超次元ゲイムネプテューヌ 雪の大地の大罪人   作:アルテマ

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第12話 血濡れし深紅の悪魔

「ギャハハハハハハハハハハハハハハ!!!ハハ!!アハハハハハハハ!!ゲヒっ、ゲヒヒヒヒ!!エヒャハハハハハハハハ!!」

 

左腕を切られ、絶叫を上げたイツキが突如狂ったように笑い出した。

 

その様子を見てマジェコンヌは後ざすりながら

 

「な、何だ……?急に笑い出して……」

 

マジェコンヌは恐怖と言うよりも、嫌悪感を抱いた。

 

何故目の前の少年は笑っている?

 

左腕を失くし、傷口からは血が滝のように溢れ出ている少年は、あまりの激痛と死への恐怖に気が狂ったか、と思ったがどうもそんな笑いには見えない。

 

そしてイツキにはもう一つ変化があった。笑いだした瞬間から彼の髪の毛が根元から毛先まで、まとわりつくように髪の色が赤く染まった。

 

その髪の色は百人に聞けば、ルビーのような深紅の赤と答えるだろう。

 

だがこの場にいるマジェコンヌには、そんな宝石を思わせるような色には思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血の色だ。

 

 

 

 

 

 

 

ドロドロして禍々しい、汚れた真っ赤な血の色だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギャハハハハハハハ!アハッ!エハァーーハッハッー……エヒッ……」

 

そのイツキであったもの(・・・・・・・・・・)はひとしきり笑うと、ゆっくりとマジェコンヌへと近づいて行く。

 

ゆらり、ゆらりと、近づいて行く。

 

「チッ」

 

マジェコンヌは面倒くさげに舌打ちをした。

 

確かに目の前の存在に不快を感じてはいるが、既に勝負は決している。当然だ。目の前の存在をあれだけ圧倒出来たのだから。

 

ならばこれ以上不快を感じる必要も無い。

 

そう判断したマジェコンヌは戦斧を真横に軽く振り下ろす。それだけで地面が深く陥没した。それを見て自分の手に入れた力に自己満足すると、戦斧を振り上げ、不快の原因を真っ二つにしようとする。

 

「アインシュラーク!」

 

ホワイトハートの代名詞とも言える、強力な一撃が振り下ろされる。力が馴染んでいないとはいえ、その一撃を受けてしまえば、目の前の存在は豆腐のように真っ二つになる筈だった。

 

 

 

そう、筈だった(・・・・)

 

 

 

「なっ!?」

 

マジェコンヌは驚愕の声をあげた。

 

何故なら己の渾身の一撃を、あろうことか目の前の存在はそれを防いでいた。

 

いや、防いでいただけなら大して驚くこともなかっただろう。そう、それだけなら。

 

「イヒッ……」

 

無事な右腕を動かしたわけでも、足を使ったわけでも無い。

 

それはほんの数刻前、切り飛ばした左腕だった。

 

いや、左腕というより、それは左腕から生えた刀のようなものだった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

その左腕の刀は目の前の異形の存在の髪の毛と同じ色をしていて、微かに錆びくさい匂いを漂わせ、月の光がその刀身を鈍く光らせていた。

 

それは切り飛ばした左腕の根元から、とめどなく溢れ出ていた血で構成された刀だった。

 

「ば、馬鹿な……何だそれは!?いや、何故そんなものでこの戦斧を防げる!!」

 

当たり前だが、武器は振り下ろした方が重力と相乗するために、威力が上がる。おまけに今マジェコンヌが装備している武器は、女神ホワイトハートの戦斧。武器自身の能力値も他の武器をモノともしない一級品だ。

 

そんな武器の振り下ろされた攻撃を、目の前の少年、いや、人の形をした化物はあろうことか、凝固された血の刀で防いだ。

 

「グシッ……グシシシシ……」

 

化物は弩級の戦斧の一撃を受け止め、それどころか最早ただ血が凝固しただけでは無いと言える硬度の血の刀で、戦斧を少しづつ押し返していく。

 

「くっ……な、ナメるなぁ!!」

 

このままでは不利だと判断したマジェコンヌは、力を込めていた戦斧から急に力を抜く。そして前のめりになる化物。その隙を逃さず戦斧を横に構え、振るう。

 

だが、その攻撃は見切られたかのように、化物の右腕によって止められてしまう。

 

「く、クソ……!その手を放せ!」

 

マジェコンヌの声が聞こえたかは分からないが、化物は低く唸ると、右手に力を入れていく。戦斧の刃が手のひらを傷つけ、血が流れ出てくるが、化物はそんなことは気にしない。

 

「き、貴様ァ……調子にーーー

 

マジェコンヌの(げん)は途中で途切れてしまう。頬にチクりとした痛みを感じ、すぐにそれの正体を理解した。

 

「エヒィ……エヒヒヒヒヒヒ…」

 

化物の左腕が、突き出されるように伸びていた。当然、左腕とはあの血の刀の事だ。

 

「エヒャア!!」

 

「グアッ!!」

 

頬の痛みに、思考の空白が出来た間に戦斧を引っ張られ、マジェコンヌの腹部に強い衝撃。

 

後方に飛ばされていくマジェコンヌ。その衝撃のあまり、何とか立ち上がるが体勢を保ちきれずタタラを踏んでしまう。

 

「エヒヒ……」

 

マジェコンヌを蹴り飛ばしたそれは、血の刀の刀身に付着した血肉を舌で絡め取るように舐め、口の中で咀嚼をした。

 

「…ア、アハッ……」

 

それだけでは足りんとばかりに、右手に持っていた戦斧を放り投げ、手の平の切り口から溢れ出る血を啜った。

 

ズヂャズチャと、まるで飢えた獣のように。

 

「アッ、アァァァァ……アッッッハァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

 

血を啜りながら体を震わし、絶叫した。その絶叫は、本能的な快楽が肉体を満たしていくのを実感し、しかしまだ足りないとでも訴えているようだった。

 

人の形をしているが、髪も体も服も真っ赤に染まったそれは、もう化物や獣などど生温い表現は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪魔だ。

 

 

 

この場にいる者たちは、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤髪の悪魔は口周りについた血を、舌で舐め取り味わい終えると、標的に向き直った。

 

「アハッ!アハッ!アハハ!!エヒャアァァァァ!!」

 

悪魔は絶叫を上げ、標的に異常な速度で詰め寄る。

 

「ッ!!」

 

目の前に急に現れたとしか思えない速度で肉迫されたマジェコンヌは声を上げる暇もなかった。

 

そして血の刀が、鈍い光の剣閃を放ちながら、マジェコンヌのその体を捉えていく。

 

「ぐぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!!」

 

マジェコンヌのホワイトハートそのものの白い姿は、血によって赤く染まっていく。

 

苦痛の声をあげ、痛みに顔を歪ませるマジェコンヌ。

 

「アハッ!アハハハハハハハハ!!」

 

それを見て狂喜の声をあげ、爽快感で顔に笑みを浮かべる悪魔。

 

悪魔にとって、目の前の存在は敵になり得ない。故に悪魔はマジェコンヌを、自分の嗜虐心を満たすためのオモチャとしか認識していなかった。

 

悪魔が刀を振るうたびに、血が飛び散り、雪の大地に赤い花が乱れ咲く。

 

「ぐぅぅぅぅ……!!うぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

反撃する暇もなく、血を散らしていくマジェコンヌは何とか力を振り絞り、プロセッサユニットを展開して空へと飛び立つ。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 

悪魔に翼は無く、空を飛ぶ手段はないと思われる。故にマジェコンヌは多少上空に上がるだけで安全圏に入ったと言える。

 

しかしマジェコンヌはその安全圏より遥か上空に飛び立ち、地に立つ悪魔の姿が小さく認識できる程の位置でホバリングをし、息を整える。

 

「……!!」

 

そこでマジェコンヌは気づいた。自分の体がガタガタと大きく震えていることに。

 

(馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な!!?何故私は震えているのだ!?わ、私は、女神の力を手に入れたんだぞ!?)

 

体の震えを止めようと、体中を掻き毟り、引っ掻き、抓るが、それでも震えは止まらない。

 

(あ、あり得ん……こんな事があってたまるか!!!!こ、この私が、あんな奴に恐怖など、抱く筈が……ッッ!!)

 

不意に、マジェコンヌは恐怖の原因を見た。いや、見てしまった。

 

マジェコンヌのいる位置は遥か上空だ。その位置からではせいぜいあの悪魔が空を見上げている様子を捉えることしかできない。

 

なのに、その筈なのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの悪魔は遥か上空で恐怖するマジェコンヌを見て、笑っているとマジェコンヌは思い込み、確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「み、認めるか……!!!!絶対に認めるものかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 

絶叫し、激昂するマジェコンヌ。自分の中で渦巻いている恐怖を振り払うように、右手を横薙ぎに振るう。

 

その瞬間マジェコンヌの周りに幾つもの光点が一斉に出現した。その数、数十を超えるであろう。

 

「ゲファーアリヒシュテルン!」

 

マジェコンヌはもう一度右手を振るい、光点たちに殺せと命じる。

 

光点たちは流星の如く軌跡を空中に描きながら、標的に向かう。ある光点は直進し、ある光点は曲線を描きながら、またある光点は標的の周りを囲うように突き進む。

 

そして最も短い距離を進んだ初弾が雪の大地に弾着し、けたたましい爆裂音が響いた。

 

それに続くように次々と光点は着弾していき、雪を吹き飛ばし大地を抉る。

 

最後の光点が着弾し、爆裂音が未だに響き、打ち上げられた雪の煙が舞っている中、マジェコンヌは自分に言い聞かせるように

 

「ふん……これだけの広範囲、高威力だ。奴と言えど、瀕死は避けられん……」

 

そして爆裂音が引く頃、雪の煙も風に流されていった。

 

「……?」

 

マジェコンヌは怪訝そうな顔をした。どこを見てもあの赤髪の悪魔が見つけられない。いくら見回しても抉れた大地やまだ少し立ち込めている雪の煙しか見えなかった。

 

「……は、ははは!アーッハッハッハッハ!まさか塵すら残りもしないとはな!」

 

あの悪魔を認識できない理由をマジェコンヌはそう納得し、その納得を受け入れて高笑いをする。

 

「やはり、この力は本物だ!この力があれば、ゲイムギョウ界を---

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エヒッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤き悪魔が、後ろに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「め、ちゃ、………く………?」

 

マジェコンヌは、言おうとしていた言葉にブレーキをかけながら心の中で思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

---あり得ない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゲヒャ」

 

悪魔は醜く笑い、足元を切り払った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バチィ!という音を立てプロセッサユニットのウイングパーツの片翼は真っ二つに分断された。

 

「ッ!!」

 

その瞬間ホバリングをしていたマジェコンヌは空中でバランスを崩し、錐揉み状態で落下していく。

 

距離を取ろうと高い位置でホバリングをしていたのが仇となった。落ちていくにつれ、落下速度が上がっていく。この速度で落ちれば女神の力を持っていても、大きく負傷してしまう。

 

マジェコンヌは残った翼で着地寸前で何とか羽ばたき、落下の衝撃を抑えようと試みるが、その願いは叶わなかった。

 

「ガァッ!!」

 

赤髪の悪魔はマジェコンヌの頭を乱暴に掴み、腕を引き戻して真下に打ち落とした。

 

さっきまで降り注いでいた光点とはまた違う衝撃音が響いた。打上げられた雪が土と混じりながら拡散し、パラパラと落ちていく。

 

やがて全ての雪が舞い落ち、視界が開けた頃、隕石が落ちたようなクレーターの中心にマジェコンヌがいた。

 

「……ッ……ぐうう……」

 

呻き声を上げながら、鎌を杖にヨロヨロと立ち上がるマジェコンヌ。蓄積され続けた負傷により、女神化は既に解けていた。

 

「エヒヒヒ……」

 

悪魔は笑みを絶やさず、マジェコンヌにゆっくりと近づいていく、逃げろと言わんばかりに、マジェコンヌの抵抗を、マジェコンヌの悲痛な顔を楽しむように

 

 

ゆらり、ユラリと

 

 

「……ッ!」

 

マジェコンヌは近づいてくる悪魔に対し、健気にも武器を構える。しかし、構えたところで何か抵抗ができるとは思えず、手が震え、嫌な汗な全身から噴き出す。

 

「エヒ……エヒヒヒ」

 

武器を向けられても、あの極めて原始的な笑みを貼り付けて近づいてくる悪魔

 

その笑みに凍りつき、蛇に睨まれた蛙のように動けないマジェコンヌ

 

やがて時は経ち、マジェコンヌの目の前には既に悪魔が立ち止まっていた。

 

「……エヒャ」

 

左腕の刀を斜め上に構えた悪魔は、静かに笑った。

 

「ヒッ……」

 

マジェコンヌは声を詰まらせ、恐怖に顔を歪ませ、迫りくるであろう血の刀から目を逸らし、瞼を強く閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドサッ

 

 

 

 

 

そして、何かが雪に落ちた音がした。

 

「……?」

 

マジェコンヌはその音を聞き、恐る恐る目を開けた。

 

あの悪魔は雪に突っ伏すように倒れていた。左腕の血の刀は形を崩し、白いキャンパスを赤く染め、まとわりつくように染まっていた髪も、黒い髪に戻っていた。

 

マジェコンヌは倒れている少年、イツキを蹴ったが、反応が無い。

 

「……!!ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」

 

マジェコンヌは少し呆然とイツキを眺めた後、安堵も束の間、突然の緊張からの開放に過呼吸をしてしまう。

 

全身に負った傷より、体に渦巻く恐怖による悪寒の方がマジェコンヌの心を占めていた。今すぐ胃の中で荒れ、暴れているものをその場にぶちまけ、楽になりたかった。

 

それでもマジェコンヌはやることがあると、未だかつてない恐怖に呑まれ、震えが止まらない体に鞭打ち、吐き気を飲み込み鎌を振り上げる。

 

狙いは勿論、先程まで悪魔であった少年イツキ。

 

出来ることなら今すぐこの場から離れ、一刻も早く傷を癒したかったが、目の前の存在は今後の自分の障害になり得るかもしれない。ならば、災いの芽は摘んでおいた方が良い。

 

「……ふん……」

 

鼻を鳴らし、最後の力を振り絞り、震える手を抑え、鎌を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガキィン!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イツキを捉えていた鎌は弾かれ、弾かれた勢いでマジェコンヌは後ざすりした。

 

膝をついてしまったマジェコンヌは、自分の鎌を弾いた者捉えた。

 

「……ブラン……貴様……!」

 

「……これ以上、イツキを傷つけさせやしねぇぞ…!」

 

それはマジェコンヌに不意打ちをされ、傷だらけだったブランだった。ブランの足元はまだ覚束ない。傷も塞がった訳でもない。

 

それでもブランはイツキを守ろうと、ハンマーをマジェコンヌに構えた。

 

「……チッ!……次は、必ず殺す……!」

 

捨て台詞を吐いたマジェコンヌは、懐から何か取り出すと、一瞬爆発的に光り、その光が消えるころにはマジェコンヌはいなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体中が、鉛が詰まったかのように重く、動けない。左腕の激痛が止まらない。

 

だが、そんなことよりも心の中で渦巻いている、罪悪感に僕は押し潰されかけていた。

 

具体的に自分が何をしていたかなんて覚えていない。だけど微かに刻み込まれている記憶に、僕は自分が恐ろしいと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血が舞うのを見て、楽しいと思った。

 

 

血を啜り、咀嚼する度に、開放感を感じた。

 

 

相手が傷つく度に、快楽が自分の体を満たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は悪魔だった。

 

自他の血を見て興奮する、どうしようもなく最低な奴だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ラ……き…ま…」

 

「……これ……う……ツキを………し…!」

 

朧げな意識の中で、耳に微かに誰かの会話が聞こえてきた。

 

それを聞き、伏せていた顔をヨロヨロと上げた。

 

霞む視界の中で、少しづつピントを合わせていくと、目の前にあるものがブランさんの背中だと分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この場から逃げ出したかった。

 

 

僕はマジェコンヌに左腕を切られた瞬間、何故自分が傷つき死にかけているのか疑問に思った。

 

そんなことはマジェコンヌと向き合った時から理解していた筈だ。

 

僕がマジェコンヌと戦っていたのは、ブランさんのためだって、分かっていた筈なんだ。

 

それなのに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを忘れ、自分のためだけに怒りを覚え、自分の快楽を満たすためだけに戦った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……う、グッ……!!」

 

今すぐこの場所を、いや、ブランさんから離れたくて立ちあがろうとするが、血を流し過ぎたのか、立ち上がりかけた足は膝をついてしまう。

 

「……!」

 

膝をついた音に気づき、ブランさんが振り返ったのが分かった。

 

僕は瞬時に俯いていた。

 

怖い

 

とても、怖い

 

ブランさんはきっと、僕のことを軽蔑しただろう。いや、軽蔑だけならまだマシだ。きっと化物を見るような目で見ているだろう。

 

体が小さく震え出した。逃げ出したい心とは裏腹に、体は全く動かない。

 

「あ、あぁ……」

 

僕は唯一動く口を動かした。初めに出た声は上ずった声で、何かが詰まったような声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん、なさい……」

 

直後に紡いだのは謝罪の言葉だった。

 

僕はどこまでも最低だった。

 

この後に及んで、赦しを乞おうとしていた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

そう分かっていても、口から紡がれるごめんなさいは、止まらなかった。

 

「ごめんなさい……ご、めんなさ、い……ごめッな、さっい……ヒック……うう、う……ごめんなさい…!」

 

うわ言のように、嗚咽を漏らしながら僕は謝り続けた。

 

「ごめんなざい…!ご、めんな、さ……い!う、ううぅ、……ごめんな、さ、い……ごめん、なさい……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

マジェコンヌが立ち去ろうとするのを見て、私は追いかけようとするが、とてもこれ以上は動かせなかった。

 

私はハンマーを杖代わりにし、その場に立ち尽くしていた。

 

「……」

 

考えていたのはイツキの事だった。

 

イツキは左腕を切られた時から、豹変したようにマジェコンヌへと襲いかかった。

 

遠目からの位置でも、直接向かれてはいない殺気を否応無く感じてしまった。

 

その時私には、彼が悪魔に見えてしまった。

 

イツキをそんなにしてしまったのは、元はと言えば私の慢心のせいだ。

 

イツキが傷ついたのは、私のせいだ。

 

私が足を引っ張るようなことをしたから、イツキは……

 

「……う、グッ……!!」

 

「……!」

 

後ろから呻き声と、ドサッと言う音を聞き、振り返った。

 

うつ伏せだったイツキは、どうにか立ち上がろうとしたが立ちあかれず、膝を付けてしまったようだった。

 

イツキは俯いていて、表情は読めなかった。

 

「い、イツキ……」

 

私は彼の名を呼んだ。反応は無かった。

 

「ごめん、なさい……」

 

代わりに帰ってきたのは、そんな言葉だった。

 

……どうして、あなたが謝るの?

 

寧ろ謝らなくてはならないのは自分である筈だ。それなのにイツキは、自分が傷ついた元凶に対して謝っていた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

イツキはまだ謝っていた。彼の表情は俯いていて見て取れなかったが、ポタポタと水が彼の顔から落ちていくのを見て、泣いていると分かった。

 

「ごめんなさい……ご、めんなさ、い……ごめッな、さっい……ヒック……うう、う……ごめんなさい…!」

 

嗚咽を漏らしながら、壊れた人形のように謝り続けるイツキを見て、私は唖然としてしまう。

 

そしてさっきまでイツキを、心のどこかで恐れ、悪魔だと畏怖を感じた自分を叱咤した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして目の前で、雨の日に濡れた子犬のように震えながら、涙混じりにごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す少年を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私を守るためだけに敵に立ちはだかり、最後まで逃げようとはしなかった勇気ある少年を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はどうして悪魔などと思ったのだろうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなざい…!ご、めんな、さ……い!う、ううぅ、……ごめんな、さ、い……ごめん、なさい……!」

 

……もうこれ以上心が砕け、欠落していくような彼を見ていられなかった。

 

「イツキ!」

 

私は彼の名前を叫び、膝をついたままの体を強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

温かい

 

膝をついた足から雪に熱を奪われていく感覚よりも、全身から少しづつ抜けるように冷えていくのを強く感じ始めた時、僕の頭が温かく柔らかい何かに包まれたのが分かった。

 

僕は抱きしめられていた。

 

「イツキ……」

 

不意に耳に入った声は、ブランさんの声だった。それは彼女の声と共に、温かい吐息を感じられる程近い距離だった。

 

「イツキ……私、あなたに謝らなくちゃいけない」

 

ブランさんの鼓動と、呼吸音が確かに聞こえる密着状態で言われた言葉は、謝罪の意だった。

 

「ごめんなさい……私のせいで、イツキが傷ついちゃったのよね……本当に、ごめんなさい……」

 

違うと言いたかった。

 

僕はブランさんのせいで自分が傷ついたなんて、微塵も思っていないと伝えたかった。

 

だけど、それを否定する言葉を紡ぐことは出来なかった。

 

左腕が切られた瞬間、どうして自分が切られているか分からなくなった。その時に、自分が傷つけられている理由を心のどこかでブランさんのせいにした、もう1人の自分(・・・・・・・)がいるような気がしたからだ。

 

そんな僕に、赦されることは愚か、謝られる理由なんて無い筈なんだ……

 

「……イツキ……」

 

自責の念に囚われた僕を、ブランさんは僕の名を呼んだ。

 

「こっち、向いて……」

 

……どうして?嫌だよ。こんな情けない姿を見せなくないよ……

 

そう思って、僕は動かず俯き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう放っておいてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

この場で死なせてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のことなんて忘れてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「イツキ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう……私を助けてくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳を疑った。どうしてありがとうだなんて、ブランさんは言ってくれているの?

 

僕のした行いは最低な事だ。それを感謝するだなんて……

 

「イツキ……あなたは多分、罪悪感で心が締め付けられているんだと思う……その罪悪感は私にはどうすることもできない……けどね、イツキは私を守ろうとしてくれた……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたのしてくれた事は、間違っていない(・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言って、ブランさんは更に強く僕を抱き締めた。

 

ブランさんの白いコートが左腕の肩に触れ、血で真っ赤に染まっていく。

 

それでもブランさんは抱きしめる力を緩めはせず、逆に強く抱きしめてくれた。

 

ブランさんの体温と一緒に、ブランさんの言葉が体に伝わっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

間違っていない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うぅ……ううぅぅぅ……」

 

その言葉を皮切りに、ダムが決壊したかのように涙がボロボロと溢れ出てくる。

 

その言葉は、僕を赦す言葉では無かったが、赦しの言葉よりも救われたのかもしれない。

 

「ううううぅぅぅぅ…………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

泣いた。

 

叫ぶように泣いた。

 

止められなかった。

 

止めようとも思わなかった。

 

ブランさんはそんな様子の僕の背中を、優しくさすり続けた。

 

泣き続ける子供をあやすように、ずっと、ずっと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果的に、僕はブランさんを守りきれず、マジェコンヌも取り逃がしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、今だけは浸ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かに感謝されたと言う、小さな充足感に……

 

 

 

 

 

 

 

 


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