我が名はティア・ブランドー   作:腐った蜜柑

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凶報

 住み慣れたイギリスを離れ、新たに住まうこととなったアメリカ・ニューヨーク。

 私が50年程前に訪れていた時とは違い、建物は低い屋根の家屋ではなく見上げなければ頂点が見えぬ程に高いビル、移動の手段も馬車ではなく快適な車に移り変わっており、私に時代の流れを感じさせた。

 

 そんな都会化したニューヨークの町並みをエリナと共に観光し、悠々自適な生活を送ってる最中、その平穏な生活は唐突に自宅に訪れたスーツ姿の男によって破られることとなった。

 胸にはSPW財団の刺繍が入っており、どこに所属している人物か一目で分かる。

 

 そう、石油を発掘し、そこから生まれる莫大な富を持って一代で財団を設立した男、スピードワゴンが作り上げた財団だ。

 

 その姿を見た時、私の頭の中で苦い記憶が蘇る。

 50年前、あの男が熱中症で倒れた際に何気なく、物は試しといった気分で男が掘っていた穴に飛び込み、底の方で微かに臭う異臭を頼りに掘り進むと石油が溢れだしてきたのだ。

 

 ポコポコと黒い気泡を浮かべながら流れ出る黒い水に私は思わず歓喜の声を上げ、素直に喜んだものだ。

 

 ……そこまではいい、そこまでは良かった。 荷物を纏めている際に石油の利権を決める権利書等の書類を見つけ、その全ての利益をスピードワゴンが受け取ることを知ると、即座に私は利益を横取りしてでも得る為に倒れた男を連れて町へと引き返した。 その際に少々いざこざが起こったものの、町にて土地の所有者でもある町長の合意を得る為の『説得』を行ったのだ。

 

 少々乱暴な説得だったかもしれないが、無事に合意を得て優雅な生活が送れると私が夢見ていたというのに……本当に夢で終わるとは思わなかった。

 

 結局の所、立ち寄ると目星をつけていたのか待ち構えていた多数の波紋勢に囲まれ、何とか交渉の末に私が得るはずだった石油の利益を全て波紋勢に譲ること、非道を行わぬよう監視者をつけることを条件に和解へと至ったのだ。

 

 昔の記憶を掘り返すと腸が煮えくり返る思いばかりだ。 あの波紋勢を指揮していた老人の『修行者でもある我らには金など基本的に必要ではないが海外へ遠征するとなると資金がかかってのぉー、誰か資金を提供してくれんかのぉー』といった、あからさますぎる言い回しに屈服する形となったが身の安全の為ならば仕方がない。 

 

 万全の状態ならば、抵抗といった手段も選べたであろうが今現在も続く、私にとって最大の不安要素が障害となった。

 胸元へ視線を移すと、元の鞘に収まったかのように鈍く銀色に輝く十字架が揺れている。

 私の動きを制限する呪いの十字架。 この呪いは私の『悪意』にのみ反応して動きを阻害すると今では理解できたものの、その原因だけは今だに不明だ。

 

 

 静かに目を伏せ、苦い記憶を振り払うと私は現実へと意識を戻した。

 

 今は幸福の時。 苦難を乗り越え、エリナという唯一無二の人物を得て私が求めるべき『幸福』の意味が理解できそうな時、それを乱す一報が耳に入った。

 

 

『メキシコ奥地の河に流れついたスピードワゴンの死体が発見された。 犯人は修行僧として招かれたストレイツォという男。 殺めた場所も動機も一切のことは不明である』

 

 この時、普段の私ならば遺産は誰のものになるのかと喜んで聞いた事だろう。

 

 私の動きを強張らせたのは最後に出された名前、そしてこの凶報を聞いていたエリナの動揺によるものだ。

 

「スピードワゴンのじいさんが死んだだと? その、ストレイツォとかいう修行僧が何でじいさんを」

 

「わ、分かるような気がする。 きっと、50年前の石仮面に纏わること……50年前の出来事が今でも続いているなんて」

 

 当事者ではない、いや50年前の出来事を詳しく知らされていないジョセフには理解できないのだろう。 それを明確に理解できたのはこの場においてエリナ、そしてこの私だけだろう。

 怯え、体を震わすエリナの元へジョセフが駆け寄るが、私は近寄ることは出来ない。

 

 過去に犯した罪からは決して逃れられない。 

 

 誰が言った言葉だったかは思い出せない、ただ私の脳裏にその言葉だけが思い浮かび、私の体はその場から一歩も動けなかった。

 

 

 

 

 

 

 報せを届けた男は帰らせ、マンションの一室には重い空気が漂っていた。

 50年前の石仮面に纏わる全ての出来事、その詳細をエリナが語り終えると当然の如く、傍にいたジョセフが険しい視線を私に向けてくる。

 

「つまり、だ。 事故で死んだと思っていた俺の祖父を殺したディオとかいう奴の姉がティアで? 吸血鬼になる為の石仮面とやらが原因で今、スピードワゴンの爺さんが殺されたってか? ……誰が元凶かってのは本人が一番分かっているよなぁ、ティア・ブランドー」

 

「……私は、ただ幸福でありたかっただけ。 それさえあれば、私は」

 

「はっ、何を言うかと思えば自分の正当性だけ言うのかよ。 俺はお前が嫌~~な奴だとは思ってたけどよ、エリナ婆ちゃんを怖がらせるのだけは本気で許せねえぜ。」

 

「ち、ちがう、ジョセフ。 私が怯えているのはおまえのことだよ……おまえが巻き込まれていく運命のことが怖いのです。 それと、ティアを責めるのは止めなさい」

 

 腕を強く組み、静かに目を伏せる私に対して侮蔑が籠った言葉を投げかけるジョセフを遮るように、エリナの弱々しい声が響き渡る。

 私は、報せを聞いてからかなりの時間が経ったというのにエリナの顔を見れなかった。

 

 彼女から、憎しみ、侮蔑、悲しみが籠った瞳を見たくなかったからだ。 だというのに、私の名前を呼ぶ声には何の感情も籠っていないように聞こえた。

 

 一体、何を考えているだろうか。

 

「私は50年前に最愛の人を失いました。 ……だけれど、彼女もまた最愛の家族を失った。 その悲しみは私と引けを取らない、そう感じているわ。 だから、私の友人を責めるのは止めてジョセフ」

 

 私の心に染み入るように、柔らかく、温かな声が響き渡る。

 

 ようやく視線を上げた時、老いた彼女の表情は普段と変わりなく、優しげに微笑む顔を私に向けてくれる。

 

 まるで神を崇めるかのように、私は思わずエリナに跪きそうになるのを堪える。

 これは友人に対する所作ではない、そう何とか思いとどまり、私は小さく会釈をするに留めた。 この溢れる感謝の気持ちを精いっぱい込めて。

 

「エリナ婆ちゃんがそう言うなら……だけど怯えないでくれ、俺が必ずまもってやる!」

 

 平静に振る舞うエリナだが、心の底では恐怖しているのだろうか。 微かに震える体を抑えるようにジョセフが抱きしめる姿を最後に私は踵を返した。

 

 この場は祖母と孫、その家族に任せよう。

 

 私は外で少しばかり過ごそう。 そう、害虫を『駆除』する為に。

 私が扉を開けて外へ出ようとすると、後ろから肩を掴む手が動きを止めた。

 

「待った、出て行くんなら吸血鬼に関する情報だけでも置いていくのがせめてもの礼儀って奴じゃない? ティアちゃんよ」

 

「貴方、今の状況が分かってるの? そんなヘラヘラした態度の小僧が吸血鬼に勝てるとでも? 家に引き籠ってなさい」

 

「ふーん、少しは居候の恩って奴は感じてるのかねぇ。 正直、どこか逃げ出すんじゃないかと思ってたんだけど……もしもこれが運命だというなら、俺はありのまま受け入れる『覚悟』がある。 スピードワゴンの爺さんの仇を晴らす意味でもな」

 

 ジョセフ・ジョースター。

 その容姿は祖父であるジョナサン・ジョースターに瓜二つだ。 だが、その軽薄な態度や表情から全く想像がつかなかったが今は実感できる。

 

 ありし日のジョナサンが持っていた決して諦めぬ意思、あらゆる現実を受け入れる覚悟、そして他人を思いやる優しさを秘めた『黄金の精神』の輝きを、目の前のジョセフは受け継ぎ瞳にその輝きを宿していた。

 

「ふふっ、碌でもない子供時代によくエリナがジョセフは『やればできる子』って言ってたけど、その通りかもしれないわね」

 

 私が思わず漏らした言葉にジョセフが眉を顰める姿に苦笑しつつ、私自身の弱点を晒すことにもなるが吸血鬼が使う技、弱点、身体能力の詳細等を細かく教えた。

 人間と吸血鬼、その力の差を明確に教えているというのにジョセフの瞳からは恐怖が微塵も感じられない。 むしろ、どう対処するかと思案に耽っていることから少しばかり頼もしささえ感じる。

 

「なぁティア。 一つ聞くがエリナ婆ちゃんがストレイツォに襲われてる所を見かけたら助けるか?」

 

「いきなり何を話すのかと思えば、そんな話? 私は私自身が一番大事。 だけれど、私の親愛なる友人に危害を加える害虫は必ず『駆除』する」

 

「へー、その害虫ってのがさ、もしも弟のディオなら……?」

 

 ピクリ、とジョセフが発した言葉に体が反応する。

 自然と誘導されるように、あのディオがエリナの前に立ち塞がる場面を想像し、私から発せられる威圧感にも似た殺気が辺りに充満する。

 私の視線が幾許か厳しくなると共に、不穏なことを言うジョセフを軽く睨みつけると、普段と変わらぬ軽薄そうな態度でひらひらと手を振った。

 

「おーおー、怖い顔しちゃって美人が台無しになっちまうぜティアちゃんよ。 ほれスマイル、スマーイル。 ま、その様子だと任せられそうだな。 家の守りはティアに任せるぜ、外の害虫は俺がきちっとやっつけるからよ」

 

 

 拳を片手で丸めてポキポキと指の骨を鳴らしながら、外へ向かおうとするジョセフに思わず溜息が洩れてしまいそうになる。

 

「次にお前は『ふー、貴方馬鹿なの? そのニヤついたバカ面の小僧に倒せるはずがないわ』……という!」

 

「ふー、貴方馬鹿なの? そのニヤついたバカ面の小僧に倒せるは……はっ!?」

 

「へへーん、腕力だけで勝負する怪力馬鹿は俺の相手じゃないぜ。 俺はこの頭と策でしっかり倒す準備を整えるからな。 正直、俺はお前に頼るのは嫌だが、それでも戦いの経験って奴はどうしようもねえ。 俺はともかくエリナ婆ちゃんを頼むぜ、ティア」

 

 侮っていた小僧に思考を先読みされるという事実に私が恥辱に震えていると、その間にも颯爽と外へと駆けだすジョセフ。

 

 ストレイツォ。 50年前に一度対峙したことがあるがあの男は内に秘めた感情を隠し、表に出さぬ性質の男だ。

 私が波紋勢と和解した時も、『吸血鬼と和解などありえない』と叫ぶ若い波紋使い達が多くいた。 その中にはストレイツォも静かに反対し、私に敵意が籠った瞳を良く向けていた。 後はダ、ダルマー? そんな感じの名の男も反対していたような気がするがどうでもいいことだろう。

 

 問題なのは奴が今、どうして50年を経た今になってこのような蛮行に及んだかということだ。

 その理由を私は予想できた。

 

 師の仇討ち。

 

 50年前、ストレイツォにとって師であるトンペティという老人を殺めた過去が私にはある。 もしも、それが発端となって今回の蛮行を働いたのであれば元凶は私ということになる。 

 

 しかし、だ。 それならばなぜ50年過ぎた今なのだろうか? 波紋を封じる手が私にあるとはいえ、波紋が有効なのは間違いない。 そのことだけが妙に不可解な点だ。

 

 ならば、別の理由。 発端はやはり石仮面なのだろうか? 奴が石仮面を手に入れ、望むことは―――。

 

 

「ティア、そこにいるの? ジョセフはどこへ向かったのかしら?」

 

 隣の部屋から孫が戻ってこないのを心配したのか、薄く開かれた扉の先には憔悴した様子のエリナが佇んでいた。

 すぐさま考え事を止めると傍にあった椅子へ腰掛けさせ、その年季を感じさせる皺になった温かな手を両手で優しく包み込む。

 

「大丈夫、貴方は何も心配しなくていい。 ジョセフと共にここにいてくれればいいわ、それで全てが終わるから」

 

 優しげに語りかけるも、彼女の顔色は優れない。 そこに一抹の寂しさを感じつつも彼女の心を癒す人物、家族であるジョセフを連れ戻そうと断りを入れ、立ち去ろうとすると今度は彼女の方が私の手を離さなかった。

 

「私は、また家族を失うかもしれないと恐ろしいの。 ジョセフも勿論、スピードワゴンさんも私は家族だと感じていた。 ティア、私は貴方も私の―――」

 

「エリナ、この際ハッキリ言いましょうか。 私は私自身が大事、次いで大事にするのは私の家族であるディオのみ。 ……だからこそ、その先は言わないで欲しい」

 

 冷たい口調で、突き放すように淡々と言っているというのに彼女の温かな手は私を離さない。 まるで、何もかも見通しているかのように。

 いつまでも、こうして手を繋いでいたい。 彼女の傍でいたいと思える。

 

 だが、彼女は優しすぎる。 目の前の仇ともいえる存在を許し、慰めるのだ。

 彼女はもはや信奉者にとっての神と等しく、私にとって『絶対』といえる存在だ。

 それを失う訳にはいかない。 しかし、それは真に彼女を想ってのことだろうか? いいや、私はそんなまともな人物ではない。

 

 

 ゆっくりと繋がれた手を解き、今一度ジョセフと話しあう為にも断りを入れて外へと向かう。

 

 私は誰かを想うほど良心的な人物ではない、己の欲望を満たすことだけを考える者だ。

 

(そう、私の『幸福』を邪魔する者は例え誰であろうと排除するのみ。 その為ならば、あらゆる犠牲を払おう)

 

 玄関への扉を開ける時、ふと隣の壁に掛けてある鏡が目に入ると能面のように無表情、生気を感じさせぬ顔色の女性が映っている。

 

 ただ、その深紅の瞳だけがドス黒く暗い炎が灯っているかのように不気味に揺らいでいるのをとても印象的に思えたのを最後に、鏡から女性の姿が煙のように掻き消えた。

 

 

 




 
 スモーキーなんて最初からいなかった。


 いや、だって出してもリアクション要員にしかならないと思って……。

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