我が名はティア・ブランドー   作:腐った蜜柑

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狩る者と狩られる者

 イタリア・ローマに一つの怪談話が生まれた。

 夜の街に悪魔染みた形相を浮かべた女が誰かの名を叫びながら異常な速度で道を、壁を、屋根の間を走り続けるという話だ。

 その話が生まれた翌日、余りの目撃者の多さから新聞に書かれる程に有名な話としてローマに語り継がれることになるとは――。

 

「見てみろよ、目撃者の話を元に描いた似顔絵! ひでぇ顔だぜ」

 

「ふん、案外そっくり何じゃないか。 見てみろジョセフ、この耳なんて特に似ているだろ?」

 

「心の在りようを顔に写したとすればよく似ていると私は思うがね。 この似顔絵はティアを良く表したものだと思うよ」

 

 体を左右に揺らしながら、私は助手席の窓からローマの夜景を見ていた。

 決して、後ろの醜悪な絵が描かれた新聞で騒ぐガキ共と老いぼれから目を逸らしている訳ではない。

 

 

 

 昨日の夜のツケは散々たるものだ。

 あろうことか荒れたホテル内の修理費は私持ち、ガキ共2人の始末はつけられず、ストレスが溜まりっぱなしの夜だった。

 

 何よりもショックだったのはわざわざ空輸までさせて届けられたエリナの手紙。 サインも本物なのを確認し、私を心配して送ってくれたのかと喜んでいたのに。

 

【次に周りの方に迷惑をかけたのならば貴方の荷物だけ部屋から移し、一人暮らしをして貰います】

 

 簡潔に体調がどうだの天気の話だのといった話もなくたった一文だけ手紙にはそう書かれていた。

 その時の私の心境たるや、何と表せばいいのだろうか。 一心不乱に目の前の現実を受け入れたくない余り、筆跡の確認やら偽者だろうとスピードワゴンに詰め寄った気がする。

 

 一人暮らし。

 

 その言葉は駄目だ。 なぜ、愛しのエリナと離れて暮らさねばならぬのだ。 彼女が傍にいない夜など、絶対に寝付くことが出来ないと断言できるこの私がだ。

 いつまで居候を続けるのだの、料理を少しは覚えろだの、エリナの迷惑だと散々言われ続けても耐え忍んできたこの私がだ。

 

 選択肢など最初から無く、なけなしのプライドを保つ為にも頃合を見計らって帰ってきた2人を引き攣った笑顔で迎えることが私の答えだった。

 

 

 そんな答えを出した私は今、柱の男達が眠るという場所へ案内する為の車に乗り込んでいる。

 てっきりSPW財団が確保し、財団の案内の元に向かうのかと思えば違った。

 

 運転席に座る若い青年の胸元には十字のワッペン、それに刻まれた特徴的な卍のマーク。

 ナチス、ドイツ主導の元に私達は柱の男の元へ向かうのだ。

 

「イタリアとドイツは同盟国! このシーザーの頼みがあればこそ、イギリス人である君達にも柱の男を見る許可が下りたのだよ。 少しは感謝の意を示しても良いんだぜ?」

 

「確認したいのだけれどマルク……という名だったかしら? 今回、柱の男の始末が目的なのであれば幾らでも手があるのではなくて?」

 

「それがですね、奴等の今の状態は謎の鉱物……つまり無機質の状態になっていまして波紋はおろか爆弾ですら効果が無い状態なんですよ」

 

 うっとおしい視線を向けてくるガキは無視し、運転手であるナチス所属のマルクという名の若者に質問をすると律儀に返してくれる。

 奴等は休眠中、異常な硬度を誇る鉱石と化すため明確な対処方が確立されていないのだという。

 

 この時、私の心の中で妙な不安が沸き起こった。 別に戦うことに恐怖しただとかそういうことではない。

 

(余りに相手に対する情報が少なすぎる。 ジョセフから聞いた話では肉体操作に長けるという話だが、もしも未知の能力を持っていたならば狩られるのは―――)

 

 ここで私は頭を振り、迷いを断った。

 何を弱気になっているのだ、確かに私とは相性が悪いし勝ち目も薄い。 相手もそう思うだろう、たかが吸血鬼に遅れを取るはずなどないと。

 

(そう、ただの吸血鬼ならば勝ち目などないだろう。 だが、このティアは他とは違う!)

 

 滲み出る不安を払拭するかのように自身を鼓舞し、私は静かに膝に置いていた鉄製の剣と持ち出した武器の確認を行い心を落ち着かせる。

 そしてふと、胸元に光るメアリーの呪いの十字架が目に入り何気なく手に取る。

 

「メアリー、こんなことを言うと呆れるかもしれないけれど私を見守って欲しい。 今回だけは邪魔をしないで」

 

 悪意に反応し、動きを抑制する呪いの十字架。

 枷としか考えていなかった彼女の十字架を握り締め、小声で呟くと不思議と穏やかな気持ちになる。

 

 まるで誰かが傍に立ち、私を温かく包み込んでくれたかのような穏やかさだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ローマの有名な観光名所と知られる『真実の口』。

 奇妙な円盤状の大石に掘られた顔が秘密の地下世界への入り口だと誰が想像できるだろうか。

 

 この下に柱の男達とやらが眠っている。 マルクの案内の元、地下へ続く薄暗い階段を下りている最中に臭った異臭に思わず顔を顰めた。

 

「お、ティアも変な臭いを嗅いだか? これ何の臭いだぁ? 上手く言葉に表せねえけど、地下だと変な空気でも溜まるもんなの?」

 

 ジョセフの言うとおり形容しがたい臭いだ。 不快だが私はこの臭いにどこかで嗅いだ気がする。 そして、臭いの答えに至った時、私は静かに剣を抜いていた。

 

「えぇ、そうね。 気のせいでなければこれ『死臭』よ。 腐ってはいないけれど、臭いの度合いからしてかなりの人数が最近ここで死んだはず」

 

「ば、馬鹿なことを言うんじゃない。 ここはナチス、ドイツが徹底的に管理している場のはっ!?」

 

 50年も昔、人を大勢殺した際に嗅ぎなれた臭い。 その正体を伝えると慌てた様子で否定するスピードワゴンの言葉が途中で呻き声に変わり、そちらを見れば足元に大量の干からびた軍人の死体があった。

 

 入った当初からこの地下遺跡には禄な明かりが無く、物音一つしないのを不審に思っていたが疑惑が確信に変わった!

 咄嗟に無数に生える柱の一つによじ登り、暗闇の中を見通すように辺りを警戒する。

 

「ぜ、全滅しているっ!? ま、まさか……おい、ドイツ野郎! 暗闇へ行くんじゃねぇ、何か潜んでやがる!!」

 

 私の目は暗闇の中でも比較的良く見通せる。

 だからこそ、運悪く暗闇から歩いてくる3人の人影の前に立つマルクの姿が目に入った。

 

「う、うわああああぁぁっ!!」

 

「マ、マルク―――ッ!!」

 

 暗闇から現れた奇妙な衣装を纏った半裸の男達。 恐怖で立ち竦んでいたのだろうか、一人の肩にマルクの右半身が触れたかと思えば次の瞬間、その半身は抉り取られていた。

 致命傷という言葉すら生温い凄惨な光景にシーザーの叫びだけがむなしく響くだけ。 犠牲となったマルクに思う所はあるが、最悪報酬を支払うスピードワゴンさえ生き残れば何も問題はない。

 

(他の生物の肉体と一体化するように喰らうとは聞いていたが、目の当たりにすると凄まじい。 やはり奴等に肉体を用いた攻撃をするのは賢い者のすることではない)

 

 まるで道端の石ころのように叫びをあげる人間を無視し、筋骨隆々の3人の中でも一際体格の良い1人が跪き2人は仁王立ちしながら聞き慣れぬ言語で何かを話し始めた。 この様子から上下関係が伺え、上手くいけば何か弱点も分かるかもしれない。

 

「स्कारधन्य」

 

(あれは、石仮面? なぜ今ここで……奴等が餌の製造として使うと聞いていたがなぜ『今』なのだ?)

 

 ターバンを纏った柱の男が持つ石仮面。 言語は理解できぬがそれを手で持ち上げている点から石仮面の話をしているのだろう。

 問題はなぜ、その話を今しているかだ。 奴等にとって石仮面は餌の製造機、使うのならば先程までいたジョセフ達に使えばいいものを向かう素振りすら見せない。 そこが余りにも不可解だ。

 

 となれば、奴等にとってあの石仮面は別の意味を持つということだろうか? 見れば私が見た事のあるものとは違い、額に穴が空いた形状をしている。 奴等の目的は今だに不明だが、何か関係するものでもあるのだろうか。

 

「ジョジョ―ッ! おまえは引っ込んでろ! マルクの仇は俺がつけるッ、喰らえ必殺のシャボンランチャー!」

 

 私が考察を深めている最中、もう少し様子を見れば何か分かりそうでもあるがそれを打ち切るかのようにシーザーの叫びと共に透明の泡が次々と手から放たれた。

 ふわふわと空中に浮く透明の泡、先程叫んでいたが正体はシャボン玉だろう。 相手を楽しませるために放った訳ではないのが分かるが、不可思議な行動に理解が追いつく前に泡の一つが柱の男の肩に当り割れた瞬間、火花が走りその肩を溶かした。

 

「こ……これはまさか波紋ッ! 生き残っておったか、波紋の一族よ!」

 

 いつのまに理解したというのか流暢な英語で柱の男の一人が驚嘆の声をあげ、不敵に笑ったかと思えば次の瞬間、頭かざりから何本ものフック状の針が吊るされたワイヤーが現れ、超人的な反射速度でそれらを振るい次々と波紋入りのシャボン玉を触れもさせずに切り刻んでいく。

 

 触れたら危険と判断しての行動にしては用意周到すぎる。 事前に知っておかなければこうも上手く対処できぬはずだ。 あれを対波紋用の道具と仮定したとなれば奴等は――。

 

「あの波紋を帯びたシャボン玉に対する対処方、知っていなければ(・・・・・・・・)できない動き! 奴等と波紋は二千年前に出会っている!」

 

「……ほう、我等が絶滅させたはずの波紋の一族の生き残りがいたとはな。 ワムウ、丁重にもてなしてやれ。 先に外で待っているぞ。」

 

「ハハン! なるほどな。 どれ、俺はもう少しここで様子を見るとしよう。 ワムウよ、存分にその力を振るうがいい」

 

「ハッ! カーズ様、エシディシ様、ご随意に」

 

 ワムウ、エシディシと呼ばれた柱の男達を残したまま一人ターバンを頭に巻いたカーズと呼ばれた男が離れていく。

 

(これは好機か? 手の内を見られるだろうが最悪不意を打って出ようと思っていたものの、好都合にも一人離れた。 ここは離れた奴を狙うのが定石!)

 

 台詞からして奴等にとってこれは戦闘ではなく、遊びのようなものだろう。

 耳障りな羽虫程度に全力を持って挑む者などいないように、奴等はこの遊びを楽しむために少しは時間をかけるはずだ。

 

 離れた相手を始末し、即座に戻り残りの奴を始末すれば私の豊かな生活が待っている!!

 

 柱から柱へ出来るだけ音を立てず、トカゲのように張り付きながら外へと向かうカーズを追う。

 

 闇から闇へ、気配を殺しながらも他の柱の男から距離を取ったのを見計らい、奴が移動する近くの柱の頭上へ潜み機を伺うと―――。

 

 

「そこに隠れている者、いい加減に出てきたらどうだ」

 

 

 私が潜む柱の手前で止まり、腕を組むカーズが目を閉じながらそんな言葉を響かせた。

 思わず心臓が大きく高鳴る。 十中八九、私のことだ。 唐突に逃げ出したい衝動に駆られるが堪え、静かに柱の根元まで降りると姿をあえて晒す。

 

「ごきげんよう、不躾ながら1つ聞いてもよろしいかしら? なぜ、潜んでいると分かったの?」

 

「女……いや、吸血鬼か。 貴様は『エイジャの赤石』というものを知っているか?」

 

 知能が高いとは聞いていたが、こいつは私の話を聞いていないのか。 いや、聞くまでもないと思っているのだろう、それはむしろ私にとって非常に好都合だ。

 

「質問を質問で返すような無作法な輩に答える義理はない。 ま、無理もないわね。 そんな野蛮人のような格好相手に礼節を求めるのは酷というもの」

 

 所詮、吸血鬼など敵ではないと思っているのだろう。 確かにそうだ、私と奴等では地力が赤子と大人程もある。 戦えば一方的に倒されるのが普通だ。 普通(・・)の吸血鬼ならば、だ。

 

「……ほぅ、命がいらぬものと見えるな。 素直に言えば楽に死ねたものを」

 

 時に思い込むというのは慢心より酷いものだ。 それが必ず勝つという確信、自身が絶対の信頼を寄せるものであればあるほど覆された際には手酷い結果を生む。

 

 静かに剣を構え、僅かな動作も見逃さないと正面の敵を見据える。 元々、この手は成功する確立はお世辞にも高いとは言えない。 だが相手が私を脅威と思わなければ思わない程に数倍に膨れ上がる。

 

(そう、今この状況がそうであるがように私の勝利は揺るが)

 

「時に貴様はなぜ逃げずに剣を構えたままでいる」

 

 勝利を確信しかけた時、何かに亀裂が入る音がした。

 

「お前はあの人間が我々に触れただけで肉体を抉られると知った。 圧倒的な力の差を感じるのが道理、それでも尚なぜ対峙するのか」

 

 心の中で過ぎるのは後悔の念。 思い込むのは慢心より酷い。 確かにそうだ。

 

「力の差を理解できぬ愚か者か? 違う。 あの人間共の味方をする為か? 違う、それならば向こうに加勢するだろう。 ならば答えは何か、私を倒せる算段があるからだ」

 

 思い込んでいたのは『私』の方だった。 知能が高かろうが所詮、古代に生きる原始人だろうと。

 

「そして貴様は吸血鬼、その剣一本が私に何の意味も持たないことは理解できるはずだ。 だというのに、どうして構えるのか? 恐らくはそれを利用した手なのだろう」

 

 一枚一枚、果物の皮を剥くように私のメッキが剥がれていく。

 対抗できうる手段が完全に見抜かれている。 目の前が暗くなるような錯覚を覚え、間を置かずに重く圧し掛かる不安に剣先が震え、体までも小刻みに震えだす。

 

「最後に……貴様は先程から私を片時も目を離さぬとばかりに注視していた。 つまり、私の動きをよく見なければ実効できぬ手段。 ならば、よく見ておくが良い!!」

 

 唐突に男の体から眩いばかりの光が発せられ、暗闇に慣れていた私の目では耐え切れず一瞬目を瞑ってしまった。

 慌てて目を開く頃には先程まで目の前にいたはずのカーズが跡形も無く消えている。 後に残るのは無数の柱と暗闇が広がるのみ。

 

(あ、あぁ……だ、駄目。 明らかに、何もかも私が不利! に、逃げないと、でも、どこへ?)

 

 辺りを見渡してもどこが出口なのか分からず暗闇が広がるばかり。 だが、その闇は確実に先程の男、カーズの気配を纏い実体を得た闇だ。

 

 恐怖が心を満たし、私は傍にあった柱に背中を預けて震えるしかなかった。

 今の私は滑稽なほどに惨めな姿をしているだろう。 涙を浮かべ、首振り人形のように左右に視線を動かし、体を恐怖で震わせながら剣を構えているのだから余計にだ。

 

(怖い。 怖い、怖い、怖い!! この状況から抜けられるなら何だってする!! 誰か、私を――)

 

 刹那、本能とも呼ぶべきか頭の中で強烈に鳴る警報に従い、咄嗟に背中を預けていた柱へ振り向きながら後ろへと跳んだ。

 間髪居れずに白い線の筋が目の前に走ったかと思えば構えていた剣の刀身が半ばから滑るように落ち、私の胸からも横一文字に切られたような傷口から血液が噴出した。

 

「はぐっ!? 一体、何が? 痛っ」

 

 受身も取れず、背中から勢いよく地面へと着地し、ついで目の前の信じられない光景に目を疑った。

 

 柱がゆっくりと傾く様だ。 横幅3m近くあろうかという巨大な柱が斜めに滑り落ちるように倒れたのだ。

 根元を見ると綺麗に切り取られたように凹凸がない切断面がある。 明らかに可笑しい、どんな刃物を使えばこんな切断面が出来るというのか。

 

「ほう、かろうじて避けたか。 待っておれい! 今、楽にしてやる!」

 

 倒れた柱が起こす土埃の中から、ゆっくりと目を光らせながら歩いてくる悪魔の姿に私は覚悟を決めた。

 

「ゆ、許してください! 何でもします! エイジャの赤石なら私が持っていますから!!」

 

「……ふん、苦し紛れにしか見えぬがならば証明してみせろ。 10秒やる」

 

 ポロポロと頬を涙が伝うのが分かる。

 目の前の嘲笑を浮かべる悪魔は容赦しない、10秒を過ぎたら私を真っ先に殺しにくる。

 

「9、8、7、6」

 

「あ、あぁ今持っていたかしら? こ、これ? あ、あぁ違う? これも違う違う違う!!」

 

 エイジャの赤石など聞いたこともない。 私は指に嵌めている宝石の指輪を外し、相手に見せるも反応なし。  次いでスカートの裾を捲り、太ももに巻いているベルトに吊り下げられた大きな棒つきの道具やナイフ、非常用のお金を引き千切って辺りにばら撒く。

 

「も、もうポケットの中しか……い、いや、死にたくない!!」

 

「フフフ、5、4、3……ム?」

 

 半狂乱になりながも服の中にあるポケットから取り出したのは、先程太ももに金と一緒に巻いていた棒つきのごつい道具だ。 さすがに可笑しいと感じたのか、目の前の余裕顔の男の表情が怪訝なものとなった。

 その棒は奇妙な形をしていた。 ちょうど柄の部分は何の変哲も無い太い木の棒だが、その先に円を描くように鉄製のプレートが盛り上がった形をしている。

 

 そんな物をポケットに入れているのだ、怪しむのも無理はない。 それを知っている私は迷わず棒についてあるピン(・・)を抜き、涙は溢れたままだがゆっくりと目の前の男に微笑んだ。

 

「あら、数えないの? 2、1、0。 貴様に相応しい土産をくれてやる、ありがたく受け取れマヌケ!!」

 

「ムッ!? BAAAAAAAHOOOOOOOO!!」

 

 私の元来ようと歩いていたカーズの足元近くに放り投げていた棒つきの物……手榴弾が唐突に爆発し、奴の足が吹き飛びよろけた所を最後の駄目押しとばかりにカーズの顔めがけて抜いたばかりの手榴弾を放り投げると男の目の前で爆ぜた。

 

 男の姿が炎と煙で見えないのを確認すると即座に後ろへ振り向き一目散に駆け出す。

 

「ビンゴォ! 貴様の顔がグチャグチャになる所を見れないのは残念だけれど、これで少しはスッとするというもの!」

 

 剣の他に持ち出した手榴弾を何本か持ち出しておいたのが功を奏した。 パニックに陥るフリをし、辺りに幾つか適当に物ばらまきつつも手榴弾のみ集中して奴が近づいてくるであろう道に放り投げておいたのだ。

 

 最後のポケットに詰め込んでおいた2本は先程、奴のマヌケ面に目掛けて投げたために今ごろ愉快な顔になっていることだろう。

 

(はぁ、はぁっ。 あ、危なかった。 あいつが姿を現さなければ、まず間違いなく私の心は折れていた)

 

 本当にギリギリの所だった。

 目に見えぬ恐怖というのは底が知れない。 どう対処すべきかも見えぬからだ。 だからこそ、下手に動けなかった。

 だが、恐怖は姿を現した。 ならば、対処するべき方法も自然と思いつく。 好都合にも時間を数えてくれるのだ、爆発する時間の調整、時間間近になれば近づいてくるだろうということを咄嗟に思いつけたのは幸運だった。

 相手にとっても予期せぬ結果だろうが、私にとって首の皮一枚繋がるという結果となってくれたのだ。

 

 しかし、こんなものは所詮足止め程度でしかない。

 現に鋭利な刃物で切られたような私の胸の傷は既に塞がっている。 手榴弾を間近で何発も喰らったとはいえ、奴にとってはせいぜい軽傷を負った程度でしかない。

 

 そして、その軽傷を負わせる手を2度も喰らう相手ではない。 たかが原始人だと甘く見ていた、奴等は賢く、遥かに強大な存在だ。

 

(だからこそ、今は『退く』べきだ。 これは決して敗北による逃走ではない、体勢を立て直すためにも『退く』のだ!)

 

 

 

 

 

 

 当てもないまま出口を探す為に走り続けていると柱の間から僅かな明かりと共に会話が聞こえてくる。

 聞き覚えのある声にどこか安堵すると共に、内心で離れるべきかと思案する。

 

 正直、私は自分の身を守るので精一杯だ。 あらかた持ってきた武器を失い、ここで他人など手助けできる余裕などありはしない。

 せめて、柱の影から様子を見ようと近づいた時。 目の前の柱に隠れるようにジョセフが慌てて回り込むのが見えた。 何事かと思いながらも、相手も私に気がついたのか目を見開き。

 

「げっ、近づくな馬鹿野郎! 何かヤバイのが――」

 

「闘技! 神砂嵐!!」

 

 柱の影から見える頭かざりをつけた男が叫んだ瞬間、私の目の前の柱に不可解な現象が起こり始めた。

 

 柱に対し、円を描くように目視出来る程の空気の渦が左右から囲ったのだ。 その暴風は柱をまるで雑巾を絞るように不自然に削り取り、破壊していく。

 当然、そんな馬鹿げた威力を持つ暴風の近くにいたのだ。 私の体を切り刻み、紙のように軽々と私の体を吹き飛ばした。

 

(……な、何が。 全身が痛む、あれも奴等の能力? か、勝てない。 む、無理だ。 敵う相手ではない)

 

 視界が二転三転、ぐるぐると宙を舞い地面へと激突する時でさえ異常な破壊力を持つあの風の原理が理解できない。

 

 傷自体は全身を大きく切り刻まれ、出血も酷いが重傷という訳でもない。

 何よりも危惧すべきことは、今ので私の心がポッキリと『屈服』するのを感じたことだ。

 

 自身を誤魔化し、恐怖に染まって反撃する牙を失わないように見苦しい言い訳もしたというのに。

 

「うぅ、ぐすっ。 出口、出口はどこ? い、嫌だ、もうこんな所に居たくない」

 

 気がつけば、地面を這いずり嗚咽を漏らしながら先程いた場所から遠ざかっていた。 土埃に塗れ、ズタズタに切り裂かれた衣服からそこらの浮浪者と大差ない無様な格好だろう。

 それでも尚、私は構わず逃げ続けた。 走れるまでに傷が癒えたとしても、私の細胞は全て逃走へと向けられていた。

 

 無我夢中で走り続けると、私は何て運が悪いのだろう。

 壁に埋まる『柱の男達』が大勢いる広間へと抜け出た時、自然と腰を抜かしてへたり込んでしまう。

 

 無意識の内に頭を抱え、体を丸めると目の前の現実から目を逸らすようにブルブルと身を震わせることしか出来なかった。

 

 数秒か、数分か、数時間か。 私には無限の時間に等しい程の恐怖に震え続けていたが、何の物音もせず、何も起こらない状況にゆっくりと薄く目を開けた。

 

「……は、はは。 ただの、壁に彫った彫像」

 

 暗闇ということもあり、よく見えなかったのだろう。 壁に彫られた彫像に怯えるなど子供のすることだ。

 僅かに、ほんの僅かに残ったなけなしのプライドが心に怒りを生み出した。 それが虚勢であれ、今は私を保つのに重要なものだ。

 

 少し冷静になり、この広間の天井部分にはナチス・ドイツのシンボル旗が掲げられ、奥の方には何らかの機械が大量に置かれている。

 ここは何かしらの施設か、それとも何か実験でもしていたのだろうかと奥へ進むと意外なものが多く転がっていた。

 

(石仮面? なぜ、こんな所に大量にあるのかしら。 どれも装飾が違っているように見えるけれど)

 

 私が50年前、吸血鬼になる為に使った石仮面は全体にヒビが入ったシンプルな石仮面だ。

 床に転がる物と違い壁に埋め込まれた石仮面の近くにある不自然な窪みも気になるが、興味を惹かれるのは種類の多さだ。

 

 植物の葉っぱをイメージしたような装飾や動物の角をつけたような石仮面。 これらに何か違いがあるのかと考察を深める中、一際目を惹くものがあった。

 

 頭部に窪みがある石仮面、これは確か奴等が持っていた石仮面だ。 つまり、数ある石仮面の中でもわざわざ奴等はこの穴の空いた物を選んだわけだ。

 

 手に取り、感触を確かめるも普通の石仮面のように見える。 私は今、何かに縋りつきたいという思いもあったのだろうか。 利用価値など余りなさそうに見えるが、懐にその石仮面を収めると静かに目を瞑った。

 

(放置された機材、大量の石仮面から見てここは恐らく奴等が眠っていた場所だ。 私にとって恐怖以外の何者でもない化物が)

 

 化物。

 吸血鬼であると自覚する私ですら、そう思わざるを得なかった。

 心を占める感情は恐怖。 対峙したいとは思わない、思い出すだけでも嫌だ。

 

 だが、心に刻まれたトラウマは明確に恐怖を思い起こさせる。 その恐怖に導かれるように私は元来た道へと引き返していた。

 

 奴等が恐ろしい、奴等を思い出すだけでも怖い。 これを克服する手段はたった一つ。

 恐怖を根元から断つのだ、あいつらは存在してはいけない。 あいつらがいると私の心に平穏は訪れない。 奴等さえ、殺してしまえば良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恐怖を克服することを勇気と呼ぶというのならば、私は勇気など持っていない。

 私はそこまで勇敢でもなく、強くもない。

 奴等を仕留める決定的な手段を思う浮かんだ訳でもない。

 

 ただ、私が恐怖に駆られるまま向かった先は全て終わった後だった。

 

 

 空から差し込む月明かりが辺りを照らす広間、そこに傷だらけになったジョセフとシーザー、そしてスピードワゴンがいたからだ。

 

「ん? お、やっぱりティアもしぶとく生き残ってたか。 こっちは散々な目に遭ったぜ」

 

「奴等は……いないの?」

 

 能天気に話すジョセフなど目もくれず、辺りを見渡すもいない。 スピードワゴンから奴等は去ったと聞かされても私の恐怖は膨れ上がるばかり。

 

「あいつらは一人たりとて生かしては駄目だ。 殺さないといけない。 体の一片でも残しては駄目だ、消さないといけない。 この世から抹消しなければ――」

 

「あ、あぁ? おい大丈夫かティア。 少し落ち着けって、そんな焦らなくてもいいだろうが」

 

 ブツブツと呟く私を見て、苦笑するジョセフからは今の私のように恐怖といった感情とは無縁に見える。 いや、ジョセフだけではないシーザーやスピードワゴンさえも表情に余裕がある。

 なぜだ? あの化物染みた力を見てどうして恐れない。 こいつらは一体何者なのだ?

 気がつけば私はジョセフから距離をとっていた。

 

 いや、周りの人間達からもだ。

 

 自分を理解できるのは自分のみ。 他人には絶対に理解できないからこそ、自分と他人という言葉で区切るのだ。

 私の目には、恐怖に屈しない目の前の者達がまるで、そう。

 

 化物のように見えた。




 リサリサの所まで書こうと思ったけれど、長くなりそうなのでカット。

 まず柱の男と相性が悪すぎて、タイマンで勝てる確立がほぼ無いに等しいのが辛い。 物理攻撃無効どころか触れたらアウトの制約がまた。。。

 久々に書いたのもあって呪いの十字架のことすっかり忘れてた……一応、枷を嵌める制約からは外れているから良いのかもしれないけれど。
 
 勢いで書けたけれども、このまま2部終わらせて小休止にまた入りたいと思います。

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