亀裂が入り、今にも崩れ落ちそうな程に波紋の傷が悪化している。 まもなく塵になるだろうと誰もが思うだろうが私は違う。
瞬く間に距離を詰め、纏わりついた髪など気にせず柄を握り更に剣を押し込む。 その際に円を描くように動かしたことにより、何か水気を含んだモノがぐちゃぐちゃに描き回される音と共に苦悶の声が響く。
「ぐっ、貴様はなぜ戦う? 俺に対してそこまで怯えているというのに、なぜ逃げる事を選ばない? 容易に勝てぬ相手と分かれば戦いを避けるのは生物としての常。 貴様の心と行動は余りにも
私の耳にはもはや言葉など届いておらず、何か話していたとそんな印象しか残っていない。
苦しげに語る顔が凍りつき、砕け散ると月明かりに反射されキラキラと輝いている。
その輝きに魅せられるように私の心にも光が差し込んでくる。 何度も宙に浮く破片を掴み、恐怖が死んだことを何度も何度も確認する。
「やった、やったわ! 私は恐怖を
この『私』が正しいのだと証明され、恐怖が心の内より消え去った時、沸き起こるのは歓喜だ。 その泉の如く沸き起こる喜悦に酔いしれ、思わず踊ってしまいそうになる。
しかし、喜びが満ちても尚、暗い影を落とす恐怖は聊かも衰えてはいない。 だからこそ、だ。
「私の世界にほんのちっぽけな恐怖などあってはならない、全ての恐怖を必ずや克服してみせるわ。 ウフ、フハハハハ!!」
静けさに満ちていたコロッセオ内に笑い声が良く響く。 まるでコロッセオ自身が狂喜しているかのような笑い声で。
だが、どこかそう、心の奥底に潜む軟弱な私から悲鳴のように聞こえると―――そんな心の声に対し、私は聞く耳を持ち合わせてはいなかった。